【完結】また僕は如何にしてゾンビを怖がるのを止めて火炎放射器を愛するようになったか 作:クリス
第十八話 ようこそ
雲一つない快晴。時刻は昼過ぎ。僕は双眼鏡を取り出し観察した。対物レンズの先には煉瓦作りの塀と鋼鉄製の頑丈な門が外からの侵入を堅く阻んでいる。
「聖イシドロス大学ねえ……。御大層な名前だこと」
読みはセント・イシドロスかな。まあ、そんなことはどうでもいい。観察を続ける。門と通用口は内側から土嚢が高く積み上げられ恐らく鍵も掛かっていることだろう。とは言え塀には侵入防止の柵もなく踏み台になりそうな突起物も多い。登るのは楽勝だろう。人影も見えない。無人か、それとも隠れているのか。まあ、どちらでも構わない。右耳に装着したイヤホンマイクのPTTスイッチを押し、トランシーバーを送信状態に変える。
「ブックフィールドから各員に通達。門周辺に人影は見当たらず。オーバー」
トランシーバーから発進された電波はここから少し離れた二人のトランシーバーへと繋がる。スピーカーからノイズ音が響き聞きなれたそして愛しい声が僕の耳を刺激する。
『シュリンプからブックフィールドへ、な、なあ秀樹。これ本当に言わなきゃダメか?』
おい、ここで崩しちゃ駄目だろうが。折角の無線なのに。これでは雰囲気が台無しではないか。
『秀先輩、わざわざ呼び方変えなくても誰も聞いてないと思うんですけど。どうぞ』
ブルータス、お前もか。しかも、名前を呼んでしまっている始末だ。だが、ここで折れるわけにはいかない。こういうのは形が大事なのだよ。再びPTTスイッチを押し送信状態に移行する。
「ブックフィールドから各員に通達。ともかくだな、シュリンプは僕と一緒に来てくれ。ストレイトウッドは指示があるまで車で待機、念のためエンジンは掛けたままにしていてくれ。オーバー」
『了解、今行く』
程なくして後ろから走る足音が近づいてくる。すぐ後ろだ。そして足音の主は僕の真後ろまでやって来た。だが、何も声をかけてくれない。突如視界が真っ暗になり両目を何者かに塞がれた。
「だ、だーれだ」
この声を僕は知っている。僕の一番の宝物。掛け替えのない最愛の存在。目を塞がれたまま答える。
「胡桃」
手が離された。僕は後ろを向く。笑顔の胡桃がそこにはいた。ただ、その顔は少し赤い。慣れないことをするからだ可愛い奴め。
「そ、そうやって即答されるとなんか照れるな……」
「僕が君の声を聞き間違える訳がないだろうに。だって胡桃は僕の「あーあー! もう、わかったから。あたしが悪かったよ!」ふむん」
胡桃の顔はもう真っ赤だ。ちょっとからかいすぎたかな。とは言え先ほどの僕の発言に誇張など何一つない。胡桃の声なら本当に聞き分けられるだろう。
『ゴホン! あのー、いちゃつくのは後にして早く中に入ったらどうですか』
後ろの車にいる美紀に怒られてしまった。二人の世界に入りかけていたところに冷水を浴びせられ、僕と胡桃は黙り込んでしまう。ちょっと恥ずかしいな。このまま黙っていても仕方がないので胡桃と共に門の前の横断歩道を渡り塀の横に待機する。
「なあ、これどうやって入る?」
「そうだね、僕が足場になるからそれで登ってくれ」
そう言って壁に手をつきしゃがむ。後は胡桃が僕を踏み台にいして登るだけである。だが、待てども一向に何も起きない。胡桃に向き直る。何故か気まずそうに手を組んでいる胡桃がいた。
「なにやってんのさ。早く登りなさい」
「で、でも秀樹のこと踏みたくないし……」
僕に五連続パンチをお見舞いした人の言葉とは到底思えない発言が飛び出した。でも、そんな些細なことにさえ気を使ってくれる胡桃が愛おしくてたまらない。だが、これでは埒が明かない。
「別に気にしてないから。早く行こうよ」
