ソードアート・オンライン ──月夜の黒猫──   作:夕凪楓

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全てを背負うと、そう決めたから────







Ep.74 死ねない理由があるから

 

 

 

 

 

 

  《ジリオギア大空洞》のとある遺跡。

 

 その小さな暗黒の世界で、大きな金属音が鳴り響く。

 風切り音が聞こえる。モンスターの鳴き声が聞こえる。

 

 そして、一人の少年の声が聞こえる。

 黒のコートを纏い、黒い剣を持って、数多の敵に向かっていく。

 

 

 「ぜあああぁぁあっ!」

 

 

 壁を蹴って跳躍する、黒の剣士。

 上空を見上げるだけのモンスター達に、その黒き剣を振り下ろす。

 破壊されてるモンスターの残骸は捨て置き、次の動作へと移行する。

 その剣をリザードマンの胸に突き刺し、向かいから来る虫型を足で蹴り飛ばす。

 身体を捻って剣を振り回し、近付くモンスターを全て薙ぎ倒す。

 

 

 「くっ……!」

 

 

 そのモンスター達の合間を縫って、また新たにリザードマンが斧を振り上げる。

 アキトは悲痛な表情を浮かべながらも、歯を食いしばり、睨むようにリザードマンを見上げた。

 重力に逆らう事無く落下するその斧を《エリュシデータ》で流し、その流れで身体を地面と平行に斬る。

 切断面が綺麗に現れ、そのまま光の破片と化した。

 

 

 「はぁ、はっ、くっ……はぁっ……」

 

 

 ずっと、この調子だった。

 戦うと決め、走り出してから、もうどれだけの時間が立ったかは分からない。

 暗闇の中、ずっと一人、孤独に剣を振った。

 誰の為でもない、自分が生きる為の行動。

 一寸先は闇で、先に続く道があるのかどうかも分からない。

 

 膝に手を付き、流れる汗を無視して呼吸を整える。

 やがて、次の部屋へと続く道の先にいるモンスターに目を付ける。

 ずっと戦ってきた事により、攻撃の衝撃で手の痺れを感じた。

 

 

 けれど。

 

 

 「────次」

 

 

 止まるものか。

 

 

 救いようのない黒猫は、外の空気を欲していた。

 

 

 

 

 「っ────!」

 

 

 斬る。ただ、斬るのみ。生き残る為に、自身が積み上げてきた技術を行使する。

 前に進んでいるのかすら分からないこの暗黒世界を、黒い猫は浸走る。

 何の為に。誰が為に。

 分からなくても良い。ただ、今だけは。

 

 

 この想いを、剣に乗せる。

 

 

 片手剣六連撃《カーネージ・アライアンス》

 

 

 黒い刀身が光り輝き、オーク達を惑わせる。

 瞬間、アキトは地面を蹴り飛ばし、オーク達の間を通り過ぎる。

 それは一瞬、まるでテレポートのような速度で、一体ずつに一撃を当てていく。

 気が付けば、オーク達の身体は四散した。

 

 今までよりも速く、その剣戟は繰り広げられていた。

 帰りたい、その意志が強く、その技に現れていた。

 

 

 「はぁっ!」

 

 

 スケルトンが繰り出すメイスのソードスキルを、自身のソードスキルで弾く。

 後ろから隙を見て剣を振り下ろしてくる、もう一体のスケルトンを紙一重で交わし、回し蹴りを繰り出す。

 そこから《剣技連携(スキルコネクト)》で片手剣スキルを発動させる。

 スケルトンの骨組みを砕き、破壊する。二体目も、同じように散らした。

 

 

 整えた筈の息はまた上がり、だがそれでも、道はまだ続いている。

 

 

 「────次」

 

 

 戦いながら思う。

 一人で戦うとは、こんなにも命の危険があって、寂しいものだったのかと。

 ずっと独りで攻略してきた筈なのに、そんな事、知らなかった。

 いや、忘れていたのかもしれない。知らないふりをしていたのかもしれない。

 感情を押し殺して、ここまで来たのかもしれない。

 

 

