私はグルメである。   作:ちゃちゃ2580

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私、胸が空く。

 右を見やれば、木々がそびえ立っていた。

 左を見やれば、やはり木々がそびえ立っていた。

 

 私の体躯を上回る身の丈を得て、青々とした木の葉が私を見下してくる。風に揺れてしゃりしゃりと擦り合う音が、嘲笑しているようにも聞こえた。

 

 ふと視界を正面に直せば、先程の猛者の背中はもう見えない。

 下半身に纏わりつく粘着性の何かの中で、足を二度、三度と振ってみるも、地を掴む感触すら得られない。虚しくてかなわなかった。

 

 人間の相手が初めてな訳ではない。

 このような罠に嵌められた事は、今までも何度かあった。

 しかし、どの記憶を辿っても、このような好機を見逃す猛者はいなかった。ここぞとばかりに怒涛の攻撃を仕掛けてきて、その度に私は彼等の闘志に呼応して、より強く、より強靭に、反撃を繰り出してきたのだ。

 

 だと言うのに、あの猛者は逃げた。

 私を罠に嵌めるだけ嵌めて、さっさと逃げてしまった。

 

 いやなに、理由は分かる。

 分かるとも。

 元々それをさせまいと足を急がせたのだから。

 

 しかし、しかし――。

 

 己のおかれている状況に理解が進めば進む程、心の臓が脈を強めていった。

 開いている筈の視界が焦点を失い、口腔も己の意思とは裏腹に、小刻みに震えだす。わなわなと全身の筋肉が強張り、抑えようのない感情が身体を支配しようとしていた。

 まるで誰かに意識を乗っ取られるような気分だった。

 全てを喰らう者であった私と、理知的でありたいと願った私のうち、明確にどちらかが欠如していく。

 ふとすれば、私を私たらしめるものが、気泡のように呆気なく――砕け散った。

 

 視界が、どす黒く、染まる。

 

 

 私を……私を、愚弄するなぁああっ!!

 

 

 思いのままに、野蛮な怒号を上げる。

 先程は地面に着かなかった後ろ足を力任せに引き上げる。背筋の力だけで引き上げた足は、思った以上にすんなりと地上へ出た。その足を穴の縁へ引っかけて、未だ粘着性のものに纏わりつかれている下半身を強引に引き抜いた。

 

 地上へ上がるなり、私は今一度吼える。

 体内を巡る血液が、私の中でドクンドクンと音を立てる。それが私の筋肉という筋肉を刺激し、己の体躯をより大きく肥大化させる。それと同時に、背中から言い表しようのない程の激痛を感じ、それに対する昂ぶりが更なる刺激となって、体躯をより強靭に変えていく。

 

 あまりの痛みに、私は思わず間近にあった煤まみれの大樹の幹へ、乱暴に噛みついた。

 噛み砕かれた屑が口内に入ってくるのも気にせず、強引に頭を振るう。今の私の膂力の前では、大樹が地中に張った根など容易く引っこ抜け、私の思うままに投げ飛ばされる。それが別の木々へぶち当たると、更に数本の木々が薙ぎ倒された。

 激痛からくる更なる怒りは鎮まる事を知らない。

 八つ当たりよろしく頭を別の大樹へぶち当ててみれば、その木は弾けるように折れてしまった。

 

 痛い。

 苦しい。

 

 赦せぬ。赦せぬのだ。

 何もかもが憎たらしい。

 

 頭を駆け巡る感情の嵐が、私の知能を根こそぎ奪っていく。

 怒りに身を任せ、衝動のままに口腔から極太のブレスをぶっ放した。それに呑まれた何もかもが黒く染まり、灰燼と化す。

 

 周囲一帯を破壊し尽くし、私は震える口腔から熱い吐息を吐き出した。

 いつの間にか身体が焼けるように熱くなっており、思考がぼうっとする。しかし、妙な爽快感もあった。

 いつものようにごちゃごちゃと小煩く思考する事がないからだろうか。ひとつの目的を果たす為なら、何だって出来そうだ。

 

 一通り憂さを晴らせば、痛みにも慣れてくる。

 己の内の感情を剥き出しにして、醜悪に笑った。

 

 さあ、蹂躙の時間だ。人間。

 私から理性を奪った事、後悔させてくれる。

 

 私は大地を駆った。

 最早あの猛者が平地に辿り着いていようがいまいが、構う必要もなかった。

 あれを屠るか、己が屠られるか。

 そのどちらかだけで十二分だったのだ。

 

