今回はコラボ企画です。
お相手はアポガール様の『真 ソードアート・オンライン 〜もう一つの英雄譚〜』です。
現在は暁とpixivで活動しています!
初めてで不安でもありますが、どうか広い心で読んでいただけたらと思います!
それでは、どうぞ!
Ep.1 理を欺く者
「……あれ」
────ふと、目を開く。
先程まで明るい場所にいたはずなのに、今は暗がりに包まれている。その事実に首を傾げながら、少年は思わず口を開く。
「……何処だ、ここ」
段々と目が慣れて来て、漸く視界が晴れた。これでもかと言う程に目を凝らし、辺りを見渡す。
ただひたすらに暗い、闇のような世界。ひんやりと冷たい空気を纏い、肌寒さを痛感する。風が吹くわけでも無い、この静寂な世界の冷たさで、少年は我に返った。まるで、夢から覚めたかのような感覚に陥り、ハッと目を見開いた。
「……俺……何、して……」
自分が今さっきまで何をしていたのか、瞬時に思い出せない。
少年はぼうっと、空虚な瞳で景色を眺めていた。背中に背負う二本の剣の重さが気だるさも相まっていつもより二割増で重い。
少年は黒いコートを翻す程に大袈裟に、再び辺りを見渡し始めていた。
────そして、その場所の正体を知り、少年は固まった。
「……っ、ここって……」
異様に既視感のある空間。しかしそんなはずはないと、少年はすぐさま首を横に振る。
有り得ない。だって、この場所はもう二度と来られないはずなのに。
だが実際にこの場所は────
「……74層の……迷宮区……!?」
そこは、見知った世界。
以前、自分の足でここを攻略したのは記憶に新しい。周りを見ても実感するのは、74層の迷宮区だった。
75層で起こった大規模システムエラーにより大量のバグが発生した《アインクラッド》。アイテム破損やスキル消失、プレイヤーの生命線を容易く消し飛ばしたそのバグの一つ。それは、75層よりも下層に下りられないという現象。
これは周知のもののはずだ。実際何度か試したが、誰一人下れた者はいない。
だが、現に────
「……どう、なってるんだ……?」
夢、だろうか。
それともここも、《ホロウ・エリア》の一つ────?
そこまで考えて、少年は次第に表情を強張らせた。
段々と瞳が見開かれ、何かを思い出したのか大きく口を開いた。
「……《ホロウ・エリア》……?」
その単語を、頭の中で反芻する。何度も何度も。
そしてその度に、頭の中で声が響く。記憶の奥底に眠っていたであろう、ここにいる経緯が、一瞬だが呼び起こされた気がした。
(そうだ……《ホロウ・エリア》の攻略をしようってなって……それで転移して……その後は……)
────思い、出せない。
上手く思考回路を動かそうとする少年。
しかし記憶の混濁の影響で、気が付けば突然この場所に居たような状態になっている事実に戸惑いを隠せない少年は、考えが纏まらず苦い顔をする。
頭を左右に振り、ぐちゃぐちゃな思考と感情を一緒に振り払う。
少年は口を固く結び、その場所で第一歩を踏み締めた。静まった空間でその足音はよく響き、近くの壁や岩で反響しては耳に入り込んでくる。
辺りを見渡して、やはり自分の知っている場所と似ている事実に戸惑うアキト。ここは本当に《ホロウ・エリア》なのだろうか。
(……というか、調べてみれば良いじゃんか)
混乱してて忘れていた事に対して少年は再び苦笑した。
今自分が立っている場所の情報が、マップを開けばすぐ分かる事すら頭から消えていた。
慣れた手つきで右手の人差し指と中指の二本を突き立てて振り下ろし、ウィンドウを開く。
滞りなく操作を繰り返し、あっさりとマップを大きく開いた。目で追ってそれを頭へと刷り込んでいき、今居る場所の正体を把握していく。
そして理解する。
(……やっぱり74層だ。それも、迷宮区)
確認しても、結果は同じ。予想通りの展開だった。
しかし、だからこそ驚きを隠せない。少年の表情には疑問が浮かんでおり、眉を顰めて首を傾げていた。
自分は確かに、《ホロウ・エリア》に来たはず。それは覚えている。だが、それなのに今自分が立っているのは74層迷宮区。全くもって意味が分からない。
辺りにモンスターはいないが、別の意味で不安が胸に去来する。急いでアイテム欄を開き、とあるアイテムをスクロールで探す。目的のものを視認すると、その名前をタップする。
《転移結晶》
何か危険な状況に陥った際、必ず持っていなければいけないアイテム。マップでは74層だと示されていても、元々《ホロウ・エリア》にいたはずのアキトにとっては、この場所に対する信用は薄かった。
だが、どうやらここでは《転移結晶》及びその他の結晶アイテムは普通に使えるエリアのようだった。
それを知り一先ず安心した少年は、分かりやすく息を吐いた。何かあっても大丈夫だと、その安全が保証された瞬間だった。
「……」
再び、少年は辺りを見渡す。
ここまで調べがついても尚、彼のこの場所に対する信頼は小さかった。そもそもどういった経緯があってこの場所に立っているのかすら全く覚えが無い。
74層はバグで戻れなかったはず。修正されたのだろうか。もしそうなれば他のバグやエラーも修正されているはずだが、現時点では確認のしようがない。
何かエラーが重なって、また戻れるようになった、といった一時的なものなのかもしれない。ならば、もう二度と戻れないと思っていたはずのこの場所を見捨て、あっさり転移結晶で《アークソフィア》に戻るのもなんだか勿体無い気もする。
それに執拗いが、まだここが何処なのかはっきりした訳でもない。何かあれば転移結晶を使用出来る。なら、少年のやる事は一つだった。
「……よし」
長めの黒髪が小さく吹き抜けた風で靡き、黒い瞳が露呈する。コートを翻し、止めていた足を再び動かした。
少年────アキトは、迷宮区の道なりを、ただ真っ直ぐに歩いた。
●○●○
「……ふう」
モンスターとの戦闘を挟みながら散策を始めて小一時間が経ち、アキトはこの場所についての認識を確固たるものへとしつつあった。
大方予想通り──まあ通常ならば疑う余地無くすぐ認識出来るのだが──ここはやはり74層の迷宮区のようだった。
アキトも最前線へ赴く際にレベリングの一貫で、通過点としてここを通っていた。最近の事だという事もあって、景色を見てすぐこの場所の予想がついていた。
しかし、やはり気になるのは《ホロウ・エリア》に赴いた先の記憶の曖昧さ。
靄がかかって、それが払えずにいる。
そのせいで、急にこの場所へ転移した──のかさえ不明だが──理由すらも分からない。明らかに情報が少なかった。
それに、不可解な点はまだ多い。
まず、アキトの登録しているフレンドの位置情報が掴めない事と、彼らにメッセージを送れない事だった。
アスナを始めとして、全員漏れずに送れない。何処にいるのか調べて見ても、文字化けしてよく分からない。こんな事は初めてだった。
何かあったのは、自分だけじゃないのでは、と不安に駆られる。帰らなければいけないかもしれないと、段々と使命感染みたものが心臓を動かす。
────独りの感覚。久しく忘れていた。
孤独だった頃を思い出し、アキトは心細さを隠せず表情を歪ませる。ずっと一人だった癖にと、自嘲気味に笑った。嫌に寂しくて、その反面、今の仲間達の存在の大きさを痛感する。
失いたくないからこそ、心配する。段々とアキトの脳内は、アスナ達の事で覆い尽くされそうになっていた。
(……帰ろう。ここに来るなら、一人じゃなくてみんなとが────っ!?)
