私はグルメである。   作:ちゃちゃ2580

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アフターストーリー その四

 声が聞こえた気がした。

 何処か茶目っ気を秘めた初老の紳士のような声で、『心配するな』と。

 次いで『必ず戻る』、『また旨い肉を焼いてくれ』と、そう言われた。

 

 飢餓に身を落としたかに見えたジョーは、シャンヌに肉を渡すなり、すぐに踵を返してしまった。

 まるでいつもの晴天を恋しがるように、空を仰ぎ見たかと思えば、大きな咆哮を一度。その後やおら振り向いたかと思えば、口角をにぃと吊り上げて、再び前を見やる。

 そうして、グルメなイビルジョーは巨大な地鳴りと共に去って行った。

 

 その背を、シャンヌは即座に追えなかった。

 彼が飢餓状態へ変貌したと思った事、狂竜症に感染してしまったかもしれないと思った事、それらへの恐怖心で腰が抜けてしまっていたのは勿論。何より、彼の咆哮と共に聞こえてきた誰かの声が、脳裏に深く響いてしまって……いいや、それがジョーの想い()だと確信出来てしまって、深く混乱した。

 必ず戻るとは、果たして何処へ行くつもりなのか。

 心配するなとは、どの状況を指しての事なのか。

 自分はここで肉を焼いて待っていろとでも言うのか。

 それらの考察が答えを得ないまま、シャンヌは静けさを取り戻した広場の中央で、ゆっくりと立ち上がる。

 

 先程は肝が冷えていたというのに、今は上気する程身体が熱い。

 心臓が強く脈を打っていて、目の焦点が合っていないような気がした。

 

 ふと視界に留まるジョーが残して行った肉の塊。

 狂竜症に侵されたリオレウスのそれは、見た事が無い程どす黒い。ただ、狂竜症が何たるかを聞かされた時、熱に弱く、火を通せば問題なく食べる事が出来るとは聞いた。

 まさかジョーがそこまで知っているとは思えない。

 仮に彼が本当に焼いてくれと言ったとするなら、それは狂竜症がどうのではなく、彼がグルメである事、ただそれだけの話だろう。

 

 そうだ。

 ジョーはグルメだ。

 グルメであればこそ、ジョーなのだ。

 

――だったら、私は?

 

 震える手が、腰に差した短いナイフへと伸びる。

 ベルトに固定した鞘からゆっくりと引き抜いて、その白銀の刃に己の顔を映す。

 涙の跡が色濃く残る情けない顔。この表情を自分で見るのは珍しかったが、ボブやイノリ、そしてジョーには何度も見せてきてしまった。

 ハンターになる前の頃から、大して変わっちゃいないこの情けない顔を。

 でも、ジョーは認めてくれた。

 旨い肉をと、言ってくれた。

 

 ひゅんと音を立てて、ナイフを肉の塊へと向ける。

 

 手に馴染んだ剥ぎ取りナイフ。

 何百、何千と見てきた血肉の塊。

 

 それらを前にして、唐突に胸の鼓動が静かになる。

 周囲の嫌な空気も気にならなくなり、腹の底から頭のてっぺんへ向けて、熱の塊が抜けていくような感覚を覚えた。

 

 ああ、そうだ。

 肉を焼く時は、何時だって周りが見えなくなる。

 深く深く集中して、至高のこんがり肉を焼いてやろうと思うんだ。

 

 私はただのハンターじゃない。

 イビルジョーからグルメを教わり、肉を焼く事に労力を惜しまなかったハンターだ。

 誰が言ったか肉焼き部隊。

 焼いているのは私だけなのに、パーティーの象徴にまでしてしまった。

 だけど、私が焼くこんがり肉は、飢餓のイビルジョーさえもが欲しがる逸品なんだ。

 

 焼いてやろうじゃないか。

 至高の逸品を。

 

 こんがり肉を求められて応えられなきゃ、そんなの私じゃないんだから!

