ソードアート・オンライン ──月夜の黒猫──   作:夕凪楓

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君にはある?唯一無二の、大切な場所が───






Ep.2 帰る場所無き世界

 

 

 

 

 

 手の届かない現実。

 夢幻にさせてくれない非情な世界。

 努力が報われない事もある不条理な力。

 

 

 求めたはずの世界は決して、誰かの妄想や空想が現実になっただけの都合の良い場所では無い。万人の願いが叶う世界では無い。

 そうあったはずなのに。そうあるべきはずだったのに。

 齢十四歳にしてそのねじ曲がった理を知った、二年前の十一月六日。この仮想世界の地獄が始まった日だった。

 その場所は、万人が否定したいものこそを現実へしていく。誰かの痛み、悲しみ、憎しみ、そして────死。

 どれだけ足掻こうと、何度抗おうと、その事実をねじ曲げる事など出来はしないと、誰よりも自身が分かっているはずだ。

 

 

 なのに、今。

 目の前で、その不条理が起きている。そうあって欲しいと願い続けたはずなのに。

 

 

 ────何故か、受け入れる事が出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 「……キリ、ト……なんで……」

 

 

 何度目を擦っても、凝らしても、その表記は変わらない。

 ケイタとサチ、そしてキリトの名前に引かれたはずの横線の消失。その《生命の碑》から、アキトは立ち尽くしたまま動く事が出来ないでいた。

 現実か、夢幻か。瞳が一点に固まり、思考も纏まらない。震える口から吐息が漏れる。

 

 現在アキトが居るこの《黒鉄宮》は、β版では死んだプレイヤーが蘇生される場所だった。デスゲームでなければ、今も機能しているだろう。

 そして彼の眼前に聳える《生命の碑》には、この世界で生きる全てのプレイヤーの名前が記されている。β版と唯一違うのは、死んだプレイヤーの名前には横線が引かれ、その名前を潰される事。

 それが、そのプレイヤーがこの世界を退場した事の証明となる。

 

 アキトは《月夜の黒猫団》の仲間が死んでから76層へと赴くまで、ほぼ毎日のようにここに顔を出していた。夏でも冬でも冷たさが残るこの建物の中は、人が好んで来る事も少ない。

 短いようで長い時間、アキトはここで一人佇んでは他愛の無い話をしたり、或いは何も話さないでただ立ち尽くしていたりしていた。来てする事は違っても、ここに来る事実だけは変えたり欠かしたりしなかった。

 

 だからこそ、誰よりもここに足を運んでいるアキトには、大切な仲間の名前が石碑のどの辺りに記載されているかが完全に記憶出来ていた。

 そして毎日のように、横線が引かれ潰された《月夜の黒猫団》の仲間達の名前を眺めていたのだ。

 

 

 故に、気の所為なんかではない。

 目の前の彼らは、確実に死んでいるはずだった。

 

 

(……いや……でも、キリトは……)

 

 

 アキトは自身の心臓部分を鷲掴み、呼吸をどうにか整える。胸の高鳴りが脳内に響く。

 今もなお、自身の中で存在する親友。アバターは二度と復活はしない。死んだとシステムが判断したならば、キリトは死亡扱いされ、名前に横線が引かれる。逆にそうでなければ、線は引かれない。今、自身の内にいるキリトがどういう状況かがよく分からない為に、アキトは何も言えなかった。

 けど、けれど────

 

 

(サチと、ケイタは……)

 

 

 彼女達が死んだのは、何よりもアキト自身が知っていた。何度もここに通い、横線が引かれた彼らの名前を見て歯噛みした記憶が蘇る。

 自分の目の前で城から飛び降りたリーダーの、涙に濡れた顔を思い出す。

 彼らは確実死んで、この碑の名にも線が引かれていた。それが、消えている。

 

 75層ボス戦時のシステムエラーの影響か?

 はじまりの街にまでそれが広がっているという事?

 それなら、この石碑の問題も単なるバグで解決出来るかもしれない。だがたとえそうだとしても、四千人の死者の中で何故サチとケイタの名前だけ?