 「ぐはっ……!」

 

 

 騎士型のモンスターの剣が、アキトの胸に刺さる。

 他のモンスターも、それを機にアキトへと駆け寄ってくる。アキトは目を見開き、驚きを顕にするも、すぐに次の動きへと転じる。

 ほんの少しだけ生まれた隙にストレージを開き、とあるアイテム名にタップする。

 それを合図に、背中から顕現したそれを、アキトは引き抜いた。

 

 

 リズベットに作ってもらった一振りの剣。

 《リメインズハート》は、アキトの手に馴染み、そしていつもより温かさを感じた。

 

 二刀流範囲技二連撃《エンド・リボルバー》

 

 両手の剣をそれぞれ光らせ、アキトは身体を回転させる。

 周りにいたモンスター達は、彼の剣と、その筋力値により吹き飛ばされていく。

 散りゆく粒子の中、見据えるのは次の道。どこまで続くか分からない道の果てを探し、奔走する。

 

 ここに落ちてから、時間だけで見るならば、もう二日以上は経っている。ゾッとしない話だ。

 もしかしたら、アークソフィアではボス部屋を見付けているかもしれない。

 フィリアは、PoHと共にいるとしても、安全とは限らない。

 戦いながらも考える事は同じで、彼女の泣き顔。アスナ達の苦しそうな表情。

 まるで自分の事のように思えて、自身の顔も歪む。

 帰ってどうする?何を話す?そんな事を考えて、身体の動きが鈍った気がする。

 目の前に現れたオークの剣を右手に持つ《エリュシデータ》でいなし、左手の《リメインズハート》をその身に叩き落とす。

 顔を歪めて地面へと倒れるオークを飛び越え、その後ろにいたリザードマンに蹴りを入れる。バランスを崩した瞬間にその身体を翻し、リザードマンの腹部に二刀を当てがった。

 

 二刀流突進技二連撃《ダブル・サーキュラー》

 

 黄色いエフェクトを纏い、その腹部が張り裂ける。

 切り裂いたリザードマンの肉体の合間から飛び出し、次の場所へと向かう。

 だが、走ったりはせず、その足はゆっくりな歩みへと変えていた。

 少しずつ、休みながら。

 今までよりもかなりの危険が伴うこのエリアでは、焦る事が一番の致命傷である。

 急いでいても、決して気は緩めず、確実に前に進む。

 アキトは次のエリアに来たタイミングで壁に身体を預け、ポーションを咥えた。

 結晶アイテムが使えない為、失ったHPを一気に回復する術は無い。アキトの今の回復手段は、ポーションと戦闘時回復(バトルヒーリング)スキルのみ。

 

 ゆっくりと、だが確実に回復していく体力。

 それを見たアキトは、HPゲージが七割を過ぎた辺りで壁から背中を離す。

 

 

 「……行こう」

 

 

 誰に言ったわけでも無く、自分へと言い聞かせる切り替えの言葉。

 そしてそれを合図に、目の前のモンスターがこちらをターゲットとして視界に収める。

 その部屋の入口からモンスターの数を目視で確認し、そこから全てのモンスターの種類と、それに準ずる法則性のある動きと、変化したアルゴリズム下で有り得る攻撃パターンを予測する。

 二本の剣を左右に持ち、迫って来るモンスターに合わせて振るう。

 確かな手応えと、衝撃による手の痺れが剣を通して感じてくる。それに歯を食いしばり、やがて笑みへと変える。

 

 

 

 

(──── なあ、サチ……)

 

 

 

 

 聞こえているだろうか。

 信じられないだろうけど……俺は今、攻略の最前線にいる。

 

 けど今は《ホロウ・エリア》っていう高難易度エリアの、とあるダンジョンを、たった一人で攻略してるんだ。

 森があって、空中に浮かぶ遺跡があって、広い海があって、宇宙に輝く星みたいな輝きを見せるダムみたいな滝があって。

 

 アインクラッドの攻略は順調だよ。

 仲間のいない状況で、攻略をする事は凄く久しぶりで、独りぼっちの感覚、暫く忘れてた。

 今では一人も慣れてきて、一対一なら死ぬ事は無い。

 