僕の一言でやっと決心がついたようだ。胡桃は僕の肩に足を掛けそのまま一息に塀の上まで登った。元陸上部だけあって身のこなしは機敏そのものだ。
「登ったぜ。じゃあ、引っ張ってやるから手掴めよ」
そう言って手を差し伸べてくれるのは嬉しいんのだが、胡桃は僕の体重のことを考えていないらしい。
「気持ちは嬉しいんだけどさ。僕のこと持ち上げるの無理でしょ」
「あっ……」
やっと気が付いたようだ。
「胡桃はそのまま中に入っててくれ僕もすぐに登るから」
その言葉に胡桃は少し残念そうではあるものの大学の敷地内に入ってくれた。ここからは見えないが梯子を降りる音がする。登るのが面倒なだけで出るのは楽なのだろう。
「じゃあ、僕も行きますか」
塀の出っ張りに足を引っかけ一息に登る。伊達に鍛えてはいない。こんな壁は朝飯前だ。僕は楽に内部に侵入することに成功した。そして一足先に侵入した胡桃と合流する。
「美紀、中に入ったぞ。何かあったらすぐ言えよ」
車内の美紀に連絡を入れようと思ったが胡桃も同じことを考えていたようだ。イヤホンと横から二重になって声が聞こえる。既に誰もコールサインを守っていない。少し残念だ。
『わかりました。では二人とも気を付けて下さいね』
これで準備は整った。キャンパスツアーと洒落こもうではないか。胡桃も何も言わずに僕の背後につく。言わなくてもわかってくれる胡桃が大変頼もしい。そして、僕たちは一歩踏み出した。
「二人とも、持っているものを捨てて手をあげろ!」
拡声器で拡張された声が僕たちを襲った。声の出所を探る。いた。声の主は茂みに隠れていた。しかし、それのせいで全体がよくわからない。胡桃君を見る。既に荷を捨てているではないか。別にそこまでしなくてもいいのに。
「お前も早く捨てろ!」
あ、見えた。声の主は背の低いニット帽を被った童顔の少年だった。少年とは言っても僕よりも年上なのだろう。この少年は僕にあるものを向けていた。僕が非常に慣れ親しんだものを小さくしたもの。ピストルクロスボウだ。
「はぁ、面倒だ……」
空を見上げる。憎たらしいほどの気持ちのいい天気だ。どうしてこうなったんだろうか。少年の怒声をBGMに僕は過去に思いを馳せた。
「なあ、胡桃」
僕がコントローラーを操作すれば画面の車が左右に曲がる。あ、アイテム取り逃がした。僕たちは今、校長室でゲームに興じていた。二画面構成の携帯ゲーム機だ。
「ん?」
僕のすぐ目の前に胡桃の後頭部が見える。あまりにも近いためシャンプーのいい匂いでダイレクトに伝わる。ふむ、どうやら別のシャンプーに替えたようだ。こっちのほうが好みだな。おい、墨は止めてくれ、見えない。
「思ったんだけどさ……」
胡桃はゲーム機に集中しているようで返事は上の空だ。あ、崖から落ちた。ていうか、僕弱すぎだろうに。僕は今非常に気になっていることがあった。意を決して胡桃に問いかける。
「さっきからずっと思ってたんだけど、なんで僕の上に座ってんの?」
そう、胡桃君はさっきから僕の右腿の上に僕に寄りかかるように座っているのだ。ソファーにはまだ二人分のスペースが空いているのにも関わらず、胡桃はあまりにも自然体だったため僕はこうして反応することすらできず、好き放題されていた。
「もしかして、嫌だったか?」
「いいよ」
画面から目を離して少し寂しそうな顔で僕を見る胡桃を見て断れるのか、いや無理だ。そうやっているうちに画面内のレースは終わっていた。相変わらず僕はビリである。
「やっぱ秀樹弱すぎ。まだ由紀の方が上手く走れるぜ?」
「しょうがないだろ。僕はこういうのには慣れていないんだよ」
僕が下らない言い訳をしていると胡桃は膝から降りて僕の隣に座ってくれた。そしてまたもや当然のように頭を肩に乗せてくるのだ。
