四月二十八日。
使えない教室などがある関係で教室変更などがあったが、その日も事件の起きる前と変わらないような学校生活を送ることが出来ていた。
昼休み。至言は食堂で昼食を取っていた。対面には雫とほのかが座っており同じように昼食を広げている。
去年までは至言が昼食を取る際に席を同じくするのは服部や桐原といった同学年の友人たちだった。
例外として、生徒会や風紀委員が動かなければいけない行事が近づいていた時期に昼休みを効率的に使うために委員会本部や場合によっては生徒会室に呼ばれることもあったが、それも数えるほどだ。
至言が二年生になり、雫とほのかが入学すると、昼食を取る際に二人が同席することが何度かあった。
この光景は入学当初こそ周りの人間が物珍しげに見ていたが、今ではそんな視線は感じなくなっていた。
至言も雫もそんなに口数が多いわけではないので、食事中の会話は輪をかけて少なくなっている。
だからだろう、普段はあまり食堂に姿を見せることがない彼女からの呼びかけが自分たちに向けられていることにすぐに気がつくことが出来た。
「ごめんなさいね、少しいいかしら?」
三人に声を掛けてきたのは真由美だった。
彼女は基本的に生徒会室で昼食を取っている。
そんな真由美が一人で食堂に来ていることに数人の生徒から注目が集まる。
「その……至言くんにお話があるのだけど、食べ終わったらでいいから少し時間をもらえない?」
可愛らしくお願いするように手を合わせて頼み込む。
そんな真由美を見た雫が横目で至言を見るが彼の表情に変化はない。
「分かりました」
一拍開けてから至言はそう答える。
「うん、ありがとう。それじゃあ食べ終わったら連絡してちょうだい」
そう言って真由美はそそくさと離れていく。
思わず小さなため息をついた至言の頭の中には先日の縁談の依頼状の件が浮かんでいた。
断りの文を送ってから数日経っているので、七草家には書状が届いていることだろう。
十中八九その事についてだろうな、と当たりをつけて意識を食事に戻す。しかし、
「……どうした?」
対面に座っている雫が至言のことを見つめていた。
「会長さんと何かあったの?」
「……先輩と、というより先輩の家と少しな」
雫の言葉に対する返答は少しの沈黙が挟まれてからだった。
「そうなんだ」
その言葉で会話は終わり、二人して食事を再開する。
二人の独特な空気に当てられたほのかは至言と雫を交互に見るが、すでに食事を再開している二人を見て、ほのかも食事に戻った。
「さて、私は先に失礼する」
いち早く食事を終えた至言が席を立つ。先程真由美から呼び出された件の為だろう。
雫は立ち去っていく至言の後ろ姿を見る。
その表情は傍目からすればいつもと変わらないように見えた。だが、ある程度付き合いを持った人間なら分かる。
その微妙な表情の変化とそれに隠れた感情に気がついたほのかは曖昧な笑みを浮かべて雫に話しかける。
「至言さん、大変そうだね」
「……うん、そうだね」
雫の返答が遅れたこともあり、ほのかが不思議そうに彼女を見る。
「雫?」
ほのかに名前を呼ばれた雫は少し悩むようなそぶりを見せてから口を開く。
「さっき至言さん、会長さんの家とって言ってたよね」
「え? うん。そう言ってたけど……」
「でも、やっぱり会長さんと何かあったんだと思う」
「……そっか」
雫の言葉を疑ったりはしない。
ほのか自身、至言とは長い付き合いだと思っているが、彼の言葉に秘められた機微を感じることは難しかった。
しかし、雫は違う。彼女は幼い頃から付き合いがあり、その時間はほのかとは比べものにならない。
それだけ、という簡単な理由ではないだろうが雫はほのかと違って至言が何かを隠していても気付くことが多々ある。
そうはいっても、至言が彼女たちに何かを隠すときは大概が彼女らに危害が及ばないように配慮しての行動であることは理解しているので基本的に不快に思うことはなかった。
(でも、なんだろう……ちょっと、不安……?)
