ソードアート・オンライン ──月夜の黒猫──   作:夕凪楓

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誰も知らない物語。決して語られる事は無い。



Memory Heart Message

 

 

 

「……メリークリスマス、アキト」

 

 ────クリスマスでもなんでもない日に、誰もいない殺風景な部屋の中でベッドに腰掛けて暫く、その手元に浮かせた《記録結晶》を眺めて言葉を紡ぐだけの時間が続いている。

 この結晶体に吹き込んでいるのは自らの声と言葉。伝えたい何もかもをこの結晶に残すべく、サチは此処にいた。普段黒猫団が拠点としている宿の一室、メンバーの中で唯一女性である彼女は一人部屋を与えられている。皆が寝静まる深夜帯にふと目を覚まし、気が付けばアイテム欄を開いており、日中に購入した結晶体をオブジェクト化させていた。

 

 透明色のそれは中心に仄かな光を灯し、薄暗がりの室内をほんのり明るくさせる。両の手で救うように持てば僅かにその手のひらから浮き上がり、ゆっくりと回転し始める。時には思い出を、時には想いを綴る為のアイテムは、惹き付けられるような輝きを持っていた。このまま眺め続けていれば、気が滅入ってしまいそうだった。

 今まさに結晶に吹き込む言葉を、伝えようとしている言葉を、脳裏でその都度考えながら口を開いていた。いざ話すとなると伝えたい事が多過ぎて、何から話せば良いのか分からなくなったりもした。それでも、その気になった時にやらなければそのまま尾を引いて結局やらないなんて事にもなり得たから、勢いに任せて色々と想いを吐き出していた気がする。

 

(こんな事してるって知られたら、みんな怒るだろうな……)

 

 

 ────先日、仲の良かった友達が死んだ。

 

 別のギルドの女性ではあったけれど、明るく優しく、とても話しやすい子だった。自分と同じで死をとても恐れていたけれど《黒猫団》と同じギルド方針のお陰で、安全第一で堅実に、着実にレベルアップしていくギルドだった。

 だが、運悪く彼女は、一人の時に死んだのだと、彼女の仲間であるプレイヤーから涙ながらにそう聞かされた。

 そうして暫く放心してから、サチは漸く我に返り、そして自覚した。自分もきっと、この道を辿る事になると。

 

 生き残れないだろう。長くは生きられないだろう。いつか死ぬだろう。そんな想いは心の内から中々消え去ってはくれない。死にたくないと口にしつつも、根底では既に諦念を抱きかけている事は自分が一番理解していた。

 今記録結晶に残そうとしているのは、言うなれば遺言。死にゆくものの置き手紙に変わりない。黒猫団の皆はきっと良しとはしないだろう。

 それでも何かを残し、伝えたい人がサチにはいた。もし生き残れたら自分の口からちゃんと伝えるつもりだ。必ず伝えたい想いだからこそ、こうして形にして残す事を決めたのだ。それに嘘はない。

 

 だが、死ぬかもしれないと感じているのも本当で。

 キリトやアキトが加入して暫く経ち、ギルドは目覚しく強くなった。危険になれば前に出て自らを守ってくれるし、傍に居てくれるだけで恐怖心が和らいだ。だがそれも一時の事で、ふと我に返るとその優しい熱は恐怖という冷たさで覆われ冷めていく。

 自らのその態度が、サチは嫌いだった。アキトが精一杯頑張ってくれているというのに、それに安心すらできない自分がとても卑しく醜く、大嫌いだった。震えているだけの自分が、仲間を守る為に努力を続けるアキトを信用し切れていないみたいで、酷く虚しかった。

 遺言を残すこの行いが、それを物語っていた。最低な事だと理解していても、思い残していた言葉の山を結晶体に吐露し続けて、そうして最後に伝えるのは密かに想いを募らせていたアキトへと。

 

「……もし、生き残る事ができたら……この続きは、クリスマスに言うから……そしたら、ちゃんと告白するから……」

 