刹那、その耳に微かに何かが運び込まれた。俯いていた顔をバッと上げ、自身の先に続く道を真っ直ぐに見据える。じっと目を凝らし、ゆっくりと足を前に踏み出す。
視線の先、奥へ奥へと続く道の先は闇に紛れて何があるのかは分からない。だが、微かではあるが。
────小さく吹く風に乗って、剣戟の音が聞こえた。
(誰か……戦ってる?)
金属音、武器と武器がぶつかる音がこちらまで響き渡ってくる。互いに武器を持っているという事は、プレイヤー同士の戦闘か、もしくは武器を持つモンスターとの戦闘か。
この層の迷宮区はソードと盾を常備したリザードマンが蔓延っていると記憶している。
息を呑んで、ゆっくりと近付いて耳をすましてみると、そこから細かな情報全てが頭の中に入ったて来る。
違う金属音が多数。
恐らく武器の手入れはされていない。
その多数は連携が取れてない。
例外もあるが、つまりは、多数はモンスターの可能性が大。
そこから導き出せる結論は。
(一対多数……プレイヤーが襲われてる……!?)
確証は無い。だが、その可能性が出た時点でアキトはそこから駆け出していた。
敏捷値も高いアキトの全速力は他の追随を許さず、アキトが通り過ぎた後からモンスター達がポップする。
軽快に地面を蹴り上げ、入り組んだ道を軽やかに躱し、スピードを落とす事無く目的地まで浸走る。
(見つけた!)
視界の中央、凡そ六、七メートル先にその光景はあった。
一人の少女が、四匹のリザードマンに囲まれており、各々のタイミングで斬撃を飛ばされ、それをどうにか躱している現状だった。
(女の子……それに、一人……?)
困惑するアキト。だがそれも一瞬だった。
少女が目の前のモンスターの湾曲した長剣を、逆手に持った短剣で弾き返すタイミングで、その少女の後ろからもう一体のリザードマンが剣を振り上げる。
彼女もそれに気付いて振り返ったが、あのタイミングじゃ間に合わない。
アキトは瞬時に背中の片手剣《リメインズハート》を抜き取り、そのリザードマンの腹部に刃を当てがった。
持ち手に力を込め、紅い刀身にエフェクトを纏わせる。
「せあっ!」
片手剣単発技《ソニック・リープ》
エメラルドグリーンに輝く剣を腰に力を入れて振り抜く。筋力値極振り、現時点でのアキトのレベルからすへば、74層のリザードマンは一撃だった。
呻き声を上げる間も無くその身を四散させ、残り三匹のリザードマン、加えて目の前の少女すらも驚きで動きを止めた。
「……キリト、さん?」
少女はアキトの姿をまじまじと見て、目を見開いていた。
何かを呟いたようだったが、今の攻撃とリザードマンが飛び散る硝子の割れたようなサウンドに掻き消され、それを聞き取る事はかなわなかった。
我に返った一体が、アキトの背後に回り込む。瞬時に把握したアキトの左手が黄色いエフェクトを纏った。
コネクト・《エンブレイザー》
その身を反転させ、振り向きざまにリザードマンの腹を抉る。会心の一撃だったのか、その竜人は苦しそうに白目にし、口を開いてポリゴン片と化した。
《
少女も唖然してこちらを凝視している。
だが、そんな彼女にも残り二体のリザードマンが迫っていた。
「っ、前!」
アキトは思わずそう言い放つ。
刹那、少女はアキトの言葉と同時にその身を翻し、リザードマンの武器をしゃがんで掻い潜る。
素早い動きで奴らを翻弄したかと思えば、瞬間、逆手に持った短剣を正常に持ち直し、一切の溜め無しでソードスキルを発動した。
「しっ────!」
短剣高命中重攻撃技五連撃《インフィニット》
黄金に煌めく刃を手に、一瞬で二体のリザードマンの間合いに詰め寄りしなやかに腕を振るう。
鮮やかな動きは、リザードマン達ですら、斬られたのかどうか分からなくなる程のものだった。
遅れてやって来た大ダメージを痛感したリザードマンは、思い出したかのように、その身を爆散させた。
「……ふぅ」
少女は軽く息をつくと、短剣を回転させて腰の鞘に収めた。
「……」
今度はアキトが唖然とする番だった。
明らかにハイレベルな戦術と身のこなしに加え、研鑽を重ねてきたであろう事が予想される巧みな短剣使い。
女性プレイヤーでここまで出来る人が他にもいたとは。アキトは開いた口が塞がらなかった。
────助けなくても良かったのでは?
