俺が見ているのは、何なのだろうか。
彼女の泣いている姿だと本当に理解できたときには、心が苦しくなった。
「貴方も、そんな声の『色』を……っ、するんですね……!」
「違うよ」
俺は、それだけは否定したい。
断じて、望んで悪質的な結果へと向かっているんじゃないということを。
影に隠れた月の光は、雲の色に淀んだ。
星は整然と瞬くが、風と夜空と、彼女は泣いていた。
不安を絵にするように、鈴虫の演奏は不自然に途切れる。
まるで時が止まったように、凍結されたような不自由な平衡感覚。
ただ、この時間を切り取りたいとは、これっぽっちも思えなかった。思えるはずもなかった。
永遠に覚めない、悪夢を見ているわけでもない。
彼女にとっては、これは現実なのか、それとも夢の一部なのか。
「怖かった、ずっと怖かった! 貴方に知られたら、どうしようって!」
彼女から余裕はなくなり、敬語は砕けた。
ぴんと張ったピアノ線が切れるような、高く細い、寂しい音が一弾指、響く。
焦げ付いた空は、まだ晴れない。
張り付いた嘘が、剥がれる瞬間だった。
「嫌われるって、そんな声の『色』をされるって、ずっとずっと! 前の方も、その前も、その前もそうだった!」
この家に泊まる人間は、彼女の予知夢に浮かんだ人間。
その人間が全て、彼女の盲目に気づく。正直、時間の問題なので、おかしくはない。
その後に、拒絶されたのだろう。
一つのバロメーターが振り切れた不意の一瞬に、色がつく。
青か、黒か、それとも白か。
いずれにせよ、不意なのだから取り繕うことはできない。
その突然が過ぎ去った後に取り繕うとも、それは嘘だとわかってしまう。
彼女にとって、最も嫌っているであろうことは予想ができる。
「だから、違うんだって。確かにあの質問は酷かったと思っている」
「で、ですが……っ、私は、貴方に嘘を吐いてでも、知られたくなかったんです」
少し落ち着いた、彼女の嗚咽混じりの本音。
俺の胸の縛りは弱くなると思いきや、さらに強く締められた。
震える声が、心を抉るようで苦しみは増す一方。
「何で言わなかったなんて言わないさ。言いたくないことの一つや二つ、誰にでもあるんだから」
「きらわ、ないんですか? 私は、目が――」
「嫌わないさ。俺をそんな奴らと一緒だと思っていたのか? 心外だなぁ」
「い、いえ、違うんです。そうじゃなくて……」
できるだけ、柔らかく言う。
それが、俺にできる最善だった。
ただ、醜い最善だった。
結局、何も変わっていない。
嫌わない。それは事実だ。
では、だからどうした。
それで、彼女の目が見えるようになるとでも?
それで、今までの彼女に与えられた苦しみがなくなるとでも?
それで、彼女に冷たく当たった人間が急にこの場に現れて、懺悔するとでも?
――結局は、醜い最善。自分への傷を、減らそうとしているに過ぎなかった。
彼女の望む答えを告げれば、それで彼女も救われ、自分にも影響がない。
それが、今のところの俺の行いだ。
――正す必要が、あるだろう。
もとい、前進する必要があるだろう。
このままでは、自己防衛の醜悪極まりないエゴの塊に成り下がったままだ。
逆に言えば、
「嫌わない。その言葉だけじゃあ、足りないと思うんだよ。明後日には帰ってしまう俺が言うのもどうかと思うんだけどな」
「もう、十分です。ありがとうございました。みっともない姿をお見せして、申し訳ないです」
彼女の謝罪は、俺は求めていない。
俺が相当に下衆なのではなく、彼女が謝る必要がないのだ。
印象を勝手につけられて、勝手に失望されて。
彼女にはどうしようもない部分で、嫌われる。
理不尽の極地を見せられている彼女が、謝る必要は。
「一つ、聞いてほしいんだよ」
「はい……? 何ですか?」
「俺は昨日、言ったよな。その目が、とても綺麗だって。その時、俺は君の目については何も知らなかった」
本気で、綺麗だと思った。
深みのある黒の奥に、秘められた光。
入る光量を逃すまいと捉え、瞳へと保持して輝く。
それが、どれだけ美しかったことだろうか。
彼女は、まだ目深にハットを被ったままだ。
ハットが無くとも、目を瞑っていたり、泣いた後だったりで目を見せようとはしないだろう。
「俺は、君の白いワンピースの姿も、笑顔も素敵だと思う。けど……俺は、君の目が一番素敵だと思っている」
「え……? いや、そんなこと、言われるとまた……!」
嗚咽が戻り、再び泣き声が響き渡る。
今度は、悲しみによる涙ではないことが、俺にもわかった。
「だから、さ? もっと、君の目を見せてほしい。閉じたり、帽子で隠したりしないで」
優しく、彼女に告げる。
嗚咽は小さくなるどころか、大きくなっていく。
声を出そうとしているが、喉も震えていて声が出せていない。
しかし、そんな中。
彼女の小刻みに上下する肩を、腕を、徐にハットへ。
そのままハットを脱いで、彼女は胸の前でしっかりとそれを抱きしめる。
そして、俺の目の前で目尻から涙を流しながら笑顔になる。
未だに途切れ途切れの声を漏らしながらも、笑ってくれる彼女。
儚げながらも、普段見ない涙と心の底から嬉しそうな笑顔が相まって、妖艶な魅力を生み出していた。
「ありがとう……ございます」
「あぁ。とにかく、俺は何があろうと気にしない。明日も、今日と同じようにな」
「はい。貴方は、お世辞が嫌いなんですよね? それは多分、嘘が嫌いなことと思うのです。だから……」
言葉を飲み込んだ彼女は、間を置いて再開。
そのままの笑顔で、一片さえも崩れることもなく言ったのだ。
「私を、正直者にさせてください」
次回、彼女の失明に関することについてです。
先天性ではないことを、一応先に告げておきます。
確か、目が見えないとは書いたものの、先天性か後天性かは書いていなかったと思いますので。
余談ですが、彼女視点の視覚描写なしは、意外に難しかったです(´・ω・`)
基本私だけではなく、情景描写は視覚の情報が多くなる傾向にあると思われる。
そうなると……うん、きっついよね。
思いの外目が見えないことはバレていました(´;ω;`)