※
今日も朝日が昇る。
しかし、相も変わらず私は独りだ。
押し寄せる後悔と反省の波を押し殺す日々が、今日も始まる。そう思うと少しばかり憂鬱ではあるが、これもひとつの感情であり、私の進歩を示しているのだろう。
なんて、仰々しく言うものの、憂鬱なんて感情は、どだい自分には過ぎたものだと理解しているからか、それは『夢』や『希望』の遠さに難儀しているのに近いものであって、決して悩みの種等ではない。情けない捉え方をするのは、一度ばかりその機会を逃してしまったからだろう。
空を飛びたいと願っても、空を飛べぬ事は分かっている。
仲間が欲しいと思っても、私の種はそういう風に出来ていない。
だからこそ、私は適応するように日々進化しようと思うだけで、そうあるだけで己が誇らしくあり、まだまだ理知的に生きる意味があるとも思えるのだ。
とはいえ、この思考癖も最近は随分面倒になってきているが……。
何分、理知的であろうとすると、己の肉体の不便さが際立つばかりなのだ。『肉を焼く』にしても、私のブレスでは加減が難しい上に、見栄えが悪い。味わいは中々良いものが仕上がるようになったが、人間の手で作られるような逸品にはまだまだ程遠い。
どうしても口の中で黒い火花がバチバチという食感を出してしまい、肉汁の味わいに集中出来ないのだ。
せめて火竜等、普通の炎を吐ける種に生まれていれば……。
以前対峙した際、奴のブレスを誘導して焼いた逸品は何とも言い難い格別なものだった。あれは美味かった。本当に美味かった。グルメを自称する私も、納得の焼き上がりだった。しかしながら、奴の火球も直撃させてしまうと肉を黒焦げにしてしまうのが玉に瑕。
こっそりと奴等の住処へ入り込み、態々狙ってもいない卵を狙ったふりをして奴等を怒らせ、そのまま喰らってしまおうという衝動をなんとか殺して誘導するのだ。そんな手間暇をかけて、出来上がった至高の肉はたったの三個というのだから、実に割に合わない。
はぁ……。
何とも詮無い事だが、あれから私の時間は止まってしまったかのようだ。
稀有な人間達との出会い。
私に焼いた肉の旨味を教え、共にある喜びを与え、種の隔たりの高さを刻み込んだ者達。
あの一件には、とても多くの事を学ばされた。
至高の肉の事は勿論、私自身の種の本能というものも知る事が出来た。
生命活動の危機により現れる本性。それは私を私たらしめるものを全て消し去り、ただ本能のままに喰らい尽くすだけの獣に身を落とす行為だった。何とも無様で、何とも滑稽。
あれ以来、私は二度とあのような愚行を犯さぬ為、生命活動の維持に敏感になり、不味い肉でもきちんと喰うよう心掛けている。しかし、それでいて、彼等人間と争わなくて良いよう、あまり喰らい過ぎないよう気を付ける事も忘れない。これはその後の経験則だが、暴食をせぬうちは、人間に目を付けられる事は早々無いようだ。
無論、彼等の狩場を侵さない事も絶対条件だが。
あの時、私を見逃してくれたふたりには会いたいし、純粋に私を凌駕したあの猛者とも力比べをしてみたいとは思うが……まあ、それがあるとすれば奇跡の産物だろう。
少なくとも私をこんな風に生み出したとされる創造主は、中々に意地の悪い奴だ。
あのような稀有な出来事は、二度とないかもしれない。
だから、夢であり、希望なのだ。
私の生きる意味でもある。
元気だろうか。
私の大切な友は……。
空を見やれば、今日も飛竜が我が物顔で青を支配している。
しかし、この地は標高が高く、天を貫く岩山がそこら中に生えており、そこは奴等の支配も届かぬよう。ところどころに崩れた岩が蔦に絡まっていたりもして、奴等からすると、決して飛び易い空ではないだろう。
清々する……とは、意地が悪いか。
何にせよ、多くの突起物によって身を隠す場所の多いこの地は、中々住み心地の良い場所だった。
私がグルメである故か、最近は大気の香りにさえ関心を寄せるもので、そういう意味でも居心地は良い。下界からか、はたまた他の岩山からか、漂ってくる様々な香りに思い馳せてみれば、まるで自分が芸に富んだ賢者であるようにも思えるものだ。
はてさて、今日の香りはどうだろう。
肉の焼ける匂いがあればすぐにでも……。
と、したところで、私は嗅ぎ覚えのある――いや、待て。
おや?
