昨日、ライダーさんには「この三日間はバイト無しで」という旨を伝えておいた。
合宿は明日の昼からだが、初めから今日こと土曜日はライダーさんの来ない日。
であれば、三連休にしてしまうのも悪くはない。
さて。
遠路はるばる郊外の森へと連れられてきた。
ここから二時間ほど移動すると、未だかつて見た事の無いアインツベルン城に辿り着くはずだ。
そのまま進む事に何のためらいも無いのだが、なーぜか
一応、初見ではない。
ただ、見た事があるというだけの話で、対面した事はもちろん喋った事もない。多分この人今喋れないだろうし。
ので、オレを連れてきたリーゼリットに声をかける。
「リーゼリット。この人に挨拶したいんだが……」
「挨拶? ……あんまり、意味ない、と思う」
「サイデッカー」
とはいえ、相手はあの大英雄ヘーラクレースその人である。鍛え抜かれた筋肉は岩の様で、赤く光る瞳はまさに
ミーハー精神などはほぼ持ち合わせていないのだが、それを抜きにしても門番を相手に挨拶しないなんてのは礼儀を欠くというもの。
オレの失態は親の顔に泥を塗るのと同義である。何、大英雄に誇れる娘でありたいと思うのが親孝行だろう。
「えー、本日はお日柄もよく……ってほど晴れちゃいないですけど、どうもこんにちは。お宅のリーゼリットさんやセラさんにはお世話になっております」
「……」
「恐らくではありますが、オレの存在ってのはお宅のイリヤスフィール嬢に多分に迷惑をかけているかと存じますが、何卒ご容赦ください。まぁイリヤスフィール嬢はオレみたいな目の上のたんこぶなんて知らないとは思いますが」
「……」
「そういうわけでして、ええ、少々入城させていただきたいと、ええ。あ、セラさんに許可は取ってありますので、ええ、ええ。ちょいとワインセラーと蔵の方を、ええ、拝見させていただければな、と、ええ」
最高峰に目上の存在で、相手はこちらをプチっと出来る(しないだろうが)英雄だ。
自然と手を揉んでしまうのは商人の
バーサーカーさんは動かず、じっとこちらを見ているだけ。一言もしゃべらないし唸らない。
一頻り挨拶も終わったので、リーゼリットの元に戻る。
「気は済んだ?」
「おう。じゃ、行くか」
「うん」
また歩きだす。
深い深い森。ここだけ冬のドイツの森であるかのようなしんとした空気に、少しだけ身震いをする。
森全体が息をしているような……いや、正確に言えば、森全体が息を引き取ったかのような、そんな雰囲気を覚える。
ここは、オレが来る場所ではない。
「大丈夫」
前を歩いていたリーゼリットが立ち止まり、呟く。
それはオレに向けられた言葉ではないのかもしれない。
寒気が消えたような気がする。あくまで、気がする。
「……おお」
そうして、目的地……凹型の城、アインツベルン城が見えてきた。
その圧倒的な威容よりも先に、
そして、「歓迎しよう」という厳かな声を……聞いた、ような気がする。
多分、オレの共感覚や過去の経験なんかが生み出した幻聴で幻覚なのだろう。
耳朶を打つ音は無かったし、オレの目に映るのは灰色の雲の下に聳え立つ白色の城だけだ。
「大丈夫?」
「ん。お邪魔します」
「うん」
本来の城の出入り口はもっと先なのだろうが、恐らくココが……今オレの立つこここそが、このアインツベルン城という土地の敷居なのだとオレは勝手に思った。思ったので、お邪魔しますと礼を入れたわけだ。
リーゼリットの反応を見るに、合っていたとみても良いのだろう。
近づくにつれて大きくなっていく城に心を竦ませながら、同時に積み重なっているのだろう歴史に思いを馳せる。
先程のバーサーカーさんもそうだが、骨董や英霊、そして目の前の古城には、オレなんかでは計り知れない”歴史”が詰め込まれている。オレはこの、「時間」が物質として目の前に存在するという奇蹟が好きなのだ。
正門の前で一度立ち止まる。
「綺麗な城だな……」
そして、寂しい城でもある。
なんて――息苦しい場所なのだろう。
大きく息を吸って、大きく息を吐く。
ここから先はオレのまだ見ぬ場所。知ってはいるが、見た事の無い場所である。
さぁ、リーゼリットに付いて行かなければ――迷うぞッ!