 誰もいない部屋で一人、記録結晶の前でなら勇気も要らずに紡げる言葉。だが死期を悟った自分が面と向かってアキトにそれを伝えるというのは、とても憚られる行為だった。言うだけ言ってその後死んでしまうのなら、言葉にしない方が良い。ただそれだけの理由だった。

 そんな矛盾を抱えたまま、記録結晶をそっと閉じたのだった。

 

「……アキト」

 

 想いを綴って、何もかもを吐き出して。だからといって気分が晴れる訳でもなくて。いつものように恐怖や不安で寝付けない時間が到来する。寝間着へと着替え、枕に頭を乗せ、毛布にくるまっても尚、眠気は中々やって来ない。

 ふと、以前夜中にキリトの部屋にお邪魔した時の記憶が蘇った。同じベッドに背中合わせで横になり、キリトの一言一言でその場に限り焦燥や恐怖を忘れられたあの時間。それが偽善や欺瞞に塗り固められた空間だと知っていながら、サチはキリトと互いに傷の舐め合いをしていた。

 

 けれど、それでも心の奥に根付いていたのは、たった一人の少年。雪のように白いコートに身を包む優しげな笑みの剣士の名を、気が付けば口にしていた。

 今の今まで記録結晶で彼への想いを吐露した後だからだろうか。彼に───アキトに、とても会いたかった。

 自らに掛けたばかりの毛布を剥がし、ぺたぺたと裸足のまま扉へと近付き、音を立てぬようゆっくりと開く。深夜の廊下は幽霊でも現れるのではないかと思わせる程に静かで不気味で、肌寒さを助長する。

 焦るように、一直線にアキトの部屋の前まで小走りで向かう。その戸をノックしようと腕を挙げ、ピタリとそれが静止した。

 

「……っ」

 

 なんて言えば良いだろう。どう言って入れてもらおう。眠れないと言ったら、一緒にいてくれるだろうか。そもそも、今この時間帯に彼はいるだろうか。

 以前来た時は攻略に赴いた後で、部屋はもぬけの殻だった。それを知った瞬間かなり狼狽えたのを覚えている。

 色々な躊躇や疑念が頭の中で交錯し、その場で動けず立ち尽くしていると、

 

『……誰?』

 

 目の前の部屋から、そう声がした。

 考えるまでもなく、サチが望んでやまない彼の声だった。逸る気持ちを抑えつつ、慌てて口を開いた。

 

「っ、わ、私……」

『……サチ』

 

 何処か冷たく、まるで期待外れのような声音に、サチは酷く心が騒めいた。いつも感じた優しさがその声に宿っていないような、そんな気がした。

 次の言葉を上手く言えずに口が戦慄く。その間に扉の向こうで此方へと近付いてくる足音の主が、やがてガチャリとドアノブを回した。

 

「……どうしたの」

「っ……ア、キト……あの……あのね……」

 

 ────眠れなくて。

 キリトにはハッキリと言えたその一言が、中々出てこない。アキトの目が見れず慌てて俯くと、顔に熱が篭っているのを感じた。今顔を上げてしまえば、感情表現が大袈裟なこの世界では一瞬でバレてしまう。

 悟られぬようにするには、俯くしかなくて。でもその態度はアキトからしてみれば、もしかしたら感じの悪いように見えてしまうかもしれない。だがアキトは、

 

「……眠れないの?」

「っ……うん」

「……まあ、入れば?」

 

 気付いてくれた。それだけで込み上げてくるものがあった。うっかり、口に出してしまいそうな気持ちの昂りを呑み込んで、小さく頷いた。

 アキトは僅かに躊躇った後、何も言わず自らの部屋に通してくれて、サチは枕を両腕に抱えたまま、おずおずとアキトの部屋へと入る。自分と同じ間取りの筈なのに、男の人の部屋というだけで心臓が高鳴った。ケイタ達やキリトにも感じた事のない緊張が身体に走ったのを感じる。

 

「……へへ、何か久しぶりに話すね」

「……そう、かな……まあ、忙しかったから……」

 

 力のない話し方は夜だからだろうか。もしかして眠気が最大の時に来てしまったのだろうかと、そんな事を考えてしまう。

 記録結晶に向けてとはいえ告白をした身としては、いつもと比べると緊張が大きいのではと自己分析する。けれど、それと同時に久しぶりに話せたという喜びも大きくて、プラスマイナスゼロ───いや、気分はプラスに傾いていた。