 

 

(落ち着け……)

 

 

 アキトは大きく息を吐いた。

 荒かった呼吸を整え、高鳴った心臓の鼓動は段々と小さくなっていく。そうすると、意外とすぐに落ち着いた。何も慌てる事は無いと理解したのだ。

 これはただのシステムエラーによる単なるバグ。彼らは既に死んでいる。目の前の石碑の名前は、ただ線が消えただけ。

 

 

 二人が生き返った訳でもなんでもない。

 

 

 「……っ」

 

 

 それに気付いた瞬間、気持ちが落ち着いたと同時に気分が落ち込んだ。事実を自身に突き付けた結果、アキトの表情に影が差した。

 

 

(そうだよ……サチもケイタも、一年以上も前に……)

 

 

 たかがバグ程度にここまで踊らされるなんて。自分はまだ、彼らの事を過去に出来ていないのかもしれない。

 縋らないと決めたのに。神に祈るのを止めたはずなのに。心はこんなにも揺れ動いて。

 

 久しぶりに鮮明な光景と共に思い出してしまったのだ。黒猫団のみんなと過ごした温かな時間を。

 アヤト、コハル、ミスト。人の良さそうな三人の顔が思い起こされる。今日初めて出会ったばかりなのに、あんなに優しく接してくれて。それがまるで、この《はじまりの街》で手を差し伸べてくれた黒猫団と重なってしまって。

 

 現実よりも死を身近に感じるであろう仮想世界。誰もが生き抜こうと気を張り巡らせ、強さを求める。

 殺伐とした冷たい世界で、アヤト達が見せてくれた笑顔はまさに、アキトが見たいと、守りたいの願ったもの。

 

 

 そう、黒猫団のみんなと同じ────

 

 

(……帰ろう)

 

 

 震える拳を抑え、アキトは石碑に背を向けた。

 それは、もうここに居たくないという気持ちの表れだっただろう。ここには、この場所には、ただ居るだけでたくさんの思い出を蘇らせる力があった。

 たくさんの思いが連鎖的に呼び覚まされる。身体が震える。目尻が熱くなる前に、涙を流すその前に。アキトはその手に転移結晶を持った。

 そしてその名を呟く。

 

 

 ────アヤトとの74層攻略の約束は、果たせそうに無かった。

 

 

  今も尚きっと、あの店で帰りを待ってくれているかもしれない彼らの笑った顔を思い出してしまったから。

 

 

 

 

 「転移、《アークソフィア》」

 

 

 

 

 ────しかし。

 

 

 

 

 「……ぇ?」

 

 

 

 

 何も、起こらない。

 

 

 

 

 それは確かに、76層の街の名前だったはず。

 けれどその青い結晶は、反応を示さなかった。光る事も無く、ただアキトの手の中で静かな時を過ごすだけ。

 

 アキトは思わず、転移結晶を見下ろした。

 再び腕を上げ、それを掲げて街の名を告げる。

 

 

 「転移、《アークソフィア》!」

 

 

 けれどアキトの声は、虚しくこの空間に響くだけ。アキトは堪らず、再び転移をクリスタルに告げる。何度も何度も。次第にその声には焦りが混じり、瞳は驚愕を隠せず揺れていた。

 

 

 「な、なんで……」

 

 

 何度試そうとも、クリスタルは応えてくれなかった。アキトはここへ来て、新たな驚愕と出会ってしまったのだ。

 《黒鉄宮》は結晶アイテムが使えないエリアだったのかどうかを必死に思い出し、もしかしたらと思い付き、慌てて外へ向かって走り出す。

 やがて黒光りの建物から飛び出したアキトは、再び転移結晶を見下ろして声を発した。

 

 

 「転移、《アークソフィア》!」

 

 

 だが、《黒鉄宮》の外に来ても、その転移結晶は動いてくれなかった。アキトは背筋が凍る思いだった。コハルとのレベリングの際は、使用出来ていたのにと、口元が震える。

 転移結晶が使えない。それがシステムエラーの蓄積によって生まれてしまった新たなバグだとしたなら、それは攻略速度の遅延共に迷宮区踏破に多大な影響を及ぼすからだ。

 即座に回復する、一瞬で転移する、それが出来るか出来ないかが、今の攻略組にとっての生命線足り得るのだ。ここから先敵が強くなるにつれ、必ず無くてはならない必須アイテム。それが使えないだなんて。

