【完結】また僕は如何にしてゾンビを怖がるのを止めて火炎放射器を愛するようになったか   作:クリス

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 書いていて思うこと。やっぱり頭がおかしい。


第二十二話 はじまり

「これも、外れか……」

 

 車のエンジンルームを確認しながら呟く。今僕がいるのは聖イシドロス大学駐車場。ヒカさんから渡されたメモを片手に僕は交換用のパーツを探していた。しかし、いくら車のボンネットをこじ開けようとも目当ての代物は見つからない。当然だ。日本車と米国車では規格が違うからだ。

 

 ヒカさんはいいと言ったが、いくら誰も使っていないとはいえ勝手に車のエンジンを弄繰り回してもいいものなのだろうか。武闘派の連中にとやかく言われたら流石に言い返せない。これは本格的に外から取ってくることも視野に入れなくてはならないだろうな。

 

 腕時計を見る。まだ、桐子さんが唐突に始めたゼミまで時間がある。少し、散歩してもいいかもしれない。この大学は無駄に広い、ランニングがてら地理の把握もいいだろう。僕は駐車場を後にした。

 

 

 

 

 

「意外といるんだな」

 

 目の前には、もうすっかり見慣れたゾンビたちがのろのろと歩いている。構内は安全だと思ったんだがな。あまり、一人で戦うとまた怒られてしまうが今回ばかりは仕方がない。腰のククリナイフをゆっくりと引き抜く。

 

「ちょいとばかし僕の朝練に付き合ってもらおうか……」

 

 目標を前方のゾンビに定め突貫する。そしてすれ違いざまに腐った首目掛けてククリナイフを振り抜く。首が無くなる。そっちの方がずっと美丈夫に見えるぞ。

 

「一つ!」

 

 走りながらもう一体を視認。距離は約5メートル。そのままある程度まで近づき思い切りククリを投げつけた。銀色のククリの刃先が一瞬、太陽光を反射し輝く。次の瞬間、ゾンビの頭に突き刺さる。

 

「二つ!」

 

 倒れたゾンビからククリを引き抜き新たな得物を探す。何か、目的を間違えているような気がするが今は、後回しだ。ここから少し離れた場所にゾンビを発見。ククリを構えながら走る。

 

「オラッ!」

 

 2m程まで近づいたのち一気に奴の背後目掛けて飛び膝蹴りをお見舞いする。僕の体重と速度から放たれるそれはとんでもない威力を誇る。奴はたまらず僕に押し倒された。左手で髪を鷲掴みにし逆手に持ち替えたククリで首を掻き切る。

 

「三つ!」

 

 さて、お次はどいつだ。僕は次なる標的を探し辺りを見回す。それは直ぐに見つかった。視界の先には三体のゾンビと、人。

 

「誰だ、ありゃ」

 

 ヘルメットを被っているせいで誰だがわからない。だが、シルエットから察するに女性だろう。手に持っているのは、アイスピックか? もしかして戦う気なのか。どうやらその気らしい。彼女は近づくゾンビを紙一重で躱すと手にしたアイスピックを延髄に突き刺した。

 

「へぇ……」

 

 僕には気が付いていないようだ。そのまま彼女は二体目のゾンビの側頭部にアイスピックを叩きこむ。後一体か。だが、少し遅かったようだ。ゾンビが彼女に襲い掛かる。腕に噛みつかれた。まずいな。

 

「じっとしてろ!」

 

 すぐさま、ホルスターから5906を引き抜き、安全装置を解除、噛みつくゾンビ目がけて発砲。頭に9mmの穴が開き奴は誰にも迷惑を掛けることはなくなった。これで四つ。

 

「貴方、大丈夫ですか!」

 

 駆け寄り、彼女の安否を確認する。だが、よく見ればその腕には全く傷がついていない。当たり前だ。彼女は見るからに丈夫そうなレザージャケットに身を包んでいるからだ。

 

「き、君は、あの時の?」

 

 ヘルメットを脱ぎ、彼女がその素顔をさらけ出した。この顔には見覚えがある。そう言えばこの人は会議室に居たな。突然の第三者に彼女は警戒しているようだ。よく見れば少し身構えている。敵意がないことを示すために5906をホルスターに仕舞う。

 

「あの、もしかして余計なお世話でしたか?」

 

「…………そうかも」

 

 きっと、彼女は僕と同じ様にわざと噛みつかせてから攻撃しようとしたのだろう。それを自覚した途端、僕は猛烈な羞恥心に襲われた。何がじっとしてろだ。僕が頭を抱えていると彼女が声を掛けてきた。

