コードギアス 二度も死ぬのはお断り   作:磯辺餅太郎

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PC乗り換え時に見失っていたファイルを先日見つけたので。


もう一度、誓いを

 その子供は足元に横たわる女を見下ろしていた。

「君はいつもそうだ、肝心のところで運に見放される」

 倒れた女から広がった出血は大きな赤黒い水たまりになり、その瞳は虚ろなものになっている。

「残念だったね、コーネリア」

 コーネリア・リ・ブリタニアと呼ばれた女はもういない。

 死体がひとつ、あるだけだ。

 振り返ればそこにも魂を失った肉塊が転がっている。バトレーと呼ばれた男と、その部下たちである。

 彼らとコーネリアが表に出ることがなくなったのはいいが、頭痛の種はつきない。

()()()を逃したか……面倒だね」

 手駒のひとつを台無しにされたのは、正直なところ痛手だった。

 あれの能力はこの子供にとって、懸案事項を潰すのにうってつけの存在だったのだ。

 とはいえ何もしないわけにもいかない。

 軽く手招きをすれば、すっぽりと布で全身を覆い隠した嚮団員が彼の言葉をひとことでも聞きもらさんとばかりに屈む。

「使える子を……そうだね、四人くらいかな。オデュッセウスのおまけの連中にでも紛れ込ませて送っておいてよ」

 魔女にギアスは通じないが、まわりは違う。

 恐らくは彼女のそばにいるであろう、()()()の子も例外ではない。

 ナナリー・ヴィ・ブリタニア。

 あれは間違いなく母親と同じ、禍を呼ぶ女だ。

 C.C.の情報もあっただろうが、黒の騎士団が中華連邦の内部であれこれ細工をしているふしがあるのはこちらへの威嚇の意味もあるのだろう。本当に手を出してくる前に、潰さなければいけない。

 子供は長いため息を吐いた。

 夢を叶えることは、こんなにも面倒が多い。

 目を落とすと、魂を失ったコーネリアの肉体と目が合う。

 終わってしまったものは、どうにも気楽なものだ。

「大丈夫すぐ会えるよ」

 子供の顔に笑みが浮かぶ。

 それは、どこか疲れを感じさせるものだった。

 

 ──オデュッセウスの婚礼がご破算になる、数日前の出来事である。

 

 

 

 

 

 

 少女が外の世界を見るのは、言葉通り初めてなのだろう。

「洛陽がもうあんなに遠くに……」

 驚きで見開かれたその目は新しいものへの好奇心できらきらと輝く。

 ナイトメアから降りる少女へ手を貸しながら、藤堂はその横顔にいくつもの感情が浮かぶのを見守っていた。

 それを目にするのが自分であることにいささか後ろめたさを感じながら、ではあるが。

 事情こそ何一つ知らされていなかった藤堂ではあるが、決して察しが悪いわけでもない。

 彼女が口にした約束、それは全くの絵空事から出てきたものではない、そんな気がしていた。

 彼女がそれを口にした時の表情の柔らかさは、演技というにはあまりに素に近いものだった。

 多分、自分は『誰か』──恐らくはかの武官であろう──が果たすべきであった約束を横からさらってしまったのだ。

 己の考えに沈みかけた藤堂を、少女のつぶやきが現実に引き戻した。

 

「わたしのせかいは、あんなに小さかったのですね」

 

 笑顔というには子供らしからぬ自嘲を含んだ色を含んだそれに、藤堂は返すべきことばにひととき迷う。

 天子という地位が、この少女にとってどういうものか想像はできても理解はできない。

 正しく理解しているであろう男は残念ながら宦官らの手に落ちている。

 本来ならば、告げるべき人間は自分ではない──藤堂はそれでも口を開いた。

「世界は……いくらでも変わり、広がっていくものだ」

 それは藤堂の実感だ。

 八年前、最先端の兵器であったナイトメアフレーム部隊に対して早々に戦いを諦めていたとしたら、日本解放戦線と名を変えた旧組織の中で一歩引かず声をあげていたとしたら、ゼロに手を取らずあくまで死を選んでいたとしたら、千葉凪沙という人間にはじめから向き合っていたとしたら──選択にせよ偶然にせよ、自分の世界にはいくらでも姿を変える通過点があった。

 自分に限ったことでもないだろう。この少女は目隠しを取り、籠から一歩足を踏み出した。

 彼女の世界はすでに変わったのだ。

 籠に戻ったところで、すでに広がりを知ってしまった彼女の世界は小さくなってはくれない。

「怖くは、なかったのですか?」

 少女の思わぬ問いに藤堂は目を見張った。

 まっすぐに見上げる少女は為政者としては確かにお飾りのものに過ぎないのだろう。

 だが、その目は童のころを捨てようとしている。

 世界に踏み出し、世界に目を向けはじめた『人間』の目だ。

 

 ──それでも、恐れは捨てられない。迷いは捨てられない。

 せかいは──こわい。

 

 藤堂とて、それは馴染みのものだった。

 そうでなければ()()()()()()()()()()()()

