【完結】ふぇいとほろーあたらくしあてきな?   作:劇鼠らてこ

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10月8日 (90)

 讃美歌は続いている。

 暖かな木洩れ日がざわめいたような気がして上を向いても、そこには廃墟となった教会の煤けた灰色の壁があるだけ。

 

 この荘厳な音を聞きながら、椅子に座って長い回想の終わりを待つ。

 

 シャロンの薔薇。谷の百合。

 茨の中の百合の花。林の中の林檎の木。

 

 ……ちょっとだけ昔の話。

 半年前ここにいた神父は、その言動で人の心を切開した。

 厳かに、這い寄るように。

 こちらを見るや珍しい物を見たと笑い、大きな手で頭を撫でてきた。

 まるで、懐かしき古傷を撫でさするかのように。

 

 演奏者は神父と同類。

 過程は違えど、この音楽は人の身体を撫でて行く。

 

 それが、なんとなく懐かしかった。

 

 レバノンの木。六十人の勇士。

 岩の裂け目、崖の隠れ場、滝のはじまり。

 

 心を休める、とは力熱(ねつ)を捨てる、という事だ。

 休息をとれ、と貴方は言う。

 疲れているのなら此処で羽を休めればいいと。

 

 ……余計なお世話だ。

 既に力熱(ねつ)を失った者に休めだなんて、ここで諦めろと言っているようなもの。

 

 省みてはいけない。

 助けを求めてはいけない。

 オレは、生き続けると決めたからには、ちゃんと最後まで、その生を全うしなければ。

 

 庭を囲う者よ。庭の底で葡萄を飼う者よ。

 私の耳はあなた達の声を聴く事が出来ます。どうぞ、その心をお聞かせください。

 友よ、急ぎなさい。緑溢るる丘の上で、翠の杯に水を満たしてください。

 

 

「――、あ」

 

 ふと、隣のヤツが声を漏らした。

 いつの間にか演奏は終わっていて。

 これ以上余計な事を思い出さなくていいと、ホッと胸をなで下ろす。

 

「……」

 

 と、これまたいつの間にか、オレとヤツの間に女が立っていた。

 

「やあ。お疲れ、いい曲だったな」

 

「ああ、お疲れ。涙が出そうだよ」

 

 ヤツが先に、オレが後に。

 ぱちぱちと拍手をするヤツに、女はスッと目を細めた。

 

「それはどうも。――あなた達は、音楽に関心が?」

 

「あー、ついさっき出来たところ。

 調べたなら知っているだろうけれど、割と無趣味なんだよな俺。マジメにオルガン聴いたのはアンタと知り合ってからか。

 ええと? なんだ、つまりそれぐらいアンタの演奏はお上手だったってコト」

 

「オレは好きだよ、音楽。

 心を洗い流してくれるし、心を奮い立たせてくれる。鼻歌をよく歌うくらいには好きだ。

 涙が出るほどいい曲だったよ」

 

 女――オルテンシアは一度頷いて、

 

「――聴いてもいなかったクセに」

 

 ぼそりと、これ見よがしに文句を言った。

 

「げ、バレてた?」

 

 肩を竦める。

 そう、オレもヤツも、音楽なんて聴いていなかった。

 無責任な話だと、余計なお世話だと、始めから聴く気が無かった。

 

「……確認するのですが。

 貴方は、私をもう用済みだと言いませんでしたか?」

 

「言ったけど、ここは教会だろ。用が無きゃ来ちゃいけないっていうのか。それなら、そこにいる奴だって追い出すべきだろ」

 

「……いいえ、訪れる者が迷いを抱えているのなら拒めません。

 もっとも、()()は子羊にはほど遠いですが」

 

「辛辣だなあ。けど何も言い返せないなあ。

 うん、懺悔したいコトは欠片も見当たらないんで、やっぱりアンタに用は無いや」

 

「……では、私との接点はありませんね」

 

「アレ? 貴方、ってことは……オレ子羊枠? まいったな、少なくとも神様なんかに懺悔する事なんて無いと思うんだけど……」

 

「ええ、貴女には、私から用がありますので」

 

「アッハイ」

 

 沈黙が下りる。

 話が終わった。

 

「他に用は無いのですか?」

「だからないって」

 

 問いかけに即座に答えるヤツ。

 人工無脳でももう少しタイムラグがあるぞ。

 

「わかった。じゃあアンタの話」

 

「は?」

 

「は、じゃなくてさ。

 こっちから話すコトはないんだから、そっちが話すしかないんじゃない?

