ソードアート・オンライン ──月夜の黒猫──   作:夕凪楓

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最近、《千年の黄昏》編のストーリーを妄想する毎日。
色んなシーンを思い描く度に書きたい衝動がががのが。

では、どうぞ。




Ep.82 その紛い物の勇者の名は

 

 

 

 

 《浮遊城 アインクラッド》に新装備や新スキルを実装するテストエリアである《ホロウ・エリア》。

 その広大なフィールド、その小さな一部屋で、この世界の命運を分ける戦いが誰にも知られずに行われていた。

 剣の交錯する音が血のように赤い部屋に鳴り響く。

 

 

 「アキト君……」

 

 

 互いに命を賭して剣を振るうその様に、アスナとフィリアは息を呑む。

 目の前で繰り広げられているのはきっと、デュエルなんて言葉じゃ生温い、殺し合いにも似た意志のぶつかり合い。

 

 《嗤う棺桶(ラフィン・コフィン)》リーダー、PoH。

 そして、《黒の剣士》アキト。

 

 自分の快楽の為だけに戦うPoHと、自分以外の誰かの為に戦うアキト。

 互いに互いを絶対に理解出来ず、認める事が出来ず、決して相容れない二人の、文字通り世界を巡る戦いが幕を開けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「It's show time!」

 

 

 「っ────!」

 

 

 重なる剣戟の中、アキトが一歩前に踏み込む。

 隙と呼ぶには短いタイムラグを見抜き、その紅い剣をPoH目掛けて繰り出した。

 PoHは背を仰け反らせる事でそれを躱し、そのまま後ろへとバク転する。その拍子に上げた足で、アキトの剣を持つ腕を蹴り上げた。

 

 

 「ハッ────!」

 

 

 嘲笑う様に顔を歪めたPoHは、一旦距離を取ったかと思うと、地を這うような低い姿勢でアキトに詰め寄ると、懐に入り込み流れるようにダガーを振り上げる。

 PoHによって蹴り上げられた剣を持つ右手は未だ虚空を彷徨い、ダガーをいなすには間に合わない。

 アキトは咄嗟に左手を輝かせ、そのまま体術スキル《閃打》を迫り来るダガーにぶつけた。

 

 《友切包丁(メイト・チョッパー)》を弾かれ身体が流れたPoHは、その威力のまま身体を回転させ、再びアキトに向けてダガーを振り抜く。

 アキトは右手に持つ《リメインズハート》を振り下ろし、ダガーの攻撃を受け止めた。

 

 

 「へぇ〜、やるじゃねぇの」

 

 「っ……らぁっ!」

 

 

 PoHの顔が近付く事に無意識的に嫌悪感を感じ、感情に身を任せてその剣を振り切る。

 アキトの筋力値によって飛ばされたPoHの身体は、そのまま宙にふわりと浮かぶ。そしてすぐ後ろにあった壁を蹴り飛ばし、再びアキトに向かって迫る。

 

 

 「なっ……!?」

 

 「ほらよぉ!」

 

 

 PoHのダガーが大振りでアキトに近付く。

 慌てて距離を取る為にバックステップを図るが僅かに遅く、そのダガーはアキトの肩を掠らせた。

 

 

 「くっ……」

 

 

 アキトは斬られた肩に手を置き、小さく舌打ちをする。

 まるでこちらの動きを予測したような動きには敵ながら感心するしか無い。

 恐らく先程空中で壁を蹴って迫ったあの攻撃も咄嗟の事では無く、アキトがPoHを弾いた時に、自分からジャンプしたのだろう。通りで振り抜いた時に手応えが軽かった筈である。

 

 

 「アキト君!」

 

 「大丈夫。アスナはフィリアと下がってて」

 

 

 アスナ達の声が背中から聞こえる。PoHに一瞬でも隙を突かれない為にも、振り返っての会話は出来ない。

 PoHは警戒心剥き出しのアキトを見て、ニヤニヤと嗤うばかり。

 

 

 「必死じゃねぇかぁ……さっきまでの威勢はどうした?」

 

