メドゥーサが逝く   作:VISP

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生前 激闘ギリシャ神話編
第一話 メドゥーサが逝く


 気づけば、ギリシャ神話世界へと生まれ変わっていた。

 気づけば、女神になっていた。

 名前は、メドゥーサだった。

 気づけば、双子の姉達に虐げられていた。

 理由は知らないし、知りたくもない。

 こんな状況になっては、知った所で意味もない。

 こんな状況で、思う事はただ一つだ。

 

 もう、たくさんだった。

 

 蛮人/英雄と化け物/神々が好き勝手する世界は、嘗て平和な日本で育った自分には余りにも野蛮だった。

 姉達にしても、そうして虐げるのが彼女らなりの愛情だとしても、前世における兄弟達とのやんちゃだが穏やかな日々に比べればやはり自分勝手で傲慢で我儘かつ一方的なものだった。

 とてもだが、自分は彼らの流儀についていけなかった。

 そのせいで、最早趣味どころかライフワークとも言えるかつての日本の食文化の模倣に傾倒しても仕方ないのだ、うん。

 魂:日本人なら、味噌と醤油とご飯が無ければ生きていけないのだよ。

 他にも色々と頑張ったが…あの文句ばかりの駄姉共は勝手に漁っては文句しか言わないが。

 まぁ例外として、技術や芸術に魔術等の文化に関しては、とても素晴らしいと素直に思ったが。

 

 そんな訳で、私はギリシャから出る事を決意した。

 とは言え、ここは神話の世界だ。

 物理法則が未だ安定しておらず、神秘が幅を利かせている。

 しかも、あの型月時空なのだ。

 どんな鬱フラグが潜んでいるか、見当もつかない。

 故に、私は表向きは他の神々や人間達と諍いを持たぬようにしながら、この世界から去る事を選んだのだった。

 

 とは言え、簡単な事ではない。

 勿論この世界、つまり型月世界から元の世界に戻ると言う事ではない。

 それは第二魔法の領域であり、それこそあの宝石の翁位しか出来ないだろう。

 あくまでこのクソったれなギリシャ世界から去る事が目的だ。

 要は別の神話・伝承世界へと去る事が目的なのだ。

 とは言え、同じヨーロッパ系の伝承の世界で近場となると最高神がヤリチンのゲスなギリシャ以外だと、世界の破滅が約束されている北欧神話、the修羅道なケルト神話だが…無いな、うん!(白目

 ウルクはもう終わってるだろうし、インド神話はどう考えてもNGだしなぁ…エジプトは気候が厳しすぎる。

 後はマイナーな所だと、エスキモー・イヌイット神話だとか、フィンランド神話とか、スラヴ神話だとかだが…うん、五十歩百歩だな!(白目

 と言うか、どうして神話世界はどれもこれも平和に暮らせないんだろうな…(遠い目

 しかもこれに型月要素が+されるんだぜ…?(震え声

 

 取り敢えず、比較的マシな神話世界に移動する方法を開発或は見つけるまでは、何処か人知れぬ場所で暮らすのが一番だな、うん。

 一応時間経過で比較的マシなローマ神話に変遷するだろうし、自分の怪物への変化さえ対処すれば、後は何処か隠れ家で静観しよう、そうしよう。

 

 斯くして、「私」の旅路は始まった。

 

 当たり前の様に、旅は苦難の連続だった。

 そもそも現代日本における一般常識・教養は持っているが、それ以外に手持ちのものは美貌と神性から来る身体能力位しかない。

 それとて姉二人の様な完全な無力に比べればマシだとは言え、それでもギリシャを牛耳るオリュンポスの神々とは比べる事も烏滸がましい程度の能力しかない。

 人の英雄と比べれば力は上だろうが、それでも人の英雄の中でも上位に位置する者なら歯牙にもかけられないだろう。

 しかも、後世で語られる怪物としての力は持っていないのだ。

 なので、力と知恵を手に入れるには、誰かに弟子入りするしかない。

 最初は目についた人間に対価を示す事で知恵や技術を習った。

 それは主にあの形の無い島で適当に拾った物品が主で、地道に金目になりそうなものを集めたのが意外と役に立った。

 だが、職人からも魔術師からも、秘奥と言うべきものは教えてもらえない。

 まぁそれは仕方ない。

 それは彼らにとって飯の種であり、我が子や正式な弟子に伝えたいだろうから。

 しかし、このままでは自分の目的が果たされないので、どうにかして彼らの秘奥かそれに匹敵する業を身に付けたかった。

 そこで形の無い島にいた頃に仕込んでた「もの」を手土産に、ちょっと冥界に心当たりを訪ねる事にした。

 

 「ほほぅ、それで妾の下に参ったのかえ?」

 