改めて、アキトはその女性プレイヤーを見る。
黒髪でセミロングのストレートヘアを持つ可愛らしい印象を持つ女の子だった。
白を基調とした女の子らしい装備を着込み、彼女の髪に合った濃いめの色も所々に配色されている。彼女はチラリとこちらを一瞥した後、やがてちゃんと身体を向けてきた。
「あ、あの……助けてくれて、ありがとうございます」
────突然、話しかけられた。
アキトは思わず言葉が詰まる。
思えば、アスナ達といった見知った顔触れとは何度も話して来たが、こうして初対面の、しかも女性の方とこうして素の状態で面も向かって話すのは久しぶりかもしれない。
そもそもSAOでは女性プレイヤーが少ないにも関わらず、目の前の少女は容姿もスタイルも良く、コミュニケーションに問題があるアキトからすれば、緊張する理由にもなる。
翠色の瞳が、真っ直ぐにアキトを直視する。アキトは、小さな声で彼女の礼に応えた。
「ぇ……ぁ、いや、そんな……寧ろすみませんでした……」
「? どうして、謝るんですか?」
「や、君、凄く強かったですし……レベル上げの邪魔したかなって……」
「そ、そんな事無いですよ!危ない所でした!ほら!」
彼女は自身の頭上のHPバーをクイクイと指差した。
アキトが思わず顔を上げると、なんと少女のHPは半分以下になっていた。
彼女はバツが悪そうに笑い、恥ずかしいのか頬を掻く。
「えーと、回復しようと思ってたんですけど……中々タイミングが合わなくて……なので、助かりましたっ!」
「あ……そ、そうですか……良かった……」
「は、はい……」
「……」
「……」
「……」
────神よ、私にコミュニケーション能力をくれ。
初対面の人との会話が続かないところはいつまで経っても直らない。初めてユイと会話した日の事を思い出し苦笑するアキト。
何か声をかけた方が良いのだろうかと思う反面、女性プレイヤーはこういうのはナンパだと思うのだろうかと考えてしまう。
しかし目の前の女の子一人、どうやらソロのようだ。一人にするのは危険なのではないだろうか。
だが、目の前の少女は一人でも充分強かった。なら、尚の事自分は御役御免なのでは────
「……あの」
「へ?」
悶々と考えを張り巡らせていると、目の前の黒髪の少女から声が掛かる。背丈の関係で少しばかり彼女がこちらを見上げる状態になっており、慣れない光景に目を逸らしそうになる。
彼女が紡ぐ言葉を待つと、それは意外な一言だった。
「あのっ……私、コハルって言います……貴方は?」
彼女────コハルは、自分の名前を提示してきたのだ。
アキトは一瞬固まったが、すぐに彼女の意図を汲み取った。要は自己紹介だ。
一瞬何を言われたのか分からなくなる程に戸惑っていたアキトだが、やがて次第に強張っていた表情が緩んでいった。
「……アキト」
「アキト、さん……よろしくお願いします!」
「えっと……うん、よろしく」
たどたどしくではあるが、互いに笑い合う。
今、漸く仲間意識的な何かが芽生えた気がして、アキトは感動すら覚えていた。
────だがすぐに、彼女の頭上のアイコンに視線が動いた。
目を見開き、思わず口が開く。
「コハル、さん」
「コハルで良いですよ。話し方もそんな畏まらなくて良いですから」
「えっと、じゃあコハル。君って……《血盟騎士団》なの?」
「え?……ああ、はい。そうですけど……?」
首を傾げるコハル。アキトは更に疑問が胸中に生じた。
彼女のHPバーの上、ギルドの紋章が刻まれており、更にそれはアキトにとって既視感のあるものだった。
毎日そのマークを持つプレイヤーと会話しているのだ、自然と記憶していたし、そうでなくとも《血盟騎士団》は元々有名なギルドだ。
だからこそ、こんなハイレベルなプレイヤーで、しかも女性だなんて、噂にならないはずが無いと思っていた。
《血盟騎士団》で女性プレイヤーだなんて、アキトには一人しか思い至る節が無い。
あれほどの強さを持って無名だなんて、まるでストレアやフィリアのようだとアキトは素直に思った。
「そういうアキトさんこそ、ギルドに入ってるんですね。……あれ?このマーク何処かで……?」
「っ……」
アキトはコハルから思わず目を逸らす。
まるで追求を拒むかの如く。まさか、このギルドマークに見覚えがあるプレイヤーがいるだなんて思っておらず、アキトは唇を噛み締めた。
コハルも、アキトのその態度を見て何かを察したようで、それ以上追求はしなかった。正直有難かったが、彼女のその気遣いが妙に心苦しかった。
「えと……アキトさん。もし良ければなんですけど、この後お暇ですか?」
「……え?」
唐突に話が切り替わるコハル。
その対応は嬉しいのだが、強引過ぎて半ば引き気味のアキト。コハルは満面の笑みをこちらに向けており、アキトは、これから彼女が何を告げようとしているのか、分からずにいた。
●○●○
(……まさか、今日初めて会った女の子と、一緒にレベリングする事になるとは……)
とある層のとある街で、アキトとコハルは並んで歩いていた。
夕暮れ近い時間帯で、フィールドに赴いていたプレイヤー達は段々とここに集まって来ていた。
あれから一時間程、アキトはコハルと二人で74層の迷宮区でレベリングに勤しんでいた。
行ける所まで行きたいとの事で、彼女からの提案という事もあって、女の子一人を迷宮区に置いて行くのも忍びなかったアキトは、その提案を快く引き受けた。
初めてのパーティにしては互いに声をかけて連携も取れており、順調に進む中でコハルのレベルも上がっていった。
嬉しそうに笑う彼女の顔を見て、アキトはパーティ申請を引き受けて良かったと心底思った。
しかし、気になるのがこのコハルという黒髪の少女。
(コハル、か……アスナに聞けば分かるかな……)
やはり、これだけ出来る女性プレイヤーが無名なのは不可思議過ぎた。ストレアもそうだが、コハルは素性が分かっているだけにアスナに確認が取りやすい。
アキトは隣りを歩くコハルを一瞥した後、フレンド欄を開いてアスナの名前をタップする。
そして思い出す。
「……あっ、そうだ……メッセージ送れないんだった……」
アキトは頭を抱えた。
《ホロウ・エリア》での記憶が曖昧だった事をここへ来て思い出した。74層に転移してからフレンドの位置情報やメッセージが確認出来ないバグが発生していたのだ。
知りたい事をすぐに確認出来ないのは、なんだかすっきりしない。アキトは小さく溜め息を吐いた。
帰ったら聞こう、とアキトが考えていると、ふと隣りから視線を感じた。
思わず首を曲げると、コハルがじっとこちらを見上げていた。
バチッと目が合うと、彼女はあっと口を開いて慌てふためいた。
「あっ、す、すいません……!」
「へ、あ……全然、大丈夫だけど……何か用事?」
ずっと見られていたのは、何か理由があるのだろうかと、アキトはコハルの表情を伺う。
彼女は歯切れを悪くしながらも、ポツポツと口を開き始めた。
「その……知り合いの人にそっくりなのでついつい見ちゃって……」
「……そう、なんだ」
途端、キリトの事だろうかと詮索してしまう。
76層より下のプレイヤー達には、キリトが最前線を離脱した事実は浸透していない。75層以下に戻れない事によって、情報収集能力が著しく低下した事が理由の一つだ。
もしキリトの死が露呈すれば混乱は免れない。アキトは、キリトについての質問をされても黙秘する事に決めた。
因みに、背中に指していた二本の剣の内の一本《ブレイブハート》は、コハルとの攻略の最中にストレージにしまっていた。
下層でキリトの顔と、キリトのユニークスキルについて知っているプレイヤーがいれば混乱の理由になるからだ。
なんだが騙しているみたいだった。
最も、キリトは自身の中に確かに存在しているのだが、それを説明する訳にもいかなかった。
心の中で謝罪するが、コハルは何の気なしに話しかけ続けてくれた。
「それに強いんですねっ!一緒に戦っていてビックリしました」
「俺はコハルの強さにビックリしたけど」
「そんなっ、私なんて全然……」
「いやいや、本当だって」
謙遜するコハルを見て、アキトはカラカラと笑う。
実際、彼女は相当に強かった。反応速度、短剣の扱い方、ソードスキルの威力。申し分無い。
74層のモンスター相手にあれだけの立ち回り、しかも複数相手に持久戦も可能とあれば。