 だけど、そんな油断もここじゃ禁物だ。

 確かに高難易度だけど、レベルだけじゃない。モンスターが考える事を覚え、こちらの戦略や戦術を予測して動く。

 それがどれだけ面倒か、分かるかな。

 

 アインクラッドではある程度楽に思えた事が、《ホロウ・エリア》では命取りだ。

 だから、思ったんだ。

 

 これまでボスを倒せてきたのは、俺の腕じゃなかったんだよ。

 今まで誰かが経験と共に積み上げてきた戦略や知識、信頼や仲間だったんだ。

 

 そんなものを失くした俺は、人一人救う方法すら知らない。

 

 2年もここにいて、俺はそんな事も知らなかった。

 自分がこんなにちっぽけだった事を、俺は知らなかった。

 

 謙虚なつもりだったけど、俺みたいな奴が誰かを助けたい、救いたいと、ただただ願うだけだなんて。

 考えてみれば、随分と巫山戯た話だ。

 

 君は、ずっとそう言いたかったのかもしれないな。

 

 

 

 

 「っ────!」

 

 

二刀流OSS十三連撃《レティセンス・リベリオン》

 

 

 空間と同じ闇色を纏うその剣は、世界への反逆の狼煙。

 そこに見える僅かな光が、自分自身と重なる。このちっぽけな光が、先の自分を照らすんだと、そう感じた。

 

 目の前の体験を持った巨大な牛人のようなモンスターの四肢を斬り付け、剣を流し、その想いをぶつける。

 これは意思表明。絶対にゲームをクリアする。

 みんなと共に────

 

 

 「せあああぁぁぁあぁあああ!!」

 

 

 剣戟が続く度に散る火花の中、その黒猫の瞳が光る。

 黒い瞳と青い瞳、その二色の眼が敵を見据え、その剣が滑り込む。

 全ての連撃を加えたその場に、敵の姿は存在しなかった。

 

 

 「はぁ……はぁ、……っ、はぁ……」

 

 

 不規則な呼吸を続け、やがて息を呑む。

 何も無くなった空間を見て、この場所の敵も全て倒したのだと理解した。

 何の為に、今走っているのかは分からない。

 けれど、意味なんて、これから先で見付けられる。

 

 

 みんながどう思ったって。

 俺がみんなを大切だって思ってる事実が変わる訳じゃない。

 

 

 今は、それで良いと思うから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《追跡者に捕えられた祭事場》

 

 

 何度目の階段かは、疾うに忘れていた。

 けれど、上った先のこのエリアが、一番最初にフィリアと来た場所だと理解した。

 冷たい雰囲気の中で、僅かに感じる土の匂い。小さく燃える松明が辺りを照らし、モンスターの居る場所を教えてくれていた。

 マッピングはある程度済ませていたこの階は、アキトにとっては安心感を覚える場所だった。

 

 

 戻って来れた。

 あの鬼畜ダンジョンを突破した。

 レベルも高くてモンスターの種類も数も多いだなんて、もう二度と行きたくない。

 だが、そんな安心感も束の間、アキトはフィリアの事を思い出した。

 

 

 「……フィ、リア……!」

 

 

 アキトは急いで数日前、自分が落ちた部屋へと向かう。

 もう居ないであろう確率の方が高いのだが、それでも行かずにはいられなかった。

 あんな涙を見てしまったから。

 全力で走り、その開いた隠し部屋に手を掛ける。

 

 

 「っ……」

 

 

 だがそこには、既に開閉された宝箱と。

 自分が落下した、抜けた床のみが存在していた。

 人影は無い。つまり、もうここには居ない。そんなのは分かっていたけれど。

 

 アキトは口を噤んで、その部屋から背を向ける。

 壁に付いたその手が、段々と握り拳を作る。強く、強く握り締める。

 悔しいのか悲しいのか分からない。彼女があんな表情になるまで気付かなかった自分に腹が立つ。

 彼女はこの世界でずっと独りだったのに。

 気付けるのは自分だけだったのに。

 