胡桃が身体を動かすたびに彼女の身体の感触がダイレクトに伝わってしまう。既に大分慣れたとはいえ僕は告白後の胡桃の変化に未だ戸惑いを感じていた。物は試しだ。聞いてみよう。
「胡桃、前と性格変わってないか? 前はこんなに距離近くなかっただろ」
誰が見ても今の胡桃は以前とは様子が違っていた。もっと彼女はこう勝気で、こんなしおらしい子ではなかったはずだ。でも、僕の知らない彼女の一面を知れて僕は嬉しい。
「だって秀樹全然恋人らしいことしてくれないじゃん。あたしたち付き合ってもう三カ月たってんのにさ……」
あれから僕は一度も自分から胡桃に手を出してはいなかった。彼女からねだられて頭を撫でたり手を繋いだりはしたがキスやましてやそれ以上のことは一切していない。胡桃とそういうことはしたくないと言えば嘘になるが、それよりも近くで胡桃のことを見守っていたかった。そもそも僕は責任を取れないことはしない主義なのだ。
「なあ、あたしってそんな魅力ないのか? そりゃ、りーさんやめぐねえみたいにスタイルよくないけどあたしだって女の子なんだぜ?」
どうやら傷つけないための行動が裏目にでてしまったらしい。実際には勘違いもいいところなのだが、いくら思っていても伝わらなくては意味がない。僕は意を決して胡桃を右腕で抱き寄せた。
「ひ、秀樹!?」
そのまま頭を撫でる。慣れたはずなのに僕はいつも心拍数が上がってしまう。恋は盲目というが自分自身がそれを身をもって体験する羽目になるとは思ってもいなかった。
「ごめんな。僕はさ今まで誰かを本気で好きになったことなんてなくてさ。好きな女の子にどう接すればいいかわからないんだ。だから自分が魅力ないなんて言わないでくれ。胡桃は僕にとって世界で一番魅力的な女の子だよ」
少し調子に乗って気持ち悪いことを言ってしまった。仮に僕が言われてら鳥肌ものである。顔が熱くなる。恥ずかしくてたまらない。
「じゃ、じゃあ、証拠みせてよ……」
そう言って胡桃は顔をどんどんと近づけてきた。ええい、ままよ。覚悟を決めて胡桃の頭を引き寄せる。短いが僕の気持ちを証明するためにキスをする。頭が真っ白になる。彼女のことしか考えられなくなる。
「これでわかってくれたか?」
胡桃の顔は既に真っ赤だった。多分、僕も真っ赤だろう。
「あ、う、うん。よ、よく分かった……」
そのまま二人して顔を真っ赤にしてしばらく黙り込むのであった。こうして僕は人生で二度目のキスを経験するのであった。ちなみにキスの味は晩御飯に食べたおでんの味でした。
「やっぱさ、大学に行くべきなんじゃねえの?」
ようやく復活した僕たちは再び談話に興じていた。とは言え内容は先ほどよりも真面目である。大学。例のパイロットの持っていた地図に記されていた場所だ。緊急避難マニュアルにも避難場所として連絡先が記載されていた。これは黒とみていいだろう。
「僕も思っていたよ。一応、市役所の人たちと連絡が取れたとは言えなあ……」
市役所の生存者達と連絡が取れたとはいえそれはとても薄い繋がりなのだ。精々、お互いに情報を共有しましょうくらいの関係なのだ。余裕があるとはいえまだまだ自分たちのことで手一杯なのである。
「あのマニュアルに載ってるなら多分ここと同じ様になってるはずだし」
避難所として記載されているのなら、はじめさんの自宅や僕たちの学校のようにスタンドアロンで稼働するライフラインが存在はずなのだ。そうなれば自ずと生存者がいる可能性は高まる。
「てことは生き残っている確率もかなり高まる。協力できるならそれにこしたことはない」
「秀樹もそう思うよな。じゃあさ、明日めぐねえとみんなに相談しようぜ」
「僕も賛成だ。でも、細かいことは明日にしよう。ほら」
棚の上に置いた安物の目覚まし時計を指さす。既に寝る時間だ。ちなみにこの時計は時限爆弾用の物だったのだが美紀に叱られてしまい泣く泣く本来の用途で使っている。