 

「えと……座っても良い?」

 

 躊躇いがちに尋ねる彼女に、アキトは視線を泳がせて「あー……」と言葉にならない声を漏らす。その後、キョロキョロと辺りを見渡してから再び口を開いた。

 

「椅子なんてないけど」

「……ベッドで良いじゃん」

「……は」

 

 彼の素っ頓狂な声が、静かな部屋に響く。この声と目を見開く彼の顔を見て、自分の言動を改めて自覚する。我ながら大胆過ぎたと気付いた時には、顔の熱が分かりやすく上がったのを感じた。

 抱いた枕を強く抱き締めて、上目で彼を見上げる。アキトは再び小さく唸るかと思うと、僅かに溜め息を吐いてからベッドを指差した。了承の合図だと理解した途端、サチの表情は綻び、心中では安堵の息を漏らしていた。拒絶されたらどうしようかと悶々と考えていた事も忘れて、しかしそれを顔に出さぬよう、ゆっくりとアキトが座るであろう場所と反対方向へと腰掛けた。

 

「……」

「……」

 

 互いに背を向け、沈黙を貫く。今までも二人きりの状況はあったけれど、口数が決して多いわけではなかった。それでも、何方とも口を開かない静寂は別に苦ではなく、寧ろ心地好いまであった。それが今は何故か、妙に気不味さを感じてしまっている。

 だがその理由も、サチにはなんとなく分かっていた。

 

(素っ気無い……やっぱり、避けられてる……?)

 

 サチは最近、アキトに避けられている気がした。勿論それは彼女に限った話ではなく《黒猫団》全員が感じている事だが、中でもサチに対するそれは分かりやすいものだった。目は中々合わないし、会話も交わさない。一日何も会話が無い日だってあった。ギルドの中でも、そろそろダッカー辺りが痺れを切らす頃合いなのではと密かに心配していた。

 それに……避けられてるのではと一度思ってしまうと、本当にそうなのではと、悪い方向へと思考が傾いて。気の所為だと思いたくて、気が付けば必死に話題を探していた。

 

「あ……そろそろこの宿ともお別れだよね。新しい家も楽しみだけど、なんかちょっぴり寂しいな」

「……そう、だな。此処には、沢山の思い出があるから」

「夜はよく、みんなでトランプして遊んだよね」

「毎日修学旅行の夜みたいだったな」

 

 攻略組を目指してはいるけれど、決して焦ったりはせず堅実に少しずつ強くなっていくその過程の中にあった安らぎの時間が、サチにとっては何よりも尊かった。こんな時間がずっと続けば良いと切に願った。そう思わせてくれるだけの想いが、この宿には詰まっているから。

 そう告げたその口元が、僅かに震えた。

 

「……少し、怖いな」

「え……」

「家だけじゃなくて……色んな事が変わってしまうんじゃないかって、少し不安なの」

 

 家だけじゃない。装備も、アイテムも、レベルも。何もかもが死と隣り合わせの最前線のレベルへと近付いていく感覚がある。もうすぐ死ぬのだと、確証もない確信が心中にあった。故の遺言を、故の想いを、たった数十分前に言葉にしてきたからだろうか。

 恐怖と不安で、どうにかなりそうだった。避けられない未来を先延ばしにする術が、どうしても欲しかった。痛いくらいの鼓動を、誰かに鎮めて欲しかった。

 

「……」

 

 気が付けば、サチはゆっくりと振り返って、アキトのその背を見つめていた。彼は窓の外から射し込む月明かりを浴びながら、その光源を見上げているようだった。そこから表情は見えない。何を考えているのかも分からなくて、沈黙がただただ不安で、思わずその手が背へと向かった。

 

「……大丈夫」

「っ……え?」

「変わらないよ、何も」

 

 いつもと変わらない、ただ優しいだけの声色で。聞くだけで安心する声音で、囁くように告げたアキトに、サチは伸ばしたその手をピタリと止める。

 振り返った彼の表情も、声と同じような優しさに満ちて見えた。

 