 

「でも、ありがとう。君、本田君だよね?」

 

「え、ええ。そういう貴方は確か会議室で僕にお茶をくれた……」

 

 僕が会議室で武闘派に釘を刺した時にいた女性だ。てっきり非戦闘要員だと思っていたのだが、それは僕の思い違いだったようだ。

 

「篠生、右原篠生よ。それはそうとして、どうして君がいるの? ここは私たちのテリトリーよ」

 

 どうやら知らないうちに武闘派の縄張りまで来てしまったようだ。これは不味いな。信じてもらえるかわからないが弁明しておこう。

 

「そうだったのですか、知らずとは言え貴方達のテリトリーを侵してしまって申し訳ありません。こちらとしても貴方達とは不必要に争いたくはありません。ですので、どうか今のことは見なかったことにしてもらえないでしょうか」

 

「それは……」

 

 頭を下げる。僕もそんな虫のいい話があってたまるかと思うが、今は仕方がない。こんなことになるのなら予め桐子さんたちに縄張りのことを聞いておけばよかった。

 

「わかった、いいよ。でも、一つだけ教えて。君は外の世界から来たんだよね」

 

「外の世界?」

 

「私たち、あの日から一度も大学周辺から出たことがないの。行ったことがあるのは精々、近所くらい。だから外がどうなっているのか知りたいんだ」

 

 外の世界、そんな認識になるまでここは外部と隔絶されているのか。いっそ哀れにも感じるな。彼女の戦い方を見ればそれなりに洗練されているのがわかる。あれほどの腕ならば外でも十二分に通用するはずだ。後は踏み出すか踏み出さないかだけなのだ。

 

「ここと、何も変わりませんよ。何処も彼処も死に塗れている。今みたいにね」

 

「そう、なんだ……」

 

 流石に言い過ぎたか。右原さんの表情はかなり暗い。だが、事実だ。辛い現実を忘れ、夢に逃げるのも悪くはないが、結局は戦うしかない。それが嫌ならとっとと首を括ればいい。

 

「教えてくれてありがとう。それとこの前撃ってごめんね。痛かったよね……」

 

 僕のこめかみのガーゼを見ながら彼女は申し訳なさそうに言った。ふむ、武闘派にも少しはましな人間がいるようだ。勘違い野郎に、玩具と凶器の区別のついていない野郎。そして神持さん。どうせ、この人も碌な奴ではいと踏んでいたがそれは間違いだったらしい。

 

「いえ、慣れてますので。では僕はこれで」

 

「わかった。じゃあね、あと、アキさんに会ったらよろしくって伝えてくれるかな?」

 

 何故ここで晶さんが出てくるのだろうか。もしかしたら知り合いなのかもしれない。後で聞いてみよう。僕たちはお互いに別れを告げると今度こそ本当に各自の帰るべき場所へと戻るのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、第一回これからどうしましょか会議をはじめよー!」

 

 桐子さんがいつものように元気よく宣言した。右原さんとのやり取りのあと皆のもとまで戻った僕であったが例によって例の如く胡桃に速攻で戦ったことを感づかれてしまった。返り血は一滴もついていないはずなんだがな。胡桃曰く「顔を見ればわかる」だそうだ。お前はエスパーか。

 

「あの、どうして第一回なんですか?」

 

 美紀が至極当然の質問を投げかけた。ここまで生き残って来て一度もこうした話し合いの場を設けていないのはいくら何でも怠慢すぎる。

 

「いやぁ、何度もこうした話し合いはしてたんだけど、こうして形式ばってするのは初めてなのさ。それに、物事は何事も形からだよみーくん」

 

「み、みーくんじゃありません!」

 

 あれから何度か学校と連絡を取り合った桐子さんはいつの間にか美紀を由紀と同じ呼び方で呼んでいた。いつも思うのだが何故美紀だけ君付けなのだろうか。まあ、僕も人のことは言えないが。

 

「えぇ、可愛いからいいじゃん。って、そうじゃない。こうして君達と出会えたわけなんだけど、ぶっちゃけ、どうしようか?」

 

「そりゃ、連携して生きて行けばいいんじゃないですか?」

 

「そりゃ、そうだけどその連携をどうするかってことじゃないの胡桃?」

 

「あ、そっか」

 

 僕も今一つ真剣に考えていなかった。正直言ってしまえば連携する旨味はあまりない。どちらも食料、生活必需品共に十二分以上に足りている。僕たち三人の食事を毎日三食、おやつ付きで出せるのがその証拠だ。仮に、ヒカさんを学校に招くとして僕たちが代わりに提供できるのは、

