何故こうなった……!
ポエム感が半端ない話に……( ゚∀゚)・∵. グハッ!!
戦闘においては続かない予定です。
────霞む。
視界が、感覚が、思考が、身体が。
自身に浸るその何かは、確実に広がっているのを感じる。
ジワリ、ジワリと、その身体の中に染みていくように、何かに、塗り潰されていくように。
その度に瞳が疼き、その度に何処から声がする。
自分だけ、自分にしか聞こえない声が。
それが何なのか、分かるはずもなく、侵食だけが進んでいるように思えて、辛かった。
どの時点でそれが起こるかは分からない。
何が目的かは分からない。
だからこそ不明瞭で、酷く恐ろしい。
未知のもの程、恐ろしい事は無い。
夢を見た後の寝起きはいつだって震えてる。まるで、まだ自分が夢から戻って来ていない様な気がするから。
自分ではない誰かが、そこにいる気がするから。
ふと、気が付けば違う場所にいる。いつの間にか、覚えのない事を口走っている。
明日には、もう自分じゃないかもしれない。
もしかしたら、今日かもしれない。
────嗚呼、なのに。
怯える日々を過ごしているのに。
恐ろしいのに、震えているのに。
嫌な筈なのに。
何故だろう。
受け入れているつもりではないのに。
────
●○●○
76層《アークソフィア》
人の行き交う時間帯にアキトが赴くのは、リズベット武具店。定期的に行うべきである武器のメンテナンスが主な用事である。
エギルの店から出て、それほど時間はかからない。気が付けば、もうすぐそこにあった。
「……」
リズベット武具店の扉を、特に変わった心持ちも無く開ける。
最初の頃は色々張り詰めていて、入るにも緊張したのだが。
(────変われてる、のかな……)
首にかかる鈴のペンダントと同じタイミングで、扉に付けられたベルが鳴る。その音を耳に、アキトは武器が並べられるその店の中を見渡した。
しかし、そこには出迎えるべき筈の店主が、こちらに背を向けて何かを持って、何かをブツブツと呟いていた。
あまりに異様で不気味である。
アキトは気になり、そのまま近付いていく。尚もリズベットはこちらに気付いていないらしく、手に持っている何かの書みたいなものを食い入るように見ていた。
「……これがあれば……でも、85層かぁ……」
「おい」
「うひゃあ!?」
リズベットのすぐ横まで近付いたアキトはそう声を出す。
いきなりの事でリズベットは若干猫背気味になっていた背中をピンとして飛び上がった。
振り返ってアキトを確認したリズベットは、涙目でこちらを睨み付けていた。
「あ、アキト!? び、びっくりさせないでよ!……はっ!?」
「……?」
リズベットは自身の持っていたものをアキトに見られる事に気付くと咄嗟に背中に隠した。
ビクビクしながらこちらを見て若干の苦笑いを浮かべている。誤魔化しのつもりなのだろうが、そこまでされると、逆に何を読んでいたのか気になってしまうではないか。
「の、ノックくらいしなさいっての…」
「……ここ店だろ?ノックなんてする訳ねえだろ。見られたくないものがあるなら、工房で見ろよ。流石にそこに居たなら俺もノックした」
「うっ……そ、そうね……」
「……まあいいや、武器のメンテに来た」
アキトは自身の要件を簡潔に済ませると、背中のエリュシデータをリズベットに差し出した。
彼女は取り敢えずそれを受け取り、確かな重みを感じながら、一先ずそれをテーブルの上に置いた。
そして、アキトをチラリと見た。
「……あたし、結構怪しかったと思うけど、何も聞かないの?」
「別に。言いたくないんだろ、無理に聞かない」
「……気にはなってるって言い方ね」
「じゃあ訂正。興味無い」
「そ、そういう風に言ったつもりじゃなくて……いいわ、すぐに済ませちゃうから、少し待ってて」
リズベットはそう言うと、エリュシデータを持って工房へと消えていった。
その店の中に一人残されたアキトは、ふと、辺りを見渡した。
武器は種類別に並べられ、その中で更に、筋力値の必要な武器の順番に並べられている。
ここに初めて来る人達にも分かりやすく、そんな気持ちが込められているように思えた。武器は命を守るもの、と言うリズベットの言葉、それが店にも現れていて、彼女の優しさが垣間見える。