「今すぐ攻略組でも通用すると思うよ」
「……え?」
その一言に、コハルの表情と足は固まった。
急に止まる彼女に気付き、アキトは思わず振り返る。
コハルは何かを言いたそうに表情を変えては、口を色んな形にしており、アキトは首を傾げた。
「えと……俺何かおかしな事言った?」
「いえ、その……私、一応攻略組────」
なんですけど、とコハル言葉を続けようとした時だった。
トン、という音と共に彼女が一瞬だけ、小さく前のめりになった。
誰かに背中を軽く押されたようで、アキトはコハルと二人して後方に振り返る。
するとそこには、アキトと同じくらいの年齢の少年が立っていた。
少しばかりツンとした黒髪に明るい瞳の色。
紺色のジャケットに黒いインナー、黒いパンツ、黒と灰色のブーツ。
快活な印象を思わせる笑みでコハルに笑いかけていた。
「おっす、コハル」
「あ!やっほー、アヤト」
どうやらコハルの知り合いのようで、彼女は距離が近いにも関わらず嬉しそうに手を振っていた。
名前はアヤトというらしく、彼はコハルと挨拶を終えると、チラリとこちらを見つめて来た。
途端、上から下まで目を丸くして見られ、アキトは萎縮した。コハルといいこのアヤトという少年といい、何故こうもジロジロと見られるのだろうか。
「……コハル、この人は?」
「あ、紹介するね。こちらアキトさん。今日、迷宮区の攻略で助けてくれたんだ。アキトさん、こちらアヤト。ゲーム開始からの仲間なんだ」
コハルはアヤトの事を嬉しそうに紹介し、見ているこちらも笑えてしまう。紹介されたアヤト当人は、ジーっとアキトを眺めた後すぐに、笑って手を差し出してくれた。
「アヤトだ、よろしく」
「……」
「……ん?どうした?」
「え、あ、いや……」
一応、
今の一瞬で仲が良いのは分かっていたので、もしかしてお付き合いをしているのかと妙な勘繰りをしたのだが、アヤトに嫉妬のようなものがなくて安心した。
アキトは小さく笑って、彼から伸ばされたその手を握った。
「……アキトです。よろしく」
「おう!」
しっかりと返事してニコリと口元に笑みを作るアヤト。
凄い良い人だった。アキトは感激した。
そんなアキトの隣りで、コハルはアヤトに問い掛ける。
「アヤト、これから帰り?」
「いや、これからコハルのホームに向かう途中だったんだよ」
「私の?」
「おう。早速で悪いんだけど、ちょっと台所貸して貰えないか?」
「台所?別に良いけど……どうしたの?」
急に台所を貸して欲しいと言われて意味が分からないと首を傾げるコハル。だがそれに反してアヤトは、子どものように嬉しそうな笑み、最早ニヤケ顔でウィンドウを操作し始めていた。
「いやさ、道中“コイツ”を手に入れてさ……」
「……“コイツ”?」
アヤトはアイテムストレージを開き、可視状態にする。
コハルがアヤトの隣りに歩み寄り、そのウィンドウを覗き込んだ。途端、彼女の瞳が盛大に見開かれるのを眺めていたアキトは、流石にどうしたんだと問いたくなった。
しかし彼女が驚いた理由を、他でも無い彼女自身が口にし始めた。
「《フォレスト・ダックの肉》!? これってあのS級食材だよね!?」
「!?」
その情報を耳に、アキトの瞳も見開いた。
早々お目にかかれないS級食材の一つが、今彼のウィンドウのアイテムストレージに収められているのだと知り、驚愕を隠し切れない。
アヤトは自慢気に胸を張ると、コハルと、驚いているアキトを見て説明を始めた。
「そうそう、そこで偶々出会った……あ、彼女はミスト。そいつをゲットした森で出会ったんだ。ミスト、こっちはコハル。ゲーム当初からの付き合いなんだ」
────と、アヤトが急にどなたかの自己紹介を始めた。
えっ、とアキトとコハルが目を丸くしていると、アヤトの背後から細身の影が躍り出た。今まで気が付かなかったが、どうやらアヤトの後ろから三人の様子を眺めていた様だ。
フード付きのローブを見に纏い、紺色に近い黒髪のボブカットの少女だった。
その少女──ミストは、かつてのアキト同様に澄んだ蒼い瞳を持っており、それを細めてこちらを見据えていた。
数少ない女性プレイヤー。コハルはぱぁっと笑顔を咲かせた。一気にミストと呼ばれた少女に近付いた。
「よろしくね、ミストさん!」
「……よろしく」
しかし、ミストの態度は嫌に素っ気無い。急に温度が下がったような気がしたアキト。まるでシノンみたいだ、と呆れ笑った。
だが、コハルは一切気にしてないようで、女性プレイヤーが嬉しいのか物凄くニコニコしていた。
「大体分かった。つまり、このS級食材を料理する場所が必要って事ね」
「そういう事。頼めるか?」
「勿論だよ!早速行こう!」
アヤトとコハルはS級食材が食べられると知ってテンションが高まっていた。微笑ましく見ていたアキトだが、そういう事なら退散しようと身体を反転させる。
思えば、何故自分はコハルとこの街を歩いていたんだろうかと今になって思い出す。
すると、その背から自身の名を呼ぶ声が。
「アキトさんも行きましょう!」
「え、俺?い、いいよそんな、みんなで食べる分が減るじゃんか」
「みんなで食べた方が美味しいですよ!アヤトもミストさんも、それで良いかな?」
「俺は構わない。コハルの言う事も一理あると思うぞーアキト」
「……私も別に良い。食材自体は大きいし、食べる量の心配は要らないと思う」
アヤトとミストからも、承諾の言葉が。
アキトがどうしようかと迷っていると、コハルからか細い声が。
「その……助けて貰ったお礼という事で」
「え……いや、だからあれは……」
本当に感謝されるような事はしていない。
コハルのHPが少なかった時に割って入った為に結果的には救ったように見えるが、攻略組として助け合うのはそもそも当たり前であり、暗黙の了承のはずだと記憶している。
しかし、ここまで感謝されるのは久しぶりな気がする。助けた事に感謝して、戦闘は一生懸命、レベルが上がると喜ぶ様はまるで────
まるで、黒猫団のみんなを────
「……分かった。じゃあ、お邪魔するね」
「っ!はい!」
コハル、アヤトはその返事を聞いて、嬉しそうに笑ってくれた。
●○●○
四人が集まってからすぐの場所に、コハルの住まう一軒家はあった。流石《血盟騎士団》といったところか、そこそこ値のある高級家屋に住んでいた。
コハルが想像以上のブルジョワだった事に対して、アキトはしっかり笑えていただろうか。
なんとなく自分と比べて、切ない気持ちになったのは言うまでもない。
コハルに適当に寛いでと言われるも、初対面のアキトが出会った初日で女の子のホームに上がるのは如何なものだろうか。
リビングの小さな四角いテーブルを挟んだ二つのソファーに向かい合う形で座るアキトとアヤト。
アヤトはここに何度も足を運んでいるのか、緊張はあまり感じられず、コハルの言うように寛いでいた。
「ミストさん、もし良かったら私にも手伝わせて貰っても良いかな」
「え……?まぁ、どうぞ……」
コハルとミストは気不味い空気を保ちながら厨房へと移動していった。と言っても、邪見にしているのはミストだけだし、コハルはかなり積極的にミストに話し掛けている為、彼女が折れるのも時間の問題だろう。
問題は、取り残された自分とアヤトのこの場の空気である。こちらが喋らないせいで静かなリビングである。流石コミュ障と言ったところだろうかと、アキトは自嘲気味に笑った。
「……なあ、アキト」
「な、何?」
しかし、意外にも話しかけてくれたのはアヤトだった。こちらをチラチラと見てはいたが、中々声をかけてはくれなかったので、もう料理が出来上がるまでずっとこのままかと思っていた。
────しかし、次の一言でアキトの表情は強張った。
「お前のそのギルドのエンブレム……《月夜の黒猫団》のだよな?」
「っ……!?」
アキトは、思わず立ち上がる。
目を見開いてアヤトを見下ろし、アヤトもまた驚きの表情でこちらを見上げていた。
ガタリと立てた大きな音は、部屋を突き抜け厨房にまで届いたらしい。厨房からコハルの声がした。
『アヤト、どうかしたー?』
「な、なんでもないぞ、うん!」
途端にアヤトは声を上げ、コハルにそう言って誤魔化す。
しかしその間、アキトは戸惑いの眼差しでアヤトを見据え、その瞳を揺らしていた。
心臓の音が脳に響き、身体が震える。
(なんで彼が……俺のギルドを知って……!?)