 

 

 雲より高い峰の頂が、漆黒に染まる。

 粒子状の黒い鱗粉が何万、何億と散布され、本来は雲海を見下ろす筈の景色を濁す。陽光さえ微弱になり、辺り一帯はまるで夜の帳が下りたようだった。

 乾いた大地には、一頭の龍。

 何者の吐息すら許さぬような静寂の中、白金の鱗を身に纏うその古龍だけが、悠々と眠りについていた。

 

 此処はその古龍の故郷。

 天廻龍シャガルマガラのテリトリー。

 

 辺りに散る黒の塵芥は、かの龍のゆりかご。

 新しく息づく我が子の方舟。

 

 この天空山の頂であれば、方舟は彼方へ飛ぶだろう。

 どの生態、どの環境でも適応するよう進化してきたシャガルマガラは、より強靭な個体へ昇華する為、こうして子種を風に乗せる。やがて何処ぞの生物に付着すれば、それを苗床に、数多のゴア・マガラが生まれる。そのゴア・マガラの中でもより強靭で、より生存本能に長けた者が、やがてこの地へ再び来るだろう。

 種の昇華。

 それがこの世に唯一、同種の眷属をも抑圧し、進化の頂点に至ったシャガルマガラの使命だった。

 

 鱗粉が辺りに広がってから半日近くが経過していた。

 辺りのモンスター達は既に大半が苗床となり、それ故からくる闘争本能がもたらす争いの音も最早聞こえない。

 今は息を静め、此処に至るまでの眷属との争いの傷を癒そうか。

 シャガルマガラが眠りについたのは、つい先程の事だった。

 

 が、微睡みに落ちたところで、シャガルマガラはふと目を開いた。

 その目がすっと周囲をなぞる。

 果てなき雲海へ落ちる広場の淵から、何処かから落石してきたらしい大きな岩、そしてヒトが造ったらしい巨大な(遺物)へ。

 一頻り見やって、かの龍はゆっくりと身体を起こす。

 視界に敵性は認められなかったが、鱗粉から感じる違和感は確かだった。巨大な翼をばさりと羽ばたかせ、今一度背に畳む。その動きに応じて、周囲の鱗粉が更に色濃くなった。

 探知能力を底上げすれば、シャガルマガラの目は巨大な岩にじっと向いた。

 

 そして、それは唐突だった。

 

 ふっと現れた巨大な影が、シャガルマガラの身の丈を上回る大きさの岩の上へ飛び乗った。

 しかし、その背に羽は無い。

 獣のそれが純粋な進化を遂げた姿。

 羽を持たずとも易々と身の丈を超える高さを跳び、強靭な後ろ脚と巨大な爪を以って岩をも削り掴む。大岩の上に着地した不埒な闖入者は、どす黒い雷を口から零しながら、ゆっくりとこちらを振り向いた。

 

 ニタァ。

 と、不気味に嗤ったように見えた。

 それは一見すると、自らの苗床と化したが故の、闘争本能の表れにも見えたが……いいや、違う。

 身体中から噴き出ている熱量は、身の丈二頭分は離れているシャガルマガラにすらじわりじわりと伝わってくる。あれ程の高熱を放って生きているのであれば、苗床と化しているようには見えなかった。そもそも、あんな燃費の悪い生物なら、放っておいてもすぐに死ぬ。苗床としての価値すらない。

 

 しかし、どういう事か。

 何故、自分へ向けて敵意をあらわにするのか。

 

 それが解せない。

 命を燃やしてまで、何を欲するのだ。

 この竜は。

 

――否だ。

 

 私は何も欲してはいない。

 貴様が奪ったのだ。

 安穏とした時間、愛しい者と暮らす日々を。

 あれを守る為なら、私は貪食となり、恐怖の王と化してやろう。

 

 貴様の肉は、どのような味がするのだろうなぁ?

