プロローグ-Ⅰ
魔法。
それは、昔からある作り話に必ずと言ってもいいほど出てくる人々の夢。
しかし、あくまで夢。かつてはそれはただの空想として存在することを諦められていた。
――そう、かつては。
二十一世紀末――西暦二〇九五年の今になっては、魔法の存在を信じない者はいない。
いわゆる「超能力」と呼ばれたものは研究が進むにつれて、「魔法」という形で才能を持つ人々が使うことができるようになっていた。
魔法は現在では「現代魔法」と言われ、かつて使われていた魔法陣や詠唱は起動式へ、杖や術符は術式補助演算機と姿を変えた。
しかし、だからといってこれまでの魔法が完全になくなったわけではない。「古式魔法」という形で伝統的な技法によって行使される魔法はしっかりと存在している。
その「古式魔法」の中に「
『
この「言霊」を使用する家系として最も有名な家系である。
言霊の始祖として伝えられ、古式魔法の家系として上位に位置する家系でもある。
○
二〇九五年三月、一人の男子生徒が国立魔法大学付属第一高校の風紀委員会本部の清掃に勤しんでいた。
背丈としては百七十後半、髪が黒く目も黒いという標準的な日本人。その相貌は同世代の男子と比べても大人びており、表情が読みづらい、という点を除けば整った顔立ちをしている。
第一高校の制服に身を包み、左腕には腕章をつけている。しかし高校生というにはやけに雰囲気が落ち着いている印象を受け、おそらく彼が制服に身を包まれていなければ高校生とは思われないだろう。
その生徒の名前は夏目
先ほどから彼が続けている風紀委員会本部の清掃は、その日の朝から続けている作業であり、この部屋の元の惨状を知っている人間がいれば彼がどれほど頑張ったかがわかるくらいには順調に進んでいた。
もう少しで終わるだろう。彼がそう考えていると、横から声がかかる。
「すまんな。こういうのはどうも苦手でな」
申し訳なさそうな顔をして彼に声をかけたのは渡辺摩利。彼が所属している風紀委員会の風紀委員長を務めている女子生徒だ。
「構いませんよ。私自身が使う部屋でもありますし、人には向き不向きがありますから」
彼が事もなげに言い、加えて委員長が手伝うとなぜか散らかりますから、と小声で呟く。それを聞いた摩利が肩を竦める。
「ずいぶんとはっきりと言うな」
「気に障ったのならば謝りますが」
「いや、そんなことはないさ」
「そうですか」
そんな短いやり取りをかわして、彼は作業に戻る。それを見とめた摩利は自分がやることがないことを知っている為、所在無げに部屋の様子を見て回る。
「こちらの方はあと少しで終わると思います。生徒会の方に顔を出してみては?」
と、至言から声がかかる。その言葉を言っている間にも彼は作業を続けており、着々と作業の終わりが近づいているのが分かる。
「……む。そうだな、真由美の様子でも見に行くか。あとは任せてもいいか?」
「ええ、構いません。終わったらそちらに呼びに行くので」
まぁ、あとは任せると言っても私は何もしていないんだがな。と思いつつ摩利は生徒会室に行くために風紀委員会本部を後にした。
○
生徒会室では生徒会長の七草真由美がパソコンの前に座り、楽しそうにニュースを眺めていた。その周りでは生徒会の他のメンバーが慌ただしく動いており、時期も時期の為に生徒会が時間に追われているのだろうとすぐに分かる。
そんな様子を見て、生徒会に入って来た摩利は一人だけ席に座っている真由美に対し非難の声を上げる。
「こら真由美、こんな忙しいときに油を売ってるんじゃない」
「あら忙しくしてるのはリンちゃんたちでしょ。野次馬の摩利にとやかく言われる筋合いはないわよ」
摩利の言葉に対し真由美は何事もないように返し、さらに副会長である服部が真由美に「まだ会長が見ないといけない書類はありません」という旨を伝えると、真由美は摩利に勝ち誇ったような顔を向け、
「それにそれを言ったら摩利だって、本部の掃除を至言くんに任せてこっちにきたんでしょう?」
