私はグルメである。   作:ちゃちゃ2580

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アフターストーリー その三

 ひんやりとした空気に、薄く黒い靄が流れていた。

 それは一目に良くないものだと分かり、目にした少女は慌てて火をおこした。

 

 揺れる、揺れる、靄。

 吸い込まれるようにして火に至り、何の音もなく燃える。

 焚火の紫煙に紛れれば、目視は叶わない。それが唯一、靄をかき消す方法だと教わった。

 

 ぴちゃん、ぴちゃんと音が響く洞穴。

 静かにジャキリと音を立て、武器を取る少女は、抜身の刀身に己を映す。そこで目が据わってしまっている自分の表情に少し驚いた。

 こんな状況でも臆していない。

 手紙には自分の師匠が負傷したと書いてあったのに、全く怖くない。

 

 大丈夫。

 きっと大丈夫。

 

 避難する手筈は既に整えている。

 

 ふうと息をついて、整備された武器を確認した少女は、それを背に。

 寝息を立てている筈の相棒を起こそうと目をやって――そこで、少女の時が止まる。

 

「ジョー……さん?」

 

 既に開いていた瞼の下。

 映る瞳は、いつか散らした自分の血よりも、深い紅を宿していた。

 

 

 強烈な咆哮が上がる。

 その声に片耳を抑え、男は苦悶の表情を浮かべた。

 踏ん張らねば本能的に閉じてしまいかねない瞼の先、視界の果てで大きな土煙が上がっていた。

 

「イノリ! 潜ったぞ!!」

 

 土煙がぐわんと動く――いや、走る。

 一直線に向かう先には、重量級の銃器を畳み、背に負う少女。そのまま彼女が横っ飛びに身を投げ出した瞬間、大地が爆発した。

 

 とすれば、轟と唸る風を感じた。

 

「ボブ! レウス来てる!」

「くそったれが!!」

 

 力任せに大剣を振り上げた瞬間、半端に上がった腕へ、半端ではない重量がかかる。

 思わず膝を崩してぐっと耐えた。

 

 面を上げれば、目と鼻の先でぐわっと開いた飛竜の口腔。

 その喉奥から緋色が漏れ出して、次の瞬間にはどっと溢れた。

 ボブの身体が炎に包まれる。

 しかし、彼は苦悶の声を上げるどころか、身じろぎひとつしない。

 

 やがて上がる、猛々しい怒号。

 

「うぉぉっらぁ!!」

 

 纏った火をまるで己の力に変えるかのようにして、リオレウスの巨躯を大剣越しに投げ飛ばす。弾き飛ばされた飛竜は羽ばたき数回で耐え、何故己の火が効かないのかと訴えるように声を上げて威嚇した。

 そこへひゅんと飛んでくる飛来物。

 

「ナイス!」

 

 ボブはそう言って、近い左手を寄せて、フェイスガードの上から視界を塞ぐ。

 

 刹那、閃光。

 それと同時に、飛竜が苦悶の叫びと、緩い地鳴り。

 

 左手を退けたボブは、イノリの方向を一瞥。

 こちらへ閃光玉を投げた筈の彼女は、既に地面へ片膝をつき、銃器の砲口を地に落ちた飛竜へ向けていた。その彼女の背後では、大地を走る悪鬼とも謳われた筈の角竜が断末魔をあげている。

 一体どんな早業か。

 流石はメゼポルタで認められた天才少女といったところか。

 

 負けじとボブも素早く距離を詰める。

 大剣を振り上げ、ぐっと力を凝縮。

 イノリの掃射が抉っているリオレウスの顔面へ、最大まで溜めた渾身の一撃をぶちかました。

 

 ズドン。

 鈍い音が鳴って、手にはほんの少しだけの抵抗を感じただけだった。

 

 眼下で、狂気に満ちていた火竜の目から光が消えた。

 頭に数十発の銃弾を受け、更に額を大剣でかち割られては、不死身にも近いと言われるモンスターの生命力もただの御伽噺と言える。数秒の間もなく絶命した。

 