リズベットも、初めて会った時よりも変わったように思えた。
自分も誰かの役に立ちたい。自棄になっていた親友を助けたい。そんな一心で攻略組にまで参加するようになった彼女。
どれだけ強い意志が必要だろうか。
この世に、変わらないものなど無い。
形あるものはいつかは壊れ、そうでなくても廃れていく。それが、良い方にも悪い方にも転がるから分からない。
アスナは変わった。キリトを失い、自暴自棄になった。だがその後、色々な事を経て、またさらに変わった。前へ進もうと歩き出したのだ。
何も出来ないと自分を卑下して、歯痒い思いをしていたシリカも、戦う術を身に付け、強さを求め、こうして攻略組に参加するまでに変わった。
そして、リズベットも。
『キリトの死』という大き過ぎる事実が、彼女達をここまで変えたとなると素直には喜べない。
今ここに、彼がいれば────
────ズキリ。
瞳を抑えれば、見たことの無い景色が映る。
もう何度目か分からない、どこか懐かしさすら感じる光景の数々。
もう慣れつつあるその症状に、言葉にならない感情を抱く。
「……俺は」
────『どんなものでも、不変ではいられない』
いつか必ず、変わったと、そう自覚する時が来る。
それは誰にでも、それでいて唐突に。
いつか変わるその瞬間、その場に自分は、『変わった』と、そう自覚する事が出来ているだろうか。
「お待たせー!」
「っ…」
どのくらい時間が経ったのか覚えてないが、いつの間にかリズベットがアキトの前に居て、アキトはその身体を震わせた。
それに気付かずに、リズベットはアキトにその黒い剣を差し出し、アキトは恐る恐ると手に取った。
アキトはエリュシデータを手に、その感触を確かめる。それを横から眺めながら、リズベットは何か言おうとしてるのか、口が開いたり閉じたりしていた。
だが意を決したのか、その顔を上げ、アキトを見据えた。
「……ねぇ、アキト?」
「……何」
「えっと…実はその、お願いがあるんだけど…」
「……」
「欲しいアイテムがあるんだけど……その、私一人じゃ手に入らないかもしれなくて……だ、だからそのぉ〜…」
そのどこまで行っても要領を得なそうなリズベットの話し方にウンザリしたのか、アキトは溜め息を吐くと、こちらから彼女に呼びかけた。
「何が欲しいんだよ」
「これっ!」
実質ノータイムでこちらに迫り、自身が先程まで隠していた書物をアキトに突き出した。
その急な変わりように目を丸くしつつも、アキトはその顔に広げた状態で近付けられた書物を読んだ。
そこには古い文献なのか、ボロボロになった文字に、とあるハンマーのイラストのようなものが書かれていた。
「……《その力神の如く》……《ヴェルンドハンマー》……?」
「そう、これ!これなの!このハンマー!ヴェルンドハンマーが欲しいのよ!」
そのテンションの高さにアキトは更にその背を仰け反らせる。先程からリズベットが近い近い。
アキトは思わず彼女との距離を離し、その書物に改めて目を通す。そして同時に、その眉を顰めた。
「……それ、鍛冶用のハンマーなのか?」
「そうだけど、どうしてよ?」
「パッと見、メイスかと思ったから。ハンマーならお前、工房に幾つもあったじゃねえか」
一度工房を見せてもらったアキトは覚えていた。もう使わないハンマーから今使ってるハンマーまで、リズベットは捨てられなくてそのまま陳列していた事を。
そんなアキトに、リズベットは呆れたように言った。
「分かってないわね〜…。まあ、聞きなさいアキト。このアイテム、鍛冶のクオリティの上限を上げるって書いてあるのよ!」
「……で?」
「ちょっと!もっと驚きなさいよ!」
「あ、え?…今の驚くとこなのか…?」
鍛冶に関しては本当に分からないアキト。
鉱石の価値や相場などはある程度把握してはいるが、鍛冶に必要なスキルやアイテムに関しての知識は皆無に等しかった。
「あのね、武器の品質ってスキルや素材によってランダムに決定するじゃない?この秘伝の書によれば、そのランダムで出る品質の上限を引き上げられるの!」
「???」