 

 

 「……っ!」

 

 

 瞬間、アキトは走り出していた。街灯がほのかに照らすだけの暗闇の道の中を、同色のコートで駆け抜ける。

 

 向かう先は、この層の転移門だった。

 結晶アイテムが使えないという事実。もしかしたらまだ浸透していないかもしれない。早く《アークソフィア》に戻り、攻略組全体に知らせなければいけないと、アキトは理解したのだ。

 石畳を全力で駆け、ただひたすらに前だけを見る。幸い辺りは暗く、攻略するには時間も遅い。《圏外》へと赴くプレイヤーが圧倒的に少ないこのタイミングで気付けたのは幸運だった。

 

 やがてそこ視界の端に転移門を捉えると、その足が少しばかり軽くなった気がした。瞳が揺れ、僅かに口元が緩む。

 結晶アイテムが使えない一大事。いや、だからこそなのかもしれない。その不安を、誰かと共有したかったのかもしれない。

 

 

 きっと、安心してしまったのだ。

 これで、みんなの元へ帰れると。

 

 

 

 

 「転移、《アークソフィア》!」

 

 

 

 

 ────けれど、現実は非情だった。

 

 

 

 

 「……な、んで」

 

 

 

 

 結果だけ言えば、転移門は起動しなかった。

 瞬間、アキトは身体全体が凍り付いたかのような錯覚に陥った。身体が、足が震える。まともに立つのがやっとだった。

 心臓がバクバクと音を煩く高鳴らせ、瞳の奥、瞳孔が開く。

 

 

 

 

 ────転移門が、使えない。

 

 

 

 

 つまり《アークソフィア》に帰れない。その事実が、アキトに重くのしかかった。

 何故、どうして、一体何が。どう言葉を変えようとも、抱いた疑問は変わらない。

 事実として残ったのは、先程まで使えていたであろう転移結晶と、目の前の転移門が反応しなかった事だった。

 

 

(……こんなの、あまりにも……)

 

 

 システムエラーとして、バグとして、簡単に解決して良い問題ではない。確かにその影響で転移が不安定なり、指定された場所に飛ぶ事が出来ない場合があるというのは有名な話だが、既に転移が出来ないというのは即ち、迷宮区攻略においての緊急離脱が不可能になるという事。

 そして目的地まで行くには、誰しもが迷宮区を通ってボス部屋を通過しなければならない事に等しい。

 

 

 誰もが望む帰る場所へ、家へ。

 温かい陽だまりへと、簡単に帰る事が出来なくなったという事。

 

 

(だって……だって、さっきまで使えて……)

 

 

 困惑しながらも、冷静になろうと心を宥める。

 アキトは74層からここまで、目の前の転移門で来たのだ。あれからまだ一時間も経ってない。その間に転移門が使えなくなった?とてもじゃないが考えにくい。けど実際に目の前の転移門は効力を失っている。

 

 

 色々な事が起き過ぎている。それも、今日一日で。

 

 

 「……」

 

 

 何かが、おかしい。

 何が、どうなって────

 

 

 言葉が震える。動悸が収まらない。

 冷たい感覚が、アキトの背中を走った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────瞬間、目の前の転移門から転移の光が放たれた。

 

 

 

 

 「っ……!?」

 

 

 

 

 アキトは思わず転移門から後退りし、瞳を揺らして驚愕した。

 あんなに何度もコールを試したのに動かなかったはずの転移門が、目の前でこうもあっさり起動しているではないか。

 

 

(な……今までうんともすんとも言わなかったのに……)

 

 

 今まで全く機能しなかった転移門から転移光が発生しているのだ、驚きもするだろう。今までの焦りはなんだったのだと思う反面、気持ちはただただ動揺するばかりで、それでも尚アキトはそこから現れるであろうプレイヤーを待ち侘びた。

 

 

 やがて球状の光が散り始め、そこから現れたのは三人の男性プレイヤーだった。年齢はアキトとさほど変わらないであろう彼らは、それぞれ槍、両手斧、曲刀を装備し、結構なレアリティの装備を身に付けていた。彼らは転移の光が止んだ後、転移する前にもしていたのか、会話をし始めた。

 

 

 「……?」

 

 

