そういえば爆豪君が個性を筋繊維に例えてたけど、轟君の個性はハイブリットカーに例えた方が近い気がするって最近の思い。
「は?」
間の抜けた声を上げたのは、爆豪君だった。
彼だけではない。試合を見ていた誰もが、圧倒的に有利だった、勝利も目前だった僕が突然降参した事に口を開けて呆けていた。
僕はそれを無視して、審判台に立つミッドナイトを横目で見た。
「……ミッドナイト先生」
「え、ええ。金木君降参により、爆豪君の勝利!」
「はあぁあああ゛!?」
観客が状況を飲み込めずに居る中、いち早く正気に戻った爆豪君が抗議の叫びを上げつつ、体当たりする勢いで僕の胸倉を傷だらけの手で掴んだ。
五感の内特に重要な二つが使い物にならなかったせいか、どのくらい戦っていたか時間の感覚がいまいち無いが、大いに手加減をしても彼の体はずたぼろだった。しかし激情に身を任せた爆豪君にはそれを感じる余裕も無いらしい。痛みも疲れも忘れたように掴んだ胸倉を力いっぱい揺さぶる彼の吊り上げられた目を見ないように、僕は俯いた。
「ふざけてんのかテメェは!クソが……。最後まで!殺すつもりで来いよ!!」
「……」
彼には申し訳ないと思っている。
きっと、彼に真剣に向き合わなかった僕の行動は彼にとってこれ以上無い侮辱だったのだろう。怒りも謗りも甘んじて受けよう。百ちゃんに提案してもらったとはいえ、この精神状態で焦凍と戦う事ができないと決勝戦から逃げる事を決めたのは、他でもない僕なのだから。
「なんか言えよ!このクソ白髪頭ァ!」
じわり、僕の体育着に滲む彼の血が甘く香った。
「怪我が、広がるよ」
「るせえよ!ほんとに、お前は俺の神経を逆なで、する事しかっ」
「……ごめんね」
いよいよ痛みで呂律が怪しくなってきた彼に一言謝り、それがまた気に触ったらしい彼が何か言う前に細心の注意を払って
白目を向いて倒れる彼を受けとめて、その身を救護ロボットに預ける。
「おいおい、何だこの試合は?」
「わざと負けたのか?でも、何で」
「強者の余裕って奴?何かカンジ悪……」
「ヒーロー候補生なのに戦いから逃げてどうするんだ」
尤もな批判が聞こえても、大して驚かなかった。分かりきった評価、当然の帰結だろう。
「あなた達!金木君は、爆豪君の怪我を思って、」
ミッドナイトが庇おうとするのを頭を振って止めた。
確かに爆豪君の怪我も心配だったが、あのくらいじゃ
僕と戦った彼が炎を使わなかったら、きっと今までと同じように接する事は出来ない。それが何より恐かった。
「でも、金木君」
「ありがとうございます。その気持ちだけで、十分ですから」
本当に、その優しさを僕に向けてくれるだけで十分すぎるほどだ。
「……分かったわ」
渋々ながら納得した様子のミッドナイトは、改めて会場全体に向けて声を張り上げた。
「両選手の負傷を考慮して、三位決定戦の前に休憩時間を入れます!……金木君も、目に怪我をしてたでしょう?色々考える事もあるだろうから、ゆっくり休みなさい」
最後に僕にそう言って背を向ける彼女に頭を下げ、ゲートから下がった。
将来のためにも雄英体育祭の"未来のヒーロー"を見物に来るヒーロー達に良い印象で顔と名前を覚えてもらおうと一回戦・二回戦共に派手に動いたはいいが、三回戦の準決勝になってこんな事になるとはな。爆豪君は全くもって厄介な相手だ。
それでも、今は僕の行動に悪感情を持っている人の声が大きいだけで皆が皆僕が不誠実だとは思っていないだろう。
わざわざ褒め言葉を言う人より痛いところを突こうと貶す人の方が多いことは良く知っている。他人相手ならばそれはなおさらの事、人間とはいつだってそういうものだ。
「こんな事なら、ハンバーグくらい食べておけばよかったな……」
「うわぁっ!」
「っ!」
