言霊使いの上級生   作:見波コウ

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九校戦編-Ⅳ

 何かに追われているときほど時間の流れは速く感じてしまうもので、九校戦当日までの期間もあっという間に過ぎてしまい、いよいよ九校戦へ出発する日になった。

 真由美が家の事情で遅刻するというトラブルがあったが、それでも時間には余裕を持って行動しているので今日の夕方に予定されている懇親会には充分に間に合う。

 会場に向かうバスの中、至言は窓際の席で一つの考え事をしていた。

 それは幹比古についてだ。

 九校戦準備期間も幹比古の修練に付き合っていたが、途中で彼から過去に起きた事故の内容を聞いていた。

 吉田家の最終目標である水の大循環の独立情報体「竜神」の喚起の失敗。

 それを幹比古から聞いた至言は「ああ、なるほど」と一人で納得した。

 結局のところ力量が足りない状態でそれほど強力な神霊にアクセスしたことが原因だったのだ。

 幹比古は当時を思い出しているのが沈んだ表情で言った。

 

「自分の中の想子(サイオン)が、無くなったんです。抜き取られたかのように……」

 

 魔法の暴走は起きず、彼は想子(サイオン)の枯渇を感じたことしか覚えていないという。

 おそらくだが、彼の足りなかった処理速度を「竜神」が無理矢理引き上げたのだ。そして魔法演算領域が彼の知らないところで魔法式を次々と投射した。想子(サイオン)の枯渇はこのせいだ。

 精霊は自然現象を記録した想子情報体だ。竜神ほどの大規模な独立情報体ならば必要になる情報量は莫大なものになる。

 術者はその情報量に耐え、相手を支配、もしくは誘導可能な状態に置かなければならない。

 当時の幹比古はそれが出来なかったのだ。

 そして、彼が再三言っていた「魔法発動速度の感覚のズレ」はその引き上げられた処理速度のせいだろう。

 処理速度を無理矢理引き上げられたからといってその後の自分の処理速度が恒久的に速くなるわけはない。

 だが、幹比古はその当時の加速させられていた感覚のみを覚えてしまったのだろう。無理矢理引き上げられたという事実を忘れて。

 つまり、彼の魔法発動速度は彼の父や兄が言うとおりに低下してはいない。幹比古が一度経験した速度を基準にしてしまっていたのだ。

 そしてその基準に届かせるために正常に作動しているはずの魔法演算領域にあの手この手で工夫を凝らした。その結果がスランプだ。

 直すにはその「感覚のズレ」を自覚すればいい。

 魔法演算領域をフルに使ってあそびのない状態で魔法を使わせる。

 竜神の様に強力な情報体では駄目だ。足りない部分を引き上げられてしまう。ちょうど幹比古の魔法演算領域の限界で尚且つ彼の処理速度の限界に達するようなもので今の自分の限界を知ってもらう。

 問題はその為の術式を用意できないことだ。こればかりはどうしようもない。

 幹比古は気にしないと言っているが、夏目家がおおっぴらに吉田家の術式に手を加えることは難しい。そもそも至言は幹比古の魔法演算領域と処理速度を見極めてそれに則した術式を提供する技術はない。

 仕方が無いか、と一度思考の海から脱し、横に座る雫を見る。

 彼の隣の席には雫が座っているが、彼女は今、通路を挟んでほのかと深雪と話していた。至言が一人で何か考えていることを察して邪魔しないようにしてくれていた。

 会話が一区切りついたのか、それとも至言が考え事を終えたのを察したのか通路側に乗り出し気味だった雫がシートに腰を落ち着ける。

 

「ねえ、至言さん。去年の懇親会ってどんな感じだったの?」

「どんな、と言われてもな……。立食パーティーとはいえ参加者はこれから競い合う相手だ。表面的に友好的でも互いに牽制し合っている空気だったのを記憶しているが」

 

 至言の言葉に雫のみならず近くで聞き耳を立てていた一年生が渋い顔をする。

 これから予定されているパーティーが素直に楽しめる物ではないと暗に言われてしまえばそんな顔をしてしまうのも無理はない。

 

「まあ、同校で固まればそこまで気にすることはないだろう」

 

 学校代表として他校に挨拶をしたり、家の関係で挨拶をしに行かなければいけない人間はそうはいかないが、基本的に他校と積極的に関わりに行かなければそんなことはない。

 九校戦の最後には後夜合同パーティーも予定されている。九校戦が終わった後ならば勝敗に対し多少の想いはあれど大きく引きずることはなく他校との交流も楽しめるだろう。

 

「それじゃあ――」

「危ない!」

 

