痛々しいと言われても、無言でお気に入りから外されても、―――――譲れないものがある。
「いやあああぁぁぁっっっーーーーー!!?」
「っっふううぅぅぅぅぅーーーーーぃ!!」
がりがりと車輪が猛る。
ルミアの駆る土塊の駿馬は、穿ち貫かれたトンネルを荒々しく爆走する。
「やめて止めて降ろして助けて………っ、!?今浮いた!浮いたわよルミアぁぁ!!?」
直線を進むのみと侮るなかれ、洞窟で舗装などされているはずもなく、不安定な凹凸がそこかしこにあるせいで揺れる跳ねるあげくにひっくり返る。
全身をあちらこちらに振り回される中、慣れ切った手綱捌きで脱落することすら許されない――――それは地獄だった。
この迷宮の全体図まで把握した私には、この暴走紛いの疾走をどの程度続けなければいけないか分かっている。
およそ三十秒。
そろそろ終わる……とは思いたいのだけれど、正直カウントしていられる余裕なんかあるわけもなく、永遠とも思えるこの苦痛が今どの辺りなのか測れない、怖ろしいことに。
走って数分の距離を縮める代償としては安いのか高いのか。
敵地に留まる命の危険と引き換えにと考えれば安い………安い?
(安いの!安いって思いこむのよシスティー―――)
「にゃああっっ!?無理無理やっぱり無理ぃぃっ!!?」
「白猫、頭低くしとけ首は振るなっ、でないと……、あ、遅かった?」
「~~~~~!!」
がくん、と予期せぬ方向に来た振動を受けて、首の後ろから嫌な痛みが走る。
涙で視界を曇らせながらうずくまる私をルミアが抱きかかえて――――飛び降りた。
主を無くした車がその勢いのまま直進し、“着弾”。
硝子とか木とか石の壁とか、もろもろが豪快に破壊される音が閉鎖された洞窟に響いた。
それがようやく目的地に辿り着き、ついでに乗り捨てられたあの忌まわしき車が敵の研究室を派手に荒らした音だと理解するのに、私はかなりの時間を必要とした。
というよりそれどころじゃなかった。
「きゅぅ………」
「白猫っ!くそっ敵の魔術師め、ひでえことしやがる……!仇は取ってやるからな!」
意識が遠い。
視界どころかありとあらゆる感覚がぐらぐらと揺れ惑っていて、ルミアが何やらロクでもない言動をしている気がするけどよく分からない。
そのまま横たえさせられた私は、すぐに霧散していく思考の中。
揺れない地面の有難さを、これ以上ないほどに噛みしめていた。
~~~実況の白猫さんが魔術師の非道な所業によって気絶してしまったため、しばらく三人称でお送りします~~~
「―――俺、参上。いい加減、馬鹿騒ぎも終いにしようぜ?」
制服を纏った可憐な女学生が、華奢な外見に似つかわしくない覇気を纏って決め台詞を吐く。
ほの暗い敵の本拠、豪快な破壊の痕跡を背景に対峙するは、爛々と洞窟生物と変わらぬ妖しい光を放つ瞳の老人。
少女よりもなお背丈の低く、ローブを纏った全身に走る皺も天然のそれとは思えない奇形。
人間として生まれ持った機能など不完全と、容易く自らの肉体の尊厳すら放棄した醜悪な外道の姿だった。
それだけに、対比として敢然と立ち向かう少女の姿はまさしく物語の一場面のように堂々としていた。
「………ボクチャンモ、流石ニソレハドウカトオモウヨ」
「ぅ、ぅぅ……ぐーるぐーる……」
目を回して魘されているシスティーナと、それが誰の所為なのかさえ見ないふりをしていれば、だが。
