私はグルメである。   作:ちゃちゃ2580

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少女、拉致。

 晴れ渡る空。

 私は濁る視界で見上げて、小さく唸った。

 

 頭上に広がる一面の青色。

 私が知る限りでは早々お目にかかれないものだった。

 普段の根城は洞穴で、偶に外へ出てきても、空は飛竜達が我が物顔で飛んでいる。私に翼が無い以上、そこに居る者達の気まぐれでしか、景色は変わらない。変えられない。

 

 一重に、奇跡的な景色だった。

 

 空は広い。

 私の巨躯を持ち上げうる強靭な翼さえあれば、きっと私の知る世界はもっと広かったろう。

 あの彼方へと、行けるものなら行ってみたい。

 もしかするとその先に、私が悠々と過ごせる大地があるかもしれない。

 

 いや、期待するのはよそう。

 無いもの強請りも宜しくない。

 

 何せ私は――。

 

 

 私は生まれた時からひとりだった。

 それを孤独と知ったのは最近で、嘆く事こそ無かったものだが……私と同じ眷属(けんぞく)と会った事は無い。自分を産み落としたと思われる者の亡骸ならば、見た事はあるが……。

 

 誰とも通じ合えぬ言葉を持ち、誰とも分かち合えぬ感情を持ち、今にして思えば、天涯孤独とは中々に残酷だ。知らぬ無垢さが、当時の私の救いだったのだろう。

 そして、私は自発的に群れを成す事も無かった。

 むしろ群れを成すという概念さえ、持ち合わせちゃいなかった。

 

 目に見える全ては――食料。

 

 私の本能はそう訴える。

 子と妻を引き連れ、決死の形相で逃がそうとする草食獣を屠る。そして喰らう。

 卵を背に、翼を広げて威嚇する緑色の飛竜を、『何故逃げないのか?』等と考えながら(ほふ)る。そして卵共々に喰らう。

 

 満たす為なら何だってしてきた。

 何だって喰らってきた。

 

 時に私を屠ろうとして来たらしい人間を屠り、喰らい。

 その味気無さに落胆し、腹いせとばかりにその仲間を蹴散らし。

 

 思えば今までの人生、どれ程の肉を喰らったかが分からない。

 

 

 そんな私の転機は、とある人間との出会いだった。

 

 

 その頃の私は、各地を転々としていた。

 満たされぬ腹に促され、より多くの獲物が居る土地を探し、歩き回っていた。

 

 そして行き着いた密林。

 兎に角木々が多く、歩き回るのには少々邪魔臭かったが、豊富な自然に相応するぐらいの獲物が居た。その頃の私にとっては、獲物の多さが絶対的な価値と言えただろう……邪魔臭いものは破壊すれば良しとして、暫くの間を過ごしていた。

 

 ある晴れた日の事。

 不意に空を飛ぶ飛竜を見上げて、私は涎を零す。

 

 腹が減った……。

 私は獲物を求めて、徘徊を始めた。

 その日の狩りは順調で、すぐに灰色の皮を持つ草食獣の一家を仕留めた――仕留め損なうこと等、早々無いが――。彼等のよく脂がのった肉を喰らい、一通り満足する。

 

 丁度その頃だった。

 私が居た崖の上に、微かな匂いが漂ってきた。

 

 自然と喉が鳴り、新たな獲物を見付けた……と、本能が訴える。

 促されるままに、崖下を覗いた。

 

 そして、私は落胆する。

 

 そこに居たのは、若い人間の娘だった。

 布切れで身体を覆っており……おそらく、成体になっていない者だった。

 よく私を屠りに来る不味い着物を纏った者達ではない様子だ。

 

 彼女は籠を提げ、背後の崖上から見下ろしている私には気付いていない。

 どうにも急いでいる様子で、何かを探しているように見えた。

 時折辺りを窺っているような様子はあるが……腰を降ろしているので、急襲に備えているようには見えない。

 一重に、とても簡単な獲物だった。

 

――しかし、人間は不味い。

 

