紅世という”歩いていけない隣”の世界と関わりを持って、僅か数時間。
人としての全存在を捧げ、その身を紅世に捧げることで彼の者らの力を借りうける存在——フレイムヘイズとなったクズキは東の山——後の唐沢山を探索していた。
探索には同じくフレイムヘイズになった
時おりクズキの右耳につけられた勾玉から、クズキの契約者”
おおよそまとめると、フレイムヘイズとは紅世より渡り来た”徒”による『世界の歪み』の発生を防ぎ、『大災厄』を回避することを目的とした両界のバランスを守る存在だという。
フレイムヘイズは紅世で契約者を探す”
彼女の話す事実に、真剣に話しを聞いていた穂乃美が首をかしげた。
「『大災厄』というのは具体的にどのようなものなのでしょうか?」
「さぁ? 実際、なにが起きるかなんて私たちも知らないわ。
でも考え方は単純よ。紅世の徒がこっちの世界で好き勝手するとその分世界が歪むの。今はまだ小さな歪みなんだけど……」
「塵も積もれば山となる……歪みもまたいつか巨大なものになる、ということですね?」
「その通り! その巨大になった歪みがどんなことを引き起こすのかはわからない。でもろくなことじゃないことは確かなの。私たちのような人間と契約した”紅世の王”は『大災厄』を止めるべく奮起した徒ってこと」
穂乃美の疑問に、やはり”剥追の雹”は楽しげに答えるが、
「私たち? 君はそんな綺麗な理由で契約なんてしてないだろう?」
「どういうことだよ」
”地壌の殻”がはさんだ言葉に、クズキが食いつく。
『灼眼のシャナ』を読んでいたことから、フレイムヘイズの成り立ちやら理由は知っていたが、個人が『同胞殺し』を決意する理由まではわからない。
その理由のわからない存在が大切な妻の契約者であると聞けば、さすがのクズキも黙ってられなかった。その理由を達成したからといって、勝手に契約を切られたら堪ったものではないからだ。
「安心してもいいよ? 僕は彼女のいう『大災厄』を止めるためにわたり来た。それは間違ってない。でも彼女は少し違う。彼女の名前を覚えているかい?」
「”剥追の雹”だろ?」
「”剥追の雹”だよ? その名前——君たちで言う所の真名の意味を考えてみればいい。彼女の本質は『追って剥ぐ』存在なんだ」
「なんだそりゃ。まるで狩人か猟犬にぴったりの性格だな」
「ぴったり? むしろ天職さ。紅世の徒っていうのは自分の本質的欲求に従う存在なんだ。多くは好奇
心って形で現れるんだけど……彼女にとって悪戯に世を荒らす徒を狩る——『追って剥ぐ』ことは、彼女にとって本質に沿う行為であって、むしろそうすべき当たり前のことなのさ」
「なるほど。つまりこいつはフレイムヘイズの契約者になるべくしてなった、てことか」
納得し、ジト目で勾玉を見るクズキ。”剥追の雹”は、
「ちょっと、あんた! 確かにそいつの言うとおり、最初はそういう気持ちで始めたのは否定しないけどね! 結局の所、最終的に到達する事実は『あんたたちの住む世界を守ること』に繋がってるんだから、そんな目で見ないでよ!」
(俺が気にしてんのは理由じゃなくて、あんたが黙って流そうとしたことなんだけど)
「まぁまぁ、あなたもそんな目をしないで。これからは一緒にいるのですから」
後ろを歩いていた穂乃美が彼の手を握る。
クズキは自分の髪を撫でつけるように何度か掻いた。別に喧嘩を始めたわけではないが、穂乃美の心配が身に染みたのだ。
「わーったよ。それで、続きは?」
「……私たちの行動目的はわかってくれたみたいね。それでこれからの
しゅんとした声で”剥追の雹”が勾玉を震わせた。
クズキは一瞬「徒を討滅すればいいんじゃないのか?」と考えて、すぐに困る理由について思いついた。
本来フレイムヘイズは徒への憎しみを糧に、徒との長い戦いを戦いぬく存在だ。だというのに、自分たちは徒への憎しみから契約したわけでもなく、さらにはその原因の徒もすでに討滅してしまっている。
つまり人間側が契約した王に積極的に協力する理由がないのだ。
あえてあるとすれば、戦いの輪廻に踏み込むこととなった徒という存在自体を憎むことだが……クズキと穂乃美はお互いが存在することで、そこまで強い憎しみを——というよりまったくと言っていいほど——感じない。
それをわかっているからこそ、”剥追の雹”も「戦え」とはいえず、困っているのだろう。
穂乃美もそれに気がついたのか、困ったような顔でクズキのほうを向いた。
善性な彼女はどうやら”剥追の雹”に協力するのがやぶさかではないようだが、彼女はクズキの巫女であり、彼の所有物——と穂乃美自身は考えている——だ。勝手に”剥追の雹”に協力を約束することはできない。