あと馬鹿騒ぎをしていたのは自分だけという自明の事実も、ルミアは綺麗にどこかに放り投げていた。
だから、何ら悪びれることなく彼女は話を続ける。
「傷害、監禁、あとどーせ正規の登録なんざしてないだろうから無許可無届の工房設置と甲種魔術研究、ってとこか。
大人しく自首するってんなら一発ぶん殴るだけで許してやってもいいぜ?」
「ウフフ……大キク出タネ、デモチッチャイネ。
【イクスティンクション・レイ】ニハ驚イタケド、ダカラトイッテ君ミタイナ三流魔術師ニ倒セルホドボクチャン甘クナイ」
ルミアが不敵とすれば、こちらは不遜。
諭すように、からかうように、声音を不規則に抑揚させながら語る魔術師には、侮りと嗜虐の色が大いに伺える。
それはまるで根拠の無い過信では当然無かった。
ルミアが一度合成獣に対して【ライトニング・ピアス】を使った時、彼女は三節の詠唱で呪文を唱えていた。
【ライトニング・ピアス】は確かに鋼鉄をも容易く貫通する雷速の矢という恐るべき軍用魔術だが、それだけに普及度も高く、アレンジして使う戦闘魔術師も多い。
詠唱を一節に省略し、限りなく素早く発動するなど優れた魔術師の間では基本中の基本であるのに、咄嗟の不意打ちへの対処でもルミアは正規の三節詠唱でこれを発動した。
――――つまり、この女子学生は長ったらしい高等呪文は使えても、詠唱の短縮すらロクに出来ない戦闘魔術師としては三流の出来損ないだ。
ましてこの場はこの小さな老人の本拠。
迎撃用のトラップなどはルミアの乗り捨てた車が派手に根こそぎ破壊していったが、それでもその恩恵は洞窟内にいる限り老人に降り注ぐ。
迷宮と化した地下の空洞が、巨大な法陣回路として主をアシストする。
黒魔【グラヴィティ・パニシュ】。
拷問用かつ拘束用、対象に指一本動かすこともできない超重力の負荷を掛け、破壊には脆くとも荷重には存外強い人間の肉体に死を錯覚させるほどの苦痛を与える高位魔術。
悶え転がることも泣き叫ぶことも封じ、常人ならば数秒まともな意識で苦痛を噛みしめてしまい、その後“やっと発狂できる”――――拷問用として使う場合、それすら許さずに数秒おきで解除と発動を繰り返す悪夢の魔術。
さてこの小生意気な少女は果たして何度目にどんな顔で許しを請うのか……皺枯れた表情をさらに醜く歪めながら、老人は発動に本来四節必要な呪文を一節に圧縮した。
前兆などない、ただ掲げた左手に素早く場の支援を受けた魔法陣が多層に折り重なる。
魔術師同士の戦いに開始の口上は要らない、不意打ちだなどと喚く方が滑稽な世界が予定調和に展開する―――!
「《黒き神の磔刑を》」
「――――“遅ェよ(バースト)”」
老人の重力魔術が、炸裂した。
“炸裂した”、ただ不可視の重力を展開する筈の魔術が、老人の左手を起点にマナを暴走させて。
「ギアアァァァァッッッーーーー!!??」
対峙するルミアが老人に向けてかざすのは、傲慢な人間達が築く英知の結晶たる天空の塔を、神の雷が砕く―――そんな神話のエピソードをモチーフにしたアルカナ・タロー『塔』のカード。
崩壊・破綻を意味するアルカナの中でもとびきりネガティブなその絵柄が老人の目にしかと写る。
魔導器の義手であるが故に、大量のマナがショートしたせいで奇妙な緑光を発しながらボロボロ崩れ落ちる左手を庇いつつ、確かに優れた魔術師であったその老人は己の身に起こったことの意味を直感的に理解した。
(ヤッテ、クレタナ―――――感応能力者ッ!!)