 彼女に手を差し伸べたのは、PoHの方が先だった。

 それがどんな悪質なものだとしても、救いに思えた筈なんだ。

 独りである自分に垂らされた、一本の糸に。

 

 アキトはフラフラとした足取りでその場から前に進む。長時間の戦闘により、アキトの精神は摩耗し、身体的にも負荷が掛かっていた。

 疲労が蓄積したこの身体では、きっとフィリアを探せない。一度管理区へと戻ろう。

 

 

 

 

 そうして、開けた場所に出た瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「────ぇ」

 

 

 

 

 射し込むような、軽い音が聞こえた。

 それと同時に、背中に感じる不快感。

 

 

 気が付けば、身体はその動作を停止し、地面へと一直線に向かう。

 逆らう事無く倒れた身体は、剣の重みを感じながら、固まった。

 

 

 

 「……な、にが……」

 

 

 

 どう動こうとしても、それは意志だけで身体に反映されていかない。

 全く、身体が動かない。

 背中から感じる不快感は未だ消えず、うつ伏せに倒れた身体で必死にもがく。

 

 

 何が起こったのか。

 まさか、数日前の、あの現象なのか。

 急に身体が機能を停止し、二日も眠ってしまったあの現象。

 アキトは瞬時にそれを思い出した。

 

 

 だが、自分のHPバーを確認して、その表情が固まった。

 

 

 自分の体力とレベルの数値の、その隣り。

『麻痺』の状態異常を示すマークが表示された。

 

 

 何故、急に。

 そう頭を働かせても、麻痺になる瞬間に感じた、背中の不快感以外考えられない。

 覚束無い動きで背中へと視線を動かすと、そこには、小さなナイフが刺さっていた。

 それが意味する事は一つ。

 

 

 「……麻痺、毒……!」

 

 

 今のこの状態が、人為的なものであるという事実だった。

 背中に感じる不快感を生み出すこのナイフには、麻痺毒が付与されていたのだと理解する。

 そして、それを行ったプレイヤーの検討も、無意識につけていた。

 

 

 

 

 「ワーンダウーン!」

 

 

 「っ……!」

 

 

 

 

 突如後ろから、巫山戯たテンションでそう叫ぶ声が聞こえる。

 身体が動かない為に確認出来ないが、その声の主は徐々に近付いて来ていた。

 

 

 そして気付く。

 足音の数が一人では無い事を。

 カツカツと数人が、何処にいたのか、アキトが今入った入口から現れる。

 その数、五人程。各々がフードを被り、その顔を隠していた。

 

 ただ一人、フードを被らず、頭陀袋を思わせる黒いマスクで顔を覆ったプレイヤーが、倒れるアキトの目の前に立つ。

 苦痛に耐えるように見上げるアキトから見えるそのマスクの男は、とても嬉しそうに笑いながら、彼の目線へと腰を下ろした。

 

 

 「いやー、流石に不意打ちは無理かと思ったけど、案外いけるもんだなぁ……」

 

 「お前……は……」

 

 「あん?……あぁそっかそっか、似てるだけだもんなぁお前。俺の事知らないよなぁ……俺はアイツの事、一日たりとも忘れちゃいないけど」

 

 

 アキトの質問に答える気が無いのか、そんな言葉を吐くマスクの男。

 その会話の中から滲み出る子どものような態度に、背筋が凍る。

 その小柄な容姿とは裏腹に感じる殺気は、アキトの瞳を開かせる。

 どうにか動こうとその身体を捩るが、その顔のすぐ側の床を、もう一人のプレイヤーが踏み抜いた。

 

 

 「……無駄だ」

 

 「っ……」

 

 「どれだけ足掻こうと、お前は、その身体を、動かせない」

 

 

 見上げれば、そこには髪と眼の色を赤にカスタマイズし、髑髏を模したマスクを着け、赤の逆十字を彩ったフードマントを纏ったプレイヤーがこちらを睨み付ける。

 腰に携えたシンプルなデザインのエストックが、まるでこちらを射抜いているようで。

 

