ゆかりんの幻想的日常記   作:べあべあ

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どっかのコアラのマスコットではありません


4話 みすたーど○らー

 紫は居心地が悪かった。

 部屋の隅で藍をちらちらと見ている。

 先ほど言った、「実は、――ちょっと歯が痛い的な感じみたいな……」という言葉を発した時の藍の冷めた眼のせいである。その後食べた夕食もロクに味がしなかった。歯が痛いからなのか、それとも藍の視線のせいなのか。ともかく味がしなかった。

 

「はぁ……」

 

 藍のため息。

 紫の肩がビクッとなった。

 おそるおそる藍を見ると、目が合った。

 世界の終わりを悟った。

 

 ――さようなら幻想郷。

 

「……ゆかりさま?」

 

 昔の記憶が流れ出す。

 まだ小さかったころの藍。

 何するにしても後ろをついてきていた藍。

 与えた試練を達成して嬉しそうに報告してきた藍。

 冬は暖かい藍。

 走馬燈。

 

「――ゆかりさまっ!」

「っな、なにかしら?」

「……先ほど予約入れておきましたので、その日は空けておいてくださいね」

「え? 予約?」

 

 なんのこっちゃ意味が分からない。

 だが本能で察した。

 分かりたくないもの。

 

「歯医者ですよ」

「は、歯医者!? い、嫌よ!」

 

 冗談ではない。

 

「それではどうなされるつもりですか? ずっとそのまま放置するつもりで?」

「そ、それはっ」

「とにかくもう予約入れておきましたので、お願いしますよ」

「え? それって私に一人で行けってこと?」

「私が付き合う必要もないでしょう」

「いやいやいやいや、あるわよ。大いにあるわよ!」

 

 慌てて詰め寄る。

 

「考え直すべき、そうでしょ?」

「紫様もいい大人なんですから、歯医者くらい一人で行ってください」

 

 藍の視線が白い。

 

「そ、そんなこと言わなくてもいいじゃない。あのマッドサイエンティスト紛いのあの月の賢者とかいうやつなんて信じられないわ! 賢者とか名乗ってるやつにロクなやつはいないって私知ってるもの!」

「それは私もよく知っています。ですがあそこは歯医者ではなく、薬屋です。行くのは幻想郷の外の医者にですよ」

 

 そんなのは関係ない。

 歯医者に行くのを止めなければいけないのだ。

 

「あ、治るまでおやつ抜きですからね」

 

 止めが差された。

 

「え、えぇぇ!?」

「当然ではありませんか。これも紫様の身を想ってのことです」

 

 恥も外聞もない。

 紫は、藍に縋りついて懇願した。

 何とかして、この事態をどうにしかしなければいけない。

 

「……分かりました」

 

 九死に一生。

 

 ――助かった!

 

 そんな表情で、顔を上げる。

 

「どうしてもと言われるのなら、私も同行します」

 

 ――あれ? これ避けられないやつ?

 

 過去の経験的にそう判断するしかなかった。

 もう一度藍の表情を見た。

 固い。

 悟った。

 

「……分かったわよ。行けばいいんでしょ、行けば」

 

 言い切ったあと、紫は肩を落とした。

 

「……私が何をしたっていうの」

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 人目のつかない裏路地。

 空間に現れた謎の隙間から、二人の女性が現れた。黒スーツを着こなしたOL調の藍と、――幼女。

 道中。

 

「紫様。その姿はどうなんでしょうか」

「どうって何よ」

「ですから、その姿ですよ」

「いい大人が歯医者で泣き叫んでたらおかしいじゃない。貴方、そんなことも分からないの?」

「分かりますけど、分かりません」

 