「……もう!つまり、強い武器が出来る可能性が高くなるって事!」
「そういう事か。それはお得だな」
「……懇切丁寧に説明したのにそのリアクション……。《ヴェルンドハンマー》!これ単体でも凄いアイテムなのよ!? それなのに感想が『お得だな』って……」
まるで家計を任された主婦感。
ガックリと項垂れるリズベットを横目に、アキトは秘伝の書を眺める。
そこに書かれているのは、その《ヴェルンドハンマー》なるアイテムがある場所を示した地図と文章だった。
こむずかしい事が書かれていたが、要約するとそのハンマーは、『85層の洞窟にある』という事だった。
85層。それが意味する事は一つ。
「……あの……最前線なんですけど」
「そうなのよ。だから、ちょっとあたしに付き合いなさいよ」
「……」
「な、何よ…。あ、レベルの心配?大丈夫よ!私これでももう攻略組なのよ?」
リズベットがフンッと胸を張る。まるで自分に言い聞かせているような態度。
どれだけそのハンマーが欲しいのだろう。
だが、何にしても最前線。常に死の危険は隣り合わせである。アキトは少し考えた後、口を開いた。
「……それ、お前が行かねえとダメか?代わりに俺が取ってくるとか……」
「何言ってるのよ。私が欲しいアイテムなんだから、私が行くのが筋じゃない」
「……そう、だけどよ」
リズベットの言ってる事は最もだ。だからこそ、アキトも何か言い返す事は難しい。
けれど彼女には、アキトが何を心配しているのか既に察しが付いていた。
そんなアキトに呆れたように深く溜め息を吐くと、彼に小さくはにかんでみせた。
「大丈夫よ。アキトが守ってくれるもの」
「……」
「でしょ?」
「っ…、……ああ」
────あの日。
リズベットが攻略組の参加を決意したあの日に、指切りをした。
守れなかった約束を、現実のものにしようと誓った。
あの涙ながらに笑ってくれた、リズベットのくしゃくしゃな顔は、それでも綺麗だったと思ってるし、決して忘れてはいなかった。
「約束、したからな」
「ひひっ、じゃあ安心じゃない」
リズベットはそう言うと、女の子らしく、可愛げに笑った。
それを見たアキトは、思わず笑みを浮かべてしまった。
────ああ、やはり。
キリトの仲間達はみんな、強いな。
「よし、じゃあ待ってて。すぐに準備するから」
「……ん?は?…え、今から行くの?」
アキトは素っ頓狂な声を上げ、目を丸くしてリズベットを見る。
リズベットはそんなアキトの軽い反応に、何を言ってるのだと食いかかった。
「当たり前じゃない!何処の馬の骨かも分からない奴に取られたら笑えないわ!そんな事になったら、攻略組全体の、ひいては、私の店の損害に他ならないわよ!」
「本音漏れてるぞ」
「── ふふ……絶対に手に入れるから、待ってなさいよ、《ヴェルンドハンマー》!」
リズベットは最早、アキトの話すら聞いてなかった。
●○●○
85層《ニドラト》
夜になると、蛍の様な光で溢れるこの街は、午前中という事もあって、決して幻想的な光景とは呼べなかったが、それでもやはり最前線。
新しい街はどんなものかと、プレイヤーの多くが集まり、賑わっていた。
上層に行くに連れて、フィールドも狭くなり、ボス部屋を見付けるのも早くなってきていた。クリアも時間の問題で、もしかしたら、もうボス部屋を見付けているプレイヤー達がいるかもしれない。
そんな最前線のフィールドの奥。
エリア名は、《追われし隠者の住処》。
迷宮区の手前に位置する薄暗い洞窟でリザードマンが多く蔓延るそのエリアには、血腥い雰囲気が漂っていた。
そしてこの洞窟には、リズベットの探し求めているアイテムがあった。
「…で、洞窟内の具体的な場所とか分かってるのか?」
「そんなに広い洞窟じゃないし、虱潰しで行きましょう。待ってなさいよ、ハンマー!」
リズベットはもう、ハンマーの事しか頭に無さそうだった。アキトは溜め息を吐く。
彼女の熱意が空回りしない事を祈るばかりだった。
そうして、洞窟の探索を開始した。リザードマンの他にも、ボアなどのモンスターが多く居て、リズベットは最初手間取っていたが、次第に感覚を掴んだようで、段々と熟れてきていた。