と、彼女の行動を見て来たかのように摩利に問いかける。
実際に至言に掃除を任せてきた摩利は目を背けながら言い訳するように答える。
「ぐっ……、い、いや、確かに任せてはいるが適材適所というか、アイツが任せろと言ったからであってだな……。と、ところで何のニュースを読んでいたんだ? 随分熱心に読んでいたようだが」
摩利が真由美の見ていたニュース記事に目を向けながら話をそらす為に話題を振る。
「誤魔化したわね」
「誤魔化してない」
と軽いやり取りを交えながら真由美は摩利に自身が見ていたニュースサイトを見せながら記事の内容の説明をする。
内容は魔法協会関東支部が脱走兵の襲撃を受けると言う話だった。さらに犯人は元防衛軍曹長の魔法師だと言う情報も上がっていた。
摩利は物騒な話だ。と呟き、真由美も魔法師同士で争うなんて嫌な話よね。と眉を落として言う。そんな真由美の様子を見た摩利は自分が部屋に入った時は楽しそうにニュースを見ていたことを思い出して、なぜ楽しそうに見ていたのかと問いかける。
その問いの答えとして、真由美は次ページへと記事を移して摩利に読ませる。その記事には先ほどのニュースの続きが書かれており、勇気ある謎の美少女により犯人を逮捕することができたと書かれていた。
二人が正義感のある子もいるものだと話している所に一人の男の声が聞こえてきた。
「失礼します。風紀委員の夏目至言です。本部の清掃が終わったので報告を」
生徒会室に入り、清掃が終了したことを報告して来たのは先ほどまで風紀委員会本部で清掃に勤しんでいた夏目至言だった。
「夏目くん、お疲れ様です」
至言が入って来たことに反応し生徒会室にいる人間は彼に目を向ける。そして一番初めに反応を示したのは生徒会書記の中条あずさだった。あずさの周りには書類が積み重なっており、それ見た至言は「あぁ、中条。そちらこそ大変だな」と返し、他の反応を示した人にも軽く挨拶をする。一通りの挨拶をし終えた所に摩利から声がかかる。
「そうか。終わったか、ありがとう。さっきも言ったがすまんな」
「摩利は片付けないもんね」
「真由美、言いがかりは止めろ。私は片付けないんじゃなくて片付かないんだ」
摩利の主張にあずさは結果的には一緒なんじゃ……と小さく呟くと、摩利に聞こえていたようで「何か言ったか?」と睨まれる。その様子を見た真由美は苦笑いをしながら至言に向けて手招きをして近くに来るようにと呼びかける。先ほど摩利と話していた内容を至言も交えて話すようだ。
ニュースの概要を説明し、謎の美少女についての話を進める真由美。画質の粗い画像しかなく、映像も鮮明なものが残っていない。と真由美が言うと摩利が何かに気がついたように声を上げる。それに続くように至言も得心が行ったように小さく声を上げる。その反応に真由美は満足そうに頷き、新入生のリストから一人の生徒の情報を開く。そこには、その生徒の名前と『二〇九五年度・首席入学』と書かれている。
至言はその生徒の名前を読み上げた。
「司波深雪か……」
「本当に頼もしいわよねこういう子が当校に入学してくれるなんて」
真由美が嬉しそうに言うと、
「コイツは生徒会に入れるんだよな。首席が生徒会に入るのは伝統だしな」
と摩利が至言に目を向けながら言ってくる。それに続くように真由美も至言を見ながら少し批難するような声で言葉を紡ぐ。
「そうよねー。伝統よねー。どこかの誰かさんは勧誘を蹴って風紀委員に入ってしまったけどねー」
「伝統と言っても強制ではありませんし、生徒会の立場なら私よりも中条のほうが適任でしょう。それに私の入学当時は七草先輩はまだ生徒会長では無かったはずですが」
至言は首席入学をしていた為に入学当初に生徒会に勧誘されていた。
しかし、彼自身自分の使用する魔法から生徒会に所属するよりも風紀委員会に所属した方が学校に貢献できるだろうと考え、勧誘を断り風紀員会に所属したのだ。