――――“ルミア=レーダス”の中に存在する、異なる精神。
“彼”の象徴とも言える固有魔術は、魔術特性ごと別の肉体と交換したせいで使えなくなってしまった。
だが『他人の魔術起動に干渉する術』に費やした研鑽までも消えた訳ではないし、インチキ裏ワザは“彼”の得意中の得意分野なのだ。
本来対象に直接接触しなければ発動できない感応能力だが、等価対応による世界の改竄が本分である魔術師ならば、そんな制限は相応の手順を踏めばクリアできる。
そうして爆発的に魔力を増幅させる能力を、発動寸前の敵の魔術に向ければ。
一の魔力を使う為の術式に装填した魔力が不意に何十倍にも膨れ上がるのだ。
結果、拳銃で砲弾を撃ち出そうとするよりも悲惨な状況が出来上がる。
固有魔術【智慧の決壊】。
敵の魔力を自らの感応能力で増幅しようなどという、ルミアにしか扱えず“ルミア”以外に考え付く筈もない、まさしく彼女だけの呪文であった。
そして。
確かにエネルギーに干渉する黒魔術への適性が低いルミアには詠唱を短縮した攻性呪文は使えない。
だが、“彼”と違い精神や肉体に干渉する白魔術への適性に優れた“ルミア”であれば。
「《出直してきな・三流未満が》―――!!」
二節な上に適当な罵声に変換した呪文でも身体能力向上の白魔【フィジカル・ブースト】は発動する。
肉食獣以上の瞬発力を持った肉体が、たった一歩の踏み込みで風を切って跳躍する。
勢いよくミニスカートを翻し、大きく開いた脚が旋風の如く互いを振り回し。
「クッ……《炎―――、!?」
「―――馬鹿が、くたばれ!!」
咄嗟に迎撃の魔術を繰り出そうとした老人を嘲るように、【智慧の決壊】を発動する魔導器である『塔』のカードをチラつかせ……先の暴発がフラッシュバックして躊躇したその顔面に、鋭い空中回し蹴りを叩き込む。
敬老精神など当然欠片も存在しないルミアの蹴りは小さくローブに覆われた体を地面に叩きつけ、二度バウンドさせた挙句に壁に貼り付けた。
流石に脳幹くらいは人間のものだったのか、それとも流石にこれを耐えるほど頑丈な体ではなかったのか、壁をずり落ちた老人はそのまま痙攣しながら白目を剥く。
「――――、シマシマ」
着地して膝を折り曲げた体勢のまま、何かを言い残して完全に気絶したのを見届けて警戒を解いたルミアは、何を思ったかおもむろに自分のスカートをめくってその下を確認する。
暗い洞窟内にルミアの眩い太ももと例のアレが露わになるが、悲しいかな本人以外にそれを眺める他人は二人ともルミアが気絶させたままであった。
いや、一応老人は気絶する直前その至福の光景を目に焼き付けたのだろうか。
「下着で興奮するとか案外まっとうな性癖も残してたんだな、あのエロジジイ」
やれやれと首をすくめたルミアは、【マジック・ロープ】で老人の手足を封じ、【スペル・シール】を付呪(エンチャント)して老人の魔術を封じ、【スリープ・サウンド】を重ねて掛けた。
それから全裸にひん剥いて、さらに亀甲縛りに縛り上げ、全身に落書き―――は肌に皺が寄りすぎて上手くできなかったので仕方なくどこからともなく取り出した『下着フェチ』と書かれた紙を股間に貼る。
「やれやれ、魔術師の捕虜の扱いはこれだから厄介なんだ」
セリフの割にとてもいい笑顔をしながら額の汗を拭く仕草をして、ルミアはこの洞窟を脱出すべく管理人用の抜け道の手掛かりを探して部屋を物色し始めた。
ついでに目ぼしいものを腰のポケットに忍ばせるコソ泥みたいな様子をシスティーナが目を覚まして見咎めなかったのは、幸運だったのかもしれない。
「ま、大人しく降参しなかったから殴るんじゃなくて蹴り飛ばしちゃったし?