 

「武器、くらいですかね……」

 

「ぶ、武器?」

 

 どうやら突飛な発言だったようだ。皆が僕を見ている。でも、僕たちが彼女達に提供できるのは精々、武器くらいだ。

 

「だって、どちらも食料、医薬品ともに充実しています。貴方達になくてこちらにあるものと言えば武器くらいだ」

 

 後は、奴らの駆除サービスくらいかな。物資を対価に周辺のゾンビを駆除するサービスか。悪くないかもしれない。まあ、やらないけど。

 

「別に、そういうのはいらないかな。二人もそう思うよね」

 

「うん、てか貰ってもあたしら使えないと思うし」

 

「私も、怖いからいいや」

 

「秀樹、お前って奴は……」

 

 おい、頭を抱えるな。僕だってわかっているんだよ。頭悪い提案だってことくらい。よく考えてみらた、というか考えなくても彼女達に刈払機でゾンビのミックスジュースを作ることなんてできるわけがない。

 

「うーん、思ったんだけどさ。そういう何かしたからお返ししなきゃとかいらないんじゃないかな?」

 

「あたしも思ったわ、普通にお互い困ったら助け合うのでいいじゃん」

 

「だ、そうですよ秀先輩」

 

 うーん、本当にそれでいいのだろうか。こういうのはなるべくお互いにしこりを残さないようにするべきだと思うのだがな。僕がそうやって悩んでいると桐子さんが手を叩いた。まるでやるべきことを終えて次の段階に切り替えるかのようだ。

 

「と、いうことで第一回これからどうしましょか会議は終了! 解散!」

 

「お、終わっちゃったよ……」

 

 こうして僕たちのグダグダな会議は幕を閉じるのであった。とは言え流石にこれだけではあんまりなので後の話し合いの結果ヒカさん主導による技術指導と悠里主導による農業指導が主な連携となった。最初からそれをやれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、前座は終わり! ここからが本題だよ!」

 

 桐子さんはホワイトボードを裏返す。そこには『第一回あいつらの正体を探ろう会議』と書かれている。あいつら? ゾンビのことか。

 

「あの、何でこれも第一回なんですか?」

 

「まあ、考えても分からないことは考えないようにしてるんだ」

 

「…………」

 

 僕は気楽でいいと思います。それに実際、わからないことを考え続けても仕方がない。桐子さんの割り切り方はこの世界で生きていくためには非常に重要なスキルだ。

 

「でも、君たちがこれを見せてくれたおかげで少しだけ考える余地ができた」

 

 そう言って桐子さんは緊急避難マニュアルのコピーを開いた。この手の込んだ悪戯のようなマニュアルだが、世界がこうなってしまった以上、信じるほかない。

 

「生物兵器か。事故るのは傘だけにしてほしいね」

 

「うんうん、ほんとそう思うわ」

 

 二人とも何の話をしているんだ。僕は胡桃と桐子さんの言っていることが理解できなかった。でも、事故か。まあ、多分事故なんだろうな。実験のためにここまでの規模でやらかすなんて考えられない。精々、孤立した村なんかで実験すればいいだけだ。それとも他の目的があったのか。

 

「トーコ、どうして事故だと思ったのよ」

 

 とはいえ、事故と決めつけるのは早計だ。そもそも証拠が何もない。あるのはあの一冊のマニュアルだけ。これだけでは何もわからない。

 

「そりゃ、この現象がランダルの想定通りだったらこの大学にももっと生き残りがいたはずだよ。聞くところによれば秀樹君達の学校にもいないそうじゃないか。多分、奴らにとっても突然の出来事だったんじゃないかな」

 

「確かに、そうよね。ここまでの設備を用意しておいたのに使っているのは結局あたしたちだけだし」

 

 確かに、そう考えると辻褄はあう。ただ、

 

「証拠がないよね……」

 

 ヒカさんが僕の思っていることを代弁してくれた。その通り、証拠がない以上、これは僕たちの妄想でしかない。

 

「うん、そうなんだ。ランダルの本社にでも行けば何かわかるのだろうけどね」

 

「てか、あいつらって何なの?」

 

 あいつら、奴ら、屍人、ゾンビ、アンデッド、ウォーカー、呼び名は様々だが、全てに共通していることは死んでいることと、にもかかわらず歩いて襲ってくること。

 

「ボクは情報科学部だからこれに関しては全くの専門外。ここには生物学部はいないし、リセも文系だから、結局」

 