 

 恐怖の王と謳われた一頭の獣竜が、怒号を上げた。

 それは大気をも歪め、光の屈折さえ捻じ曲げる。

 目に見える程の衝撃音に対し、天廻龍はほんの僅かに顔を逸らす。まるで鬱陶しい羽虫を避けるかの如く、さぞや退屈そうな顔付きをしていた。

 

 目の前の獣竜がどんな存在であれ、歯牙にかける必要すら感じられない程、これは自身の命を削っていると察した。

 元々老齢なようだ。

 放っておけば、恐らく半日の後に死ぬ。

 自分は此処を発ち、一時姿を眩ませれば良いだろう。

 

 だが、それは許される行為ではなかった。

 この天空山において、天廻龍は至高の存在。覇者である。

 故に、住処を明け渡す事等、有り得ない選択だった。

 

 よかろう。

 と、天廻龍は身を起こす。

 何を怒り、何を求めているのかは分からなかったが、この哀れな竜に引導を渡してやろうと思った。

 

――その、僅か一瞬の事だった。

 

 大岩の上に居た筈の獣竜の身体が、伸びた。

 いいや、違う。

 それが強靭な脚力によって、岩の上を発ち、自らの喉元へ向けて、突っ込んで来ていると察した時には、既に喉から強烈な痛みを覚えていた。

 

 

 飛び散る鮮血が、視界の下で蒸発する。

 口腔を満たす肉の感触と、恐ろしく不味い何等かの噴出物。だが、口内に入れば、その不味さはすぐに掻き消え、じゃりという鱗の感触と、程好い柔らかさの肉圧の前に、どうでも良く感じられた。

 喉に食らいついたまま背を反らして、白金の龍の身体を強引に引き寄せる。後ろ脚の片方で腹を蹴りつけ、その反動を以って、肉を引き千切った。

 

 否、難なら首を持って行くつもりだった。

 しかし、それは敵わず、かの龍の喉元を深く抉ったに過ぎない。普通の生物であれば致命傷だが……。

 こそぎ取った肉を咀嚼し、吹っ飛ばした先を見やる。

 これしきでは終わらんだろう。

 出処不明の確信が、ジョーにはあった。

 

 読み通りというか、かの龍はぴくぴくと身体を震わせながらも、ゆっくりと身を起こそうとしていた。鱗粉に強力な治癒能力でもあるのか、骨が露呈する程抉った筈の喉の肉が、黒い靄に覆われ、大量出血を免れている。

 どういう原理かは知れぬが、成る程、普通の生き物ではないらしい。

 

 だが、ジョーはかの龍の生態を愉しむつもりも、猶予を与えるつもりも無かった。

 

 ごくりと肉を下すと同時に、体内の熱量を腹の底から押し上げる。

 溢れ出るエネルギーを、そのままぶっ放した。

 轟と音を立て、爆ぜる。

 

 ブレスの爆散を目視すると同時に、ジョーは後ろ脚を駆った。

 黒煙が晴れぬ内に、それへ突っ込み、何処と知れぬ場所を渾身の力で踏み潰す。

 ギャアと悲鳴が上がる。

 気にも留めずに、やはり何処と知れぬ場所に、食らいついた。

 

――私は、グルメである。

 貴様の肉の価値を、今、測ろう。

 

 強靭な脚を以って、獲物を大地に張り付けにし、比類なき程の背筋を以って、食らいついた部位を食い千切る。

 先程より確実に、肉を裂き、骨を砕く。

 それらの音に確かな優越感を得て、はたまた酔いながら、ジョーはかの龍の肉体の一部を剥ぎ取った。

 

 引き千切った反動で黒煙から出て、眼下の報酬に僅かな満足感を得る。

 金色に光る鱗は鮮血に濡れ、しかし確かに、かの龍が先程一度ばかり開いて見せた翼の一枚だった。

 

 翼膜は食い物にならないが、根元の筋肉は美味。

 様々な飛竜を喰らった経験から来る期待感に、ジョーは喉を震わせた。

 

 相変わらず噴出物は不味い。

 だが、口内の熱量によってか、それはすぐに消え去る。

 成る程、良い肉の前に不味い前菜と言うのは、それはそれで肉の価値を高めるだろう。

 