アキトも、《ホロウ・エリア》で上げたレベルがここで活きたようで、一撃が重く、モンスターに突き刺さった。
一瞬で霧散したモンスター達の破片が上空に舞い、消えていくのを眺めるくらいの余裕が出来ていた。
リズベットはそのアキトのテクニックの高さに舌を巻いていた。
「……なんか、見ない内に育ったわね」
「親かお前は。そんな言う程経ってないだろ」
「だから不思議なのよ。動きが違って見えるから」
「お前でも戦闘の善し悪しが分かるんだな」
「馬鹿にしてる?」
「感心してる」
そうやって軽口を叩き合いながら、ドンドンと奥に進んでいく。薄暗かった洞窟は、さらに暗くなってきていた。
そんな静かで暗い場所の中で、会話をしないというのはお互いに不安だったかもしれない。どちらとも無く会話が続いていた。
「もうお前、戦闘のスキルの方が鍛冶スキルより高いんじゃね」
「……ふん!聞いて驚きなさい!鍛冶スキル、カンストしたのよ!」
「……マジかよ」
それを聞いて、アキトは驚いた。
バグで失ったスキルの熟練度は、相当下がっていたし、上げるにはかなりの時間が必要だった筈だ。
使わないスキルならきっと、多くのプレイヤーがもう一度上げる気になならないだろう。
だけど、リズベットは今までずっと、何度も何度も武器を叩いて来た。色んな事を忘れる為に、色んな事を乗り越える為に、自分にも出来る事が、確かにあるのだと、そう思う為に。
アキトは、店に行く度に増えている武器を思い出していた。あの量を見れば、リズベットの努力が知れた。彼女は今の今まで頑張って、傷付いて、無理を通してスキルを上げ続けたのだ。
アキトは、思わず笑ってしまった。
「……な、何よ」
「いや、凄いなって」
「……アンタ本当にアキト?」
「……久しぶりに聞いたな、それ」
自然と、素の言動が溢れる。
彼女の努力は尊敬に値するし、そんな彼女を守りたいと思った。
リズベットも、アスナを守る為に、ゲームをクリアする為に、こうして今、アキトの、隣りにいる。
何となく嬉しかった。
だが次の瞬間、道の先から感じる気配に、アキトは気を引き締めた。
その場で足を一度止め、前を見ながらリズベットに話しかける。
「……近いな」
「そうね……」
リズベットは両手に持ったメイスに力を入れ、アキトエリュシデータを斜に構えつつ進む。
そして、その道の先、広い場所へ出ると、そこには、巨大なモンスターがいた。
ボア型のモンスターだが、全体的に白く、鋭く湾曲した牙が天井に向かって突き上げるように生えている。
目元は黒く、その瞳は青い。白いオーラを出しながら、そのどこか凛とした佇まいに、二人は思わず息を呑む。
「……どっから見ても乙事主だな……」
「おっこと……何?」
「いや、何でもない」
途轍もない既視感が否めないアキトだが、そんなどうでもいい思考は頭を横に振る事で吹き飛ばす。
そして、目の前に鎮座するこのイノシシもどきを見て、今一度現状を整理した。
「……アイツ、倒さなくちゃいけないっぽいな」
「あれがあたしの《ヴェルンドハンマー》を持ってるのよね」
「……まあ、まだお前のでは無いんだが」
リズベットは本当にハンマーの事だけを考えているらしい。
それが逆に心配の要因になっているのだが、リズベットには届かない模様。
彼女はそのボスを上から下まで眺め、簡潔に感想を述べた。
「それにしても、随分と大きい相手ね……」
「この85層に来て尚、ボア型がボスとして現れるなんて何かあるとしか思えないな。多分、今までの単調な動きとは別に、特殊な行動パターンなんかもあるかもな」
簡単にそう言ったアキトだが、目の前のボスは思ったよりも手強そうで、アキトは考えを改めていた。
リズベットには、攻略組としての戦績があるが、明らかに経験が足りてない。メイスのスキルも、鍛冶屋としての生産職で得た経験値で上げており、技術的には危うい場面も多い。
加えて、彼女は先程から《ヴェルンドハンマー》なるものの事で頭がいっぱいで、戦闘面が疎かになる可能性だってある。
ここへ来て、SAO初期からいる割と簡単に倒せるボア型が、ボスとしている理由だって危険視するべきところだ。