どこか不安そうな、すがる穂乃美の表情に、クズキは弱かった。むろん断固として断るべきことは断るが。
「気にすんな。もうフレイムヘイズになったんだ。俺と穂乃美は世を乱す徒と戦う。お前らと一緒に……国を守ることにも繋がるしな」
「……そう。ありがと」
彼女の素っ気ないお礼に、穂乃美がほっとする。
彼女が”剥迫の雹”をどう思っているのかはわからない。何しろこの時代の人間ときたら、不思議なことがあればとりあえず神様のせいにしたがるのが常であり、穂乃美も異能の力を与える”紅世の徒”を神様のように思っていてもおかしくない。
しかし見た限りでは、軽薄な話し方も手伝ってか”剥迫の雹”に対する神聖視のようなものは見えない。せいぜい契約者のことを新しい仲間として見ているくらいだろう。
どうやら彼女は、実際に異能を持ち、イメージの神様に近しい存在である紅世の徒よりも、本当はただの人間でしかないクズキを上に置いてくれているらしい。
もはや半身といってもよい”剥迫の雹”よりも自分を大切にしてくれていると思うと、少し——というよりも結構——うれしいクズキだった。
「それで、私たちは紅世の徒という化生を滅してゆけばいいのですね? この自在法を用いて」
穂乃美が気を取り直し、掌に炎を生み出した。
青墨色の炎は一度ゆらりと輪郭を振るわせると、その形を雹へと変えた。
「ええ、その通り。その青墨色の炎は私の炎の色で、そして雹は私の力の本質を表しているわ」
「より詳しくいうと? 炎の色は徒によって千差万別なんだ。そしてその雹だけど、”剥迫の雹”の本来の姿は巨大な雹塊でね、彼女の力の本質が雹なのさ。
あと、僕たちの力をこの世界に表出させたとき、存在の力は最初炎のような姿を形取るけれど、それはあくまで『存在の力』がそういう形で見えるのであって、僕たちの本質とは少し違う。だからその雹の様に、僕たちの本質的な力を扱おうとすると、存在の力は変換され、彼女のような雹となるんだ」
”地壌の殻”は長々と説明した、が。
「長い。しかも分かりにくい」
と、クズキがばっさりと切り捨てた。
それに含み笑いを”剥迫の雹”がこぼした。今はまだ彼女しか知らないことだが、”地壌の殻”は説明好きだが説明下手という、少し変な徒だった。
実は繊細なところのある友人が契約者に言葉で切り裂かれたことを、”剥迫の雹”は笑った。
「つまり? 君たちは存在の力を扱えて、その力は炎のようにも見える。
同じ炎の色は存在しない。
僕たち契約者の力を使おうとすると、僕たちの本質的力と同じ形になることが多い、ということさ」
「はーん。つまりあれだ、存在の力はガソリンで、それを使って起こしたそれぞれの行動がお前らの本質ってわけか。……いや、待てよ。つまりあれか。俺があの時使ったあの太陽みたいなやつも、お前の本質的力ってやつなのか?」
「太陽? あれは君の想像だよ。……ああ、そっか。そうだね。少し言い換えよう。僕たちの本質的力と同じ形になる、とはいったけれど、そこには多分に君たちの想像が混ざり込むんだ。
より正確に言うなれば、僕たちの本質と君たちがもつ強さへの想像が混ぜ合わさって、特殊な形を取るのさ」
「……なんか余計にわかりにくくなった気がする」
クズキは頭をかしげる。
仮にも何度か原作で説明されているのを見たはずなのに、クズキにはいまいち理解できていなかった。全く以て”地壌の殻”は説明が下手である。
少し補足をするなら、フレイムヘイズとは”存在の力”を操作し、『器』に宿った契約者の力を扱う存在である。
彼らが操る力は契約した”紅世の王”と同じ色をしており、同じ色は滅多にいない。
そしてフレイムヘイズが操る力は契約者の力を借り受けたものであるため、契約者の本質に似通ったものとなることが多いということだ。
具体的な例を用いてみると、例えば”
これだけわかっていればさっきの”地壌の殻”の説明は大体わかったことになる。
なぜかクズキより理解のある穂乃美に説明され、クズキはようやく納得する。
「しっかし……どうして俺は太陽なんか思い浮かべたのかね?」
とクズキは自分にもわからない、と首をかしげた。
「太陽、というのはむしろ副次的な想像だったのでは?」
「おまけってことか?」
「ええ、あのとき、あなたは太陽よりも先に稲穂畑を生み出していましたから」
稲穂畑? そんなもの出した覚えはないのだが。
穂乃美も自分も殺されかかっていた局面だったからか、無我夢中で自分でも何をしたのかよくわかっていなかった。
ますます自分がやったことに謎が深まる。
「あ、でもお前はどうなんだよ」