 叩きつけた刃をそのままに、ふう、ふう、と熱い吐息を吐き出す。

 凍り付いたかのように動かない自分の身体からは、しかし自らの肌でさえ感じる程の熱気が溢れ出している。呼吸の音も大きく、唾液を無理矢理飲み込んで初めて、辺りの音が静寂と化している事を知った。

 腹の中を空っぽにするように、大きな溜め息をつく。

 それと同時に、身体から力がふっと抜けた。

 

「きっついぞこれ……今、何連戦だ」

「今ので七頭目。私もそろそろ弾がヤバい」

 

 疲労困憊の身体を何とか動かし、大剣を膝に乗せる。

 火球をもろに食らったが、回復よりも先に武器を整えねば……そう思って砥石をあてがった。

 ちらりと視線を向ければ、相棒もヘビィボウガンを畳み、ポーチの中身を確認している。おそらく残弾を数えているのだろう。四頭目を討伐した際に一度キャンプへ戻ったが、普通のハンターなら持ち込み分で一、二頭を倒せれば良いところ。それを三頭以上持たせているのだから、如何に彼女の狙いが的確かが良く分かる。尤も、この事態を想定して、彼女は普段担いでいるライトボウガンではなく、一発当たりの効率が良いヘビィボウガンを持ってきたと言っていたが。

 

 極限化ティガレックスと相対してから半月。

 ボブの傷が癒えてすぐに舞い込んできたのは、ゴア・マガラを捕捉したという報せだった。

 流石は一度かの竜の討伐へ導いたキャラバン。何とも早い仕事だ。

 しかし、その情報の正確さは、一周回って欠点だったかもしれない。

 

 かの黒蝕竜は未開の地の先にて、昇華しつつある。

 まるでそれを守るかのように、狂竜化した大型モンスターがそこいら中で争い、虐殺行為をしている。

 大型モンスターは確認されただけでも七頭。いずれも歴戦のハンターですら受注を躊躇う顔ぶれだった。

 

 ゴア・マガラの討伐クエスト。

 場所は舗装すらされていない未開の地。

 更に大型モンスター七頭が乱入する可能性あり。

 おまけに狂竜症を発症している。

 

 これを真っ先に受注したイノリとボブは、自殺志願者ではないかとさえ言われたものだ。

 勿論、他の自殺志願者は居る訳がなかった。

 

「カブラ亜種、ガララ、ガルルガ、桜、ジン、ディア、レウス……」

 

 指折り名前を読み上げていったイノリは、よしと言って頷いた。

 

「これで確認されてた七頭は終わったね」

「今からゴアの討伐とか……正気かよ。マジで」

「正気じゃないでしょ。出発前に私もボブも頭可笑しいって言われたじゃない」

「ああ。可笑しいのは俺等か」

「そうそう」

 

 いやはや、七頭もの猛者を倒して尚、平然とした顔のイノリは、本当にいよいよ気が触れてしまったのではないかとボブは思う。そんな彼女に必死の形相で着いて行く自分もまた、末期なのだろう。

 とはいえ、仕方ない。

 大事なものを守ると決め、腹を据えたからには、男として引く訳にいかないのだ。

 

 その為なら、親友と共に駆けた証である炎王龍の装備を引っ張り出すし、市場でバカみたいな値段がついていた伝説の黒龍の素材から作られた大剣でさえ、惜し気もなく振るう。

 出来れば老後まで取っておいて、見合ったこの装備一式を肴に、酒を嗜みたかったのだが……最早そこかしこ傷だらけで額縁は似合わないだろう。もうこんな希少価値の高い装備を作る機会は無いだろうし、とんでもなく勿体無い事をしている気分だった。

 

 なんて、そんなやれやれ系のおっさんの感想はさておいて。

 ボブは研いだ大剣を背に担ぐと、フェイスガードを上げて、自らの頬を軽く張った。

 

「イノリ、弾の調合は?」

「済んでる。並みのG級なら、残弾でギリギリ何とかなるよ」

「おう。ここまで来て逃がすわけにいかねえ。急ぐか」

「ええ」

 

 休憩もそこそこ。

 新たな感染モンスターが現れないうちに、先を急ぐ事にした。

 