「……」
「どうしたの?」
リズベットの疑問を背に、アキトはエリュシデータを構え直し、ボスに向かって一歩出た。
「……ちょっとファーストアタック取ってくる。動きが分からないから、暫く下がってろ」
「オッケー、アキトがタゲ取りしてる間に、私が叩けば良いのね」
「違う」
アキトはチラリと、後ろにいるリズベットを見た。
リズベットはどういう事なのかと、アキトを不思議そうに見ていた。
「……」
こんな事を言ったら、誤解させてしまうかもしれない。
だけど。
「動きが把握出来ない間は、経験の浅いお前はポンコツだから、そこで暫く待ってろ」
けど自分は、こんな言い方しか出来なくて。
リズベットは、言ってる事が分からないと、困惑した表情を浮かべていた。
「え…?…ちょっと、何言ってるの? ここまで来て、あたしにただ見てろって?」
「そうは言ってねえだろ。パターンが分かるまで待ってろって言ってんだよ。俺だって一人で倒せるなんて思ってない」
「あたしは、あたしのアイテムの為に頑張ってるんだから、ただ見てるだけなんて……そんなの出来る訳無いじゃない!」
リズベットは聞きたくないと、そう言って叫ぶ。
だがそれが引き金になったのか、ボスが身体を上げ、大きく咆哮した。
ビリビリと洞窟内を振動させるそれは、アキトとリズベットの動きを一瞬止まらせる。
だが、それで充分だった。そのイノシシは、一気にリズベットの元まで駆け寄り、その巨体をぶつけた。
「しまっ───」
「きゃあああっ!!」
リズベットはその場の石ころのように飛んでいき、そのまま近くの壁に激突した。
アキトは、尚も連撃を続けようとしていたボスの牙を、スイッチの要領でかち上げ、怯ませると、リズベットの元まで駆け寄った。
「おい!大丈夫か!」
ヨロヨロと身体を震わせてどうにか起き上がるリズベット。
そのHPは、一瞬で危険域に達していた。やはり、ただのボアじゃない。ボスという事もあるが、攻撃力が桁違いに高い。
リズベットの動揺も相当だ。まだ戦いすら始まってないというのに、仕切り直しを提案するしかなかった。
アキトは咄嗟にフィールドを見る。
身体を左右に揺らし、体勢を整えているボスの左右には、先程来た道と、もう一つ、未知なる道が存在していた。
アキトはそれを確認するとリズベットに向き直った。
「……仕切り直すぞ。あそこにある道、どっちでも良い。走って逃げろ」
「で、でも、アキトは……」
「一人で倒せるとは思ってないって言ったろ、お前が逃げたの確認したら俺も逃げる」
「ご、ごめんなさ────」
リズベットが謝る前に、ボスが再び奇声を上げた。
ボスから出た突風が、二人の髪を大きく揺らしていた。
アキトはボスがこちらに向かって駆け出した瞬間、その足で地面を蹴っていた。
片手剣単発技《ホリゾンタル》
白銀の刃がボスの牙を躱し、右の横腹を斬り裂く。
ボスの巨体が、左に傾く。アキトは咄嗟に、リズベットに向って叫んだ。
「早く行け!」
「っ…アキト、ゴメン!」
リズベットは悔しそうに顔を歪めると、空いた空間を突っ走り、そのまま一番近い道に向かっていった。
それを確認すると、アキトはボスの巨体を利用し、ボスの視界から外れるような動きを繰り返し、その隙に連撃を入れる。
そして、ボスが倒れた瞬間に、アキトはリズベットが逃げた道を続いた。
●○●○
アキトがその道を抜けた先には、案の定リズベットが両手を膝に付いて、呼吸を繰り返していた。
そこは思ったよりも狭く、それでいてその先に道は無い。行き止まりだった。
「はあ……はあ……アキト……」
「……ここは安全地帯っぽいから、少し休むか」
そうは言っても、かなりまずい状況だった。
この場所が安全地帯で、行き止まりという事は、帰り道は逆方向という事になる。
アキトはマップを開きながら、ストレージにあった転移結晶をオブジェクト化させた。
「……ここ、結晶使えないな」
「そんな……」
リズベットはか細い声でそう呟いた。
つまり、帰るにはどうあっても、またあのモンスターと遭遇しなければならないという事を虚実に表していた。
リズベットは声を振るわせながら、アキトを見上げた。
「どうするの……?」