「こんにちは、セラさん。お邪魔しています」
「ええ、定刻通りですね。早速ですが、検分の方をお願いしてもよろしいですか?」
「はい」
今回オレがアインツベルン城に訪れた理由は、ワインセラーと蔵にある物の検分にある。この城にワインは置いていないということなのだが、それでも過去に使っていたらしい道具諸々があるということで、死蔵するにはかわいそうな者達を連れ出してあげるという魂胆だ。
なお、まだ昼間も昼間なので、セラさんが地下への階段を怖がる素振りはない。
「相変わらず、同じ
「そりゃ、衛宮は人助けのために生きているようなものですからね。とはいえ、アイツにとってはあなた方もヒトなんでしょうけど」
「……隠すことはやめましたか」
「ええ、流石にこれほどの大御所の前で法螺を吹けるほど肝は据わっちゃいないんですよ。嘘自体、吐きたくはありませんから」
ホムンクルスである彼女たちは自然の触覚だ。
自然は嘘を吐かない。幻を見せる事はあるけれど、嘘を吐く事は無い。
それは彼女たちも同じ。だから、無理矢理嘯こうとすれば、精神を疲弊する。
吐けないというわけではないのだから。
そんな彼女たちの前で、この城の中で、オレだけが嘘を吐くなんてとんでもない事である。
「……全く、危惧していたことではありましたが……調度品達のみならず、……が懐くとは……」
「セラさん?」
「いえ、なんでもありません。……しかし、本当に鈍いですね、あなたは」
「へぁ?」
あ、あれ。
なんかいきなり罵倒されたぞ。
え、なに? さっきの一連の流れでもしかしてオレ告られてたりした? 朴念仁的な行動取ったか?
「アスカ。安心して。アスカのそれは、一生治らない」
「何も安心できなぁい」
不治の病宣言をされたぞ。
え、待って待って。オレ、自分で言うのもなんだけど自分への好意には敏感な方だと思うぞ? 悪意にもだけど。
しかし二人は待ってくれない。ちなみにさっきまでリーゼリットが一言も発していなかったのは階段の先頭を下っていたからで、階段が終わった事で会話に入り込める程近づいたというワケである。
「こちらです」
「こっち」
セラさんとリーゼリットが並ぶ様にしてオレを先導してくれる。
足元に気を付けながら、揺らめくランプの灯った煤暗い廊下を行く。
そうして辿り着いた扉は存外大きく、リーゼリットによって開けられたそこへ、手持ちのランタンが人魂のようにゆらゆらと入って行った。
後に続くオレ。
「……おー」
そこは果たして、ワインセラーだった。
規模こそそれなりには大きいが、別段変わった部分の無いワインセラー。
ワイン樽が置かれている物の、利用していないとの前言通り酒の匂いはしない。
ただ、これらは熟成には向かないだろう。見た感じ4、5回は使用されているようだし、貯蔵や保存にこそ使えるだろうが、それならば今現在に於いて樽を使う意味は無い。
これこそまさしく骨董の名にふさわしいものである。
だが、価値の方を問われると……。
「やはり、値打ちはつきそうにありませんか?」
「樽マニアがいればなんとか……と言った所ですかね。アインツベルン城自体世間に知られている城ではないので、骨董としての価値はあくまで年代物という所だけ。ですが、同年代に作られた樽なら割かし出回っていますので……」
もしこれが、「かの有名なナントカカントカ城の地下で使われていたワイン樽です!」と大々的に公言できるものであるのなら、そしてそのナントカカントカ城が有名であるのなら、その価値は膨れ上がった事だろう。
だが、アインツベルン城は世間の目を欺きまくってきた城である。
この世界の人々に、アインツベルン城の地下で使用されていたワイン樽、などと言っても首を傾げられるばかりだろう。
「なるほど、人間が重視するものは込められた誇りではなく塗り固められた名の方でしたね。それは盲点でした」
「人間は生まれた時に名づけられますからね……それはもう、目を瞑っていただくしか」
ついでに言うのなら、人間は名前の無いものは見えない、という方が正しい。
認識できない物は無い事と同じにしてしまうから。
「いえ、お気になさらず。では……戻りましょうか」
「はい。多分、ココにいる子達はココにいることが幸せなんだと思います。ここでイリヤスフィール嬢の所有物であることが、何よりもの誇りなのだと」
「うん、そう」
だから、オレの店にいる
渡るべき場所に、渡るべき人の手に。
オレの店はあくまで羽休めの拠り枝でしかないのだから。