 暴れていた大型モンスターを討伐すると、森は恐ろしい程に静かだった。

 それは決して平穏からくる静けさではない。虐殺の果てに、狩られるものが失われた世界……そう、生態系の崩壊だ。

 ケルビ一頭見かけない。

 それが姿を潜めているだけなら良いのだが、もしも狩り尽くされてしまったのであれば、この地の生態系が元通りになるのに一体どれ程の時間を要すのか。

 

 惨たらしい死骸の山を幾つも通り過ぎ、やがて一つの洞窟へと至る。

 観測隊が調べてくれた情報からすると、ゴア・マガラはその洞窟の奥へ消えたという。他に出口らしい洞窟は見当たらなかったそうなので、そこがかの竜の寝床と推測される。

 洞窟の入り口周辺は、薄い瘴気が立ち込めていた。

 何度かの往来を示すように、入り口の前は草の一本すら生えていない。全て瘴気で枯れ果てたのだろうか……。木々は薙ぎ倒された後、周囲へ放り投げられた跡があった。

 

「随分大型みたいね……」

 

 それらの痕跡を見て、イノリはそう零す。

 ボブも頷いて同意した。

 

 ゴア・マガラの生態は未だ謎包まれている部分が多い。

 討伐報告もあまり多くはなく、サイズ情報も『リオレウスと同等』というぐらいしか分かっていない。

 だが、かの竜が歩いた時に薙ぎ倒されたらしい木々の間隔を見るに……最大級のリオレウスよりも一回り、いや、二回りは大きいか。

 かつてゴア・マガラと相対した事があるらしいイノリも、その大きさには目を見張っていた。

 

「ギルドから金の最大認定書が貰えそうね」

「ああ。生きて帰れたらな」

 

 まあ、死んでやる予定も無いのだが。

 

 お互いのポーチの中身を確認し、作戦の最終確認へ。

 洞窟の中は狭すぎる為、音によっておびき出し、この広場で迎え撃つ。

 陣形は当然ながら、ボブが前衛を務め、イノリが後衛。

 ゴア・マガラの主な知覚器官である角の破壊はイノリが務め、ボブは成る丈前足を斬りつけて転倒を狙う事になった。

 

「ゴアのブレスは空中の瘴気に引火するから、縦にも横にも段々で広がってくる。巻き込まれないようにしてね。狂竜症になった時はより強く知覚されるから……」

「じゃあ、いっそ掛かっちまった方がいいか?」

「ううん。掛からない方がいい。ゴアは目が無いから、何かあった時に閃光玉で助けるって事が出来ないし」

「了解。まあ、精々こそこそしつつ、敵意を稼ぐようにする」

 

 このイノリというハンターの最大の武器は、情報。

 改めて三年という時間を共にして、ボブは常々そう感じていた。

 彼女の知識量は下手な図鑑より広く深い。

 それがあるからこそ、彼女は最小限のリスクで最大限のリターンを得る。ガンナーらしいというか、何と言うか。

 

「お願いね」

「おう」

 

 果たして彼女の『お願い』は、何処まで見越した『お願い』なのか。

 そう考えると、頼もしいのと同時に、末恐ろしくも思う。

 いつもなら『無理をするな』と忠告してくるところだろうに。それが無いのは、偶には無理でも無茶でもしやがれという事だろうか? まあ、逃がす手は無いと言ったのはボブ自身だし、相応の根性を見せるつもりではあるが……。

 

「んっ」

 

 としたところで、イノリがハッとした様子で洞窟を振り返る。

 つられてボブも倣うが、特に違和感は覚えない。

 いや、イノリが反応を見せたという事は、何かがあったという事。

 

 ボブはゆっくりと大剣の柄を握った。

 

「来るのか?」

「多分。こっちの存在に気付いてるかも」

 

 心なしか、瘴気が濃くなったように感じた。

 

 と、その感想を抱いた瞬間だった。

 ボシュッという空気の抜ける音がしたかと思うと、洞窟の奥から何やら黒い塊が地を這ってきた。

 

「ブレス! 避けて!!」

 

