鎮守府内での挨拶を一通り済ませた大井は、最後に大食堂へと向かう。目的はサイファーの料理だ。北上の勧めもあり、大井自身も興味がありそうだったので、大井が挨拶に回っている間にサイファーが料理の…と言っても今日は大井の出撃の予定はないので、夕食に差し支えない程度の軽いものだが…準備をしていたのだ。
「―――………おいしい! それになんだか力が湧いてくるような気がするわね。確かにこれは北上さんが推すのも納得の料理だわっ」
小分けにされた料理の一つをつまみ、口の中で咀嚼する大井だったが、程なくして快哉を上げる。それを見ていた北上も、視線で「でしょ?」と語り掛けていた。
「出撃前に料理を食すなんて、初めて聞いた時はちょっとどうかと思ったけど…今なら素晴らしい戦果が得られる気がします。これならば、この風習も納得ですね」
北上の視線に対し、大井も少し興奮気味に言葉を続ける。
「お粗末様でしたニャ。気に入っていただけて何よりニャ」
そこにサイファーが調理場から姿を現し、大井に話しかけた。
「いえいえ、素晴らしい料理ご馳走様です。ところで、サイファーに一つお願いがあるんだけど…私にも料理を教えてくれないかしら?」
おもむろに現れたサイファーに向かって大井も笑顔で賞賛の台詞を送るが、その直後に何故か大井はサイファーに料理の教えを乞うてきた。
「…どうしてニャ?」
「うふふ、意中の人に美味しい料理を作ってあげたいと思うのは乙女なら当然じゃないかしら?」
唐突な事に訝しむサイファーに、大井はその理由を口にしながら北上に視線を送る。
「えー、私の為? いやいや、流石にそれはちょっと悪い気がするなー。それなら、私もサイファーに料理を習ってみようかな…」
「…あら、それはそれでいいかもしれませんね! お互いの料理を食べ合って、あれこれと感想を述べあって、あわよくばそのまま…ふ、ふふふ…!」
「いや、そんなところまでいくかは分からないけど、お互いの料理を食べ比べてそれについて感想を述べあってのは楽しそう…かも」
こんな感じで少しの間、二人でキャッキャと騒いでいたのだが、サイファーがあまり乗り気でない表情をしている事に、大井が気付いた。
「どうしたのサイファー?」
「いや、その…」
不思議そうに尋ねる大井だったが、返ってきた反応を見る限りどうやらサイファーは大井を警戒している様だ。
「…あ、もしかして執務室での事を警戒してるのかしら? まあ、あれについては御免なさいとしか言えないわね。だって、意中の人が自分以外の人の事を楽しそうに語るなんて、嫉妬するのは当然でしょ?」
頭を下げながらそう言う大井だったが、サイファーとしても一度気迫をぶつけられた以上そう簡単に気を許す事が出来ない。今でこそ料理人を名乗っているが、元は何度も命がけの戦いを潜り抜けてきた戦士なのだから当然と言えば当然の反応だ。
とはいえ、大井としてもそう簡単に諦めるつもりは無いようだ。サイファーに手を出すつもりは無いという意思を見せるために、視線を調理場に移しながら、
「それに、もしサイファーに手を出しでもしたら、あの二人が黙っていないでしょ?」
という言葉を放つ。それに釣られサイファーと北上も視線を調理場に向けた。
そこには、調理場の手伝いをしながらも、底冷えするような光彩の無い目付きで大井を見つめている扶桑と山城の姿が…。サイファーも大井もお互いの状態を周囲に知られないために極力自然に接していたつもりではあったが、どうやら今この二人はサイファーに対して非常に鋭敏になっている様で、その感覚がいち早く大井とサイファーの間に緊張が走っている事を察したらしい。
「……ニャ」「……うわぁ」
命の危険すら感じる程に怖い扶桑と山城の姿に、サイファーは勿論状況をよく把握できていない北上までもが若干引き気味になる。調理場内にいる間宮と伊良湖も、仕事の手伝いこそ頼みはするがそれ以上は言及しないし視線を合わせようともしない。触らぬ神に祟りなし…と言ったところだろう。
実を言うとこの二人、例の映像を見ていた時も吹雪たち三人に先駆けて砲撃を行おうとしていたのだ。しかし、鎮守府内で戦艦が砲撃を行うなど、下手をすれば鎮守府という建物その物が崩壊しかねないと、提督と重巡、空母の艦娘達が必死に止めていたのだ。そのせいで吹雪たち三人の砲撃を止められなかったのだが…。
しかし、直後サイファーは大井に驚かされる事となる。
「例え雷巡になったとしても、戦艦二隻相手では流石にこっちが海の藻屑にされてしまうわ。私としても、理由もなくそんな争いはしたくないから、警戒を解いて欲しいところなんだけど…」