この匂いは……。
――ふ、ふぉおおおおお!?
嗅ぎ覚えがある!?
そんな馬鹿な!!
こんなかぐわしい香りは、あの日、あの時でさえ……。
※
「んんーっ! 良い天気。絶好の狩り日和だぁー!」
焦げ茶の髪を風に靡かせ、両手を元気いっぱいの様子で天へ伸ばす少女がひとり。
武器も背負わず、ヘルムも着けないままで、何とも緊張感の無い笑顔を溢していた。
彼女の声に怯えたアプノトスが一頭、また一頭と逃げ出し、それを手を振って見送っているのは、果たしてどういう了見か。
声色は底抜けに明るく、仕草と相まって、有り余る活力を感じさせるが……。
如何にこの天空山が心地好い気候、爽快な景色をしているとはいえ、狩場で隙だらけな格好をして、大声を上げるのは宜しくない。
士気を上げるのは良い事だが、引き寄せてしまう危険とつり合っていない。
こんなんで一丁前なハンターなのだから、世も末だ。
足許に転がっている雷狼竜の武器も、ウルクススのヘルムも報われない。
まあ、とはいえ実力はそこそこついてきているから、私は良いんだけど……。
「コラァ! シャンヌ。狩場ででけえ声出すんじゃねえっていつも言ってんだろぉ!!」
隣のハゲが煩くなるのが宜しくない。
げんなりしながら声の出所を改めれば、火竜の装備を纏ったハゲが、顔まで赤色に染めていた。
言っている事は至極的を射ているのだが、何分彼の声の方が大きい。一〇歩も離れていない少女を叱りつけるのに、明らかに不要な大声だった。
はぁ……。
手元のボウガンを展開して、その脇腹、比較的装甲が厚い部分を腰だめで狙って……レッツフレンドリィファイア。
「んごっ!!」
ハゲは悶絶した。
まあ、Lv1の通常弾だし、言う程痛くないだろう。
ボブが大袈裟なだけだ。
恨みがましい目付きで睨んでくる茹蛸状態のハゲからぷいと視線を逸らし、彼を怒らせた張本人である少女へと改まる。
とすれば、怒られたのなんて何のその。悪戯っぽく舌を出して、私のフレンドリィファイアに苦笑していた。翻訳するに、『ごめんなさい。てへへへ』といったところか。
ボブもボブだけど、シャンヌもシャンヌ。
反省の色が全くと言って良い程無い。皆無だ。
まあ、ボブに怒鳴られて堪えるなら、彼女の悪癖の数々はとっくの昔に直っている。三年前に出会った時から頑固なのは分かっていたけど、もう何て言うか、頑固と言うより馬鹿と言った方がしっくりくる。
私は大きな溜め息をひとつ吐いて、ボウガンを下げた。
「もう……。シャンヌはちゃんとボブの言う事聞きなさい」
「はーい」
返事だけは一丁前。
片手を上げて気持ちの良い笑顔で返してくる彼女を見ると、実に頭が痛い。
「おま、なんで……おれを……」
八つ当たり宜しく、未だ悶絶しているハゲをキッと睨みつけた。
「ボブはボブで煩い。あんたの声が一番煩い。そんでもって大袈裟。めっちゃ大袈裟。私に撃たれるのなんて日常茶飯事でしょ? いっつも射線に飛び込んでくるんだから」
ここぞとばかりに捲し立てた。
すると、ハゲも黙っちゃいられないといきり立つ。
私を指差して、「それはお前が!」と叫んで、ハッとした。今しがた注意した指摘を思い返したのか、余った手で自分の口を塞ぐ。
先程の悶絶は何だったのか。
そして、『それはお前が』何なのか。
私は有効部位にしか撃たないし、ガンナーとしてサポートも火力もきちんとこなしている。
敵意が私に集中するから、振り向き様に溜め攻撃を狙うと、私に撃たれるって? それは平時から火力が出ていないからだ。ボブが私より敵意を稼げていないからだ。