「考え中。どうすっかな……回復しとけよ、一応」
「うん……ありがと」
リズベットはそう言って、ポーションを少しずつ口に含んだ。彼女は心做しか、いや、確実に意気消沈していた。
あれだけ意気込んで、それでいてボスに飛ばされ、挙句逃げる始末。終いには逃げた先が行き止まりで、転移結晶は使えない。
あまりに絶望的な状況を作り上げた、自分自身を恥じていたのだ。
リズベットは壁を背に、小さく蹲った。アキトは、そんな彼女の少し離れた場所、少し大きめな石の上に腰掛け、アイテムストレージを開いた。
「……何も」
「あ?」
「何も、言わないんだね。こんな状況になったのは、あたしのせいなのに……」
「いや、なっちゃったもんは仕方無いだろ。もしお前に文句を言う事で、この壁に穴が開いて逃げられるんなら、俺はお前を泣かせてる」
「……」
「……前にも言っただろ。俺は失敗した奴を励ます術を知らない。そんなの、教えられた事も無かった」
教えてくれる親も、もうとっくに死んでいる。
そんな事、彼女を前に言えた事では無いけれど。
蹲り顔を膝で隠すリズベットに、アキトは走って来た道を眺めながら話し掛けた。
「…お前がハンマーを欲しがってたのは分かってる。お前が使うアイテムだから、お前が頑張るってのも筋は通ってるし、間違ってない」
「……」
「そのハンマーで強い武器を作りたい、スキルを使って役に立ちたい、売り上げを伸ばしたい、金儲けしたい。そんな私利私欲が混じるのも仕方無い。けどそんなの全部、命あっての物種だろ」
死んだら、そこで終わり。何もかも。
誰かと笑い合ったり、喧嘩したり、泣いたり、叫んだり。そんな事だって、生きてないと出来ない。
『死んでも尚、この胸の中で生きている』、そう言ったセリフを、物語で何度も聞いた事がある。
だけど、どれだけ自分達の胸で死んだ人を生かそうとも、死んだ本人の時間は、永遠に止まったまま、進む事は無い。
もう二度と。
「だから────」
「分かってる」
リズベットは、アキトの言葉を遮ると、その顔を上げた。
その声は弱々しくて、口を挟めば、何もかも崩壊してしまいそうだった。
「……アキトの言ってる事、全部分かってる。戦闘に関しては、アキトの方が強いから、あたしじゃ、あのボス相手にうまく立ち回れないっていうのも、納得してるの。けど……だけど……」
それでも。引き下がれない理由があって。
彼女はその思いの丈を、ポツリポツリと紡いでいった。
「あたし、悔しかったんだ。アキトにああ言われたの。アキトの後ろに居て、戦ってるのを見てるだけなんて、嫌だった」
「……」
「頭では分かってるの。アキトの言った事は正しいって」
その膝を抱える腕の力が強くなる。
その膝から見え隠れする瞳が揺れ、身体は震えていた。
「でも、それじゃ全然対等じゃないじゃない。攻略組では戦えていても、二人になった途端、肝心なところで役に立たずなんじゃ……」
「リズベット……」
「あたしは、アキトの、アスナの隣りに立ちたいの!ただ守ってもらうだけじゃなくて、隣りで一緒に……二人を、支えて……守って……」
何が言いたかったのか、それすらもまとまらない。
リズベットは、荒らげた声を、ワナワナと鎮めた。
「今度は……一緒に……」
上げた顔は、再び膝の中に埋もれる。
アキトは、そんな弱々しいリズベットを久しぶりに見た。いつも、みんなのムードメーカーで、勝ち気で、そんな彼女ばかりを見てきたから。
「初めてあたしが攻略組に参加した時のボス戦、覚えてる?あの時、アキトの声のおかげで、あたしは動く事が出来た。信じられないでしょ?初めてのボス戦で、ラストアタックを取れるなんて」
忘れるわけが無い。彼女が親友を救おうと恐怖に打ち勝ち、ボスに一撃を入れた、あの77層のボス戦。
「あの時……あたしもみんなの役に立てるんだって思って……凄く嬉しかったの。だから今日も役に立って……一人の攻略組のメンバーとして、パートナーとして、アキトの隣りに立ちたかったの……」
「……」
「……それに、怖かった」
「え…」