「もう、寝る時間だよ。じゃあ、また明日」
僕が言外に退室を促しても胡桃は一向に立ち上がろうとしない。しばらくすると急にそわそわしながら僕を見た。これはデジャブを感じますね。
「ひ、秀樹がよかったらさ、い、いっしょに寝ないか?」
「お前は何を言っているんだ」
そんなことしたらいよいよもって勘違いされるだろうに。いらぬ疑いを掛けられるのはごめん被りたい。
「だ、駄目なのか?」
「いいよ」
何度でも言うが胡桃に上目遣いで悲しそうに言われて断れる男がこの世にいるのだろうか。絶対にいないと断言できる。結局、僕は胡桃と一緒の布団で眠ることに耐えきれずソファーで寝た。当然眠れなかった。以上。
「と、言うわけで僕は聖イシドロス大学に行くべきだと思う」
次の日。例によって皆を集め僕は自分の考えを告げた。佐倉先生には予め僕の考えを説明しておいた。計画そのものの許可は得たので後は内容を煮詰めるだけだ。
「私もその考えには賛成なのだけれどメンバーはどうするのかしら?」
僕として一人で行ってもよかったのだが、そんなことをみんなの前で話してしまった暁には説教フルコースが待っていることだろう。学校周辺は、ほぼ完全な安全地帯になったとはいえ世界は絶賛崩壊中なのである。
「一応、僕と胡桃は確定しているんだけど、正直あと一人欲しいかな」
「胡桃、本当なの?」
心配で仕方がないといった様子だ。そりゃ下手しなくても何週間もいなくなる可能性があるのだ。いくら秘密兵器があるとはいえ心配なものは心配なのだ。
「心配すんなってりーさん。別に戦いに行くわけじゃないんだぜ?」
「心配するに決まってるじゃない。だって何日も学校に戻らないのよ?」
どうやらあの二人はしばらく話が長引きそうだ。他のメンバーにも目を向ける。美紀と圭が僕を見る。佐倉先生と由紀はるーちゃんの子守をしてくれているのでここにはいない。一応遠征のことは話したのだが僕だけずるいと駄々をごねられてしまったが、お土産を持って帰るという約束をしてなんとか落ち着かせることができた。
由紀の地図のナビゲーション能力は目を見張るものがあるのだが、何が待ち受けているかわからない以上なるべく戦闘ができる人員で固めたい。胡桃と二人で行っても問題ないのだがその際は本当に勘違いを正すことが出来なくなるだろう。
「あの、秀先輩。どれくらいの時間学校を空けることになるんですか?」
これは気になることだろう。学校という安全地帯を飛び出す以上身の安全は保障できない。一応、薬はパイロットの持っていた中身不明の物も含めて3本持っていくことになっているがそれはなんの慰めにもならない。圭の質問は至極当然のものである。
「恐らく半月は帰れないことだろう。生存者がいた場合彼等との折衝には細心の注意を払う必要があるし、仮にもぬけの空でも調査する必要がある。とてもじゃないが一日で終わるようなものではない。どうだろうか?」
三人の間に沈黙が走る。まあ、仕方がないな。誰だって好き好んで死地に行きたくはない。人が危険を冒せるのはその先に目的があるからだ。今回の目的はあまりに自分達に利がない。極稀に手段のためなら目的は何でもいいという僕のような度し難い存在のいるのだがそれは置いておく。
今はこうして掛け替えのない平和な日常を謳歌している。でも、たまに無性に火薬と血の匂いが恋しくなるのだ。結局、僕という人間はどこまでいっても戦いを求めるのだろう。だけど、僕はこれを否定しない。この狂気があるから僕はみんなを守れる。それに僕は全部背負うと約束したのだ。
一人また決意を固め、もう一度二人を見る。美紀が一歩前に踏み出した。僕の目を真っすぐ見ている。
「先輩、私が行きます」
「み、美紀?」
「一応聞くけど。理由は?」