 月と魔術、幽霊、豊穣、浄めと贖罪、出産を司るとされる、冥府での最高神たるハデス夫婦に次ぐ権威を持った冥府神の第三席。

 黒い薄衣を纏いながら、白く怪しい雰囲気を、死の香りを纏った美しい女神。

 

 「はい、御身の智慧の欠片でも身につけたく。」

 

 礼儀を正し、謁見の作法を守る。

 この身体の外見は未だ少女のそれとは言え、神々には外見年齢など在って無きが如し。

 失礼を働けば、どんな呪いをかけられるか分からない。

 とは言え、彼女程の智慧を持つ存在なら、こちらの魂胆などまるっとお見通しの筈だ。

 敵意も何も無い事を示し、贈り物で気を惹く位しかやりようがない。

 

 「妾は女魔術師の守護者。故、魔術を修めんとする者を拒む門は無い。無いが、故にこそ対価が無ければならぬ。」

 「承知しております。」

 

 魔術の原則、即ち等価交換。

 だが、こちらに払えるようなものは無い。

 

 「ですので、暫し厨房をお借りしたく。」

 「ほう?」

 「私どもが御身のお食事をご用意させて頂きます。」

 

 きょとん、と恐らくギリシャ神話内で最上の魔術の神が目を丸くした。

 

 「そなたがか?」

 「はい。」

 

 二度目の問いにはっきりかつ短く答える。

 

 「アハハハハハハハハハハハハハハハハハッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッッ!!」

 

 それを聞いた途端、女神は爆笑した。

 

 「くっくくくくく…!よろしい、厨房を貸してやろうっ、疾く行くと良い…!」

 「ありがとうございます。では暫しお待ちを。」

 

 そう言って御前を辞する。

 さーて、この世界に転生して早100年、その間に貯蓄した各種調理スキルをあの駄姉以外にお見せする時が遂にやってきた。

 

 

 

 

 ……………

 

 

 

 

 当初、その女神は適当な理由を付けてお引き取り願う予定だった。

 起源こそ自分同様に古くても、今では自身に比べる事も出来ない女神。

 この冥府にまでやってくる根性と度胸は評価に値するが、逆に言えばそれだけだ。

 特にこれといった権能も無いのだし、人の子の様な事をしていないで自助努力で何とかしてほしい。

 しかも、対価を求めれば、出てきたのは料理だった。

 余りの事態についつい爆笑してしまった。

 だが、愉快ではあったので、呪いとかは何もしないで追い返すに留めてはやろう。

 率直に言えば、面倒だった。

 それがヘカテーの意思だった。

 少なくとも、この時点においては。

 

 「……?」

 

 だが、不意に鼻孔を擽る香りに、注意が寄せられる。

 それは経験のない香りだった。

 単に肉や野菜を調理しただけでは決して発しない、複雑かつ芳醇な香り。

 それが何なのか分からないまま、料理は完成した。

 

 「出来ました。どうぞお召し上がりください。」

 

 それはお世辞にも綺麗な見た目とは言えなかった。

 皿に盛られたとろみのあるスープは濃い茶色で、そこに色取り取りの野菜とよく煮込まれて柔らかくなった牛肉が浮いている。

 だが、芳醇な香りを発するのは具材ではなく、その汚い色のスープだった。

 

 「この料理は…?」

 「赤ワインの牛肉と野菜煮込みです。私はビーフシチューと呼んでいます。」

 

 成程、この芳醇な香りと変わった色合いはワインと牛肉から来ていたのか。

 それならまぁ納得できる。

 正直、期待はしていなかったのだが、これはちょっと楽しみになってきた。

 

 「ふむ……!」

 

 とろみのある汁を匙で掬い、口に運んだ。

 その途端、口の中に広がるのは濃厚な味わいだった。

 

 (これは…!)

 

 赤ワインだけではない。

 複雑な味が溶け出しつつも調和の取れたスープは、知恵の女神であるヘカテーをして未知のものだった。

 肉と野菜、それら双方の味が溶け出しながらも凝縮され、更に赤ワインと何か酸味のある食材によって味が引き締まっている。

 それがややこってりとした味わいのスープを飽きさせず、もっともっとと口に運ばせる。

 何なのだ、これは。

 

 「…………!」

 

 牛肉。

 下々では滅多に食べられない食材だが、神々であるヘカテーにとっては何という事の無い食材。

 とは言え、その硬さに辟易して、ヘカテーはもっぱら肉と言えば鳥が多かった。

 なのに、このホロリと崩れる柔らかさはどうだ。

 スープと絡まり、美味さを増したそれは決して硬くない。

 本来なら筋が残る筈の部位でも柔らかく、噛めばあっさりと砕けてスープと溶け合う。

 野菜。

 ニンジンと山芋、ブロッコリーが簡単に一口で食べられる程度の大きさで入っている。

 人間にとっては多少珍しくはあるかもしれないが、それだけの食材だ。

 だと言うのに、それらは全て本来の味を十二分に引き出して、このスープの中でも己の存在を主張して憚らない。

 そして、噛めば本来の甘味と共に、やはりトロリと崩れてスープと溶け合う。

 