「真相は闇の中ってことですか?」

 

「残念なことにね……」

 

 そうなのだ。僕たちがここでいくら頭を捻っても専門知識がない以上、何もわからないのだ。桐子さんが考えないようにしているのはこうして理解できないことを考え過ぎて精神を病むのを防ぐためなのかもしれない。この人はきっと見てくれなんかよりもずっと賢い人間なのだろう。

 

「秀樹君は何か知っているかい? 多分、この中で君が一番あいつらに詳しいでしょ」

 

 その通りだ。殺したゾンビは数知れず。より効率的に殺すために何度も実験を重ねた。どこまで傷つければ死ぬのかを試したこともある。あれは我ながら酷かった。足から順に切り落としていくのだ。結果は達磨になっても奴らは生きていた。あの時の僕は本当にどうかしていた。

 

「ええ、とは言え僕が知っているのは奴らの習性とか体質とかに限りますけどね」

 

「それだけでも十分だと思うよ。よかったら少しボクたちに教えてくれないかい?」

 

 僕は桐子さんの提案に賛成し、奴らについての僕の知っていることを教えることにした。音や光に釣られることや生前の習慣に囚われることなどは知っていたが火に弱いことや記憶力、学習能力などは知らなかった。話している間に熱が入ってしまい、いつしか桐子さんのゾンビの考察は僕の対ゾンビ戦術講座と化していた。

 

「────結論として、ゾンビはとても怖いですが、全然怖くありません。僕の説明した戦法を使って油断しなければね。とまあ、以上が僕の知っているゾンビの全てですかね。戦法と生態関しては全て実証済みなので信じてもらって大丈夫ですよ」

 

 気が付けば皆、僕のことをみて唖然としていた。どうやらやりすぎてしまったらしい。

 

「あ、あんた、本当に詳しいのね……」

 

「先輩、ドン引きです……」

 

 胡桃だけは何故か熱心に僕の話を聞いてくれていたが、それ以外は呆れているというか何を言っているのかわからないと言いたげな顔だ。

 

「いやぁ、すごいね、流石は一人称がボクなだけはあるよ。武闘派なんかよりもよっぽど詳しいんじゃないの?」

 

 恐らくこの世界での対ゾンビ戦術の第一人者を名乗ってもいくらいだ。いや、流石に言い過ぎか。でも、個人でのゾンビ殺害記録では僕が絶対に世界一位だと思う。2017年のギネスブックに掲載されるのも夢じゃないな。

 

「いや、僕は関係ねえだろ……」

 

 僕もそう思います。だが、本当に奴らは一体何なのだろうか。代謝もなく、何も食べないのにも関わらず歩き続け、腐り落ちることもない。ここまで映画と一緒だといっそ笑えて来る。唯一違うのは火に弱いことくらいだ。ゾンビもので火属性攻撃はやってはいけないことなんだがな。

 

「老いることもなく朽ちることもない。ある意味不老不死だよね」

 

「不老不死、ですか……」

 

 不老ではあるが不死ではない。とは言えこの世で最も不老不死に近い存在と言っても過言ではないだろう。それが幸せかは置いておいて。

 

「でも、こんな世界になっちゃったんだし、あいつらの仲間になったほうがある意味幸せかもね」

 

「アキ先輩……」

 

「アキ……」

 

 どうやらアキさんにはきついものであったらしい。でもある意味幸せなのかもしれない。何も考えず永遠に歩き続ける。絶望も喜びも感じない。真の平穏な世界だ。でも、

 

「ボクはそうは思わないな」

 

「トーコ?」

 

 そんな考えを出口桐子は一刀両断に切り捨てた。その目はいつものふざけたものではない。この世界に必死で生きている者の力強い目だ。

 

「確かさ、あいつらになっちゃったほうが色々楽だと思うよ。でも、それだけじゃん。みんなと馬鹿なことして楽しめないし、ポテトチップスだって食べられない。だってあいつらのご飯、生肉じゃん。ボクは嫌だよそんな生活。それに、なにより、ゲームができない!」

 

 何か凄いことを言うのかと思ったらまさかのゲームが出来ない発言とは。皆が唖然とするのがわかる。

 

「ぷ、トーコったら何かいいこと言うかと思ったらゲームが出来ないって、下らなすぎっしょ」

 

「言ったなー。アキはゲームの素晴らしさを知らないようだね。これは指導が必要なようですなー」

 

「トーコは適当すぎ……」

 