 

 「……誰なんだ……お前ら……」

 

 「知る必要は、無い」

 

 「別に教えてもいんじゃね、ザザ?どうせ殺すんだし、冥土の土産って事でさ」

 

 

 マスクの男は、そう言うとアキトに向かって、自身の腕を見せ付けた。

 そこには、一度は見た事のある、けど見たくないものが映っていた。

 嗤う、棺桶のマークが、そこにはあった。

 

 

 「じゃじゃーん!これな〜んだ?」

 

 「っ……!?お前ら……《嗤う棺桶(ラフィン・コフィン)》か……!」

 

 

 再び、背筋が凍るのを感じる。

 目の前にいる五人が、全員殺人ギルドのメンバー。そう理解した瞬間に、動けない身体も相成って恐怖心を助長した。

 目の前のマスクの男は嬉しそうにゲラゲラと嗤っていた。

 

 

 「せいかーい!俺らも有名になったもんだぜ。にしても随分遅かったな、お前。ここまで来るのにこんなに時間掛かるとか想像してなかったからさー……ヘイトな3日間だったぜ!」

 

 「な、に……?」

 

 「そんなに大変だったんだー地下エリア。もう死んでんじゃねぇかって思ったから良かったわー」

 

 

 マスクの外から頬を掻くその男は、変わらぬテンションでアキトを見下ろす。

 奴の言っている事を総合すると、彼らは自分がここに戻って来るのを待ち伏せしていたという事になる。

 アキトは未だ動かない身体に苛立ちを覚えながら、目の前の男を睨み付けた。

 彼らがここにいる理由。それはPoH以外には考えられない。今回、アキトを罠に嵌めた奴のやり口は至ってシンプル。

 高難易度ダンジョンにアキトを放り込む、MPKと呼ばれる殺し方。

 目の前の五人は、アキトが万が一ダンジョンを抜け出す事に成功した場合の保険。

 実際、これまでの長時間戦闘のせいで精神的に疲労が溜まっていたアキトは、マスクの男が放ったであろう麻痺毒のナイフに気付かなかった。

 奴らがPoHと繋がっているならば、フィリアの事も。

 

 

 「……フィリアは……無事なのか……?」

 

 「どうだろうなぁ……ま、時間の問題だと思うぜ?」

 

 「っ……テメェ……!」

 

 

 マスクの男のその適当かつ癇に障る態度に、アキトは腸が煮えくり返る思いだった。

 動かない筈の身体を、精一杯震わせ、行動に移ろうとし始める。

 動け、動けと身体に命令する。わなわなと震える腕は、地面へと突き立てる。

 

 

 「おっと」

 

 「ぐはっ……!?」

 

 

 瞬間、いつの間にか倒れるアキトの横に移動したマスクの男が、思い切りアキトの腹部を蹴り上げた。

 その細い身体は見事に吹き飛び、地面との摩擦で肌は熱を覚える。

 ゴロゴロと転がる身体はやがて静止したが、アキトは苦痛に歪めた顔で、彼らを見上げる事しか出来ない。

 麻痺で動かぬ身体の前に、彼らがゾロゾロと近付いて来る。

 

 

 「プッ、クッ、クハハハッハハハ!見た目そっくりだとホント爽快だわー!」

 

 「ゲホゲホッ、ゲホッ……くっ……!」

 

 

 腹を攻撃された事により、噎せ返るアキトは、変わらず奴らを睨み付けるが、それは彼らにとっては脅威でもなんでもなかった。

 頭陀袋のマスクの男はニタニタと笑みを浮かべながら。

 髑髏のマスクの男は冷めた目でこちらを見下ろしながら。

 並んで歩み寄り、アキトの近くで足を止める。

 

 

 「あー……ていうか、裏切られたのに、まーだアイツの心配するんだ?」

 

 「っ……うる、さい……」

 

 「分かってないなら教えてやるけど、お前アイツに嵌められたから、今この状況なんだぜ?分かる?」

 

 

 不思議そうなトーンでこちらを見つめる頭陀袋の男は、腰からナイフを引き抜いて、徐にアキトの背中へと突き立てた。

 