 着いた。

 藍は、こめかみを抑えながら、歯医者の扉を開ける。はた目からは幼女とその親である。

 紫は待合室の椅子にぽんっと座った。椅子の質が良いためか、紫の小さな体がバウンドした。

 藍が受付を済ましている間、紫は何かないかときょろきょろと辺りを見回してみた。

 あった。

 紫は跳ねるように椅子から降りると、『ウ○ーリーをさがせ』とかいう本を取って来て、覗き込むようにしてそれを始めた。

 しばらくすると順番が回ってきた。

 

「八雲様~。診療室へどうぞー」

 

 紫はウ○ーリー探しをやめない。

 

「紫様、呼ばれましたよ」

 

 紫はウ○ーリー探しを。

 

「ゆかりさま」

 

 紫は。

 

「ゆかりさまっ」

 

 藍が紫の肩を揺らす。

 本を覗き込む紫の表情は真剣そのもの。

 しかし、瞳が固定されていた。

 

「いまさら往生際が悪いですよっ」

 

 と、ささやき声の藍。

 とはいえ、直前となれば怖いものは怖いのである。

 最後の抵抗。

 

「……八雲様としか言われないじゃない。別の八雲さんかもしれないわ」

「バッチリ聞こえてたんじゃないですか。受けつけの方は明らかにこちらを見てます。歯医者まで無理矢理連れてこられたあげく、今ここに来てまでぐずってる小さな女の子を見ているような目でこちらを見てますよ」

 

 紫が顔を上げてみると、受付の人の視線は確かにそんな感じだった。

 

「……行けばいいんでしょ、行けば」

 

 紫はふてくされたように椅子を立ち、歩いていった。

 診療室へ入ると、さっそく「キュイーーーン」とかいう音がお出迎えしてきた。

 

 ――し、新種のペットかしら?

 

 そんなわけがないことは分かっている。

 腰が引けた。

 

 ――やばい。やばいったらやばい。

 

 天を指さしサタデーナイトフィーバーしながらドリルをぶっ込んでくる竜宮の使いの一撃を口で受け止めるような所業がそこで行われていた。

 

 ――キャーナムサーン。

 

 違う。

 

 ――キャーイクサーン。

 

 そうだ、空気を読め。

 空気を読んで、実はコレ食べられるんですよとかいいながらドリルを食え。

 崖の上に立たされた気分に思考がイカレだした。

 

「はーい、こっちに座ってねー」

 

 助手っぽいのが地獄へとうながしてくる。

 その椅子、実は拷問器具ではないのか。

 座ったと同時にいきなり針が飛び出してくるような仕様だったり。

 

 ――もう嫌だ。帰りたい。だいたい私が何したっていうの。あ、チョコレート食べたい。

 

 でももう座るしかない。

 

 ――そい!!

 

 座ると、助手っぽいのが微笑んだ。

 椅子が後ろへ倒されていく。

 

「大丈夫。怖くないからねー」

 

 ――怖い。

 

「はーい口開けてねー」

 

 ――ここで私は終わる。

 

「あー、ここに虫歯あるねー」

 

 コツコツ。

 謎の器具で歯を叩かれる。

 

「あがっ、あがっ、あががっ」

 

 すごい響いた。

 

「はーいもういいよー」

 

 椅子が起き上がり、身体も起き上がる。

 

「それじゃ、すこし待っててねー」

 

 助手っぽいのがどっかいった。

 

 ――落ち着くのよ紫。賢い者と書いて賢者の八雲紫。ここが正念場よ。

 

 ドラミングするハート。

 左胸を押さえながら、うがい用の水を口に含む。

 がらがらいわせ、ぺっと吐き出す。

 

 ――口の中が紅魔館するよりだいぶマシ。

 

 気をとりなおす。

 

 ――そう、これ乗り切ればこの忌々しい虫歯とはおさらば。美しく残酷にこの口内から往ね!