「あたし一人が逃げて、振り向いたら、そこにはアキトとあのボスだけ。もしアキトがこのまま戻って来なかったらって……凄く怖かった。もしかしたら、また……あたしのいないところで……また……!」
それは、きっとキリトの事。
自分の知らないところで、自分のいないところで。
大切だった人が、命を落として。
その恐怖を、アキトは知っていた。
リズベットは嫌だった。
もう、誰かを失う事が。
大切な人が、大切な仲間が。自分のいない時に、知らない場所で、思いもよらぬ時に、前触れもなく突然にいなくなるのが、耐えられなかった。
そして、それを防ぐ事すら、守る事すら、駆け付ける事すら出来なかった自身の無力さを呪った。
もしかしたら、リズベットが攻略組に参加したのは、そんな大切な人の大事に駆け付けて、守る事の出来る強さを無意識に求めていたからかもしれない。
「あたし……まるで変われてない……今もアキトに迷惑かけて、結局、足でまといのままで……」
リズベットは、目指したものに手が届いていない事を実感し、絶望を感じてた。
自分が目標としていたキリトは、憧れていたアスナは、ずっと遠い場所にいるような気がして、それを痛感したから。
目の前のアキトに、迷惑しかかけていない事を改めて理解してしまったから。
もう、どうしたら良いか分からない。気が付けば、《ヴェルンドハンマー》の事なんて、頭の片隅にも存在していなかった。
アキトは、そんな自分になんて言うだろう。
励ましてくれる?慰めてくれる?それとも、何も言わない?こんな自分に失望したかもしれない。
リズベットは怯えながら、アキトからの声を待った。
「……お前さ」
「っ……」
リズベットの身体がビクリと震えた。アキトの声が、嫌に耳に通る。
聞きたくないような、でも、真実を突き付けられれば諦めも付くだろうか、なんて考えてしまって。
だけど、アキトが言ったのは思いもよらない事だった。
「……全然センチメンタル似合わねえのな」
「…………は、はあああぁぁあっ!?」
リズベットは目を見開き、大声を上げた。なんて事を言うんだと、アキトに詰め寄る。よく見れば、彼の顔はニヤけており、まるで笑うのを堪えているようにも見えた。その事実が、リズベットをさらに激昴させた。
この状況で、そんな空気の読めない発言をするような人だとは思わなかった。
何を期待していたというのか。リズベットはアキトに向かって声を荒らげた。
「あんたねえ!人がこんなに悩んでるのに言う事欠いてそんな事言うの!? 信っじらんない!サイテー!」
「仕方無えだろ、だって、ガチで似合わな……くくっ」
「こっのお~……!」
そんなアキトに向かって、持っていたメイスを振り下ろしたい衝動に駆られる。そんな中、ふと思ってしまった。
アキトが笑いを堪えてるところなんて、初めて見たかもしれない。
なんて、そんな空気の読めない事を考えているのは、きっとお互い様だった。
リズベットも、そんなアキトに連れつられて、思わず笑ってしまって。
本当に、どうしようもなかった。
「……ふふっ…あははっ……あははは……はー、馬鹿みたい。アンタなんかにこんな話、するんじゃなかった」
「まあ、相談事と俺の相性は最悪だろうと自負してる」
「何の自慢にもなってないのにその胸の張り様は何…」
最近になって、段々と態度が柔らかくなってきたアキト。取っ付きやすいその話し方に、リズベットは呆れてしまう。笑ってしまう。
そうか、アキトは。アキトという少年は。
自分が思う以上に、もっとずっと優しくて。
そうやって笑い合う中、アキトはポツリと言葉を告げる。
「────そう」
「え…?」
「俺は、誰かを慰めたり、励ましたり、支えになったり。そんなに色々な事は出来ない。教わったとしても、きっと俺は、この生き方を変えられない」
アキトはその場から立ち上がり、逃げて来た道の前まで歩き、その場で止まった。
こたらには背を向けており、リズベットからでは、アキトの表情は伺えない。
だけどその背中は、とても大きくて、とても頼もしく見えた。
リズベットの、その心臓が高鳴るのを感じる。
「だから俺らしく。お前らから見える俺らしく、一つだけ、『約束』してやる」
アキトは左手をバッと広げ、視線だけをリズベットに向けて見せた。