「僕? 僕がどうかしたのかい?」
「お前の本質だよ。剥迫の雹がどんなやつなのかはわかった。だから今度はお前の番だ」
「僕の番? そうだね。一応説明するのもやぶさかじゃぁないし。僕の真名の意味は————っと、おしゃべりをしている間についたみたいだね」
”地壌の殻”の意味を問いただそうとしていたクズキの前に、開けた場所が姿を見せる。
そこはクズキが上ってきた山の麓の村から、ほどよく離れた森の中、まるで喰らった後のようなぽかんとした広場が、そこにはある。
「これは……」
「”
その広場は不思議なことに、絵に書かれた森の一部を消しゴムで消したように何も無かった。これこそが”万華胃の咀”固有の自在法『咀嚼遠』の力である。
『咀嚼遠』はある一定範囲内の物体の存在の力を喰らう自在法で、喰われたものは
その結果、穂乃美の前に広がる無人無物の広場が出来上がるのだ。
「はい、これで彼が何かしていたのは確定しました」
「後はその何かだけど……」
クズキと穂乃美は”万華胃の咀”との戦いの後、クズキの最低限の治療と休息の後、強行軍で唐沢山を探索していた。
それには多分に、”万華胃の咀”の起こしたことの調査と、なによりこの場所から”紅世の徒”が感じる違和感が、無視できないほど強烈だったことが含まれている。
「何か、というよりもあれだろ」
「あれ? だね」
恐る恐るつぶやくのはクズキと”地壌の殻”だ。彼らの視線は広場を横断した向こうを見ている。
それは裂け目だった。
それ以外に言いようがない。そこには空間が裂け、ガラスに走る蜘蛛の巣状のひびが宙に浮かんでいた。
奇妙な光景だ。
何も無い場所にぽつりとひびが浮かんでいるのだから。
いや、何よりも異様なのは、この裂け目から異様な違和感——世界に対する歪みを感じることだった。
「ああ、いやだいやだ。”万華胃の咀”のやつが残したものなんだから。どうせろくでもないんでしょ! 現に目の前にあるだけで吐きそうな違和感ばっかりじゃない!」
「ひび? というより、空間に裂け目ができているね……これは————」
そのひびが何なのか、この中で最も博識な”地壌の殻”にも思い当たる物は無かった。
しかしこの中で最も『あり得ない事象』に疎い穂乃美に、思い当たることがあった。
あ、と上げた声に全員の意識が穂乃美へ向いた。
「なにか思い当たる節でもあるのか?」
穂乃美は少し躊躇って、
「主人がこの地に降り立ったとき、よく似たものを目にしました」
数年前、クズキがこの世界に来たとき、穂乃美は巫女として来年の豊作を祈る儀式をしていた。
儀式の途中、世界を震わせる振動とともに空間に裂け目が生まれ、裂け目からクズキが落ちてきたのを目にしている。
目の前にある裂け目はあの裂け目と非常に似ていた。
「俺が来たとき?」
穂乃美にとってそれは神が降りたに等しい出来事だ。故に彼女があの一瞬を忘れることはない。しかし、クズキはその瞬間意識を失っていたせいか、まったく裂け目に思い当たることがなかった。
穂乃美は裂け目の近くに寄ると、恐る恐るなでた。
「……私が見たときのものより、ふた周りは大きいでしょう。あれよりもずっと深い傷跡のような気がします」
「ずっと? 以前見たものを僕が知らないからなんとも言えないけど……これから落ちてきたっていうのは、気になるね。詳しい話を聞いてもいいかな?」
この傷跡が何なのか、”地壌の殻”にはわからない。だが、この違和感、あるいは獣に追い立てられるような恐怖心をあおる裂け目に対して、無知ではいられない。
”地壌の殻”はフレイムヘイズの契約者——世のバランスを憂う者として真っ当な義務感から、穂乃美に訪ねた。
だが穂乃美はクズキを見るだけで、”地壌の殻”の疑問に答えようとはしなかった。
「あなた……」
「……」
と、穂乃美がクズキの顔色をうかがう。
このままあったこと話せば、最終的にクズキが「それ以前」に何をしていたのか、という話になるだろう。だが、穂乃美は彼が自分からは決してそのことを話そうとしないのを知っていた。
彼自身から聞いたことはある。だがそれは初期の村人に問い詰められたときくらいで、他は彼が酒に酔って前後不覚となったときだけだ。
彼が以前のことを話すとき、彼は決まって悲しそうな眼をしていた。
穂乃美はそれを思うとクズキに話させることはできなかった。
(……なんて考えて……穂乃美は心配してくれてるんだろうな)
クズキは穂乃美の心配をありがたいと思いつつ、どうすべきか考えていた。
今わかっていることは、目の前の裂け目はかなり危ない代物であるかもしれない、ということだけ。
