Fa#e/also sprach "FAKER"   作:ワタリドリ@巣箱

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或る冬の一日(3)

 放課後。これから生徒会活動が始まるのだという真里花を見送ると、入れ違いに九郎がやってきた。昼休みから姿を消していて、そのまま午後の授業にも戻らなかったのだが、とりあえずその間に頭は冷えたらしい。少なくとも普段通りの快活さを装える程度には、九郎のヒットポイントは回復しているようだった。

「とゆーわけでヒロ、帰りにゲーセン寄ってこうぜ。神座万象シリーズで対戦プレイしようぜ。へへっ、獣殿を使って総てを(アイ)してやるよ……」

 そう言う九郎の目は、よく見れば微妙に血走っていた。ちょっと危ない人のようにも見えかねない。

「いや、今日はもうまっすぐ帰るべきだと思うよ。そして枕に接吻しながら、一人静かに咽び泣くんだよ。青春っぽくて楽しそうだろ?」

「楽しかねえよ! ……あー、でも、確かにそういうのも悪くないような気がしてきた。そうさ、俺にだって妄想の世界になら彼女の一人や二人くらいできるもんな。むしろそれができずしてリアルに彼女を作ろうだなんて烏滸がましいくらいだもんな」

「いや、全くそんなことはないと思う」

 とはいえ、これで九郎は寄り道せずに真っ直ぐ帰るつもりにはなってくれたようだ。ひとまずは安心して、紘人もまた鞄を取り上げる。

「よっしゃ。そうと決まればさっさと帰ろうぜ」

「いや、今日は用事があるんだ。ごめんね」

「……また〝いや〟かよ。さっきから三回連続で〝いや〟って言われたよ。俺振られすぎだろ……今日は何て日だ!?」

「いや、最初のアレは振られる以前の問題だったと思うけどな」

 結局、四回目の〝いや〟をも重ねることになってしまった。言いたくて言っているわけではないのだけれども。

 未だ失恋の傷が癒えていない九郎を構いつつ、紘人は視界の片隅で史太の姿を捉えていた。この転校生もまた紘人と一緒に帰りたそうにしていたのには気づいていたのだが、「今日は用事がある」という台詞を聞きつけて、しょぼんと肩を落としてしまっていた。

「それじゃあね、九郎。……また明日ね、フミたん」

 けれども教室を出がけに一声掛けてやると、途端に史太はぱあっと顔を輝かせた。一瞬、不覚にも可愛いと思わされてしまったのは内緒だ。

 

 学校を出た紘人は、自宅のある星見塚商店街を通り抜けて、市内の西方にまで足を伸ばしていた。途中、商店街の花屋で小さな花束を購入し、そのまま〈あまりりす〉には立ち寄ることなく、一人で目的地を目指す。やがて辿り着いたのは閑静な住宅街。教会や病院以外には、これと言ってめぼしい施設のない町区だ。

 そこは紘人にとって、とても思い出深い地域だった。というのは、彼はここで生まれ育ったからだ。父や母や姉――彼らと過ごした時間は、その殆どがここに蓄積されている。

 ただし、五年前の今日――あの忌まわしい事件が起きるまで、の話だが。

 やがて住宅街の外れに差し掛かってきたところで、紘人は足を止めた。ふと空を見上げれば、沈みゆく夕陽が空を真っ赤に染め上げている。否、その赤に侵されている空だけではない――十字架を掲げる神の家もまた、かつての惨劇を思い起こさせる鮮紅に包まれていた。

 冬原教会。それがこの場所の名前だ。今朝のテレビニュースの中でも垣間見た光景。

 ロマネスク様式のシンプルなデザインが特徴であり、建物の形はラテン十字を模して左右対称になっている。――そう、()()()()()()()()

 唯一の違いがあるとすれば、現在の建物は以前のものと比べて、比較的真新しい部類に入るといったことくらいだろうか。だがそれも当然のことだ、なぜならばこの教会は今から四年ほど前に再建されたばかりのものなのだから。

「…………」

 その思い出深い建物を、紘人は無表情に見上げる。

 まるで時間の流れから切り離されているかのように、冬原教会は昔からずっと変わらない姿で、そこに佇んでいる。それはあたかも、かつてこの地で起きた惨劇をなかったことにしようとするかのように――。

 つまらない感慨だな、と紘人は溜息を一つ零すと、そのまま聖堂の裏手にある墓地へと向かった。いくつもの墓碑が立ち並ぶの中、一際大きな墓石が目立つ。刻まれた〝慰霊碑〟という文字が遠目からもよく見える。紘人の家族もまた、そこに眠っている。両親、姉、そして叔父。