ただ、油断しているのなら即刻、その考えを正さなくてはならない。この世界は僕たちにちっとも優しくない。ここが例外中の例外なのだ。
「秀先輩と胡桃先輩だけだと何か起きた時に視野狭窄に陥る心配があります」
それは暗に僕たちが脳筋だと言っているのだろうか。否定はしないけれども。
「それに、生きていなければ何もできないけど、生きているだけじゃ何もできませんから」
「美紀……」
戦う者の目、覚悟を決めた者の目だ。これは僕が何を言っても折れることはないだろう。美紀だって前よりも強くなったことだし、いいだろう。美紀と圭はあれから随分と成長し今では一人でもあいつらと戦えるようになったのだ。正直僕は圭と美紀のペア相手に勝てる気がしない。
「圭は、学校をお願いね」
「うん、ここは任せて。でも、絶対無理しないでね」
よし、決まったな。後は悠里と胡桃だけか。少し、説得するのに時間がかかりそうだ。僕が振り向こうとすると肩を叩かれた。振り向けば胡桃が笑っている。悠里も仕方ないかというような表情でこちらを見ている。
「誰が行くことになったんだ?」
「はい、私です」
「お、美紀か。じゃ、よろしくな!」
交わされるハイタッチ。美紀も随分とノリが良くなったものだ。昔なら絶対にこんな光景は見ることが出来なかっただろう。どっちがいいかなんて考えるまでもない。こうして僕たち三人はバンに荷物を詰め込み大学へと向かったのである。
「さっさと荷物置けって言ってるだろ! 聞こえないのか!」
少年の怒号で我に返る。未だ僕にクロスボウを向け投降を呼びかけている。行動そのものは別によくあることだがいくら何でも短絡的すぎやしないだろうか。
「あの、その物騒なものを向けるのは止めてくれませんか? 別に僕たちは敵意もなければ感染してもいない。ただ、生存者を探していただけ。だから穏便にいきましょうよ」
依然としてクロスボウの矢は僕に向けられている。でも、向けられるのが僕でよかった。胡桃に向けていたらきっと僕は怒りでどうかしてしまうだろう。
「あんただってみりゃわかるだろ? あいつらじゃないってことくらい」
僕たちがいくら説得しようとも少年の意思は揺るがないらしい。クロスボウは未だ僕に向けられたままだ。しかし、よく見れば持つ手が震えているのがわかる。ふむ、少し近づいてみるか。一歩ずつ彼に近づく。
「おい! 秀樹!」
「く、来るな!」
両手を上げて敵意がないことをアピールしつつ、その実すぐにでも行動できるよう体勢を整える。意識をクロスボウに集中させる。やっぱり震えているな。半端な覚悟で武器を向けるな素人め。
「う、撃つぞ!」
「本当に穏便にいきましょうよ。折角生き残りどうしこうして出会えたんですから。ね?」
遂に両者の距離は手が届く位置まで近づいた。よく見たら引金に指を掛けたままじゃないか。危ないな。本当に危ないので僕は少年の持つクロスボウを左手で強引に掴む。
「さ、触るな!」
力んだためだろう。引金が引かれ矢が発射される。解き放たれた矢は僕のこめかみを掠ると明後日の方向へ飛んで行った。結構痛いな。
「ひ、秀樹!?」
胡桃が叫ぶ。自分でも血が流れるのがわかる。というか滅茶苦茶痛い。事件前の僕ならアドレナリンが大量放出されて痛みなど感じなかっただろうが、残念なことに既にこうした荒事には慣れっこである。思考は至って冷静。痛みはダイレクトに神経に伝わる。
「あっ!」
クロスボウを無理やり奪い取る。そして眺める。ふむ、安っぽいクロスボウだな。通販で買ったのか。少年は動揺しているのか身体を硬直させているようだ。今のうちに距離を置こう。3m程離れる。
「いいか、人を撃つ覚悟がないのなら武器を向けるな。射的がしたいなら空き缶でも撃ってろ」
もう、面倒だ。戻ろう。未だ硬直する少年を無視し踵を返す。胡桃が駆け寄ってくる。
「秀樹! 血が!