「あ、ああ。金木しょうね……ゴホン、金木君、だったかな。試合、お疲れ様」
「えっと、ありがとうございます」
「目は大丈夫かい?血が出ていたようだけど」
「はい。完治しました」
心の底から心配だと言わんばかりの声と顔に、見知らぬ相手であるのにこちらも思わず警戒心を少し解く。
気が抜けたからか、難しい顔を晒してしまったのだろう。やはり心根の穏やかさが滲む気遣わしげな目が僕の眉間の皺をそっとなぞるのに気付いて苦笑する。
「何か、悩みがあるのかな」
「それは……」
「ああ、いや、突然現れた人に軽々話すような事でもないよね!?ごめん!」
「……いえ、よろしければ、聞いていただけますか?」
それは、常の僕ならありえないことだった。
猜疑心とまでは行かないが、過去の経験から他人を手放しに信じるというのが苦手な筈なのだが、彼はどういう訳か"手放しに信じざるを得ない"ような説得力のある雰囲気があった。
今後関わる事の無さそうな赤の他人だと言うのもあるだろう。
「力加減が苦手なんです」
「力加減……か」
「こちらに明確な悪意を持って接してくるヴィラン相手だったら僕もある程度力を出せますけど、授業で戦うのは同じヒーローを目指す子供でしょう?たとえ相手が身を守る術を持っていても、考え無しに力を振るうなんて出来そうにない」
そう、それこそが爆豪君と僕の決定的な違いだ。彼は入学後すぐの授業で緑谷君に信じられないほど高火力な攻撃を放った。その火力と言ったら、思わずオールマイトも苦言を呈す程だった。
「そうなんだね。それで……」
「見た目で判断して申し訳ないですが、貴方の個性は単純に力の強い個性では無さそうだ。この感覚は分かりにくいですよね。そうだな……分かりやすく何かに例えると、手の上に小動物が乗っているとするでしょう?落ちないように握れば痛がってしまうだろうし、反対に何もしなければ小さな足が震えて落ちるかもしれない。そんな存在を前に、どうしていいのか分からなくなるんです」
「な、なるほど…分かりやすいね」
苦笑する彼に僕も出来の悪い笑顔を返して続ける。
「それは思ったより頑丈なのかもしれないし、落ちても怪我をしないように着地する知恵があるかもしれない。だからといってその小さな体を握りこんだり、震えるその足を見ない振りして放っておく事は出来ないでしょう。……大切なものを守るには、力が必要だと思っていたのに…力を使うには、"ヒーロー"でなければならない」
「………そうだね。こんなナリだけど、君の気持ちは痛いほど理解るよ!」
同情からだろうか、胸の前で手を振って早口にそういう彼にどうだかと内心首を捻る。
「あ……すみません。見ず知らずの貴方に関係ない相談を…。どうしたんだろう僕、はは、ちょっと参ってるのかも知れないです。ただ、貴方の声や雰囲気がオールマイト先生に似ているような気がして」
「えっ!?そ、ソンナコトナイヨ」
隣の男性が急にしわがれた声で片言に話してぎょっとそちらを見る。
彼はこけた頬に冷や汗を垂らして、困ったように目を泳がせていた。
あ、そうだ。誰だって自分に他人を重ねて見られたら嫌なはずだ。僕は誰よりもそれを知っているはずなのに、無意識に人に同じことをやってしまっていた。
僕は自己嫌悪の滲んだ声で彼に出来得る限り丁寧に謝罪した。
「ごめんなさい、勝手に人に重ねるなんて失礼でしたね。気にしないでください、本当にすみませんでした。……それじゃあ」
「!ちょ、ちょっと待っててくれるかな!!」
「はい?」
こちらの返事も聞かずにワタワタと走り去ってくひょろりと長い背を、僕は口を開けて見送る。
いや、最初に呼び止めてべらべらとしょうもない相談をしたのは僕だが、僕にもこの後のトーナメント前に準備したいことだってある。……まあ、グチャグチャに掻き乱れた心を落ち着かせるくらいのものだけど。