 ぎこちない笑顔しかできない自分を自覚しながら、見上げる少女の目の高さに合わせるように藤堂は身を屈め笑いかけた。

「今でも怖いし、迷っているとも。きっと、この先もだ」

 それでも、進むしかない。止まってはいられない。

「だから、君も安心して迷って悩みなさい……その分頼りないかもしれないが、私も君の力になろう」

 できることがどれだけあるかなど、正直なところを言えば藤堂自身にもよくわからない。

 成り行き次第では明日をも知れぬ身だ。

 だが、心を決めかね状況に流された末に失うのはもう終わりにしたかった。

 少女はしばし藤堂の目をまっすぐに見つめ、やがて柔らかく微笑んだ。

「麗華、蒋麗華です。鏡志朗様……次からは、名前で呼んでください」

 

 

 

 神虎、追撃に現れたその青いナイトメアフレームは確かに強力ではあった。

 乗り手も万全であったなら──例えば本気で怒りにかられていたなら、必死であったなら、黒の騎士団のエース機もただでは済まなかっただろう。

 だが、そうはならなかった。

 皇神楽耶の入念な仕込みが功を奏し、天子の協力が得られたことが大きい。

 もちろん乗り手は並以上だ。だが、心が全力で戦いに向いていなければ、あの赤い戦鬼と渡り合えるはずもない。

 紅月カレンは──日頃と異なり頭に血が上っていない彼女は、恐ろしく的確に隙をついては堅実に神虎の力を削いでいく。それもあまり露骨ではない程度に、だ。

 神楽耶にあらかじめ強く言い含められていたせいもあって、抑制の効いた彼女は常とは違う強さを発揮している。それがどこか藤堂に似た動きであるのは偶然ではない。日頃の戦闘シミュレーションで相手になるのが藤堂くらいだったという積み重ねがある。

 彼女はやろうと思えばそういう戦い方ができる程度に日々学んでいるのだ。あまり日頃は要求されないだけで。

 

 そんな彼女を相手にせざるを得ない上に、おそらくかなり気落ちしているだろう黎星刻という男の、あまりの星の巡りの悪さに卜部は軽く天を仰いだ。

 かくいう卜部自身もあまり人ごとではない。

 まず、現在も調整の真っ最中であるこの新しい機体が気に入らない。とにかく落ち着かないのだ。

 かつてゼロがブリタニアから奪った機体、ガウェインをベースに改良を加えた蜃気楼という名のそれは、ご丁寧にも複座式という点も踏襲していた。

 つまり、卜部がナイトメアの騎手としての動きを担当するその後方には──淡々と指示を飛ばす盲目の少女が陣取っているのである。

 これで落ち着けという方が、無理だ。

 どういうわけか彼女に関する面倒ごとは、妙に自分に押し付けられることが多い。

 そもそも今の状況に引き込んだのが自分のせいであるのかもしれないが、それにしたってこのいかにもゼロ向きの機体に自分が乗るのは場違いだろうという気がする。

 どうせナナリーの駆使する絶対の防壁があるのだからゼロの扮装をしたC.C.でなんら支障はないはずなのだ。

 好みではない機体に、気が重くなる同乗者。

 空を駆ける紅蓮や月下の面影を残した機体──暁を羨ましげな目で眺めながら、卜部はため息をこらえた。

「カレンさん、ほどほどのところで仙波さんたちと交代して補給受けてくださいね」

 まだラウンズも出てきていない。一気に畳み掛けられそうな場になったらシュナイゼルはその札を切るのだろう。

 負けない勝負しかしない男だというのはナナリーの評であるが、負けても払わない系の『負けない』かもしれない。朝比奈が麻雀でよくやる──払え。

 まだ待機でほとんどすることのない卜部は益体もないことを思う。

 何しろこの状況に加えて、さっきから『声』は神楽耶も天子も見られない状況に不平をもらしまくっていて聞き苦しいのだ。

 同じように見た目は可憐な少女であるナナリーについてだが、最近は『おっかないからパスワン』とのことである。

 そこは卜部も同感であるが、現実はこのありさまである。

「はい、右翼の部隊はガンルゥが攻勢に出たら、あまり露骨ではない程度に下がってください」

 任せとけ、と威勢良く答えた玉城が真っ先に機体を大破させて離脱するのはいつものことである。扇が去った時こそ少し落ち込んでいたが、すぐに調子を取り戻したのはいいことである、多分。

 歩く砲台とでも形容すべき中華で多用される機体は、火力だけは侮るべきではないのだが小回りがきかない分動きが読みやすいし誘導もしやすい。

 そして機体のせいもあるが、何しろ指示を出す者が凡庸なのだ。彼女にしてみると数で押してくるだけで面白みも何もない相手なのだろう。声に物足りなさそうな響きがある。

 ふと、ナナリーがポツリと呟いた。

「こういうの、世間的には『ヌルゲー』って言うんでしたっけ」

『……やだもうこの子』

 卜部にはよくわからなかったが、『声』の反応からしてあまり良い表現ではないのだろう。やや険しい目で後部を振り返る。

「その物言い、絶対外で使うなよ」

 

 そこで釘をさす程度で止まるのは卜部がどうにも人がいい証拠なのだが、『声』は敢えてそこは指摘しない。関わるべき『フラグ』以外はどう転がるかわかったものではない。

 そもそも今の状況だって、干渉してすらいないのにアニメとはまるで違う。

 神楽耶はここまで悪質な根回しなどしていなかったし、天子も一時的とはいえ星刻に明らかに誤解を与えるであろう芝居を平然と打てるような少女ではなかった。だいたい彼が駆る神虎はもっと脅威であったはずである。