 奪い去った翼から、根元だった部分を更に食い千切る。

 食んでみれば、その肉は焼いた肉程ではないにしろ、中々の美味だと言えた。

 無駄を排した部分の肉だからだろう。骨や膜の所為で食感こそ良くないが、味そのものは甘味もあり、悪くない。

 

 と、舌鼓を打っていると、眼下できらりと煌めくものがあった。

 キィーンと音を立て、ジョーがハッとするや否や、それはズドンと音を立てて爆ぜる。

 爆発をもろに受け、身体がぐらりと揺れる。

 二歩、三歩と後退して何とか転倒を堪えれば、再度足許が煌めいた。

 

 ほう。

 この靄は、どうやらアレが使役するらしい。

 

 後ろに跳躍し、爆発を回避する。

 更に音を立てる結晶を、前進する事で躱した。

 改めて認めた白金の龍は、左の翼を失いながらも、「フゥッ、フゥッ……」と荒い息を吐きながら、こちらに向けて牙を剥き出しにしていた。翼の欠損はどうにもならないように感じたが、先程と同じように、傷口は鱗粉が防いだ様子。ブレスで負ったであろう火傷と、喉の深手も、大方癒えているように見える。

 強者だと直感していた事は、間違いではなかったようだ。

 

 ジョーが前進すれば、その行く先に結晶が現れる。

 横へ転身すれば、かの龍が苦悶の声を上げながら、極黒のブレスをぶっ放してくる。それを横っ腹に受けて、尚、ジョーは倒れる事すらしない。

 

 否、これ程愉快な闘争があろうか。

 美味たる肉を前にし、倒れてしまうにはあまりに惜しい。

 強者と結ぶ高揚感とて、あまりに久方ではないか。

 

 何度目かの爆破の後、かの龍が右翼を開き、鱗粉を散布する。

 その隙に距離を詰めれば、ぐわんと開かれた口腔から、またもやブレスが飛んでくる。

 

 芸が無いなぁ?

 

 自らも体内でエネルギーを練り上げつつ、放たれたブレスを真っ向から受け止める。

 強靭な後ろ脚は、身体が覚える痛みよりも確かに、前へ前へと力強く大地を蹴った。

 

 そうして、再度肉薄。

 口腔から既に溢れつつあったエネルギーを、掬い上げるようにして、至近距離からぶっ放した。

 片翼を失くした龍は、身体のバランスをとるのでやっとだったのだろう。見え透いたブレスはかの龍の鱗を焼き、あまりに大きな衝撃が、その巨体を吹っ飛ばした。

 

 二度のブレスの直撃。

 片翼をもがれ、喉に重傷を負ったかの龍は、傷こそ癒えても、その身体の生命力は確実に削られていた。

 ふとすれば、二度目のブレスで負った傷が、癒えない。

 黒く焦げ付いてしまった鱗が、元の輝きを無くしてしまった。

 

 ジョーがゆっくりと距離を詰め、残っていた翼に食らいつく。

 動く事すらままならない龍が、ギャアと声を上げた。

 まだ息があるのか……と、ジョーは翼を噛んだまま頭を持ち上げる。そのまま力任せに頭を振れば、白金の身体が虚空に孤を描いて、大地に叩きつけられた。

 

 二度、三度、無慈悲な攻撃が続く。

 解放されたのは、残っていた翼がついに千切れた時だった。

 無惨な姿になってしまった白金の龍は、大地を転がって、やや離れた位置で不規則な呼吸をしていた。

 

 その身体が、弱々しく起き上がる。

 

 漸く、自らの死を察したのだろう。

 鳴き声にすらならない声を上げて、力が入らない様子の身体を引き摺り、この舞台から、去ろうとした。

 

 否、逃がす訳が無かろう?

