ソードアート・オンライン ──月夜の黒猫──   作:夕凪楓

150 / 156



過去へと変わり、記憶と薄れ、それでも消えずに残っていた。





──誓約──

 

 

 ───寒い。

 ───冷たい。

 

 

 ─── でも、あたたかい。

 

 

 僅かに揺れる身体と、ほんの少しの温もり。それに気が付くと、その瞳をゆっくりと開く。

 すぐ目の前に、それまで自身がいた世界と同じ色があって、アルゴは、さらにその向こう側に腕を回している事に気がついた。

 

 

「……っ」

 

 

 目の前にあったのは、白銀のコートを纏った少年の後頭部。長めのその髪と華奢な身体のせいで、一瞬女性かと勘違いしてしまいそうだった。

 自分の足が地を離れている感覚で我に返る。アルゴは自分が今、目の前の少年───アキトにおぶさっていることに漸く気が付いた。

 

 

「あ……目、覚めたんだ。よかった」

 

「……ア、キト……あっ、え、これ」

 

「アルゴあの後倒れちゃってさ。あのままいるのも寒いだけだったし」

 

 

 アキトはチラリと背負ったアルゴに目線をやると、再び前を向いて事の状況を説明した。それだけでなく、口を開いた際の白い吐息、装備越しでも伝わる冷気の冷たさ、一面の森を彩る白銀が、アルゴが倒れて間も無い事を教えてくれた。

 アキトは、自分をモンスターから守ってくれただけでなく、倒れた此方を心配して傍にいてくれたのだ。アキトを勝手に心配して、余計なお節介を振りかざし、こうして迷惑を掛けているにも関わらずに、だ。

 とはいえ、死に急ぐとも思えるアキトの生活リズムに合わせながら彼の傍にいるのは、情報屋であるアルゴにも中々に厳しかった。極めつけに、先程のモンスターの襲撃。張り詰めていた精神が一気に解かれ、気が抜けてしまったのだろうか。

 我ながら情けない。逆に助けられてしまうとは、とアルゴは自嘲気味に笑った。

 

 

「……」

 

 

 未だ何も言わないアキト。背負われていては顔もまともに見ることができない。だが、精神的な疲労からか身体にも上手く力が入らず、背負われるがままでいるしかない。

 だから、アキトが今どんな感情を抱いているのか、怒っているのか、呆れているのか、それとも何とも感じていないのか、それが分からず不安が押し寄せた。

 堪らず、その口を開く。

 

 

「……あの、サ。えと、さっきは」

 

「───折角のクリスマスだってのに、情報屋は暇なの?」

 

 

 アルゴの言葉を遮って、彼はそう言った。未だ此方を見ることはなく、ただ目の前の木々を避けながら《圏内》へとその歩を進めている。けれど紡がれた声音は呆れ気味に───しかし、ほんの少しだけ笑っているような気がした。

 冗談交じりに、いつもみたいに会話ができるかもと、期待してしまった。

 

 

「……うるさいナ」

 

「何であんなとこにいたのさ」

 

「お得意様が凍えてないか見に来てやったんだロ」

 

「────凍えて、そのまま死んでしまうんじゃないかって?」

 

「───っ」

 

 

 すぐ、言葉に詰まった。

 今までと同じなんかじゃなかった。アキトは最初から、アルゴのこれまでの所業に言及していた。呆れて笑っているのではなく、怒りを孕んだ笑みだった。

 言葉を選んだつもりが、逆に今アキトが一番触れて欲しくないであろう部分に、土足で踏み入ってしまった気分だった。

 

 怒らせただろうか。嫌われただろうか。そう考えるだけで、言葉が出なかった。

 僅かに震えた身体。それが寒さによるものか、恐怖によるものかはアキトには分からないだろうが、背負う彼女から、その震えは確かに感じたのだろう。彼は小さく、けれど長めの溜め息を吐きながら、

 

 

「……俺なんかより、キリトの心配した方がよっぽど生産的だと思うよ。アイツは絶対、攻略組に必要な存在に……って、もう攻略組か。何言ってんだろ」

 

 

 皮肉げにそう呟き、儚く笑った。

 

 

「キー坊と、その、連絡はとってるのカ……?」

 

「……とってるように見える?ま、お互い様だよ」

 

「……」

 

 

 それはつまり、お互いに連絡を取り合うことはしていないということだった。その事実が、アルゴの心を酷く痛め付ける。彼らが同じギルドのマークをカーソルの隣に並べて笑い合う姿が、酷く昔のように感じた。

 アキトの首に回した腕が、きゅっと僅かにその力を強める。ただただ悲しくて、辛くて。そしてその理由も、もう何もかも全部分かってる。だからこそ、彼らが同じ道を辿ってしまうんじゃないかって。