「大丈夫、見た目よりかは浅い。もう、戻ろう」
「本当に大丈夫なのかよ!? だって……」
心配してくれる胡桃の頭を撫で僕は塀に掛けられた梯子に足を掛ける。
「か、返せよ!」
後ろで何か言っているが聞く必要はない。背中から撃たれちゃたまったもんじゃない。でも、何も言わずに出ていくのは少しかわいそうだ。少年に顔を向ける。目が合った。
「やなこった」
「なっ……」
そして僕たちは悠々と塀を乗り越え美紀の待つ車へと戻る。
「美紀、予定変更だ。ここの生存者は随分と好戦的だ。オーバー」
二人で車へ向かう。さっきから胡桃は黙ったままだ。何か話しかけたほうがいいかもしれない。でも、なんて言おうか。
「秀樹」
「なんだい?」
振り向けば頬に衝撃が走った。視界の先には手を振り抜いた涙目の胡桃が。ああ、これはまたやらかしてしまったようだ。
「何で、あんな危ないことしたんだよ!」
「う……」
胡桃は顔を歪ませて僕に叫ぶ。罪悪感がひしひとやってきた。
「そんな怪我して、死んだらどうするんだよ!」
僕に抱き着く胡桃。まただ。また僕はやってしまったのだ。あれだけ笑ってほしいと思っている人に。
「秀樹に何かあったらあたし、あたし……」
「ごめん、心配かけて……。本当にごめん」
そっと抱きしめ返す。僕は自分に課せた試練の険しさを思い知った。今思えばこんなことをすれば胡桃がどう思うかなんて簡単に想像がつくはずなのに。僕はいつもいつもこうして調子に乗ってしまう。
「許さない……」
「へ?」
胡桃が僕を見上げる。涙で顔は真っ赤だ。こんな顔はさせないと誓ったのにな。僕は本当に度し難いほど不器用だ。
「許して欲しかったらキスして……」
「わ、わかった……」
意を決して唇を近づける。徐々に高まる鼓動。今は緊急事態なのに頭が胡桃のことで一杯になる。そして、
『二人とも、何してるんですか! 早く乗ってくださいよ!』
そして、美紀の怒号で我に返った。僕たちは何とも言えない気恥ずかしさと共にバンの中へと戻った。
「で、何が起きたんですか?」
「ああ、生存者には会ったんだけどさ───」
胡桃と僕たちは敷地内で何が起こったのかを説明した。一通り説明を聞いた美紀は大きな溜息と共に僕を呆れ顔で見る。
「先輩ってやっぱ馬鹿なんですか? もう、無茶はしないってあれほど約束しましたよね? なのにまたこうやって……」
そして始まる説教。横では胡桃が僕のこめかみの血を拭いてくれいている。なんだこれは。
「これは、みんなに報告しますからね」
「は、話せばわかる!」
「わ、か、り、ま、せ、ん!」
反省文はもう見たくない。もう一生分も反省文は書いたのだ。だから、書きたくない。ふと、胡桃が僕の肩に手を置いた。まるで諦めろと言いたげな顔だ。
「まあ、その、なんだ……。諦めろ」
「あ、はい」
わかりました。もう諦めます。
「おい、誰か来てるぞ!」
美紀の説教が終わり、僕の手当てに取り掛かろうとしたところ胡桃がバックドアの窓を指さし叫んだ。僕も見る。フルフェイスヘルメットを被った二人の男性、手には角材とバット。その後ろにはセダンが止まっている。恐らく先ほどの少年の仲間だろう。
「どうします?」
「どうみても歓迎ムードじゃないよな……」
二人が話している間に僕は運転席に座る。エンジンは掛けたままだ。シフトレバーをドライブに入れパーキングブレーキを解除。いつでも行ける。
「車出すぞ! 捕まってろ!」
「え、ちょ!」
二人の声を無視し車を発進させる。突然のことに男二人も慌てて車に飛び乗った。楽しいカーチェイスの始まりだ。サイドミラーを見ればセダンが猛追して来る。クラクションも鳴らしてこれでは映画ではないか。
「お、おいどうする! このままだとぶつけられるぞ!」
「多分、そこまでの度胸はないだろう。なに、しばらく楽しいカーチェイスと洒落こもうじゃないか」