 木々を薙ぎ倒し、小煩い獣共を蹂躙し、私は歩を進める。

 やはり平地へ登る崖まで、あの猛者や少女達と出会わす事は無かったが、気にする事はない。私は意にも介さず、『この上に居る』という事実だけに鼻息を荒くして、剥き出しの岩肌へ後ろ足の爪を深く突き刺した。

 

 

 そして――邂逅。

 

 草木が少ない見晴らしの良い広場で、更なる高所へ続く崖を背に、猛者が佇む。

 もの静かな姿は、落ち着いているとだけ言うと、語弊もあるだろう。先程負った筈の傷が、まるで無かったかのように平然としていたのだ。

 なあに、それしき想定の範囲内。

 否、最早そんな事はどうでもいいとさえ言える。

 

 今度こそ、屠り喰らってやろう。

 

 開戦の合図は、私が上げた咆哮。

 猛者はそれを後ろに跳ねてやり過ごし、銃口をこちらへ向ける。激しい発光と共に、礫が飛来した。

 しかし、私は気にも留めずに、頭を足許へと下ろす。口腔を大地へ突き刺して、思い切り掬い上げた。

 

 礫が私の身体を打つ。

 その痛みは、先の一戦で感じたものと同じく、私に効果的なもの。だが、その攻撃はすぐに中断された。

 私が地中から掬い上げた大岩が、綺麗な弧を描いて猛者の居る方へと飛んでいっていた。当たれば間違いなく致命傷の一撃だろう。しかし、その猛者はやはり優秀だった。武器を小脇に抱えたまま横へ転がり、大岩の中をすり抜けるようにして回避する。

 普段ならその技術が何なのかと目を奪われるところだが、今の私にとっては些事。

 当たらなかったという事実だけ確認すると、後ろ足を駆って、距離を詰めた。

 

 ブレス、投てきが駄目なら、私の自慢のこの顎で噛み砕いてやるまで。

 

 口腔を大きく開きながら、未だ体勢が整っていない猛者へと噛みついた。

 がちん。

 しかし、空を切る。

 猛者は体勢の整わぬまま、再度私の足許へと転がって回避していた。

 

 ふと、行方を追った私の視線と、フェイスガードの向こうに見える黒の煌めきがかち合った。

 

 フェイスガードの陰りに潜む猛者の瞳。

 その目は真っ直ぐに私を捉えていたが、洞察力に富んでいる私の目でも、狙いが読めぬ程に落ち着いて見えた。

 一瞬の判断が生と死を分けるこの状況。

 私が知性を放棄したからか、はたまたこれこそが彼女の戦略だったのかは分からない。

 ただ、その重要性が身体に染み付いていたからこそ、私は彼女の挙動が読めず、本能的に動きを止めてしまった。

 

 不意に交差したまま捉われた視線のど真ん中へ、球状のものが浮かび上がってきて――しまった――そう悟った時にはもう遅い。猛者が己の顔を覆うが早いか、彼女の投げた玉が強い光を放った。

 

 視界が真白に覆われ、苦悶の声を上げた瞬間。

 怒涛の攻撃が私を襲った。

 

 礫が雨のように身体を打った。

 それら一発、一発は、大した事のない威力。しかし、唐突に視界を奪われ、怒涛の攻撃を浴びせられれば、思考は混乱する。嗅覚も聴覚も殆んど役割を放棄してしまって、どこから撃たれているのかさえ分からない。痛みに備えられない分、痛みは威力と比例しない。

 激痛と言っても過言ではない痛みが、身体中を襲った。

 

 苦し紛れに尾を振るう。

 虚無を噛む。

 

 しかし、攻撃の手は休まらない。

 呻く。私は激痛に呻く。

 

 やっとの事で視界に輪郭が戻ってこようかという頃、攻撃がぴたりと止んだ。

 身体中を襲う激痛と、それに呼応して発熱する体内器官。それらに促されて激情し、私は首を振って目に活を入れると、衝動のままに猛った。

 森中に響き渡らせる心地で上げた咆哮。

 天を仰ぎ見て、喉の奥から上がってくる熱い息を吐ききった。そうして頭を振って、正面へ直れば……ふと、奇妙なものを目にした。

 

 赤い、物体。

 木目に、黒い器具が取り付けられている。

 消し炭に近い匂い。火の匂い。

 

 火の、匂い。

 

 瞬間、その正体を察した私の瞳が、瞳孔を開く。

 身体の奥底で、何かがきゅっと縮こまった。

 

 

――ああ、腹が空いた……。

 

 