 「威勢が良いように見られてたのか。案外アンタも俺を警戒してんだな」

 

 「はぁ〜〜〜〜、やっぱりムカつく野郎だぜオイ!」

 

 

 その怒号と共に一瞬でアキトへと間合いを詰めると、ダガーの刀身が赤黒く染め上がる。

 元々のステータスと、天性の圧倒的身体能力でアキトに迫るその速度はまるで音速。ゲームでなければ有り得ない速度だった。

 その一瞬がスローモーションのように見え、アキトはその間、目の前の男の動きの機微を見逃さず、何手先をも予測する。

 だが────

 

 

(ソードスキルか……でも、見た事無いモーション……!)

 

 

 PoHのダガー《友切包丁(メイト・チョッパー)》が見た事も無い色のエフェクトを纏っている。

 血のように赤く、闇のように黒い。

 

 

 「Yaaaaaaaah!」

 

 「っ、くそ……!」

 

 

 距離を取り、《リメインズハート》を胸元まで引き寄せる。

 奇声を上げながらダガーを振り抜くPoHのソードスキルに、アキトはどうにかいなす事しか出来ていなかった。

 

 短剣四連撃技《マーダー・ライセンス》

 

 そのエモノを上から叩き付ける。

 アキトはその刃先をどうにか剣でずらし、紙一重で躱すも次の瞬間、今度は下から斬り上げられる。

 その刀身は深めに、アキトの身体を抉った。

 

 

 「がっ……!」

 

 

 アキトは後方へと吹き飛び、そのまま地面を転がる。HPが二、三割程消し飛んでいるのが分かり、ソードスキルの威力を痛感した。

 態勢を立て直そうと身を翻すが、休ませる時間を与えないと言わんばかりに、既にPoHが距離を詰めていた。

 

 

 「ほらぁどうした!イイ声で泣いてくれよぉ!」

 

 「チッ!」

 

 

 再び振り下ろされたダガーを、剣を水平にして受け止める。態勢を立て直そうとしていた段階だった為にアキトはしゃがんでおり、上を取られたこの状態は非常に悪手だった。

 ガキィン、と剣がぶつかり合う音が聞こえたのも束の間、PoHが下にいるアキトの腹に思い切り蹴り技を繰り出す。

 

 

 「ぐあっ!」

 

 「アキト!」

 

 

 フィリアが慌ててその名を叫ぶ。

 耳に彼女の声が響いた瞬間、追撃を入れようとするPoHのダガーをローリングで躱す。

 そこから地面を蹴る事で、一瞬でPoHと距離を取った。

 

 

 「はあ、はあ……」

 

 「頑張るねぇ……」

 

 

 PoHは手元の武器をクルクルと遊ばせ、アキトを一瞥する。

 一瞬の攻防の中、たった数秒の隙さえ目の前の男には見せてはいけない。見せたら最後、殺される未来まで明確に見えていた。

 AIだとしてもこの強さは本物で、油断は決して出来ないという事を痛感する。

 PoHに斬られたこの身体の傷と共に。

 アキトが与えられたダメージによって、フィリアを助けた際に放ったPoHへの一撃、その有利性(アドバンテージ)が既に失われていた。

 奴が強いと認知していたからこそ、先にダメージを与える事は悪くない一手だったが、今のPoHの怒涛の連続攻撃で、それもイーブンになってしまっていた。

 いや、僅かに────

 

 

(俺の方が不利か……)

 

 

 HPの減り具合は兎も角、一撃の重さは奴に軍配が上がる。

 というのも、現在この戦闘において言うならば、明らかにPoHはアキトよりも優位にある事に違いないからだ。

 未知のソードスキルがその何よりの理由。連撃数は《二刀流》に及ばないが、一撃の威力は桁違いだ。

 どういう理屈でそれを手に入れたかは分からないが、それでも歯噛みせずにはいられない。

 あんな血のように赤黒く刀身を光らせる剣技だなんて、まるで人殺し専用のソードスキルのように感じて。だがその威力は本物で、初見だった為に回避も間に合わなかった。

 