 どうやら慰めるために言ったらしい。気が付けば皆が笑っている。彼女達が今まで普通に生きていくことができたのはきっと桐子さんのお蔭なのだろう。彼女もまた僕の尊敬する終わった世界を普通に生きることのできる強い人間だったのだ。結局、この会議では何もわからないという結論に至り、ランダル本社に行けば色々分かるだろうがそれは自分達のすることではないとの結論に達した。とは言え何か起きた時のために本社に行くことも視野に入れておくべきだろう。ワクチンくらいは見つかるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「秀樹、やっぱ体力あるな。でも、フォーム滅茶苦茶すぎ」

 

「仕方ないだろ。自慢じゃないが万年帰宅部だったんだぞ」

 

 あの会議の後、僕たちはグランドの安全を確認したので胡桃に誘われ走り込みに来たのだ。丁度今は胡桃と五キロ走ったばかりである。横目で見れば美紀がベンチに座って本を読んでいる。

 

「その身体で? 信じらんねえわ」

 

「昔はもっと痩せてたんだよ」

 

「そういやめぐねえが気がつかなかったもんな。昔はどんなんだったんだ?」

 

「それがね、断片的にしか思い出せないんだよ」

 

 そう、僕は事件以前の日常を断片的にしか思い出せない。どんな生活をしていのかくらいは思い出せる。だが、それ以上のことを思い出そうとするとたちまち記憶が途切れてしまうのだ。

 

「それって、記憶喪失ってやつなのか?」

 

 心配そうに胡桃が訊ねる。心配してくれるのは嬉しいがそこまで深刻ではない。

 

「いや、多分、事件が起きてからの日常が強烈すぎて単純に忘れてしまったんだろう。僕が昔何をしていたか知っているだろう? あんなことを毎日繰り返していたんだ。そりゃ記憶だって摩耗するさ」

 

 ただ、殺すだけの機械だった昔、如何に多く殺すことだけを考え続けた日々。それは僕の思い出を蝕み穴だらけにしてしまった。だが、僅かに残った人間性のお蔭で僕はこうして踏みとどまることができた。いや、違う。皆が無理やり引きずり戻してくれたんだ。

 

「そうなんだ。でも、惜しいなー。今の秀樹なら絶対陸上部で大活躍だったぜ?」

 

「まあ、確かに砲丸投げとかハンマー投げだったらそこそこの記録を残せるかもね」

 

「取りあえず県大会はいけるだろうな。そんで上手くいけばインターハイも夢じゃなかったかも」

 

 全国大会はいくらなんでも盛りすぎだと思わざるを得ない。僕には筋力はあってもそういう技術はない。首の折り方なら日本で一番上手い自身があるけど。

 

「それは夢を見すぎだろ。よしんば県大会まで行けたとしてもそこで予選落ちだろうよ」

 

「それ鏡みても同じこと言えんの?」

 

「…………」

 

 こんな筋肉の塊の高校生なんてそうそういない。というか居てたまるか。自分でもどんな鍛え方したらこんな身体になるのか説明できない。あの時は本当に狂ったように鍛えていた記憶がある。そして気が付いたらこの有様だ。

 

「秀樹、その傷は?」

 

 胡桃が唐突に僕の前腕の傷を指さした。いつもは長袖を着ているので今までばれなかったのだ。だが今は運動用の半袖シャツだ。僕の腕にはまるで、手術跡のような横一文字にできた跡が残っている。これは確か、あの時のだ。

 

「ああ、これは学園生活部に入る前にできた傷だよ。襲ってきた暴漢にナイフでバッサリやられてね」

 

 いやぁ、あいつは強敵だったな。あの腕なら別に人を襲わなくてもよかっただろうに。僕は今は亡き彼を思い出し、感傷に浸るのであった。

 

「だ、大丈夫だったのかよ!?」

 

「いや、大丈夫だったからここにいるんだろうに」

 

「あ、そっか。でも、この跡ってどう見ても縫った跡だよな……」

 

 これを言ってしまってもいいのだろか。ドン引きされる気がしてならない。胡桃は僕のことを必要以上に心配する癖がるからな。まあ、それが嬉しいんだけど。

 

「思っていた以上に傷が深くてね、自分で縫ったんだ。裁縫セットで」

 

「はっ!? よ、よく平気だったな……」

 

 案の定、ドン引きしているではないか。そりゃそうだ。どこぞのベトナム帰還兵ならともかく実際に自分で傷口を縫う馬鹿なんていない。いや、ここに一人いるな。

 