《月夜の黒猫団》はアキトにとって、確かに大切な場所だ。だが、特別有名だった訳じゃない。ましてや、下層で全滅したギルドが、この層にまで知れ渡っているはずがないのだ。
アキトは改めて、アヤトという少年を見つめた。
だが、黒猫団のみんなと過ごして凡そ一年、アキトは彼の事を見た事が無い。さっきが初対面なのだ。けれど、彼はずっと前から知っていたかのように話す。
それが、アキトには分からなかった。
上手く脳が働かない。
ただ、アキトの異常な変化に困惑を隠せない様子のアヤトは、アキトを伺っては不安気に眉を顰めていた。
「わ、悪い……もしかして、あんまり知られたくないとか、言われたくないとかなのか……?」
「い、いや……別に……」
「だったら良いんだけどさ。ただ、知ってるギルドだったから気になってさ」
「……」
戸惑いながらも、アキトはアヤトから視線を逸らさない。ただ、彼がそう素直に謝ってくるのを見て、何故だか申し訳ない気持ちになった。
寧ろ、《月夜の黒猫団》の名前が出て来るだけで取り乱す自身の方がどうかしていたのだと、アキトは自嘲気味に笑った。
どういう繋がりかは分からない。けれど、彼らの事を知っている人が、覚えてくれている人がいる。
驚きはしたものの、何故だかとても嬉しかった。
「……大切な、仲間だったんだ」
「何で過去形?今は大切じゃないのか?」
「っ……」
「……もしかして、ケンカでもしたのか?」
アヤトの質問に、アキトはドキリとした。
黒猫団のみんなが全滅した事実を、彼は知らないのだろう。そう思うと、無闇にひけらかすのは気が引けた。
何故か騙しているようで、それでいて本当の事を言うのが怖くて。
途端に、アキトは口を開いた。
「……そんなんじゃ、ないよ。今も、大切な仲間だって思ってる」
「そうか。良い奴らだからさ、仲良くしてやってくれ」
「……うん」
アヤトは、柔らかな表情でそう呟いた。それを見たアキトは、複雑な表情をしながらも、最後には頷いた。
もう、守ってあげる事さえ出来ない大切な拠り所。彼に言われずとも、黒猫団の皆が良い奴らだなんて事、自分が一番知っていた。
けれどもう、仲良くするなど出来ない事を、目の前のアヤトは知らないのだろうと、アキトは顔を伏せたのだった。
「あ……あと、もう一つ良い?」
「え?」
すると、暗い空気をどうにかしようとしたのかそうでないのか、アヤトが突如そう訊ねてきた。
アキトは思わず顔を上げると、何やら彼の視線が左右に逸れている。しかし、チラチラと一点に向く瞳が、全てを物語っていた。
「あ……いや……あったばかりの奴にいきなりこんな事、言われたくないかもしれないが……その剣って、見た事無いデザインだったから、ちょっと気になってるんだ。結構なレアリティだと思うんだが、見せてもらっても良いか?」
アヤトが指で指し示したのは、ソファーに立てかけた紅い剣《リメインズハート》だった。
リズベットに造って貰った、最良の一振り。
アヤトを見れば、どうにもソワソワしている。どうやら、アキトの武器が気になるようだ。よく見れば瞳もキラキラとしている気がする。
「へ?……ああ、これか。……良かったら、持ってみる?」
「良いのか?じゃあ……って!?」
アヤトはアキトからそれを受け取った途端、両手がテーブルへとドカリと落ちた。アヤトが想像していたよりずっとずっと重いその剣を、アヤトは思わずマジマジと見てしまう。
(なんだ、これ……キリトの《エリュシデータ》や、俺の《クラレット》よりも……重い……?)