 それはきっと、アキトにも分かってて。

 

 

「……心配、かけたね」

 

「……え?」

 

「アルゴから見たら、俺は死に急いでいるように見えたんだよね……だから、ここまで追い掛けて来てくれた。それなのに、ちょっと意地悪言った」

 

「……」

 

「けど、もう心配しなくていいよ。悪足掻きも、今日で終わりになっちゃったからさ」

 

 

 乾いた笑みと共に零した、残酷な諦観の言葉。だがきっと、それは真実なのだろう。

 アキトにはもう、死に急ぐ程に頑張る理由は無いのだろう。唯一の希望も潰えた今、戦う闘志や執念も消え失せてしまっている。まるで燃え尽きた灰、溶け残った雪のように、アキトの心は冷たく小さくなっていく。

 

 その横顔──瞳を見ると、何も無い空虚がそこにはあった。全てを出し切ってなお何も無い。心にある虚無感が横顔から感じ取れた。アキトも僅かに震えているが、それも寒さからか悲しみからか分からなかった。

 

 だから、その言葉の真意を確かめる為に。

 また余計に言葉を重ねてしまう。

 

 

「今日で、終わり……?」

 

「もう、必死になる理由も、無くなってしまったからさ。終わりにするよ」

 

「キー坊とも、カ?」

 

「……そう、かもなぁ」

 

 

 

 ────終わり。

 

 

 

 その一言は、酷く冷たく聞こえた。

 ゲームであって遊びではないこの世界では、“死”は正しく“終わり“を意味するからだ。アキトの口にしたその言葉は、文字通り彼の旅の終着点を意味しているような気がした。

 アキトが命を削ってまで戦ってきたのは、大切なものを取り戻そうとしていたから。過去にそれが失われていたとしても、きっと今日という日まではアキトの傍に、隣りにいたのかもしれない。そして、もし求めたものが手に入ったのならば、その大切なものはこれからも、アキトの傍にい続けられたのかもしれない。

 だが、彼の願ったものは、彼が求めていたものとして形になったわけではなくて。僅かに縋っていたものすら、世界は残酷にもアキトから引き離したのだ。

 

 

「……っ」

 

 

 ───なんて、言葉を掛けたらいいのか。

 それ以前に、言葉なんて無力なのではとさえ思わせる。それでも、必死に慰めの言葉を考えていた。

 同情なんて、惨めにさせるだけだと分かっていながら。

 

 

「……そうまでして、取り戻したかったんだロ。大切な、場所だったんだナ」

 

「大切だった。……それを、俺が壊した……ようなもんさ。その事実を誤魔化そうとしてた。嘘だって、夢だって割り切って、ずっと忘れようと今日まで足掻いてた」

 

「……」

 

「みんなは独りぼっちの俺に、誰かといることの温かさを教えてくれた。俺の……生きる(よすが)だったんだ」

 

 

 ───知ってるよ。

 そんなの、君を見てれば分かるよ。分かってたよ。だからこそ、辛いんじゃないか。

 

《月夜の黒猫団》は、アキトの中でそれ程までの存在なのは分かっていた。素直になれない彼はきっと、それを本人達に伝えたことはなかっただろう。目の前にすればきっと恥ずかしくて、言葉にすることなんて出来ない。

 それ故に、皮肉にも彼らがいない世界でつらつらと話せてしまう彼を見るのが、どうしようもなく苦しくて。この感情が消える日が来るなんて思えない。今でも狂おしい程に苦しくて痛いのだから。

 けれど、それはアキトも同じで。アキトは自分以上で。だからこそアキトは、その絶望を嘘にする為に今日まで足掻いていた。

 

 

「今日まで戦ってきたのも……みんなを生き返らせることができるかもっていう……可能性としてはとても小さかったけど、それでもそういう希望があったからで……」

 

 

 ──知ってたよ。

 だからこそ、《蘇生アイテム》なんて眉唾物に縋るしかなかった。可能性としてはゼロに等しいと分かっていながらも、僅かにでも希望を見つけなければ、生きることなんてできなかった。

 けれどアキトもそんなことは、本当は誰に言われずとも分かっていたのだ。不可能だと知りながらも、最後まで希望を捨てたくなくて。それが、残酷な末路へと繋がると分かっていても、歩まずにはいられなかった。

 きっと、何処かで覚悟していたのだ。彼らに二度と会えはしない事を。分かっていたはずなのに、誤魔化して、嘘で塗り固めていただけ。それしか未来を生きる方法を知らなかったから、そうしていただけ。

 縋るしか、なかっただけ。

 

 

「これからどうするのか、どうしたいのか……もう何も……分からなくなっちゃったなぁ……」

 