 いや、黎星刻という男は単なる一パイロットしてではなく、計略でもルルーシュを振り回したはずの男だったのだが、彼を大きく利したはずの地が、完全にナナリーに把握されていたのだ。

 一年ほどの逃亡生活で彼女は卜部らとともに各地を転々としたのだが、その期間を全く無駄にすることなく情報のすべてを力として蓄えていたのだから空恐ろしい。

 逆に彼の策を逆手に取り、さも不慣れな地で追い詰められているかのように装いながら斑鳩は陵墓へと進んでいる。

 ただし手段は贅沢である、無人操作の暁を犠牲の羊としているのだから。

 おかげでラクシャータがいささかご機嫌斜めだったのは『声』でもわかりやすいけどわかってしまったことなのであるが、それは余談である。

 彼をよそに少女がおどける。

「でも歯ごたえがないのは事実でしょう?」

 卜部が喉の奥で笑った。『声』にはない種類の笑いだ。

 肯定を含んだそれは、どんなに彼が平素は人が良かろうが──結局のところ、戦いを好む人間であることを示していた。

 信念やあの上官への忠誠、そういったものもあるだろう。だが八年間折れずに戦い続けられたのは、そういうことだ。

 かつてあのふわふわした世界で『彼女』は自分と卜部を『たましいの同位体』だと言った。

 どこが、というのが『声』の実感である。

 自分と卜部は──違いすぎた。

 

 演出は滞りなく進んでいる。

 ナナリーは安堵とともに次の段階へと策を進める。追いつめたという実感が生まれて初めて、あの兄はナイツ・オブ・ラウンズを投入してくるだろう。

 それは確かに黒の騎士団をいよいよ劣勢に立った()()()見せ、舞台をより盛り上げてくれることは想像に難くない。

 本当に、ディートハルト・リートという男は優秀だ。

 メロドラマの配信では無気力な様子だったが、一連の『提案』をした時は声を弾ませ意気揚々とこちらにはなかったアイディアまで次々と盛り込んでいったのは彼である。

 信頼はできない男だ。他に興味を惹かれる対象があればあっさり姿を消すだろう。

 だが、彼の満足する混乱を与える限りでは信用に足る。

 これからの仕込みも、その彼の働きが大きい。

 何事も、情報。

 一年前に知らなかったことで一番失いたくないものを失ってしまった彼女にとって、それは大きな教訓となっていた。

 

 

 

 黎星刻には世話になった義理がある。とはいえどもカレンにとって神虎というナイトメアフレームはほどよく落とすべき相手であった。

 ただし大破させず命はとらず、という難題付きであるが。

「まあ、カタログスペック通りのことしかしてこないから……いいけど」

 噂に聞いていたほどの手強さを感じないのは、間違いなく天子の『鏡志朗様』発言のせいだろう。気の毒ではあるが、おかげでことは順調に運ぶ。

 このままいけば、なんとなく拮抗しつつも押され気味になったように見える紅蓮ともどもこの青いナイトメアは斑鳩の甲板上に落ちるだろう。

「お風呂も借りたしご飯もご馳走になっておいて、ほんっと悪いんだけど、ごめんねー」

 領事館での諸々を思い起こし軽く手を合わす。あれは本当にありがたかった。

 ゆっくり入れる風呂など感謝してもし足りないほどだ。

 とはいえこちらにも事情がある。

 果たして紅月カレンは予定通りに神虎を巻き込みながら斑鳩上で派手に転倒した。

 そしてここが終点──天帝八十八陵だった。

 

 

 

 紅月カレンの芝居はそこそこのものだった。

 とはいえ、シュナイゼルにはある程度見透かされているかもしれない。ラウンズというカードを切ってくれるかどうかは完全に博打だ。

 藤堂はため息をつきそうになるのをぐっとこらえた。

 仙波からは、詫びの言葉とともに己のコクピットでの会話が、恐らくは映像つきで津々浦々に配信されたことを知らされている。

 天子を降ろしてやってからの会話まで配信されていたならば、もう逃げ出したい勢いだったが、幸いそこまではやられずに済んだらしい。

 見れば潰し合いになったとでも思いこんだのか、中華連邦の攻勢が一気に強まる。

 あまりにも単純に踊ってくれる相手に呆れながら、その中に毛色の違うナイトメアフレームを見つけ藤堂は気を引き締めた。

 全力ではないかもしれないとはいえ、()()のそれは十分に脅威であった。

「仙波、朝比奈、あしらう程度でいいことを忘れるなよ」

〈まあ許してくれる相手ではありますまい。ですが……承知!〉

〈中佐はそっち、ちゃんとやってくださいね!〉

 阿吽の呼吸で応じる部下に続いて僚機が数機飛び立つ。

 ここは時間稼ぎでいいのだ。なるべくならば犠牲は出したくない──ラウンズ相手では虫の良い願いではあるが。

 

「星刻……」

 少女の呟きに残った課題をどうにかこなさなくてはいけないことを思い出す。

 ナイトメアフレームから降ろした後はいくらお題目がお題目とはいえお役御免かと思いきや、「鏡志朗はちゃぁんと想い人に付いてあげるべきですわ」という神楽耶の圧のこもった()()()により、藤堂は麗華と供に斑鳩のメインブリッジにいる。