私の方が強い。以上。
そんな事を捲し立てれば、ボブは顔を更に真っ赤に染めた。
「何時までソロ思考なんだよ!」
「はい? ボブが鬼人薬ケチるから、私の方が火力出ちゃってるんでしょ? 大剣担いでる癖に、何でライトボウガンより火力出ないのよ」
「属性特化してる奴に大剣がパーティで火力勝てるかっての!」
「勝てますぅー。大剣の方が火力出ますぅー。ボブが下手なだけですぅー」
唇を尖らせて、嫌味たらしく言ってやる。
ボブは「ぐぬぬぬぬ」と唸って、不服を堪えていた。
と、そんな折。
「ふふ、あはは、あはははは!」
甲高い笑い声が響いた。
今に取っ組み合いになりそうな距離感で睨み合っていた私達は、揃って声のした方を振り返る。
すると、こちらを指差して、お腹を抱えているシャンヌの姿が目に留まった。
いや、その少女の向こうに、巨大な影が――。
「もう、ふたり共、前も同じ事で――」
その影は、徐々に大きく。
いや、徐々にではない。明らかに急降下しているような速さで大きくなっている。
「シャンヌ!」
「シャンヌ。あぶねえ!!」
私と同じく、気付いたらしいボブとふたり、声を上げる。
と、そこでハッとしたのか、シャンヌは振り返り様に腰を屈め、足許の武器を拾う。その動きはとても素早く、顔付きも一転していた。
拾い上げたスラッシュアックスを展開すると同時。
大の大人でも持ち上げるので精一杯な重量である筈のそれを、上空へ向けて片手で振り放った。
ガキン。
と、まるで鉱物同士がぶつかったような音が響いて、直後、彼女に襲い掛かったものを中心として突風が吹く。
青き空の王者。
その亜種。
毒を持つ鋭い爪が、斧を挟んでシャンヌを狙っていた。
しかし、頭防具さえつけていない彼女は、一歩も怯んでいない。とんでもない重みを感じている筈なのに、一体その細身の身体の何処から湧いてくるのか、たった一本の腕で盾の役割をしている斧を支えていた。
が、それも束の間。
青き王者の口元から、緋色の明かりが漏れる。
それを見たシャンヌは、余った手で斧の刃が無い部分を掴み、強引に振り抜いた。
漸く、弾の装填を終える。
今に火を噴こうとしているリオレウス亜種の、その顔へ向けて、照準を合わせた。
「シャンヌ。退いて!」
「俺が代わる。体勢を整えろ!」
「閃光投げたよ!」
何だかんだ言いつつ、こういう時の連携は早い。
そして何より、一番歴の浅いシャンヌも、決してお荷物ではない。
カッと光が炸裂。
目を伏せて躱した私は、改めて速射を開始する。
やぶれかぶれに投げた閃光玉に見えたけど、しっかりとリオレウス亜種の目を焼いた様子。こういう時の立ち回りの良さは、ボブが教えた賜物だろう。
ボブがシャンヌに代わって前衛へ。
その間にシャンヌは頭防具を身に着け、鬼人薬、硬化薬等、必要な薬を飲み干していた。
ほんと、可愛いからってリオレウス相手にウルクススの装備を着けて来たり、エリア1とはいえ狩場のど真ん中で大きな声出すしで、馬鹿なんだけど……とんでもないお馬鹿ちゃんなんだけど……。
「尻尾切断狙うよ! ボブさん、イノリちゃん、頭お願い!」
「おう!」
「任せて」
スラッシュアックスを片手に、リオレウス亜種の傍らを駆け抜けていく背中は、三年前とは大違い。
実に逞しく、頼り甲斐のあるものになっていた。
お馬鹿ちゃんだけど、ハンターとしての資質は疑う余地もない。腕前だけ見れば、そこらのハンターより遥かに強い。
――私は、ジョーさんが奪う命の分だけ、人を助ける。助けて見せる!