これについて調べることはフレイムヘイズとして当然の義務の為、これを通ってきた(?)クズキが向こう側で何をしていたのか、当たり前の様に話さなければいけない。
(別に話すこと自体はいい。俺が向こうで生まれ育ったことは事実だし、隠すことに大して意味はない。でも……)
どこまで話すべきなのか。
それが今のクズキの問題だった。
別に元の世界の話を隠すことに大した意味はない。
裂け目に飛び込んだからといって元の世界に帰れる保証もないため、向こうの世界の技術を手に入れるのは夢物語のような話だし、話したからといってクズキ自身に不都合はない。
クズキ自身を拷問やらなにやらしても手に入る情報はたかが知れている——と思っている——からだ。
だが『とある知識』に関してだけは、拷問だろうがなんだろうがするだけの価値がある。
————『灼眼のシャナ』
クズキの知る大ヒットライトノベル。その内容こそが金銀財宝にもそれほど執着を覚えない徒たちですら、のどから手がでるほど価値のある情報だった。
特に物語の最終決戦である楽園『
迂闊なことを言うわけにはいかなかった。
(だからといって黙ってる……なんて選択肢も取れるのか?)
しかし、もしクズキが話さずにいたとして、全く怪しまれずにいる……というのも難しい。
紅世に関する知識は多い。それについて説明されているとき、まだ説明されていないのに、「知っていたせいで」納得してしまうことがあるかもしれない。
一人にして二人と表現されることもある紅世の王とその契約者だが、それはお互いが一心同体だという信頼から成り立っている。もし疑念を覚えられ、それが大きくなればその最後はつまらないことになるだろう。————紅世の王による契約解除と、契約者の死亡、という惨めな終わりだ。
クズキもそれはわかっている。
だが、だからといって話してもいいものなのか。クズキには判断がつかなかった。
なぜか?
正直にいったからこそ、契約解除されるかもしれないからだ。
どうして”地壌の殻”が「自分たちが何もしなくともうまくいく」ということを知って、使命感をなくさないと言えるのだろうか。
彼が討ち手の契約者としての使命感を無くし、契約を解除されて迷惑を被るのは討ち手側なのだ。
他にも自分だけが知識を知っていて、何も知らない契約者のほうが都合がいいと判断し、契約を解除するかもしれない。
だから悩む。
クズキは価値のある知識を彼らに提供するのかどうか、それを考えていた。
「どうしたんだい?」
二人の様子に何かあるとわかっていながら、しばしの間を置いて”地壌の殻”が問いかけた。
”剥迫の雹”が続いて、
「私たちはこれから一蓮托生の関係なんだし、隠し事はなしよ、なし!」
穂乃美の左耳の勾玉が大きく揺れる。
それに穂乃美はやさしく手を添えて、揺れを抑えた。
「あまり暴れないでください————その、えぇ」
続けて契約者の名前を言おうとして、穂乃美は彼女の名前を知らないことに気がついた。
その様子に”地壌の殻”がめざとく気がついた。
「彼女の? この世での通称はレミリエントというらしいよ」
「あっ! そういえば自己紹介してなかったわね! 私は”剥迫の雹”レミリエント。”剥迫の雹”は真名で、こっちの世界での名前がレミリエントよ。あ、でも私、通称はよりも真名のほうが好きだからそっちでお願いね」
紅世の徒には二つの名前がある。それは紅世に置ける名前——つまり真名と、この世界での名前——通称と呼ばれる二つの名前だ。
”剥迫の雹”あらため、レミリエントは朗らかに笑って自己紹介した。
「僕? 僕は”地壌の殻”。一応通称もあるけれど、あまり好きじゃないからね。真名で御願いするよ」
”地壌の殻”もまた、左右に意識を表出させる勾玉を震わせた。
「それで? 話を元に戻してもいいかい?」
悩み、口を紡ぐクズキに催促の言葉がかけられた。
……何が最善の選択肢か。
しばしの猶予の後、クズキは意を決し、
「すこし、長い話になる……」
地噴の帯び手1-1
「灼眼のシャナ……ねぇ?」
口火を切ったのは”剥追の雹”だった。
彼女の言葉に出てはならない単語があるのは、無論クズキが何一つ隠すことなく話したからだ。
自分が他の世界からまったくの偶然でやってきたこと。
その世界には『灼眼のシャナ』という本があったこと。
本の物語のこと。
終幕のこと。
クズキは包み隠さず、すべて話したのだ。
「他世界からの移民? なるほど。大体の状況は把握したよ。善し悪しはともかくとしてね」
「俺としては良しであることを願ってやまないけれど」
クズキがすべてを話したのには勿論理由がある。