 ……まぁ、ソイツの話でもいいけどさ。俺、ネタはないけどアンタの話なら聞くよ」

 

 なるほど、理にかなった話題提供だ。

 オレの話なんぞはごめんだが、オルテンシアの話ならばいいかもしれない。

 

「話はなんでもいいよ。身の上話とか趣味とか。自分が何者かを示すのは会話の基本だぜ」

 

 訊かれたくない事を訊かせないために、聞かれても良い事をペラペラと喋る自己防衛法もあるが……この二人は純粋だ。そんな手法を使うほど、自身の困窮に喘いではいないだろう。

 

 始まるのは、オルテンシアの身の上話。

 美しい話だ。

 切開を夫とした敬虔(けいけん)な彼女の母親は、苦痛に満ちた人生の最期に、主に背くほどの意義を見出したのだ。

 人生を賭した神に背いてまで自死を選ぶ。

 どれほど美しいものを見たのだろうか。

 

 話は続く。

 何も残さなかった母親が唯一残した名前。

 彼女を引き取った神父の事。教会の話。

 与えられた『祈り』。

 

 恐らくは与えるつもりの無かっただろう洗礼は、聖痕(スティグマ)という形で洗い流された。

 神父は自らの負けを認め、彼女をもっと広い世界に解き放つ。

 修道院。シトー修道院と呼ばれる名門。孤児の入れる場所ではない。

 

 だが、その聖痕(スティグマ)は彼女の価値を跳ね上げさせるものだった。

 異能は修練で身につく物ではない。

 代行者。聖堂教会は彼女を代行者の一人――つまり、教会の()()の一つとして、彼女を()()したのだ。

 

 彼女がその後も、その前にも経験してきたすべては、日々の労働と大差のないものだった。

 楽しいと言う事柄をよく理解できない彼女にとって、どのような責め苦であろうともそれは分け隔てなく「労働」となる。

 

 無心で祈ることも、無心で働くことも。

 皮肉な事に、修道院を象徴するその言葉は、彼女の人生をも象徴するものだった。

 

 

 

「ふーん。

 要するに、教会から修道院にたらい回しにされて、そこで天職を得たってコト?」

 

 その身もふたもない要約に、

 

「……ええ、そういうコトで間違いはありません」

 

 ちょっと不機嫌そうに、オルテンシアは頷いた。

 

「あー……怒った?」

 

「はい、驚きました。はじめからそう説明すればよかった。今の纏め方ですが、次から使わせてもらっていいですか?」

 

 だが、不機嫌になったのも怒ったのも、自分に対してであったようだ。

 一般人に合わせて長い説明をしてみたけれど、それで済むのならそれでいい。

 そんな情感が伝わってくる。

 

「いいよ、元からアンタの言葉だ。使いたいならジャンジャン使ってくれ」

 

「感謝します。今の簡潔さは、どれをとっても真実です」

 

 まぁ、見て分かる通り。

 今までの人生を、気に入っているのだ、この(オルテンシア)は。

 

 二人は会話を続ける。

 最後――悪魔祓いの助手としての、彼女の()()

 

 それは、ヤツの心を逆なでするものだった。

 死に至る自傷をもって人々を救う、神の使い。

 

 病気のようなものだと、治癒法はないと。

 そして、治したいと言う希望も無いと言う。

 

「――それに、私は確かに傷を負いますが、それは私の傷ではなく誰かのものです。憐れみこそすれ、恨むことはありません」

 

 ヤツの目の奥に、暗い影が宿る。

 同時にヤツの殻に、猛る熱が籠る。

 

 衛宮士郎は、我慢が出来ない。

 あの青年は、我慢が出来る。

 

 行動し、行動に選択の余地を持つ彼は、自らの欲望を殺して世の不条理を許せない善人。

 行動を許されず、縛り付けられた彼は、自らの欲望を許して世の不公平を黙殺する悪人。

 

 まるで正反対だ。

 だからこそ、似ている部分が多すぎる。

 

 オルテンシアは少しだけ得意げに話す。

 その、青年の話。

 

 苛立ったヤツと苛立ったオルテンシアを眺める。

 眩しい光景だった。

 

 オレなんかより、彼や彼女の方が――よっぽど、生きている。

 

 泣いてしまいそうだった。

 ここにはオレを慰めてくれる骨董品(オトナ)達がいないのだ。

 

 ヤツが教会を出て行く。

 ぼんやりと、視界が滲んでいた。

 

 

 

 

 

 

「その顔で、自身は子羊ではないと謳うのですか、野場飛鳥」

 

「あぁ、勿論。どちらかといえば子山羊だろう? ……あぁ、悪魔祓い(エクソシスト)の助手の前で名乗る事じゃあないな」

 