 周囲の目が優しいのが逆に居づらいのだが、神楽耶の命令もといお願いである、藤堂に逆らえる余地はなかった。

 それはさておきである。

 おそらくは本当の想い人であろう青年の窮地に、少女は芝居も忘れて駆け出してしまった。

 久しぶりに見る人間的な行動に、藤堂はどこか安心感を覚えながらもすぐにその後に続く。

「まったく、神楽耶様もナナリーくんも人が悪い……」

 そう、これも予想されていた展開ではある。だからこそ本来指揮に努める立場の藤堂が追うことができるのだ。

 あの二人も歳だけならば、頑是ない子供らしさがまだ少しはあっても良いはずなのだが──人の感情をきちんと理解できるというのに、それを利用することに躊躇がない。

 かの少女たちに空恐ろしさを覚えながら藤堂はあまり早すぎず、かつ助けが間に合う程度に小さな駆け落ち相手の背を追った。

 

 

 

 星刻は視界に入ったその姿に、少しばかりの喜びと最悪が訪れてしまったことを知った。

 天子が、まっすぐに自分だけを見て駆け寄ってくる──感情では喜んでしまう己がいる。だが、状況は最悪だった。

 戦場、なのである。現に今も、距離でいくらか弱まっているとはいえ着弾した砲撃の熱波がぶわりとその体を包む。

「天子様! なりません!! 御身は安全な場所に」

 言葉は抱擁によって遮られた。

「いいえ、いいえ、いいえ! 退きません、わたしは星刻を! 民を、この国を!! 見捨てたりなどしません!」

 言葉こそ勇ましいが声は震えていた。手も体も震えている。

 当たり前だ、天子は──蒋麗華という少女はただの子供なのだ。

 その、ただの子供はそれでもなお、留まり星刻の体をさらに強く抱きしめる。

「見捨てなど、するものですか……!」

 震えてはいる、だが、退くなどという選択肢ははじめから存在しないが如くに。

 

 弱く、そしてどこまでも強いその姿を嘲笑う声が響いた。

「愚か、愚か、所詮は血筋だけの小娘よ」

「駒としての価値すらもはやない、黒の騎士団ともども塵に帰してくれようぞ」

 宦官らである。情勢が有利と判断し、もはや天子がいようとも関係なく、一気に砲撃で仕留めるつもりなのだろう。オープンチャンネルで隠すこともなくただ欲に基づいただけの主張を垂れ流す。

「奸物どもが……国を食い荒らすだけの貴様らが天子様に弓を引くというのか……!」

「力こそ正道、力なきものがいくら吠えようが無駄、無意味極まりないわ」

「我らはもはや天子など必要ない、ブリタニアとはすでに約定が結ばれた、この国は、いや我らはブリタニアのもとでさらなる力を手に入れるのだ!」

 嗤いは不快なものとしてあたり一帯に響いた。

 

 

 混じり気なしの殺意を込めた目で睨み上げる星刻を、少し距離を置いて藤堂が少しばかり後ろめたい気持ちで眺める。

 彼は知っている、まったくもって窮地ではない。すべて仕込みである。

 シュナイゼルには見透かされていると思うのだが、止めようともしないあたり興味を失っているのかもしれない。

 なにしろ想像以上に宦官らが馬鹿過ぎる。わかっていないのだろうが、天子がデッキに上がってから、数こそ多いものの元々さほど高い士気が感じられない敵軍の動きが、輪をかけて精彩を欠いているのだ。囮の暁の損耗率も下がっている。

 ラウンズも牽制程度しか仕掛けてこない。こちらはゼロも紅蓮も出てこないというのが大きいのかもしれないが。

 それでもデッキは被弾の熱波が届く程度に危険ではある。星刻の警句はもっともであり、天子の怯えは本物である。

 上手な嘘をつくには、真実をひとかけら混ぜてあげることです──盲目の少女が告げた言葉が脳裏をよぎる。

 そしてその気の毒な二人の舞台はまさに最高潮を迎えていた。

 

「天子様、お願いです! どうか、どうかお逃げください!」

 そしてどちらかというと殺意のこもった目で藤堂を睨み上げ、星刻が吠える。

「藤堂鏡士朗! 貴様が天子様の思い人だというのなら、今すぐお連れして守りきれ!!」

 もっともである、もっともな言い分なのであるが、藤堂はぐっと堪えた。

「いや、私はここに留まり彼女の選択を守る。退かぬと、見捨てぬと言ったのだ…それを蔑ろにすることはできん」

 ある程度までは本心である。少女の決意そのものは本当に尊いものだと思っている、思ってはいるのだが。

 

 

(ちから)(ちから)(ちから)!いつでもついて回るのは(ちから)か!》

 ひときわ大きく響いたその声の主は──まさに舞台の奈落からせり上がるようにデッキに現れた。その背後に威容を従えて。

 

 

「ゼロ!」

 煮え切らない戦闘を続けていたスザクは声を荒げた。

 案の定時間を稼いでいただけだったじゃないかと思う程度に、準備万端と言わんばかりの真新しくどこか悪辣さを感じさせる黒いナイトメアフレームを従え、ゼロがそこにいる。

「スザク、突っ込むのはナシだぞ」

 ぐ、とスザクは呻いた。わかっている、この戦場は見せかけとは裏腹にすでに情勢はあちらに傾ききっている。報告が上がるたびにシュナイゼルが憂い顔になっていたのをスザクとて気づいていた。