「悩める少年の下に―――私が来た!」
彼が消えた角からやってきたのは、筋骨逞しい平和の象徴、オールマイトだった。
まるで先程の彼が変身したかのごとき登場に僕は今度こそ開いた口が塞がらなかった。
「やあ金木少年!すまないが彼から話は聞かせてもらったよ」
「あ、お…オールマイト先生?あの人とお知り合いですか?」
「ま、まあそんなところだね!」
「はぁ」
「じゃなくて、金木少年!」
「はい」
場の空気を切り替えんと声を張るオールマイトに、僕の背も自然正される。
オールマイトは僕を真剣な目(高い眉骨の影で実際はよく窺えなかった)でじっと見ている。そうだ、さっきの男性に僕の悩みを聞いたのだったか。このちっぽけな悩みを。
聞くは一時の恥、とはよく言ったものだが、やはり彼に僕なんかの
大きなオールマイトの前で自分の存在すらもちっぽけになったように感じ、僕は折角正された背をまた小さくした。
「君の抱える悩みは、何もおかしなものではない。立派なものだよ」
「……え?」
「私だって、この力を使うのを躊躇う時がある。ヴィランだって犯した罪に大きい小さいはあるし、正直になところ、私が少し本気を出せば人を殺めてしまうだろう。大きな力とは、得てしてそういうものだ」
「……」
オールマイトは拳を握ってそれをじっと見つめた。
僕もそれに習うように自分の手の平を見る。前世では沢山の喰種を殺め、食らってきた。この手を悪人の血に染めるのには慣れっこだったが、僕がなりたいのは"ヒーロー"なのだ。悪人に私刑を執行する存在では決してない。
「そんな時に重要な事は何か?大切なのは、どんな力を持っているかではない。その力を
「何に、力を使うか」
それなら僕は、誰かを
「金木少年、君はとても優しい心を持っている」
「?」
「私は、君のその優しい心を信じている。だから、君が正しいと思って力を使うことは、正しい事だと思うよ」
「っ、」
こんな、こんなに嬉しくて、重たい言葉は無いだろう。
「あはは、それは……責任重大、ですね」
眉尻の下がった情けない顔で笑うと、オールマイトがワタワタと慌てたように手を動かした。
「あ、違っえ、逆効果だった!?違くてだね、だから、そんなに重たく考えなくても、ほら、実力差が大きいほど力加減は却ってしやすかったりするし、強い力をそんなに嫌ったりする事はしなくても良いんだよって意味であって…!」
「はい、分かってます」
ありがとうございます。
そう頭を下げると、頭上にオールマイトのほっと息を吐いた気配を感じた。
重たい言葉だ。だが、ヒーローになると自分で決めた以上、やはりこの
平和の象徴とまで言われ、最強の個性を持つと謳われるオールマイトの言葉には、大きな意味があった。
「お役に立てたのかな」
「ええ、とても」
「それは良かった!それじゃあ、この後も頑張ってくれ!」
心なしかしょんぼりと垂れていたオールマイトの耳のような髪の毛がピンと元気になった。
彼は僕に激励の言葉を掛けつつも、「あれ、これっていち生徒に肩入れしてる事になるのかな?」と首を傾げる。心配しなくても、頑張れくらいで特別な何かを感じるほど無垢ではない。
僕はオールマイトに別れを告げると、幾分か晴れやかな心地で控え室へと戻った。
正直なところ、期待していたアドバイスはどのように力加減をしているかであって、彼の答えは精神論に帰結するものだったが、うじうじ悩むよりはずっとマシだ。つまるところ、心持ち一つでどうとでもなるということだ。
「……来たか、金木」
「待たせちゃったかな、常闇君」
「お前と相対するこの場が決勝でないことが悔やまれるが、互いに力の限りを尽くそう」