まあ、心だけは三年前のあの時から出来ていたけどね。
ほんと、強くなった。あの時の啖呵に見合う働きだ。
あの時、特級危険種を見逃したってすんごい怒られたけど、怒られた甲斐もあるってものよ。
ボブが教えた回避技術はしっかり浸透していて、全くと言って良い程被弾しない。
それでいて私が教えた立ち回りに忠実で、密着状態から一歩たりと引きやしない。
傍から見れば、彼女がただの上位ハンターだなんて、到底信じられないだろう。持っている技術は既にG級のそれに近く、難関と名高いリオレウス亜種に対して全く臆してもいない。
バルバレのギルドマスターも近々ドンドルマへ推薦状を出すと言っていたし、彼女の名が有名になる日は遠くないだろう。
とはいえ、既に『イビルジョーに食べられて生き延びた女』っていう非常に不名誉な伝説で、バルバレにおいてシャンヌの名を知らないハンターはいないんだけどね。
いや、まあ、裏話を知っている私達からすれば、多少なり誇張表現が混じっているとは思うんだけど……。
正確にはイビルジョーに『咥えられて』ってところだって言うし。シャンヌの技術だって、G級ハンターがふたりがかりで叩き込んだ訳だし。確かに、シャンヌの丈夫さは桁外れではあるし、トレーニングをさせただけであんなに怪力になるとは思ってなかったんだけども……。
まあ、才能はあって、努力もしていて、周りからも期待されているってところだろうか。
いつかメゼポルタから呼び出しがかかりそうで怖い。
私が調合分の氷結弾を撃ちきる頃には、リオレウス亜種の尾は切断され、体力もかなり減っている様子だった。
本来なら、捕獲優先の私達だけど、最近この天空山にはあるモンスターの目撃情報がある為、ここで討伐する。麻酔が切れる事はそうないけど、もしもの際は回収を断念しても良いように、だ。
「イノリ、こいつ逃げるぞ!」
「分かってる。逃がさない」
ふらふらと足を引き摺りながら、羽を広げるリオレウス亜種。
しかし、その羽が羽ばたくより早く、私が投げた閃光玉が起爆し、怯む。そこを三人で畳み掛ければ、如何に空の王者の亜種と言えど、ひとたまりも無かった。
大きな音を立てて、地べたへ横たわるリオレウス亜種。
小さな断末魔と共に、その双眸が閉じられれば、私は深い溜め息を吐いた。
いやはや、体勢が整ってからは思考する余裕さえあったけど、初っ端の奇襲は肝を冷やした。
いくら体力馬鹿のシャンヌとはいえ、頭防具を着けないままにがぶりとやられたら死んでしまう。彼女の反応速度が優れていて、本当に良かった。
「コラ、シャンヌ! ほんっとお前ってやつぁ!!」
大きな怒鳴り声にうんざりした顔を向けてみれば、大剣を納刀したボブが、シャンヌに詰め寄っていた。
当の本人は怒られる理由が分かっているのか、いないのか、スラッシュアックスを背中に仕舞うなり、苦笑して手で壁を作りながらじりじりと後退りをしている。まあ、げんこつの一個ぐらいは仕方ない。
ごちん!
と、音が聞こえれば、シャンヌが頭を抱えて蹲り、悶絶していた。
「いったぁーい!」
「助かったからいいものを! てめえはソロだと何回死んでるか分かんねえぞ!」
ボウガンを背に負って、ふたりの元へ向かう。
まあ、ボブが叱ってくれてるし、私からのお小言は少なめで良いだろう。
ちらりとこちらを見たシャンヌは、打たれて漸く事の大きさが分かったのか、途端にしょげた顔をしていた。
「ごめんなさい」
「私はシャンヌの腕信用してるからいいけど。だけど、G級とか古龍はまだ少し早いね。ボブが言う通り、命が幾つあっても足んない」
シャンヌは少しばかり消沈したような声で、「ふぁーい」と漏らしていた。
危機感と言うか、何と言うか……。