 それすらわかっていなかったのはあの宦官たちくらいだろう、ある意味幸せな人々である。

「泥舟に乗る趣味はないよ……」

「なに、退く口実はこれからゼロが作ってくれることだろうさ」

 ジノの軽口にスザクは乾いた笑いをこぼした。

 

 

 ディートハルトは少し物足りなさそうな顔であれこれと指示を出している。

「仕掛けの時は楽しそうだったのになあ」

 スタッフの一人が不思議そうにディートハルトをちらりと見る。

「捨て策も全部ひっかかってくれたからな、やりごたえがないんだろう……」

 同僚の言葉にああ、という相槌と共にモニターの一つに視線を戻す。

「もうかなりの範囲で始まってますね」

 宦官らの暴言はすでにネットワークを通じてこの大国全域にばら撒かれている。

 天子という存在でかろうじて蓋されていた不平不満が、蜂起という形で溢れ出るのは当たり前の道理だった。

「すごいよな、まあそこからさらに油を注ぐのが俺らの仕事だけど」

 各地にゼロの演説が届くように、ネットワークは入念に構築されている。

 あとはゼロ次第だった。

 

 

 ゼロは──否、ゼロに扮したC.C.は肩を震わせる。

 それは怒りではない。あまりにもナナリーが予想した通りに宦官たちが愚かしいことを口走った、その滑稽さに笑いがこみ上げていたからだ。

「力こそ正道? 違うな、間違っているぞ!」

 大袈裟な身振りで彼女は演じる。仮面の魔王を──彼女のたった一人の共犯者を。

「教えてやろう正道あってこその力だと、正道なき力など……民は求めぬ!!」

 

 未だに何が起きようとしているのかわかっていない宦官たちは仮面の魔人を嗤った。

「ゼロよ、ずいぶんと青臭いことを」

「そのような単騎を従えただけで我らに対抗できるとでも?」

「もうその滑稽な仮面も見飽きたわ、さあ消えるがいい!」

 嗤い、そして砲撃を命じた。それこそが彼らの終わりの号令だった。

 

 

 絶対守護領域──名付けられたそれは、華美といえるほどの姿でパネル状のシールドを展開した。

「なんと……」

 戦闘艦の主砲を耐えきるそれに星刻は言葉を失っていた。

 

 一方、蜃気楼の中で卜部はそれでも少し背中に汗をかく。

「これ、角度が意外にシビアじゃないか……?」

『だよな、少しズレたらかなりやばい気がする』

 引き気味の『声』に同意しながら、拡散され無力化される敵艦の主砲を目の当たりにしている卜部はナナリーの反応を伺った。

「ドルイドシステムはお間抜けさんじゃありませんよ?」

 見えていないからでは、いや、この少女は見えていてもこの態度だろう。卜部は思い直し肩を落とした。

「拡散構造相転移砲……これはC.C.の合図に合わせるんだったな?」

 くすくすと笑い声が響く。

「ゼロの合図、ですよ、卜部さん」

 

 

 

「とことん救えんな……わかるか、貴様らはたった今、己の破滅を()()()()()

 

 ──見ているか、ルルーシュ。

 ──私はここにいる。お前の魔女は、ここにいる。

 

 C.C.は声を張った。

「大宦官……いや、国を食い荒らす害虫どもよ、お前らは終わりだ。ここで消えるがいい」

 それが、合図だった。

 

 

 

 ゼロの言う通り、とことんまで救えない者たちだった。

 黒い機体から発せられた砲撃により、あれだけ展開されていた部隊も宦官たちの旗艦もあっさりと沈黙させられてしまった中で、シュナイゼルはため息をついた。

 元々期待などないのだが、それにしても、どこで傍受されているかもわからないというのにああもべらべらといらぬことを捲し立て、見せかけの勝利に目を奪われ現実を判断できない愚鈍さでは生きていたところで宦官たちに未来などなかっただろう。

 シュナイゼルは背もたれに身を任せ、カノンをちらりと見る。

「枢木卿とヴァインベルグ卿はすでに帰投しました」

「ありがとうカノン、彼らは父上からの大事な預かりものだからね」

 カノンに微笑みながら、シュナイゼルはひとつため息をついた。

 そうあれと望まれたことをこなすのが彼だ。

 習慣付いたそれは野心でもなんでもない。

 今回は特段自分の負けでは無い、彼にとってそれで十分だった。

 大体、オデュッセウスについてきた姉妹らもこれ以上戦場に興味など持たないだろう。

 撤退の準備を始めながら、ふと彼は思う。

 そもそも、初めからあのゼロは自分を相手にした勝負などしていたのだろうか。

 諸外国へのアピール、それはもちろん含まれているだろうが、もっと──そう、もっと()()()()()()への示威に利用されたのでは、そこまで考えてからシュナイゼルはかぶりを振る。

 あり得なかった。

 ここまでのことをゼロは仕掛け自分は退き、世界はゼロと中華が手を結んだと知った。

 それだけの、はずだった。

 

 