臭い飯食う前にいいモン見れたってことで、代金はもらってくぜ?」
~~~引き続き白猫さんの実況で『ロクでなし魔術生徒の残念王女』をお楽しみください~~~
もう何週間かぶりに見るような気がする太陽の光が木の枝を通って優しく降り注ぐ。
無事私達を閉じ込めた魔術師を撃破したらしいルミアに連れられ―――ロープで引きずられている元魔術師らしき物体については気にしないことにする―――、二人で洞窟を脱出できた。
「そういえば、ビックス達は?」
「それなんだよな……まだ洞窟の中にいるんだろうが、このジジイから目離すわけにもいかないし、かと言って片手間で捜索と救出できるようなもんでもなさそうだし」
忘れていた訳ではなさそうで、偶然か操られてか私達をここに連れてきた男子四人についてルミアは悩ましげに指を擦る。
「学生とはいえ魔術師だから自棄起こしてなけりゃ数日は保つだろうし、これ官憲に引き渡すついでに救助依頼出すのが無難か?」
「――――その必要は無い」
ルミアの思索に対する返答は、とても落ち着いた大人の男の人の声だった。
当然私のものではないその声の方向に振りかえると、木々の間から背筋を正した軍服姿の長身の男性が姿を現す。
「アルベルト!?」
「久しいな、ルミア=レーダス」
「お前なんでここに………って聞くだけ無駄だよな任務バカ。お目当てはこれか?」
ルミアの知り合い、というよりはさらに打ち解けた雰囲気。
以前会ったセラという女性に対するものにどこか通じた気安さで、ルミアは掴んだロープをくいっと示す。
グェ、と謎の物体がうめいた気がするけど気のせいということにしておこう。
見るからに寡黙でまじめそうなその男性も、どこか雰囲気を和らげてルミアに頷いた。
「俺に与えられた使命はその魔術師の確保、不可能な場合は抹殺だ」
「抹殺、って……」
旧交を温めるかと思いきや不意を突くように現れる物騒な言葉、状況を考えれば場違いなのは私の方であることを理解していながら、それでも背筋に寒いものを感じてしまう。
そんな私の頭にぽん、と手を置いて、ルミアはロープの先をアルベルトという男に預けた。
「はいはいこんな枯れた年寄り一匹いくらでも持ってけ。で?」
「心配するな。民間人はお前が暴れている間に別の場所から脱出させている。
迎えの後方要員が野営地に先に護送している手筈だ」
「それで俺は矢面に立たされた訳か。ったく、楽しやがって……」
「そう言うな、お前が居合わせたおかげで犠牲が出ることなく事態が収拾した。礼を言う」
「~~っ!!?やめろよお前が素直に礼なんか言うから鳥肌立っちまったじゃねーか!?」
「そうか。ならば撤回する。
――――任務でもないし“貴様がらみの”案件でもないのに御苦労だったな、おかげで大層楽をさせてもらった」
「いい度胸してんなてめえ……!」
(どういう関係なのかしら、この二人……)
この男の人は明らかに只者ではない底知れない存在感を持っているのだけれけど、それを全く意に介さずきゃんきゃんと喚き立てるルミアを止める気にもなれない。
止めたら邪魔をしてしまうことになる、みたいな感じがして。
俗に言う悪友、みたいな感じなのかしら、今まで周囲に無かったタイプの人間関係だから自信がない。
とりあえず、男女間の甘酸っぱい何かではないのは断言できるけど。
「ふん、じゃあさっさとこのジジイ持って帰れ。
あばよ、せいぜいくたばんないよう気をつけな」
「それはこちらの科白だ、せいぜいその小奇麗な顔に傷の一つも付けないよう気を払っておけ」
切り替えの早いルミアがひくつかせた口元を戻し、ぽんぽんと短く事務的なやり取りと確認を終えると、今度はあっさりと憎まれ口で解散みたいな流れになった。
長い黒髪の似合う怜悧な美青年が亀甲縛りの老人(下着フェチ)を担いでいく奇妙な光景を見送り、いまいちついていけない私はルミアに問いかける。
「いいの、ルミア?昔の知り合いみたいだったし……」
「そっちこそ良かったのか、白猫?」
「??なに、が………、あああぁっ!?」
質問に質問を返され、一拍遅れて私は気付きたくなかったことに気付いてしまった。
あの人に付いていけば、ビッグス達と一緒に護送される――――つまり、馬車か何かで帰ることができたかもしれないことに。
ここからフェジテまで歩いて帰れば日が暮れる。
ルミアとの同行を選択してしまった私の交通手段は………悪夢の【グラウンド・クルーザー】。
「る、るみあ……絶対にスピード出さないでよね?ルミアはそんなことしないわよね?」
「さて、今日は大変だったし、一刻も早く白猫をおうちに帰してあげないとなぁ~」
「やめてえぇっっ!!?」
もはや触れるだけで体が震えだしてしまう恐怖の乗り物の上でひたすら体を丸めるしかない帰路。
休日のちょっとした冒険は、もう暫く続いてしまうようだった――――。
それにしても前回のあとがきにあんなこと書いといて視点切り替えを使ってしまうSS書きの屑である。
でも戦闘シーンくらい存分に厨二臭く書きたいんだ………。