 逆にアキトは現在片手剣装備。既存のソードスキルでは恐らく奴のスキルには速さは兎も角威力は劣るだろう。

 加えて、既知のソードスキルは予測されやすく、カウンターだって有り得なくない。未知というのは、それだけで脅威足り得るのだ。

 まだPoHは隠し玉を持っている気がしてならない。ならば、《二刀流》が割れているなら不利なのはアキト。

 《二刀流》を使えば凌げるかもしれないが、今このタイミングでストレージを開いて剣を取り出す隙を、奴が与える筈が無い。

 ならば、自分に出来る事は奴に予測されない動きをして勝つという事。ソードスキルに頼ってはいけないという事。

 だが、《剣技連携(スキルコネクト)》もある為、隙があればソードスキルも狙っていける。

 

 考えをまとめ、アキトは《リメインズハート》を地面に触れる程下げて構える。PoHは余裕そうにニタニタと嗤うのみ。

 奴が油断している内に決めるしかない。

 

 

 「────っ!」

 

 

 アキトはジグザグに低い姿勢走ってPoHに迫る。

 その紅い刀身をPoH目掛けて突き出す。PoHはそれを躱し、ガラ空きの背中に向かって《友切包丁(メイト・チョッパー)》を掲げる。

 アキトは勢い良く地面を蹴る事でその一撃をギリギリで躱す。

 そして再び身を翻し、PoHに向かって《リメインズハート》を振り抜く。

 大振りに構えて、今はもう振り下ろしている。油断もしている今、この瞬間が好機────

 

 

 

 

 

 

 「おいおい危ねぇじゃねぇか」

 

 「なっ……」

 

 

 完全に油断していた筈なのに、それすらも振り下ろしていた筈のダガーで防御されていた。

 これにはアスナとフィリアも驚いて目を見開く。アキトも同様を隠せない。

 力任せにいなされ、態勢を崩すアキトに向かって、再びその刀身が血のように染まる。

 拙い────そう思ってアスナが慌てて声を上げる。

 

 

 だが────

 

 

 「アキト君、避けて!」

 

 

 

 

 「────遅ぇ」

 

 

 

 

 短剣五連撃技《ブラッド・ストリーム》

 

 瞬間、アキトの腹部に強烈な一撃が放たれる。そしてすぐさま、PoHはスキルモーションに身を任せて身体を動かし、左下、右下からクロスするようにアキトを斬り上げる。

 アキトの身体にはX字のような切断面が付けられ、そのままソードスキルの威力で吹き飛ばされる。

 

 

 「ぐああぁぁぁあ!」

 

 

 アキトは地面を滑り、そのまま摩擦力で停止する。

 与えられたダメージは大きく、心身共にショックが募る。

 

 

 「こんなのはどぉだぁ!」

 

 「っ!」

 

 

 起き上がってすぐ顔を上げれば、PoHが目前に現れる。

 急いで武器を構え、迫るダガーを受け止める。だが、鍔迫り合いも束の間、PoHはその場で屈み、アキトの足を蹴り飛ばした。

 

 

 「クソッ……!」

 

 「Yeah!」

 

 

 ふらつくアキト目掛けて再び《友切包丁(メイト・チョッパー)》を突き出し、アキトの頬を掠らせる。

 アキトは戸惑い、舌打ちしながらも崩れそうな態勢のまま無理矢理にバックステップする。

 しかし、それすらもPoHの予測通りだったのか、同じタイミングでステップする事でアキトとの距離を近付け、ダガーを振るう。

 アキトは立て直す事すら出来ず、どうにか繰り出された剣を目視で弾くので精一杯だった。

 状況は明らかに劣勢、辛うじてPoHの攻撃を防いではいるが、この状況下を作り出されてしまった事により、現状手数の多さはPoHが勝っていた。

 押し出されるプレッシャーに、アキトは咄嗟に横にステップを踏むが、その足を自身の足に引っ掛けさせ、アキトのバランスを崩す。

 

 

 「っ……!?」

 

 

 アキトは嫌な気配を感じ取り、すぐさま首を後ろに反らす。

 次の瞬間、空気を切り裂くような音を立て、アキトの顔面すれすれの位置をPoHのダガーが通り過ぎる。

 

 

 「シッ!」

 

 

 PoHは躱された事実に意も介さず、そのまま痛烈な薙ぎ払いをアキトに向ける。

 アキトは慌てて《リメインズハート》を突き出し、そのダガーを受け止めた。

 顔を歪めて両手で片手剣を支えているのに対し、PoHは涼しい顔でアキトを見下ろして、ニヤリと嗤いながらダガーを押し込む。

 

 

(くそっ……くそっ、くそっ!)

