赤い仮面を着けた男だった。
同じ色合いの丸みを帯びた甲羅を身体中に身に着け、背には一本の太い剣を持っている。
それを一息に抜き放ちながら、彼は草の影から飛び出してきた。
「ちくしょう……何でこんな厄介な奴を見付けちまったんだ!」
その男は一人。
誰の援護も与えられずに、私へ向けて剣を構える。
相変わらず彼等の言葉はさっぱりだが、どうにも切羽詰ったような声色に聞こえる。
――はて。
所作こそ私が良く知るような人間だが、かつて出会ってきた猛者達は、私という強敵を前にしても、威風堂々とした出で立ちだった覚えがある。
ふとすれば油断とさえとれそうな程、挑戦的な雰囲気を感じたりもした。
無論、それは戦いの最中で、等しく消え去っていったが……序の序から怯えたような声を漏らす猛者は、初めて見た。
ついでに……どうした事か。
もう既に私は襲来に気付き、大剣の男も先陣を切ったというのに、何時まで経っても仲間らしき気配が窺えない。
一体、何故……。
そう思うものの、相対した男が動く。
私の咆哮に及ぶべくも無い雄叫びを上げ、彼は私へ向けて一歩進んできた。
その進んだ一歩をぐっと踏みしめ、剣の柄を強く握った。
その姿を、私は知っている。
あれは私が前へ距離を詰めれば、即座に解き放たれる
不用意に突っ込んだが最後、馬鹿みたいな力を籠めた一撃を脳天に食らうだろう。
なら、話は簡単だ。
その力が暴発するまで待てばいい。
「……ちっ!」
男が溜めた力のやり場を無くし、剣を抜き放つ。
縦にぶんと振られたそれは、鈍い音と共に大地を抉る。
ふん。
人間の知能の高さは理解している。
だが、私の知能までは理解していないようだな。
それは驕り。
貴様等人間が、ヒエラルキーの頂点を自負するが如く、我が物顔で大自然を闊歩してしまうが故の、驕りだ!
私は頂点である自覚が無いからこそ、貴様等に対して油断をする事は無い!
私の激情と共に、轟と発熱する体内器官。
胸を競り上がってくる強大なエネルギー。
私は二歩後退すると、前方を薙ぎ払うように、それを口腔から解き放つ。
「くそ! やべえ!!」
ブレスは男を今に呑もうとしていた。
彼は何事かを叫びながら、それへ向けて身体を傾けている。
私の
当たればただでは済まんぞ。人間!!
内心でにやりと笑うような感覚を抱く。
それがブレスに影響せぬよう、自身を静めながら、私は前方を払いきった。
が、しかし――頭を振った最後の余韻で、私はしかと認める。
何の技術か、人間は私のブレスを横切るように、転身していた。
その身体が漆黒のエネルギーに焼かれた様子は……無い!
不意に思い起こす。
そうだ。
人間は私達に無い技術を持っている。
確実に捉えたと思えど、彼等はそれを何事も無かったかのようにやり過ごす事がある。
その際は決まって身体を転がしていたり、全てを投げ出すようにダイブしているのだが……何せそれでやり過ごされると、彼等にダメージは入っていない。
それどころか、今正に、私は頭を振って隙だらけの姿を、晒してしまっている。
そこへ男が活を入れるような声を出し、再度私へ向けて前転をしてくる。
その最中、私の後ろ足へ剣の横っ腹を当ててきた。
それ自体は大した威力も無いが……私は横目に、彼が剣を深く腰溜めにする姿を認めた。
あれは……不味い!