だが、今回はそういう理由ではない、と雫は感じ取っていた。
〇
「失礼します」
真由美に呼び出されたのは前に幹比古と二人で使用した面談室。
部屋に入った至言は先に待っていた真由美に声を掛けて対面に座る。
「えっと、ごめんなさいね。北山さんたちと過ごしてたのに」
「いえ、構いません」
周りの目がない環境だからだろうか、食堂の時よりも申し訳なさを表に出して謝罪をしてくる。
「それで、話というのは?」
昼休みの時間も長いわけでは無い。大体の予想は出来ているが、呼び出した本人から本題を聞くのが筋だろう。
だが、至言の聞き方も悪かったのだろう、真由美はしゅんと顔を俯かせた。
「えっとね……大体分かってると思うんだけど……
「ええ、先日返事を書かせて頂きました」
「あっ、いや、別に返事の内容に何か言いたいわけじゃないのよ」
縁談に対する返答に文句を言いたいわけではない、としっかりと前置きをして話し始める。
「そのお話なんだけど実は父が勝手に送ってたのよ……。だから、私は知らなかったっていうか、その……ね?」
分かるでしょ? と目で訴えかけてくる。
「そういうことでしたか」
七草家から依頼状が届いて数日、真由美の態度が普段と変わらなかったために至言としても「本人に知らされてないのでは?」といった疑問が浮かんでいた。
もしかしたら真由美がそういう風に装っていた場合もあるのだが。
「うん、だからその事については忘れてもらっていいかしら?」
「ええ、分かりました」
本人の希望でもあるし、至言自身も変にしこりを残されては困ると思っていたのでこの提案は渡りに船だ。
「少し話が変わるのだけれど……父から夏目家が第三研に技術提供していたって聞いたわ」
会話が終わったと思ったら真由美が別の話題を振ってきた。
「……むしろ何故知らなかったのか疑問なのですが」
「父が今まで教えてくれなかったのよ、ひどいと思わない?」
同意を求めるような発言に「さあ、どうでしょう」と返した至言に真由美が言葉を続ける。
「それでそのお話なんだけど、私だけじゃなくて妹たちも聞いたの」
真由美の妹である
至言も二人の存在は知っていたので真由美の妹の存在に驚くことはない。
「別に知られて困るようなことでもありませんし構いませんよ。古式の家では有名な話でもありますし、『夏目』が元々『七ツ目』だったことは少し調べれば出てきます」
「そうなの?」
「次いで言うなら七草家の御当主殿がどう言ったかは分かりませんが、今の私たちが二十八家との交流を持たない理由は特にありませんよ」
「へえ……ん? “今の”?」
「当時は技術の秘匿を重視しすぎていた為に他家との関わりを絶ちましたから」
当時の当主と対立した当主の弟は技術の秘匿性を重要視しすぎていた。
その為、彼は自分の新体制を立ち上げた後に現代魔法を扱う家との関わりを絶ったらしい。
しかし、今の当主である
確かに技術の秘匿はしてはいるが、だからといって現代魔法を扱う家と関わりを持たない理由はない。
そもそも至言だって現代魔法を使うのだ。現代魔法を嫌う理由もない。
「でも、今も二十八家とは交流は取ってないわよね」
「こちらから交流する理由がないだけです。もし互いに益のある条件が提示されたのならば夏目家も応じます」
「……私とのお見合いは益のある話じゃなかったってこと?」
「忘れろ」と言ったのは真由美だが、年頃の女性としては見合いに応じずに断られたのは少しクルものがある。真由美は非難するような視線で至言に訴えかける。
「まさか。先輩は女性としては魅力的な方だと思いますよ。十師族と関わりを持てるというのも魔法師としてはかなり大きなメリットでしょう」
「あ、あら、ありがとう」
「ただ、私としては
至言の台詞に照れくさそうに礼を言う真由美だったが、その後の言葉に意外そうな反応を見せる。
「でも私たちって
自分は親から見合い話を持って来られる、と暗に伝えられた。
「どちらかと言えば両親の意向でもあるので」
「本当? ちょっと羨ましいかも……」
椅子に体を預けた真由美がそう呟く。
「ウチの狸親父はなんだかんだいって
いつの間にか父親の呼び方が「狸親父」に変わって、そこからは呪詛のように父親に対する不満が出てくる。
愚痴の相手なら渡辺先輩がいるだろうに、と思ったが至言は口に出すことはしなかった。
そうはいっても昼休みの時間も残り僅かだ。チラリ、と時計に目をやった至言に倣い、真由美も時計を見る。
残りの時間は数分といったところだった。
「あっ、ごめんなさい! もうこんな時間!」
焦った様子で椅子から立ち上がった真由美とは対照的に落ち着いた動きで至言も立ち上がる。
真由美が退室するのを待っていると、彼女が扉の前で振り返った。
「ねえ、聞いてもいいかしら?」
「何でしょうか」
「至言くんの中で候補者っていたりする? 例えば……北山さん、とか?」
「……どうでしょうかね」
努めて平静な声で返ってきた返事だが、至言の眉が小さく動いたのを真由美は見逃さなかった。
「ふーん」
だが、そこを変に突っついたりはしない。そして、何か余裕のある表情で至言に言葉を続ける。
「そうねえ、もし何かあったらお姉さんが相談に乗ってもいいわよ?」
真由美は至言をからかっても服部のような慌てふためく反応が来ないことを知っている。
だが、彼の前で年上らしく振る舞うことが出来るのはチャンスだ。
ここ最近の真由美の周りにいる下級生の男子はどうも年下らしくない、と感じていた。
目の前の至言にしてもそうだし、新しく出来た後輩の達也だってそうだ。
だから少しでも、と思っていると、
「色事の相談なら先輩よりは渡辺先輩の方が良い対応をしてくれそうですがね」
「なっ⁉ ちょっとそれどういうこと!」
「ああ、流石に時間ですね。早くしないと授業が始まりますよ。生徒会長が遅れるのは宜しくないのでは?」
「あ、あれ? も、もしかして至言くん怒って――」
言葉の途中で校内にチャイムが鳴り響く。
その事によって一旦固まっていた真由美だったが、すぐに今のチャイムがどんな時に鳴る物なのかを思い出した。
「ウソ⁉ もう授業始まってるの⁉」
小さく悲鳴を上げた真由美は足早に部屋から出て行くが、すぐに顔だけ覗かせて部屋の中に残っている至言に忠告する。
「至言くんも早く行くのよ!」
そう言い残して、またも足早に去っていった。
一人残された至言が小さくため息をついてから一言。
「……今のは予鈴なんだがな」
二人の会話中に鳴ったチャイムは今のが初めてだ。
つまり、この数分後に授業開始のチャイムが鳴る。
人の判断力というのは案外簡単に崩されるらしい、そう実感した至言だった。