 

 

 アキトはどうにか片手剣に力を込めながら、心の中では悔しさが滲み出ていた。平常心を失った方が負けると分かっているのに、その心はそう上手く動かない。

 PoHの予想以上の強さと、スペックの違いに悔しさを感じずにはいられない。

 焦ったら負けだと分かっていても、このままでも負けてしまうのではないかと直感が訴える。

 

 

 「おいおいおい……随分と焦ってんじゃねぇの?」

 

 「くっ……」

 

 

 競り合う中、PoHが顔を近付けて来る。

 フードから見えるその瞳は、突き刺すように冷たく、アキトは思わず歯を食いしばり、剣に力を入れる。

 

 だが、PoHはアキトを見下ろし、その目を細めると。

 アスナとフィリアには聞こえないくらい小さな声で、ポツリと告げた。

 

 

 

 

 「……交代(・・)、した方がイイんじゃねぇかぁ?」

 

 

 「っ!?」

 

 

 

 

 アキトはダガーを全力でいなし、一瞬で距離を離す。

 その慌てぶりにPoHはケラケラと嗤うだけ。

 だが、アキト当人は、彼から発せられた言葉の意味を一瞬で理解したのか、驚きでその瞳を大きく見開いていた。

 ドクドクと心音が聞こえる。PoHの言葉が何度も頭を反芻する。

 

 

 交代────誰と?

 そんなのはもう分かり切っている。

 

 

 「……お前、まさか……」

 

 

 アキトはPoHを思い切り睨み付ける。

 PoHは態とらしく、惚けたように首を傾げて口元を歪めるが、アキトは奴の主張した言葉の意図を理解していた。

 

 

 アイツは、自身の中のもう一人(キリト)に気付いてる。

 

 

 一体いつから?そんな風に考えるのを止められない。今この戦闘下においてはあまり関係の無い事象なのに、思考を割かずにはいられない。

 思えば奴とアキトは初対面。そんな自分に、PoHはここまで警戒して、フィリアを使ってまで罠に嵌めて殺そうとするだろうか。

 

 

(まさか、最初から……?)

 

 

 アキトが初めてPoHを見た時、本当はPoHは隠れていた自分に気付いていたのでは?

 そこからずっと、自分の正体に気付いていたのだろうか?

 アキトが、キリトの存在に気付く前から────

 

 

(……じゃあ俺は、またキリト絡みでこんな目に合ってるって事なのか……)

 

 

 色んな奴らと関わる親友だなと、呆れて笑う事しか出来ない。

 この身にその存在を認識してからというもの、アスナ達との関係もギクシャクし、オレンジプレイヤーには襲われ、今は殺人ギルドのリーダーにまで目を付けられている。

 PoHとキリトの間に何があるのか、聞いた事は無いが、何故かなんとなく理解出来ている。

 彼がこの中にいるからだろうか。知らない記憶が入って来るような感覚がある。

 つまり、目の前の奴は自分を通してキリトを殺したがっていた、という事だ。

 

 

 「……はっ」

 

 

 成程。油断どころか、見られてもないのか。そう思うと、笑えてしまう。

 同時に、ふつふつと煮え滾る感情が顕になり始める。

 

 

 

 

 「さっさと代わって、せいぜい楽しい叫び声を聞かせてくれよぉ、《黒の剣士》様よぉ!」

 

 

 「────うるせぇよ」

 

 

 

 

 PoHに一瞬で詰め寄ったアキトは、その刀身にエフェクトを纏わせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 