 シュナイゼルはとっくに察しがついていたのだろう、ブリタニア機は撤退をはじめていた。ラウンズの姿もすでに戦場にはない。

 そしてディートハルトの仕込みは完璧だった。

 宦官自身の言葉が決定打だったのだ。ネットを、そして乗っ取ったメディアを通じて届けられたそれはくすぶっていた火薬を一気に炸裂させた。

 各地の蜂起は絶妙なタイミングで始まり広がっていき、ブリタニアへ恭順の姿勢を見せようとした体勢側を覆していった。

 元から不平を隠していた者は多い。

 そこに天子を不要と断じた宦官と、ゼロという劇薬。

 ゼロの言葉と圧倒的な力に人々は完全に魅せられ、流された。

 ()()()()()は気持ちが良い。民衆を止めるものは無くなっていた。

 

 

 

 星刻の部下の救助が済んだという報告をデッキのゼロに伝えに行ったカレンは少し思い直した。

 今のゼロはC.C.が演じているに過ぎない。

 頭ではわかっていながらも、カレンはその仕草のひとつひとつにゼロを見てしまう。星刻らと相対するその姿も、やはり彼女の知るゼロのように大仰で芝居がかっている。

 本当にこれはC.C.なのだろうか、そう思うカレンの目の前でゼロはくるりとマントを翻らせながら星刻に問いかけた。

「黎星刻よ、さて、お前はどうする」

 青年の傍で幼い少女が少し怯えた顔をする。

「天子は言ったな、国も、民も、お前もまた見捨てぬと」

 天子、という言葉で星刻の目が揺れた。

「私は、天子様に救われるにはふさわしくない…弓を引いたも同然の身だ」

 絞り出された声に、天子がなにか言い募ろうとするがその星刻当人に止められてしまう。

「お守りするのであれば、あの…藤……堂、鏡志朗、がい……るだろう」

 物凄い歯切れの悪さで指しされた藤堂をカレンがちらりと見れば、静かに瞑目していた。

 なんとなくだが、最近彼女にもわかってきたことがある。

 おそらくだが、藤堂は今相当居心地が悪く、できれば逃げたいとか思っていのだろう。

 ダメですよ、と心のうちで釘をさしつつ成り行きを見守る。

「逃げるのか、彼女の決意から」

 痛いところをつかれた星刻が押し黙る。

「彼女は籠を自らの意思で飛び出し、捨てないために、ありとあらゆる手段で行動した、それをお前は……捨てるのか?」

 それはカレンの耳に、ゼロのようでもありC.C.自身の言葉のようにも響く。

 反論しようとした星刻を遮って、天子が声を上げた。

「違うの、そうじゃないの!」

 ぽろぽろと少女の目から涙が溢れる。

「わたしは、わたしは……星刻の荷物になりたくなんかないの、星刻には……笑ってほしいの、そんな顔してほしくないの!」

 なおも言葉を紡ごうとして叶わず、少女はしゃくりあげる。

 それはもうただの泣き出してしまった子供の姿だ。

 だが、それでいいのだろうとカレンは知らず微笑んでいた。

 現に、かの青年は少女の目線までしゃがみ、優しく声をかけている。

 傍らの藤堂が穏やかに見守っているのは、この人ならそうだろうという思いがある。ゼロ、否、C.C.からもどこか穏やかな気配が感じられるのは自分の買いかぶりかもしれない。

 だが、それでも──『優しい世界』、カレンはどこかで聞いた言葉を思い出していた。

 

 

 

 

 

 

 ディートハルトの策は完全に成功、星刻の部下もほぼ全員救助。

 撤退していくブリタニア軍を見送りながら卜部は大きく息をついた。

 特に黎星刻の直属の部下を保護できたというのが大きい。散々振り回したのだ、これくらいの義理を果たせなくては立つ瀬がない。

 ずるずるとコクピットブロックの背もたれに体を預け力を抜いた卜部に、ナナリーが声をかけた。

「これでほぼ、一件落着でしょうか、これからも蜃気楼をお願いしますね」

 うぐ、と卜部は声を詰まらせる。実戦で動かしてみても印象は変わらなかった。もっと小回りがきいて自分の判断で動かせる機体の方が好みなのだ。

「卜部さん?」

『逃げられんよこれは……』

 『声』の追撃も元気がない。付き合わされるのは一緒だからだろう。

「……努力する」

 かろうじて絞り出した返事と共に顔を上げる。デッキではC.C.演じるゼロに藤堂とカレン、星刻とまだべそをかいている天子の姿がある。

 そう、この先忙しくはなるだろうが悪い方向ではない。いや藤堂は多少苦労させられるだろうが。

 ふっと笑いにも似たため息を一つこぼしてから卜部はそれに気づいた。

 

 いつからいたのか、広いデッキの目立たぬ場所に見慣れぬ子供たちの姿があった。

 ぱっと見て四人ほどだろうか──日本人では、ない。

 その子らの目がこちらをまっすぐに見据え、そして赤い輝きを、放った。

 まずい、そう思った瞬間に卜部の体は自由を失った。

 

 