 イノリの声を聞くや否や、ハッとして回避行動をとる。

 身を翻す事、二回。

 先程まで佇んでいた広場の隅に、黒い霧のような塊が漂っていた。

 

 成る程。

 ブレスは爆発し、気化するようだ。

 恐らくあれに触れると、極限化したティガレックスと相対した時のように、狂竜症に侵される訳だ。

 

 ボブの理解が進んだ頃を見計らったように、洞窟の奥から一定間隔の地鳴りが聞こえて来た。

 がらんどうのような洞窟の最奥から先ず目に留まったのは、紫色の角。そして、金色の体表だった。

 

 そこでふと、疑問が宿る。

 

 金色?

 

 ギ、ギギャ。

 と、可笑しな音が聞こえた。

 一歩ずつこちらへ迫りくる歩調こそ一定なのに、その頭部は不気味に、不規則な揺れ方をしている。壊れかけたブリキのように、ギギャ、ガゴッと、いびつな音を立てていた。

 雄々しく発達した角は、知覚器官が最大まで成長している証。しかし、しかし……どういう事だ?

 

 ボブは思わず「イノリ」と知恵に優れた相棒を呼んだ。

 大剣の柄を握る手を硬くし、腹の底にぐっと力を籠めて、吐き出す。

 

「アレは……何だ?」

 

 そのゴア・マガラは、正しく異形の姿をしていた。

 図鑑の情報で見られたゴア・マガラの姿は、黒と紫色だった筈。イノリから聞いた情報でもそうだった。

 確かに、それらの情報に基づいた部分は多い。左半身は殆んどが黒と紫であり、発達した角も片方は禍々しい紫色だ。

 そう、片方は。

 

 そのゴア・マガラの右半身は、紫の鱗が削げ落ちたかのように、金色の体表をしている。

 それは……その色は……。

 

「あれ、シャガルマガラじゃねえのか?」

 

 恐る恐る、先程のブレスを反対側へ回避した相棒へ、視線を向ける。

 すると、その先で、彼女は唇をわなわなと震わせていた。

 

「違う……」

 

 そして、そう零す。

 じゃあ、あれは何だ。

 と聞こうとした矢先に、彼女は震えた声で、答えを寄越した。

 

「渾沌に呻くゴア・マガラ……進化を、抑圧された個体」

 

 進化を、抑圧?

 一体、誰が……。

 

 問おうとした矢先に、やはり彼女は答えた。

 

「シャガルマガラは……既に、天空山にいる」

 

 その絶望したかのような声に、ボブは短く「は?」と聞き返す事しか出来なかった。

 それはつまり……つまりだ。

 

「私たちは、ハズレを引いたって事よ!!」

 

 泣きそうな声を上げて、イノリがボウガンを構えた。

 

 

 これは、一体、どういう事なの?

 ジョーの休眠に合わせて眠ったシャンヌだったが、眠りについたのは朝方だった。深く眠っても、空には真白の光があって然るべき時間に起きた筈だった。

 いいや、起こされたというべきなのかもしれない。

 

 煌々と光が降り注ぐ筈の天空山。

 しかし、ジョーと共に過ごす洞窟から出てみれば、辺りはどす黒い霧に覆われており、天頂の陽光は霞がかって見えた。

 先程目にした嫌な瘴気は、既に辺り一帯を覆い尽くしているようだった。

 

 ふと、背後から気配を感じる。

 ハッとしたシャンヌは振り返り、急いで洞窟の入り口へと駆け戻った。

 

「ジョーさん! ダメ。外に出ちゃダメ!」

 

 そう言って、刺々しい顎に触れる。

 成る丈優しく、鼻先を撫でた。

 

 するとそのイビルジョーは、「グォ」と小さく鳴いて、やや頭を垂れる。

 ふう、ふう、という息遣いの際に、白い吐息を吐き出していた。

 

 どうしよう。

 シャンヌは迷う。

 恐らくこの瘴気は、イノリが手紙で忠告してくれた内容だ。

 しかし、いざ避難しようと思うと……。

 

「大丈夫。大丈夫だから……お願い、ジョーさん。自分をしっかり持って」

 