 果てない暗闇の中。灰色の皮をした草食獣が一匹、ぽつんと佇んでいた。

 私が一歩、二歩と歩み寄れば、獣はこちらを認めるなり、慌てて踵を返す。その足が一歩踏み出すより早く、私は距離を詰め、開いた口腔でその胴体を掬い上げた。

 

 柔な肉体を、軽々と咀嚼する。

 一度、二度と、牙を通せば、獣の抵抗は徐々に鎮まっていった。

 口内に広がる血の匂い。

 肉の味。

 咀嚼する度、空腹感が満たされる。

 

 しかし、物足りない。

 物足りなくて、かなわない。

 

 数えきれない程の肉を食べてきた。

 草食獣のそれは、中でも特別旨味がある肉だった。

 

 なのに、足りない。

 足りないのだ。

 

 いいや、その理由は分かっている。

 分からない訳がない。

 

 今の私は、その為に生きているのだから。

 

 だけど何故だろう。

 今、私が満たされたいと願っているのは、決して腹の虫だけではない気がするのだ。

 そもそも私は何を満たしたくて、至高の肉を求めたのか。

 

 少なくとも空腹ではない事だけが確かだ。

 

 そうだ……。

 私は何故、あの少女と男に固執したのか。

 無理と悟りながらも、不器用ながら共存の道を求めたのは、一体何故だったのか。早々に殺してしまっていれば、私は猛者と戦う事も無かったのではなかろうか。いいや、この状況さえも、予想していた筈なのだ。私は。

 至高の肉を探す手がかり。

 だけどそれだけじゃない。

 

 あの二人と過ごす日々に満たされていたのは……。

 至高の肉を喰らって満たされていたのは……。

 

 

――ああ、()()()()()……。

 

 

 滲んだ視界に、ひとつの影が映っていた。

 その影は私の眼前で佇み、静かに息をついている。

 

「イビルジョー……討伐完了」

 

 静かな呟きは、安堵の色を持っていた。

 言葉こそ分からないが、そこに警戒心が無い事は分かる。

 

 ふとすれば、私は自分が置かれている状況を察した。

 

 身体が動かない。

 ぴくりとも動かない。

 視界も動かせず、あれだけやかましかった動悸の音もしない。

 呼吸さえ、しているのか定かではなかった。

 身体の痛みも、熱さもなく、地面に横たわっているようなのに、その感触さえない。海を泳いでいる時のような浮遊感に、全身が包み込まれていた。

 

 私は……死んでしまったのだろうか。

 たった一人の猛者を相手に、負けてしまったというのだろうか。

 

 いいや、それも仕方ないかもしれない。

 如何に私が強靭な肉体を持っていたとしても、理性を無くしてしまえばただの獣だ。それを知っていたからこそ、私は今まで生きてこられたし、それを無くしたからこそ敗北したと言うのなら、納得もいく。

 知性というものが何より優れた武器である事は、私が一番良く知っているのだから。

 

 猛者が再度息をついて、私へ歩み寄ってくる。

 グローブを外した手で私の顔を撫でたかと思えば、彼女の手によって、ゆっくりと私の瞼が下ろされた。

 猛者達が屠った獣達の末路は知っている。

 私もあのように解体され、彼女らの装具となるのだろう。

 

 思えば、しがない一生だった。

 肉を喰らう為に生き、肉を喰らう為に死んだ。

 知性的でありたいと願いながらも、どんな生き物より本能的であり、野蛮だった。

 守るものを持たず、己のポリシーさえなく、振り返ってみると、随分寂しいものだ。これを胸が空くと知った途端に死んでいるのだから、何とも皮肉なものだ。

 

 そして何より、一番大事なものさえ手に入らなかった。

 せめてもう一度、喰らい(出逢い)たかったものだ。

 

 今の私があれを喰らえば(あれと出逢えば)……きっとあの時とは違った味わい(感想)を得るのだろう。

 

 詮無い事だ。

 あれに出会ったから死ぬと言うのに、私はあれを憎めない。

 

 人にしろ、肉にしろ……。

 

 強欲、貪食とは、やはり私の為にある言葉だろう。

 この期に及んで、まだ欲する。

 まあ、それももう終わりか……寂しいものだ。

 

 徐々に意識が朧気になっていく。

 私は静かにその時を待った。

 

 と、そんな時だった。

 

「待て! イノリ。待て!!」

「待って。イノリさん!」

 

 不意に甲高い声が聞こえた。

 

