「ここだな?」
「……はい」
自分の先導によって特別閲覧室の前まで到着した「ブランシュ」のメンバーに問いかけられ、紗耶香は返事をする。
紗耶香は本当は討論会に参加したかった。だが、ブランシュのメンバーの誘導を行うことになった。ブランシュ日本支部の代表を務めている
だが、本当に自分がしたいことはこんなことなのか、紗耶香は分からなくなっていた。
彼らがこれから行うハッキングは果たして意味のある行為なのだろうか。
自分たちは魔法による差別の撤廃を目指しているはずだ。なのに何故、魔法研究の最先端資料が必要と言われたのだろう。
一度考え出すと止まらない。魔法が使えない人間には魔法理論は意味を持たない、じゃあ何のために?
だが、時間は待ってくれない。彼らに急かされ、前もって電子錠として持ち出しておいたものを使用して彼らを特別閲覧室に招き入れる。
彼らとともに特別閲覧室に入り、「念のために鍵を閉めておけ」という命令を実行するために扉の方へ振り向くが――
「っ!? な、夏目、君……」
至言の姿を見ると動きを止める。自分が名前を呟いたことにより他の男たちも異変に気が付く。
「なっ!? クソ、見張りは何してやがった!」
いざハッキングを始めようと閲覧用端末に近づこうとしていた男達の内の一人が悪態をつく。
「相手は一人だ! 殺せ!」
男はそのまま自分以外のブランシュのメンバーに命令口調で叫ぶ。
同時に残りの二人が至言に銃を向ける。
引き金を引くだけで相手の命を容易く奪うことが出来る武器、そんなものを躊躇うことなく使用する人間。
自分はそんな人間の仲間なのか、紗耶香はその事実を再認識してしまった。
それ故に、彼女はその行動を止めることは出来なかった。分かってしまったから、自分が今までしてきた行動の意味を。もう自分は立派な犯罪者である事を認めてしまった。
だが、そんな彼女の耳に聞こえたのは拳銃の発砲音ではなく、もっと大きな爆発音だった。
『
その言葉と同時に二人の男が持っていた銃が腔発を起こす。耳を覆いたくなるほどの爆発音とともに銃身が裂け、銃を持っていた手に尋常ではない痛みを伝えた。
銃を構えていた二人はその激痛に声を出すことも出来ずに、手を押さえて蹲る。
現状を見て銃は使えないと判断したのか、命令を下していた男が小型のナイフを右手に携え至言の首を狙って突き出す。
その行動に対し、至言は左手に持っているCADをナイフの下に添え上に跳ね上げる。
かろうじてナイフを手放さなかった男の手首を正面から掴み、CADを持っている左手を男の後ろ肩に回す。そして、そのまま前に体重を掛ける。
ナイフを弾かれた時点で重心が後ろに傾いていた男は為す術なく背中から地面に倒され、無防備なところに体重を掛けてきた至言の膝が腹部に入り、苦悶の声を出す。
「さて、これで仕事は完了だな」
倒れた男の手からナイフを蹴り飛ばし、部屋の内部を見渡してそう呟く。
ふと、侵入者の中で唯一無事な紗耶香と目が合う。視線を向けられた彼女はビクリと肩を震わせる。
だが、至言は何を思ったのか紗耶香から目を離し、足下の男の首に掛けられた記録キューブを確認するためにしゃがみ込む。
余裕のない紗耶香にはその行動が自分を見下しているが故の行動にしか感じられなかった。自分は力が無い、だから見向きもされないのだ、と。
紗耶香の視界の端に一本の警棒が映った。それは最初に倒された二人が持っていた物で二人が蹲った際に一本だけ紗耶香の足下に転がってきていたもの。
なるべく音を立てないように警棒を手に取る。そして、しゃがみ込みながら記録キューブを手に取り、回すように見ていた至言の背後で構えを取る。
剣道部である彼女は警棒であっても剣道としての構えを変えなかった。もしかしたらこれが自分の力なのだ、と誇示するために無意識的にやっていたのかもしれない。
そして、振り上げた警棒を至言の頭に向かって振り下ろした。
「え?」
気の抜けた声を出したのは紗耶香。直後、彼女は不快そうに顔を顰める。つい最近彼女が聞いたことのあるガラスを引っ掻いたような音が耳に鳴り響く。
「っ! 桐原君の――!」
新入部員勧誘期間の際に彼女と桐原がぶつかり合ったとき、そのときに桐原が使用してきた魔法。振動系魔法『高周波ブレード』によって生み出される音だった。
そして、それを理解した紗耶香は何が起きたのかを悟った。紗耶香が振り下ろした警棒は至言に当たる前に彼が高周波ブレードをかけたCADによって阻まれ、触れたところから切り落とされたのだ。
初めに彼女が気の抜けた声を出したのは振り下ろした腕が何の抵抗もなく上段から下段まで移動したからだ。
至言が記録キューブを片手にゆっくりと立ち上がり、紗耶香と向き合う。すでに高周波ブレードの騒音は聞こえない。
紗耶香は警棒を両手で持ち、構え直す。普段使っている竹刀よりも短い警棒。それが途中で切り落とされたためにさらに短くなっている。彼女にはそれがひどく頼りなく思えた。