かなりの筋力要求値。鑑定スキルが無くとも、それだけでこの剣がどれほどの強さを持つかを感じ取れる。
アヤトは瞳を揺らして、今も尚戸惑いがちに眺めていた。
彼が驚くのも無理は無いし、見た事が無いのも当然である。これはここよりも上層で手に入る業物だ。
「……因みになんだけど、入手方法とかって教えてもらえたりするか?」
同様の剣が欲しいのだろうか、或いは純粋な興味からか。アヤトは剣を大事そうに抱えながらそう口を開く。
上層で手に入る剣だと教えたら、彼は凹んでしまうだろうか。それは、アキト自身が上層のプレイヤーだと教えるようなものだ。
狩り場や情報を独占する攻略組は、彼らにとっては悪印象ではないだろうか。
そう思いつつも、アキトは自然と口を動かしていた。
「クエストだよ。各層のダンジョンでそれぞれ鉱石、炉心の火、ハンマーの三つ全部を集めてこの剣を作るっていうやつの最終的な報酬の形。マスタースミスが作ってくれたんだ」
「プレイヤーメイド……!? へー……剣一本にそこまで凝ったクエストってのも珍しいな……あんまり聞いた事無いぜ」
「この辺りじゃ、まだ受けられないよ。もっと上層の────」
と、アキトが83層から受けられるクエストの話を切り出そうとした瞬間だった。
「二人とも、お待たせー!」
──厨房からコハルの声が聞こえた。
アキトとアヤトが振り返ると、そこには料理をトレイに乗せて運んで来るコハルとミストの姿があった。
そこから立ち上る香りがこちらに漂ってきた瞬間、アヤトは流れるようにアキトの後ろ側に位置するテーブルへと移動を開始する。
そのテーブルに置かれた料理達は、普通のお店ではまずお目にかかれないであろう鮮やかな色をしており、見た目と香りだけでグルメを殺しにかかっていた。
「……凄い」
アキトは思わず感嘆の息を漏らし、ソファーを立ち上がる。そのまま後方のテーブルに並ぶ料理達を見つめながら椅子へと近付いた。
既に腰掛けているアヤトは、食卓に並ぶS級料理を眺めながら、目を爛々と輝かせていた。
「待ってたぜ!……コイツはグラタンか?」
アヤトの視線の先には、現実世界でもよく食べられるであろうグラタンが置かれていた。チーズの香りが鼻を擽り、食欲をそそる。
だが、今回アヤトとミストが手に入れたのは《フォレスト・ダック》という鴨やアヒルをモチーフとしたモンスターの肉だ。
「……鴨肉を、グラタンに?」
そのあまり見ない組み合わせに、アキトは素朴な疑問を呟く。思わずコハルを見るが、彼女は苦笑いをしながら隣りを見るばかり。その隣りにいたのは、しかめっ面のミストだった。
つまり、このグラタンは彼女が作ったもの、という事か。
「ん……まぁ、ね」
だが、そんなアキトの質問に答える気がないのか面倒なのかは知らないが、チラリとこちらを見てポツリと一言告げると、再び視線を逸らしてしまった。
しかし────
「へぇ……鴨をグラタンに使うだなんて、結構変わってんな」
「そんな事ないよ、現実世界で食べたことがあるんだけどすっごく美味しかったんだよね!向こうでは普通の鴨だったけど、こっちのはS級食材の『フォレスト・ダック』だからもっと美味しくなってると思う!」
アヤトが興味を示した途端に、ミストはぱぁっと明るい顔で捲し立てるように説明を始めたではないか。
これには、アキトとコハルも苦笑いだった。そのあまりの分かりやすさに、アキトは思わずアヤトを見る。
自己紹介の際の話からすると、アヤトが彼女と出会ったのはつい昨日の今日ではないだろうか。そう考えると、彼女のこのアヤトへのアプローチ振りに驚く事しか出来ない。
会って間もないのに、この好かれ具合。
アヤトという少年が如何に無自覚女タラシなのかを知る事が出来た瞬間だった。
まあ、短い時間ではあるが、彼がどういった人間なのかはなんとなくだが理解出来た。だからこそアキトには、彼が好かれる事に納得は出来ていたのだが、それにしても驚いた。
「……で、こっちのはソテーか?」
「う、うん。ミストさんがグラタン作ってたから洋風の方が良いかなーって」
続けてのアヤトの質問に、コハルはそうたどたどしく答える。何故だかチラチラとミストを見ていたが、アヤトは気付かない。
そのまま流れるように席へと座り、各々がフォークやらスプーンやらを手に持ち、料理を目の前に笑顔を向ける。
テーブルを挟んで、男二人と女二人。アヤトとアキト、向かいにミストとコハル。まるで合コンみたいだった。
そんな事を考えているのはアキトだけなのだろう、三人は『いただきます』とそれぞれに挨拶をした後、テーブルに並ぶ料理に舌鼓を打っていた。
途端に綻ぶ笑顔。
表情筋が緩み、どうしても笑顔になってしまう、そんな様子だった。アキトはそんな三人をただただ眺める。
「ほら、アキトさんも食べて下さい。すっごく美味しいですよ!」
「へ?あ、うん……じゃあ……」
向かいに座るコハルに促され、アキトはコハルが作ったというソテーに箸を伸ばす。
見れば見るほどに美味しそうで、アスナの料理を思い出す。そのままそれを口に持って行き、一口で頬張った。
途端、口いっぱいに広がる旨味に、アキトは目を見開き、それを見たコハルは嬉しそうに笑っていた。
「なぁミスト。これは照り焼きか?」
「そうだよ。正確には照り焼き風だけどね……どうかな?」
「ん?めちゃくちゃ美味いよ。ミストって本当に料理できたんだな」
「料理ぐらい私だってするよ!」
隣りではアヤトとミストがそんな会話をしながら料理を楽しんでいる。どうやらグラタンの中に入っていたS級食材が、照り焼き風に仕上がっていたらしい。アヤトは本当に美味しそうにそれを食べていて、そこにコハルも合わさって、どんどんと話の内容を広げていった。
それを見たアキトは、困惑したように瞳を揺らす。
「……っ」
アキトはここへ来て改めて、何故ここでS級料理をご馳走になっているのだろうかと独りごちた。
思えば、見ず知らずの人に対してこうも一気に距離を縮める事など今まであっただろうか。黒猫団の時ですら、こんなにすぐに会話して、笑ってと、表情を豊かにしたことはなかった。
けれど彼らの笑顔や、温かい雰囲気は何処か懐かしい。まるで、黒猫団と、アスナ達のようだった。
大切な世界を、アキトは思い出してしまったのだ。
ホームシックだろうか。エギルの店に集まるみんなが、途端に恋しくなってしまった。
(……早く、帰ろう)
そうして暫くすると、料理はどんどんとなくなっていった。あれほど沢山あったのに、食べてしまえば一瞬だったような気もする。
アキト以外の三人は食べ終わると背もたれに寄りかかり、満足そうな表情を浮かべていた。
「あ〜、美味かった!」
「また食べたいね」
「S級食材なんて、もうお目にかかれないかもしれないもんね」
そんな三人を見て小さく笑って、グラスのドリンクに口を付けるアキト。すると、向かいに座るコハルが不安気な表情でこちらを見つめていて、思わず目を見開く。
「あの……アキトさん、もしかして口に合わなかったですか……?」
「へ……?いや、そんな事無いけど……」
「でも、あまり食べてないように見えたので……」