 

 テンションが上がってきた。

 そんな時。

 

「嫌よ! なんで私がこんなところに来なきゃいけないのよ!!」

「静かにお願いします総領娘様。目立ってますよ」

「だってぇ!」

 

 聞き覚えのある声。

 

 ――いや、まさかね……。

 

 頭の中にとある人物が浮かぶ。

 しかし、考えている暇はなかった。

 

「――待たせちゃってごめんね。えっと、紫ちゃんだっけ? それじゃ始めよっか」

「え?」

 

 意識を遠くにやってた間に処刑人と見まごうような恐ろしい人間がすぐそばに来ていた。好々爺然とした笑みはきっと油断させてぱっくりと食べるためかもしれない。鬼だか巫女だか分からない人間もいるのだ。その類いであってもそう不思議はない。

 

「椅子を倒すよー」

 

 視界が天井の白に染まっていく。

 

 ――やっぱり私はここで死ぬのね……。藍、霊夢……、あとは頼んだわ……。

 

 目に柔らかな感覚。

 タオルをかけられたらしい。

 

 ――痛くない。痛くない。痛くない。

 

 いよいよ来た執行の時に備え、暗示をかける。

 

 ――ていうか痛いわけない。だって私賢者だもん。

 

 キュイーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン。

 聞こえてきた音に心が震える。

 ドラミングマイハート。

 ただただ時が過ぎるのを願った。

 死んだら幽々子に会いに行って慰めてもらおう。

 そう思うと、気にかかることが生まれた。

 

 ――ていうか幽々子ってあんだけ食べてるのに虫歯にならないっておかしくない? 亡霊だから? 亡霊だからなんないの? それってもう、逆に死んだ方がよくない? あの幽々子がマメに歯を磨いてるなんて思えないし。そうよ、私はここで死ぬのよ。逆に死にに来たのよ。虫歯を直すに見せかけて実は死にに来たのよ。だって私の隣には処刑人がいるもの。死神も真っ青な処刑人よ。白とか黒とかいって偉そうにしてる閻魔以上の存在よ。まさしく恐怖の権化。白黒? 虫歯のこと? そんな感じよ。

 

「終わったよー。よく頑張ったねー」

 

 ――え?

 

 目を覆っていたタオルが外され、視界が開ける。

 椅子が起き上がり、水の入ったコップを渡された。

 

「はい、うがいしてねー」

 

 おそるおそるコップを口に近づけ、水を口内に流し入れる。

 

 ――どういうことなんだろうか。……もしかして。

 

「……終わりなの?」

「うん、そうだよ」

 

 処刑人、――いや、先生の温かい笑みが見えた。

 心まで温かくなった。

 

 ――やりきった。

 

 感無量。ガッツポーズでも上げたい気分になった。

 

 ――もう最強。いや最高ね!

 

 宇宙規模の解放感に浸りながら立ち上がり、診療室から出た。

 目が合った。

 

「は?」

「え?」

 

 まさかの邂逅。

 

「あ、あんたっ! 何でこんなところにいるわけ!?」

 

 こちらの台詞とそのままいい返してもよかったが、全てから解放された紫は冴えていた。

 

「貴方こそ、このようなところでどうかしたのかしら? って、答えは一つしかないわよねぇ?」

 

 楽しくなってきた。

 

「はぁ? そんな訳ないでしょ。付き添いよ。あんたと一緒にしないでくれない?」

「ふぅん?」

 

 奥を見やるとゼ○シィを読んでる竜宮の使いが。

 確信した。

 

「どうやら私の勘違いのようでしたわね」

 

 適当に誤魔化し、あとからの楽しみを待った。

 自然と口角がつり上がる。

 先ほど聞こえてきた会話で、答えは知っているのだ。

 そんな時だった。

 

「てんこちゃーん」

 

 即座に意味が分かった。

 

「ぶふっ」

 

 思わず笑いが出た。

 天子の表情は、名前を間違われたためか、笑われたためか、これから先のことのためか、赤くなったり青くなったりした。

 

「それじゃ、頑張ってらしてね。てんこちゃん?」

 

 肩にそっと手を置く。

 

「っ!」

 