「なんでそんなに楽しそうなんですかあ!」
「はっはっは」
そんなこんなでいよいよカーチェイスが始まろうとしたとき僕たちのトランシーバーにありえないはずの声が聞こえた。
『ねえ、バンの人聞こえてる?』
まったく聞きおぼえのない声だ。誰だ。
「秀樹? 今の」
「先輩!?」
無視するか。いや、折角の第三者だ。PTTスイッチを押し送信状態にする。
「聞こえています。貴方は誰ですか?」
『それは後にしない? 今は裏門に来て。ナビするから』
そしてまるで僕たちの位置が分かっているように指示を出す声の主。いや、本当に位置が分かっているのだろう。恐らく構内の建物から見ているのだ。しかし、今それを確認する暇はない。
「せ、先輩、誰なんでしょうか?」
「知らん。だが、このままでは追いつかれる。今はこいつに賭けよう」
荷物を満載したバンは当然ながら速度が出ない。それに対し相手の車はこちらより遥かに軽量なセダンだ。ぶつける気がないのか知らないがずっと一定の距離を保っている。
『次の角右! その次左!』
声の主に従いハンドルを切れば裏門らしきものが見えてきた。三人の人間が入口の引き戸を開けて待機している。ご丁寧にこちらに手を振ってだ。
「あれか!?」
胡桃が叫ぶ。あと少しか。だが、もううんざりだ。
「二人とも! 捕まってろよ!」
「えっ! きゃっ」
ブレーキを思い切り踏み込み急停止する。サイドミラーを見ればセダンも慌てて急停止した。好都合だ。すぐさま降車。セダンに身体を向ける。
「ごきげんよう!」
ホルスターから5906を引き抜き安全装置を解除。フロントガラスに向け発砲。ガラスに9mmの穴が開く。車内の男たちは突然の事態に全く対処できていない。だが、知ったことか。
車に歩み寄りながら5906を撃ち続ける。フロントガラスとボンネットは蜂の巣だ。一応、人は狙っていないので死んではいないはずだ。
「そして、さようなら!」
十二発撃ったところでようやく車が動き出した。かなり慌てているようだ。アクセルを踏み過ぎて街路樹に思い切りぶつけている。ふん、無様だな。やっとのことで車をUターンさせると車は猛スピードで僕たちから離れていく。追い打ちを掛けるべく続けて三発発砲。弾倉の弾を撃ち尽くしスライドストップが掛かる。
5906を構えたままま弾倉を交換する。後ろで足音がした。後ろを向けば二人が車から降りていた。そしてその後ろの三人はまだ唖然としている。まるで今みたことが信じられないと言いたげな表情だ。くそ、耳栓なしで撃ったから耳が痛い。
「な、なあ秀樹?」
「ひ、秀先輩?」
顔を引き攣らせて二人は僕に話しかける。後ろの三人を見ればまだフリーズしているようだ。一人はメガネがずり落ちている。耳鳴りが酷い。
「こ、殺してませんよね?」
「生きてると思うよ……。多分」
「そ、そうですか……。はぁ……」
またか、と言いたげな顔で美紀と胡桃は頭を抱えた。僕が何かしてしまったのだろうか。ただ、敵意があると思われる人物に向けて威嚇射撃をしただけなのに。頭を抱える二人を尻目に僕は三人へと歩み寄る。
「こんにちは」
メガネの女性と目が合う。まだ、呆けているようだ。横の茶髪の女性もその隣の黒髪の女性もまだ口をあんぐり開けたまま。あ、動いた。
「こ、こんにちは。よ、ようこそ聖イシドロス大学へ。は、はははは」
こうして僕たちのファーストコンタクトは強烈なインパクトを残し終わったのである。主に、というか僕のせいで。でも、まあ、襲ってきたのは相手からだしいいよね。
「って、よくねえええええええ!」
胡桃君の叫びが青空に吸い込まれていった。どうやら口に出していたようだ。
いかがでしたか? 細心の注意(銃乱射)。一片の躊躇もなく人に向けて銃を乱射するサイコパスの鑑。大学編は見切り発車で書いているのでクオリティが著しく下がる可能性があります。どうかご理解ください。
では、また次回に。