春香「脱出ゲーム?」   作:人肉タルトレット

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第11の扉/Ⅱ.幻

「伊織、ボタンを押して」

ぼそりと、千早が言う。

それは、今の春香には、『響を殺せ』と言っているように聞こえた。

おかしいな。みんな被害者なのに。美希や伊織の言った通り、仕方のないことの筈なのに。

「もう、間に合わないわよ、きっと。どちらにしろ私、ここで残るって決めたから」

「・・・貴女にしては、ずいぶんな心変わりね。伊織」

さらに、千早が訊ねる。

「自分でも不思議だわ。それに・・・恐怖も後悔もない。清々しい気分よ」

「美希のことが・・・伊織を変えたのね」

「・・・そうね。あいつのせいだわ。向こうに行ったら、文句言ってやんないと」

「いおりんっ・・・」

「い、伊織ぃ、じ、自分のこと、ひぐっ・・・助けて、くれたのか? そんなことしたら・・・」

「そうよ。ガラじゃないけど、そういう気分になっただけ」

ここで、漸く伊織のボタンが押された。

「あたしは美希みたいにダラダラ喋るつもりはないわ。さっさと次行きなさい」

その言葉を受けて、手元のボタンを見つめながら、千早が口を開いた。

「・・・もし美希がまだここに居たら、きっと二人とも同じことを考えて、それをお互い察して、いつまでもボタンは押されないんでしょうね」

「・・・は?」

「それで、伊織が押して、美希が押してって、二人して意地張り合って。ふふ、おかしい」

「ち、千早ちゃん・・・何言ってるの?」

「・・・でもそうはならなかった。ならないのよ。私じゃあ、ね」

「だ、だから、何が言いたいのよ?」

戸惑った様子の伊織や春香をよそに、双海姉妹が恐る恐る喋り出した。

「ね、ねえ・・・これ、なんで取れないの?」

「全員押したら外れるって、スピーカーの人言ってたよね・・・?」

「・・・あっ」

春香は、気づいてしまった。

そうだ。

あのアナウンスは確かにそう言った。

全員が押した「瞬間」に、脱落者以外の枷は外れる、と。

さっき、伊織がボタンを押してから、ゆうに30秒は経過している。

こんなに長い間隔を、果たして「瞬間」と言うのだろうか。

答えは否だ。

・・・あの時、ボタンを押していなかったのは。

伊織だけじゃなかったんだ。

千早ちゃん。

今、ボタンを押してないのは、千早ちゃんだけなんだ。

「千早ちゃん!! どうして!?」

少し前にも千早に投げ掛けた、どうして、という言葉。

しかしそこに込められた意味は、全く別のものになっていた。

「ある意味、賭けだわ。伊織が押す前に、私が押してないのを気付かれて躊躇いだしたら、私から折れて先に押すつもりだった」

「なっ・・・千早あんた!!」

「今更、どうしても何もないじゃない。同じよ。美希も伊織も、雪歩も真も、みんな・・・」

淡々と語る千早の言葉に、わなわなと震える伊織。

「何てこと・・・。私がどんな気持ちでボタンを押さなかったか分かってんの!?」

「ごめんなさい、せっかくの伊織の覚悟をふいにして。でも、これが私の選択だから」

そう言って、千早はボタンを押した。

・・・千早以外の枷が外れた。

「そ、そんな、ちはやぁっ・・・!?」

倒れ込みながらも、千早を心配する響。

「千早お姉ちゃんも・・・そうなんだ」

「優しすぎるよ・・・お姫ちんもミキミキも、みんな・・・」

「あんたふざけないでよ! せっかく・・・のわっ!?」

「ねえ! どうして!? どうして私に押させておいて自分は押さないの!? ねえ!」

伊織を押し退け、立ち上がることのできない千早の肩を揺さぶり、問い詰める春香。

「んなっ、何よ・・・びっくりした・・・」

春香のあまりの剣幕に、伊織も言葉を失ってしまう。

嫌だ。

失いたくない。

千早ちゃんを失いたくない。

まだ一緒にしたいこと、一緒に立ちたいステージ、いっぱいあるんだ。

置いて行けないよ。

置いて行かないで。

「・・・春香を、守りたかった」

「っ・・・」

「けど、この手はもう血塗れ。春香と一緒にここを出ても、同じ場所にいることはもうできない」

「そんなことない! 律子さんの事なら・・・」

「私、貴女と同じ舞台に立てて良かった。もう歌は歌えないけど、こんなに大切な友達ができた」

「とも・・・だち」

「その人を救って死ねるなら、こんなに嬉しいことはないわ」

「・・・千早ちゃん、私さっき酷いこと考えちゃった。千早ちゃんが、響ちゃんのこと見捨てたんじゃないかって。千早ちゃんのこと疑ったの。そんなこと言わないで・・・言わないでよ・・・」