 

 その一縷の希望を、断った。

 ジョーが尾を踏めば、とても簡単に、その身体は転倒した。

 こちらを振り返るかの龍の顔は、最早怯え切ったようにも映る。見下ろすジョーの目は、冷酷な程に愉悦を秘めていた。

 

 ご馳走を前にして、悦ばぬグルメがいようものか。

 死ぬまで喰らってやろう。

 幸い、私の腹は満足する事を知らぬ底無しだ。

 精々、その肉を味わわせてくれ。

 

 それは確かに、捕食者と獲物の姿だった。

 

 

 禁足地と呼ばれる場所を前に、一人のハンターが息を整える。

 ふう。と、吐き出された吐息は白く色付いた。

 

 同じく白い湯気を立てる塊があった。

 それは茶色く色付き、僅かに汁を垂らす逸品。

 少女ハンターの手に握られたそれは、やけに食欲をそそるような見た目をし、かぐわしい香りを漂わせる。どうやって整形したのか、太い一本の骨に塊が引っ付いているという奇天烈な形だった。

 

 少女がちらりと見やる方には、太い蔦に数多の岩が絡みついた足場。

 人が踏み入れられるような地形ではないが、そこに大きな爪痕があった。飛竜のそれではない。足回りの筋肉に富んだ獣竜だからこそつけられるような、深い痕だった。

 元よりその痕跡を辿ってきた彼女は、目的の存在が、この扉の向こうに居る事を察した。

 

 空は晴れ間が差し、光に満ちる。

 不浄な黒い靄が去って、既に一時間以上の時が経っていた。

 

 分からない事が多すぎる状況で、確かな事は二つ。

 古龍、シャガルマガラはもういない。

 そして、禁足地の扉が開かれていない事を見るに、これを退けたのは、人ではない。

 

「ジョーさん……」

 

 恐らくは、これを成したのだろう存在の名を口にする。

 必ず戻ると言った彼を疑うつもりはないが……なまじ知識があるだけに、その身を案じる気持ちが、シャンヌを此処へ連れてきた。

 食いしん坊の彼だから、大好物のこんがり肉の匂いに釣られて出て来やしないだろうか。

 そんな事を考えて、ふとしゃがみ込む。

 その辺で見つけた大きな葉っぱに肉を置き、膝を抱えてぼんやりとした心地でこれを見つめた。

 

 普段なら肉を炙った時点で、気が付いている。

 寝ていようが、食事をしていようが、自分の許へとやってきて、肉の色が変わってゆく様子をジッと見詰めている。まるで調理の工程までも好いているようにさえ見えた。

 

 黒い龍エネルギーに憑りつかれてしまったような相貌。

 普段よりずっと荒々しく、残虐だった戦闘の様子。

 そして、今は去ったあの靄と、それによって支配され、狂暴化したリオレウスの姿。

 

 頭を過ぎるほんの少し前の記憶が、どうしても離れてくれない。

 あまりに爽快な晴れ間の所為か、不思議と嫌な予感というものは無かったが、これまでとは何かが変わってしまうような……そんな気がしたのだ。

 

 大体、あのイビルジョーという存在は、勝手が過ぎるのだ。

 生態からして我儘の極み。

 自分勝手に環境を壊したり、生態系を崩壊させたりと、自分が知るだけでもあんまりな被害を齎してくれる。勝手に暴れて、お腹を空かせて、だから食べて、またお腹を減らして……その度に甚大な被害が出るのだから、そりゃあ特級危険種だなんて呼ばれもつく。

 そんな中で、不意にグルメに目覚めたあのジョーは、きっと更に極めつけの我儘だ。

 美味しくないものは食べたくないようだし、肉は片っ端から焼いてくれと言う。あれを我儘と言わずして、何を我儘と言うのか。今回の一件だって、一方的に伝えるだけ伝えて、シャンヌの頼みは無視だ。難なら自分はちゃんと肉を焼いたのだから、冷めない内にすぐに帰ってこいという話だ。

 

 考えていると徐々に腹が立ってきた。

 ぷうと頬を膨らませ、シャンヌはおもむろに立ち上がる。

 

「いいもん。私が食べちゃうんだから」

 

 そう言って、先程置いたこんがり肉を取り上げる。

 