思わず私は尾を振るう。
身体を真横に半回転させ、男の身体を吹っ飛ばした。
「ぬわっ!!」
どうにも力を溜めていたり、決まった剣技を披露している最中は無防備らしい。
私にとってはあの少女と大差ない大きさの男は、見るも無残に吹き飛んでいった。
「ぐぁ……いってぇなぁ。ちくしょうが」
もう半回転して、男を見据える。
うつ伏せになって、苦悶の声を漏らしていた。
此処に至って、まだ援護が来ない……。
この男自身、中々の腕はあるようだが……それでも一人で私を相手どるには、些か安全性に欠けているように見える。彼よりずっと強い猛者が、仲間を率いていたのだ。私を相手どるとすれば、仲間を連れていないのは腑に落ちない……。
もしかすると、この男は偶々此処に居ただけで、私を屠りに来た訳ではないのではないか?
不意にそう疑問を抱くと、目の前の男がゆっくりと起き上がった。
「くそ……一撃でこんなおもてえのかよ……。やっぱこいつの相手は、
男は何かをごちる。
私が思案し、戦況が膠着しているのを察してか、こちらへの警戒は怠らぬ様子で、腰元のバッグを開いていた。
「こやし玉もねえし……無理だな」
そして、何事かを再度呟きながら、バッグから小瓶を取り出した。
それを仮面の内側に持ってきて……ごくり。
拳を握り、両腕を肩の高さに掲げて、天を仰ぐ。
一体それに何の意味があるのか……。
正に、奇妙なポージングだった。
――って……そ、それは!!
ハッとして思い起こす目覚めた時の思案。
住処に放置してきた瀕死の少女。
そうだ。
私はあの何やら可笑しなポージングをとってしまうへんてこな液体を求めていたのではないか!?
今、正に、彼はそれを飲んだのではないか!?
驚愕する私は、ここぞという時に妙案を思いつく。
良し。
連れて帰ろう。
飲ませる器用さを兼ね備えた人間も手に入るのだから、一石二鳥ではないか。
「良し。逃げるか」
しかし、途端に踵を返す男。
そして唐突に、猛スピードで走り始めた。
その足の速い事。
あっという間に背中が遠くなっていく。
思わず私は呆気に取られた。
――は?
え? ちょっと待て。まさか、あやつ、逃げようとしているのか……?
私はハッとしてすぐに足を動かす。
今に見えなくなってしまいそうな彼を追いかけた。
「ちょ! 追ってくんな!! こやし玉ねえんだよ!」
その足は速い。
少女がよろよろと逃げようとした時とは、比べ物にならない程の俊敏さだった。
が、それでも、木々をかわしつつ、後ろを確認しつつで、私より随分と狭い歩幅の彼が、逃げ
私も私で、凄まじい勢いで空腹になっていく感覚を覚えたが、此処で奴を逃がせば、あの至高の肉が遠のいてしまうような気がした。そう思えば、足は自然と前へ前へ出てくれた。
「ちょ、ちょぉぉぉ!!」
――待て!
至高の肉!!
最早、私の目には、彼の背中が、肉にしか見えなかった。
彼こそが肉にしか見えなかった。
故に思わず――がぶりといった。
「ぎゃああああ!!」
「だ、旦那さん!?」
男を咥え上げて、断末魔のような叫びを聞く。
それと同時に、私の目には肉として映りさえしないような、小さな生き物の声を聞く。
「ぎゅ、ぎゅうどん! 良い所に! 助けてくれ。こやし玉がねえん――いってえええ!!」
男が何事かを、その生き物へ叫ぶ。
するとハッとした様子で、その生き物は得物を構えた。
「旦那さんを離すニャ!」
が、その生き物に興味は無い。
私はこの
「ニャァァアッ!?」
故に、歩くついでに蹴り飛ばしておいた。
「ぎゅうどぉぉぉん!!」
男の叫びが、密林にこだましていた。
私は彼を咥えたまま、住処へと帰ることにした。
その間、彼はずっと何やら叫び続けていた。
移動する内、幾つかの牙が男に刺さってしまったらしい。
最近の寝床にしている洞穴へ辿り着いた時には、彼は既に虫の息だった。