 縋るように見つめた彼の目は、深紅を宿す。

 それはイビルジョーという種において、あってはならない色。

 イビルジョーという生き物が、自制の全てを捨てて、死の果てまで怒り喰らう存在へ移る予兆。

 

 その姿を見るのは、これで二度目。

 一度目は奇跡的に助かったが、その時も『元に戻った』とは言い難い。

 あのモノクルをつけた研究者曰く、ジョーはあの時、一度死んでいる。生命活動を停止し、飢餓の欲求が無くなった事で、奇跡的に復活した彼は、飢餓から解放されていたのではないかと、そう言っていた。

 あくまでも予想ではあったが、それはあの時の状況を考慮すれば、最も正解に近い内容のように感じられる。

 

 果たして、今、このジョーが再度飢餓に陥った場合、元に戻る事は望めるのか?

 いいや、そんな事、起こらないに越した事はない。

 

 そもそも、どうして飢餓の予兆が出ているのかが分からない。

 食事は定期的にしっかりと取っていたし、体内のエネルギーを無駄遣いする事も無かった。他の大型モンスターと相対する事も、この一週間ではなかった筈なのに……どうして……。

 

 震える手で、ジョーの口の端を撫でる。

 漏れ出す吐息は、酸の匂いが強く、高温を宿していた。

 それらは全て、イビルジョーが戦闘態勢に入っている事を示している。

 

 イノリの指示に従うなら、ジョーを置いて逃げるべきだろう。

 狂竜症に侵されているようには見えないが、飢餓状態へ変化しかねない様子の彼を、他の地へ動かす事は望ましくない。それは確かだ。

 そして、もしも飢餓状態に陥った場合、真っ先に餌食になるのはシャンヌの可能性が高い。彼が我を忘れて襲い掛かってきた場合、自分は彼を止められない。彼を傷付けたくないという思いもあるが、何よりジョーの強さに、自分が及んでいないからだ。

 彼がその気になれば、シャンヌはあっという間に喰い散らかされるだろう。

 

 分かってはいる。

 だけど……。

 

 シャンヌはジョーに歩み寄って、前足の下から、優しく抱擁した。

 熱い程の体温と共に、力強い鼓動を感じる。

 それは確かに、ジョーが生きている証。

 三年前、一度失われたかもしれない命の証明。

 

 あの時、失っていたかもしれないと思うと、胸の奥がキリキリと痛む。

 また失うかもしれないと思うと、それだけで涙腺が緩んで、視界が滲む。

 

 嫌だ。

 ただただ嫌だ。

 

 子供染みた我儘だ。

 もしかしたらボブやシャンヌ、田舎の家族に同じ痛みを味合わせるかもしれない。

 分かっている。分かってはいる。

 だけど、それでも嫌だった。

 

「ジョーさん。中に戻ろう? ご飯はわたしが取ってくるから、この霧が晴れるまで……」

 

 逡巡の末に出した結論を伝える。

 言葉が正確に通じているとは思えなかったが、最近は少しだけ意思疎通が出来ているような気がしていた。成る丈ゆっくりと言葉を吐き出して、彼に此処へ留まって欲しいと言った。

 

 しかし、その時だった。

 不意に大気の流れに大きな変化を感じた。

 まるで近くで風が起こっているような、そんな気配。

 ふとすれば、ばさり、ばさりという羽ばたきの音が聞こえてきて、やがてずしりとした地鳴りが響く。

 それに促されるように振り返ってみれば、ただでさえ暗い景色の中でもくっきりと分かる巨大な影。

 ハッとしてシャンヌが顔を上げた瞬間、再度大気が震えた。

 

「グゥオオオ!!」

 

 強烈なバインドボイス。

 それは目前の影の主ではなく、シャンヌの背後から轟いていた。

 

 思わぬ咆哮に咄嗟に耳を押さえて蹲れば、巨大な気配が自分を追い越していく気がした。

 

「待って! ジョーさん。ダメ!」

 

 シャンヌが面を上げれば、ジョーは既に崖へ後ろ脚を突き立てており、追い縋ろうとした手の届かぬうちに、駆け上がってしまう。

 

 待って。ダメ。

 ダメだよ。ジョーさん!