『あの一件』があったからこそ、彼女はハンターになったが、その時に築いたモンスターとの信頼関係の所為で、命懸けであるという事を失念しがちだ。いざ戦闘がはじまってしまえば、高い集中力と、痛みを嫌う性質が幸いして、ハンター三年目とは思えない程の実力を見せつけるが……。いや、命懸けであるという事を忘れているというよりは、モンスターへの危機感が足りていないと言うか、生身の人間のヒエラルキーの低さを自覚していないと言うか。何せ、ハンター業では致命的な欠陥だ。
これからの課題だろう。
まあ、そういう意味では、この天空山は一歩足を踏み外せば下界までまっしぐらだし、彼女の危機感を強めるのにはもってこいかもしれない。っていうか、そうあって欲しい。
シャンヌってばグラビモスのビームを不意打ちで喰らっても生きてるんだもの……。
生命力が強すぎて、何をしたら命の危機感を覚えてくれるのか分かんない。それこそ、またイビルジョーに咥えられたら、少しは堪えるのだろうか。
何にせよ、お説教は終わり。
ひと休憩したら戻ろう。と、ふたりに提案した。
まだ何か言いたそうなボブを他所に、シャンヌは一転してにこにこ笑顔で了解。
まあ、この時間は彼女が大好きな『あれ』の時間だし、仕方ない。ムスッとしているボブも、そのおこぼれが楽しみだから、何も言わないし。
「取り出したるはー……こーきゅー肉焼きセットぉー!」
先程まで怒られていた時の表情は何だったのか。
シャンヌは雲一つない青空をイメージさせるような笑顔で、折り畳み式の肉焼きセットの設置を始めた。
天空山の一角。モンスターの襲来が少ないエリア1とはいえ、狩場のど真ん中で、尚且つリオレウス亜種の死体のすぐ隣での肉焼きである。そう思えば、この子の心臓は毛でも生えているのではないだろうかと疑わざるを得ない。果たして、初対面の時のようないじらしさは何処へ捨ててきてしまったのか……故郷のお婆さんが見たら、きっと卒倒するに違いない。
ただ、彼女の肉焼きは割とマジで上手い。
ハンターデビューをした日から毎日欠かさず焼いているようで、今では滅多に失敗する事無く、ほぼ確実に『ウルトラ上手に焼けました!』と言っている。
そもそも、今の拠点にしているバルバレでは高級肉焼きセットを取り扱っていない。何でも、肉を焼く事に全身全霊でありたいが為に、行商人に莫大な対価を払って仕入れて貰ったとか、何とか……。言ってくれたら私の伝手で手に入ったのは、此処だけの秘密だ。
今日も変わらずの肉焼きの歌が歌われる。
とても心地好いシャンヌの歌が聞こえてくる。
ふと空を見やれば、そこに青が広がる。
肉焼きの煙が青を濁すけれど、それももう見慣れたもの。真新しいのは此処が天空山であるという事だけ。
そういや、前に通っていた遺跡平原では、古龍観測所の気球の人達に、毎回肉を焼いてるハンターって言われてたっけ……。此処でもそんなへんてこな呼び名がついてしまわないか、少しばかり不安だ。
と、ちらりと視線をやって、きらり、きらりと目を引く光を見た。
何気なく見た古龍観測所の気球。
その光の点滅を目に留めて、ふと疑問を持つ。
――あれ? あの光のパターンって……。
「ウルトラ上手にやっけましたー!」
疑問に手を掛けた瞬間、シャンヌの声で思考を断たれる。
ハッとして見やれば、彼女はこんがり肉よりも更に香ばしく仕上がったこんがり肉Gを手に、天へ向けて掲げていた。気持ちの良い笑顔に、ふと心を奪われそうになるが、疑問が待てと引き留めている。
良く見知った信号なのだ。
見知った信号なのだが、あまり気には留めていなかった筈。
と言うか、狩りが終わって、撤退準備を待っているだけのハンターに送られる信号ではない。
そう、その信号の意味は――。
そこでハッとした。
「シャンヌ、ボブ、『乱入』よ!」
思わず大きな声を上げた。
「は?」
「へ?」
剥ぎ取りナイフを片手に、顔をしかめるボブ。
焼けたばかりの肉に、かぶりつこうと口を開いたまま、固まるシャンヌ。
慌てて武器を取り出し、残弾を確認する。
属性弾は全て撃ち尽くした。残っているのは通常弾。だけど今回、私は通常弾をメインに扱う装備をしていない。私の予想通りなら、そろそろ『来る』筈だが……どうしよう。