「新しい狩場に来た時はその場所に慣れるまでは、危ない事とかやった事の無い動きや戦い方は控えてるじゃんか。みんなが新しい環境に慣れるまで、ケイタは絶対に危ない事はさせない」

「……」

「家が変わる事だって、それと同じだよ。みんなが浮かれ過ぎないようにケイタが手網を握ってくれる。何も心配は無いよ」

「……アキ、ト?」

 

 いつだって、彼の言葉に救われた。何度もその笑みに安心感を覚えたのに。

 今、目の前の彼を見て、底知れぬ不安を抱くのは、どうしてだろう。

 彼のその優しい声が、いつもと違って聞こえるのは。

 優しげに微笑むその表情に、暗い影を感じるのは。

 

「……」

 

 ────自分が死ぬ事よりも、その死後、彼をこのまま置き去りにする事の方が遥かに恐ろしく感じるのはどうしてだろう。

 アキトを、一人にさせてはいけないと強く感じた。彼の孤独を許してはいけないと思った。仲間であるはずなのに、その枠組みの外にいるかのような彼の態度に、サチは止めたはずのその手を伸ばし切る。

 

「……サ、チ?」

「……っ、ぁ」

 

 指で、彼の寝巻きの裾を掴む。目を見開き、此方を見る彼の視線に頬が熱くなるのを感じた。心臓がはち切れそうな程に痛む。鼓動が鼓膜にまで届く。それでも、彼女はアキトの傍にいたいと思った。

 意を決して見上げた彼の瞳は、蒼く澄んでいて。見てるだけで吸い込まれそうで、もう自身の表情を隠す余裕も無くて。

 

「あ、のさ……アキト」

「な……何?」

 

 

「今日、此処で寝ても……良い……?」

 

 言った。言って、しまった。後に引けないところまで足を踏み入れてしまった感覚と共に、羞恥の波がどっと押し寄せて来る。口にしてすぐに言わなければよかったと頭の中で後悔した。最早まともな思考を保ってられる自信が無い。

 キリトの部屋に行った時とはまるで違うその感覚に、身体中が震えて仕方がない。

 

(は、恥ずかしくて死ぬ……)

 

 再び俯き、目をキュッと瞑る。そうして、アキトの返事を待ち────ふと、何の反応も示さないアキトに違和感を覚えた。

 慌てる様子もない。返事をする気配も。呼吸の音すら、サチの耳には入ってこない。

 

 どうして、何も言わないの。

 

「……アキト?」

 

 自然と、俯いた顔が上がる。

 不安を抱えながら、その瞳を開いて────

 

 

「────……」

 

 

 彼の、悲痛に歪んだ表情を見た。

 空洞のように虚ろで暗い瞳は、先程までの透き通ったものとはまるで違って見えた。

 

「……ぇ」

 

 何だ、その、表情は。

 そんな顔、今まで一度も────

 

「……そういうのは、さ」

 

 アキトの服の裾を掴むサチのその手を、彼は優しく引き剥がして。

 

「キリトに、言ってあげなよ」

「……っ、え?」

 

 最愛の人からから紡がれる声、それが確かな音と意味を結び、サチの脳に浸透する。それは。

 ────それは、拒絶の言葉。

 

 引き剥がされたその手を、アキトは何の未練も無さそうに手放した。そんな事すら気にする事ができない程に、彼の言葉は嫌に耳に響いた。その言葉が導く解を、サチは受け入れられずに、ただ繰り返した。

 

 ────どうして?

 

「キリトは、凄く頼りになる。強いし優しい。サチの気持ちも、きっと分かってくれる」

 

 ────どうして、そんな事を言うの?