それは彼自身が怪しまれず、隠しきれるとは到底思えなかったからだ。
彼は自身がそれほど有能な人間ではないと知っている。
自信が持てなかったともいえる。
自分一人が知識を持っていても、宝の持ち腐れのような気がしたのだ。
だからクズキは強制解除もあるかもしれないデメリットよりも、共に悩み共に戦いお互いを信頼するメリットにすべてを賭けた。
首切りの刃を待つ処刑囚の面持ちで、クズキは三人の言葉を待つ。
”剥迫の雹”が「一つ聞きたいんだけど」と声に出し「あんたはどう思ってるわけ?」問いかけた。
彼女の問にクズキは答えようとし、けれどその問が自分に投げかけられたものではなく、耳元で揺れる”地壌の殻”に問いかけられたものだったと悟り、黙った。
「んー?」
「あんたとしてはこれからどうするつもり?」
”剥迫の雹”がたたみかける。
それに”地壌の殻”はあっさりとした声で、
「別に? このままでいいんじゃないかな」
「はぁ?」
あっけからんに言った。
「あんたねぇ……これだけの情報を聞いたんだから他に取れる選択肢なんていくらでもあるでしょう」
「例えば?」
「強制解除して紅世にこの話を広める」
”剥迫の雹”の言葉に穂乃美の目がぎょっとした。
それを無視して、
「まさか? そんな方法はもう意味がないよ」
「有るでしょう。紅世にこの話が広まればそれだけで徒は……」
”剥迫の雹”が言葉に詰まる。
広めて……どうなる?
「どうなる? さらに欲望を膨らませるだけだよ」
徒がもし未来のことを知ったのなら、徒はより活発に活動するだろう。
俺たちは新しい世界を作ることすら、あの世界では可能なのだと知って。
その動きにはおそらく、歯止めもかからない。坂から転げ落ちるように徒はまい進するだろう。奴らはそういう存在なのだから。
「それに? 僕たちの目的を忘れたのかい、君は。それを考えればその程度のことで強制解除なんてしないよ」
「……」
「ちょ、ちょっと待ってくれ!」
今まで黙っていたクズキが口をはさみ、大声で、
「目的……目的ってなんだ!? 世界のバランスを守る以外、他にどんな目的がある!」
フレイムヘイズは個人的な復讐心を糧に、長い戦いの輪廻へと足を踏み入れる。
だが踏み入れさせる紅世の王の主張は一貫して『世界のバランス』を守るためだったとクズキは思っていた。
「勿論? 世界のバランスを守ることだよ。それ以外にはない。でも僕たちにも個人的事情がある」
「……ええ、そうね。私たちにはそれのために一緒に行動しているのよね」
ここで黙っていた穂乃美が動く。
彼女は左耳の勾玉を指でそっとさすった。
「そろそろ主人にもわかるようにお話しいただけないでしょうか? これでは話の流れが掴めないでしょう」
優しく促す言葉に、”剥追の雹”は溜息を吐いた。
「……フレイムヘイズっていうのは、戦うことが義務の人間よ。なる時は考えもしないでしょうけれど、彼らの損耗率はひどく高いの。特に最初のころはね」
”剥追の雹”はわざと損耗率などと小難しい言葉で語ったが、フレイムヘイズはしょっちゅうそこらで死んでいく。
それは彼らが一瞬の隙が死につながる戦士だからということもあるし、それ以上に徒がありえない事象を使う不可思議なやつらだからということもある。強大なフレイムヘイズの武勇伝の影に隠れてはいるが、基本的にフレイムヘイズは死にやすいのだ。
特になったばかりのころは簡単に死ぬ。
あっという間だ。
フレイムヘイズになったばかりでは、ろくに存在の力も使えない。なれば戦うどころか逃げることもままらない。徒も敵が大して脅威ではないなら潰していく。
繰り返すが、フレイムヘイズは死にやすいのだ。
「でも強ければいいってわけでもないの。時間をかけてやっと強くなったと思ったら、ちょっとした隙をつかれて討たれることもある」
だが強くなれば死なないというわけではない。
戦いというものは水ものだ。流れを読み間違えればすぐに死んでしまう。これは歴戦の討ち手も変わらない。
不意をうたれたり、正体不明の自在法にやられたり。
「フレイムヘイズってね、そういうものなのよ」
けれど、
「僕たちは? それを認めるわけにはいかなかったのさ」
”地壌の殻”は今までとは違う、しびれるような声色で呟いた。
「長い時間をかけようやく強くした契約者に死んでもらうのは困るんだ。そこから新しく契約者を探して、以前ほど強くなるのにかかる時間を考えれば、以前の契約者が死ななければどれだけの徒を討滅できると思う?」
「私が以前契約者を失ってから、新しい契約者が強くなるまで三十年以上かかったわ」
