ソードアート・オンライン ──月夜の黒猫──   作:夕凪楓

154 / 156






──── 物語ほど、世界は綺麗じゃない。








Ep.3 初対面との再会

 

 

 

 

 ──── 我々は、当たり前だと思っている。

 

 

 思い立てば誰だって、自分の行きたい所へ行ける事を。

 

 

 いつでも、自分の想いを大切な人に伝えられる事を。

 

 

 平凡で在り来りで、変わり映えしなくとも、満ち足りた日々が続くであろう事を。

 

 

 手を伸ばせば、誰かの手を掴める事を。

 

 

 けど、そんなものはきっと。

 少し勝手が変わるだけで、簡単に崩れていくもので。長い年月を経て、培われてきた幻想で。

 もし、それらを全て失ってしまえばきっと。当然だったものが消えてしまったならきっと。

 何もかもが違って見えるのかもしれない。

 知っていたはずの世界が、未知のものに見えるのかもしれない。

 

 

 その時、自分は。

 そんな世界で、大切な場所を見つけられるだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 ──── ぶるりと、身体を震わせた。

 

 

 その拍子に僅かだが意識が覚醒し、感覚が甦る。最初に感じたのは辺りの静寂。そして次に、冷え切った身体。朧気な視界の中、その焦点が段々と合ってくると、自分が今何処に居るのかを教えてくれる。

 異常なくらいの静けさと、ほんの少しの肌寒さ。それはもう慣れたもので、そこお陰でここ場所の正体すら悟れてしまう。

 

 

 「……」

 

 

 細めていた瞳をどうにか見開く。だが未だに睡魔が起床の邪魔を繰り返し、開きかけていた瞳がまたすぐに閉じ始めていた。

 別段朝が苦手という訳でも無かったが、この時ばかりは眠くて仕方が無かった。ふと気が緩めば、再び夢の世界へと誘われてしまうだろう。

 しかし、今自分が横になっている事に気が付くと、どうにか意識を覚醒させた。今度こそ瞳は完全に見開き、その場で身体を起こす。

 ふと見れば、アキトは水色の寝袋に身体を収めていた。何故なのかをすぐに理解し、そこから這い出る。

 

 

(……そうだ、ここで寝たんだった……)

 

 

 上半身を起こして最初に目にしたのは、眼前に聳え立つ黒い石碑。言わずがもがな《生命の碑》であった。

 そう、ここは第一層《はじまりの街》にある《黒鉄宮》、その中だった。ここで寝泊まりをするような奇特な人間は勿論いる訳もなく、アキトは昨日ただ一人、ここで夜を明かしたのだ。

 理由は一つ。何処も彼処も、知らない場所のように見えたからだ。行く宛が無く、仕方無くここで眠ったに過ぎない。

 

 

(ここもきっと……知らない場所なんだろうけど……)

 

 

 アキトはすぐさま寝袋を仕舞い、立ち上がって装備を整え始める。黒いロングコートに、紅色の剣。そうしていつもの状態を完成させると、再び《生命の碑》を見上げた。

 《月夜の黒猫団》全滅後、毎日のように来ていたこの場所。幾度と無く見上げたその石碑が今はまるで知らない美術品のよう。

 傍から見れば大した違いじゃないかもしれない。実際、普通のプレイヤーならまず違いなんて分からない。だが、そんな些細な違いだからこそ、何度と無くこの場所に向かい合ったアキトには分かるのだ。この目の前の《生命の碑》が、自分の知っているものと違う事を。

 大切な人達に引かれていたはずの横線の削除。死んだはずの人の名前が復活し、色を宿している。

 石碑だけじゃない。ここに来てから、不可解な事は多くあった。

 

 

 未知のプレイヤーの存在。

 最前線の後退と時間の逆行。

 そこに住まう彼らの言動。

 

 

 それらが示すのは、この場所がアキトの知るものと明らかに違うという事だった。

 一見、アキトの知るSAOとそっくりの空間。すぐには分からないだろう。けれど、この場所が自分の大切な場所と何もかも違っている事を、アキトだけは理解していた。

 

 

 ──── そう。ここは、()()()()()()()()()()

 

 

 まるでどこかの異世界漂流ものの小説のようだと鼻で笑おうにも、目の前の事象全てがそれに行き着いてしまう程に生々しい。だから、それが嘘だと、偽物だと、夢幻なのだと思えなかった。

 原因も過程も何もかもが不明のまま、アキトはこの場所に───この世界に立ち尽くしていた。気が付けば、この世界にいたのだ。故に何故そうなったか、その理由すら分からない。

 それを解明しようにも情報が少な過ぎる。あまりにも絶望的な状況だった。

 必死にここに来るまでの過程を思い出そうと頭を回転させる。だが分かったのは、元々自分は《ホロウ・エリア》へと向かっていたはずだという事だった。

 

 

 「……っ」

 

 

 アキトは再び《生命の碑》を見上げ、目を細める。

 苦々しく表情を歪めると、固く拳を握り締めて踵を返す。そのまま石碑に背を向けて、この建物の出口へと足を向けた。

 ここに居ても、何も解決しない。ならば手掛かりを探さねばと、無意識にそう行動していた。

 元居た世界から隔絶され、一人置き去りにされた孤独感。その焦りを誤魔化すように、アキトは歩いた。

 

 

 

 

 ──── その《生命の碑》に、《Akito(アキト)》の名前は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 74層 《カームテッド》

 

 

 そこが、アキトの目的の場所だった。

 《黒鉄宮》から出たアキトは、そのまま迷う事無く転移門のある方向へと一歩踏み出した。

 この場所に態々足を運ぶプレイヤーは少ない為、辺りはアキト以外誰もいない。あまりの静けさに、石畳の地面をブーツで叩けばカツカツと音が鳴る。それが心地好く感じる反面、やはりふと思うのは今の状況を打破する方法だった。

 何故こうなったのか。色んな仮説が頭を過るが、確証も証拠も無く、立証すら難しい。まだ夢の中である可能性だって捨て切れないし、実はSAOによく似た《ホロウ・エリア》の一部分の可能性もある。元々アキトは、《ホロウ・エリア》に居たはずなのだ。

 それに、これが高度なクエストの可能性だってある。プレイヤーの深層心理に《カーディナル》が直接干渉(アクセス)し、そのプレイヤーが望むような、都合の良い夢幻を見せている可能性だ。サチやケイタといった、アキトにとって生きていて欲しいプレイヤーの名前が《生命の碑》に記載されているのがその仮説を考えた理由でもある。そうなると、何故そこまでする必要があるのかという新たな疑問が出てくるわけだが。だが、そもそも《ナーヴギア》でこのSAOにログインしているこの状況すら夢のようなものだ。原理が分からなくとも、それくらいなら出来てしまえるのではと思えてしまう。

 

 