 雫が何かを言おうとしたときだった。ほのかと深雪の前の席に座っていた花音が声を上げた。

 対向車線に見える大型車が火花を散らしながら不自然な動きをしていた。

 それでも対向車線の事故だ。声につられて見た生徒の中には危機感を感じている生徒は少ない。

 しかし、その不自然な動きが大きくなり、対向車線との間にあるガード壁を乗り越えるのを視認した瞬間に恐怖が伝播していった。

 それに対し最も早く行動を起こしたのはバスの運転手だろう。ブレーキを目一杯踏み込み、車線上に飛び込んできた異物にぶつかる前にバスを制御する。

 迅速な行動が功を奏し、バスが止まったことに安堵する生徒が数人。

 しかし、その安堵もすぐに恐怖に塗り潰される。

 静止したバスに向かって炎を上げて滑ってくる大型車が見えたからだ。

 

「邪魔!」

「っ! 止まれ!」

「クソッ!」

「吹っ飛ばしてやる!」

 

 この時一部の生徒が起こした行動は褒められるべき行動ではなかった。

 同一の対象に複数の魔法で事象改変を働きかけることがどういう結果をもたらすのかを念頭に行動すべきだった。

 魔法が相克を起こし、発動が妨げられる。

 それだけではなく、多くの想子(サイオン)が存在する環境になり、その対象の付近にも魔法を使いにくくなる。

 この事を理解している人間は声を掛け合ったり、任せられる人間に任せる。

 本来ならば「鉄壁」と呼ばれる十文字家の人間である克人に任せるべきなのだ。

 摩利はそれを理解している内の一人だった。

 

「バカ、止めろ!」

 

 まだ行使されている魔法は発動中のまま未完成だ。ここでキャンセルすればまだ打つ手が残っている。

 しかし、彼女の警告も虚しく魔法式の重ね掛けは続けられている。

 

「っ! 十文字! 夏目!」

 

 瞬時に現状を打破出来る人間の名前を呼ぶ。

 摩利が至言のことを呼ぶのとほぼ同時に彼を中心に乾いた音が鳴り響く。

 限られた数人以外の意識がその音の発生源である至言に向かう。それと同時にいくつかの魔法は使用者の意識から外れ、それをきっかけに魔法がキャンセルされる。

 だが、摩利にはまだ懸念があった。炎上している車が防壁魔法にぶつかったとしたらどうなるだろうか。

 侵入した物体を静止状態に改変する移動系魔法である防壁魔法はその対象の強度などは考えられていない。

 克人の指定した領域に入るのと同時に壁にぶつかったかの様に潰れるだろう。燃料を積んである機構も同じくだ。

 

「わたしが火を!」

 

 それを理解している人間がもう一人いた。

 魔法の発動準備を終えた深雪が立ち上がる。

 彼女が目標物に手を翳し、魔法を発動する直前、燃え盛る鉄塊に重ね掛けられた魔法式が()()()()()()

 そして、それと入れ替わるように深雪の魔法が発動する。

 常温に冷却されることにより火の手が収まった車は克人が展開していた防壁魔法によってバスの前のエリアで壁に衝突したような音を立てて潰れ、動きを止めた。

 

「助かっ、た……?」

 

 そう小さく声を漏らしたのは誰だろうか。

 ともかく、その声を皮切りに安堵の息を漏らしたり、近くの人間と手を取り合ったりする姿が見受けられた。

 混乱が収まった雫もほのかと手を取り合って安堵する。

 

「よかったぁ……。あれ? ……雫、どうしたの?」

「……色々驚いた。特に音に」

 

 どうも彼女は自分の隣で音を立てられたことに驚いたらしい。

 至言の立てた音は手のひら同士を叩いて出したいわゆる柏手(かしわで)によるものだった。

 手を叩いて音を出すという行為は他人の注目を集める為に行うことがある。

 その行為に精神干渉系魔法を加え、注目を集めやすくしたというだけのものだ。

 ただ今回はバス内が混乱状態にあり、雑音が多かった為に振動系魔法で音の増幅も行った。それが隣でいた雫を驚かせたのだろう。

 

「雫、済まないが少し出る」

「えっ、あ、うん」

 

 至言の言葉に雫は道を譲るようにスペースを空ける。

 このバスも後続の作業車も教師が乗っていない。「大人だから」とたった二人の運転手に事故の後処理を丸投げするわけにはいかないだろう。

 絶望的ではあるが突っ込んできた車の運転手の安否確認。警察が来るまでの現場保存など色々やらなければならない事がある。

 

「あっ……と、そちらの方もありがとうございます」

 