「……」

 

 ヤツを送り出し、教会の戸を閉めた後、オルテンシアはオレに向き直った。

 オレ、どんな顔をしていたんだろうな。

 

「……死に至る自傷を以て人々を救う、神の使い……か」

 

「何か、思う所が?」

 

「いや、ね……。だからこんなに泣きたくなるのかな、って。この涙は痛みや悲しみじゃなくて……安堵だ。オレは普段から羽休めの止まり木を担っているけれど、オレ自身の止まり木は半年前に無くしてしまっていてね。

 ……ここにいると、疲れがどっと襲ってくるんだ」

 

「でも、休めというのは余計なお世話なのでしょう?」

 

「うん。昔はオレも力熱(ねつ)を持っていたはずだけど……こっちに来るときに、全部無くしてしまったから。今はみんなから傷痕(ねつ)をもらって、辛うじて生きているんだ。

 休んでしまったら、オレはバラバラに溶けてしまうよ」

 

「……」

 

 言峰さんは、傷を開く存在だった。

 その存在は()()()()()()治り(消え)かけている自分の存在を、新しくしてくれる唯一の手段。

 そうだ、彼が死んでしまってから……オレは段々と、治り(閉じ)かけていたのだろう。

 

「そういえば、何かオレに聞きたい事があったんだっけ?」

 

「はい。

 ……野場飛鳥。今度、貴女の店へ行ってもよろしいですか?」

 

「あんまりここから出られないんじゃなかったのか?」

 

「あんまり、です。全くというわけではありません」

 

「……オレはいいけど、でも()()()()()

 

「ええ、あの店にいるのは魔ではありませんから」

 

 そうなのか。

 その辺の区別は、オレにはよくわからないからなぁ。

 

「己の欲望を知らず、無心に祈りと労働を続ける女。

 己の欲望を持たず、無償の愛と慈しみを与える女。

 なんだか、似ていますね。私達」

 

「似てないさ。オレにはアンタが眩しくて仕方ないんだ。それだけの意義を持っているのなら、意味が無くとも生きていられる。

 それに、アンタは既に楽しいを理解している。何も見えなくとも、何も感じなくとも、それがあるだけでオレより真っ当だよ」

 

「貴女は理解していないのですか?」

 

「違う、憶えてないんだ。()の楽しみは誰よりもオレが一番わかっているけれど、オレの楽しみは誰も覚えていない。オレですら、憶えていない。

 憶えていないのは、無いのと一緒だ。オレに楽しみはないんだよ、オルテンシア」

 

 記憶はある。どこに住んでいたのか。誰と住んでいたのか。

 誰を愛し、誰に泣いたのか。

 その全ては覚えているのに、オレの感情は全く覚えていない。

 いや、感情なんてものは……記憶するものではないんだろうな。

 

「……弱さの塊ですね、貴女は。

 傷だらけ……傷しかないから、傷つく事は無いけれど、誰にも触れられない。

 この街に住む存在の誰よりも、いいえ、この世界に住まう存在の何よりも、弱くて脆い」

 

 その言葉が心地よかった。

 言峰さんを思い起こす、その言葉が。

 傷を開いてくれる……傷を受け入れてくれるその存在が、余りに心地良かった。

 涙が出そうになる。

 

「――」

 

「ああ、そうだよ。オレはそうだ。何もできない。何も為しえない。

 ただ、止まり木だから、勝手にやってくる渡り鳥の疲れを貰う事が出来る。疲れる事が出来れば、オレはもう少し動いていられるんだ」

 

 なるほど、似ている。

 傷も疲労も『日々の労働』と大差ない彼女と。

 傷も疲労も『日々の対価』と大差ないオレ。

 歩いているか、立ち止まっているかの違いだ。

 

「ええ、ありがとう。オルテンシア、貴女のおかげで涙が止まったみたい。

 ――んじゃ、オレは帰るから。また会おうぜ、オルテンシア」

 

「――はい、また」

 

 立ち上がり、彼女に背を向ける。

 心なしか、来た時より心は軽かった。

 もしや、知らずの内に懺悔をさせられていたのかもしれないな。

 

 本心なんて、欠片も無いのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……うし」

 

 ピーンとコインを一回弾いてから、結果を見ずに掴み取って歩を進める。

 ここから先は魔窟(ダンジョン)。何が出るかわからぬ魔境。

 本来、オレが訪れる事はあってはならない場所だ。

 

 日本武家屋敷の様相を呈す、敷地面積がこれでもかと広い家。

 ピンポーン、とインターフォンを鳴らす。

 

 はいはーい、と快活な声が聞こえてきて、ガラっと戸が開けられた。

 

「どちらさまー、って……あら、野場さん?」

 

「はい。こんにちは、藤村先生」

 

 衛宮邸。

 数々のサーヴァントや数奇な運命を背負った者達が集うここに、オレは足を踏み入れる――ッ!!

