「え、と……あの――」
「敬語じゃなくて構いませんよ。そちらの方が、私も話しやすいです」
炎天下の夏の今日、陽炎が遠くで揺らめいて消えているのがわかる。その中で、道を二人で手を繋いで歩く。
それによって、俺の顔も熱くなっていることがわかる。いや、やはり一目惚れのものなんだろうな、これは。
こうやって近づいているととてもわかるのだが、彼女は見た目が若い。
声の質からしてもわかるが、実年齢も若いのだろう。俺と同じか少しだけ下……二十代前半くらいだろうか?
さすがに初対面の女性に年齢を聞く、等という失礼極まりない言動は自重するが。
そうやって頭の中で結論付けていきながら、迷路のような会話を楽しむ。
四方八方から聞こえる蝉の鳴き声と、明るすぎる木漏れ日を掻い潜るようにして、お互いの声は相手に届いていく。
「わかったよ、ありがとう。それにしても、君は綺麗だね」
「そう、ですか……? ふふ、ありがとうございます。にしても、正直な方ですね。普通、初対面の女性にそれを言いますか?」
「いや、言わない。俺は本当に綺麗だと思う女性にしか言わないから」
「またまた……お世辞が上手いことで。少し、上機嫌になってしまいます」
傍からしたら、ナンパにしか聞こえないような言葉にも、口元を笑顔にして、真っ直ぐ前を見据えたまま歩いて行く。
その笑顔が、俺にはどこか嬉しそうでもあり……
「で、どこに君の家はあるの?」
「えっと、えっとぉ……この辺り……のはずです」
「いや、方向音痴とかいうレベルじゃないだろ」
「あ、あはは、私、すっごく方向音痴なんですよ。えへへ」
自信なさげに、はにかみながら言われる。
はにかむ姿も、俺には十分すぎるくらいに魅力的だった。
どこまでも吸い込まれそうな魅力を持った笑顔はやはり――どこか、同じように空虚で、空っぽな気がした。
そして、先に続く一本道を歩いて行くにつれて、風鈴の鈴音が聞こえてくる。
夏特有の風情ある音楽の一種に、俺は耳で酔いしれていた。
その風鈴の冷音をきっかけに、彼女は声を大きく、確信を持って言う。
「あ! ここですよ! ふふふ~、合ってましたよ!」
こちらを向いて、ハットの隙間から見える目を閉じながら、満面の笑みを浮かべる。
身長は俺よりも少し低いので、上目遣いをされると、深くハットを被っていても目が見える。
子供らしいその一挙一動にも、彼女の魅力が遅れることはない。
見た目にそぐわないわけでもなく、むしろ可愛らしい言動に、思わず心臓が跳ねる。
少しだけ歩幅を広くして、家の中に入る。
決して古いわけではないが、多少年季を感じる木造の一軒家。まぁ、この辺りに高層建築物は見当たらないので、家となったら必然的に一軒家になるのだが。
見たことはないが、どこか懐かしさのようなものを感じる。
「ただいま、お母さん!」
「えっと……お、お邪魔します!」
彼女が母親を呼ぶ声に続いて、俺は上がり込み挨拶をする。
数秒後、廊下を裸足で駆けてくる音が聞こえてくる。
次第に大きくなっていく足音の主は、こちらへの扉が開いたと同時に明らかになった。
「え、っと……そちらの方は?」
「旅のお方なんだそうで。もう列車もないから、家に……だめ、かな?」
「いえ、貴女がいいのなら、私は止めはしないわよ」
優しそうなその風貌は、どこか彼女の面影と重なっている。
笑ったときの口元なんて、もうそっくりだ。思わず、俺も笑ってしまいそうになる。
さすがに失礼だと自分に警告し、顔と姿勢を正す。
「……こんにちは。そんなに硬くならなくていいですよ。好きなだけ泊まっていってください。……先に自分の部屋に戻っていいわよ」
「うん、わかったよお母さん」
そう彼女は言って、壁に手をほんの少し添えながら、廊下を通っていった。
やがてその背中は小さく、ある部屋の扉が閉められて見えなくなったとき、彼女のお母さんは口を開く。
「……旅のお方、ですよね? その、初対面の方に言いにくいのですが……あの娘と、仲良くしてやってはもらえないでしょうか?」
「……? え、えぇ、わかりました。こちらこそ、彼女と話すのは楽しませていただいていますので」
正直、意味がわからなかった。
何故、彼女のお母さんがこんなことを言うのか。俺には、わからなかった。
初対面の相手に対してどうなのか、ということでもあった。
――が、それだけじゃないような。そんな気がした。
けれど、俺にはどうしようもない。
何かがわかったとして、他に何かが変わるわけでもない。
『初対面』とは、そういうことだ。残念でもあり、ありがたくもある。
彼女との会話の内容を、小説の参考にでもしてみようか。
そう予定しながら、一階の、彼女が入った部屋に入る。
「あっ、そうですそうです。えっと、お話……しませんか? 私、この夢見村から出たことは、あまりないのです。とても小さい頃のことで、少ししか覚えていないんです。だから、こうして旅の方の話を聞くのは、楽しみなんですよ」
やはり、彼女の笑顔には独特の雰囲気というものがある。
依然としてハットに隠された目元であっても、口元だけで可愛さが表現されるところ。
少し幼く無邪気な言動でも、可愛いと思えること、それらを。
――どこか、寂しそうな雰囲気を匂わせる笑顔が、そう思わせる。
まぁ、気のせいなのだろうが。
恋は盲目と言うわ、気温が高すぎるわで、どこか彼女への判断や見方がおかしくなったりしているのだろう。
そう阿呆なことを考えて、俺は笑いかけて、彼女との会話を楽しむことに。
彼女の笑顔は、やはり眩しい。そこには、寂しそうな雰囲気は、一切漂っていなかった。
どうにも、俺の勘違いだったようだ。
「そうか。じゃあ、そうしよう。何を話したい?」
「そう、ですね~……貴方の話が、聞きたいです」
優しげな声色で言う彼女に、ドキドキとし始める。
俺の話が、聞きたい。別に他意も、特別な意味も孕んでいるわけではないだろうに。
期待してしまう。もしかして。その一言が、脳内で紡がれていく。
「オーケー。じゃあ、俺がどうしてここに来たか、今から話すよ」
その期待が、欺瞞に隠されたものを対象にされないことを切に願う。
今は、この目の前の彼女と、笑いあって会話をしようか。
耳に届いた風鈴の声が、やけに綺麗に聞こえた。
婉曲的な声ではなく、澄んだ声が、直接。