「っ……そ、んなの、探せば幾らでもあるダロ。アキトならきっと何だってできるだろうし……ほ、ほら、料理スキルとか取ってたダロ?そ、それに……」

 

 

 アルゴは必死に言葉を紡いだ。彼を死へと行かせない、その為だけの言葉だった。

 死に痛みを伴わないこの世界で死ぬのは、ある意味至極簡単なことなのかもしれない。現実で死ぬのは怖いけど、仮想空間でなら痛みもない。現実世界を知らないから本当に死ぬのかもわからない。死をリアルに感じられない分、逆に死にやすいからだ。

 絶望を味わい、生きる理由がない人間はきっと、この世界でなら躊躇い無く死を選べる。そういう世界なのだ。

 今のアキトが、正しくそうだった。

 

 

「……でもね、アルゴ」

 

 

 口を開いては、閉じる。戸惑いながらも励まそうとするアルゴの気遣いに、アキトは優しく微笑んでみせた。まるで、大丈夫だよと、そう言い聞かせるように。

 なのに何処か清々しいような、それでいて痛ましいような笑みで。

 

 

「一つだけ確かなのは……俺が解放されたってことなんだ」

 

「解、放……?」

 

 

 言ってることの意味が分からず、アルゴはその言葉をなぞる。アキトのその言葉に、瞳が三度揺れ動く。

 アキトは顔を上げ、その先に広がる木々連なる雪景色を悲しい瞳で眺めながら、微笑を崩さずに───

 

 

 

「これでもう……みんなのことで一喜一憂する必要もないじゃんか」

 

 

 

 ────ポツリと。

 狂おしいほど切なくなる一言を告げたのだった。

 それを聞いた瞬間、アルゴは。彼女は、ただ。

 

 

「……っ」

 

 

 唇を噛み締めた。

 泣くまいとしていたはずの瞳が、再び涙を生み出していく。

 アキトが今、どんな気持ちでその一言を発したのか。この一言を音にするのに、どれだけの勇気が必要だったか。自分じゃ分からないくらいで。

 

 

 

「これからは……目の前のことだけを見て……ただ懸命に生きればいい」

 

 

 

 彼らはもういない。生き返りもしない。それを割り切ってしまえば、何のことはないと。

 生死に振り回されることも無くなったのだと、清々するのだと、そう言い聞かせるように。

 アキトは立ち止まって、目を瞑る。

 

 

 

「もっとずっと……」

 

 

 

 そうだ。ただ目の前ことだけを考えて。

 彼らを思い出す必要も無いくらいに懸命に。必死に。辛い想いなんて、楽しい過去なんて、考えてしまう暇も無いくらいに。

 ケイタのことも、ダッガーのことも、テツオのことも、ササマルのことも。

 サチのことも、忘れてしまえばいい。記憶の片隅に追いやってしまえば。

 きっと楽だ、と。

 

 

 

「────ずっと、生きやすくなる」

 

 

 

 それは呪文のように。語り聞かせるように。大丈夫だと誤魔化すように。

 空虚な心を満たす為に、充実した過去を足りない今で塗り潰す。時間はかかっても、いずれ風化する過去を大切に持つよりも辛くないと。

 そうしてまたアキトは、誤魔化しを重ねて頷いた。

 酷いやり方だけど、きっとやれるだろうと。

 

 だってもうアキトには、乾いた頬を濡らす涙も、泣き叫ぶ程の痛みも残ってない。あるのはただ、穴の空いた心だけだから。

 それでも、“忘れてしまえばいい”だなんて。こんなことを考えてしまうなんて、巫山戯ていると、分かっているのだろう。その笑みからは、痛みを感じた。

 

 

「みんなに二度と会えないんだって突き付けられて……狼狽えて、泣き喚いてもいいはずなのに……なんかもう、涙も出ないんだよね。ただそのことに、ホッとしてる自分が居るんだ。俺は……本当に酷い……酷い奴だよ」

 

 

 もっと泣き喚くと思ってたのに、と誤魔化すようにまた笑った。

 けれどもう、散々泣いたからなのか、頬に一滴たりとも伝うことはなかった。大切なものを失って、喪って。だからもう、傷に慣れてしまったのかもしれないと知って。

 

 

 アルゴは。

 ただ、言葉にすることもできずに、泣いてしまった。

 

 

 ────ああ、本当に。

 アキトはこれで終わりにするつもりなんだ、と。

 一体何が悲しくて、何が哀しくて、何が切なくて、何が悔しいのか。自分の頭で言語化するよりも先に、感情が一気に溢れて。

 どうして、こんなにも。

 こんなにも、君を。

 

 

 

「────好きだった」

 

 

 