 片目を赤く輝かせた子どもたち。

 名前は知らない、顔だってろくに覚えていない。

 だが、『声』はその力を知っている──視認だけで発動するほどの能力者がいることまでは知らなかったが──指をこちらへ向ける行為は何を意味するかも。

 卜部は勝手に動く体に焦っている。ナナリーは見えないながらも異常を感じ取っているのだろう。彼らの意思をよそにぎこちなく蜃気楼が動き出す、天子に星刻、カレンに藤堂、そしてC.C.扮するゼロ──要となる人間が集まったデッキへ牙をむこうと。

 自分は、どうすればいいかを知っている。

 今ギアスに支配された卜部の体なら、動かせるとわかっている。

 方法は、簡単で──。

 

 

 急に蜃気楼が、脚部からスラッシュハーケンを放った。

 卜部は直前までとはまるで違う感覚が自分の体を突然動かしたことに遅れて気づく。

「な……」

 言葉を失った先では、血と肉片が飛び散っていた。

 さっきまでいた子どもたちが、一人を除いて残骸に成り果てている。

 残った一人も意図されたものかどうかは怪しい。状況を把握できずに、ぽかんとしていたが、やがて手から何かを振り落とした。

 床で跳ねたそれは、子どもの小さな手。

 気づいた瞬間に胃の腑から何かがこみ上げてくる。

 手が、震えている。

 おかしい。

 これは──自分の感覚では、ない。

「おい……」

 胃の腑がひっくり返るような感覚も、吹き出る汗も、何もかも、自分の感覚ではない。

 だが、これを卜部は知っていた。

 ずっと昔、実戦というものを初めて経験した時──初めて、人を殺した時のそれ。

 ()の感覚かなど考えるまでもない。

 たったいま子供を肉片に変えた『声』のそれだ。

『ギアスが止まればいいって、思っただけなんだ、あんな……人が、あんな』

 ぶつぶつと呟く『声』はおそらくまわりの状況など見えていない。

 卜部はかける言葉も思いつかないまま、ただ『ギアス』という耳慣れぬ単語だけ記憶に刻みつける。

「南さん、あの区画の生き残りを確保してください。ブリタニアの工作員です」

 淡々と指示を出すナナリーの声でようやく卜部は我に返った。

 肉片と血を浴びたまま呆然としている子供が指示を受けた団員に連れて行かれるのを視界の隅におさめながら、卜部は込み上げてくる不快感を押し殺す。

 これは、自分のものではない。

『だって、ああしなきゃ、俺は……』

 呟きつつける『声』を振り払うように卜部はナナリーを振り返り、顔を強張らせた。

 

 笑って、いる。

 

「卜部さん、狐狩りを知っていますか?」

 己の手を確かめるようにさすっているのは、おそらく彼女もまた『力』の影響下にあったということなのだろう。

「こんなにうまくいくとは思いませんでしたけど。もう、巣を突き止めたも同然です」

 血にまみれ呆然としていた異能の力を持つ子供、人を殺して震える『声』。

 目の前の盲目の少女は、人ならざる彼らより──人でありながら、化け物だった。

 化け物が、卜部を()()

「ねえ卜部さん、あなたのお話し相手……『ここ』にいらっしゃるんでしょう?」

 ナナリーは、笑っている。

「そろそろ、私にもお話しさせてくれませんか?」

 

 

 

 

 

 

 蜃気楼とその周辺の慌ただしさに藤堂は通信を入れた。

「卜部、何があった?」

 激しい衝撃音は耳にしていたが、それはちょうど目を離した瞬間だったので状況がつかめない。

〈いえ……もうカタはついてますから、それより嫁さんの面倒見てやってくださいよ〉

 少し硬い声だと思ったのも一瞬で、すぐにからかうような声音に変わった卜部に藤堂はむっと口を引き結ぶ。

「お前までそういうことを……」

〈腹ァくくってくださいよ、世界中に配信されちまったんですから〉

 ため息をもらす間に通信はむこうから切られ、半ば諦め気味に藤堂は花嫁姿の少女と彼女と目が合うようにしゃがんでいる青年に目を向けた。

 少女はさっきからずっと泣き通しで、青年は穏やかに優しく彼女の言葉に頷きで返す。

 彼女の本当に欲していたもの、そのささやかではあるが叶えることができなかったそれが今ここにあるのだろう。

 藤堂は知らず笑みを浮かべていた。

 