クズキは自分の年齢よりも長い期間を想って、確かにそれだけの時間がかかるなら、契約者を失うことは時間の無駄だ、と”地壌の殻”の言い分を理解する。
「三十年だよ? 僕たちの使命、『世界のバランス』を想えば、この短くも長い時間の無駄は無視できない。だから僕は考えた。—— 一人ではなく二人で行動すればどうだろう、ってね。
二人なら不意をうたれても、どちらかは対処できるし、逃げるにしても二人のほうが簡単だ。徒が徒党を組んでいる時もある。二人のほうがいろいろと都合がいいのさ」
「そして当時同じことを考えていた私は”地壌の殻”と行動を共にすることにしたのよ。……何十年もの年月、一緒にいた相手を失うのは……ごめんだったしね」
つまり、彼らは使命と心情を考えた上で、なるべく長く契約者を生かしたかったのだろう。
確かに個人よりも群のほうがいい。
それは自然界の生き物を見るに明らかな事実だ。
「つまりお前たちは二人組のフレイムヘイズを作るために今まで行動してきていた……ってことか」
「作るために? というよりも『二人組のフレイムヘイズとして活動するために』が目的かな」
「だからよほどのメリットがない限り強制解除はしないってわけだ」
”剥追の雹”はクズキに笑いかけた。
「そういうこと! 実はこれが三度目なのよ。なるべく近くの場所で契約すれば知り合いで行動を共にしやすいかと思ってたんだけどね。前回は戦争をしている敵同士で契約しちゃったものだから、そこにいた徒を討滅したら、お互いに殺し合っちゃって!
知り合いどころか、夫婦なんて関係の人間と契約できた今回はかなり幸運なの。それもお互いにもう存在の力を多少なりとも扱えてるし、器も大きい! これを逃がす手はないでしょ!」
クズキと穂乃美は彼女のいう目的に胸をなでおろす。
最初はどんな目的かと不安になったが、そういう目的ならば二人としても歓迎だった。夫婦なのに仲を引き裂かれるのは避けたかった。
安堵からか、穂乃美がクズキの腕を抱え、肩に頭を乗せる。
周りに誰もいないとはいえ、お互いのうちには契約者がいる。というのに、二人っきりの時のように体を寄せてくる。
彼女は頬を緩め、ほんの小さな力でクズキの腕を抱いた。
「おたのしみのところ? 悪いけど、まだ聞きたいことがあるんだ」
”地壌の殻”の意識を表出させる勾玉がちかちかと自己主張する。
「……一応俺が知ってることは全部話した。これ以上はないぞ」
「そうじゃないよ? 整理しなくちゃいけないことがあるだけだよ。————まず一つ。今の時間軸」
時間軸。
日常会話ではまず使わない単語に一瞬何を言ってるのかといぶかしげな表情を取り、頭の中で漢字変換し、ようやくクズキは彼の言いたい次の言葉を察した。
「今は周りの状況から見て縄文から弥生あたりの時代だろ。大体紀元前十世紀から……あっと、どこまでだったかな。六世紀くらいまでだったか? とにかくその千六百年のどこかの時代だな」
「ほとんど絞り込めてないね? でも今それは関係ないよ。関係があるのは二つ……三つかな。そのすべてに関わってるもの……”祭礼の蛇”について、僕は話すべきだろうね」
「”祭礼の蛇”?」と穂乃美が首をかしげる。
”祭礼の蛇”とは物語でも初期の初期から名前だけは登場し、物語の根幹に存在する徒だ。それこそ徒であれば知らないものはいない、と言っても過言ではない存在だが、紅世に触れてわずかな穂乃美に聞き覚えがあるはずもない。
クズキが確認の意味も込めて補足する。
「穂乃美、紅世における本物の神様だ。こっちの世界と違って紅世には本物の神様が何柱かいるんだ。”祭礼の蛇”はそのうちの一柱で、確か——『造化』と『確定』をつかさどる『創造神』だった……はず」
「よく覚えてるね? 彼の言う通り”祭礼の蛇”は創造神さ。あれは徒の願いを聞き、それが例えどんなに達成困難なことであっても、叶えてしまえるような……そんな本物の神様だよ」
”地壌の殻”はどこかさびしそうに”祭礼の蛇”を語る。
彼の声色に穂乃美は鋭敏に何か複雑な感情を察し口をつぐんだ。だが穂乃美の優しさに気がつかない——国主という誰はばかることのない立場になってからはそういうことに疎くなった——クズキが”地壌の殻”に問う。
「何かあったのか」
「……考えてみればいいよ? 本当にどんな願いでも叶えてくれる神様がいる世界を。
……なのにその神様を近い将来討滅しなきゃいけないなんてこと考えれば……さすがの僕も少しは気落ちする」
「”祭礼の蛇”は私たちにとって、ある意味では願いを叶えてくれる善神なのよ」
”剥追の雹”もまた落ち込んだ様子だったことに穂乃美が気がつく。
(……ん?)