 

 「ぐあっ……!」

 

 「もしかして惚れちゃったとか?クハハ!ならお前は振られたってこったなぁ!」

 

 

 ドスドスと背中にナイフを抜いては刺し、抜いては刺しを繰り返す。

 その度にアキトは苦痛に声を上げ、その目を細める。

 確実に減っていくHP。ダメージは決して小さくなく、麻痺毒が切れるまでには死んでしまうであろうペースに、アキトは死の恐怖を覚えた。

 そうして、意識を手放しそうになるのをどうにか堪えるアキトの髪を引っ掴み、髑髏の男がその赤い目でアキトを見据える。

 その吸い込まれそうな瞳が、アキトの心を抉った。

 

 

 「諦めろ」

 

 「っ……」

 

 「お前は、何も出来ない。ここで俺達に殺され、あの女が無様に殺されるのを、地獄で待っている事以外は」

 

 「がっ……!」

 

 

 掴んだ頭を、そのまま地面へと叩き落とされる。

 確かに感じる痛みに、その表情が悲痛なものに変わる。

 背中に感じる不快感が、恐怖心を煽り、死ぬ事を確実とさせていく。

 そうして、何度も何度も背中を刺していた頭陀袋の男は、何故かその行動を止める。

 首を傾げた後、納得したように頷いた。

 

 

 「……うん、この剣邪魔だわ。刺す度に当たって気分悪くなる」

 

 

 背中に収まる二本の剣を見て、頭陀袋の男はそう呟いた。

 それは、《エリュシデータ》と《リメインズハート》。アキトは彼のその言葉のせいで、動揺の色を見せてしまった。

 それを、頭陀袋の男は見逃さなかった。マスクの下の口元を盛大に歪ませた後、徐に《エリュシデータ》を引き抜いた。

 

 

 「うっわおっも!……この剣、なーんか見覚えあんだよなぁ……見てると、スゲーイライラする」

 

 「っ……!か、返せ……」

 

 

 殺人ギルドのプレイヤーに、キリトの形見を触れられる事実に、アキトは動揺を隠せない。

 触るな、返せ、そうもがいても、奴には届かない。

 

 

 「おい、これやっちゃって」

 

 「うぃっす」

 

 

 頭陀袋の男は、《エリュシデータ》を後ろにいたフードの男に向かって投げる。

 地面へと強く叩き付けられた《エリュシデータ》は、火花を散らして削れていく。

 それだけで、アキトは奴らに憎悪の視線を向けた。

 だが、出来る事はそれだけだった。

 

 

 

 

 「や、やめ、……やめろ……!」

 

 

 

 

 奴らが、その《エリュシデータ》目掛けて振り上げるメイスを。

 アキトはやめろと、そう懇願する事しか出来なかった。

 そのメイスは光を纏い、《エリュシデータ》へと振り下ろされる。

 

 

 ガキィン!と金属音を立て、火花を散らしたその先には。

 粉々に砕け散った、形見の刀身があった。

 

 

 「ぁ……」

 

 

 何度目を凝らそうと、目の前の光景は変わらない。

 砕け散り、ポリゴンと化し消えていく。宙へと舞っていく光と共に、失ったものがそこにはあった。

 

 

 

 

 あれは、アスナに託された、キリトの形見。

 

 

 一緒に戦って来た、親友の武器で。

 

 

 

 

 「あーあ、壊れちゃったー……プッ、クハハハッ!スゲーな!一撃で壊れるとか!」

 

 

 そうしてゲラゲラと嗤いまくる頭陀袋の男。

 周りもそれに合わせて嗤い合う。

 そんな中、アキトだけは身体を震わせ、怒りや悲しみが綯い交ぜになった感情を、言葉に変える。

 

 

 「……ふざけ……やがって……」

 

 「うるせぇよ、お前」

 

 