 驚くくらい透き通った声だった。

 感情を隠せないその顔が、ゆっくりと此方に振り返る。聞き間違いかと耳を疑っているような表情も、瞳に溜まる涙のせいで歪んで見える。

 驚かせてる。困らせている。それでもアルゴは、言わずにはいられなかった。

 

 

「っ、……はぁ? な、何言って───」

 

「アキトの意思を否定するつもりも、権利もないけれど」

 

 

 アキトの声を遮りながら、声を震わすまいと律しながら、過去に想いを馳せながら。思い起こされるのは、キリトの満面の笑みと、アキトの儚げな笑み。それでも楽しそうだと感じられる程の笑顔が、何度も何度も頭を過ぎる。

 

 ────そうだ。きっと私は、あの顔が好きだった。

 

 泣くまいとしていたはずの瞳は、いつの間にか大量の涙を溜めていて。顔を真っ赤にしながら唇を動かしては、ポロポロと零れ落ちていく。

 

 

「……好きだった。キー坊──キリトとアキトが、二人でいるところを見るのが……笑って、幸せそうな顔でギルドの事を話すのを見るのが……」

 

 

 次第にそれはとめどなく、止まることを知らず、拭っても拭っても流れ続けて。肩を震わせながら紡がれるその声は、いつしか嗚咽混じりに静寂を貫いていた。

 勝手だと分かってる。今更だと知っている。それでも言わずにはいられない。アキトにだって何も言わせない。これはただの、自分の我儘であり、思いの丈。

 

 自分はただ、幸せを感じていただけだったのだから。ただ純粋に好きなだけだったのだから。

 キリトと、そしてアキトの幸福を眺めているのが───

 

 

「……ただ、好きだったんダ……っ」

 

「────……」

 

 

 巫山戯たような喋りも、揶揄うような態度も、何もできなかった。

 ただアキトの前で、自分の本音を零してしまった。

 知らなかった。自分がこんなにも、誰かに肩入れできる人間であるということを。そんなことを思ってしまっていただなんて。

 

 足を止めて、此方を見るアキトの瞳は揺れていた。アルゴが涙を流しているなんて、信じられないというような瞳で。

 恥ずかしくて、情けなくて、何より苦しくて。涙伝うその顔を、フードで隠す。けれど肩の震えや、嗚咽交じりの呼吸、鼻をすする音、何もかもこの世界じゃ隠すのは難しくて。

 

 

「……」

 

 

 アキトはやがて、アルゴから目を逸らし、上を向いた。此方の泣き顔を見ないように気遣いながら歩いて。

 そうして、未だ降り頻る雪の一つ一つを眺めながら、ポツリと。

 

 

「……泣いてんじゃねぇよ」

 

 

 突き放すよう口にしたはずのその言葉は、とても優しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

「……少し、行きたいとこあって」

 

 

 アルゴを街へ送り届けた後、アキトは彼女に向かって告げた。街もフィールド同様の寒さを漂わせていて、おかげで外にいるプレイヤーは少ない。彼女を背負っていても、目立つ事はなかった。

 その足で街の転移門まで赴き、目指したのは《はじまりの街》。これから行く場所が、この街にあった。変わらず雪降りしきる中、チラリと後ろを振り返る。

 

 尚もその背についてきたアルゴは、フードに顔を隠し俯いている。

 別れを切り出そうと背を向けると、彼女がその背から、

 

 

「オレっちも行く」

 

「え……い、いや、いいよ別に」

 

「オマエ一人だと何しでかすか分かったもんじゃないからナ」

 

 

 そう言って、此方の意を聞くこともなくアキトの空いた手に自分の手を絡めた。

 いきなりの事で、アキトは思わずぎょっとその瞳をアルゴへと向ける。当のアルゴは、別に顔を赤くするでも、揶揄うでもなくて。

 ただ、不安そうな眼差しで此方を見上げていた。繋がれたその手から、彼女の不安が伝ってきたような気がして、思わず溜め息を吐いた。

 

 

「……分かったよ。けど別に、アルゴが考えてるような事はしないから」

 

「何処に行くつもりなんダ?」

 

 

 そんな問いにアキトは目を逸らし、少し間を置いてから告げた。

 

 

「……黒鉄宮」

 

「……分かったヨ」

 

 

 それ以上、アルゴは何も聞かなかった。

 そこから《黒鉄宮》に着くまでに、アキトとアルゴの間に会話もなかった。けれど、彼女が気を遣ってくれていることは明白だった。

 戸惑い焦る感情が握られたその手から伝わって来て、アキトはただ申し訳無さでいっぱいだった。彼女に迷惑を掛けているにも関わらず、その優しさに甘えてしまいたくなるから、同時にそれも辛かった。