 いつもはジョーにあげてしまうが、実際、シャンヌだってグルメだ。

 こんがり肉は大好物で、中でも自分が焼いたそれは至高の逸品だと思っている。いつもいつもあげてばかりだが、偶には自分で食べたいと思う時だってあるし、全部食べられてしまうと悲しく思ってしまう時だってあった。

 鬼の居ぬ間に洗濯。

 まだ生肉のストックはあるので、戻って来たらその時に焼いてやれば良い。

 

 そう思って、歯を立てたその時だった。

 

「グォオオオオオ!!」

「うひゃあっ!?」

 

 見計らったようなバインドボイスが聞こえてきた。

 その声にびっくりしたシャンヌはこんがり肉を取りこぼし、それが葉っぱの上に落ちて、肉汁がべちゃりと音を立てた。

 

 ハッとして振り向けば、扉とは正反対。

 キャンプ地の入口の先で、黒い竜が身体をゆっさゆっさと揺らしている。片足が大地を踏み締める度、ズシンズシンと音が鳴って、彼の憤慨する心地を表しているようだった。

 

 地団駄を踏むイビルジョー。

 その顔は先程見送った時のそれではなく、何故か何時も通りの顔付きで。どす黒い瘴気の影響なんて、これっぽちも無いように見えた。

 普段と違う点はただ一つ。

 自分の為に用意されたと思わしき肉に、シャンヌがかぶりつこうとした事を見ていたのか、それに対してやたらめったらお怒りになられているぐらい。

 

 シャンヌは顔をサーと青ざめさせて、抗弁した。

 

「あ、あのね、ジョーさん。違うの。こ、これは私の分で、ジョーさんのは今から焼こうかなー……なんて」

 

 このままではキャンプ地にまで入ってきかねない。

 そう悟ったシャンヌがこんがり肉を持って、彼の許へと向かえば、彼女はふとした拍子にハッとして、キッとした顔を向けた。

 

「だ、だってジョーさん帰ってこないんだもん!」

「グォオ」

「え? 一回帰ったの?」

 

 長く連れ添ったからか、はたまた同じ志を持つ同士だからか、何故か極々自然に会話が成立していた。

 

 ジョーはどうやらシャンヌが気付かぬ内に一度巣に帰ったらしい。

 そこで待てと言った筈のシャンヌが居ない事に気付き、彼女の匂いを辿ってきたそうだ。

 そうしたら、自分の言いつけを守らなかった彼女は、あろうことか自分の大好物を食おうとしているではないか。

 と、それはそれはお怒りだったらしい。

 

「グォオオオオオ!!」

「ちょ、ごめんなさい! すぐに次の焼くから、齧るのはやめてーっ!!」

 

 天空山にこだまする声は、晴れやかな空の下、とても良く響いたそうな。

 

 

 古龍観測所より報告。

 

 天空山に天廻龍が出現。

 これに対し、以前より報告があったグルメジョーが禁足地へと侵入、これを圧倒の末、捕食したと見られる。

 尚、この際、グルメジョーが飢餓の状態へと変異していた事を確認。体内が血を蒸発させる程の高熱を持つ為か、狂竜症を発症した形跡は見られない。また、捕食後程なくして、グルメジョーは飢餓を克服、通常種の姿へと戻った。

 にわかには信じ難い事だが、このグルメジョーは己の力の制御を完全に出来ていると見られる。

 天廻龍の痕跡調査と共に、このグルメジョーを『特別保護個体』として、経過観察するものとする。尚、住処は天空山が適しているという報告を既に受けている為、捕獲措置は必要無いものとする。類い稀な特殊個体の為、討伐指定が入らぬよう重々注意されたし。

 

「な、何よこれぇ……」

 

 古龍観測船の甲板。

 手渡された一枚の紙に目を通し、一人のハンターが膝を突いて落胆した。

 いや、正確には安堵しているのかもしれない。

 上げられたフェイスガードの下の顔は、苦笑を浮かべていた。

 

「ジョーの奴、シャガルを倒したってのかよ」

「ええ。それはもう圧倒的でしたよ」

 

 褐色のハゲ頭のハンターが感心すると、その隣でモノクルを掛けた金髪の優男がやけに荒い鼻息と共にそう言った。

 あの力強さ。あの逞しさ。くぅ、たまらん!