 そう、ここがパラレルワールドだなんて、そんな出来過ぎた話がある訳無い。

 これはアキトが元々居たSAOの世界で、今この現状は、何らかの大型クエストなのだ。そうに決まっている。

 そうでないと、焦りを隠せなくなる。震えが止まらなくなる。クリア出来るクエストなのだと、解決策が必ずあるゲームなのだと解釈しなければならない。

 もし、このままこの場所で、帰れなくなったら────

 

 

(落ち着け、まだ慌てるような時間じゃない……今あるだけの手掛かりで可能性を探さなきゃ……)

 

 

 必死に胸の鼓動を抑えようとするアキト。片手を心臓部分に押し付け、そこを鷲掴みにする。自然と呼吸が荒くなり、息が整わない。

 揺れる瞳をどうにか抑え、アキトはいつの間にか止まってしまっていた足を再び動かし始めた。

 今やるべき事を頭の中で確立する。目的の達成要件、それは現状の解明と打破。その為に最初に行うべきはこの世界の謎だ。

 

 

 故に目指すのは《アインクラッド》最前線───74層だ。

 

 

 アキトの知る世界での最前線は現在87層。

 75層で起きた大規模のシステムエラーによって、76層から上と75層から下は隔絶された。今や上層に上がれば、二度と下には戻れない。

 けれどこの場所は、そもそもの最前線が74層であり、アキトの知る世界とは13層も下だ。

 本当に最前線が74層なのか、それを確かめる必要がある。

 もしかしたらその足で《アークソフィア》まで帰れるかもしれないと、僅かな希望にすら縋る自分が情けなくなるが、それでもそんな希望で自分を動かさなければならない。

 まずは《アークソフィア》を目指す。それだけだった。

 

 

 「あ……」

 

 

 顔を上げると、既に広場に出ていた。

 広大な《はじまりの街》の中央に備わる転移門。気が付けばその場所に辿り着いており、アキトはふと我に返る。

 思えば昨日、あの三人のプレイヤーにあってから、転移門の不具合があるのかどうかの検証もせず、逃げ帰るように《黒鉄宮》に向かってしまった為に録な検証もしていない。

 アキトは口を噤んだまま、転移門に足を踏み入れる。何故か今までに無い緊張感が去来し、身体が強張った。

 

 

 ────本当に、転移出来るのか。

 

 

 昨日、76層への転移が出来なかった事を思い出す。この世界の最前線が74層なのだから、転移出来ないのは当たり前なのだが、大切な場所へと帰れなかった恐怖は、あの出来事で脳裏に焼き付けられてしまっていた。

 《アークソフィア》に転移出来ない。それだけで、孤独感が胸を襲った。

 

 

 「っ……転移、《カームテッド》」

 

 

 そう告げた瞬間、アキトの身体から光が放たれる。それは彼の身をあっという間に包み込み、やがて視界すらも白く覆った。

 転移門は、正常に稼働している───その事実に安堵の息を吐くと同時に、アキトに真実を突き付けていた。

『転移門は不具合を起こしている訳では無い』という事実。つまり、76層に転移出来なかったのは、単純にこの世界の76層が有効化(アクティベート)されていないからだ。

 それは、この場所がアキトの知る世界とは違う事を裏付ける事にもなり、アキトは堪らなかった。

 

 

(っ……くそっ……)

 

 

 どうにか気持ちを振り払い、強くなる光に思わず目を瞑る。

 だが転移門の光に目を細めるのも一瞬で、その光芒が散るとゆっくり瞳を開いた。

 

 

 そこには、懐かしの74層の街《カームテッド》が広がる────はずだった。

 

 

 

 

 だが────

 

 

 

 

 「っ……?」

 

 

 

 

 目の前には、自分よりも大きな人影が聳え立っていた。いきなりの事で、途端に驚きの声が漏れる。

 

 

 「うおっ……」

 

 

 アキトは思わず一歩後退すると、視界に映らなかった人影の首から上が拝めるようになった。

 目の前にいたのは、白のマントと分厚い金属鎧に身を包み、黒い長髪を後ろで束ねる痩せた男だった。目付きは悪く、視界にアキトを収めると、分かりやすく苛立ちを見せ、目の前に立つアキトに対して邪魔だと言わんばかりに舌打ちをして迫って来た。

 

 

 「っ……退けっ、クソガキ!」

 

 「痛って……!」

 

 

 そのプレイヤーはアキトに態とぶつかるように歩くと、そのまま転移門へと足を踏み入れる。アキトはぶつかった事で体勢を崩し、後ろへと倒れてしまった。

 故意にプレイヤーにぶつかった為、途端に《犯罪防止コード》がアキトの目の前に表示される。だがその白マントのプレイヤーは転んだこちらを蔑むように見下ろすと、知った事かと鼻で笑い、そのまま転移していった。

 

 

(……今の、《血盟騎士団》か……?)

 

 

 身に纏う装備のカラーから、その色をイメージとするギルドを頭の中で連想する。分かりやすく白を基調としたあの金属鎧は、間違いなく《血盟騎士団》のプレイヤーだろう。

 となると、アスナや先日出会ったコハルと同じギルドのメンバーという事になる。だが、あんなに素行の悪そうなプレイヤーもいるのだろうか。

 アキトは小さく息を吐くと、目の前の《犯罪防止コード》に表示される《No》ボタンを躊躇い無くタップした。

 そしてふと我に返ると、何故か周りには多くのプレイヤーが立っており、一斉に尻餅を着いているアキトを見つめていた。今の状況を理解したアキトは途端に恥ずかしくなり、すぐさま起き上がろうと地面に片手をついた。

 

 

 

 

 すると────

 

 

 

 

 「アキト!」

 

 

 「っ……」

 

 

 

 

 ────つい昨日聞いた、少年の声がした。

 

 

 心臓が大きく飛び上がる程の驚きと、それと同じくらいの安心感が一気に胸に押し寄せる。

 アキトが振り返れば、そこにはやはり昨日出会った少年と少女の姿があった。二人はこちらに向かって、慌てて駆け寄って来る。

 

 

 ────ああ。この声を、自分は知っている。

 

 

 自分とほぼ同年代であろう二人であり、この世界に来て初めて出会った二人────アヤトとコハルだった。

 

 

 「アキトさん、大丈夫ですか!?」

 

 「アヤト……コハル……うん、大丈夫」

 

 「立てるか?ほら……」

 

 

 アヤトはそう言ってアキトに手を差し伸べる。

 そこにはこちらを心配する優しさしか無くて、アキトは堪らず、自然とその手を取った。

 引き上げる力が想像以上に強くて、アキトは一気に立ち上がる事が出来て、アヤトと同じ目線になる。すると、アヤトは柔らかな笑みをこちらに向けてきた。

 

 

 「……来てくれたんだな」

 

 「あ、いや……」

 

 

 アキトは、昨日アヤトに攻略の誘いを受けていた事を思い出す。アヤトの誘いに連れられて来た訳ではないので、上手く返事を返せない。

 だが彼の笑顔はとても温かく、アキトが良く知る人達と似た笑顔。それが今ではとても眩しくて、思わず目を逸らしてしまう。

 