「そろそろ諦めたらどうだ?」
彼女の見せた抵抗の意思に対して、ため息交じりに返ってきた言葉だった。
「分かるだろう? もう終わったんだ。お前達が必死になって主張していた理念は此奴らに利用されるだけの物だったわけだ」
続けて紡がれた言葉は彼女の中に燻っていた感情を爆発させるには十分な物で、紗耶香はがむしゃらに叫ぶ。
「貴方に……貴方に何が分かるのよっ!」
彼女は思いのままに叫んだ。
「貴方みたいに何でも出来る人間にっ!」
自分に無かった才能を。
「血筋に恵まれた人間にっ!」
自分に無かった環境を。
「何が分かるって言うのっ! あたしは確かに、蔑まれた。周りはあたしを見てくれなかった! それを無くそうとしたのは間違いじゃ無い! なのに、どうしてよ!」
それらを持っている至言に自らの内情を吐露する。
紗耶香の叫びを至言は遮ることはしなかった。ここで力に任せて紗耶香をねじ伏せでもしたら彼女の心が完全に壊れてしまうだろうから。
「確かに、私は恵まれている。それについては否定はせんよ、事実だからな。お前の気持ちが分からない、というのにもだ」
「……」
至言は恵まれている。家柄も才能も彼を取り巻く人間も。それは彼自身認めていたし、否定する気は一切無かった。
「だが、周りが誰も見てくれなかったというのは否定させてもらおう。少なくとも私は一人知っているのでな」
「っ! 嘘よ!」
紗耶香は強く否定する。そんなことはない、誰も自分を見ていなかった、彼女は頑なにそう言い張る。その事実を認めることから目を逸らすように。
「壬生、お前は自分の事を周りの人間全てに認めて貰おう等と思ってはいないだろうな?」
「え?」
「万人から認めて貰うなど無理な話だぞ。他人からの評価というのは大方何かしらのフィルターがかかるものだ。それは劣等感から来る嫉妬であったり、優越感から来る侮蔑だったりとな」
至言の言葉に紗耶香の表情が変わる。嫉妬は自分がしていた、侮蔑はされていた。形は違えど、どちらも経験があるからだ。
「だが、それは全員がそうではない。己のことを真に見てくれる人間は必ず存在する」
「調子のいいこと言わないで! それは貴方が優秀だからよ!」
感情のままに叫び続けたことにより、既に紗耶香の構えは有って無いような物だ。いつもの剣道の際の綺麗な構えは見る影もなく、乱れている。こんな状態なら武術の心得がない人間でも多少喧嘩慣れしていれば彼女を倒すことが出来てしまうだろう。
「……お前のように周りが認めてくれない、と叫ぶ人間に共通する事は一つ」
至言が紗耶香を見る目に憐れみが強くこもる。そして、告げた。
「自分自身をフィルター越しに見ている、それだけだ」
紗耶香は何も言わなかった。いや、言えなかった。自分自身に『
多くの考えが頭の中を廻り、思考が追いつかなくなった紗耶香の行動は――
「っ!」
その場から逃げ去ることだった。
彼女にとって幸いなことに、至言がナイフを手にした男を組み伏せた際、彼の立ち位置は入り口から少しずれていた。
頼りないと感じていた警棒の残りを至言に投げつけ、彼がそれをCADで弾く瞬間に走り抜ける。
至言は紗耶香を追うことはしなかった。無力化したとはいえ、テロリストだけを置いて部屋から出るわけにはいかない。それに、紗耶香が逃げ切れるとは思っていなかった。一階には幹比古がいる。裏口を使う可能性も低い。そこまで頭が回る余裕もなければ、人払いの結界もまだ残っているからだ。
至言は今しがた紗耶香が投げつけてきた警棒の一部を手に取る。高周波ブレードによって断ち切られた断面はとても綺麗なものだった。
至言に剣術の心得は無い。紗耶香の警棒を防いだのも、自分の頭と迫る警棒の間に高周波ブレードをかけたCADを挟み込んだだけだ。
そして、その高周波ブレードの出力は下げていた。手違いで紗耶香が大怪我しないように、との配慮だった。
その出力ではこんなにきれいな断面は難しいだろう。実際は紗耶香の剣の技術があったからこそここまで綺麗に切れたのだ。
「……ままならないな」
警棒の一部を適当に放り、至言は小さく呟いた。
○
時間は遡り、至言が特別閲覧室で紗耶香たちと対面した時、幹比古は図書館内で隠れているテロリストがいないか探査用の式を打っていた。
すでに至言と別れた際の敵は無力化してある。自分の見える範囲に敵はいないが、隠れている可能性もある。
そして、打った式に反応が示される。
(……入口の受付カウンターに四人)
その場所に視線を向けるが、ちょうど柱が重なっている。音を立てない様に柱の陰に移動し、覗き込むように様子を伺うが、人影は見えない。
探査で人が居ることは判っているが、それが敵か味方かが判らない。それを判別する方法はあるにはあるが、もし敵だった場合は迅速に処理しなければ自分の身が危ない。
幹比古は柱の陰に戻り、一度深呼吸を挟む。
(よしっ!)
