ドアを開けると、身を切るような寒さが途端に襲ってきた。東京でこの寒さだ。もしこれがもっと北だったなら、それはもう大変な寒さだろう。死んでしまう。
青森ではもう雪が積もっている頃だろうか。それとも雪が降っているだけか。まあ、どちらにせよここより相当に寒いことは確かだ。
「あっ……もう。中で待っていてくれればよかったのに。寒かったでしょう?」
「そんなに寒くなかったよ。長く待っていた訳じゃないし」
……まあ、嘘だけど。
愛歌と一緒に出掛ける約束――つまりはデート、と言われるものなわけだが。彼女と待ち合わせた駅前の広場で本を読みながら待つこと一時間ほど。いや、我ながら子供っぽいとか、馬鹿だろとか、色々思う所はあるのだが。
デートをすると考えたらどうにも落ち着かなくて、約束よりも早すぎる時間に家を飛び出した。結果として虚空に白い息を吐きつつ、どこぞの忠犬の如く人を待ち続ける男という構図が出来上がったのだ。
このことは愛歌には内緒にしておきたい。いや、だって、ねえ? 恥ずかしいじゃないか。そんな待ちきれなくてずっと早い時間に家を出てしまう、なんて。子供か。
「ふふ、やっぱり嘘を吐くのが下手ね。耳が真っ赤になってる」
「しまったな。そこは考えてなかった……そんなに真っ赤になってる?」
「ううん、全然。カマをかけただけだもの」
まんまと引っ掛かったってわけか。うん、くすくすと笑う顔が少し憎らしい。
すっ、と手を出して愛歌の身体を抱きしめる。そしてそのまま抱き上げると、小さい子にやるようにくるくると回る。お互いに服を着こんでいるから酷くやりづらいが、それでもやる。
「わ、わわっ……!」
「……ふぅ。そろそろ行こうか? あまり時間もないし?」
「今の流れはなんだったの!?」
特に理由はない。気分だ。
「……もう」
愛歌を地面に下ろし、手を繋いで歩き出す。東京の、都心に近い並木通りということもあって多くの人が歩いている。その大半が若いカップルで、自分たちも彼らと同じように見られているのだろうと思うと、なんだか不思議だ。
ああ。思えば、ここまで来るのにえらく遠回りしてしまった。けれど、こうしてみれば俺たちはあれで正しかったような気もする。
ふと、隣を歩く何よりも愛おしい彼女を見る。
「? なあに?」
「いや、なんでもない。ただ……愛歌とこうしていられることが幸せだな、と思ってさ」
「……そうね。こうやって二人で、ゆっくり過ごせる。言葉にしてしまえば大したことはないのだけど、でも、それが一番難しいことね」
ただ手を握っているだけだったのが、指と指を絡める、より深いものへ。手の平全体で彼女の熱を感じる。この温かさこそが生きている証。沙条愛歌がここに存在しているという証明。
ああ――本当に。俺はどれだけ彼女を好きになればいいんだろうか。一日、一時間、一分、一秒ごとに想いが強くなっていく。まるで底のない沼みたいだ。
「ん、そろそろかな」
「あー、と。確かこの角の先に……」
「わあ……!」
少し古ぼけたビルの壁を越えると、どうにか時間に間に合ったようだった。
多くのカップルが囲む広場の真ん中。大きな噴水がちょうど巨大な水のカーテンを作り出し、そのカーテンに色とりどりのライトが照射されて幻想的な光景を生みだす。赤、緑、青、黄、光と水が躍る。
愛歌が感嘆の息を漏らし、目を輝かせる。根源接続者であろうと、彼女は普通の女の子なのだ。当然、こういうイベントだって楽しむし、ロマンチックなことに憧れたりもする。
まあ、だからというわけじゃないが、偶々雑誌でこういうイベントをやるということを知って、いいんじゃないかと思ったわけだ。
「ね、ね。もっと近くに行きましょう?」
「あんまり急ぐと危ないぞ」
手を引かれて近くに寄ると、水の噴き出す勢いが増してちょっと身体にかかる。いや、別に気にしないけどさ。
なんてことを考えていると、袖を引かれる。
「……ね。今ここに来れて、あなたと一緒にこれを見ることが出来て……すっごく嬉しい。本当にありがとう!」
「……ああ。俺も愛歌と一緒に来れて、本当に嬉しい。これからも……お?」
「あら?」
よろしく、と言おうとしたところで頬に冷たいものが触れた。それからすぐに白いもの――雪がちらほらと降ってくる。周囲でも雪が降っていることに気付いたカップルが歓声を上げている。
「ホワイトクリスマスね」
「ん、そういえばそうか」
「……ねえ。もうちょっとだけ見ててもいい?」
「もちろん。そこのベンチにでも座るか?」
「ううん。このまま……こうして見ていたいな」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
降り始めた雪が街を僅かに白く染める。当然ながらそこまで積もりはしないが、それでも帰り道で見た景色は普段と違っていて。まるで違う街に来たかのような気分になる。
……そういえば。
「なあ」
「?」
「綾香へのクリスマスプレゼント、本当にケーキでよかったのかな」
「んー、あの子が欲しがるものは多分お父さんがあげちゃってるし、本当に欲しいモノは私のものだからあげられないし……でも、そうね。少しだけ、遊んであげて?」
「そんなことでいいのか?」
「本当はそれ以上が欲しいのだろうけど、ちょっと許せないし、ね。もちろん、その後に私も構ってね。あ、折角だからお酒買っていきましょうか」
「お義父さんの分は?」
「……なくていいかな」
二人で冬の街を歩く。煌びやかなイルミネーションの施された店を通り過ぎ、楽し気な笑い声の響く家を通り過ぎ、街灯に照らされた道路をゆっくりと、一瞬を惜しむように。そうしてようやく、見慣れた家の姿が見え。扉を開こうという段階になって今更に過ぎる気もするが、言っていないことを思い出した。
「愛歌」
「なあに?」
「メリークリスマス」
何故だか固まってしまった愛歌を置いて、ドアを開ける。すぐに美味しそうな匂いと楽し気な笑い声が届く。もう始めているみたいだな。綾香、遅れたことに腹を立てていないといいが。
そう考えつつ靴を脱いで上がろうとした瞬間、すごい力で引っ張られて後ろを振り向かされ、唇が何かで塞がれた。いや、訂正。これは……愛歌の唇だ。つまりキス。接吻。
突然のことに対する抗議の意味も込めて二、三度頭を撫でると、すぐに離れて。すでに引き返せないところまで浸かっているというのに、またさらに恋に落ちてしまうくらいの、可憐な笑みを浮かべて言うのだ。
「メリークリスマス!」
他のカップル(なんかやべーのがいる……口の中がじゃりじゃりするんだけど……)
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