 「天国に逝っちまいなぁ!」

 

 「ぐっ、この……!」

 

 

 アキトとPoHの戦いは、未だに続いている。だが、明らかに劣勢なのはアキトの方だと、一目見て理解出来た。

 繰り出す剣は全ていなされ、僅かな隙があれば攻撃を成功させてしまうアキト。PoHの戦闘技術は明らかに対人戦特化であり、それ相応に戦闘慣れしていた。

 PvPをしないアキトと、人殺しを楽しむPoH。経験の差から明らかに勝敗が決まっており、アキトが不利であるのは明白。

 

 

 「アキト君……」

 

 

 アキトがPoHを予測して動いても、PoHはさらにその上を行く。

 ソードスキルはアキトの予想通り躱され、そこからカウンターを仕掛けられていく。

 キリトに次いでの反応速度が功を奏し、どうにか致命傷にはならないものの、PoHの普通の短剣とは違う大型ダガーはリーチがその分だけ広く、アキトは完璧には躱せず徐々にダメージを受けていく。

 その事実が、アスナの心を揺れ動かす。

 

 フィリアを、みんなを助けたい。そんな想いが乗った一撃が、人殺しで染まった剣で弾かれる事実を、拒否したい感情に襲われる。

 正しいのはアキトなのに。

 彼は強い筈なのに。

 それなのに、どうしてPoHなんかに。

 

 

 

 

『……よう閃光、偉い醜態じゃねぇか』

 

 

『強さも意志も目的も、俺が持ってる。だから、お前はそのままでいい。ただ……命だけを持ってろよ』

 

 

『生きる意味なんてのはきっと、この先いくらでも見つけられるし、探せると思うから』

 

 

『利己的な目的で上げてたレベルが、誰かの為になる。そう思うと、その苦行がとても意義あるものに思えて、嬉しかった』

 

 

『力、貸してくれる?』

 

 

 

 

 アスナは知っている。彼は初めて出会った時はとても嫌な態度を取っていたけれど、本当はとても優しい少年だったという事を。

 強さにものを言わせる口振りだったけれど、本当は強がっているだけだという事を。

 アスナはもう、知っている。彼が誰よりも傷付いて、誰よりも頑張ってきたという事を。

 

 誰よりもひたむきで、真っ直ぐで。

 見返りなんて要らなくて、ただ誰かを見捨てられなくて。

 一生懸命努力して、今の彼があるのだという事を。

 

 彼は強かった。今、攻略組の中心核には間違いなくアキトがいる。

 彼の『強がり』は、ちゃんと『強さ』に変わっている筈なのだ。

 なのに────

 

 

 

 

(アキト君が、負ける────?)

 

 

 

 

 あれほど強かった彼が。

 あのアキトが、あそこまで鮮やかにやられるなんて。力の差を残酷なまでに見せ付けられているなんて。

 あんなに、頑張ってきたのに────

 

 

 

 

 楽しそうにダガーを振るうPoHと対称的に、苦しそうに戦うアキト。

 自身のこれまでの努力全てを振るっても尚、実力差は歴然としていた。

 アキトの身に付けた技術全てを、PoHは簡単に踏み壊していく。

 

 手を貸しに行きたいのに、足でまといになったらと思うと足が竦む。もし人質なんかに取られ、アキトを動けなくしてしまうケースが一番最悪なパターン。

 それに、フィリアを守らなければならない。

 動けないもどかしさを感じながらも、アキトから目を離せない。

 

 アキトを見てきた記憶が蘇る。

 皮肉を言われ、文句を吐かれ、それでも必ず誰かの為に動く彼は、本当は弱くて、それでも一生懸命頑張れる、何処にでもいる男の子で。

 

 

 「っ……ア、スナ……」

 

 

 フィリアが隣りで戸惑いの声を上げる。

 気が付けば、アスナの頬には涙が伝っていた。

 勝てない事実を一番痛感しているであろうアキトが、ボロボロになりながらもPoHと戦っているのを見て。

 

 

 「……怖いの」

 

 