 頭陀袋の男は音も無く近付き、再びアキトの腹を突き上げる。

 今度は膝が入り込み、先程よりもかなりの距離をアキトは飛んだ。

 その拍子に《リメインズハート》も鞘ごと身体から切り離され、地面を削っていく。

 そんな事、気付く事も無く、アキトは咳き込む。その瞳には、僅かながらに涙が。

 

 

 《エリュシデータ》を失った。

 言葉だけで言うなら簡単に済ませる事実。

 けれどあれはアスナに託された形見で。

 キリトの象徴にも感じた。

 あれがあるから、みんなは頑張れて。

 自分は頑張れたと思っていたから。

 

 

 「そろそろ麻痺毒も切れるし、終わりにするか。《黒の剣士》そっくりだし、良い気分で殺せそうだなぁ……」

 

 「……」

 

 

 ……また、《黒の剣士》の名が響く。

 自分を殺しに来ている癖に、自分ではない他のプレイヤーの名前。

 もう、苛立つ気さえ起きなかった。

 だが、この背中から滑り落ちた《リメインズハート》を頭陀袋の男が手にした瞬間、その瞳が見開いた。

 

 

 「っ……離、せ……!」

 

 「あん?」

 

 「それ、に……触るなっ……!」

 

 

 必死に藻掻くも、身体は動かない。

 システムに抗う事の出来ない無力さに、激しい憎悪を感じる。

 

 その剣は。

 

 キリトの事を一途に想う彼女が残した、

 

 最初で最後の剣。

 

 それに、触るな。

 

 

 

 

 「……クハッ」

 

 「あぐぅ……!」

 

 

 頭陀袋の男はニヤリと顔を歪めると、その《リメインズハート》をアキトの背中へと突き刺した。

 先程よりも重く、痛い一撃が、じわじわとアキトのHPを削り取っていく。

 

 

 「クハハハッハハハ、アハッアハハハハハッハハッ!」

 

 

 自分の剣に殺される様を見て、心底楽しいのか、今まで以上に声を荒らげて嗤う彼らが、とても憎たらしくて。

 けれど、そんな事よりも、死への絶望が、自身を襲っていた。

 

 

 色んなものを失って、最後に残った命まで、この世界から消えるのだろうか。

 死んだら、黒猫団のみんなに会えるだろうか。

 

 

 漸く決意したのに、ここまでなのだろうか。

 失ったものを、取り戻す事さえ、神様は許してくれないのだろうか。

 

 

 もしかしてこれは、今は物言わぬ黒猫団のみんなからの、俺への罰なのだろうか。

 助けられなかった、救えなかった事への。

 

 

 

 

 嗚呼、

 

 家族を(失って)

 

 黒猫団を(失って)

 

 アスナ達との絆を(失って)

 

 フィリアに裏切られて(失って)

 

 

 そうして俺の手に残ったものは、ほんの僅かで。

 それすらも、今この手から溢れ落ちそうになっていて。

 

 

 

 

 今も尚絶えず嗤う彼らに、アキトは小さく呟いた。

 

 

 「……なぁ」

 

 「クハハハッハハハ、はー……あ?」

 

 

 その瞳は、今までのアキトでは考えられない程に、殺気に満ち満ちていて。

 ラフコフの中の何人かは、背筋が凍ったのか、動けなかった。

 

 

 「……是非、教えてくれよ……人を殺すその神経と、殺した後の気分ってのを……」

 

 「……今まで感じた事無いくらいの快楽だっつんだよぉ!」

 

 

 苛立つように、それでいて楽しそうに、頭陀袋の男は答える。

 両の手でリメインズハートをガチガチに固め、アキトを決して逃がさない様にする。

 顔を歪めるアキトを見て、その目を未開き、声を荒らげる。

 

 

 「それ!それだよ!殺される時のその表情を見るのが、たまらねぇんだよぉ!」

 

 「ぐっ……はっ……がっ……!」

 

 

 HPが赤く染まる。

 危険域に達した事実に、恐怖心と、どこか諦観を覚える。

 ああ、なんともまあ、救いようのない話だ。

 

 

 散々抗い、強がり、そうした結果。

 何も変わる事の無い人生を歩んで来た自分の、自分らしい終わり方。

 いつか本物になる日を夢見るだけで、肝心な時に傍にいてあげられなくて。

 