 蒋麗華、天子と呼ばれるその少女は今度こそ本物の涙をぽろぽろこぼしている。

 ぬぐってもぬぐっても止まらない、きりがない。

 こんなことはもっと幼い頃以来だ。

「いやなの……」

 自分の目に高さにしゃがんでいる星刻の顔が涙で歪む。

 きっと困った顔をしている。

 彼女はよく知っていた。

 この青年は困った顔をして、それでもあの日──永続調和の誓いを立ててくれたのだから。

「わたしはもう、わたしのせいで星刻が苦しいのは、いやなの」

 だから考えたのだ。あの檻を壊す方法を、手段を。

「でも、そばにいて欲しくて、そばにいたくて、だから、だから」

 本当に側にいられるために、一度離れ離れになっても大丈夫、そう思い込もうとした。

「神楽耶といっぱい考えたの、一緒で、苦しくなくて、笑って、楽しくて、一緒で」

 大丈夫、うまくいく。そう思っていたけれども不安だった。

 民のため、という言葉はまださほど実感があるわけではない。

 だが自分のためだけではないことのために立ち上がった星刻に力を、そうなることをわかっていても。

 苦しむ姿を見るのは、苦しむ声を聞くことには、耐えられなかった。

「わたしは、わたしは……やっぱり難しいことはよくわからないけど、星刻に笑って欲しかったの」

 今、自分はどんな顔をしているのだろうか。きっと涙でぐしゃぐしゃでみっともない。

 涙を止めることもできない彼女の手を、大きな手が優しく包むように握った。

「ご安心ください、天子様」

 星刻は彼女をまっすぐに見る。

「私は天子様が望むなら、いくらでもおそばに仕え、笑ってみせます」

 優しい言葉だ。だが、その優しさだけでは──また彼が傷ついてしまうだろう。

 少女もまた、青年をまっすぐに見つめる。

 できること、はじめるべきことが自分なりにあるはずだった。

「星刻、じゃあわたしは……わたしはあなたが笑ってくれる世界にできるよう、がんばる」

 ほんの少しの驚きが星刻の表情に浮かび、それはたちまち心からの笑顔に取って代わられた。

 そして互いの手が束の間離れ、いつかのそれに変わる。

 互いの親指と小指を合わせる、かつてと同じ、けれどももっと晴れやかな笑顔で結ばれる──永続調和の、契り。

 

 

 少女の言葉はさっきまでのお芝居などとは違う要領を得ないたどたどしいものだった。

 だが、誓いは明確だった。

 あれが蒋麗華という少女の姿なのだ。

 言葉で伝え切れるものなどないが、伝えようとすること、受け止めようとすること、それ自体に意味があるのだ。

 誓いを交わす二人の姿が藤堂には眩しかった。

 自分と千葉は、それぞれ感情を言葉にすることすらできなかった。できないまま、終わってしまった。

 

 

「……黎星刻、君には私からも謝罪しよう」

 天子へ見せていた柔らかい笑顔をたちまち引っ込め、こちらを睨み返す青年の姿に藤堂はおかしみを覚えたが押し殺す。

 彼もまた、想いに関しては実に素直な人間だ。

「だまし討ちのようで心苦しいが、約定は約定だ。私は立場を受け入れる」

 本音の部分はともかく、建前の方はしっかりと公になってしまっている。名目上、天子の夫という立場からの逃げ道は完全に塞がれている。

 まったくもって、皇神楽耶はうまくやったものである。

 藤堂の顔に、穏やかな笑みが浮かぶ。

 憑き物が落ちた気分だった。

「だが、私は命をかけて君と蒋麗華の誓いを……いや、君たち二人を守ろう」

 二人の約束は最初は他愛のないものだったのかもしれない。それでも今に繋がったそれが、尊いものに思えて、藤堂も己に誓いを立てた。

 嘘でも偽りでも何でも利用して、その中の輝くものを守ろうと。

 

 

 天子はさりげなく名前で呼ばれたことに気づいた。

 確かに名前で呼べと言ったのは自分ではある。

 さっきは段取りに必死であまり意識していなかったが、落ち着いてみると気恥ずかしさが込み上げ、少女は頬を赤く染めうつむいた。

 一方で元々敵意しかない星刻は殺気を隠す気もなくなっている。

 頭ではわかっている、頭ではわかっているのだ。藤堂鏡志朗は誠意で応える気だと。

 だが敬愛する天子をフルネームで呼ぶのはそれとこれとは別である。普通に腹が立つ。彼女が照れているのに気づいてしまったから尚更である。

 大体こちらは守られるほど弱い人間ではない。いや天子様はお守りしなければならないが。

 それは自分の、そう、自分の役割である。

「……貴様に守られんでも我らは」

 星刻がいきり立った感情を言葉にそのままのせかけたところで邪魔が入った。

「はいはい、キリないからそこまでにしてくださいよ」

 すっぱりと打ち切って仲裁に入ったのは朝比奈だった。面倒臭そうに頭を掻いている。

 星刻の部下である香凛も慣れた様子で間に入る。すでに保護されて時間は経っている。だいたいの事情は飲み込めている。

 そして彼女もまた、星刻の『こういうところ』とは付き合いが長い。

「星刻様、天子様も今日はお疲れですし、ひとまず中へ」

 天子の名を出されるとぐうの音も出ないのが星刻という男である。

「さあ、咲世子の温かいお茶もありますから、こちらへどうぞ」

 落ち着くのを待っていたらしい神楽耶が要領よく彼らを斑鳩の中へと導いていく。

 彼らが斑鳩の中へ消えると、朝比奈が口を開いた。

「少し、安心しました」

 その視線はまだ彼らを追ったままでこちらを見るでもない。藤堂は朝比奈の言葉を待った。

「藤堂さん、今は生きてる顔してますよ」

 いつもは懐いた犬のようにまっすぐこちらを見る朝比奈が、珍しくこちらを見ない。

 その耳が少し赤い。

 藤堂はわずかにうつむき小さく笑みを浮かべた。

 朝比奈の言う通りだった。

 少女たちの悪戯めいたはかりごとの結果だとしても、そこで得たものはあった。

 

 

 自分は今、生きている。

 

 




発掘したファイルに少し手を入れただけなので、おかしい点が多々あるかと思います。
とりあえず残っているファイルも合間合間の『いい感じの戦闘が挟まってから場面転換』などのテキストを文章に置き換えたりして、おいおい追加していく予定です。

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