 何かを口にしなければと、考えもした。けれど、繋がる手から余計な事まで察してしまいそうで、結局は何も口にできなかった。

 

 辿り着くまでに、何を考えていただろうか。

 無心だったようで、その実色々な事を一度に考え続けて、どれだけ時間か経ったか分からない。

 

 荒い息は精神的な疲労からなのか、この巫山戯た寒さのせいなのかは定かでない。身体が震え、膝が笑う。けれどその足はひたすらに動き続け、立ち止まる事を許さなかった。

 こうして歩を進めていなければ、無我夢中でいなければ、ほんの少し冷静になっただけでこの足を止めてしまう気がした。背後から押し寄せる後悔と懺悔の感情に追い付かれてしまうのだと、そんな感覚がアキトを追い立てていた。

 

 ケイタの温かさが、ダッガーの笑い声が、テツオの勇ましさが、ササマルの優しさが、キリトの頼もしさが、サチの笑顔が、今も頭の中に鮮明に残っている。

《月夜の黒猫団》として過ごせた時間や誇りが、胸の中で灯火となり、動く為の燃料になっている。彼らとの会話が、戦いが、毎日が思い出になっていき、過去になっていく感覚だけがある。

 

 突如伸ばされたその手を拒み、受け入れるまでかなりの時間を有したというのに、突き放す事もせず忍耐強く接してくれた優しい彼ら。

 そんな大切な存在が、あれほど渇望していた世界が、気が付けば一瞬で硝子と化してしまったのだ。

 思い出しただけで鼓動に頭を揺さぶられ、言葉に出来ない悲哀が胸に去来する。

 

 後悔しかない。懺悔しかない。

 あれほど助けてもらったくせに、誰一人助けてあげられなかったのだ。

 この現実は、愚かな自分が抱いてしまった、たった一つの取るに足らない小さな感情に支配された結果だ。しがらみと勘違いした繋がりを全て放り投げ、憧れに押し付けた結果だ。罪で、罰なのだ。

 恩ばかり受けていた自分が黒猫団のみんなに返した、唯一にして最大の“仇”だった。

 

 歩いて、歩いて、歩いて。視線や声や人混み全てを掻き分けて、何もかもをかなぐり捨てて《黒鉄宮》に向かう。

 それに何か理由があったのかと問われれば、確かにあった。今は亡き者達に、伝えたいことがあったはずだったのだ。けれど距離が近付けば近付く程に、言葉にしようとしていたものが記憶から霧散する。

 雪降る寒さで頭までやられたかと自嘲気味に笑ってみるも、誰も周りにいない独りきりの世界は虚しいだけだった。

 それでも、アルゴはその手を離してはくれなかった。

 

 アキトとアルゴ。

 特別親しいという訳でもない関係。故に続くはずもない会話。けれど、繋がる指先はなお主張を続けている。

 互いの熱を確かめる様にその手を繋ぎ合い、国鉄宮までの一本道を辿る。何処か暖かい場所に移動することもなく、蓄積された疲労からか真面に歩く事も出来ずにゆらゆら歩くアキトの傍を、アルゴは離れようとはしなかった。

 

 

「……っ」

 

 

《黒鉄宮》──── 一万の命が刻まれた場所。

 そして、これから自分に現実を突き付けてくるであろう場所。分かっていながらも、足が竦む。ここまで来たというのに、恐怖が冷気と共に肌にへばりつく。

 それでも、握られたその左手だけは確かに温かくて。ふと隣りを見れば、アルゴもまた黒鉄宮の入口、闇へと続く道をただ見据えていた。

 

 

「……行こう」

 

 

 覚悟なんてものじゃない。気合いと呼ぶにもやわ過ぎて。

 きっと、ほんのひと握りの小さな勇気。震えていたその足は、次第に一歩を踏み締め始める。

 コツコツと響く足音が、碑までの距離を教えてくれる。もうすぐ、もうすぐ、終わってしまうんだと、そう突き付けてくる。

 ずっと、辿り着かなきゃいい。このまま、続いていけばいい。

 終わらないで欲しい。

 

 だが、願いも虚しくその回廊は突然に終わる。やがて開けた場所に、それはあった。先程も来たはずなのに、何故かまるで違って見えて。

 黒曜石が敷き詰められた静寂の世界に、一際存在感を放つ石碑。足元には、アキトが置いていったアイテムがまだ幾つか、僅かばかりの耐久値を残して置かれている。

 アキトはそれに目もくれず、目の前に聳えるその石碑を見上げて、小さく息を吐いた。

 

 

 

「……分かってた。君が何処にいるかなんて、最初から分かってたんだよ、サチ……」

 

 

 