「元々そんなにたくさん食べられる方じゃないんだ。それに、隣りで凄い勢いで食べてるアヤト見ただけで、もうお腹いっぱいっていうか」
「えっ」
クスリと笑うアキトの隣りで、アヤトは固まっていた。実際、アヤトの食べっぷりは見事だった。
もっとも、S級食材を目にしてしまえば誰だって同じようになるだろう事は、アキト自身が体験していた。クラインやストレアが持ってきた食材も、みんないつも以上に箸を伸ばしていた事を思い出す。
それに、彼らと食べていると思い出してしまうのだ。あの温かな、安らぎの空間を。早く帰って、アスナ達に会いたいと、そう思ってしまう。
初対面の彼らにこんな事を思うのは変だろうか。警戒心が無さ過ぎだろうか。けれど、彼らの瞳に闇は見えなかった。
「……そろそろ帰るよ。今日はありがとう、三人とも」
アキトは軽く息を吐くと、突然に立ち上がる。当然、三人の視線はアキトへと向いた。
「もう帰るのか?もうちょっとゆっくりしてけば良いのに」
「アヤト?ここは私の家なんですけど。……でも、アヤトの言う通り、もう少し休んでいっても……」
「ううん、大丈夫。待ってる人達もいるしね」
コハルは『あっ……』と言葉を漏らした。自分達と同じように、アキト自身にもまた、大切な人達がいる事を理解したから。
半ば強引に誘った部分もあったコハルは、突然に申し訳なさそうな気持ちになっていた。
「す、すみませんでしたっ、私、無理に誘って……」
「そんな事ないよ。料理凄く美味しかった。ご馳走様、コハル、ミストさんも」
「ん……お粗末様でした」
コハルとミストに感謝の意を伝えるアキト。
ミストも悪い気はしなかったのか、小さく笑って頷いてくれた。
すると、それまで会話を聞いていたアヤトが、ゆっくりとアキトの前に歩み寄る。
「……そっか、そうだよな。じゃあ……アイツらにも、よろしくな」
アヤトはそう、アキトに告げた。
それはきっと、『黒猫団の皆によろしく』と、そういう意味だった事だろう。彼は何故か、黒猫団のみんなを知っていた。けれど、やはり全滅した事までは知らないようだった。
だが、彼のその柔らかな笑みには、それでいて何処か悲しげな雰囲気を漂わせていた。
「……うん、分かった」
その笑顔に既視感を覚えながらも、アキトは嘘を重ねた。ここで本当の事を言うべきだったのかどうかは分からない。そもそも、彼が黒猫団とどういう繋がりなのかも分からないままだ。
もしかすると、アキトが一人で行動していた頃に出来た知り合いとかなのだろうか。
けれどそれを聞く勇気は、アキトには無かった。
アキトは立ち上がったその足で部屋の入口まで歩き、扉をゆっくりと開ける。外は既に暗く、街灯が照り出す頃合いだった。
背中に《リメインズハート》を背負うと、もう一度振り返って彼らに『お邪魔しました』と頭を下げる。
すると、アヤトが近付いて声をかけてきた。
「なあアキト」
「?」
「今度、みんなで74層の迷宮区に攻略に行くんだけどさ、アキトも行かないか?」
「え……?」
突然の誘いに、思わず目を見開く。
顔を上げると変わらずの笑みでこちらを伺う彼の姿があった。後ろではコハルが、名案とばかりに表情を綻ばせる。
咄嗟の事で返答出来ずに戸惑っていると、アヤトが説明を続けてくれた。
「攻略組はいつだって戦力不足だろ?人手は多い方が良いし、そろそろボス部屋も見つけないとだしな」
(“ボス部屋を見つける”……?)
その言葉に、僅かな違和感を覚える。
だが、それ以上に誘われた事実に今枠していてそれどころじゃなかった。
一応74層は既に攻略されたエリアであり、アキトも既に踏破している。そこでの攻略に関して言えば特に危なげなく進む事が出来るといえよう。
「……」
もしや、アヤト達は攻略組希望なのだろうか。
戦力不足である今の状況に危機を感じて、名乗りを上げようとしてくれているのかもしれない。
ボス部屋を見つけないと、という先程違和感を覚えた言動は、攻略組になった際の予行演習という意味合いが強いのかもしれない。
そこで、装備のレアリティが高い自分に声をかけた、という事だろうと、アキトは一人納得した。
ここへ来る前のコハルの動きを思い出す。攻略組に引けを取らない短剣捌きと身のこなしに加え、状況判断能力もあった。
そんな彼女と同等かそれ以上の装備を身に付けるアヤトは、もしかしたら彼女以上、現攻略組の戦力にすら成り得るかもしれない。
「……考えとくよ」
アキトは、目を逸らしてそう告げた。
確かに、アヤト達のチームワーク、コンビネーション、戦い方を見るには良い機会なのかもしれない。けれど、アキトが戻ろうとしているのは76層《アークソフィア》。
元々システムエラーの影響でそこから下層にはどうあっても行けなかったのが現状だったのだ。《アークソフィア》に行けば、再び74層には戻れないかもしれない。
だからこそ、守れない約束は出来なかった。何処か濁したように呟いたアキトだったが、アヤトは嫌な顔一つせず微笑んでくれた。
「おう、待ってるぜ」
そんな彼から逃げるように、アキトは帰路へと立ったのだった。
●○●○
《はじまりの街》
気が付けば、そこに立っていた。
自然と足がそこへ向かって動いていた。
転移の光が消えて目が慣れる頃、その瞼を開いた先にあったのは、とても久しく、懐かしい景色だった。
見渡す限りの広場、巨大な建物、街灯に照らされる石造りの道。
人通りは少ないが、チラホラと見えるプレイヤー達の顔は、心做しか笑顔が無い。
ゲーム開始からずっと、この場から動けていない者も多いだろう。道行く彼らの顔は、絶望にも似た悲哀の表情が多かった。
《アインクラッド》最大の街でありこの世界の序章である、まさしく始まりの街。
ここからアキトは出会い、全てが始まったのだ。
(……早く、帰ろうと思ってたのに……)
アヤト達と別れ、すぐにアスナ達の元へ帰ろうと思っていたアキト。だが、またここに戻れる保証が無いと思った瞬間に過ぎるのは、この《はじまりの街》だった。
もう戻れないかもしれないと思うと、自然と足が動いた。
二年前、この世界がデスゲームと化したあの日。憧れたものには決してなれはしないのだと、変われないのだと諦めたあの日。かけがえのないものに出会ったあの日を、思い出す為に。
二度と、ここには戻れないと思っていただけに感動染みた何かが心を刺激した。
「……」
ここに来たいとそう思えたのはきっと、今日の出会いがあったからだ。
アヤトやコハル、ミストといた僅かばかりの時間。けれど、そこで感じたのは黒猫団や、アスナ達といる時に似た空気だった。
決して同じではないけれど、そう感じさせてくれた場所。彷彿としてしまったからこそ、黒猫団のみんなに会いたいと思ってしまったのかもしれない。
初めて会った人達なのに、どうしてこうも穏やかな気持ちになれたのだろう────
「……行こう」
アキトは転移門から足を踏み出し、目的地に向かって一直線に歩いた。広大な場所にポツリと一人、取り残されたかのような錯覚を覚えるその場所は、夜ということもあって人気が少なく、コツコツと足音が響いた。
向かう先は言わずがもがな、《黒鉄宮》である。