 ハッとして瞼を開こうにも、私の身体には瞼一つ動かす力さえ残っていなかった。

 ほんの少しだけ開いた瞼の隙間から、僅かに見れるのは、二人分の人影。

 視界が狭い上にぼやけていて、はっきりとは見えなかったが、随分遠くから、何事かを叫んでいるようだった。

 

 この、声は……。

 

 今わの際に聴覚が混乱している訳でなければ、その声には覚えがある。

 ぼやけてこそいるものの、人影の大きさにも覚えがある。

 

 あれは……あれは、私の胸を満たしていた二人だ。

 

 そう悟ると、不意に胸がとくりと鳴った。

 ああ、来てくれたのか。

 と、二人の目的や心境はどうあれ、嬉しく思う心があった。

 

「ボブ? 貴方、一体何を……」

「いいから! ちょっと試しにやらせてくれ!」

「お願いします。イノリさん!」

 

 三人のやりとりが聞こえる。

 

 胸を満たす音が、とくりとくりと鳴った。

 その音が導くように、身体の中の何かが動き出す。

 じわりと温かみが返ってきて、開けられなかった筈の瞼が、徐々に徐々に開いていく。

 

 マスクを取った男が、椅子に腰かけて、何かを回していた。

 私と戦っていた猛者は、彼の前で小首を傾げていて、少女が彼女へ何事かを話しかけている。

 

 不意に、微かな匂いが漂ってきた。

 

 何かが……焼ける匂い。

 

 じゅう、じゅう、という音も聞こえてくる。

 何かに促される心地で音の出所を辿れば、男が回している装置が目に留まった。

 ピンク色の物を折れ曲がった棒で刺して、火の上でくるくると回しているのだ。それがじゅうじゅうと音を立て、私の口内から涎を出させる程に香ばしい匂いを漂わせている。

 

 あれは……何だ……?

 これは、何の匂い。何の音だ。

 

 徐々に、徐々に、瞼がしっかりと開いていく。

 視界の輪郭がはっきりすれば、それに呼応するように、聞こえる音、感じ取る匂いも明確になっていた。

 

 ああ……。

 あああ……。

 

 少女と女のやり取りは遠くなり、男の鼻歌と、何かの焼ける音が聴覚を満たす。

 鼻腔を擽る匂いが何かなんて、もう疑う余地もなかった。

 

 ピンク色から、肌色へ。

 肉の色が変わる。

 滴る肉汁が火の粉に触れて、じゅうじゅうと音を鳴らす。

 漂う香りは、私を知的にも暴力的にも変えてきた溢れんばかりの香ばしさ。

 

 何かに突き動かされる心地で、口腔を開く。

 声は出なかったが、深く息を吐けば、腹の底に力が籠もった。

 ふっと息を吸い込めば、私の身体は弾かれるようにして動き出した。

 

「嘘っ! まだ、生きて!?」

「待って!! イノリさん!」

 

 両の足で大地を踏む。

 起き上がってみれば、視界が開けた。

 

 私を庇うように、猛者の前で両腕を開く少女。

 その姿は気がかりだったが、私の視界はぐいと引っ張られるように、先程認めた男の方へ。

 

 その時、まるで頃合いを見計らったかのように、男が立ち上がる。

 こんがりと焼けた肉を天高く掲げ、彼は声高々に叫んでみせた。

 

「上手に焼けましたぁぁあああっ!!」




主人公がハメられて瀕死に陥る小説って珍しいと思うの。

シャンヌとボブが活躍してますが、詳細は次話。
予定通りならあと二ページでこの物語は完結します。


備考

・赤い物体、火の匂い
 赤い物体は大樽爆弾。火の匂いは着火用の小樽爆弾。
 割と描写に悩んだのですが、ジョーさん自身がかなり混乱している状態なので、敢えて雑に描写しました。

・走馬燈
 腹が空いた……。
 からのくだりは走馬燈。
 この間にもリアルのジョーさんはすんげえ嵌められてて、為す術なくやられています。

・イノリの優しさ
 ジョーさんの瞼を閉じてやるシーンは作者一押し。

・ジョーさん生きてた
 イノリさんの実力的に瀕死を見落としているとは思えないし、多分一瞬死んでた。
 なのにこんがり肉パワーで生き返った。
 この方がシリアルっぽいですね!(要するにやりすてぽい)

・胸が空く
 実を言うとこの作品のコンセプトでした。
 グルメになって何を満たすのか。敢えてこれがしっかりしていない状態で話を進めてきましたが、要するに『ただ生きる為に肉を喰らう存在』ではいたくなかったという事。力量不足で中々練りこみ辛かったのですが、そう見えていれば幸いです。

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