 と、力説する彼は、死ぬ思いでハズレを踏んだ二人のハンターの感情を察するつもりも無さそうだった。

 

 いやはや、全てが徒労に終わった事を、喜ぶべきなのか。はたまたこれから想定される忙しさを嘆けば良いのか……。

 まあ、少なくとも、まだ駆け出しの将来有望なハンターが、命と使命を繋いだ事は、呑気な顔をして喜んでやるべきなのだろう。

 

 ごろんと四肢を投げ出すように転がって、イノリは晴天の煌めきに目を瞑る。

 

「はあ。ほんっと、くそったれだわ」

「あん?」

 

 ぼやいた言葉に、相棒のハゲが怪訝そうな声を上げた。

 手を翳して目元に影を落として、目を開く。

 ちらりと声の主へ視線をやった。

 

「何処行っても忙しいんだもん。誰かさんの救難依頼を受けてから」

 

 それを聞いたハゲは、腹が立つ程爽快に、けらけらと笑って見せた。

 何が可笑しいのか、彼はモノクルの男が敬遠する様子さえ知らんぷりで笑い続け、やがてイノリの脇にどさりと音を立てて腰を下ろした。

 

「大変なんだよ。特別なハンターの周りの奴ってのはな」

 

 そういう彼の顔は、まるで憑き物が落ちたように爽やかだった。

 その『特別』が自分を指してはいない事を察して……ああ、そうかと思った。

 この男は、ずっと『特別』なハンターの隣に居たのだ。

 その苦労は誰より知っているだろう。

 

 ああ、この分では、隠居生活は夢のまた夢。

 何時ぞやしがない上位ハンターのふりをして生活していたこの男と同じように、例え一時何処かに腰を落ち着けても、またすぐに違う『特別』に出会ってしまうのだろう。

 

 まあ、それまでには、あのグルメな少女とその相棒のグルメなイビルジョーに、ひとつの形を作ってやれるだろうか……。

 

 イノリはそんな事を考えながら、ゆっくりと目を瞑る。

 すう、と息を吸い込み、胸の内を声高々にぶちまけた。

 

「ああ、もう、何がグルメよーっ!!」

 

 

 天空山に、呑気な歌声が響く。

 それは古来より続くハンターの歌。

 どんな新米も、その歌と肉を焼く事から覚える。

 

 命を喰らい、生きていく。

 自然の摂理の中に、味の豊かさを求めるのは、果たして命への冒涜か、弔いか。

 

 そんなつまらない事を考えるより、今日も今日とて、締めの一言を叫びましょう。

 こんがり焼けたお肉を掲げて、さあ、ご一緒に。

 

 上手に焼けました!




 これにてアフターも終了です。
 読了お疲れ様でしたと共に、長らくお待ち頂きありがとうございました。

 ちょくちょく書き進めていましたが、イノリとボブの扱いに困ってました。結果として、剥けゴマさんとの戦闘はばっさりカットした方がすっきりしたので、泣く泣くカット致しました。楽しみにしていた方には申し訳ないです。
 ジョーさんとシャガルの戦闘は均衡させようかなぁとも考えたのですが……いや、無理でした。ジョーさんが食料相手に情け容赦ある筈ないですし、油断も隙もあるとは思えないと書き進めていったら、一方的な殺戮になってました。
 飢餓ジョーに狂竜化はいなかったと思います。多分。
 飢餓からの解放については、優しい世界だって事で赦してやって下さい。本編終了からずっとこんがり肉パワー溜めてたって事で何卒。これまでシャンヌちゃん泣かせ過ぎてるので、最後くらいは……ねぇ?

 まあ、何はともあれ、長い間ありがとうございました!

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