 

 やめてと、そう思った。もうこれ以上喋らないでと。聞きたくないと、そう心で叫んだ。今まで笑い合った彼との時間全てを否定されたような気になって、これ以上その想い出にヒビが入るのを感じたくなくて。

 彼のその物言いに、思わず手が出そうになった時───

 

 

「彼が居れば……君は絶対に死なない。ゲームクリアのその時まで……彼がきっと、君を守るよ」

 

「────っ、ぁ」

 

 

 ────彼が告げたその言葉が、サチの呼吸を止めた。

 

 その言葉に、その言い方に、その優しさに、鳥肌が立つほどの覚えがあった。高鳴っていた心臓はすっかり冷え切り、彼から切り離された自身の腕は、力無く自身の胸元に引き寄せられる。言葉を形成しようとする口元は震えで何も告げられず、サチは徐に立ち上がった。

 

「サチ?」

「っ……」

 

 彼のその表情は、此方を気にかけるものでしかない。サチが彼に求めていた感情の一切が、そこには無かった。同じであれば良いと願ったものが、何一つ宿ってなかったのだ。

 

「そ、そっかぁ……はは、じ、じゃあ、キリトと、話してこようかな……」

「……うん」

「っ……こ、こんな夜遅くにごめんね……おやすみなさいっ……」

 

 虚勢を張るのも限界だった。枕を抱き締めて、すぐさま早足で部屋から出る。思いの外勢いがつき扉を閉める音が辺りに響くが、気にする事もできない。最後まで何かを諦めたような表情をしていたアキトが頭から離れず、サチは扉に凭れてズルズルと座り込んだ。

 

『ああ……君は死なない。いつかきっと、このゲームがクリアされる時まで。それまで、俺が黒猫団を……君を必ず守るから』

 

 ────アキトのあの言葉は、以前本音を吐露した際にキリトが自分に言ってくれた言葉だったと、サチは思い出した。誰にも言えなかった本音を、キリトに打ち明けたあの日。誰よりも強かったキリトが自分を守ると言ってくれた時の安心感に溺れて、彼に縋ってしまったあの日の事を。

 

(……アキトは、知ってたんだ……────)

 

 何故彼がキリトの名を口にしたのか、漸く分かった。

 自分は知らない内にアキトを傷付けていたのだと、骨の髄まで理解した。

 

 何が避けられてる気がする、だ。

 アキトが避けていたのは、私のせいじゃんか──……。

 

「……ほんっと、最低だ……」

 

 自分とアキトは、同じ気持ちなんじゃないかって。何処かでそう思ってた。そんなのただの願望でしかなくて、絶対だよと約束されたものじゃないのに。

 どうしてか、そう思ってしまっていた────

 

 なんて事は無い。ただの、勘違いだったんだ。

 彼が優しくしてくれたのも、助けてくれたのも。辛い時傍に居てくれたのも、きっと全部当たり前で。

 彼を好きだったのも、彼を傷付けたのも、全部。

 

 

「私だったんだ……っ……」

 

 

 伝えられない。こんな気持ち、伝えられない。

 好きだなんて、言えるわけがない。口にしようとした時、彼がどんな表情をするのか、想像しただけで恐ろしかった。

 

 彼は私やみんなの為に、強くなろうとしてくれたのに。

 私、は────。

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 部屋中に鳴り響くのは、命の危機を知らせるアラート。

 狭い空間内は血のような赤に変遷し、数種類もの敵が何十体と現れて、この場に立つ少なからずのプレイヤー達を推し潰そうとしている。その一振りが仲間の腹に、背に、重くのしかかる。鈍い音と共に鼓膜を通り過ぎるのは、仲間が光の破片となって壊され、宙へと舞っていく消失音。

 呆気無く訪れる死の予兆に槍を持つその腕は震え、敵を拒むべく振るうその槍の勢いは次第に弱まっていく。

 

 一人、一人と仲間が散っていくその様は、現実味を感じない程に冷たく。ささやかでも幸せだった世界がものの数秒で破壊されるその光景が、心に宿る死と隣接した恐怖を次第に諦念へと変えていく。

 死ぬのは怖い。けれど、きっと死ぬ。震えていた身体からは緊張感が抜けていく。死を受け入れようとする身体と矛盾するその意志は、今も変わらず死を拒み続けているはずなのに、この抵抗の先の末路は同じ気がして、駄目だと理解しているはずなのにその動きは次第に鈍くなっていく。