 そんな彼らに、アキトは僅かばかりの違和感を抱いた。

 先程まで転移門は使えなかったはずなのに、彼らからはその動揺の色が伺えないのだ。まるで何事も無かったかのように談笑している。

 チラホラ聞こえる会話からも、転移門の不具合に対する愚痴も聞こえない。

 

 

 まるで、転移門の不具合なんて無かったかのような────

 

 

 すると、三人のプレイヤーはふと顔を上げる。

 その後すぐに視界に入り込んだアキトに驚いたのか、三人同時に身体を震わせて驚きの声を上げ始めた。

 

 

 「うわっ!ビックリした……」

 

 「な、なんだなんだ……って」

 

 「こ、コイツ、もしかしてアレじゃね?“黒の剣士”……」

 

 「嘘だろ、なんで《はじまりの街》なんかに……」

 

 

 それを聞いたアキトは、小さく息を吐く。やはり、キリトが前線を離脱したという噂は浸透していないようだ。それを知って出たその溜息は、安堵からか、それとも悲しみからだったろうか。

 彼らはアキトを上から下まで眺めると、すぐにそれが失礼だと思ったのか、小さく頭を下げた後、そそくさとアキトの横を通り過ぎていく。

 しかし、漸く情報を得る機会に恵まれたアキトは、慌ててその三人の背中に声をかけた。

 

 

 「ち、ちょっと待って!」

 

 「うおっ……!」

 

 

 思ったよりも大きめの声が広場に響き、三人は再び肩をビクつかせた。恐る恐ると振り返り、こちらを見やるその表情からは、尚早や困惑といった、警戒心が見え隠れしていた。

 

 

 「な、何だよ……」

 

 「言っとくけど俺達、アンタが望むようなアイテムなんて持ってないぞ……!」

 

 

 身体を震わせながらもそう息巻く彼らに、アキトは苦い顔をする。

 《黒の剣士》───キリトは彼らにとって、こんなにも畏怖を抱かせる存在だったのかと心の中で苦笑した。

 そうでなくとも、日が沈んで暗くなったこの空間で、闇と同色のコートを着た奴に話しかけられれば誰でも似たような反応が返ってくるだろう。アキトはそう独りごちた後、気を取り直して彼らに向き直った。

 

 

 「転移門に、何の異常も無かったの……!?」

 

 「は?え、いや、何も無かったけど……」

 

 

 予想外の質問をされた槍使いは、警戒して強張っていた表情を崩し、素っ頓狂な声でそう答えた。

 それを聞いた瞬間、アキトは転移門に身を乗り出した。彼らが唖然として見ている中、それに構わず転移門設置部分の床を踏み締める。

 転移門が再び起動したならば、とアキトはすぐさま口を開く。また帰れないのでは、と不安を抱きたくなかったアキトは、76層の街の名前を再び叫んだ。

 

 

 「転移、《アークソフィア》!」

 

 

 

 

 ────だが。

 

 

 

 

 「……なんでだよ」

 

 

 

 

 何も、起こらなかった。転移門は、光すら放ちはしない。

 アキトは苛立ちを隠せず唇を噛み締めた。焦りや悔しさが声に現れ、口元は震える。

 

 

(どうして……何でだよ……だって彼らは使えて……)

 

 

 アキトが何度76層の街の名前を叫んでも反応しなかったのに対し、目の前にいる三人のプレイヤーは難無くこの場所に転移してきた。そして彼らには、転移門が機能しなかった事による焦燥が感じられず、まるで何事も無かったかのように会話し、振舞っていた。

 先程の質問で、彼らは転移門の不具合に合っていないという事も確認している。

 

 

 つまり、彼らが普通に使えていた転移門が、自分には使えなかったという事────?

 

 

 曲解過ぎるだろうか。では、彼らと自分の違いは何だ?何故彼らは使えて自分は使えなかった?

 アキトは彼らと自分を見比べて、その違いを懸命に探す。武器、装備、容姿。彼らの特徴をつぶさに観察する。だが心臓が鳴り止まず、脳が揺さぶられるような混乱の中、アキトは冷静な判断力を失いつつあった。

 どれだけ彼らを見ても、違いが、何も分からない。分からないから焦り、そして更にまともな思考能力を失う。悪循環に気付かず、アキトは怯え戸惑う彼らに構わず睨み付けるように見つめる。

 

 

 

 

 何が。一体何が違う────?