 

 「あの……」

 

 

 そんなアキトとアヤトの傍まで駆け寄ったコハルは、申し訳無さそうに眉を寄せて、アキトに向き直った。

 

 

 「アキトさん、すみませんでした。うちのギルドメンバーが……」

 

 

 突如頭を下げるコハルに、アキトは思わず目を見開く。

 何を謝られているのか一瞬だけ考えたが、彼女の発言からすると、先程ぶつかって来た白マントの痩せ男の事だろうとアキトは理解した。

 

 

 「へ?……ああ、今の……やっぱり《血盟騎士団》のプレイヤーだったんだ……」

 

 「はい……クラディールって言って……アスナ(・・・)の護衛の任に就いていたんですけど……」

 

 「今ちょっと一悶着あってさ。デュエルでキリト(・・・)がコテンパンにしたんだよ」

 

 

 

 

 ────瞬間、その二人から放たれた二つの単語に、アキトは耳を疑った。

 

 

 

 

 「……ぇ」

 

 

 

 

 ────アスナ。

 

 

 ────キリト。

 

 

 

 

 二人とも、アキトの良く知る人物の名前だった。

 それを聞いた瞬間身体が震え始め、瞳が大きく揺れ動いた。冷静を保っていた理性は再び制御下を離れて暴走を開始する。

 今にも震えそうな声を抑え、アキトはどうにか二人に問い掛けた。

 

 

 「アスナと……キリトが、ここにいるの……?」

 

 「え?あ、はい……」

 

 「すぐそこにいるけど……っておい、アキト?」

 

 

 コハルとアヤトの言葉を聞くと、アヤトの呼び掛けを無視して歩き出した。キリトとクラディールのデュエルを見終わって散り散りになるギャラリーを掻き分けて、アヤトが指差した場所へと一心不乱に進み行く。

 この世界に、自分の知っている人がいる。それを知ってしまったら、もう止まれなかった。それだけで、目の前のプレイヤー達を掻き分ける事も、苦では無くなっていた。

 

 

(キリト……アスナ……!)

 

 

 心の中で二人の名を呼ぶ。

 76層に来てから、ずっと傍に寄り添って、支えてくれた二人の名を。

 

 

 

 

 そうしてプレイヤー達の間を通り、開けた場所に出た瞬間。

 

 

 

 

 「ぁ……」

 

 

 

 

 ────その先に、二人はいた。

 

 

 黒いロングコートに黒いシャツ、黒いブーツに黒い剣。何から何まで黒で統一された装備を着込んだ、中性的な顔立ちの少年。

 

 

 《血盟騎士団》のカラーである赤と白を基調とした騎士風の戦闘服に、白革の剣帯に吊るされた白銀の細剣を装備した栗色の長髪の少女。

 

 

 ────二人を、アキトは知っている。

 

 

 

 

 「……キリト……アスナ……」

 

 

 

 

 アキトは思わず、二人の名を呼んだ。呼ばずにはいられなかった。

 呼ばれたキリトとアスナは、アキトの方へと視線を向けた。その顔を見て、アキトは心臓に熱が灯るのを感じた。

 たった独りでこの訳の分からない場所に飛ばされてから、やっと出会えた大切な人。

 今にも泣きそうな顔をなんとか引き締めて、一歩一歩着実に足を前に出す。そのままキリトとアスナにゆっくりと近づいて、何を言おうかと迷いながりもどうにか口を開く。

 

 

 

 

 しかし────

 

 

 

 

 「あの……君は……?」

 

 

 

 

 ────キリトから発せられたその一言で、アキトの身体は固まった。

 状況を受け入れられずに、思わず見開いた瞳の先には、キリトとアスナの驚いたような表情があった。こちらを見て、上から下まで不思議そうに眺める顔。

 まるで、初めて出会った人のような反応と態度だった。

 

 

 “お前なんか知らない”と、そう言っているようだった。

 

 

 「────ぁ」

 

 

 アキトは、我に返ったかのように。思い出したかのように声を漏らした。

 途端、溢れそうになっていた気持ちが嘘のように消え去り、冷めた心がそこにあった。暴走は既に収まり、冷静になった感情と理性を宿したアキトが、そこに立っていたのだった。

 今の二人の反応で、仮説が全て真実になってしまったのだと知った。もう、覆す為の材料が尽きてしまった事を悟った。

 そして、この世界で自分は孤独なのだと理解してしまった。

 

 

 

 

 ────この世界の二人は、自分の事を知らない。

 

 

 

 

 初めからアキトはこの世界で、たった独りだったのだ。

 

 

 

 

 「……っ!? それ……」

 

 

 

 

 瞬間、キリトがアキトの頭上を見て目を見開いていた。幽霊でも見たかのように驚いており、ただ一点を凝視していた。アキトはそんな彼の反応を訝しげに眺めていたが、すぐにその理由に気付いた。気付いてしまったのだ。

 それは、アキトの頭上にあるエンブレム───《月夜の黒猫団》のギルドマークに対しての反応だった。

 アキトが隠そうにももう遅く、キリトの表情は段々と悲痛なものに変わっていく。

 それだけで理解した。彼は、アキトの事を何も知らないのだと。

 彼は、アキトの知る人物とは全くもって違う事を。

 

 

 

 

 「どうしたんだよアキト、いきなり駆け出したりなんかして」

 

 

 「っ……」

 

 

 

 

 すると、後ろから二人程の駆け寄って来る音が聞こえる。

 振り返るまでも無く、アヤトとコハルのものだった。アキトは二人の心配したような顔を見ると、説明する事が出来なくなってしまった。

 

 

 「……いや、何でもない……」

 

 

(……そう。知り合いでも親友でもない。何でもなかったんだ……)

 

 

 アキトはそう言って俯いた。

 キリトとアスナ、二人はどちらもアキトの知っている人では無かった。どちらも自分の事を知らない。初めて見たかのような反応だった。

 冷静になれば、キリトは自分の中で存在しているのに、こうして目の前にいる訳がない。少し考えれば分かったはずなのに、その姿を見て気が動転していたのか、浮かれてしまったのか。どちらにしても、情けなかった。

 そんなアキトの周りでは、他四人が会話を紡いでいた。

 

 

 「この人、アヤト君とコハルの知り合い?何ていうか……」

 

 「キリトにそっくり、だろ?俺も最初にそう思ったんだよ」

 

 「私も……キリトさん、お知り合いですか?」

 

 「い、いや……俺も初めてだ。えっと、その……アキト、で良いのか?」

 

 

 その会話を聞いて、アキトは悲しげに笑った。

 戸惑いがちにキリトから繰り出された、『知らない人』宣言。当然だったが、いざされるとこんなにも心抉られるものなのか。

 アキトはどうにか表情に出さぬよう努め、顔を上げて返事をする。

 

 

 「……はい。今は訳あって(・・・・・・)ソロプレイヤーなんですけど……えと、よろしくお願いします」

 