この世界に幽閉された一万人のプレイヤーの名前が記載されている場所。黒猫団が死んでから、アキトにとって《黒鉄宮》は、彼らがここに居たと証明する唯一のものだった。
きっと、アキトにとって《黒鉄宮》は墓標みたいなものだったのだ。この世界で死んでも、死体は残らない。看取ってあげられる事も出来なければ、死に顔を見て、その時その人が何を感じていたのか、それを知る事も出来ないのだ。
だからこそ名前が刻まれたこの場所に、アキトは過去に何度も赴いた。
もうこの世界で彼らの事を覚えてあげられるのは、自分だけだと思っていたから。
けれど今日、アキトの目の前に現れた少年が、《黒猫団》の事を知ってくれていた。
一年前に全滅したはずのギルドを、ずっと覚えていてくれてたのだ。
きっと、彼らにとっても嬉しい事だろう。アキトも最初こそ困惑したが、彼らの事を知っている人がいてくれて、とても嬉しかった。
彼らに会ったからこそ、アキトはこの場所に来たいと思えたのだ。みんなに話してあげたいと、そう思ったのだ。
みんなの事を覚えてくれている人がいると、そう伝えたくて。
「……あ」
その足は、既に《黒鉄宮》へと赴いていた。
視線の先には、見上げる程に高い黒光りする建物が聳え立っていた。何度来ても慣れる事はない、寂しげな冷たさ。
吹き抜ける風が髪を凪いで、アキトは目を細めた。やはりこの場所に来ると、懐かしさと寂しさで心が折れてしまいそうになる。
それでもアキトは、入口に足を踏み入れた。
久しく入っていなかったが、変わりはしない景色が続いた。冷たい空気に、闇色の空間。しんみりとした静けさに、ブーツの音がこだまする。
そして、広場に出てすぐに、アキトが目指したものがあった。
────《生命の碑》
アキトは、意を決して歩いた。
76層に来たあの日から、何ヶ月振りだろうか。何日振りだろうか。
何故か緊張して、その足が震えた。心臓の音が大きく脳に響くのは気の所為だろうか。
みんなは、今の自分を見てどう思うだろうか。なんて声をかけてくれるだろうか。
アキトは、ずっとこの時を待っていたように思えた。彼らに、話したい事がたくさんあったのだ。
決して返ってくる事の無い返事を受け取る為に、アキトはゆっくりと石碑に近付く。
────そうして、その設置された足元まで辿り着き、アキトが顔を上げた時だった。
「みんな、久し────」
石碑に刻まれたとあるプレイヤーの名前を見て、その言葉が止まった。
「………………ぇ?」
笑顔が固まり、途端に、その表情が驚愕のものに変わる。
ずっと見てきたこの石碑のとある一部分を見て、その瞳が揺れた。
《Sachi》の名前に引かれていたはずの横線が、無かった。
ドクン、と心臓が高鳴る。
目の前で何が起こっているのか、まるで分からない。恐怖に似た焦燥が、アキトの胸を襲う。
戸惑いが勝り、言葉にならない。
「な、なん……で……!?」
死者の名前には、必ず横線が引かれる。それが、この世界で死んだ事の証明となる。
アキトは何度もこの場所に来ては、仲間の名前をチェックしていた。サチの名前には、いつだって横線が引かれていたはず。
けれど、現に目の前では────
「……!」
アキトは咄嗟に顔を上げ、石碑刻まれた名前を探していく。
ダッカー、テツオ、ササマル、大切な仲間の名前。そして────
「っ……ケ、イタ……!?」
そしてもう一人。その名を見て、アキトは再び驚きで固まった。
ケイタの名前からも、横線が消えていたのだ。
背筋が凍り、肌寒さを感じる。身体が否応無く震え、アキトは石碑から後退る。
目の前の、この異端な状況が整理出来ない。
サチとケイタは、もう死んでいる。死んでしまっている。なのに、死を証明する横線が消え、生存しているプレイヤーと変わらない状態を保っている。
システムエラーの影響か。だがアキトは何度もここを訪れ、76層へと行く前に一度ここに来ている。その時は今までと変わらず、名前に線が引かれていたはずなのに。
「……まさか、生きて……」
────そこまで口に出し、途端に首を左右に振る。
有り得ない、決してない。ケイタは、自分の目の前で死んだ。サチも、守ってあげられなかった。
《蘇生アイテム》は、時間制限があって使えなかった。ナーヴギアの機能からしていえば、理屈上この世界で死んだ彼らが生き返る事は有り得ないのだ。
僅かな希望に縋って、痛い目を見たはずだ。
縋ってはいけない、そう思うのに。
「……じゃあ、一体どうなって……」
────……アイツらにも、よろしくな
アキトはこの時、アヤトの言葉を思い出していた。
彼のあの台詞は『黒猫団によろしく』と、そういう意味だったはずだ。そうでなくても、彼はギルドの事を知っていた。
それは、アキトの知らない間に交流があったのではなく、今のサチとケイタと面識があったという事────?
いや、それは違う。前提がおかしい。
だって────
「だって、サチは、もう……」
────……何で過去形?今は大切じゃないのか?
────……もしかして、喧嘩でもしたのか?
思い返す度に感じるのは、アヤトの良い方。
まるで、最近の出来事のように話す、あの感じ。過去を懐かしむような、そんなものではない。
サチとケイタは、生きている────?
「っ……」
アキトは戸惑いがちに、再び顔を上げる。
そして、また記憶が呼び起こされた。
────知り合いの人にそっくりなのでついつい見ちゃって……
「────っ」
アキトは、ゆっくりと。
ゆっくりと、顔を上げる。
何故かこの瞬間に思い出した、コハルの台詞。
自分を見て、知り合いにそっくりだと、そう言った彼女。
知り合いが、誰なのかは分からない。
けれどその発言に、かつて自分が間違われた対象を思い出す。
「……っ、嘘、だろ……」
震える唇、揺れる瞳。
そして、見上げた先に見つけた。見つけてしまったのだ。
横線が引かれていたはずの、その名前を。
もう、決して会う事は叶わないと思っていた、親友の名前を。
「……キリト」
これは、語られる事の無い物語。
出会うはずのない、邂逅するはずのない世界が交錯した、黒猫と少年の物語。
ソードアート・オンライン
──
真 ソードアート・オンライン
〜もう一つの英雄譚〜
Episode.Collaboration
──
初めてのコラボで、上手く書けていない部分や分かりにくい場面が多いと思います。
一応の説明をさせていただきますが、分からない場合は感想欄にて質問をお待ちしています。
今回の設定としては、アキト君が
『真 ソードアート・オンライン もう一つの英雄譚』の世界に飛ばされるという物語です。
時系列的には、74層のボス戦前。よって、《アークソフィア》は存在していません。石碑にもアキトくんの名前はありません。
そして、コラボさせていただくこの作品の世界では、サチとケイタ、そしてキリトが生きている為、《生命の碑》の名前に横線が引かれていなかった、と考えていただければと思います。
アヤト君とコハルは攻略組ですが、世界が違うのでアキト君は知らないです。逆もまた然り。
次回はその辺りの説明も出来たらと思います。
本編も同時進行しています。大変ですが頑張ります!