「旦那さーん!」
と、したところで、正しく来た。
声にハッとすれば、キャンプで待機させていた筈のミヤビが、こちらへ駆けて来ていた。きっと伝書鳩が持ってきたのだろう、筒状に丸めた紙を片手に持っている。
彼は私が振り向くなり、大きく口を開けて叫んだ。
「乱入クエストニャ!」
うわぁ……。
本当に予想通りだった。
いや、信号自体は、狩場に目的のモンスター以外の大型モンスターが居るってだけなんだけども。
それがクエスト終了後に発生しているってのが大問題で。それってつまるところ、私がメゼポルタで何度か遭遇した『それ』と同じな訳で……。
いやいやいやいや。
バルバレでもあるの? 聞いた事無いんだけど。
ボブもシャンヌもぽかーんとしちゃってるし。
っていうか、乱入って聞くと、最近の天空山の噂を思い出す。
ああ、嫌な予感がする……。
「乱入? 何それ」
「いや、たまーにあるんだけどよ……要するに、ぶっ続けで他のモンスターを狩れって事なんだが……」
「違うよ。調査がメイン。ダメそうならリタイアするのが推奨だよ。もしかしたらランク以上の相手かもしれないからね」
ボブの説明に補足を入れつつ、ミヤビから紙を受け取る。
じゃあと言って踵を返す彼を見送りつつ、紙面をするすると開く。
達筆な文字で、普通のハンターが見たら失禁しそうな内容が書いてあった。
『イビルジョーの出現を確認。注意されたし。可能ならば状態の確認を要請する』
やっぱり……。
よりにもよって、イビルジョー……。
頭が痛くなってきた。
調査対象が特級危険種だからじゃない。
イビルジョーだからだ……。
寄越したのはさっき見たあの気球の船員で間違いないんだけど、私達三人がイビルジョーに何かと縁があるのを知っているから寄越したのだろうか。普通なら即時撤退推奨だよね。
何にせよ、これをシャンヌに見せると面倒臭い事になる。
まあ、隠しても仕方がないから、ちゃんと見せるけど。
私は溜め息混じりに紙面を広げて、ふたりへ見せた。
「うげ、マジかよ」
「えっ!? ジョーさんが居るの!?」
二者二様の反応だった。
とはいえ、ボブの反応は私と同じそれ。
面倒臭そうな表情を浮かべて、げんなりしながら隣に立つ少女をチラ見する感じ。おそらく表情の理由も私と同じだろう。
そして、そのシャンヌはと言えば……。
「うわー。どこどこ!? 何処に居るの!?」
超絶ハッピータイムだと言わんばかりに、目を輝かせていた。
この辺りに居たら地鳴りですぐ分かるだろうに、背伸びをして周囲を見渡している。
はあ、やっぱり……。
今までも、クエスト中にイビルジョーが乱入してくる事は何度かあったが、その度にシャンヌは顔をキラキラさせてイビルジョーに接触を試みていた。そして恭しくこんがり肉を差し上げては、イビルジョーに吹っ飛ばされて、大怪我ないし、かなりの痛い目を見ている。
学習しないのだ。本当に。
まあ、理由は分かる。
彼女が無類のイビルジョー好きなのも理解している。
だけど、その度にネコタクに運ばれた彼女を見送って、ボブとふたりで死闘をくぐり抜ける羽目になったのは言うまでもない。私とボブの反応の理由は、主にそれだ。
とはいえ、それこそイビルジョーを餌付けしようとするななんて、既に数えきれない程注意した事。
直らない、直っていないのは、言うまでもないが、こればっかりはもう注意しても仕方ない事になっている。彼女にとってイビルジョーはハンター業のルーツであって、理由でもあるのだから。イビルジョーに会わない内にリタイアしようものなら、シャンヌは向こう一月、腑抜けて使い物にならなくなってしまう。それはそれで、非常にやりづらい。
私とボブに出来るのは、彼女が怪我をしないように、餌付け失敗が判明したタイミングで素早く救出する事だけなのだ……。
まあ、今回の装備では到底太刀打ち出来ないし、シャンヌが餌付けを失敗したら、即リタイアしよう。