 

 その言い方は、キリトに『これ以上聞くな』という意味を含めての発言だった。アキトのいた世界では、アスナはキリトの事情を少なからず知っていた。この世界でアスナはまだキリトの過去を知らないのかもしれない。

 だがサチとケイタが生きているにも関わらず、キリトのこの反応を見るに、恐らくこの世界でもキリトは黒猫団と何か縁があるのだろう。

 なら、余計な干渉はしない方が良い。この世界のキリトにとって、アキトは初対面だ。そんな奴に根掘り葉掘り聞かれたくないだろうし、その方がアキトも素性を話さなくて済む。

 そして、アキトのその言い方の意図をキリトも、そしてアヤトも理解したようだった。

 

 

 「そ、そうなのか。俺はキリト。俺もソロ……あー、いや、今はパーティーを組んでる」

 

 

 アスナに睨まれ、言い直すキリト。

 可笑しそうに笑うアヤトと苦笑するコハルを前に、アキトも寂しそうに笑う。けれど、そこに気持ちは込められていない。

 きっと今この場の状況は五人では無く、四人と一人だった。それがとても切なくて、思わず零したなけなしの笑みだったのかもしれない。

 この世界は、一体自分に何を見せているんだろう。何を見せ付けていて、何を伝えたいのか。アキトは全く分からなかった。

 そんなアキトの隣りで、アヤトが何かを閃いたように告げた。

 

 

 「……ああそうだ。今日の攻略、アキトも一緒に行こうぜ」

 

 「え?」

 

 

 突然の切り出しに思わず顔を上げるアキト。

 話が見えないキリトとアスナは目を丸くしてアヤトを見ているが、どうやら彼とコハルは乗り気で本気らしく、続けて言葉を紡ぎ始めた。

 

 

 「昨日言ったろ?そろそろボス部屋見つけないとって。それに────」

 

 「アキトさんの強さなら、最前線も問題無いと思いますっ」

 

 

 アヤトとコハルが、二人でそう説得してくる。

 コハルに関しては、昨日共に攻略した事で実力を見せている為、アキトの実力を疑う余地は無い。アヤトも、そんなコハルの言動を信じているのだろう、そこには迷いも躊躇いも見えない。

 アヤトは振り返って、キリトとアスナに問い掛けた。

 

 

 「なあ二人共、別に良いだろ?」

 

 「俺は別に構わないけど……」

 

 「でも、彼レベルとか大丈夫なの?最前線だし……」

 

 

 キリトとアスナはアキトの実力を知らない為か、不安げな眼差しを向けてくる。恐らく、アキトが『攻略組志望』と身分を偽った所為だろう。

 最前線に来た事も無い素人プレイヤーだと思われているかもしれない。いきなりの最前線で大丈夫なのか、その辺りが不安なのだろう。何処にいても変わらない優しさに、アキトは嘘をつくのが申し訳無く感じた。

 そもそもレベルだって、この時間軸で言えばここにいる誰よりも異常なくらい高い。最前線が違う事もあるが、アキトはただでさえ《ホロウ・エリア》という高難易度エリアの攻略をもしている為、アキトの知る世界の攻略組と比べてもかなりレベル差がある。

 彼らが心配してくれる事に多少の罪悪感を抱きながらも、口を開きかけたアキト。だが、そんな彼に代わって話し出したのはコハルだった。

 

 

 「大丈夫だよアスナ!アキトさん凄く強いんだからっ!」

 

 「え、えぇ?なんでコハルが知ってるのよ?」

 

 

 当然出るであろう疑問がアスナから溢れる。

 それに答えたのは、昨日コハルに話を聞いていたアヤトだった。

 

 

 「昨日助けて貰ったらしい。74層で」

 

 「へぇ……じゃあアキトはもう最前線でレベリングしてるのか?」

 

 

 今度はキリトが疑問を投げてくる。

 アキトはキリト同様に黒ずくめで、こんな見た目をしていれば目立つに決まっている。それでも今までにそんな話を聞かなかったのだろう、彼らは驚きの目でアキトを見つめていた。

 こんな見た目のプレイヤーが最前線でレベリングをしていれば噂にならない筈がない。故に、アキトが誰にも知られずに最前線に立っていた事実は、キリトからしてみれば不自然なのだろう。

 

 

 ────まあ不自然も何も、アキトがこの場所に来たのはつい昨日の事で。

 

 

(気が付いたら74層でした、なんて言えないもんなぁ……)

 

 

 アキトはキリトの問いを苦笑いしながらなんとなく誤魔化した。

 その間に、コハルから一通りの話を聞いたのだろう、アスナがアキトに向き直り、挑戦的な笑みを向けてきていた。

 

 

 「それじゃあアキト君。試験も兼ねて、私達と74層の攻略に行きましょう。キリト君もご意見番としてよろしくね」

 

 「ああ、分かった」

 

 

 と、何の了承も無く話がどんどんと進んでおり、僅かに戸惑うアキト。しかし隣りにいるアヤトとコハルも、もうアキトの同行が決まったかの如く嬉しそうに笑っており、アキト自身何も言えなくなってしまった。

 元々74層に行く予定だったし、人数は多い方が良いので、文句なんてある訳ないのだが。

 

 

 「……はい、分かりました。よろしくお願いします」

 

 「タメ口で良いよ。名前も普通にキリトで」

 

 「私もアスナって呼んで」

 

 「っ……分かった。よろしく、キリト、アスナ」

 

 

 ここでは初対面、だが漸く再会した顔触れに、アキトは漸く挨拶を交わすのだった。

 少しばかり辛く、言葉に詰まって泣きそうだったが、それでも自然な笑みを向ける事が出来た。

 一人でこの問題を解決しようと思っていたアキトだが、こうして攻略の手伝いをしてくれるメンバーがいるのはとてもありがたい。アキトは、少し抵抗がありながらも、彼らと行動を共にする事を決めたのだった。

 

 

 それに────

 

 

(気になる事もあるし……)

 

 

 アキトは、そう言ってチラリと視線を動かした。

 

 

 

 

 向けた先は、アヤトとコハル。

 

 

 

 

 アキトの世界では見た事も聞いた事も無い、二人のプレイヤーの存在だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 76層到達前のキリトとアスナがどう過ごしたのかを、アキトは知らない。偶にアスナから思い出話を聞いたりはするが、それでも断片的な事しか理解していなかった。

 故に、アキトがこうして攻略に赴いて二人の連携を見るのは、実は初めてだった。

 

 現在地は74層の迷宮区の最上部近くの、左右に円柱が立ち並ぶ長い回廊の中間地点。

 そこではおりしも戦闘の最中で、各自連携して敵モンスターの制圧に掛かっていた。相手は二種類、一つは身長二メートルをも超える身体を持ち、長い直剣と金属盾を装備する骸骨の剣士型のモンスター《デモニッシュ・サーバント》だ。筋肉など存在しないはずの骨腕から繰り出される攻撃は重く、アルゴリズムが変わりつつある最前線においては面倒で厄介な敵だといえる。その敵を囲うのは、キリトとアスナだった。