 独り言のように、ポツリと呟いた。

 涙を拭う事もせず、真っ直ぐにアキトを見据える。見ていられない、なのに、見る事しか出来なくて。

 

 

 恐ろしかった。

 アキトが今まで傷付いて、それでも積み上げて来たもの全て────

 

 

(全て、この戦いで消えて失くなるんじゃないかって……)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 「はあ、はあ、はあ……」

 

 

 《剣技連携(スキルコネクト)》も使えず、既存のスキルは予測され潰される。案の定カウンターまで決められる始末で、アキトのHPは減るばかりだった。

 流れるように連続で飛び出すダガーの一撃一撃が速く、重い。

 精神的にも肉体的にも、疲労が蓄積されていくのはアキトだった。

 PoHと距離を開き、その場で蹲るように態勢を崩したアキトは、荒い呼吸をどうにか整えようと必死になる。

 PoHは表情を崩す事無く身体を左右に揺らしながらアキトを見据えており、アキトはそんな巫山戯た態度のPoHに焦りを感じていた。

 

 

 ────強い。

 

 

 確かにそう思った。AIだなんて油断は禁物で、そうすればすぐ首を跳ねられる。

 けれど、だからこそ認めたくないと、そう思ってしまう。

 誰かを守る為に身に付けた力が、誰かを殺す為に身に付いた力に劣る。

 その事実が、アキトの心にヒビを入れていた。

 

 

 「くっ……」

 

 

 どうにか膝に力を入れて立ち上がろうとする。

 まだ終わってない。コイツを倒さなければ、みんなが危ないかもしれない。

 そう思うと止められなかった。

 だがそんなアキトを静止したのは、他でもないPpHだった。その手を上げて、アキトにやめろと言い放つ。

 

 

 「もう間に合わねぇって言ったろぉ?お前ぇがここで頑張ったところで遅せぇんだよ」

 

 「……」

 

 「もうちょい楽しめると思ったが残念……お前ぇじゃぁ俺について来れねぇよ」

 

 

 その宣告は認めたくはないけれど、とても痛い言葉だった。

 今こうして奴と戦って、自身が優勢になった事は無い。これは恐らく、PoHとアキトの経験の差。

 そもそも、アキトは人を斬る事に対して抵抗がある。それに対してPoHは寧ろ、人を斬りたいという人間。相性は最悪だった。

 でも、奴を止めなければ誰も救われないと思ったから。もう間に合わないとしても、この足を止められないから。

 立ち上がろうとするアキトにそんな意思を感じたのか、PoHは再びニタリと嗤った。

 

 

 「仮にお前ぇが全部止められたとして、そこのフィリアちゃんはどうするんだぁ?」

 

 

 アキトはその言葉と共に、フィリアへと振り返る。

 フィリアは、思わず視線を逸らした。フィリアはまだ、自分の事を《ホロウ》だと思っており、PoHの言ってる事が正しいと感じていた。

 アスナも具体的な事は知らないので、困惑しながらフィリアを見る。

 アキトはフィリアの事情も、PoHの言っている事も間違いだと知っていたが、今この瞬間は、そんな事頭の片隅にも無かった。

 ボロボロになりながら、ただPoHの言葉を聞くだけだった。

 

 

 「ゲームがクリアされれば、お仲間は消えちまうんだぜぇ?《ホロウ》だからって、見捨てられねぇよなぁ?」

 

 「……」

 

 

 そう、もしフィリアが《ホロウ》、ただの作り物だったとしたら。

 もうアキト達に為す術は無い。仮に、PoHのアップデートを止められたとしても、この世界の存在であるフィリアを現実へと帰還させる手段は存在しない。

 もしフィリアが《ホロウ》なら、ここでお別れ。

 アキトは、そんな事はきっと出来ない。フィリアという存在を知ってしまったから────

 

 

 「お前ぇに《ホロウ》……人は殺せねぇ。独り善がりな、下らねぇ正義感があるからなぁ。俺を殺せねぇのがその証拠だ」

 

 