「平気じゃないよ。当然、麻酔なんてないから痛くて痛くて仕方がなかったね。あんまりにも痛いから酒をしこたま飲んで泥酔してから縫ったんだ。お蔭で一カ所縫う場所を間違えてしまったよ」

 

 あれは本当に痛かった。まるで子供のように泣き叫んだものだ。思えばあれのお蔭で痛みに耐性がついたのかもしれない。あの痛みに比べればクロスボウの矢が掠った痛みなんて屁でもない。

 

「はあ、もう昔のことだから言わないけどさ。アホだろ」

 

 胡桃は呆れ半分心配半分といった表情で溜息をついた。前みたいに泣かれたら僕は今度こそ罪悪感でどうにかなってしまうだろう。

 

「もう、しないって」

 

「朝練とかいって一人で戦ってた奴の言うことなんか信じられるかよ。やっぱ、秀樹はあたしが見張ってなきゃ駄目だな」

 

 これは僕の告白前に言われた台詞だな。僕はこの言葉のお蔭で決心がついたんだ。でも、今回は少しからかってみよう。

 

「ちなみにいつまで?」

 

「そりゃ、い、一生だろ……」

 

 いつぞやの焼き増しのように二人して赤面し黙り込む。何故、胡桃はいつも恥ずかしいことを言って自爆するのだろうか。でも、一生か。それってもしかして……。

 

「な、なあそれって「それよりもさ、あのこと美紀に言った方がいいのかな?」あのこと?」

 

 思い当たる節がない。駄目だ、考えても埒が明かない。僕が胡桃に訊ねようとする前に胡桃が先に口を開いた。

 

「あれだよ、空気感染のことだよ。一応、みんなには秘密にしてるけどさ、そろそろ言った方がいいんじゃないかなって」

 

 空気感染、僕たちはその事実を知っている。はじめさんが感染した理由だからだ。それに僕も実際に噛まれていない人間が奴らになったのを見たことがある。

 

「まあ、ずっと隠すわけにもいかないしな。いつかは言わなきゃな」

 

 本音を言うならずっと隠しておきたいところだが、誰かが感染した際に告白するなんてことが起きたら目も当てられない。

 

「きっと、今言っても二人一緒にりーさんとめぐねえの説教が待ってるだろな」

 

「それだけ僕たちのことを思ってくれてるんだろ? いいじゃないか、たまには僕の気持ちを体感するのも」

 

 僕だけ怒られる回数が多すぎる気がしてならない。いったい何回、あの二人に怒られたのだろうか。本気で怒ると物凄い怖いんだよ。それこそ冗談抜きでゾンビの群れと戦った時よりも怖いと感じる。

 

「ふふ、秀樹いつも怒られてるもんな」

 

「胡桃だって、しょっちゅう怒られてるんじゃないか」

 

「そりゃそうだけど、秀樹ほどじゃねえよ」

 

 そうやって僕たちは再び走りながら下らない雑談に興じるのであった。気が付けば美紀は何処かに行っていた。僕は胡桃に別れを告げて美紀を探しに行った。

 

 

 

 

 

「さてと、あの子はいったいどこに行ったんだ?」

 

 あれだけ自分から一人になるなと言ったのにこれじゃあ人のこと言えないじゃないか。僕は武闘派とサークルの共有部分にある道を歩く、やがてあるものが目に入った。僕の視界に先には立ち入り禁止の張り紙が張られたフェンスとその先にはどこから持ってきたのか見当もつかないコンテナがまるで何かを閉じ込めるかのように鎮座していた。

 

「ここが、墓か……」

 

 グラウンドの安全を聞いた際、僕たちはこの大学の大雑把な説明を受けた。現在、構内はほぼ安全地帯となっているが理学棟と今僕が目にしている場所だけは危険だと口を酸っぱくして言われたのだ。その時、桐子さんはここが墓だと言っていた。

 

「よし、いっちょ見てやるか」

 

 よく見れば梯子があるではないか。僕は怖い物見たさで梯子を登りコンテナの上に立った。そこには僕の予想通りの光景が広がっていた。

 

「こりゃ、確かに墓だな……」

 

 何十匹ものゾンビがコンテナに塞がれた空間で屯していた。よく見れば頭を損傷したゾンビが異様にに多い。恐らく感染した仲間をこうして突き落としているのだろう。光景そのものは見慣れたものであるが、この光景がどうやって作られたかを考えてると流石に、憂鬱な気分になるのであった。

 

「かわいそうに、燃やしてやればいいのに」

 