 もう一種類はアキトとコハルが昨日相手にした《リザードマンロード》だ。現在はアヤトとコハルがその一体を相手にしている。奴らの元々の主武装は曲刀と盾だったが、最近は個体によって持っている武器が違う為、相性の善し悪しが生まれる敵だ。そのうえ集団で動く事が多く、ソロプレイヤーもしくは少人数パーティーとの相性は最悪だった。

 

 だが、アキトの目の前で繰り広げられているのは、信頼と経験によって組み上げられた、完成形に近い高度な連携だった。加えて一人一人の戦闘技術とレベルが高く、アキトはただ魅入る事しか出来ない。

 

 

 「────っ!」

 

 

 骸骨から繰り出された四連撃《バーチカル・スクエア》を、左右へのステップで華麗に躱し切ったアスナ。大振りを買わされた骸骨が僅かに体勢を崩した瞬間、アスナは一歩で相手の懐に飛び込んだ。

 瞬時に突きを繰り返し、相手に思い通りの行動をさせないよう先回りして封じる。そして、僅かに相手の動きが乱れたのを機に、アスナは八連撃技である《スター・スプラッシュ》を叩き込んだ。

 

 

 「キリト君、スイッチ行くよ!!」

 

 「おう!」

 

 

 その掛け声を合図に、アスナの単発技は骸骨の盾にぶつかる。火花が散り、僅かに硬直した敵の正面に、キリトは飛び込んだ。先程奴がアスナに繰り出したのと同じ《バーチカル・スクエア》を、お返しとばかりに叩き込む。

 

 

 「……凄い」

 

 

 それをまじまじと見ていたアキト。文句無しの動きに、溜め息しか出ない。

 するとその横で、別の一組がリザードマン相手にこれまた凄まじいチームワークを見せていた。

 

 

 「───よいしょっと!」

 

 

 リザードマンから放たれた刀スキル《浮舟》を、絶妙なタイミングで片手剣スキル《レイジスパイク》で相殺するのは、片手剣使いのアヤト。

 剣と剣がぶつかった金属音から、アヤトのソードスキルの威力が伺える。あまりの振動に耳がやられてしまいそうだった。

 すると、掛け声も無しにコハルがその個体に接近し、アヤトは後ろから迫るコハルを見ずに後退する。

 

 

 「はぁ!」

 

 

 瞬間、コハルが短剣に光芒を纏わせ、リザードマンを一瞬で四散させた。短剣スキル《ラピットバイト》だ。その一連の連携を見たアキトは、驚きで僅かだが震えた。

 アキトの知る世界では名前すら聞かなかった《アヤト》と《コハル》の両名。しかしその実力は本物で、洗練された戦闘技術には、この二年間での研鑽の結果が染み付いていた。

 そして、今目の前で起こっていたのは掛け声無しの《スイッチ》。互いの位置や攻撃のタイミングを把握してなければ不可能に近い高等技術に、アキトは瞳を揺らした。

 一体、どれだけの信頼があれば────

 

 

 「……!? アヤト!」

 

 「っ……!」

 

 

 瞬間、アヤトの名を叫ぶコハルの声でアキトは我に返る。

 気が付けば、アヤトの周りには数体のリザードマンがポップしていた。先程言ったように、リザードマンは集団で動く修正がある。彼らが手にしていた得物は曲刀、メイス、斧、片手剣と種類も豊富だった。

 彼らが一瞬でアヤトを囲い、同時に飛び出す。それぞれが武器を天に掲げ、彼に目がけて一気に振り下ろしてきた。

 

 

 「っ────!」

 

 

 それを見た瞬間、アキトは地面を蹴り飛ばす。その身体は一気にアヤトの元へと飛んで行く。

 同時に、リザードマンの襲撃に気付いたアヤトが、自身の片手剣《クラレット》に輝きを纏わせる。少し遅れてアキトの《リメインズハート》が同様に光を放つ。そして、近付くリザードマンに向かって、二人は一気に剣を無いだ。

 

 アヤトは四連撃《ホリゾンタル・スクエア》、アキトは三連撃技の《シャープネイル》だ。まるで一つの芸術のような煌びやかな光景に、行く末を見ていたコハルは一瞬だけ魅入ってしまう。

 アキトとアヤト、二人同時に放ったソードスキルは、これまた同時に辺りのリザードマン全てを刈り取り、ポリゴン片と姿を変えてみせたのだった。

 それを見たコハルはパァっと顔を明るくし、アヤトとアキトに向かって駆け寄ってきた。アヤトはそれを笑顔で迎え、やがて二人でハイタッチを交わし始めていた。

 

 

 「やったね、アヤト、アキトさん!」

 

 「おう!アキトもお疲れさん」

 

 「え……」

 

 

 声を掛けられ、顔を上げるアキト。そこには、片腕を上げてこちらを見るアヤトとコハルの姿。

 一瞬、何をしているのか分からなかったアキトだったが、彼の言動と先程の行動から、すぐにハイタッチを求めてるのだと理解した。

 

 

 「お……お疲れ、様……」

 

 

 半ば照れながら、たどたどしく、アキトはそっとアヤトとコハルの手に自身の手を合わせた。ハイタッチと呼ぶにはあまりにも固く、それが可笑しかったのかアヤトとコハルは顔を見合わせて笑っていた。

 それを見たアキトは、つられてか否か自然と顔が綻んでいた。二人の笑みには、何か心に染み込むものがあったのだ。温かく、それでいて懐かしいような、そんな感じがした。

 昨日会ったばかりなのに、こんな事を思うのは変だろうか。

 

 気が付くと、隣りのキリトとアスナのペアも戦闘を終わらせたようで、こちらと同様に二人仲良くハイタッチを交わしていた。そうしてアキト達のいる方向まで歩み寄り、労いの言葉をかける。

 

 

 「みんなお疲れ」

 

 「お疲れー」

 

 「……お疲れ様」

 

 

 アキトはポツリと、力無く呟く。

 普通に会話をしているだけなのだが、やはり見知った顔であるキリトとアスナとは距離を感じたからだ。アキトにとっては仲間でも、二人にとってアキトは今日初めて会った攻略組志望の中層プレイヤーなのだ。

 それがとても辛く、酷くもどかしかった。

 

 既に最上部の中間地点。

 マップの踏破率は八、九割といった所だろう。アキトにとって既に攻略済みであったはずの74層迷宮区のマップは当初まっさらの状態に戻っていた。それがここに来てしまった事による調整なのかどうかは分からない。

 アキトは四人の後ろについて行きながら、思考を巡らせた。

 そもそも、ここがまだ異世界かどうかだって信じた訳じゃない。それは、明らかに突拍子も無い巫山戯た話だし、考える事を放棄しているような気がするからだ。

 

 

 ────しかし、とアキトはキリトを見やった。

 