 アスナとフィリアは、PoHの言葉を聞きながら、アキトを見た。

 何も言わず下を向く彼の顔は伺えないが、奴の言っている事はある意味正解なんじゃないかと思い始めていた。

 フィリアは正にそうだった。ボロボロになった斧使いの男性プレイヤーの《ホロウ》を、必死になって救おうとしていた姿を思い出す。

 たとえデータでも、人の為なら一生懸命になれるのがアキト。

 フィリア(ホロウ)を救おうとしているのがその証明だと、フィリア自身が思っていた。

 

 

 アキトは誰かを犠牲にして、誰かを助けるという選択肢を取れないかもしれないと。

 故に────

 

 

 「だからお前ぇはこの『世界』を犠牲に、ゲームクリアなんか出来ねぇんだよぉ!」

 

 

 フィリアのいる《ホロウ・エリア》という世界。そこには人の形をした、意思を持つ人間と変わらない存在がいる。

 そんな彼らを犠牲に、アインクラッドに生きるプレイヤーを生かす。そんな事が、アキトに出来る筈が無いと、PoHは主張した。

 

 

 アキトに《ホロウ》は殺せない。

 アキトは、《世界》を守る正義の味方だからと。

 

 

 その確信を突いたかのような発言は、アスナ達を動けなくさせる。

 これ以上はきっと、アキトの負担になってしまうと。

 もうやめてと叫んでも、声が出ない。

 ただこのまま、アキトが壊れるのを見る事しか出来ないのかと。

 

 ゲームクリアをしたら、もしかしたらフィリアが消えてしまうかもしれない。

 事情を知らない彼女達は、きっとそう思っている。

 ならアキトは、そんなフィリアがいるこの《ホロウ・エリア》を、どうする事も出来ないんじゃ────

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……あぁ?」

 

 

 PoHがふと、そんな声を発する。

 アスナとフィリアは一度PoHを見た後、その視線の先にいるアキトを見た。

 

 

 「ぁ……」

 

 「アキト、君……」

 

 

 二人の視線の先に、アキトはいた。

 そこにはPoHの言葉を聞いて尚、立ち上がろうとする《勇者》がいた。ヨロヨロと弱々しく、それでも前を向く事をやめない一人の男がいた。

 アスナは、再び涙を流す。こんなにも頑張れる人を、自分は知らなかったから。

 

 

 アキトは、立ち上がろうとするその時に、PoHを見据えて小さく笑う。

 

 

 「世界って、なんだよ」

 

 「……あ?」

 

 「どんな顔してんだよ……お前の言う『世界』って奴は」

 

 「……何言ってやがんだ……?」

 

 

 PoHはアキトの言葉の意味が分からないと言わんばかり。

 そして、ここまで言っても折れないアキトに、興味すら湧いて来ている様だった。

 

 

 「勘違いしてるようだから、言っとくぞ、PoH」

 

 

 アキトは剣を床に刺し、支えにして身体を起こす。

 荒い息は安定し、そして、身体からはバチバチと電気のようなものが走る。

 その光景を、誰もが見ていた。もう彼から視線を逸らせない。

 

 

 「俺は、世界の平和を守るような正義の味方なんかじゃない。俺が守りたかったのは……いつだって、誰かの笑った顔なんだ……!」

 

 

 絞り出す声で放たれた願いは、とても透き通っていた。

 結局は自己満足。

 守りたいと思ったのは、見たいと思ったのは、その程度のものだった。

 誰かの笑顔が、幸せだと感じたその顔は、いつだって美しかった。

 何も無かった自分を明るく照らしてくれたのは、そんな見ず知らずの、顔を見るのも初めてな、そんな彼らの笑った顔で。それを見ているだけで、とても満たされた。

 他者が幸せそうしていれば、自分も幸せになったような気がしてた。

 それはきっと、自分の幸せなのだと、今思えば錯覚していたのかもしれない。

 誰も苦しまない世界などないけれど、そんな世界なんて認めたくなかったのだ。

 

 

 「俺がなりたいのは……あらゆる現実やしがらみを否定してでも、幸せな笑顔を絶やさないようにって……そんなエゴを纏った、我儘なヒーローなんだ……!」

 

 

