━━━━・・・。
天海春香が、目を覚ましたその部屋は、都内某所の実験室。
最初に彼女の視界に飛び込んできたのは、自身のプロデューサーと、秋月律子の顔だった。
プロデューサーの手には、ゴーグルとヘルメットがくっついた様な巨大なヘッドセット。
・・・今の今まで、私が装着していたものだ。
「春香!!」
「ああ、安心した・・・このまま目が覚めなっからどうしようかと・・・」
「あっ・・・プロデューサーさん」
ゆっくりと顔を向け、体を起こす。
腕には点滴か何かの太い管が繋がっている。
壮年の医者が春香の顔を覗き込み、一安心、といったようにプロデューサーに目配せする。
「ふむ・・・とくにパニック症状や混乱は見られませんな。念のため、しばらく安静にね」
「春香、あんた大丈夫なの!? 余計な心配掛けさせるんじゃないわよ、もう・・・!」
「春香! 自分が分かるか!? 響だぞ!」
「はるるん!! 亜美と真美、どっちがどっちか分かるよね!?」
「ああ、春香、良かった。本当に・・・」
「みんな・・・。うん、分かる。分かるよ・・・」
伊織が、響が、亜美真美が、千早ちゃんが。
私の隣で泣いている。
生きている。
「随分、長い時間が・・かかったみたいですね」
「・・・大丈夫か? 気分は悪くないか? まだ無理に話さなくても・・・」
「大丈夫、かなりはっきりしてます。・・・ずっと、呼んでくれてましたよね」
「あ、ああ・・・。最初に全員が眠ってから、今日が3日目の夜だ。春香が最後だよ」
「そ、そんなに・・・? 確か、予定だと長くても半日程度のはずじゃ?」
申し訳なさそうに、プロデューサーの後ろに立つ研究者らしき男が応えた。
「ええ、まあ、何しろ試作段階のものですから・・・臨床実験のデータも数回しか取れていないもので。人数が多いというのもありますし、あの、誤差の範囲かと・・・」
「誤差ですって!? 三日間も眠り続けるのが誤差で済むんですか!?」
激高して研究者の肩を揺さぶる律子。
「やめろ律子! これ以上ここで責めても仕方ないだろ! ・・・それより春香だ」
「あの、プロデューサーさん、私なら大丈夫ですよ! こうして目も覚めましたし・・・」
その言葉に、しぶしぶと言った様子で律子さんも矛を収めた。
すぐ傍で椅子に座っている医者はペンを取り、質問を始める。
「ええ・・・では、天海春香さん。起きて突然の事で恐縮ですが、記憶の齟齬や混濁がないかだけ、確認させてください」
「はい」
千早や、プロデューサーたちは、神妙な面持ちで春香を見守っている。
「まず、今日が何月何日かわかりますか?」
「今日は、〇月×日です」
「・・・その通りです。では、今いるこの場所は?」
「・・・△△区、□□社の実験室です」
「あなたがなぜ今までこの実験室で眠っていたのか、わかりますか?」
「・・・わかります」
「春香さんの口から、いきさつを説明していただけますか?」
少しずつ、記憶の糸を辿り、春香は言葉を紡いだ。
「私たち765プロアイドルは、番組の企画として、数年後に実用化予定の、複数の参加者が同時に非現実的なシチュエーションの仮想世界を体験できるゲームの一種・・・確か、仮称は『脱出ゲーム』・・・を、特別に体験させてもらう事になりました」
「・・・そのゲームがどういった内容のものかわかりますか?」
「全く見覚えのない密室、しかも仲間を一人ずつ置き去りにしなくてはならないという極限状態下で、普段の生活に感謝すること、生きる意味を見出すこと、そして参加者同士の絆の強さを確かめることが目的のゲーム・・・という説明でした。また、その内容をモニターで可視化できる、と」
「貴女が今頭につけているそれは?」
「今売られている視界だけの仮想体験ではなく、薬の投与による深い催眠状態で行う、本当に仮想世界が現実だと感じるほどの・・・。ううん、えっと、簡単に言うと『複数人と夢の世界を共有して可視化する』ための装置・・・かな」
「はい・・・それで、現実世界から仮想世界に入ったのは誰ですか? また、入って何をしましたか?」
「仮想現実に入ったのは、私を含めた12人で、『ライブのリハの帰りに誘拐された』っていう辻褄合わせの記憶を与えられて・・・一人一人、犠牲にしながら・・・そして、助け合いながら・・・進んでいきました」
「途中に、参加者であるアイドル以外の人達も出てきたと思うんですが、どうでしょう?」
「はい。律子さんや事務員の小鳥さん、876プロの人、それにプロデューサーさんも出てきました」
「アイドル以外の方が登場するだろうという事は、眠る前に説明を受けていましたよね? 覚えていますか?」