 

 「……な、なあ、アヤト」

 

 「ん?どうしたんだよ、キリト」

 

 「あのさ……アキトってその……《月夜の黒猫団》、なのか……?」

 

 「……分からない。ケイタやサチからもそんな話は聞いてないし……後で確認してみるか」

 

 

 彼はアヤトと辺りを警戒しながら何やら話を重ねていた。会話の内容こそ聞き取れないが、その表情や声は間違いなくアキトの知るキリトだった。

 けれど、アキトの知るキリトは今も自身の中で存在している。だからこそ目の前にキリトがいる事は、イコールアキトの知る世界ではないという事実を結びつけてしまう要因として顕著に現れていた。

 もしその仮説が正しいならば、最前線が74層なのも、時間が逆行していると感じるのもこの場所の仕様でシステムエラーによる不具合ではない事になる。

 突き詰めれば《黒鉄宮》の《生命の碑》も全くの正常という事。

 

 

 

 

 つまり、この世界において言えば、ケイタとサチは生きているという事────

 

 

 

 

 「……アキト?」

 

 「アキトさん?」

 

 「っ……」

 

 

 ハッとして顔を上げる。いつの間にか四人と距離が空いてしまっていたようで、四人揃って後方に立ち尽くすアキトを見つめていた。

 アヤトとコハルは心配そうな表情でこちらを伺っており、アキトは思わず言葉に詰まった。

 

 

 「ぁ……えっと……」

 

 「全然喋んないから振り返ってみれば、大分距離空いててビックリしたぞ」

 

 「……何か、あったんですか?」

 

 

 そう問いかける二人の後ろから、キリトとアスナが近付いて来た。アキトは思わずジッと見てしまい、慌ててすぐに視線を逸らす。

 するとキリトがそんなアキトを見て、躊躇いがちに口を開いた。

 

 

 「……一度、何処かで休憩でもしようか」

 

 「だ、大丈夫だよ。別に疲れてた訳じゃないんだ。ちょっと考え事してて……」

 

 

 咄嗟にそう言い訳をすると、今度はアスナが渋い顔を見せる。

 

 

 「もー、ボーッとしてたらダメだよ?最前線は危険なんだから」

 

 「す、すみません……」

 

 

 アキトはそう言ってアスナに謝る。

 今日が初対面であるはずの二人、そして昨日会ったばかりのアヤトとコハル。揃いも揃ってお人好しというのがアキトの抱いた印象だった。

 昨日今日会ったばかりの他人に、ここまでの心配をしてくれる人などそういない。アヤトとコハルは勿論、キリトとアスナ───アキトの知る人物は、やはり誇れる仲間だったのだと改めて感じた。

 アキトの素直な謝罪をアスナは快く受け入れ、再びマップ探索へと転じた。心の中ではサチとケイタの事を考えていたが、すぐに振り払う。今度は思考で行動が拙くならぬよう、辺りを警戒しつつアヤト達の会話に混ざるようになった。

 

 

 「それにしても……攻略組志望って言ってたから、相応の自信はあるんだと思ってたけど、アキト君ホントに強いのね。驚いちゃった」

 

 「え、そ、そうかな……」

 

 「ああ、即戦力だろ。なあ、キリト」

 

 「そうだな。連携も問題無くとれてるし、最前線でも充分に戦えると思う。俺も驚いたよ」

 

 「ふふっ、みんなべた褒めですね、アキトさん」

 

 

 彼らはアキトの事が気になっていたらしく、会話にアキトが参加するようになってからは、色んな質問をするようになっていた。元々は何処にいたのかとか、レベルはどの辺りなのかとか聞かれた際はヒヤヒヤしたアキトだが、キリトに《リメインズハート》の入手法を聞かれた時は何故か笑ってしまった。

 以前も似たような会話をしたなと、何処か懐かしさを感じながら。

 

 

 そうして進み、数回の戦闘を重ねると、一同は漸く至るべき場所に辿り着いていた。

 円柱の並ぶ薄暗がりの回廊を慎重に歩む。荘厳な印象を思わせるその場所は、硬い床の所為で足音が反響して緊張感を助長する。その中で、なんとも不思議な淡い光が辺りを満たし、光源が無いはずの迷宮区を僅かに照らした。

 薄青い光に照らされた回廊は、迷宮区下部とはまた印象が違っていた。初めは赤茶げた砂岩で構築されていた迷宮だったのに対し、今は素材が濡れたような青みを帯びた、冷たい印象の石に変化してきている。通り過ぎ行く円柱には華麗かつ不気味な彫刻が施されており、その根元は水路に没していた。

 

 

『っ……』

 

 

 行き着いた先を見上げ、息を呑んだ。

 その回廊の突き当たりで五人を待ち受けていたのは、灰青色の巨大な二枚扉だった。その扉には不気味な怪物のレリーフがびっしりと施されており、それらは総じてこちらを睨み付けているように見える。

 形容し難い妖気が湧き上がっているように感じるその扉は、いかにもな雰囲気を醸し出していた。

 それを見たアスナが、思わず声を震わせて尋ねた。

 

 

 「……これって、やっぱり……」

 

 「多分そうだろうな……ボスの部屋だ」

 

 「だな。威圧感凄まじいし」

 

 

 キリトとアヤトがそう答える。

 アキトも同意見────というか、アキトはこの扉がフロアボスの部屋だと既に知っていた。《アークソフィア》へと上る以前のレベリングで何度かここには赴いているからだ。なんならここにいるボスの名前と特徴も、断片的にだが聞いている。

 青眼の悪魔───《The Gleameyes(ザ・グリームアイズ)》。羊の頭をした巨大な二足歩行のモンスターで、大剣による攻撃と瘴気攻撃がパターンにカスタマイズされているらしく、アルゴリズムの変化で動きを先読みするのも困難だと人伝に聞いた。

 

 

 「……」

 

 

 だがしかし、まだ誰もボス部屋を見ていないこの状況でこの話をしていいものだろうか。言ったら最後、素性を怪しまれるのがオチではないだろうか。

 

 

 “まるで、76層に間に合わなかった自分に対する、過去のやり直しをさせる為の世界みたいだ”。

 

 

 そうアキトが一瞬躊躇っている間に、アスナがキリトに囁いた。

 

 

 「どうする……?覗くだけ、覗いてみる……?」

 

 「……覗いていくか」

 

 「え……ちょっとキリトさん!?」

 

 

 キリトの出した答えに、コハルは驚いた。

 

 

 「……ボスモンスターはその守護する部屋からは絶対に出ない。ドアを開けるだけなら多分……だ、大丈夫……じゃないかな……」

 

 

 しかし強気な物言いの後に繰り出されたキリトの発言は、語尾に行き着く頃には自信なさげに消えて行った。キリトもキリトで、何処かこの扉の奥にあるであろう恐怖を感じているのだろう。

 しかし、コハルはそれ以上に不安を抱えているようだった。アヤトは、そんな彼女に向かって大丈夫だと呟いた。

 