 「?」

 

 不意に、スープの中に赤い色を見つけた。

 他の具材よりも更に柔らかいそれは、スプーンで掬うにも苦労しそうだ。

 

 「……。」

 

 口に入れて納得する。

 そうか、これが酸味の正体か。

 舌触りから、それがナスの類だと辛うじて分かる。

 だが、味らしい味が無いか苦みが強いかのナスの類にここまで酸味が強い種類があったのかと驚く。

 成程、この野菜こそがこのスープを成立させている調停役なのだと納得する。

 他の赤ワインや牛肉、野菜だけではこうはならなかった。

 無くても確かに美味だろう。

 しかし、この後味として残る僅かな酸味が無ければ、途中で参る者もいるかもしれない。

 完全に計算し尽くされた料理だった。

 この様な料理を、ヘカテーは知らなかった。

 

 「………。」

 

 後は夢中になって匙で掬い、ゆっくり咀嚼し、飲み込む。

 決して下品にならないように気を付けながら、もっともっとと口を動かす。

 やがて皿が空になり、匙では掬えなくなると、口元を布で拭ってから言い放つ。

 

 「次を持って参れ。」

 「はい、畏まりました。」

 

 結局、ヘカテーは初めてのビーフシチューを11皿食べた。

 

 

 

 

 ……………

 

 

 

 

 結果だけを言えば、私は無事ヘカテー様に弟子入りできた。

 とは言え、基本的に月や冥府におられるヘカテー様と常に一緒にいる事は難しいし、うっかり冥府の食べ物なんて食べようものならそこの住人にならなければならない。

 なので、基本的に出された課題を私がこなしつつ、三日に一度は冥府に赴き、ヘカテー様にお料理を作る事となった。

 

 あの日お出ししたビーフシチューがヘカテー様は殊の外お気に入りで、定期的にビーフシチューを出さないと臍を曲げてしまうようになってしまったが、それは些細な事だろう。

 あのビーフシチューは今の自分が再現に成功した料理の中でも自慢の一品だった。

 現在のヨーロッパにある食材で、日本で食べたビーフシチューを再現する。

 困ったのはジャガイモとトマトだ。

 どちらも大航海時代以降、南アメリカ大陸から輸入した食材であり、当然ながら神話の時代のヨーロッパには無い。

 なので、代替食材を探した。

 ジャガイモは山芋の類で粘り気の少ないものを皮剥きした後に水に晒して滑り気を取ったもの。

 トマトは同じナス属の野菜の中から酸味の強いものを10年以上かけて人工交配させて作った特製品。

 更に磨り潰した野菜と赤ワイン(自家製)、牛筋肉をじっっっくりと煮込んだデミグラスソース。

 それらを使った特別中の特別だ。

 再現に成功した時は思わず嬉し泣きしてしまったものだ。

 

 最近は魔術の修行を応用して加工も楽に行えるようになったおかげで、更にレパートリーも増やせた。

 何か当初の目的とは異なるが、現状には満足なのでこれはこれで良いのだろう。

 さぁ、今日も課題を頑張ろう!

 

 

 

 

 ……………

 

 

 

 

 メドゥーサ(偽)は知らない。

 後に、様子の可笑しな従姉妹の様子を探るために冥府に来たアルテミスが匂いに誘われ、ついついビーフシチューをつまみ食いしてしまい、それに惚れ込んだアルテミスにより鍋ごと強奪される事を。

 激怒したヘカテーがビーフシチュー奪還及び報復のためにアルテミスと本気で殺し合いを始める事を。

 仲裁したハデスとポセイドン、ゼウスにより、メドゥーサの料理の腕が広く知られてしまった事を。

 ものは試しとゼウスが無理を言って料理を振る舞う事となったメドゥーサが、大人数相手だと言う事で慌てて作った各種串カツ(辛子・とんかつソース付き)とサラダ(各種ドレッシング付き)、そして塩茹でした枝豆とキンキンに冷えたおビール(大ジョッキ)と言う中毒性の高い飲み会メニューで持て成したがために、彼女を巡って神々の間で緊張状態が発生し、あわやヘカテーら冥府の神々とオリュンポスの十二神(-ハデス夫婦)での大戦争と成りかける事を。

 

 まだ、彼女は知らない。

 元の料理好きが高じて、発酵食品どころか酒造にまで走ってしまった彼女は、ただのほほんとしながら料理と魔術の修行を続けるだけだった。

 

 

 

 

 これはギリシャ神話が全神話中屈指のメシウマ神話になる物語である。

 

 

 


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