こんな感じで説得に掛かる大井だったが、サイファーとしては自分すら引いてしまう雰囲気を直接ぶつけられているにも拘らず、一切動じていない様に見える大井に目を見開いた。
「お、大井っち…怖くないの?」
「へ? 怖いって何がですか?」
恐る恐ると言った感じで聞く北上に、しかしあっけらかんと返す大井。どうやら本当に恐怖は微塵も感じていないようだ。
「ち、因みにニャ。もし、争わなければならない理由が出来たとしたら…?」
次にサイファーが、こちらも恐る恐るといった感じで質問をする。対する大井は、腕を組んで少し考え込んだ後、薄ら笑いを浮かべながらゆっくりと口を開いた。
「その時は………その時ね」
「―――といった感じニャ」
「…比較的マシだと最初は思ったのだが、もしかして実はかなり
「命の危険に晒されても微動だにしない…ですか。少なくとも常人の神経ではありませんね…」
場所は変わって執務室。大食堂での一部始終をサイファーが提督、大淀、吹雪の三人に聞かせる。特に何かあったら報告しろと言われた訳ではないのだが、この内容は報告した方が良いとサイファーが判断したのだ。そして、提督が執務室で仕事をしている時は、与えられた役職上大体大淀と吹雪も一緒にいる。故に、仕事中の提督に報告となると、必然この二人にも話を聞かれる事となる。
サイファーの予想通り、提督と大淀は難しい顔で言葉を絞り出し、吹雪も口こそ開かなかったが委縮してしまっているのは表情を見れば分かる。
「確かに常時は扱いの難しいお人かもしれないけど、戦闘だけに絞って言えばこれほど頼りになるお人もいないニャ」
そんな中、サイファーから出てくる肯定的な台詞に、三人は意外そうな訝しそうな顔つきをしながらその理由を視線で問う。
「例えば、吹雪さんは何のために戦うニャ?」
しかし、サイファーはその視線には応えず唐突に吹雪に質問をする。
「た、戦う理由ですか? そ、そうですね…。私は一人でも多くの笑顔を守るために戦いたいと思っています」
「心構えは見事ニャ。でも、その理由では恐らく近いうちに壁にぶつかるニャ。ボクもニャンターになりたての時は似た様な目標を掲げて何度も打ちのめされたから分かっちゃうニャ」
しどろもどろになりながらもその理由を口にする吹雪だったが、対するサイファーは渋い顔をしながら吹雪のこれからを予見する。それを聞いた吹雪は悲し気に俯いてしまった。
「吹雪さんの戦う理由も決して悪くは無いと思うのですが、具体的にどのあたりが駄目なのでしょうか…?」
「対象を不特定多数にしているところが厳しいニャ。吹雪さんは優しいお人ではあるけど、それでも見ず知らずの人達のために命がけの戦いに赴き続けるのは限度があるニャ。それに、優しいからこそ戦わねばならない相手に情が移ってしまうという事も考えられるニャ」
続く大淀の質問にも淀みなく答えていくサイファー。大淀の声色には微かに非難の色が混じっていたが、サイファーの答えには確かな説得力があったので、これ以上追及する事が出来ずに押し黙ってしまう。
「その点、全ては北上さんの為と理由がハッキリしている大井さんは強いニャ。その強固な意志は迷いという物を一切発生させない上に、死をも厭わない姿勢はどのような状況においても的確な動作を可能にするニャ。味方としては頼もしいけど、絶対に敵には回したくないタイプのお人ニャ」
「狂っているからこそ強い…か。成程、言われてみれば確かにそうかもしれん」
続くサイファーの解説に提督も得心がいったとばかりに頷く。
「とはいっても、提督さんや大淀さん、吹雪さんの考え方の方が普通であって、大井さんが大きくずれてるだけなのは言うまでもないニャ。誰だって真面目に事を成そうとする以上壁にぶつかるのは当たり前ニャ。だから…」
そう言って、未だ俯きっぱなしの吹雪に近寄るサイファー。
「今はそのまま進んで欲しいニャ。そして、もし何かあった時はボクに相談して欲しいニャ。これでも戦闘に関しては吹雪さんより先輩だから、少しは参考になる答えを提供できると思うニャ!」
吹雪を元気づけるためか、あえて己の自信を見せるために勢いよくそう宣言するサイファー。その勢いに釣られた…かは分からないが、ややあって吹雪も、
「…はい」
と顔を上げてサイファーに返事をした。
「うんうん、じゃボクは調理場で研究の続きをして来るニャ。お仕事を中断させて申し訳なかったニャ」
そんな吹雪に満足したのか、サイファーは笑顔で執務室を後にする。その後姿を提督、大淀、吹雪の三人はしばらくの間見つめていたのだが、不意に吹雪は執務室の窓から外を見遣る。
「―――………戦う…理由……」
そして、誰にも聞こえない程の小声でそう呟くのだった。