なんて考えていると、遠くから地鳴りの音が聞こえてきた。
今に駆けだしそうなシャンヌを何とか説得して、エリア1に留まる。相手がイビルジョーなら、リオレウス亜種を討伐した理由も活きるというもの。シャンヌがやらかしたら、その死骸を食っている隙に逃げれば良い。
イビルジョーだって馬鹿じゃないから、動く肉より動かない肉の方を好む。それに、どうも人間は不味いらしいって、よく言われる事だし。
ずしん、ずしん。
音が近くなって、強酸性の唾液の匂いが漂ってくる。
ふとすれば、高台に続く道の先から、大きな影がこちらへ向かってきていた。
発達しすぎて顎を突き抜けてしまった無数の牙。
獲物の肉を溶かし、抉りやすくする為の強酸性の唾液。
そして、全身を覆うはちきれんばかりにぎっちりとした筋肉の鎧。
気温が低めの天空山では、その身体から微かな湯気が上がっているように見えた。
と、姿形を注視して、私は思わず目を瞬かせる。
それこそ、「あれ?」と、口に出して呟いてしまった。
隆々とした背中に、大きな一本の傷痕。
膨れ上がった体躯は、私が知っているより更に大きいが……いや、まさか……。
疑惑の目を逸らし、隣に立つシャンヌの横顔を見やる。彼女の向こうで、ボブも私と似たような表情をしていた。
そして、当のシャンヌは……。
「…………」
予想に反して、真顔だった。
いや、その真顔という顔付き自体が、異常でもあった。
今まで、イビルジョーを見付けた彼女は、喜々とした表情になっていた。
それがどうだ。
それっぽい姿を目に留めると、彼女は口を開いたまま、微動だにしない。
その間にも地鳴りは近付いてくる。
ハッとして正面へ直れば、かのイビルジョーは、あろうことかリオレウス亜種の死骸に目もくれない。
真っ直ぐこちらを見やって……いいや、シャンヌを見て、こちらへと歩を進めて来ている。その足取りは、徐々に、徐々に、早くなっているような気がした。
ふとすれば、シャンヌが数歩前に出ていた。
人間の足で数十歩の距離を、彼女からも詰めていた。
危ないと忠告しようとするが、ボブとふたり、彼女の名を口にするや否や、振り返ってきた彼女の表情に、思わず閉口する。
分かっている。
分かっていたのだ。彼女は。
目にいっぱい溜めた涙が、切なそうで、だけど嬉しそうにも映る表情が、全てを物語っていた。
「ジョーさん……」
前へ向き直って、彼女は彼を呼ぶ。
まるで呼応するかのように、イビルジョーは足を止め、小さく唸った。
ああ、何でだろう。
私はあのイビルジョーと過ごしてはいないというのに、彼の表情すら、何処か嬉しそうに映ってしまう。目に輝く何かは、まさか涙だとでも言うのか。
イビルジョーが泣くだなんて、どんな伝記にも、どんな生態研究書にも書いてない。
一歩。
また一歩。
シャンヌがイビルジョーへと歩み寄る。
先程焼き上げたこんがり肉Gを持って、歩み寄る。
手が届きそうな距離に至って、彼女はゆっくりと、その肉を差し出した。
「……食べる?」
優し気な。でも、僅かに涙声をうかがわせる鼻声で、彼女は問いかけた。
イビルジョーは、ゆっくりと口を開いて――。
「あっ……」
「あっ……」
「えっ?」
がぶりといった。
シャンヌを。
もう思いっきり。
「いだだだだだ!! いだい、いだいだいだいぃっ!! ちょ、マジで痛いぃぃ!!」
途端にやかましい悲鳴が上がる。
その声にハッとする頃には、彼女はイビルジョーの刺々しい口に横向きで咥えあげられていた。
思わずボウガンを構えるが、そこでボブが腕で前を遮り「待て」とぼやく。何事かと改まれば、彼は何故か苦笑を浮かべていた。
「いや、あれ。喰おうとしてるんじゃねえんだわ」
知った風なボブ。
しかし改まってみれば、イビルジョーが噛み砕こうと思えば容易い筈のウルク装備が、何故か貫かれていない。シャンヌが痛がっているのは、唾液で皮膚が焼けているからだ。
え? ちょっと、どういう事?