 それは、今から五年前に起きた宗教テロの犠牲者を弔うためのモニュメントであった。

 二〇一二年一月三十日。この日、冬原教会にてミサが執り行われる中、武装した外国人たち――〈双頭の鷲(ドッペルアドラー)〉を名乗る一団が教会を襲撃した。彼らの国の言葉で何かを叫びながら銃を乱射し、更には建物に火を付けるという始末。その場にいる全員を殺傷することそれ自体が目的としか思えないような、一方的な虐殺であった。犠牲者は優に四十名以上にも及んだ。

 しかし日本の法執行機関とて、この状況を手をこまねいて見守っていたわけではない。即座に警察の特殊部隊が出動し、襲撃者たちはその場で全員が射殺された。この迅速かつ的確な行動のおかげで、紘人を含めた数名はかろうじて生きながらえることができたのだ。特に紘人などは――場所柄これを〝奇蹟〟とでも呼ぶべきか――ほぼ無傷にも等しいような軽傷で生還できた。

 とはいえ、もちろん全くの無傷というわけではなかった。彼の場合、体よりも心に傷を負わされたのだと、医者がそれらしいことを言っていた。

 例えば、紘人には事件に関する記憶がほぼ抜け落ちていた。武装勢力が聖堂内に押し入ってきたところまではかろうじて思い出せるが、その後どういう経緯があって、自分が病院のベッドで目を覚ましたのか、その過程がすっぽりと抜け落ちている。

 またこの日以来、紘人は時たま左腕が疼くという奇妙な感覚に苛まれることにもなっていた。中学生の頃などは、思春期特有の自意識過剰な連中と同類に見られてしまうこともあり、何気に苦労させられたものだ。

「あれから、もう五年か……」

 それとも、まだ五年、と言うべきなのか。ただ何にせよ、今日に至るまでの日々は、決して不幸せなものではなかった。そのことを、墓前に伝えに来たのだ。紘人は慰霊碑に花を手向けると、膝を折って瞑目し黙礼する。たっぷり十秒。頭の中を、およそ一年分の想い出が駆け巡る。楽しかったこと、嬉しかったこと、悔しかったこと、悲しかったこと。彼らが生きていれば、きっと交わしていただろう言葉の数々を。

 最後に季節外れの転校生の存在に思いを馳せたところで、紘人は目を開けて、立ち上がる。

「それじゃ……また来年にでも、気が向いたらお参りに来るよ」

 絶対に来る、などと約束はしない。それは死者を重石にする行為だ。彼らはきっと、そんなことは望まない。結局、墓参りというのは自分のためにするものに過ぎないのだから。

 そのまま教会を後にしようかとも思ったが、聖堂の前を通り過ぎようとしたところで、ふと足が止まった。或いは後ろ髪を引かれたとでもいう感じか。

「……んー」

 このまま帰ってしまいたいなぁ、というのが偽らざる本音である。それは確かだ。

 けれども、顔を出さないでおくと臍を曲げるのかもしれないなぁ、と後ろめたさのようなものも込み上げてきてしまう。別に悪いことはしていないし、そもそも約束自体した覚えもないのだから。

「…………」

 逡巡は一瞬、すぐに結論は出た。悩んでいる時間自体が無駄なのだと、今朝もそう感じたばかりだったではないか。

 意を決して――仕方なく紘人は踵を返すのだった。

 

 聖堂の扉を押し開けると、丁度その最奥――祭壇の手前において、一人の少女が祈りを捧げている姿が目に留まった。ステンドグラスから差し込む柔らかな光が、この尼僧の少女を祝福するかのように包み込んでいる。

「天にまします我らの父よ、願わくは御名の尊まれんことを――」

 玲瓏な言葉と共に紡がれる聖句が、堂内に物柔らかく反響する。

 紘人がこの少女と巡り会ったのは、今から約四年前。丁度この教会が再建されたばかりの頃。その姿を初めて目の当たりにした時は、あまりにも俗な喩えだが、まるで天使が人の姿を借りているかのような印象を受けたものだった。

 彼女のことを一言で表現するならば、白。

 白い少女であった。その肌は細雪のように白く、その瞳は澄み切ったブランデーを思わせる琥珀色。その人間離れした美しさが、先天性色素欠乏症症――アルビノと呼ばれるある種の障碍であると知ったのは、もう少し後になってからのことだった。

 尼僧の祈りを邪魔しないよう、紘人は音を立てることなく手近な最後列の座席に腰を落ち着かせる。

「我らが人に赦すが如く、我らの罪を赦し給え。我らを試みに引き給わざれ、我らを悪より救い給え。――エィメン」

 結びの言葉の後、尼僧は慣れた手つきで十字を切る。そして顔を上げるとゆっくりと聖堂の後方――紘人の座して待つ方向を振り返った。最初からそこに彼がいることが解っていたかのような動作だった。少女はにっこりと人懐こい笑みを浮かべる。