クズキが「なるほど、確かに神様が実在していたらって考えると、それがいなくなることに落ち込みもするか」と考えていたとき、”地壌の殻”の言葉に引っかかるものがあるのを感じた。
「近い将来……ってのはどういうことだ? まさか————”祭礼の蛇”は『久遠の陥穽』にまだ放逐されない……のか?」
疑問に、
「まさに? その通りなんだよ」
「少なくとも私たちは創造神がこっちに来たっていう話を聞いたことが無いもの」
徒が簡潔に答える。
「ってことは……ここは現代から少なくとも三千年は前ってことか……」
「まぁ? 今回の話はそこが問題なんだけどね」
”地壌の殻”は気落ちした声にわざとらしい張りを持たせて、
「坂井悠二だったっけ? その物語の主役」
「あ、ああ。そいつがもう一人の主人公シャナに出会う所から物語は始まる……でもそれがなんなんだよ」
「じゃぁ一つ聞くけど? もし彼が
坂井悠二がいなかったら。
改めて考えて、クズキはそれはありえない前提だと思った。彼は物語の中核をなす存在だ。彼がいない『灼眼のシャナ』はもはや『灼眼のシャナ』ではない。考えたことすらないことだった。
それでもあえて、考えてみるとするならば……
(シャナは世界中を歩いて、バル・マスケは零時迷子を再び見つけるまでおとなしくしてるってことか? ああ、でも。シャナだったら”祭礼の蛇”見つけてすぐに『天破壌砕』しそうだ……そうなるとさすがの創造神も大望の実現は難しいだろうな……って、あ! そうか!)
あることに気がつく。
それは坂井悠二がいなかった時、”祭礼の蛇”による大挙の実現の可能性は大きく揺らいでしまうということだ。
(いや、でも待てよ。どうして実現が揺らぐのが問題なんだ? 別にフレイムヘイズとしては新世界の創造なんてあやふやなもの、成功してほしくないはず。なのにそれが問題になるってことは、つまり……)
「そういうことだよ? 僕に限ってのことかもしれないけれど、僕としては新世界『
クズキの思考を読んでいたように”地壌の殻”は自分の考えを述べる。
「まぁ? あくまで君の知る物語が未来を示しているのだったとしたら……だけどね。不確実な可能性に賭けるのは反対だけど、未来の成功が保障されてるのであれば、僕としてはもろ手を挙げて賛成できたね」
”地壌の殻”は自らを賛成派だという。
新世界『
”地壌の殻”は本来、新世界『
故に、自分を賛成派という”地壌の殻”の言葉にクズキと穂乃美は納得できる。
だが、彼の言葉は奇妙だった。いち早くそれに気がついたのは、やはり穂乃美だ。
「ですが、今は違うのでしょう」
「へぇ? どうしてだい」
「話す言葉すべてが仮定と過去でしたから」
指摘に”地壌の殻”は感心したように笑う。
「”剥追の雹”? 君はいい契約者に巡り合えたね。
彼女の言うとおりさ。僕は「もし」楽園『
どこか、確信の籠った声に、クズキが戸惑いがちに、
「『灼眼のシャナ』の未来が実際になるかどうかなんて、確かにわからない。でも、もしかしたら起こるかもしれないぞ? そのあたり、臨機応変に考えた方がよくないか。実際にあの二人が現れて創造するっていうなら、俺だってその方がいい」
「まずね? 僕の考えでは、その二人が生まれることはないと思ってる」
「……!」
彼の意識を表出させる勾玉から静かな、されど水面に広がる波紋のように言葉が広がった。
「君は村の国守として? 今まで戦ってきたんだろう。その中で君は——人を殺したことがあるよね」
「……ああ、ある」
確かにある。
この時代では村々によって貧富の差が生まれ始めていた。
例えばクズキの村では不自然なほど米の採取ができるが、他の少し離れた村では時おり飢饉が起きていた。
もちろん少し離れた村の人間は死にたくない。
だから彼らは手に青銅の剣を持ち、立ちあがるのだ。自分たちが生き残るために——他の村を襲い、食料を奪うために。
クズキはそんな外敵から村を守るために、いつだって戦ってきた。
その戦いは決して綺麗なものではない。敵を殺さず、なんて綺麗事は言えない。
彼は幾度もの戦いの中で、確かに人を切り殺している。
「国主として? 君は合併した村の内部事情に手を出し、改変もしたんだろう?」
「したな」
戦いに勝利することで、敵の村を合併し、さらに村の規模を大きくした。