爆豪君の回復を待つ間、先に3位決定戦が行われることになった。目をやられたといってもとっくに回復しているし、僕もその判断には賛成だった。
幸いにも決勝ほど注目されていないこれは、言ってしまえば観客にとっての休憩時間のようなものだ。
休憩中にさっきの試合を振り返っていてひとつ思ったことがある。あそこまで爆豪君を痛めつける結果になってしまったのは、僕が力加減と手加減を履き違えていたからじゃないかというものだ。それは言葉の意味合いのニュアンス程度の違いかもしれないが、やはり彼に対して"手加減"をしていた事が爆豪君の負けん気を刺激して余計な怪我を負わせる羽目になってしまったのではないだろうか。
オールマイトの言葉もあって、先の試合ほど精神の乱れは無く、心は凪いでいた。
「うん。
今度こそ。
開始の合図の直後、こちらの様子見がてら常闇君の"個性"黒影が向かってくるのを赫子で払う。そのまま邪魔な黒影は赫子で妨害し続けて、僕は本体である常闇君に一気に距離を詰めた。
突然目の前に現れた僕に目を瞠り咄嗟に防御した腕を掴んでしゃがみ、僕の背中に乗せるように腕を引く。気を引こうと黒影が赫子を避けてこちらに向かってくるが、それをもう一本出した赫子をぶつけて退けた。弾いた方の赫子も地面に刺さって穴を開ける。
「見もしないか、っ!」
常闇君の重心が完全に僕の背に乗った時、曲げていた膝を伸ばして彼を地面に転がした。
ステージ上を縦横無尽に逃げ回りつつ、バチバチと絶えず赫子と衝突を繰り返す黒影が悲鳴に似た声を上げる。
「コイツも自立して動いてんのカヨ!?キャインッ!」
「クッ」
右腕を狙い踏み下ろした足を避けるために左に転がって立ち上がろうとする常闇君をあえて見送る。予想通り、立ち上がってすぐ先程赫子で開けた大きな穴に足を引っかけた常闇君はまた倒れんとよろめいた。
「黒影!」
「今はムリ!」
何とか立て直さんとたたらを踏む彼を今度は見逃さずに、すかさず連撃で追い詰める。もはや腕でのガードも追いつかず、されるがままの彼は苛立たし気にくちばしを鳴らした。
もうすぐそこに見えるはエンドライン。
「これで終わりだ」
胸の辺りで防御したままの常闇君の腕の上から、場外に押し出すように最後の一撃の蹴りを放った。
「そこまで!常闇君場外、勝者、金木くん!!」
表彰台にて、3位の台に立った僕は隣で拘束具を付けられて尚暴れる爆豪君から微妙に目をそらした。
決勝戦を観戦したが、焦凍は結局炎を使わなかった。僕との試合もあってか知らないが、それが大変気に入らないらしい爆豪君が暴れ回ったためやむなく拘束された。全国放送されているが大丈夫だろうか。
僕はともかく、焦凍のことは許してあげて欲しい。過去の事もあるし……悩み続けた時間を考えれば、はずみで使えたとしてもその後すぐに吹っ切れる方が難しいというものだろう。逃げた僕が言えば逆効果なことは明白なので、僕からあえて爆豪君に何か言う事も無いが。
メダルの授与はオールマイトが行うらしい。初めに3位の僕の所へ来た彼がメダルを捧げる様に持ち上げたので膝を曲げて首に提げてもらう。
「金木少年、君が悩んでいた事はとても難しい事だ。大人でも、その悩みに対する本当の答えを持ってはいないだろう。それを克服する事が正しいのかは分からない。だが、君がこの学び舎で、君ならではの答えを見つけられると私は思っているよ!」
そんな言葉と共に、僕の初めての雄英体育祭は終わりを迎えた。
テレビの前にイスを一つ置き、猫背で爪をかじる青年。
男は口角を片側だけ持ち上げて、ガタガタになった爪で白くくすんだ髪をかき回した。
「
画面の中、派手な盛り上げを見せる試合の中でうねるその触手をみて、ようやっと男は声を発した。
「見つけた、"カネキケン"」