 誰かの為になれる人。それは偽善かもしれない。それでも、美しく綺麗で、切実な願い。

 だからこそ。

 自分の知りうる世界では、誰にも涙して欲しくなかったのだ。

 

 

 

 

 「……そんなもんは偶像だ」

 

 

 「……かもな。けど、俺はそう在りたいと思ってる。だからこそ……」

 

 

 

 

 そう、だからこそ。

 誰かの笑顔が見たいという、我儘な願いがあったからこそ。

 

 

 

 

 「……そんな顔の見えないものの為に、俺は頑張れない」

 

 

 

 

 フィリアの為なら『この世界』を。

 彼女が今、この瞬間でも笑えるように。

 

 

 

 

 「みんなの為だから、俺はっ……!」

 

 

 

 

 漸く立ち上がったアキトは、苦しそうに顔を歪めつつも、その闘志は失っていなかった。

 飽きていた筈のPoHは再び口元に弧を描いていた。

 身体中が傷だらけの、今にも壊れそうなアキトを見て、フィリアは瞳を揺らしていた。

 

 

 「なんで……どうして、そこまでっ……!」

 

 

 フィリアは叫ばずにはいられない。

 どうして自分なんかの為にと、そう思ってしまう。

 自分はきっとPoHの言う通り《ホロウ》で、ゲームクリアと同時に消えてしまう存在。

 ずっと傍に居てくれたアキトを罠に嵌め、間接的にアスナやクラインを裏切った。

 これは自分の問題で、アキト達には関係無い筈なのに。

 どうしてその身を犠牲にしてまで、ここに立ってくれているのか。

 

 

 

 

 「……どうして、だぁ……?」

 

 

 

 

 その質問に苛立つように瞳を滾らせるアキト。

 けれど、その答えは決まっていた。

 アキトはフィリアに視線を向けると、小さく、それでいて力強く告げた。

 

 

 

 

 「友達を助けるのに、理由がいるのかよ」

 

 

 

 

 フィリアはふと、瞳が熱くなるのを感じる。

 溜め込んだ色々なものを抑えられない。

 

 ああ、そうか。そうだった。

 結局はそんな事だったんだ。

 

 この目の前のアキトという名の黒の剣士は。

 たったそれだけの理由で助けてくれる。

 

 

 

 

 「……マジで面白ぇよ、お前ぇ」

 

 「……」

 

 

 ゆっくりと近付くPoHに向かって、《リメインズハート》を構えるアキト。

 その瞳は真っ直ぐに目の前の殺人鬼を捉えていた。

 そして────

 

 

 

 

 「っ……!?」

 

 

 

 PoHはその足を止め、アキトを凝視する。

 アスナ達も、アキトを見てその目を見開いていた。

 アキトのその身体からは、バチバチと電気が走り、その瞳の色が僅かに黒く、侵食されていく。

 

 ゾクリと、背筋が凍る。

 PoHは今、明らかに目の前の男に怯えた。

 

 あれは、拙い────

 

 本能がそう言っており、そこからの行動は速い。

 PoHは一瞬でアキトに詰め寄り、《友切包丁(メイト・チョッパー)》を振りかぶる。

 

 

 

 

 「っ……アキト君!」

 

 

 

 

 アスナが慌ててそう叫ぶ。フィリアも涙に濡れた瞳を開き、必死にその名を叫ぶ。

 今の彼のHPでは危ない。あれを食らったら致命的だ。

 

 

 だがアキトは、笑っていた。

 大丈夫だよと、そう伝えるように。

 

 

 

 

 ────ドクン

 

 

 

 

 自身の胸を、心臓を強く握る。

 その鼓動が教えてくれる。力を貸してくれている。

 

 

 そして、PoHのダガーがその身を引き裂くその瞬間、その口元が動き────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────瞳の色が、また黒く染まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「─── “ダイレクト・リンク”」

 

 

 

 

 

 







キリト 「……あれ、呼ばれた?」

アキト 「いつもは勝手に来る癖に……」

PoH 「グダグダじゃねぇか」







次回 『英雄と勇者の剣技』


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