「お久しぶりです、紘人。またしても丁度一年ぶりですね」

 クローディア・ジャルーサラムというのが、このドイツ系アメリカ人の少女の名前だ。顔に見合わず流暢な日本語を操っていることには、今更驚くまでもない。

 ゆっくりとした足取りで歩み寄ってくるクローディアに、紘人もまた小さく目礼を返す。

「どうも。クローディアさんこそ、全くお変わりないようで」

 それは世辞でも皮肉でもなく、何ら偽ったところのない率直な感想だった。紘人の記憶が正しければ、クローディアと初めて出会った四年前から、ずっと彼女はその姿が変わっていない。年齢を重ねている様子が全く見受けられない。かつては年上のお姉さんという印象だったのに、今年になってはもう年下の後輩みたいに思えてくる。

「ふふ、嬉しいことを言ってくれますね。そういう紘人は、また一段と逞しくなりました。初めて出会った頃とは見違えるようです」

 過去を振り返ってか、懐かしげに目を細めるクローディア。そういう仕草はとても老成していて、やはり外見年齢に見合わないだけの年数を生きているのだろうということを、仄かに想像させてくる。

「紘人は、今日もお墓参りにいらっしゃられたのですか?」

「ええ。と言っても、もう既に済ませてきましたが」

「なるほど。もう用事はお済みになったのに、こうして私に会いに来て下さったわけですね」

「まさか。僕はただ、神様に日々の感謝を伝えに来ただけですよ」

「神前にて嘘はいけませんよ、紘人。あなたは神を信じていますが、仰いではいません。その程度のことなど、とっくの昔にお見通しなのですよ」

 どうだ恐れ入ったか、と鼻高々に薄っぺらい胸を張るクローディア。然様で、と紘人は肩を竦めた。

「とはいえ、理由はどうあれ、こうしてまた私に顔を見せてくれた主のお計らいには、私としてはもう感謝の言葉が尽きないわけですよ。一年に一度の、決して欠かされることのない逢瀬……実にロマンチックではありませんか!」

「クローディアがそう思うのならそうなんでしょう。クローディアさんの中では」

「ええ、私の中ではそういうことになっているのですよ」

「…………」

 紘人が何を言ったところで、尼僧はにこにことした楽しげな笑みを崩さない。これがクローディアの素であるのか、それとも今日という日が特別なだけに紘人が気を遣われているのか、どちらが真相なのかは、まだ付き合いの浅い彼には知る由もない。

 だからこそ、「ところで――」と切り出したクローディアの目が笑っていなかったことには、敏感に気づけてしまった。

()()()調()()()()()()()()?」

「……まぁ、大事はありませんよ」

 左腕の疼き――慢性的な違和感は、五年前からの付き合いだ。程度はぐっと低まっているし、今更気に留めるほどのものでもない。ただ――なぜクローディアがその一点に限って気に掛けようとするのか、それだけは腑に落ちない部分があったが。

「そうですか。ご自分の体なのですから大切になさって下さいね」

「お気遣い痛み入りますよ」

 言うなり、紘人は腰を上げる。元々長居するつもりはなかったのだし、それに――やはりと言うべきか、この場所は水が合わないという感覚が纏わり付いて離れないのだ。

「じゃ、僕はそろそろ帰るとしますよ」

「あら、もうそんな時間なんですね。……外は暗いですから、お気をつけてお帰り下さいね。またのお越しをお待ちしております。神のご加護を」

 そう言ってクローディアが浮かべた微笑みは、先ほどのぎこちなさとは打って変わって、柔らかく慈愛に満ちたものだった。

 この人はきっと、隠し事をするのが苦手なのだろう。何となくそう思った。

 

 冬は日が沈むのが早く、聖堂を出ると、外はもう夜だった。

 スマホで時間を確認すると、十八時を少し過ぎた頃合い。空気の透き通った冬の夜空では、星々が明るく瞬いている。

 そうやって空ばかり見上げていたため、教会の敷地内から出る際に、人とぶつかりそうになってしまった。

「おっと、すみません……」

「へへっ、気をつけてくれよブラザー。これからも、な」

 紘人と入れ違いに教会内に入っていったのは、大柄な黒人男性だった。暗がりでよく見えなかったが、法衣のようなものを着ていた辺り、彼もまた聖職者なのだろう。

 白い少女と黒い大男。なかなか洒落た取り合わせだ。また来年にでも、話の種にできるかもしれない。

 教会から離れるにつれて、徐々に足取りが軽くなっていく。星見塚商店街のアーチが見えてくる頃には、今日あった色々な出来事の中でどれを叔母に話そうかと、そんなことを考えているのだった――。

 


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