「・・・亜美、真美、それに響。『守られる』っていう事は、決して恥ずかしい事じゃない。無理に守る側になろうとしなくてもいい。ただし、『守ってくれた人』の事は絶対に忘れたら駄目よ。いいわね」

笑ってはいないが、その言葉は、温かかった。

「うん・・・千早・・・かなさんどー・・・」

「千早お姉ちゃん、亜美絶対忘れないよ」

「忘れられる訳ないよ。真美、千早お姉ちゃんの事大好きだよ」

「そう、よかった。・・・春香、泣いているところ悪いけど、耳貸してくれる?」

「・・・なに?」

「背中の、シャツの裏。春香にあげるわ」

「背中? ・・・あっ」

そういえば、何か背中に仕込んでいたのを見た。

それを見つけて春香は、ごくり、とつばを飲み込んだ。

千早が律子から手に入れた自動拳銃。

「千早ちゃん・・・これ」

「どこかに隠し持っていて。万が一にも暴発しないように気を付けるのよ」

無言で頷いて、こっそり、春香は服の下にしまい込んだ。

「・・・仇、私が取れれば良かったんだけど。春香の事だから、きっとそういうこと考えてたんでしょう」

「・・・すごいや、千早ちゃん。その通りだよ。この手で裁いてやりたいって思ってた」

「できることなら、こんなもの使うことなく元の生活に戻ってほしい。でも、私にそれを願う権利はないわ。決めるのは春香。辛い役目になるかもしれないけど、無茶だけはしないで。お願い」

「千早ちゃん。・・・大好きだよ」

「春香。・・・好きよ」

春香。

私の大好きな人。

あなたに嫌われる前に、私は飛び立てる。

かけがえのない弟を失って。

その穴を歌で必死に埋めようとして。

でも、決定的に足りなかった。

その穴に。

あなたはひょっこり入り込んできた。

弱い部分を曝け出しても、どれだけ冷たく拒絶しても、

その場所からどいてくれなかった。

放っておかないでいてくれた、春香。

ありがとう。

私はきっと、律子たち、そして優のところへは行けない。

業火の燃え盛る煉獄で、永遠に身を焼かれるのだろう。

それでいい。

そこが、私にお似合いの場所。

プロデューサーと、春香がくれた翼で。

醜くもがき続けてみせる。

そうだ。

せっかくなら地獄を、私の歌声て満たしてやろう。

鬼たちや閻魔様にも、私の歌を認めさせてみよう。

そうすれば、もしかしたら。

私を、皆の待つ遥か彼方まで押し上げてくれるかも。

まあ、なんでも、いいけれど。ふふっ。

・・・ねえ、神様。

最期に、春香が、好きだと言ってくれた。

私は赦されたと思って良いのですか・・・?

 

立ち上がり、春香は伊織に行った。

「・・・さあ、行こうか」

「な、何であんたが仕切ってんのよ。別にいいけど」

「えっと、確か、次で、最後なんだよね・・・亜美たちここまできたんだね・・・」

「終わらせよ、はやく・・・みんなの為に」

「自分・・・結局、みんなに助けられてばっかりだったな・・・」

「ほんっと、感謝しなさいよね。私だって何度も死にかけてんだから・・・」

「うん。次が・・・最後だよ。絶対」

後ろから、千早ちゃんが、くすくす、と笑う声。

なんだろう。

何だか私も、あんまり怖くない。

何とかなりそうな気がする。

やっと気が付いたから。

今まで味わってきた、不協和や懐疑。

それらすべてが、憎むべき敵に仕掛けられた幻だとわかったから。

初めから私たちの絆は、崩壊などしていない。

本当に大切な感情は、まだ失われてはいなかった。

この先何を失うことになっても、私たちは。

私たちのままでいられるはずだ。

私たちはまた泣くだろう。叫ぶだろう。悲しむだろう。悩むだろう。

それでも、絶対に、負けない。

圧倒的で理不尽な悪意という怪物に。

二度と、負けない。

 

密やかに覚悟を決め、春香は、次への扉を開いた。

 


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