《生命の碑》─── 一万の名を刻む場所。

 そして、たった今アキトに現実を突き付けたもの。

 彼の目線のその先に、横線が引かれた名前。それが、アキトの大切な人の名前。

 

《サチ》の名前が、そこにはあった。

 

 本当はもう、ずっと前から知っていた。

 この場所に刻まれているのだと、分かっていた。受け入れてしまえば、終わりだと悟っていたから。

 

 

「……終わりにするのは、辛いなぁ」

 

 

 言葉尻が震える。わなわなと、心の奥底から込み上げてくる。

 散々泣き喚いて、泣き腫らして、枯れ果てたと思っていたのに。この世界でも、涙は無限だった。

 

 本音だった。もう、本当の事を言わずにはいられなかった。

 終わりになんて、したくなかった。独りはとても寂しかった。誰かの為に張り続けた“強がり”は、孤独になった今では意味を持たずに思考の海に散っていく。

 当然だ。これまでの言葉だって、全て己に向けた欺瞞でしかなかったのだから。虚飾の剣を振りかざしたところで、襲いかかってくるのが悲しみや痛みといった感情ならば、勝てるはずもないのだから。

 

 

「寂しい……」

 

 

 モンスターとの戦い方も知らない、初心者のように震えた声だった。

 孤独の寂しさや恐怖を、アキトは誰よりも知っている。だから、運命に抗う姿を自分に見せても、偽りでしかなくて。

 ここまで情けない声を出せたのかと、自分でも驚く。

 

 

「みんながいないと、寂しいよ……っ」

 

 

 ────ずっと生きやすくなる?

 そんなわけがない。思い出になってしまう方が辛いに決まってる。ただの、今まで通りの強がりだった。

 他人(アルゴ)がいるなら弱い自分を見せることなく、まだ大丈夫だと強がれる気がした。

 けれど、結局は無意味に終わり、今もただ涙を流し続けている。そんなアキトに、アルゴは何も言わずに寄り添って、ただその手を握り続けていた。

 

 

「……オレっちも、キー坊も、同じだヨ」

 

「え……?」

 

「オマエがいないと、寂しいヨ……」

 

 

 俯いた顔を上げれば、アルゴは此方を見つめていた。

 透き通った双眸が、情けなくも縋るような感情を帯びていて、精神が摩耗し途切れかけたアキトもまた、彼女の言葉に何かを求めた。

 

 

「オレっちはまだ、オマエの……アキトにとっての『大切なもの』じゃないのかもしれなイ」

 

「……」

 

「けど」

 

 

《月夜の黒猫団》が、全てだった。

 ケイタ、ダッガー、ササマル、テツオ、サチ。誰が欠けてももう戻らない。そんなの、アルゴに言われずとも分かっていた。

 それでもと、彼女は言葉を紡いでくれたのだ。その想いを、吐き出してくれたのだ。

 

 

「……一緒に、生きてて欲しいヨ」

 

「────っ!」

 

「優しいオマエが寂しくないように、隣りにいてやりたいヨ」

 

 

 アキトの表情が歪む。

 これ以上涙を流すのを堪えているようでも、恥ずかしさを隠そうとしているようでも、何か例えようのない感情を表に出さないようにしているようでもあった。

 彼女のそれは、あまりにも身勝手で、あまりにも優しい脅迫だった。自分が黒猫団のみんなに感じていたものと、全く同じ。

 故に拒めない。断る選択肢など、あるわけがなかった。

 

 

 ────ああ、だから嫌だったんだ。

 

 

 世界が始まったあの日に、彼らの手をとってしまったのがいけなかったんだ。

 その温もりに縋ってしまったら、もう孤独な日々には戻れないことなんて、ずっと前から知っていたのに。

 いずれ失われる温もりを頼りに生きることなんて、狂おしいほどに愚かなことだと自分を戒めていたはずだったのに。

 

 拒むことなんて、できるはずがないと分かっていたはずだったのに。

 

 

「─── 俺も、そう思ってたよ」

 

 

 だから、独りが良かったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

「もう用は済んだのカ?」

 

「うん。外寒いのに、待たせてゴメン」

 

 

 黒鉄宮の外を出れば、もう雪は止んでいた。

 灰色の雲一面の中でも、僅かに差し込む日差しを見て、アキトは全てにおいての別れを現実として受け入れつつあった。振り積もった雪が地面を覆い、足跡はここまで来たアキトとアルゴのものだけ。

 アキトは既にアルゴから手を離しており、その両の手は白銀のコートのポケットへと収まっている。そして、そのまま彼女へとその視線を向けた。

 

 

「……ン?」

 

「……っ」

 

 