 

 

 

 

 「っ……」

 

 

 ────瞬間、アキトはふと我に返った。

 

 

『……』

 

 

 視線の先には、こちらを見て困惑した表情のまま瞳を揺らす三人のプレイヤーが、動く事も出来ずに立っていた。

 怯えたような、警戒心剥き出しの三人の出で立ちに、アキトは漸く理性を取り戻した。

 彼らを困らせた事を漸く理解し、アキトは思わず頭を下げた。

 

 

 「ぁ……ご、ゴメン、いきなり……」

 

 「あ、ああいや、別に……なあ?」

 

 「お、おお……」

 

 

 あの“黒の剣士”に頭を下げられた事に驚き、三人は戸惑いながらも顔を見合わせ、気の抜けた返事を返した。

 寧ろ噂と違う目の前の有名人の振る舞いに、何故だか親近感を感じ始めていた。噂はあくまで噂なうえに、キリトとの人違いではあるのだが。

 アキトは悲しげに笑うと、彼らに背を向ける。

 すると、そんなアキトを見ていられなかったのか、斧を装備した男性が声を掛けてきた。

 

 

 「……なあアンタ、何かあったのか?」

 

 「え……?」

 

 

 アキトが振り返ると、今度は槍使いの男性と曲刀の男性が歩み寄って来た。彼の暗い表情を見て流石に心配になったのか、三人は思わず声を掛けてしまっていた。

 

 

 「顔色スゲー悪いぞ。どーしたんだよ」

 

 「さっき言ってた転移門がどうってのと、なんか関係あんの?」

 

 

 アキトは、そんな彼らの優しさに口元が震えるのを感じた。

 そんなに表情に出てしまっていただろうか、と頬に手を当てる。だとしたら、かなり情けなかっただろうと断言出来た。アキトは、そんな彼らの優しさに甘え、思わず気持ちを吐露してしまった。

 

 

 「あ……その……《アークソフィア》って街に転移したいんだけど、転移門が起動してくれなくて」

 

 「あーくそふぃあ?聞いた事無いな、何処の街だよ」

 

 「……え?ああ……そっか」

 

 

 街の名前に心当たりが無い彼らに、アキトはすぐに納得した。

 現在《アインクラッド》では、システムエラーによって76層より上に行くと下層に戻れない。故に彼らがここに居るという事は、76層よりも上を知らないという事だ。

 アキトは説明の為の言葉を探しつつ、ゆっくりと口を開いた。

 

 

 

 

 「えっと……《アークソフィア》は76層の────」

 

 

 

 

 ────しかし、次の言葉を聞いた瞬間、血の気が引いた。

 

 

 

 

 「アレじゃね?最近開放された層の」

 

 

 「違ぇよ。それは《カームテッド》だろ」

 

 

 

 

 ──── ドクン

 

 

 

 

 「……え?」

 

 

 

 

 彼らが口にしたその街の名前を聞いて、自身の表情が固まるのを感じた。彼らの言った事が、すぐに理解出来ない。

 何故だか、口元がわなわなと震える。思わず顔を上げると、急におとなしくなったアキトを訝しげに見ていた。

 

 

 《カームテッド》

 

 

 その街の名前が、頭から離れない。

 彼らが言うには、それが最近開放された街の名前。だが、それは絶対に有り得ない、おかしな話なのだ。なのに、そう言おうとしているはずの口が上手く動かない。

 

 

 

 

(カームテッド……?え……何、言ってるの、この人達……だって、その街は……)

 

 

 

 

 ──── 74層の、街の名前だ。

 

 

 

 

 「え……な、何言ってんだよ……今、だって、最前線は87層で────」

 

 

 

 

 ──── “今度、みんなで74層の迷宮区に攻略に行くんだけどさ、アキトも行かないか?”