 その眼前に立ち、長い腕を振り下ろそうとしていたゴーレムの背中を一刀両断したのは、黒いコートを翻すキリトの片手剣だった。

 

「サチ、諦めるな!必ず此処から脱出できる!」

「う、うん!分かってる!」

 

 既に自分とキリトだけ。それでも、“君だけは”と必死に剣を振るう彼の姿に目に、再びその腕に力を込めた。そうだ、こんなところで死にたくない。

 生きるのを諦め切れない理由がある。まだ生きていたい気持ちがある。我武者羅に、無我夢中に武器を振り回す中で、そんな心に答えるように希望を運ぶ声がする。

 

 ──── “今、アキトが向かってるから!諦めないで!”

 

 頭の中で、懸命に、必死になって叫ぶ少女の声。

 鬼気迫るその声の正体を考えるよりも先に、その言葉に意識が傾いた。泣きそうになるのをどうにか堪えて、口元を引き絞る。

 

 アキトが、来てる。助けてに来てくれている。たった一人で、未知のこの場所に。

 サチが生きるのを諦めたくない理由が、此処に向かって来てくれている。それだけで、諦めかけていたその心に再び生きる事への渇望が芽生え始めた。

 生きようとする気概が薄い故に、死は間近に迫っていると予感し続けていた自分が、漸く強く生きたいと思えたのだ。恐怖に震えるばかりだった自分が、抗おうと懸命に武器を振るっているのだ。

 

 

 全部。ぜんぶ。

 君のおかげだよ。

 

 

「っ!?サチッ────!!」

 

 

 ────僅かに気が抜けた、その刹那。

 此方を振り返ったキリトの慌てたような表情。その左腕が、必死に此方へと伸びると同時に自身を覆う黒い影を見た。

 その瞬間に、背後に感じる重圧。背筋が凍るような存在感がすぐ傍に在り、振り返った時にはもう、

 

 

 ────その腕は背へと振り下ろされていた。

 

 

(……ああ)

 

 死ぬのか、私は。

 そう思うと同時に、その腕の動きがゆっくりに見えた。キリトの動きも、視界端の敵達の動きさえも。

 思考が何全倍と加速したような感覚の中で思い起こされる記憶の中心には、いつだって彼がいる。これが走馬灯なのだろうかと、驚く程に冷静な頭の中で、彼の儚げな顔を思い浮かべた。

 

 

(────ねぇ、アキト。覚えてる?あの日のこと)

 

 

 初めて会った、あの日のこと。

 私は昨日の事みたいに思い出せるよ。

 

 広場を囲む巨大な柱で、体育座りをしてたよね。

 柱を背もたれにしめ、フルフルと小さく肩を震わせていて。遠目から見ても華奢なその身体は、今にも崩れてしまいそうなほどに弱々しくて、そのまま壊れちゃうんじゃないかって思った。

 長めの黒い髪で顔は隠れていてよく見えなかったけれど、一目で怯えているのは分かった。周りに仲間や知り合いもいなくて、一人なんだって思った時。

 

 君は私だと、そう思ったの。

 

 まるで鏡像。もう一人の私だと思った。俯く姿も、震える肩も、わななく口元も。────このまま進めばきっと、辿るべき結末も。

 見ず知らずの赤の他人。名前も知らないうえに素性も性格も、善悪もつかないような他人。それでもこの場で彼を置き去りにすれば、きっと後悔すると思った。

 

 誰かを助けようとしたその行いを、神様が見てくれると思った。善行を働けば返ってくると思ったのかもしれない。見捨てなかったという記憶が欲しかっただけなのかもしれない。

 

 ────けどきっと、それだけじゃなかった。

 分かってくれる人が、気持ちを共有してくれる人が欲しかっただけだったんだよ。

 

 好きになるだなんて、思いもしなかったんだ。

 

 死ぬのは、怖い。それは君も同じだと思ってた。

 けれど、君はどんどん強くなっていったよね。最初は、理解者が遠くに行ってしまったんだって不安だったけど、すぐにそれは消えた。だって、君が強くなろうとしたのは、きっと私達の為だと思ったから。

 不安ばかりを抱えた私を、少しでも安心させたかったんだよね。凄く気を遣わせたみたいで、最初は申し訳無かったな。

 