どれほど巧みに戦おうとも村の中から死ぬ人間はどうしてもでる。それを補充するためにも、これからの戦いのためにも、人は多い方がいい。
だから村を吸収した。ただ、彼の性根はあまりに善性で、吸収した村の内部事情もよくしようと努力してきた。
その結果、多少なりとも吸収した村はそれなりに豊かになっていった。
「だろう? ならこの世界で『灼眼のシャナ』は始まらない。——間違いない」
それは、クズキが必死で生きてきたがための行動だった。
そうしなければいけない理由があった。
だが、それが”地壌の殻”の言う始まらない根拠だった。
「ふーん、ずいぶんと自信があるのね、あんたは」
つまらなそうな声を出したのは”剥追の雹”だ。
もっとも長いつきあいがある彼女にも、彼の考えが読み切れないのだろう。
「君たちは知ってるかい? 人が生まれるためには二人の人間が必要なんだよ」
「……なによ、そんな当たり前のこと、私だって知ってるわよ」
「本当に?」
”地壌の殻”の声が水面に広がる波紋のように広がった。
彼の言葉はクズキにある出来事を思い返させる。
クズキがまだ小学生のころの話だ。
毎週水曜日の全体集会でこんな話をされたことがあった。
—— 一人の子供が生まれるためには二人の両親が必要です。
—— その二人の両親が生まれるためには四人のおじいちゃんたちが必要です。
—— そのおじいちゃんとおばあちゃんたちが生まれるためには八人のひいおじいちゃんとひいおばあちゃんが必要です。
—— 上に十回遡ると千二十四人の人が必要です。
—— みんなはそれだけの人が出会ってきたからこそ生まれた、大切な子供なんです。
—— だれか一人でもいなくなったら、それだけであなたは生まれていなかったんです。
—— だからみんな、一人一人を大切にしましょう。
小学校で行われる道徳の話だ。
クズキは今の今まで、そんな話をされたこと自体忘れていた。
しかし、今、それを思い出した。
クズキはかつて、国を守るために、人を切り殺した。
いい訳はしない。
けれど。もしクズキがいなかったら————彼は生きて子供を育て、未来に命をつないでいったんじゃないか?
そして、人を殺すということは————その人間がつないでいくはずだった命すべてを殺すことに他ならないのではないのか?
クズキの背中に、恐怖とも怖気と違う冷たい何かが走った。
唐突に、あるいは今更に。クズキは異邦人という存在が侵略者と何ら変わらないことを理解し、心の中にあった原作という重石が陳腐なものに成り代わるのを感じた。
それは、
「原作は始まらない。なぜなら、そもそも坂井悠二は生まれないから……っ!」
あまりにどうしようもない現実だった。
本来であればいなかったクズキの行動によって、多くの人間の行動が変化した。それによりこの国に将来生まれるはずだった人間は生まれない。人を十代遡るだけで千二十四人必要ならば、約二千人(十代前までのすべての人数の合計)の誰か一人でもかければ、その人間は生まれない。
つまり、クズキが一人殺したことで、未来に生まれるはずだった数多くの命の
今は最低でも三千年以上前の時代、現代までに百代近い代を重ねる。千二十四人程度では済まない。
一人の本来ならば死なない人間を殺すことで——実際には出会いや、過程の影響。一人が生む子供の数等もあるので、一概にこうとはいえないものの——間違いなく途方もない数の人間が生まれなくなったのだ。他ならぬクズキのせいで。
かつての日本の国家予算でも足りない、莫大にもほどがある数に影響を与えたその事実がクズキの肩に重くのしかかる。
クズキはこれから未来を選択するのではない。すでに選択していたのだ。……原作とは違う未来を、すでに。
後戻りする道は、もうない。
この話を読んで、「あれ、通称では呼ばないの?」という疑問を持った人もいると思います。
その答えとしては以下の通りです。
”紅世の徒”の呼び方として、本来であればこの世では通称で呼ぶのが正しい作法(のはず)です。
が、まだフレイムヘイズの歴史が浅い太古の時代なので、そういった作法がそれほど重要視、ないし復旧していない設定になっています。
個人的に古いフレイムヘイズほど真名で呼ばれるイメージなので、これからも本小説では真名重視でいきます。
後、ぶっちゃけカタカナ名よりも小難しい真名を使った方が『シャナ』っぽい雰囲気がでるので。