やはり人間は脆い。
しかし、件の少女と違って、彼は失神こそしていなかったようだ。
住処に着いて、少女を認め、そこで『待て、私。この人間を喰らってどうする』と思い至った私。
男を乱暴に吐き捨てれば、彼は苦悶の声を上げながら呻いていた。
少女の容態は悪そうだ。
起き抜けに認めた時より、更に血色を無くしている。
うわ言を呟いていた唇も、もう動いてはいなかった。
どうやら早いところ、男に治療させないといけないようだ……。
少女に気付かないまま、息も絶え絶えな様子でバッグを漁る男。
そこから緑色の液体が入った瓶を取り出して、寝転がったまま、彼はそれを仮面の下に……ごくり。
流石にこの状況であの奇妙なポージングは披露されなかったが……大きく息をつくような仕草をして、彼はうつ伏せのまま、四肢を投げ出した。
その彼を……少女の方へ、蹴っ飛ばす。
早く気付け。間抜けめ。
無防備だった男は、そのまま大地を跳ねて、少女の傍らに転がった。
何事かを叫びながら、彼は身を起こして……そこで漸く、少女の姿に気が付いた様子。
「……うん? この子……今朝、船に乗っていた……」
思わずといった様子でこちらを一瞥し、私が危害を加えるつもりが無い事を確認して、男は再度少女を認める。
仮面を顎から引っ張り上げて、頭上へずらせば、その下には褐色の肌色が現れた。
精悍な顔立ちをした男は、今一度こちらを振り向く。
私と視線を交わし、再度少女へ視線を落とす。
どうやら困惑しているようだ。
私の意図が読めず、私という捕食者を前に、無防備な姿を晒す事を警戒しているようにも見える。
まあ、人間は知能に優れてはいるが、身体的にはとても脆弱な生き物だ。
知能が優れているからこそ、それを弁えているのだろう。
私は已む無く、後ろ足を崩す。
尾を大地に着け、とぐろを巻く――程、尾は長くないが――ような体勢で、彼を見守る事にした。
すると、男は物珍しげに目を瞬かせる。
「……何だこいつ。まさか……助けろって言ってんのか?」
男はぼやいて、少女を見下ろす。
またもや私を一瞥してきて、そこで漸くバッグを漁り始めた。
とはいえ、視線こそは私から逸らしはしない。
ふむ。
どうやらその男、中々の
色んな猛者を蹴散らしてきたが、生への執着が強い者や、引けぬ立場の者程、手強いものだ。
無論、それは人間に限らず。
まあ、今現在においては、この男を喰らうつもりは無い。
私は首を下ろして、更に隙を晒す。
よくよく見れば、男は丸腰。得物を何処かへ落としてきてしまったようだし、距離も離れている。さしもの人間とはいえ、危険性は低いだろう。
加えて、私には争うつもりが無いと知れた方が、より献身的に少女を介抱してやれる筈だ。
「おい……嬢ちゃん。聞こえるか?」
私の意思が通じたのか、そうでないのか。
男は私から目を逸らし、少女に件の液体を飲ませようとしていた。
暫くすれば、少女が呻き声を上げて、男が彼女を抱き起こすような様子も見てとれた。
良し……。
これで一先ずは及第点といった所か。
あとは至高の肉を頂戴するだけだ。
して……どうやって伝えれば良いんだ?
備考
・ボブ
大剣使い。原作なら有り得ないが、武器を何処かに落としてきた。
ジョーさんが察する通り、自分の命が大事。
・ぎゅうどん
オトモ。
旦那さん察知能力(謎)は無いって事で。
あったら色々困る。
・今朝の船
移動用の船。密林に行く場合は使ってるし。
ボブは夜、シャンヌは昼の採集でもやってたんじゃないかな。
シャンヌはハンターではないけど……まあ、何か理由があるんでしょうねー(おい
※追記
前ページでジョーさん視点『翌日』と言ってました。
でももう完結から時間経ってるので修正しないでおきます。
ジョーさんの腹時計が勘違いしてるって事でオネシャス。
次回はジョーさん視点外れます。
相変わらず一人称で書きますけど。