 

 

 

 

 

 時刻は夕刻。

 学校の終わった時間だから、オレがここにいても何の問題もない。

 もっとも、学校の時間であればタイガーはここにいないはずなので、それにしたって問題はないのだが。

 

「粗茶ですが」

 

「あ、どうもこれはご丁寧に。ずずっ……うん。

なんかヘンな感じだな、ライダーさん」

 

「そうですね。アスカをもてなす事は、今までに一度もありませんでしたから」

 

 ブロッサムさんもすでに帰ってきているのだが、オレの用事は遠坂にある。

 一応挨拶だけはして、ブロッサムさんは自室に戻って行った。何故か、というか確実に暇だろうオレを見越して付き合ってくれているライダーさんには本当に頭が下がる。

 

「衛宮は?」

 

「まだ帰って来ていませんね。もしかしたら、凛と一緒に帰ってくるかもしれませんが」

 

「そりゃ勘弁願いたいな……。まぁ、それはそれでいいか」

 

 出来ればヤツとは接触したくなかったんだが。

 まぁ、必要な犠牲である。

 

「……」

 

「……」

 

 ペラペラと頁をめくる音が響く。

 もちろんライダーさんだ。オレは古書以外の本は読まないし。

 

 段々と日が落ちてきて、辺りが暗くなってきた――と、

 

「ただいまー……って、あら? ライダーだけ? ……なんで野場さん?」

 

 ライダーさんの背中によりかかっていたからだろう、最初は見えなかったらしい遠坂に振り返って身を乗り出して手を振ると、当然の疑問を呈してきた。

 

「おお、遠坂。ちょっと用事があってさ。明日、遠坂の家行っていい?」

 

「……いいけど、どういう風の吹き回しかしら? 骨董の引き取り依頼は出した覚えがないのだけど……」

 

「ちょっと、秘密の相談。出来れば衛宮がいない時に済ませたい」

 

「……わかった。明日のお昼でいいかしら?」

 

「ああ、十分だ。んじゃ用事も終わったし、帰るとしますかね」

 

 立ち上がる。

 これだけの用の為に来たのか、と思われるかもしれないが、仕方ないのだ。

 なんせ遠坂は機械音痴。連絡手段が無い。

 こうして直接言うのが一番手っ取り早いのだ。

 

「もう、外も暗いし……アー……じゃない、ライダー」

 

「ええ、送って行きますよ、アスカ」

 

「じゃあ、お言葉に甘えて。いつも苦労をかけるねぇライダーさん」

 

「それは言わない約束ですよ、お爺さん」

 

 小ネタを挟んで。

 何やら廊下の曲がり角で「ライダーが変な芸を仕込まれてる……」と頭を抱える存在が居た気がしたが、きのせいだろう。

 ちなみにオレとのベッタベタな掛け合いというか漫才なら、ライダーさんは十数個覚えてくれている。コンビも組めるぜ。

 

 衛宮邸を後にする。

 ばったり出会ってしまう、という事も無く、スムーズに野場邸に帰る事が出来た。

 

 ……邸、ってつけてみたかっただけだ。そんなにデカい家じゃない。

 

 

 

 

 深夜。

 と言ってもまだ22時だが、オレにとっちゃ十分に深夜だ。

 ライダーさんの帰った店内で一人骨董に向き合う。

 

「……うん。うん。わかってる。大丈夫」

 

 ぶつぶつと独り言を呟く。

 労われている様な気がした。

 お前はそんなに弱くは無いと、お前はそんなに可哀想な存在ではないと、慰められている様な気がした。

 

「……大丈夫だよ。世界は案外、オレに優しいからさ」

 

 何度もコインを弾く。

 オレの望むままの結果を出すコイン。

 豪運(これ)が、優しさの表れ。

 

「――」

 

 それは違う。

 コインが、オレを愛してくれているから……コインは望む結果を出してくれる。

 そんな妄想が一瞬頭を過った。

 

「……その方が、嬉しいけどな」

 

 世界なんてよくわからないものに愛されるより。

 骨董達に愛された方が、よっぽど嬉しい。

 

 そんな、都合のいい妄想。

 そんなこと、あるはずがないのに。

 

「……おやすみ。良い夢を」

 

 それは果たして、誰に言ったのか。

 どうか、良い夢が見られますように。

 

 

 

 


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