 

 

 ──── “攻略組はいつだって戦力不足だろ?人手は多い方が良いし、そろそろボス部屋も見つけないとだしな”

 

 

 

 

 「……ぁ」

 

 

 

 

 アキトはこの時、アヤトからの誘いの言葉を思い出していた。何故このタイミングで思い出したのかと疑問を自身で投げかけても、それはすぐに氷解していく。

 そう。アキトはあの時、確かに違和感を感じていたのだ。

 

 

 アヤトが“レベリング”ではなく“攻略”と言った事。

 

 “攻略組”と発言した事。

 

 “ボス部屋を見つけないと”と呟いた事。

 

 

 既に攻略済みの場所を、攻略とは普通呼ばない。ボスを倒したはずの部屋に用なんて無いはずなのに、彼らはその部屋を探していた。

 あの時アキトは、確かにその言い回しに違和感を抱いたはずだったのだ。なのに。

 なのに、それを気に留めはしなかった。だけどあれは。あの言葉はまるで。

 

 

 ────まるで、74層が()()()()()()()()()()()()()()()言い方だと。

 

 

 アキトは、段々と背筋が凍るのを肌で感じた。

 体温が低下し、氷のように冷たくなるのを感覚的に理解し、この状況に戦慄した。

 嘘だ、有り得ない。

 これは夢なのだと何度も言い聞かせる。なのに。

 情報が足りな過ぎるはずなのに、アキトは今、この状況の正体について、頭の中でたった一つ、仮説を立てられてしまった。

 

 

 絶対に、有り得ない仮説を。

 絶対にあってはならない仮説を。

 

 

 「……今の、西暦と日付は……?」

 

 

 震える声で、そう呟く。

 その言葉を発した黒い剣士の瞳は、困惑と焦燥、そしてそれを打ち消す程の恐怖に彩られていた。

 三人はその尋常ではない様子に、自然とその答えが漏れた。

 

 

 

 

 「二〇二四年、十月十七日だけど……」

 

 

 「────」

 

 

 

 

 それを聞いたアキトは。

 ずっと手にしていた転移結晶を、地面へと落としてしまった。石畳にぶつかった結晶は、ガラスのように簡単に砕け、散っていった。

 彼らから聞いた、今の西暦と日付。それは、アキトが認識していた時間軸と明らかにズレていた。

 本当なら、本来なら、今は二〇二五年、二月過ぎのはず。

 

 

 

 

 二〇二四年 十月 十七日

 

 

 

 

 それは、まだアキトが71層辺りに居た頃の時間。

 そして、最前線が74層だった頃の日付だった。その事実に、アキトは落ちた結晶を確認する事もせず、振り返って転移門を見つめた。

 

 

 「……ここ、は」

 

 

 ──── 思えば、初めから違和感ばかりだった。

 

 

 突然、74層の迷宮区に転移させられた事も。

 有名ギルドでかつ女性プレイヤーであるコハルの事を知らなかったのも。

 アヤトという少年が親しげに《月夜の黒猫団》の事を話していたにも関わらず、自分は彼の事を初めて見た事も。

 《生命の碑》で横線が引かれていたはずのサチとケイタの名前が復活していたのも。

 《アークソフィア(75層より上)》に帰れないのも。

 今日の日付が、自分が認識していたものと比べて四ヶ月近く遡っている事も。

 全て、全てが、アキトの知っているものと違う。

 有り得ないと、馬鹿馬鹿しいと嘲笑うべきはずの仮説なのに。なのにただ身体が震え、否定する気力が湧いてこない。

 嘘だ、夢だ、幻だと訴えても訴えても、この衝撃が脳内を覆う。

 ここは。

 この場所は。

 この、世界(・・)は。

 

 

 

 

 「……何処、なんだよ」

 

 

 

 

 冷たく暗い、闇色の世界。

 そこに立っていたアキトは、何も無い虚空を見上げた。

 それは、二年以上いたはずの世界で、初めて見るもののように思えた。何もかもが違う、未知なる世界に思えた。

 

 

 

 

 そう。ここは黒猫が知る世界とよく似た、まやかしの世界。

 

 

 

 

 ──── そして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒猫の帰る場所の無い、孤独の世界。

 

 

 

 








アヤト 「……コラボだよね?」←出番無し

アキト 「結構長編の予定だからさ……じ、次回はちゃんと出るから……」













整理も兼ねまして、IFストーリーを別枠に設けさせて頂きました。ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。
今後も何卒よろしくお願いします。







次回 『初対面との再会』

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