その考えの大半を占める理由として、今年の四月から入学する新入生が関係している。新入生の中に彼の知り合いがいるのだ。去年の時点で入学出来るだろうと思っていた為に、なるべく入学した際により良い環境で学校生活を送れるようにと思っていた。
至言は風紀委員会に入れたい生徒を二人で話している真由美と摩利を横目に、先の司波深雪と言う生徒は生徒会に入るだろうか、と考えていた。
素直に生徒会に入るか、自分のように誘いを断ってほかの団体に所属するか。
ただ、先程のニュースの話からしてそれなりの正義感は持ち合わせているだろうから、どこに所属してもマイナスにはならないだろう、などと考えを巡らせていると、
「至言くんはどんな子に来て欲しい?」
真由美が至言に対して問いかける。
話をいきなり振られはしたが、おそらく風紀委員の人選についてだろうと当たりをつけた至言は少し考えてから自分の答えを言う。
「……そうですね、相応の実力者で性格に問題が無ければ私としては十分です」
「もう少しなにかないの? 後輩になる子たちなんだからかわいい子たちがいいとか」
「君のいう相応の実力というのは中々にハードルが高そうだな」
そんなことは、と答えてから彼は服部の方へ顔を向ける。先程から視界の端で忙しなく動いているために気になってみてみたが、どうやらあずさと同じように書類仕事に没頭しているようだ。
「服部。どうやら大変そうだが手伝おうか? 風紀委員はそれほど書類も無いから手伝うくらいならできるぞ」
「いや、大丈夫だ。量が多いように見えるが一つ一つの案件は大したことがないからな」
「ならいいのだが」
しかしそうなるとやることが無いな、と思いながらも、それなら早めに上がらせてもらおうと彼は摩利にその旨を伝える。特に問題なく了承を得られた為にそのまま挨拶をして学校を後にした。
○
その日の夜に至言は自室で本を読んでいたところに使用人から母が呼んでいるとの知らせを受ける。
少なくとも家の仕事でやり残したことは無かったはずだが、ただ単純に話をするだけか、と考えながら母の部屋に足を向ける。
母の部屋の前まで来た至言は「失礼します」と声をかけてから部屋に入る。家自体が和風の日本屋敷である為に自室を含めた部屋のほとんどが和室であり、この部屋も例外ではない。襖を開けて中に入ると一人の女性がお茶を飲みながら至言を見つめていた。
夏目
「あら、来たのねえ。ちょっと至言ちゃんに話があって呼んだのよ」
表情には出さないが至言はこの人は相変わらずだと辟易する。間延びするような語尾に歳は四十代のはずなのに外見がそれにそぐわないほどに若い。他の人に「母です」と紹介しても信じてもらえないのだろうな、と思いながらも返事をする。
「ええ、それで話とは?」
「実は、夕方頃に
母の言葉に多少の驚きはあったが、すぐに受け入れて言葉を返す。
「そういえば最近は会っていませんでしたね」
「雫ちゃんも受験で忙しかったし、ウチもウチで色々あったから仕方ないのわ。しっかりとお相手してあげるのよ?」
「分かりました。話というのはこれだけで?」
「そうねえ、でもせっかくだからお話していきましょう?」
そうですね、と答えて彼は静音の対面に腰を下ろす。そこからはよくある親と子の雑談が交わされた。学校はどうだ、友達とはうまくやって行けているか、時々、夏目家特有の話題が出たりもしたがそれでもお互いに有意義な時間を過ごせたのだろう。静音は満足そうな顔をしながら両手を合わせる。
「それじゃあ、この辺でお開きにしましょう」
「ええ、それでは失礼します」
至言が立ち上がり、部屋から出ていこうとする所にそういえばぁ、と静音から声がかかる。「どうしましたか」と聞くと、
「雫ちゃんに渡すプレゼント、喜んでもらえるといいわね」
その言葉に至言は苦々しく顔を歪める。なんでこの人はそのことを知っているんだ、と思っている至言に対して静音は「母親に隠し事はできないのよぉ」とクスクス笑っていた。