 そんな概念を思い起こし、でも腹は減った……と、私は迷う。

 喰うか喰わぬか……喰わぬならば殺す必要は無いし、このまま立ち去れば良い。下手に動いて、余計に腹が減るのは困りものだ。

 私は小首を傾げ、自然と溢れてくる涎を味わう。

 決して上物が目に留まっている訳ではないと言うのに、涎ばかりは溢れん程に出てくる。()()を食せと、本能が訴える。

 有り体に言って、煩わしい。

 これを拭う為ならば、あの人間を屠る事自体は、決して無駄ではないと思わせる。

 

 しかし今は、理性が飛んでしまう程、腹が空いている訳では無い。

 腹は何時でも空いているが……つい今しがた草食獣を喰らったが故か、動く事に対する損得勘定を働かせられる程だった。

 それによると……実際の所、面倒臭いという感情が一番に出てきた。

 あんな肉もついていなさそうな人間を喰らったところで、満足出来る筈が無い。特に人間の臓物はくせが強く、そこらの草食獣の方が余程美味なのだから。

 

 諦めて踵を返そうと、私は頭を振るう。

 口内で溢れかえった涎が煩わしいのは、帰り際に他の草食獣でも喰らう事にしよう……そう決めた。

 

 と、した時だった。

 

「きゃあ!!」

 

 理解出来ぬ叫びを聞く。

 それは私の知る限りでは、人間が危機的状況に置かれた際に発する声だった。

 

 む……見付かってしまっただろうか?

 

 そう思い、半ば直角に返していた踵を正す。

 そして今一度崖下を覗き込んだ。

 

 すると、やはり先程の人間が居た。

 森林に囲まれた広場の端で、腰を抜かしたような体勢をしている。

 折角拾い集めたものを、籠ごと手放してしまったようで、形振り構っていられない様子が見て取れた。

 しかし、肝心な彼女の目は、私の居る方向を向いていない。

 

「こ、来ないでぇ!!」

 

 私には理解しかねる人語で何かを叫び、彼女はやみくもに腕を振っていた。

 その手は脇にある棒切れを掴み、投げ、草を引っこ抜いて、投げて……。

 彼女の正面には、紫色の獣がいた。

 

 その獣は少女を囲い、今に襲い掛かろうかと、喉を鳴らしていた。

 きっと腹が減っているのだろう。

 彼等も形振り構っている様子は無い。

 彼女が人間である事に、何ら警戒した様子も見せていない……いや、ただ単に知能が低いだけか。

 

 覚えは多いが、総じて筋肉で肉が硬く、悪食なのか臓物も大して美味ではないその獣。

 生態系における立ち位置は低く、群れを成して行動する覚えがある。事実、その人間の前にも、特徴的な襟巻きを持った一際大きな個体に、襟巻きが無い者が三頭、引き連れられている。

 しかしながら、体躯の大きさは私に及ぶべくもない。

 彼等は捕食される事の方がずっと多い生き物だろう。

 彼等が今、強く出ている人間が相手とて、多くの機会では屠られ、皮を剥がされている筈だ。……むしろあの少女とて、無為に襲ってはいけないだろう。人間は『復讐』をする生き物だ。

 

 しかし、どうしたものか……。

 何かするべきか、せぬべきか……。

 

 私は小首を傾げる。

 どうにもその少女自身は、紫の獣に成す術が無い様子だった。

 元より人間も、群れを成す生き物の筈だ。知恵に富んだ彼等は、道具を用いてヒエラルキーを凌駕する。……成る程、その全てを失っている人間は、あんなにも非力なのか。それは私も知らなかった。私の背筋に癒えぬ傷を付けた猛者も、道具や仲間を失えば、あんな風に情けない姿になっていたのだろうか……。

 

「いやっ。痛い! 痛いぃ!!」

 

 足を噛まれ、一際大きな声を聞く。

 小型の獣に腹を突かれ、「いや! やめて!!」と、私には理解出来ぬ声を上げる。

 