 

 フィリアは、今、泣いているだろうか。

 

 

 俺は、彼女の笑った顔しか知らなかった。だから、あの涙を見た時、衝撃が走ったんだ。

 

 

 彼女がオレンジになった理由も、知ろうともしなかった。それが最善だと思って、目を背けて来たんだ。

 

 

 ただ、ここに居るのが楽しくて。アークソフィアでの事を、こっちでは忘れられる。

 

 

 この世界は、ただ純粋に、逢沢桐杜として居られる、安らぎの場所だったのに。

 

 

 フィリアにとっては、恐怖以外の何ものでもなかったのに。

 

 

 

 こんな時、助けてくれる神様はいない。

 神様は、やっぱり信じられないよ、サチ。

 

 この世界に、都合の良い奇跡は無く。

 あるのは、ただ純粋なシステムという枠組みに収まった数値だけ。

 

 希望など、期待するだけ無駄で。

 夢や理想は朽ちていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──── それでも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……それに、触るな……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 まだ、俺には。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「その剣は……お前が触れられる程……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 死ねない理由があるから────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「『安くねぇんだよ!!』」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────ドクン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バチリと、何かが走った。

 電流にも似た刺激が、身体を襲う。

 

 

 頭陀袋の男は、その一瞬の事に目を丸くした。

 ふと、その腕を見ると。

 

 

 片腕が、《リメインズハート》と共に斬り飛ばされていた。

 

 

 「なっ……っ……!?」

 

 

 5人が囲う中心に、巨大な風が舞う。

 それが、周りのプレイヤー全てを吹き飛ばした。

 

 

 

 

 「ぐぁっ!」

 

 「な、何だ!?」

 

 「っ……!」

 

 

 

 距離を離し、彼らはその風の中心点に視線を固める。

 先程までそこには、死にかけの剣士が居た筈なのだ。

 

 

 だが、そこに居たのは、全く別のプレイヤーだった。

 その剣士を見た瞬間、彼らは皆、同じ表情を作った。

 

 

 

 「な、なんで……」

 

 

 

 頭陀袋の男は目を見開き、震えながらに指を指す。

 その風が止み、その中から顕になるその剣士は。

 

 

 長めの黒い髪に、中性的な顔立ち。

 

 

 先程とは違うデザインのロングコート。

 

 

 黒い瞳と青い瞳、その片目には、傷のように電子の道筋、回路のようなものが走っていた。

 身体からは電気を迸り、その片手には、結晶の輝きを持つ宝石のような剣を持っていた。

 

 

 その人物を、彼らは知っていた。

 先程までの余裕と打って変わって表情が驚愕を顕にしていた。

 震えるような声を抑えようとも、その発言が、動揺を見せ付けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「なんでここに居るんだよ、黒の剣士イイイィィィイイィイイ!!」

 

 

 彼らは各々武器を構える。

 その黒の剣士を囲い、武器を突き付ける。

 特に、髑髏の男と頭陀袋の男は、憎悪と焦りを綯交ぜにした視線を、彼に向けていた。

 

 

 だが彼は、至って冷静にその口を開いた。

 

 

 「随分なご挨拶だな、ジョニー・ブラック」

 

 

 「っ……!?」

 

 

 「一日たりとも忘れないくらい会いたかったんだろ?」

 

 

 そう呟く彼の声は、いつもより鋭くて。その瞳は、真っ直ぐ彼らを見据えていた。

 その剣を下に向け、戦闘の構えを取っている。転がった《リメインズハート》を見つめ、握る力を強くした。

 

 

 

 

 「もう少し喜んだらどうだ?」

 

 

 

 

 そう口元に弧を描く。

 だが、その瞳は決して笑っていなかった。

 

 

 親友を殺そうとした彼らを。

 

 

 黒の剣士キリトは、決して許しはしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ── Link 60% ──

 







アキト 「チェンジ」

キリト 「了解」


ジョニー 「あ、そんなラフな感じなん?」



※本編とは無関係です。

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