「懐かしいな。俺もああやって拉致されたんだ」
何処か遠い目をしているボブ。
「いだいだいだいだいだい!!!」
悲鳴を上げてこんがり肉Gを振り回しているシャンヌ。
「ぐぉぅ」
そして、シャンヌを咥えたまま、やけに満足げに踵を返すイビルジョー。
「あ、そういうこと……」
一同を改めて、やっと合点がいった。
成る程、あのイビルジョーは別にシャンヌを喰おうとはしていないのだ。
拉致しようとしているだけなのだ。
あの時と同じように。
理由こそ分からないが、別にシャンヌを食べようという訳ではないのは確か。そのつもりなら今頃血飛沫が散っている……とは、ちょっと無慈悲な物言いかもしれないけど、何せ殺意は無いらしい。彼とやりあった事がある私だから、じっくりと見てみれば、その顎に力が籠められていないのはなんとなく分かった。
皮膚が焼けているのは、後で回復薬を飲めば治るだろう。
それぐらいシャンヌはタフだ。
まあ、となると、あの奇特なイビルジョーの生態研究の方が優先されるか。
元よりそのつもりで、三年前に見逃したのだし。
観測所の追跡を振り切ったのは驚きだったが、此処で再会出来たのなら、私達が直々に調査結果を出せるだろうし、良い事づくめだ。
私は泣き叫んでいるシャンヌに、にっこり笑顔を見せつけた。
「そのイビルジョーの生態とか、超気になるから、そのまま案内されてね」
「ったく。今度は何をさせるつもりだよ」
都合よく、ボブが嘯く調子でぼやいていた。
何ともタイミングの良い男だ。
尤も、私達が助けるつもりはないと知って、シャンヌは顔を引きつらせていたけど。
「痛いんだけど? 本当に痛いんだけど!?」
震える声。もう既にとめどなく流れている涙。
でも、何故か、嬉しそうに見えて。
「ちょっと、ジョーさん? あの時みたく背中で……あいだっ!!」
歩き出したイビルジョー。
さてさて、私達を案内して、何をさせようと言うのだろうか。
なんて、シャンヌなら兎も角、凡人の私に分かる筈もない。
だって、彼は普通のイビルジョーじゃない。
彼は、グルメなのだから。
その後、かのイビルジョーは天空山の主として認知され、紆余曲折ありながらも、人と適度な距離を保ったモンスターとして、一冊の調査研究書に記されるのでした。
出典 『グルメなイビルジョー』
たった一〇ページの話に何年かかっとんねーん。
という事で、これにて読了です。
お付き合いありがとうございました。
つらつらとあとがきのようなもの書いていきます。
まだお時間余っていて、手持無沙汰な方はよければお付き合いのほど。
・あとがき
ぶっちゃけ、めっちゃしんどかった。
リアリティとファンタジックの敷居が難しかったのもありますが……ランキング載って、読者さん増えて、そりゃあ嬉しかったのですが、同じくらい批判コメントが堪えまして。勿論、色んな方がいますし、万人に受け入れて貰える作品なんて書けているつもりはないのですが、マジで色々とグサッときました……。
ただ、同じくらい嬉しかったことも。
ちゃんと読んで、読み込んだ上で、『私には合わない』と仰って下さる方もいました。それ自体はとても残念ですが、万人に受け入れられるものじゃない以上、合わなかった理由を教えて頂けたのは本当に稀有な機会でした。
まあ、だからと言って、9ページ目の悩み具合は、自分で振り返っても『ばっかじゃねえの』なんですけど。しかも結局妥協してるし……。
応援コメントは勿論、とても嬉しかったです。
月並みな言葉ですが、本当に励みになりました。行き詰った時に頂いた『待っている』というような言葉には、胸が温まって、その度にもう一度練ってみようと思い直した次第です。
結果的に9話はリアリティについて大きく妥協をしましたが、ぐだぐだ書くと更にお待たせしたでしょうし……半年を過ぎないうちにと思っていたので、今の私の実力として受け入れて頂けましたらと。
あとは話の構成力がまだまだですね。精進します。
まあ、主題であった『こんがり肉』、『胸を満たすもの』、『シャンヌの成長』このあたりは書けているように思うので、勝手に自己満足しておきます。
キャラクターデザインとしては。
・ジョーさん
グルメな紳士。
冷ややかな視点もあるけど、普段は知的で冷静。だけど美味しいものを見ると暴走しちゃう。
・シャンヌ
ヒロイン。
ヒロインだけど、ヒロインになれない女の子。
三年後の世界ではグルメなハンター。三年であそこまで強くならんとかいう突っ込みは野暮ってもんでっせ。
・ボブ
ネタ枠。ハゲ。おっさん。
こういうおっさんが好きだから出した。
三年後はシャンヌとイノリに連れまわされている。
・イノリ
原作ハンターをイメージ。
前述のリアリティとファンタジックの敷居を明確にする為にデザインした。
三年後はシャンヌの師匠であり、良き親友。
こんな感じですかね。
イノリについては作品に対するアンチキャラなので扱いが難しくありましたが、中々勝手良く動いてくれました。むしろシャンヌの方が感情論で動く分、めっちゃ扱い難かったです。
ジョーさんについては言わずもがな。
何をさせてもダサくないように書こう。おちゃめで済む程度のネタも取り入れよう。
そんな風に考えてました。
本当にありがとうございました。
どうぞ皆様に、美味しいこんがり肉があらん事を。
2019/2 ちゃちゃ