 どうやら紫の獣の食事会が始まった様子だ。

 既に少女の身体に牙が食い込み、身体を力任せに引き千切らんと、あちらこちらへと引っ張られている。ああなると、数分ともつまい。

 

 ふむ……。

 しかしこうなると、腹の虫が煩くなってくる。

 先程、一度は捨て置いた獲物だが、そこに新たな獲物がやってきて、横取りされるのは気に食わない。むしろ、私の前で獲物が減らされているのだ……決して許せた行為ではない。

 

 そうだ……どのみち涎を静める為、後程草食獣を喰らう予定だった。

 あれを変更し、あの紫の肉食獣を喰らうのも良いではないか。

 お世辞にも美味いとは言えないが、溜飲も降る(喰える)のだから、悪くはない。

 

「誰か、誰か助けてぇ!!」

 

 血に染まる人間が、不意にこちらを見る。

 視線が合って、彼女の表情は凍り付くようにも見えた。

 

 何、構う事は無い。

 人間の不味い肉に用は無い。

 私が捨て置いた(後回しにした)獲物を喰らおうとする悪食を、屠るだけだ。

 

 私は崖を崩さん程の力で跳躍した。

 喉の奥から溢れてくる涎にも構わず、腹の底から声を上げる。

 自身の聴覚器官をも麻痺させんばかりの声に、今正に食事をしていた肉食獣がこちらに気付く。その目が見開かれた瞬間には……時、既に遅し。

 

 着地の勢いに任せ、後ろ足を駆る。

 そのまま口腔を開き、こちらを向いて呆気に取られている様子の襟巻きを喰らう。

 脆弱な皮、肉、骨……咀嚼する必要性すらない。

 強靭な顎の筋肉がもたらすままに、強引に口腔を閉じれば、口内に収まりきらなかった肉食獣の肉片が、辺りに散らばり飛んでいく。

 

 ふむ……不味い。

 

 口内に広がるのは血の味。

 以前味わった個体とはまた別の味わいではあるものの、肉の臭みが酷い。

 やはり草食獣の方がずっと美味だ。

 

 私が口内に収まった肉を胃へ下すと、襟巻きの取り巻きが面を上げて威嚇してきていた。……あれは蛮勇か、はたまた長への義理か。

 彼等を屠り、喰らうのに、鳥の鳴き声すら長い程だった。

 

 ふう……。

 

 口内に残る血の味を楽しみながら、ゆっくりと最後の一呑みをする。

 ごくり。

 そうして喉を鳴らせば、同時に木が折れるような乾いた音を聞いた。

 

 うん?

 と、私は振り向く。

 

「ひっ、ひゃぁぁぁ!!」

 

 両手で顔を庇い、蹲ったような、膝を立てたような……私には出来ぬ体勢で、少女が震え上がっていた。

 腰が抜けて逃げられなかったのか、はたまた傷が痛んで動けないのか……。

 

 少女の身体には、私が今しがた喰らった獣のものか、彼女自身のものか、赤黒い血液がこびりついていた。

 それが、私の鼻腔を(くすぐ)る。

 未だ溢れ出てくる涎と共に、更なる食欲を掻き立てる。

 

 ふむ……。

 やはり、喰らってしまおうか?

 

 血の匂いは食欲を促す。

 多少の運動もしたのだから、尚の事だ。

 

 私の腹の虫が鳴ったような気がした。

 

「やだぁ……ママぁ、ママぁぁ……」

 

 少女はぐずるように泣く。

 何と言っているかは分からないが、恐怖に怯えているのはよく分かった。

 

 そう……彼女も正しく理解している。

 私は決して彼女を助けたのではない。

 ただ単に生かしただけなのだ。

 その二つの間には、満たし難い溝がある。

 

 よし、喰らおう。

 

 私は手早くそう決めると、少女の方向へと向き直る。

 その動作にいちいち反応してか、彼女はびくりと肩を跳ねさせて、顔の前にかざしていた両手を僅かに退けた……そして、表情に出てくる絶望の色。

 他の生物のそれはよく分からないが、人間のその表情ばかりは、よく覚えている。喰らうのに手間が掛かる相手だと、印象に残り易いものなのだ。

 

 じり、じり、と少女は後ずさる。

 それをたったの一歩で埋め、私は彼女に向かって後ろ足を振り上げた。

 

――ん?