 

 強烈な焦燥感に襲われる。

 この状況下での外敵の襲来だなんて、明らかに普通じゃない。

 ジョーがこの地で暮らし始めてから三年以上。既にここら一帯は彼の縄張りとして認知されており、他所で自身の住処を追われたモンスターぐらいしかやって来ない筈だった。

 

 脳裏に過ぎるのは狂竜症の症状。

 観測船でモノクルの研究者が教えてくれた事で、最も印象的だったのが、『命が尽きるまで虐殺を繰り返す』という点。それこそ飢餓状態のイビルジョーと同じく、その地全ての生き物を滅ぼさんと暴れ回るのだ。

 それが狂った竜と称されるウイルスの症状。

 そして何より恐ろしいのは、狂竜症は発症したモンスターからも伝染する事。

 もしも外敵が狂竜症を発症していれば、相対したジョーまでもが狂竜症に侵されかねない。

 

 シャンヌは洞窟の入り口まで戻り、狩りに必要なものを纏めたポーチとスラッシュアックスを取り上げた。

 幸い防具は着用したまま過ごしている為、問題はない。いや、その防具の弱さには一抹の不安を覚えるのだが、言っても詮無い事だ。

 

 念の為ポーチからウチケシの実を取り出して、それを握りしめながらジョーの後を追う。

 彼は崖を蹴上がったが、シャンヌは迂回して幾つかの段差を登らなければいけない。その一つ目に手を掛けたところで、リオレウスのものらしき咆哮と、呼応するかのようなジョーの咆哮を聞いた。

 いけない。

 もう戦闘が始まろうとしている。

 急いで段差を登った。

 

 そうして少しばかり開けた大地へ出た時、シャンヌは息を呑んだ。

 

「うそ……」

 

 先ず目に留まったのは、リオレウスの異質さだ。

 身体が、黒い。

 体表は原種のリオレウスらしく、赤い鱗を纏っているのだが、その色を覆い隠す程の濃度で黒い霧に覆われている。いや、覆われているというより、纏っている? 身体から染み出ているようにも見えなくない。

 体格は普通のそれ。特に大きくも小さくもない。

 だが、その攻撃は規格外だった。

 ジョー目掛けて放たれた火球は、彼等の翼と同じくらいの大きさをしていた。

 

 そしてその火球を受けるジョーもまた、異質な姿になっていた。

 赤い眼光を宿した目は、いつか見たどす黒いエネルギーで覆われており、口腔から高熱を示す湯気を常時吐き出している。それだけじゃない。背中の筋肉が大きく隆起し、体格がいつもの二回り以上膨れ上がっている。いつか負った傷がいくつか開いてしまったのか、真っ赤な血が体温で蒸発し、赤黒い蒸気を纏っていた。

 

 火球を、真っ向から喰らう。

 

「グォオオ!」

 

 ジョーが喰い破るように火球を食めば、彼の口内で大きな爆発が起こる。しかし、それで怯んだ様子はない。

 そのまま貪食の恐王の名を示すかの如く、飛び上がり、赤き竜の喉元に喰らいついた。

 

 墜とされんと身を翻すリオレウスだが、ジョーの後ろ脚がかの竜の後ろ脚を捉えると、荷重に耐えきれる筈もない。力強い羽ばたきも虚しく、地面へ墜落した。

 大地へ墜ちたリオレウスの翼を、ジョーの余った後ろ脚が押さえ込んだ。

 首を捉えていた顎を離し、脚を押さえていたもう一方の後ろ脚を振り上げ、腹を踏む。そこでリオレウスの決死の火球がジョーの顔面を焼いたが、怒り喰らう恐怖の王に、その火球はあまりに非力。

 再度首に喰らいついたかと思うと、そのまま肉と骨を断つ嫌な音を立てながら、ゆっくりと頭部を引きちぎる。やがてリオレウスが完全に沈黙すると、血の滴る頭部を明後日の方向へ放り投げた。

 

 己の狩りに満足したのか、恐王は轟と吼えた。

 