 バスの昇降口に近づくと、克人と共に状況を確認しながら事故の報告と後続の作業車の運転手との通信を行っていた運転手が至言に礼を言う。

 衝突を防いだ事に対する礼なのだろうが、至言は大したことはしていない。実際に防いだのは克人で、爆発の危険性を抑えたのは深雪だ。

 ただ、バスの運転手からしてみれば事故の直後に近づいてきた人間はブレーキを踏んでも尚衝突しそうだった所を助けてくれた魔法師としか見えなかったのだろう。

 

「バスを安全な所に移動させてから私も手伝います」

「ええ、よろしくお願いします」

 

 軽い操作の後にバスのドアを開けた運転手がそう言ったのを聞いてから克人と共に至言もバスから降りる。

 二人が降りるのとほぼ同時に作業車からも数人の男子生徒が降りてくる。

 克人はその中にいたビデオカメラを持って降りてきた達也にそのままカメラを設置するように指示し、数人の三年生に事故車両のドアを切り取るように指示をする。そして続く様に現場の指揮官として様々な指示を出していく。

 その様子を横目に至言は懐から手のひらサイズのケースを取り出す。そのケースを開けると小さな鈴が顔を見せる。鈴には糸が結ばれており、糸の逆端は指を通すための輪が付けられていた。

 輪の中に指を通し鈴を吊るした手を前に出す。そしてもう片方の手の指で鈴を軽く弾く。この行動にも振動系魔法を加えているのか鈴の大きさにしてはやや大きめな音が鳴った。目を閉じてチリン、と鳴った音に意識を集中させる。

 

「夏目、どうだ?」

 

 目を開けた至言に一通りの指示を出し終えた克人が問いかける。

 

「駄目ですね。精霊の活性化の痕跡はありません」

「……少なくとも俺には外部から魔法を掛けられたようには見えなかった。だがあの挙動は明らかに不自然だ」

 

 対向車線からガード壁を越え、止まったバスに対して滑ってきたあの動き。

 少なくともただの事故で済ませられるような動きではない。

 だが、克人と至言がその動きを最後まで見た時には外部から魔法を使われた痕跡を知覚出来なかった。

 その為に二人が疑ったのは精霊による遅延発動魔法だ。

 精霊を車に潜ませておき、ある特定の条件下で事故を誘発する動きを起こさせる。

 潜伏状態の精霊を見つけ出すことは現代魔法の魔法師にとっては非常に困難だ。さらに古式の術式には偽装や隠蔽を施す場合が多い。そうなると術者として精霊を使役する古式魔法師でも場合によっては知覚するのが難しい。

 

「どう思う? 俺はやはり事故では無いと感じているのだが」

「同感です」

 

 自分たちの得られた情報では魔法が使われていないとしてもそれだけで判断するわけにもいかない。

 新学期早々に第一高校を標的としたテロがあったこともあり、二人は気を引き締める。

 

「警察への説明もしないといかんな」

 

 バスのような大型車が事故の報告をした際にはバスの位置情報を同時に送信することで警察や救助が速やかに現場に来ることが出来るようになっている。

 すでに微かにではあるがサイレンの音も聞こえてくる。しばらくすれば警察も到着し事故の調査を始めるだろう。

 

「ときに夏目、一つ聞きたいことがある」

「何でしょう」

「車が消火される前に消された魔法式。七草がしたわけではないと言っていたが……」

「私でもありません」

「……そうか」

 

 克人は一度、自分たちと反対側にいる達也を一瞥する。

 なんとなく、だが二人とも予想が出来ていた。

 魔法に対抗するための対抗魔法でもっとも有名なのは魔法式を想子(サイオン)の弾丸で撃ち抜く技術だ。高度な技術を要するが使用者には負担が掛からない。真由美が扱う対抗魔法はこの魔法だ。

 だが先程使用された対抗魔法と思しき現象はそんなものではなかった。

 存在する魔法式を全てかき消すような力技。

 克人も至言も同学年にそんなことが出来る人間を知らない。

 かといって同乗していた一年生にあれが出来るか、というと難しいだろう。そもそも大半の一年生は魔法を使用していた。

 深雪なら可能性としてはあるのかもしれないが、辺り一帯の魔法式を消すような魔法を同じ車内で使われたとしたら気付かないわけがない。

 後続車に乗っている唯一の一年生。彼は未だに実力が不明瞭な魔法師だ。

 特にこの九校戦までの期間で彼は多くの人間を唸らせる様なこともしてきている。可能性としては十分だろう。

 警察が来るまでの短い時間だが至言と克人の二人は同じことを考えていた。


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