 

 と、そこで私は不意に目を見開く。

 ハッとして、足を少女のすぐ横へ下ろし、自らの鼻腔が察知した気配を辿った。

 

 辺りを二度、三度と見渡して……やがてハッとする。

 

 目に留まったのは、少女が先程放り投げた籠だった。

 逆さになっていて、中に何が入っているかは、全く見えない。

 だが……私の鼻腔は、『それ』ばっかりには敏感だ。

 

 少女の事はさておいて、私はその籠へと僅かな距離を詰める。

 そして一度ばかり振り返って、何が起きているのか分かっていなさそうな彼女へ『これを貰う』と伝える。……無論、理解される訳がないのだが。

 

 やおら向き直ると、口腔を開き、籠ごと喰らった。

 

 

――っ!?

 

 

 その咀嚼の一回目で、かつて無い衝撃を覚えた。

 口内に広がる香ばしい匂い。そして軽く噛んだだけで、旨味が汁となって溢れた。

 

 ナ、ナンダコレハ!!

 

 思わず顎を震わせ、私は今一度咀嚼した。

 籠が砕け、中に入っていた他の代物と共に、口内に突き刺さるが……そんなものは気にしていられない。

 

 口内に広がるのは弾けるような香ばしさ。

 やっと直に味わえた『肉』は、これまで味わったことのない食感。

 これは……これは……本当に『肉』なのか!?

 

「あ……ハンターさんに貰った……こんがり肉……」

 

 後ろで少女が何事かを呟く。

 ハッとして振り返れば、彼女は小さな悲鳴をあげて、身を竦ませた。

 

 彼女を見詰めながら、私は尚も咀嚼する。

 溢れんばかりの汁は、未だ私の口内を満たす。

 涎の味なんて、もうどこかへ消えてしまった。

 

 ただただ見目を開いて、香りと食感、奥深い味わいに身を委ねる。

 

 何だ……何だこれは……。

 確かに肉の香りがしたが、これは果たして本当に肉なのか!?

 

――おい。これは肉なのか!? 何の肉なのだ!?

 

 と、問い掛けたいものの、私に言葉は無い。

 不意に上げた咆哮の所為で、余計に少女を怯えさせるばかりだった。

 

 いや、それどころか、彼女が我に返ってしまったらしい。

 ハッとした様子で、地面に手を突いて、よたよたとしながらも必死に、私から逃げて行こうとしていた。

 

 ま、待ってくれ!

 食べない。食べないから!

 この肉のような何かの正体を教えてくれ!!

 

 私は必死に追いかける。

 

「いや、いやぁぁ!!」

 

 少女は決死の形相で逃げる。

 

 待てと言われて待つ筈も無い。

 むしろ待てと言われているとさえ、思っていないだろう。

 彼女は被捕食者として、必死に逃げていた。

 

 ああ、くそぅ!

 思わず、私は彼女の身体を咥えた。

 

 絶叫し、暴れるのも何のその。

 そのまま噛み砕かないようにだけ気をつけて、私は踵を返したのだった。




備考
(一人称で描写出来ない設定等)

・イビルジョー
 雄。通常種。
 何処にでもいるイビルジョーの筈が、グルメになった。

・少女
 名前は……シャンヌでいいか。
 一五歳くらいで。

・紫の獣
 紫の……獣?(ジョーさん視点だから……)
 イビルジョーの牙に掛かることで有名な毎度おなじみドスジャギィ。
 密林にはいないけど、未知の樹海(下位限定の探索)にはいる。つまり、下位個体。

・密林
 主観がジョーさんだし、エリアとか詳しいことは考えてない。
 言及するつもりも無いし、そこは読者さんの脳内補完にお任せ。

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