 睨まれた。

 涙目だった。

 紫の内に加虐的な愉悦が湧き起こった。

 天子の耳元で囁く。

 

「ここの先生のあだ名、知っていまして?」

「し、知るわけないでしょ?」

 

 怪しげな笑みを作る。

 

「――処刑人。そう呼ばれてましてよ?」

「う、嘘でしょ?」

 

 明らかな怯え。

 紫は、ちょっとかわいそうになってきた。

 

「窮すれば通ず。ま、案外どうにかなるものかも知れない」

 

 最後にくすっと笑い、「多分ね」と付け加えた。

 紫は実に満足した表情で、猫の写真集を読んで待ってる藍へと歩み寄った。

 

「終わったわよ」

 

 得意気な紫。

 藍が顔を上げる。

 

「そうですか。お疲れ様です」

 

 それだけ言い、藍は再び写真集に目を落とした。

 拍子抜けした紫は、妙な表情で隣に座った。

 

 ――なにか足りなくない?

 

 紫がちらっと視線を藍にやると、写真集にしか興味がないように見えた。

 戦地から帰ってきた主人に対してそれは冷たいのではないか。

 紫は即座に復讐を考え始めた。

 が。

 

「八雲様ー」

 

 受けつけから呼ばれ、藍がスっと立ち上がった。

 

 ――あぁ、もう思考が飛んじゃった。でもまぁ、あの小生意気な天人はいまごろ恐怖におののいてる頃だし。

 

 先ほどの天子の顔を思い出すと紫は再び嬉しくなった。

 今頃はもっと酷くなってるだろうと思うと、ニヤニヤが止まらない。

 そうこうしてる内に、藍が受付から戻ってきた。

 

「では紫様、帰りましょうか」

「ええ」

 

 ――まぁ、こういうのも悪くないわね。

 

 軽い足取りで、外に出た。

 外は明るく、人通りも多かった。

 自動車が行き交い、幻想郷ではまったく聞こえない音が周囲に響いていた。

 

「今度は七日後のお昼のようです」

 

 少ないながらも点々とある緑に目を細める。

 

「甘いものは控えるようにとのことです」

 

 それにしても自動車の音というのは声のような響きを持つらしい。

 

「紫様? 聞いてらっしゃいますか?」

 

 小鳥のさえずりだろうか。

 二度もあんなところに行けるわけない。

 きっと気のせいに違いない。

 

「藍? ――もしかして今何か言ってた?」

「七日後のお昼。甘いものは控える。以上です」

「幻聴かしら?」

「現実です」

 

 乾いた笑いがこぼれる。

 首を左右に振る。

 

「そんな現実、私は認めないわ」

 

 もう充分に頑張ったはず。

 紫は強い意志で否定した。

 

「あの天人がもう一度治療を受けた場合、どうされますか?」

「え?」

 

 なんのこっちゃ分からなかった。

 

「紫様が逃げたことをあの天人が逃げなかった場合、どうします?」

 

 ――なんとういうことだろうか。

 

 この従者は主人に対してこんなことを言うようになってしまった。

 

「逃げる、というのはいささかどうなのかしら?」

「と、いいますと?」

「だからあれよ、言い方よ」

「でしたら別の言い方をしますか?」

「そういう意味じゃないわ」

 

 察しが悪すぎる従者を持つと主人は困る。

 とはいえあの不良天人に負けるというのは嫌だった。

 

「……何時だったっけ?」

 

 藍は首を傾げた。

 

「だから、次の時間よ」

 

 苦虫をつぶしたような表情の紫に、藍は合点がいった。

 

「次は七日後の――」

 

 藍はほっと胸を撫でを下した。

 なにはともあれ、これで通院してくれそうだ。

 とはいえ、絶対に七日後も似たようなことになるであろうことは分かっている。藍は竜宮の使いに会えたことに感謝した。

 藍は街を見回した。

 プレゼントでも買っておこうか、そんなことを思いながら。




てんこあいしてる

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