 いくら何でもかつての仲間に対する仕打ちとは到底思えない。せめて息の根くらい止めてやればいいものを。それとも弔う余裕すらないのか。これでは死んでいった者達があまりに報われない。地面に献花らしき花は数本落ちていたので一応、弔っているつもりらしい。でも、僕は武闘派に巣食う闇の深さを再認識した。

 

「いつか、眠らせてやるから待ってろよ……」

 

 車には例のブツも積んである。あそこで彷徨い続ける者達をいつでも終わらせることができる。でも、これ以上ことを大きくするのは嫌だ。車の修理が終わってから帰り際にやろう。武闘派に許可をとるのも吝かではない。

 

「美紀を探すか……」

 

 僕は墓を後にした。背後では未だに死にきれない哀れな犠牲者の呻き声が木霊した。その後、美紀は直ぐに見つかった。少し様子が変だったが、恐らくあの墓を見てしまったのだろう。あれを見てショックを受けないやつがいたらそいつは相当な外れ者だ。かくいう僕も憂鬱な気分にはなってもショックは受けていない。あんなものは言ってしまえばありふれた光景だからだ。感傷に浸るには僕はあまりにも死に慣れ過ぎていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2016年◎月◎日

 

 胡桃と大学校外で交換用のパーツを探した。かなりの時間探索したが全然見つからず苦労した。倒したゾンビの数も結構なものになっている。最近は、胡桃との連携にも磨きがかかり顔を見ればだいたい何をしてほしいのかわかるようになった。それは胡桃も同じようで僕たちは無言で連携を取っている。

 

胡桃の愛用のシャベルは僕が定期的にグライダーで研ぎ直しているから胡桃がシャベルを振る度にゾンビの首なし死体が量産される。かくいう僕も弾薬を節約したいので積極的にククリナイフを振るっている。巡ヶ丘の首狩りカップルと呼ばれるのも時間の問題かもしれない。

 

あれから神持は一切接触してこない。とはいうものの顔を見ないわけではなく今日も武闘派の縄張りから僕を見ているのを発見した。僕と目が合うと笑いながら手を振るのだ。正直言って少しだけ可愛いと思ってしまった。だが、あれだけのことを言ってのけたのだ彼女はきっと僕に接触してくることだろう。何故か神持のことを考えていたのがばれて胡桃に頬を抓られた。今でも少し痛む。

 

彼女はいったい何を見てああなってしまったのだろうか。それとも元から壊れていたのだろうか。彼女は僕のことを初めての理解者と言った。正直、嬉しくないと言えば嘘になる。こればかりは誰にも理解されなかったからだ。でも、僕はみんなと生きると母に誓ったのだ。だからあの手を取ることはない、絶対にだ。

 

 

 

 

 

2016年◎月◎日

 

 ようやく車のパーツが見つかった。以外にも見つかったのは大学に止めてあった車からであった。ずっとあそこは探しつくしていたと思ったのだが、どうやら勘違いしていたらしい。灯台下暗しとはよく言ったものだ。

 

 すぐさま、パーツをヒカさんに届け、車を修理してもらった。パーツを交換し、ついでにオイルなども交換してもらった。これで本職ではないのだからヒカさんの腕はかなりのものと言えるだろう。ますます、武闘派のアレさ加減が際立つ。冗談抜きにリーダーを変えた方が上手くいくことだろう。

 

 エンジンを掛ければ以前よりも確実にキレが良くなっていた。彼女には足を向けて眠れないな。これでいつでも帰ることができるようになった。とはいえそれが終わったのは既に日が暮れた後だった。帰るには準備が足りない。よって本格的な準備は明日行い、出発は明後日にすることになった。

 

 明日はお別れ会も開いてくれるらしい。本当に何から何まで世話になりっぱなしだ。僕たちは彼女達に多くの借りを作ってしまった。だから、もしあの人たちが困っていたら助けてあげたい。これは胡桃も美紀も思っていることだろう。後は、これを学校に報告するだけだ。もうすぐ定時連絡の時間だ。日記を書くのもここまでにしておこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『よかったわ、やっと帰ってくるのね』

 

「すまんね、予想以上にパーツを見つけることに手間取ってしまって、でも、お蔭で車の調子がすごい良くなったんだ。帰りの食糧だってくれたし本当にあの人たちには感謝してもしきれないよ。オーバー」

 

 いつもは佐倉先生が無線に対応するはずなのだが、今日は何故か悠里が応対していた。理由を聞けば佐倉先生は今、風呂に入っているのだという。僕も久しぶりに屋上のドラム缶風呂に入りたい。