自分を奮い立たせ、柱の陰から飛び出る。用意した呪符にサイオンを流し、魔法の準備を――
「なっ!?」
飛び出した幹比古の懐に人影が迫ってきていた。その人影が右手に持つ何かを自分に向かって振ってくる。
(――間に合わない!)
理解した幹比古はこれから来るであろう痛みに耐えるために全身に力を込めた。
しかし、いつまで経っても衝撃が来ない。反射的に閉じていた目を恐る恐る開くと、彼にとって見知った顔が見えた。
「エ、エリカ?」
自分の懐に気配もなく入り込み、右手に持つ何か――伸縮警棒を首に当てる直前で止めたのは、幹比古と十歳の頃に知り合った千葉エリカだった。
「っぶなぁ、何でミキがこんなとこにいんのよ」
寸前で止めていた警棒を片手で弄びながら、エリカは言う。
「それはこっちの台詞だよ、何でエリカが……」
自分の中にあった緊張感が一気に解け、どっと疲れたように息を吐き出す。
「そりゃあ、あたしは――」
「エリカ!」
彼女の後ろから三人の人影が走ってくる。達也と深雪、遅れてレオだ。三人はエリカの元まで着くと足を止めた。達也が呆れたような顔でエリカを見ている。
「エリカ、人の話は最後まで聞け。隠れている人間が敵だとは言ってないだろう」
「いやいや、達也くんの言い方が悪いって、『柱の陰に一人隠れた』なんて言われたら敵だと思うじゃん」
悪びれずにそう言ったエリカは、幹比古の方を向き「いやー、ゴメンね」と軽く謝った。
「だからって速攻で倒しにいくか普通? 話聞かねえ女だぜ」
「なっ!? 敵だったら迅速に処理しないとでしょ!」
「その敵って判別すんのが早すぎって話だろうが」
レオととエリカが言い合いを始めたが、それを見なかったことにして、達也は幹比古に話しかける。
「吉田、だよな。ここに居る奴らはお前がやったのか?」
「まあ、ね。それより君たちが来たって事は外はもう大丈夫なのかい?」
幹比古も言い争いしている二人は放っておくことにしたらしく、達也の言葉に応じる。
彼からの問いかけに応えようとした達也が口を開いた瞬間、爆発音が彼らの鼓膜を震わせた。
「上か。吉田、夏目先輩はどこに居る?」
音の出処を確認した達也が幹比古に問いかける。
エリカとレオも爆発音を聞いて言い争いを止め、幹比古の言葉に耳を傾ける。
「特別閲覧室。敵も多分そこにいるよ」
その言葉に一番早く反応を示したのは、今まで幹比古と合流してから一度も言葉を発していなかった深雪だった。
彼女は達也の服を摘み、「お兄様」とだけ言う。
達也はそれだけで彼女の言わんとしていることを理解した。
「分かってる。夏目先輩なら大丈夫だと思うが、万が一があるかもしれない」
周りを見渡した達也は自分たちの戦力を確認してから決断をする。
「俺と深雪が二階だ。レオは裏口に行ってくれ」
「応よ!」
ガントレットのようなCADをつけた左手で作った拳を右の手のひらに叩き付け、気合いの入った返事が返ってくる。そして、そのまま裏口へ走って行く。
「エリカと吉田はここで見張りを頼めるか?」
「おっけー!」
「分かったよ」
二人が互いに了承の意を示す。だが、達也は一つ気になったことがあったために幹比古に問いかける。
「……今更だが俺が仕切っていいのか?」
達也は幹比古がたまたま図書館に居たわけでは無いことを理解していた。先日、至言が彼を呼び出したのと図書館の警備を至言一人で行うと朝の時点で聞いていたのを擦り合わせた結果だ。
途中から来た自分がいきなりこの場の指揮を始めたことに不満はないのか、そのことを問いかける。
「構わないよ、僕は別に風紀委員じゃないしね。本職に任せるよ」
「本職ってな……まあ、お前がいいのならいいんだが」
軽口を叩くように返ってきた言葉は達也に任せる、という内容だった。
「よし、深雪。行くぞ」
「はい」
エリカと幹比古に一階を任せて達也と深雪は階段を駆け上がる。階段を上りきり、いざ特別閲覧室に向かおうとしたときに、彼らの視界に一人の人影を捉える。
まだ距離があるが、その人影はしきりに背後を確認しながらこちらに走ってくる。どうやら二人には気付いていないらしい。
距離が縮まり、こちらの存在に気がついたのか焦ったように足を止めた。
「司波君……」
「壬生先輩、逃げてきたんですか」
特別閲覧室から走って出てきた紗耶香。彼女は至言の予想通り裏口には行かず、正面入口に行くために必死に走っていた。
足を止めた紗耶香は対面の達也を見る、彼の隣にいる深雪のことも。
劣等生の兄と優等生の妹。そんな彼らが紗耶香の行く手を阻むように立ち塞がった。