「でも、アスカの近くは、居心地がいい」
「そりゃ、ありがとうよ」
幼いリーゼリットにそう言われるんなら、このままのオレで居続けようと思えるさな。
せめて、長い歴史の休憩地点になれるように……。
さて、アインツベルン城を抜け森を抜け、冬木市へと帰ってきたオレ。
やはり無言のバーサーカーさんには会釈をしたし、森を抜ける案内までの案内をしてくれたリーゼリットにはお礼を言ってからバイバイをした。
挨拶は忘れない。
今日は10月9日。合宿は明日。
そして今の時刻は12時ちょいすぎ。
財布に入った諭吉は7人。英世は3人、守礼門が1基、聖徳太子と新造さん2人ずつはまぁおいておいて、一葉は4人いる。
うむ。
適当に何か食べに行こう。
「そして何故港に来たんだオレよ」
おかしい。
ヴェルデにでも入って適当な食事処で昼食を取るはずが、なーぁんにもない港に来てしまった。いや、こう、惹かれるものがあったんだよきっと。
そして港にぽつねんと立っているのは間桐さん家の慎二君ことワカメである。
間違えた、ワカメこと慎二君である。あれ? 慎二君ことワカメであってるわ、うん。
「おーい、間桐ー」
「……」
「なにやってんだー? 誰か待ってるのかー?」
「……うるさいなぁ、ほっといてくれ。
だいたいね、衛宮もお前も人に声かけすぎなんだよ。こっちは自分の出番の無さを嘆いて物憂いに耽っているっていうのに、そう言う時に限ってスポットライトが当たる。で、当たった所で色物なんだろ? はぁ、ほんとう、嫌になるよね!」
腐っていた。
ワカメが腐っていた。
おかしい、前半のシリアスは何処へ消えた。
「でもお前、真っ当なシーン当てられたって熱血出来ないだろ? オレも無理だけどさ。シリアスだって、お前8歳児じゃないとへっぴり腰だし、遠坂には相手にされないし」
「おいおいおいおい、衛宮はまだエールを送ってきたっていうのに抉ってくるなぁこの女! 大体何なんだよお前! 誰だよ! 野場飛鳥って誰だよ! お前が僕を罵る資格なんかないだろ!」
ワーォごもっともです。
しょうみ、オレは間桐もしっかり尊敬しているので罵るつもりはなかったのだが、これは癖というか正しい反応というか、いやはや申し訳の無い事をしたと思う。
「……はぁ、もういいからさぁ、さっさと余所に行ってくれない?
僕は運命の相手を待ってんだよ。
僕が主役になる最後のチャンスなんだよ。
手ぶらの野場なんかに用はないんだよ」
しっしっ、と追い払われる。
うーん、今のオレでは処置なしの気が――した、その瞬間だった。
ぺかー! と、安っぽい光がオレの腰辺りで輝きを放つ。
そして、いつか夢の中で聞いたゴロゴロゴロドーン! という轟雷が鳴り響いた。
「……なんだぁ、お前……持ってるじゃん」
たちまち辺り一帯を暗雲が立ち込め、波が荒れに荒れる。
もうわかった。
引き込まれる様な意志に身をゆだねどうかしている。
オレとオレが分離し、オレだけがあちらのどうかしている世界へ引きずり込まれる。
頑張れオレ。負けるなオレ。
オレはシリアスを続けるから、オレはあのどうかしている世界へどうかしてくれ。
頑張れオレ。負けるなオレ。
無責任にもオレを送り出しつつ、閉じていた目を開けた。
「……」
そこはワカメの1枚すら落ちていない、静かな港。
ランサーさんも、アーチャーさんも、金ぴかもいない。
「……よし、帰るか」
家に帰ればなんか食いもんあるだろ。
美しい破片を眺める。
真っ黒い月は、しかし落ちる事は無い。
天の杯。ヘヴンズフィール。
天意と書いて、堕天と読む。
「……目の上のたんこぶ、ね」
今朝バーサーカーさんに自分が言った言葉を口に浮かべる。
自分の目では、目蓋の表を見る事は出来ない。
鏡を見る事が出来ないのだから仕方ないのだ。
下ではギイギイと獣が蠢いていない。
下ではギャアギャアと獣が唸り声を上げていない。
下には誰もいない。
「傷は、雨傘の外にしかないよ、衛宮」
衛宮へ告げておいて、衛宮に語りかけているわけではない。
強いて言うのなら、見えない、存在しない残骸たちにネタバラシをしているのかもしれない。
彼女はここに落ちてきた。
オレもここに落ちてきた。
違うのは、高度だけ。
「……ポエム終了。寝よう」
オレはポエマーを名乗っていいのかもしれない。
詩的表現をしすぎだ、最近。なお(自称)が付く模様。思い返して自傷に成る奴である。
「……キレイだなぁ」
嫌になる程に。
おやすみ。