 

 「ま、覗くだけだし大丈夫だろ?何かあれば転移結晶で戻ればいい」

 

 「そうだな。一応転移アイテム用意しておいてくれ」

 

 「うん」

 

 「分かった」

 

 

 それぞれ頷くと、各自ポケットや懐から転移結晶を取り出した。アキトもそれに倣って転移結晶を左手に持つが、その時ふと、74層のボス部屋から結晶アイテムって使えない事を思い出した。

 つまりこの備えは無駄になる。だが部屋に入る訳ではなく、彼らも覗くだけのつもりらしい。言うだけ野暮だろう。そうして、彼らの隣りに並んで立った。

 

 

 「アキト、準備は良いか?開けるぞ」

 

 「……了解」

 

 

 横目で見てきたアヤトに頷くアキト。それを確認したアヤトは、結晶を持った左手を鉄扉にかけた。その腕は、コハルにしっかりと抱き締められていた。

 隣りを見ると、そっちではアスナがキリトのコートの袖をギュッと握り締めていた。

 

 ────この二組はもうお付き合いをしているのだろうか。

 

 今この場で考えるには至極どうでもいい事をアキトが頭の中で思い浮かべていると、アヤトが鉄扉にかけた左手に、ゆっくりと力を込め始めた。

 するとこちらの身長の倍以上ある扉が、左右で連動して開いていく。アヤトが軽く押しただけの扉は、こちらが慌てる程のスピードで動き、やがて完全に開き切るとズシンという衝撃と共に内部の暗闇をさらけ出した。

 

 そう、中は暗闇だった。

 アキト達の立つ回廊を満たす薄青い光は奥の部屋まで届いておらず、一寸先に何があるのかさえ分からない。ただ冷気を纏う雰囲気が、濃密な闇に溶けてその部屋中に染み渡っているのを感覚的に感じた。

 

 

 「っ……!」

 

 

 ────瞬間。

 突然入口付近の床の両側から、青白い炎が音を立てて燃え上がった。五人は急な現象に身体をビクリと震わせる。だがそれも束の間、すぐに少し離れた場所から同様の青い炎が左右から灯り出す。その炎はボボボボ……という連続音と共に段々と奥まで続いていき、気が付けば入口から置くにかけて真っ直ぐに炎の道が出来上がっていた。

 やがて、一際大きい火柱が吹き上がり、部屋一体が青い炎の光に照らし出される。そこはかなり広い長方形の部屋だった。

 

 

 ────そして、漸くその場にいるべき者が姿を現した。

 

 

 激しく揺れ動く火柱の奥から、ゆっくりと巨大な影が起き上がる。見上げる程に大きな影は、青い炎に照らされてその姿を露わにする。

 それを見た一同は、目を見開いた。

 

 

 巨大な体躯は、ここまでの迷宮区にあった岩のように盛り上がった筋肉に包まれており、その肌は深い青。

 下半身は濃紺の毛を纏い、その尾には蛇のような頭がついている。それは別の意思を持つかの如く動き、こちらを睨み付けている。

 分厚い鉄板の上には山羊に似た頭が乗っかっていた。その両側には太く捻れた角が反り立ち、目はこの場の炎のように輝いている。

 その視線の先にはアキト達五人をしっかりと捉えており、鋭い瞳は彼らから逸らさない。

 

 

 ────その姿は、正しく悪魔のそれだった。

 

 

 《The Gleameyes(ザ・グリームアイズ)

 

 

 定冠詞の付いた名前───間違い無くこの層のボスモンスターだ。

 直訳して『輝く目』、以前アキトが聞いた情報と名前も特徴も一致する。74層のフロアボスだと瞬時に理解した。しかし姿を見れば、直訳よりも相応しい名前がありそうだとアキトは思う。

 なるほど、『青眼の悪魔』とは、よく言ったものだ。

 

 ────アキトがそう納得した瞬間だった。

 

 突然の悪魔が、こちらを見て轟く程の咆哮を放ったのだ。炎の列が激しく揺れ動き、振動が床と空気を伝って身体にビリビリも伝わってくる。現実世界にいたのなら、間違いなく鼓膜が破れているだろう。

 それに五人が怯んだ瞬間、青眼の悪魔は右手に持ったその巨大な剣をかざす。

 するとどうだろう。口と鼻から青白く燃え上がる呼気を噴出したかと思うと、その巨体に似合わない速度で、地響きを立てながら真っ直ぐにこちらに走り寄ってきたではないか。

 

 

(来る……!)

 

 

 アキトは瞬時に左手の転移結晶を仕舞い、ポーションを数本指で挟み込んだ。《リメインズハート》を構え直し、こちらに迫るボスを睨み上げる。

 だが、不思議と表情に恐怖の色も、焦りも戸惑いも無い。それどころか、何処となく笑っているように見えた。

 今も尚近付いて来る敵に対して、アキトが感じているのは死の恐怖だけでない。

 

 

 ────目の前の敵を、今のレベルなら簡単に倒せてしまうのではという驕りだった。

 

 

(確かキリトが公で《二刀流》を見せるのはこの層のボスだったはず。ならここでキリトと一緒にボスを倒せば、75層へ行ける……!)

 

 

 そうすれば《アークソフィア》にだって───

 

 

 そうしてアキトがボス部屋に一歩、足を踏み入れる。

 フロアボス一体を相手にたった一人、完全に受けて立つ構えだった。

 

 

 しかし────

 

 

 

 

 「 「うわああああああああ!!!」 」

 

 

 「 「きゃああああああああ!!!」 」

 

 

 「え?な……ぐぇっ!?」

 

 

 

 

 突如左右から悲鳴が聞こえたかと思うと、アキトの両脇にいたキリトとアスナ、アヤトとコハルの二組がくるりとボス部屋と反対方向を向き、全力で駆け出したのだ────と同時に、アキトは自身のコートの襟を思いっ切り引っ張られ、そこまま連れ去られて行く。

 慌てて頭の向きだけを変えてみれば、キリトとアヤトがアキトのコートの襟を掴み、そのまま引き連れてボス部屋から離れるではないか。

 

 

(は……え、撤退するの!?っ……ていうか、ちょっと待って……)

 

 

 アキトは両手に剣とポーションを持っている為抵抗出来ず、為す術無く二人に引かれるしか無い。

 だが彼らがアキトのコートの襟を掴み、全力で駆け出す程に、アキトの首は徐々に締め上げられて行く。アキトの身体は宙に浮き、床と平行になっていた。

 段々と息が苦しくなってきたアキトは、今自分が出せる最大の声で、キリトとアヤトに呼びかける。

 

 

 「ゲホゲホッ!ち、ちょっと、二人ともっ!く、苦しっ……しま、しまって、締まって、るからっ……!良い感じにキマってるから────キュウ」

 

 