 

「サチっ……サチイイィィイイ!!」

 

 

 怯えるように、縋るように、そう叫ぶキリトの手を、サチは取れなかった。その指先から段々と、光が溢れてくる。粒子となって、身体が消えていく感覚。

 これが、死ぬって事なのかな。あんまり痛くなくて、少し安心したかも。

 

(最後に、会いたかったなぁ……)

 

 ────アキト。

 何も伝えられなかった、私の最愛の人。

 意地っ張りで寂しがり屋で、強がりばっかりの弱虫で。優しくて、カッコよくて、そして強い。仲間でなくても、赤の他人であっても、その手を迷わず伸ばせる人。

 私のヒーロー。大切な、かけがえのない。

 

 ────“……ア、キト……”

 

 その名を呼ぶ。もうそれは、音にすらなっていなかった。段々と意識も薄れていく。睡魔にも近い、眠りにつくかのような感覚。きっともう目覚める事は無く、彼と再会することも無い。

 

 永遠の別れ。

 なら……それなら、最後に一つだけ、伝えないといけないことがある。この場に彼はいないけど、直接伝えられないけれど。

 それでも、口にしたいと心から願う言葉がある。

 

 

「……好、き」

 

 

 ───貴方の事が、大好き。

 

 

 貴方を心の底から愛している。この命が消えても、この想いは変わらない。例え死んだとしても、また形を変えて必ず貴方を守り続ける。

 傍で、ずっと見守っていきたいと、そう願う。

 

 もう、目の前のキリトさえ良く見えない。視界が、濁って、暗くなる。音も段々と遠のき、意識は霧散していく。

 

 ごめんね、アキト。今になって必死になってみたけど、もう何も動かせない。もう君に、面と向かって好きだと言う事もできないや。好きだって、たった二文字なのに、勇気が無くて。言えなくて、ごめんね。

 もっと一杯、話したかった。もっとたくさんの言葉を伝えたかった。でも、貴方が生きてくれるのなら、それだけでいい。

 この先、道が少し横に逸れても、きっと大丈夫。優しい君の事だから、また真っ直ぐに進んでくれる。だって私のヒーローだから。大好きだから、信じられる。

 

『ゴメンね、私のレベル上げ付き合わせちゃって』

『別に平気。そんなに謝んないでよ』

 

 優しくて。

 

『私、臆病だから。これからもずっと足でまといだよ。嫌な気持ちにさせると思う』

『嫌になんてならないよ』

『……どうして?』

 

 強くて。

 

『隣りに“(サチ)”がいるんだから。……どう?今の我ながらセンス良いと思うんだけど』

『……ふふっ、何それ。顔真っ赤だし』

 

 大好きな、私のヒーロー。

 

 

(────ねえ、アキト)

 

 

 傍に居てくれて、ありがとう。

 励ましてくれて、ありがとう。

 恋をさせてくれて、本当にありがとう。

 

 

 君のおかげで、私はもう、何も。

 

 

「……い、や」

 

 

 ああ、やっぱりダメだ。 

 

 やっぱり君と一緒に生きたい。

 君の笑った顔を、誰よりも近くで見ていたい。

 貴方の優しいその声を、もっと聞いていたい。

 陽だまりみたいに暖かい君の隣りで、支え続けたい。

 

 

 嫌だ。

 

 

 死にたくない。

 

 

 

 一緒に、いたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼女の名前はサチ。

 

 誰かを救おうとした彼が、初めてこの手から零してしまった人。

 

 








今日クリスマスじゃん。ってなって20時辺りからササッと書いたものなので、文章に拙さはあるかもですが、投稿が何も無いより良いかな……と思って書いてみました。
下書きの段階で友人に見せると、『クリスマスになんてもん読ませんだ』とキレられたので面白くないかもですが……つまらなかったらすみません。
いつか時間が空いた時にでも改訂版書きたいですね。

因みに題名はサチのキャラクターソングから取ってます。SAOのキャラソンの中で一番好きです。聞いた事ない方は是非聴いてみて、そして私に感想を教えてください(笑)


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