「アキ────」
「全部」
まるでその背は、キリトそのもので。
「……全部、何もかも。俺が守ってみせるから」
強さを求めたのは、アキトも同じだった。
大切なものを守れる力を、ずっと渇望していた。
そればかり欲しがって、大事なことを見失っていたかもしれないと、今になって後悔が募って。
そんなアキトに残されたのは、この身一つだけ。
大切なものを失って尚、出来る事を模索した結果の姿。
励ます事も。
慰める事も。
支える事も。
自分には出来ない。
自分が出来るのは、ただ。
────何もかもを背負う事だけ。
故に、ただ一つだけ。
リズベットが悩む心配など無いと、そう言えるように。
彼女の悩みなど、気にならなくなるくらいに、頼もしいヒーローになる。
だから、心配は要らないと。
自分が全部守ってみせるから、お前が悩む事など無いと。
不器用ながら、その佇まいが語っていた。
「アキ、ト……」
リズベットは、そんな頼もしい、強い背中に、どこか儚さと脆さを感じて、痛々しく見えて。
何故か泣きそうだった。
「……守れない約束はしない主義じゃないの?」
「だからこそ、約束するんだろ」
それはつまり。
アキトは、この約束が守れるものだと思ってる。
そこには驕りも矜恃も無い。自信と呼べるものも無い。
ただ一つ、純粋な願いだった。
とても頼もしく、安心する。
────良いの?簡単にそんな事言って。
「……ホントに、そんな事出来るの?まるで賭けじゃない」
「分の悪い賭けは嫌いじゃない」
────また、期待しちゃうよ?
(……ああ、見ててくれ、サチ。今度は、失望なんてさせないから────)
アキトはリズベットに向き直り、余裕の笑みを浮かべていた。
「お前が抱える悩みも、周りの事も、何もかも。隣りに立って、一緒に走って。そうやって全てを守ってみせるから。そんな悩み、抱える必要も無いと、そう思わせてやるからさ」
「……だから、安心しなよ」
彼女の悩みなど取るに足らない。
そう言い放つだけの一言。
だけどそれは、きっと茨の道で。
それでも、この道を最後まで行くと決めたアキトの、少しばかり欲張りな願いが。
目の前の彼女を安心させたいが為の、大きな強がり。
アキトは無意識に感じていた。無自覚だった。
彼らをもう、かつての仲間と同じくらい大切な存在として認識し始めているという事を。
目の前には、先程の巨大なイノシシがいた。
白いオーラを纏い、こちらにタゲを向けていた。
途端に咆哮が響き、空気が振動するのを感じた。ビリビリとそれを肌で感じながらも、アキトはその瞳をボスから離さない。
アキトもリズベットも、それぞれ自身の武器を構え、その標的を睨み付けていた。
「さっきお前が言ってた案で行くぞ」
「え…?」
「俺がタゲを取る。お前は隙を見てその鈍器でぶん殴れ。ヘイトは全て、俺が
「……分かった!でも、無茶しないでね。あたしも、もう無茶はしないって約束するから」
「……お前の無茶なんて、してもしなくても変わんねえよ」
アキトはエリュシデータをその手に掴み、リズベットを見て笑みを溢した。
アキトはまた一歩、キリトの仲間の一人と距離が縮まった。
「……んじゃま、乙事主を討伐するか。足引っ張んなよポンコツ鍛冶屋」
「だからぁ!もうスキルカンストしてるって言ってるでしょうがああぁぁあ!!」
────たくさんの嘘を吐いた。
────果たせなかった、『約束』があった。
だからこそ、もう二度と繰り返さぬよう。
だからこそ、もう一度。
キリトの仲間達と、自分の仲間達と。
そして、この
一歩。
この一歩を。
全てに変える力にしたい。
小ネタ
アキト「おい、ドロップしたかよ《ヴェルダンハンマー》」
リズベット「《ヴェルンドハンマー》よ!『レア』なアイテムなんだからね!?」
アキト「ヴェルダン、レア……上手い事言ったな」
リズベット「何がよ!」
※焼き加減の話です。
今回、かなり素の感情を出したアキト君を描いてみました。
少しずつ、確実に、彼らを大切なものとして感じている彼を、そんな彼らの為に精一杯の強がりをするアキト君を書きたくて。
反省してます。後悔もしてます。
( ゚∀゚)・∵. グハッ!!