 だが無我夢中で遁走している彼らにそんな掠れ声が聞こえる訳も無く、ボスが部屋から出て来ないという事も忘れて全力でアキトを引っ張っており、アキトは遂に白目を向いた。

 しかしそれでも、四人は気付かない。鍛え上げた敏捷パラメータを存分に使い、長く薄暗い廻廊を疾風の如く駆け抜けていった。

 

 

 

 

 「 「うわあああああああああ!!」 」

 

 

 「 「きゃあああああああああ!!」 」

 

 

 「 」

 

 

 

 

 ────そうして暫くは、74層迷宮区には五人の影が遁走し、四人の絶叫が響き渡っていたらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 キリトとアヤト、アスナとコハル、その他一名は迷宮区の中程に設けられている安全エリアに向かって一心不乱に駆け抜けていた。その間に数回程モンスターにターゲットされていたのだが、構わず全力疾走だった。正直今の状態で相手に出来る程余裕では無かった。

 やがて安全エリアと思しき空間に転がるように飛び込むと、漸くその足を止めたのだった。

 

 

 「はあ、はあ……」

 

 

 四人の荒い呼吸が静かなエリアに響く。どうにか息を整えて、四人がそれぞれ顔を見合わせると、

 

 

 「……ぷっ」

 

 「……くくっ」

 

 

 何故か笑いが込み上げてきた。

 少し冷静になれば、あの青眼の悪魔がやはり部屋から出て来ないのはすぐに分かったはずなのだが、どうにも立ち止まる事が出来ず、こうして逃げるところまで逃げてきてしまったのだ。

 アスナはペタリと床に座り込むと、愉快そうに笑った。

 

 

 「あはは、やー、逃げた逃げた!こんなに一生懸命走ったのすっごい久しぶりだよ。まぁ、私よりキリト君の方が凄かったけどね〜?ねぇ、コハル?」

 

 「あははっ、アヤトも凄かったんだよ〜?私達よりも大きな声出して」

 

 

 「 「…… 」 」

 

 

 コハルはそう言ってアヤトに視線を移すのニヤニヤと笑う。

 キリトとアヤトは否定出来ず、二人同時に視線を逸らした。しかし二人は、今自分達が手に掴んでいるプレイヤー(・・・・・)を思い出す。あの場で唯一の攻略組初心者だった彼を一人にさせまいと、思い切り引っ張ってきた。そのもう一人の黒ずくめの剣士を。

 キリトとアヤトは、それを言い訳にするべく口を開いた。

 

 

 「や、俺達はアキトを引っ張っていた事もあって、気合い込みの声だったんだよ!なあ、アヤト?」

 

 「お、おう!あー、しんどかった!大丈夫か、アキト……アキト?」

 

 

 ────しかし、返事が無い。

 不思議に思い、二人が自分の手元の先を見ると。

 

 

 「キュウ」

 

 

 そこには、青白い顔でぐるぐると目を回したアキトの姿があった。この瞬間、二人は漸くアキトの首を自分達が締めている事に気が付いた。

 

 

 「あ、アキト!?」

 

 「やべっ……!」

 

 

 慌てて二人はアキトのコートの襟を同時に離した。

 すると地面から浮いていた上半身は支えを失い、アキトの頭は重力に従って床にゴンッ!と良い音を立てて落下した。

 

 

 「ぐえっ!」

 

 「あっ」

 

 

 やっちまった……と言わんばかりの乾いた声がアヤトから漏れる。そのあまりの痛々しさに、アスナとコハルは両手で口元を覆っていた。

 アキトは今の衝撃で再び気を失ったのか、急に動かなくなってしまった。

 流石のアヤトも血の気が引いて、慌ててアキトの元まで駆け寄る。すぐさまアキトを呼びかけるが────

 

 

 「わ、悪いアキト!大丈夫……か……?」

 

 「……アヤト?」

 

 

 そこまで言いかけたアヤトの声が、急に途切れた。

 不審に思ったコハルが思わず彼の名を呼ぶも、アヤトは振り返りもしなければ返事もしない。ただ倒れるアキトの近く、その一点を見つめているように思えた。

 キリトは、そんなアヤトの元まで歩み寄ると、彼と同じ目線になるようにしゃがみ込むと、アヤトが何かに驚いて、目を見開いているのに気が付いた。

 

 

 「どうしたんだ、アヤト?」

 

 「これ……」

 

 

 アヤトが指差した先は、アキトの手元だった。

 そしてそれを見た瞬間、キリトも同様の反応を示す。後ろから続いていたアスナとコハルも、それを見て顔が強張った。

 アキトが手にしていたのは真紅の剣《リメインズハート》。

 

 

 ────そして、数本のポーション(・・・・・・・・)だった。

 

 

 「な……え、どうして……?」

 

 

 アスナが思わず呟いた疑問。それはこの場の誰もが抱いたものだった。

 ボス部屋を開けて逃げるまでは、確かに全員が転移結晶を持っていたはず。アヤトはボス部屋の扉を開ける際に、それを確認している。

 なのに、今彼が持っているのは転移結晶ではなく回復用のポーション。ボスを見てから逃げるまでのあの僅かな時間で、転移結晶からポーションに持ち替えた事になる。

 中を覗くだけだと事前に会話していたはずなのに、何故アイテムを持ち替えたのか。今の彼の状態は、明らかに臨戦態勢時のものだ。

 

 

 つまり────

 

 

 「もしかしてアキトさん……ボスと戦うつもりだった……?」

 

 

 コハルの、恐らく的を射た答え。他の三人全員の表情が分かりやすく変化した。

 現状、今ある状況証拠だけではそれが正解だと考えるのは早過ぎる。だがアヤトは何故か、

 

 

 「……かもな」

 

 

 それが正しいような気がして、気が付けばそう答えていた。それを聞いたアスナは、有り得ないと首を振った。

 

 

 「そんな、だって、ボスを一人で倒せるはずないのに……」

 

 

 それを聞いたアヤトは、ふと顔を上げて隣りを見た。

 そこには、そんなアキトの自殺行為に対し、瞳を揺らして戸惑っていた。

 思えば出会ってからずっと、アキトは何かを抱えていたように思えた。だからこそ、有り得ないと思っても、彼が一人でボスと戦おうとしていたのではと考えてしまう。

 

 

 ────アヤトは何故か、このアキトという少年に対する違和感が気になって仕方が無かった。

 

 

 「……」

 

 

 アヤトはアキトの頭上にあるギルドマークに目が留まった。

 彼もキリトもよく知るギルド、《月夜の黒猫団》とよく似たマークを。

 

 

 「……なあ、キリト。お前、本当にアキトの事、何も知らない?」

 

 「……ああ」

 

 「……そうか」

 

 

 キリトの戸惑った表情を見て、アヤトはポツリとそう呟くのみ。

 四人の視線は変わらず一点だ。目の前で気を失っている、何処か危なげな少年の姿だった。

 

 

 

 

 







アキト 「キュウ」←虫の息

アヤト 「し、死んでる……!」←犯人

キリト 「ど、どうして……!?」←犯人




▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。