 彼女は柔らかで大人びた笑みで、此方を見て首を傾げていて、不覚にもドキリとした。

 あまりにも魅力的で、『オネーサン』なんて言っているのもあながち嘘じゃないような気さえしたから。

 全く、今回は彼女の面倒みの良さを目の当たりにするだけの時間だったなと、情けない自分を思い返して呆れたように笑った。

 

 

「……じゃあな。最っ低なクリスマスだったよ」

 

「コッチの台詞だヨ」

 

 

 アルゴは入口付近の壁に寄りかかって、両腕を組んで呆れ笑った。

 伏せていた瞳を此方に向けると、不安げに眉を顰めてアキトに問いを投げ掛けた。

 

 

「これから、どうするんダ?」

 

「えと……まだ、決めてないけど……キリトとアルゴは俺がいないと寂しいらしいから、取り敢えず、頑張って生きてみるよ」

 

「……やめろ、もう言わないでクレ……キャラじゃないこと言ったって、自分で分かってるかラ……」

 

 

 真剣な眼差しから一点、顔を赤く染めて目を逸らす。さっきまで手を繋いでいたというのに、何をそんなに恥ずかしがっているのかと、少し可笑しくて笑ってしまう。

 だがそれも束の間、アルゴはまだ心配そうに此方を見つめて、

 

 

「本当に、大丈夫なのカ?」

 

 

 そう尋ねた。

 それは、生きていけるのか、戦えるのか、寂しくないのか。そんな想いが込められた質問だった。守るべきものを失って、今はまだ何の為にこの身を世界に残すのかを決めかねている状況で。

 そんな中で、不安定な精神の均衡を保っていけるのかと、そんな言葉だった。

 

 アキトは、ポケットから右手を取り出した。そこに握られていたものを、ゆっくりと開く。

 そこにあったのは、タイマー起動の記録結晶。サチからの最後の贈り物であり、自分を留まらせてくれるもの。彼女の言葉の一つ一つを思い返しながら、アキトは目を瞑る。

 

 

 ───好きだと言ってくれたこと、忘れない。

 

 

「……サチは、さ。こんな俺を好きになってくれたんだ。だから、頑張ってみるよ。じゃないと、サチにもみんなにも悪いだろ?」

 

 

 彼女が言うような、ヒーローなんて柄じゃない。

 けれどサチからすればアキトは、大切なものを守りたいと弱虫ながらに強がって足掻く様が格好良く見えて、好きだと言ってくれたのだ。自分では情けないと思っていた部分を、美徳だと言ってくれたんだ。

 なら、どれだけ辛くても、苦しくても、彼女が好きになってくれた自分で在り続けなきゃいけないと、そう思っただけだった。

 

 

「乗り越え、られるのカ?」

 

「……無理、だよ。乗り越えるなんて、できるわけない」

 

 

 彼らを過去にするのは、アキトにとって難しかった。

 昨日の今日まで、あるかもしれない希望に縋り付いて生きてきたのだから。今だって寂しさは拭えない。どれだけ時間が経とうとも、消せない想いが胸にある。

 

 

「───だから、乗り越えたりなんかしない」

 

 

 そういって記録結晶を握り締める。驚いたような表情のアルゴに、切なくなるほどに儚い笑みを向けて、アキトは決意を口にする。

 それはきっと、乗り越えるよりも辛い道。

 

 

「ずっと背負ってく。みんなの死も、彼女の想いも……ずっとずっと背負ってく。抱えたまま生きていく」

 

「……アキト」

 

「忘れて乗り越えたりなんてしない。みんなの死と想いを一緒に背負ったまま、ここから出るんだ」

 

 

 迷いはある。躊躇もある。これはまだ、そしてまた、なけなしの“強がり”だ。けれど、ほんの些細な覚悟と、取るに足らない小さな勇気を、他でもないアルゴとサチがくれたのだから。

 だから、今はそれで良い。

 そしてそう思わせてくれたのは、アルゴでもある。

 

 

「だから、アルゴ。今まで───っ」

 

 

 “手を繋いでくれて”。そう続けようとして、止めた。

 ……いや、違う。あれにはきっと、それ以上の意味があった。もっと根本的なことだ。行かせない、行かないで欲しいと、そう願う心の形だった。

 なら、伝える言葉はきっと────

 

 

「─── “繋ぎ止めて”くれて、ありがとう。アルゴ」

 

「……ン」

 

 

 アルゴは照れるでもなく、驚くでもなく、ただ真っ直ぐに感謝を受け止めてくれた。出来の悪い弟を心配するような眼差しで此方を見ながら、仕方無しに笑って見せた。

 そんな彼女に、アキトは告げる。自分の辿った生き方から学んだ事を、アルゴへと伝える為に。

 

 

「どれだけの決意や覚悟、強さがあっても、零れてしまうものはある。時の全てを懸け、多くのものを捨ててさえ、守れないものがあった」

 