 

『私としても早く帰って来てほしいのだけれど、どれくらいかかるのかしら』

 

「まあ、明後日出発してそれからさらに三日ほどかかるから計五日ってところかな。オーバー」

 

 思えばもう学校を離れて半月近くになるのか。いい加減帰らないとるーちゃんに顔を忘れられてしまうな。

 

『そう、じゃあ気を付けるのよ。そう言えば胡桃はどうしているのかしら。声が聞きたいわ』

 

「胡桃なら、多分桐子さんと最後のゲーム三昧だろうな。恐らく徹夜でやるんじゃないか? オーバー」

 

 ここに来る前に桐子さんの部屋から桐子さんの勝気な声と胡桃の悔しそうな声が聞こえた。負けず嫌いな胡桃のことだきっと勝つまで続けるに違いない。

 

『胡桃ったら。ちゃんと渡した参考書で勉強しているのかしら。流石に学力が心配になってくるわ』

 

「いや、勉強はちゃんとやっているよ。美紀に言われたことが効いているらしくてね。だからあまり悪く言わないでくれ。オーバー」

 

『それならいいのだけれどね。秀樹君もちゃんと勉強するのよ。帰ったらめぐねえのテストが待っているからそのつもりで』

 

 それは、不味い。僕も、勉強しているとはいえ十全とはいいがたい。これは帰りの道中で勉強したほうがいいかもしれない。

 

『あ、今圭さんに替わるわね』

 

 程なくして圭の懐かしい声がスピーカーから聞こえてきた。るーちゃんはもう寝てしまっているのだろうか。あの年ごろならもう寝ていてもおかしくない。

 

『秀先輩、久しぶりです!』

 

「ああ、声を聞くのは久しぶりだな。そっちの様子はどうだ? オーバー」

 

『そのオーバーってなんですか? まあ、いいや。はい、こっちは全然大丈夫です。美紀は元気ですか?』

 

「ああ、ピンピンしているよ。僕たちに対する小言が多い気がするがね。オーバー」

 

 まあ、僕と胡桃だけでは些か暴走気味になってしまう気がしてならない、美紀を連れてきたのはやはり正解だった。

 

『まあ、あれはただの照れ隠しですから、心配しなくていいですよ。というか、秀先輩、胡桃先輩とは何処まで行ったんですか!?』

 

 やはり、隠していると思っていたのは僕たちだけだったようだ。

 

「何処までって、別にやましいことはしていないよ。普通にお付き合いさせてもらっている。オーバー」

 

『またまた~。もうあんなことやこんなことしたんじゃないですか?』

 

 少しイラッと来たのはきっと正常な反応だろう。まあそう思われても仕方のない行為は沢山している。だが、僕は断じてそういうことはしない。

 

「思う存分、勘違いしていてくれ。もう、通信切るよ。じゃあまた」

 

 これ以上は電気の無駄なので無線機の電源を落とす。車内は再び静寂に包まれる。もうすぐ春か。卒業式どうするんだろうか。というか卒業する意味あるのだろうか。時計を見る。もうすぐあれの時間だな。今度は車載ラジオの電源を入れる。周波数はもちろんあれである。

 

『こんばんはー! こちらワンワンワン放送局、夜の放送の時間だよ! 最近、秀樹君が全然会いに来てくれなくてお姉さんは寂しいです。では、まず最初にラジオネームおでこポニーさんのリクエストで「We took each other's hand」をどうぞ』

 

 確かに、もう一カ月近く会いに行っていないな。一応、佐倉先生がこの前行ってくれたらしいが、僕は全然行っていない。こんど会いに行かなくては。またリクエストを思いついたんだ。

 

 車内に優しい歌声が響き渡る。これは失恋の歌か。圭はわざとやっているのか? おでこポニーなんてあの子しか思い当たる節がない。そう言えば、桐子さんたちにはワンワンワン放送局のことを言うのを忘れていたな。まあ、明日でいいか。

 

「ふう、やっと帰れるよ……」

 

 神持さんのことや墓のことは気掛かりだが、今、考えても詮無いことだ。僕は運転席に身体を埋めながらスピーカーから流れるメロディーに耳を傾けるのであった。だが、僕の予想は大いに外れることとなる。

 

 僕の戦いは始まったばかりだったのだ。だが、何が来ようと僕はその悉くを押しつぶし、粉砕し、蹂躙するだけだ。

 




 いかがでしたか? 遂に大学編の序章が終わり物語が動きます。皆さんどうか最後までお付き合いください。

 では、また次回に。

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