 一部始終を見終えて、シャンヌは絶句する。

 ジョーが規格外の強さをしているのは知っていたし、実際に狩りの風景を何度も見て来たが……ここまで圧倒的ではなかった。まさか硬い鱗を持つリオレウスの首を引きちぎるだなんて、己の目を疑うような光景だ。

 いや、それよりも……。

 

 嫌な汗が止まらない。

 あのリオレウスの異様さは一目瞭然。恐らく、あれが狂竜症。

 それと相対したジョーの状態。あれは仮に狂竜症でなくとも、飢餓の状態ではないのか? いいや、あれからイビルジョーの生態について深く学んだシャンヌは、それが疑いようもなく怒り喰らうイビルジョーの姿だと分かってしまう。

 

 まさか。

 そんな。

 

 何故という疑問が頭を過ぎるが、どんな疑問も目に映る現実の前では意味の無いもの。

 深く愛したグルメジョーは、再び飢餓の果てへ身を落とした。

 それが事実であり、現実。

 

「ジョー……さん?」

 

 小さくぼやく。

 すると飢餓の果てに至った恐王は、ゆっくりとこちらを向いた。

 肥大化した身体は返り血すら蒸発させる高熱を放ち、寒冷地であるこの地の大気を白く染める。不気味な両の眼を覆う黒い稲妻に似たエネルギーはバチバチと音を立て、静寂を取り戻したこの大地に唯一の音を鳴らす。

 いいや、シャンヌにとっては、どれもが違う。

 彼の姿は溢れ出した涙で滲み、竜エネルギーが立てる不気味な音は、煩い程に跳ねる心臓の鼓動が邪魔をした。

 

 向かい合って、改めて感じる種族の壁。

 人間はこんなにもちっぽけで、イビルジョーという生き物はあんなにも強大なものなのか。

 彼と心を通わせたいと思った自分も、彼を救いたいと思った自分も、なんて愚かで、浅はかで、不遜な事を考えていたのだろう。

 

 恐怖で膝が笑う。

 死への恐怖感は勿論あったが、それだけではなかった。

 優しかったジョーが飢餓へ身を落としてしまった事、彼が狂竜症にかかったかもしれないという事、どちらにせよ救いが無いように感じてしまう事……それらを気に病む事が、そもそも不遜であると思い知らされてしまった事。

 何もかもが悲しくて、胸が痛い。

 

 ゆっくりと膝を折れば、そのまま蹲ってグッと胸を押さえた状態から、動けやしない。

 ずしり、ずしり、と、ジョーが近付いてくる音が聞こえてくるが、動けない。

 

 落とした視線の先に、巨大な影。

 そこへぼとりと何かが落とされて、漸くハッとした。

 

 赤黒い血肉。

 本来ならそのまま喰らってしまえる筈の、大きな肉の塊。

 恐らく先程倒したリオレウスの肉片だろう。

 

 ゆっくりと視線を上げれば、凶悪な赤い眼がじっとこちらを見ていた。

 その口腔は絶え間なく涎を垂らしている。

 そんなに腹を空かせているのに、眼下の肉に微塵の興味も示さない。

 

 まるで、何かを言われているような気がした。

 

――焼いてくれないか?

 

 それは、微かな希望だった。




約一年ぶりだ……。
更新に時間掛かって申し訳ないです。
アフターだからって気抜いてたら書式忘れちまったよ……。
このままじゃいつまで経っても終わりそうにないので、頑張って終わらせます。ちゃんと終わらせますとも、ええ。

質問来そうなので先手打ちますが、渾沌マガラは過渡期ではないです。
なんて、モンハンマニアしか知らなそう。
過渡期と呼ぶ人も多いとか。

相変わらず役立たずなシャンヌちゃん。
いや、彼女は肉を焼く事だけが使命だから。
何で犠牲者リオレウスばっかなん。
わかんね。気が付いたらレウスが喰われてる。

多分次のページでアフターも終わります。
ぶっちゃけ剥けゴマの件必要なのか? ってすげえ葛藤したんだけど、ハンターがシャガル討伐するなら普通にMH4やりなさいよって話。つまり次話はそういう事。

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