「はい。『参加者全員が共通して認識する人物』がいれば、その人は『参加者を襲う理由として適当な設定』を与えられて、友情を脅かす役として現れる、ということだったと思います。実際、プロデューサーさん以外の人達に、襲われました」
「・・・はい。今はどうでしょう? 身体は痛みますか? 誰か、死にましたか?」
「手のひらに爪が刺さりましたし、私以外、皆死にました。でも本当は誰も、死んでいませんし、手も痛くありません。すべて、仮想現実で起こったことですから。でも、あの世界で皆が私に言ってくれたこと、してくれたこと、それは、本心なんじゃないかって、思ってます。あそこにいたのは、確かに本当の皆だと・・・」
「では最後。あなたは名前と年齢と職業は?」
「天海春香。17歳。765プロダクション所属の・・・アイドルです」
「・・・なるほど。確かに、記憶も精神も至って健全です。立派なもんです」
心底安心した様子で、プロデューサーが、はあ、と長いため息を吐いた。
「ああ・・・良かった。何度も言ってますけど、こんな残酷なゲームだったなんて聞いてませんよ。参加者によってゲームの内容が変化するってのは聞いてましたけど、ウチには中学生だっているんです。一生消えないトラウマになったらどうするんですか」
科学者が、おずおずと釈明する。
「あの、それが、過去の実験では仮想現実内でビンタやパンチのケンカ程度はあっても、死亡する仕掛けなんか無かったんですよ。せいぜい最初の投票とか、一人座って残らないと出られないとかそのレベルで、残された時点でその人は目を覚ましてたんです。鬼にしても精々捕まって縛り付けられるくらいで。毒ガスとか感電とか、ノコギリで切られるとか、天井に押し潰されるとか、そんなシチュエーション一度もなかったのに・・・」
これに、医者があの、と手を上げて、語り始めた。
「それはおそらく、被験者がみないい年の大人だったからじゃないでしょうか。確かに大人の方が経験や知識はありますが、基本的に恐怖という感覚には鈍感になっていくものです。たとえば子供のころ怖かった暗闇や怪談話が、大人になると平気になるような感じですな」
「・・・はい、確かにまだ30代から50代の男女でしか実験はしていませんでした」
「これに対して若い人は、恐怖や孤独、不安、痛み、そして死に敏感なんです。その為、ゲームのシチュエーションも彼女たちが最も恐怖する事や死の象徴などが色濃く反映されて凶悪かつ直接的なものになったんじゃないかと」
「・・・はあ。なるほど・・・」
「・・・あんた、本当に科学者なの? そういうのは人に試す前に専門家と話し合っておくべきところでしょうが」
あまりにも間の抜けた科学者の態度に伊織が苛立ちを隠さず言い放つ。
「その、やはり、案ずるより産むが易しというか、百聞は一見に如かずというか・・・大人だけでなく若い人の実験データが欲しかったので、その、765プロの皆さんにお願いをしたんです。まさかこんな問題があったとは。本当に、申し訳ない・・・」
「春香が目を覚まさなかったらどうするつもりだったのよ。あんた責任とれるの?」
「そーだそーだ!」
「やめちまえ! ニンゲンを!」
伊織の辛辣な批判。それを囃し立てる双海姉妹。
千早は目もくれず、春香の顔だけを愛おしそうに見つめる。
皆のその顔には、あの凄惨な仮想現実の苦痛を未だに滲ませていた。
「いやそれは・・・でも、睡眠中も特に体に異常は・・・」
「ないでしょうね。だけど確かに痛かったわよ。頭を撃たれたわ。目が覚めても、ここがあの世なのかと思った位よ。響はいい年してオネショしてたし、やよいだって泣き止むのに3時間はかかったらしいじゃない。中止にしなさい。こんな欠陥だらけのゲーム」
「亜美もちょー痛かったよ! 起きてから顔に穴空いてないか確かめちゃったよ!!」
「真美だってほんとに愛ぴょんやっちゃったのかと思ってちびっちゃったよ!!」
「うーん・・・やはり年齢制限は必須か・・・これは『夢の科学』だ、何としても成功を・・・」
ぶつぶつと頭を抱えだす研究者。
「・・・チッ」
彼をあからさまな侮蔑の眼差しで睨みつけ、すぐに穏やかな顔で春香に向き直る伊織。
「さあ、意識も戻ったことだし、早くこんなところオサラバしましょ」
手で合図をして、プロデューサーたちを促す。
「あ、私、先に色々片付けて車で戻ってますね。各所に連絡入れないといけませんし。プロデューサー殿、皆をお願いします」
「ああ、悪いな律子。じゃあ・・・」
「春香、立てる?」
プロデューサーが声をかけるよりも逸早く、千早が春香の肩を抱いた。
「あ、うん・・・。他のみんなはもう、目が覚めたんだよね」
「そうだぞ。ここにいるのはみんな、今日目を覚ました子だって」
響の言葉に、心からの声が漏れる。
「・・・生きてて、よかった」