 

 人が創り出したこの世界は、死にたくなるくらい現実的で残酷だ。想いや願いだけじゃ奇跡は起こらないことを、嫌という程突き付けられたからこそ分かる。

 だからこそ。同じ轍を踏んで欲しくなくて。後悔して欲しくなくて。

 

 

「アルゴは、取り零さないでね」

 

 

 そう言って、再び彼女に背を向ける。

 すると、アルゴが寄りかかっていた壁から背中を離し、アキトを真剣な眼差しで見据えていた。

 思わず体ごと彼女へと戻すと、アルゴもアキト同様に口を開いて言い放った。

 

 

「……オマエも取り零すなヨ、アキト」

 

「……今更何を」

 

 

 もう零せる程のものすら残っていないというのに。

 そんな卑屈な表情を見せたくなくて目を逸らす。けれどアルゴは変わらず、その瞳のままに言葉を続けた。

 

 

 

「────“未来”を」

 

 

「────」

 

 

 

 “未来”

 

 アキトの進む未来。その先には、もう誰もいない。

 共に歩むはずだった仲間も、目指すべき夢も、もう何も無い。

 なのにそれを諦めるなと、取り零すなと、見捨てるなと君も言うのか。

 

 進まなくちゃいけないことは分かっている。

 その先に、サチは進んで欲しいと言ってくれた気がしたから。

 そして、キリトが待っている気がするから。

 だから、答えは決まっていたけれど、すぐには答えられなくて。

 

 

「……ははっ」

 

 

 答えるより先に泣いてしまいそうで。

 それを誤魔化すように、下を向いて笑った。もう、何も言うことはない。今度こそ、アキトはアルゴに背を向けて、当てもなくその道を辿って行く。

 かつて好きだった白が広がる風景の真ん中を、静かに歩く。

 

 

 “未来”

 

 

 なんて曖昧な言葉だろう。形にもなっていないものを、取り零すなと君は言う。

 それは、過去だけに囚われず、未来を大切にしろというメッセージなのかもしない。

 

 

 いつか。

 いつか、遠い未来の話かもしれない。

 けど、いつかまた《月夜の黒猫団》のような場所が、守りたいと思える人が、現れる日なんてくるのだろうか。

 

 

 それを、君は許してくれるかい。

 

 

 ──── サチ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 みんな。改めて、メリークリスマス。

 

 

 今、みんなは何してるかな。天国に、ちゃんと行けているのかな。

 それとも、まだここに居てくれてるのかな。分からないから、こうしてメッセージを残す事にしたんだ。

 サチにも貰ったし、俺もお返し。なんか、恥ずかしいね、へへ。

 

 けど、俺もサチのこと言えないなぁ。話したいこと、沢山あったはずなのに、こうしてメッセージを残すぞって時になると、何話していいか分かんなくなる。

 君も、こういう気持ちだったのかな。

 

 ……そう。話したいこと、いっぱいあったよ。

 この記録結晶に収まりきらないほどに、たくさん。感謝も、後悔も、みんなの好きなとこも、直して欲しいことも、楽しい思い出も、本当は何もかも語りたいよ。

 けど、あんまり話すと泣いてしまいそうだから。

 せめて俺から……ううん。

 

 

 “僕”からみんなに、僕の気持ちを伝えます。

 

 

 まず、ケイタ。

《月夜の黒猫団》のリーダーとして、常にみんなに気を配って指示を出してくれた。本当は自分のことでも手一杯のはずなのに、周りを心配してくれる君は、確かにリーダーだった。

 広場で初めて僕に手を差し伸べてくれた時も、距離を図りかねていた僕に近付いてくれたのも、弱い僕を何度も何度も見付けてくれたのも、君のその優しさのおかげだと思ってる。

 他の誰でもない、君がリーダーだったからこそ、ここまで来れたんだって思うよ。《月夜の黒猫団》のようなギルドが攻略組にいたのなら、緊迫したあの空間にもあたたかみが生まれるかもしれないって、キリトが言ってたのを思い出す。僕にも、本当にそう思うよ。

 今まで、ありがとう。

 

 

 次にテツオ。

 ギルドに入ったばかりの頃、凄く態度が悪かった僕に、何度も話し掛けようとしてくれたよね。ゴメン、自覚あったんだ。知らない人ばかりのところで上手くやっていく自信がなくて、突き放すことで安心してた。

 どれだけ突き放しても、忍耐強く僕に接してくれた君は、やっぱり壁役が向いてるよ。一緒に攻略した時も、何度も助けて貰ったし、何度もありがとうって言ってくれた。多分、ギルドの中で一番ハイタッチを多くしたんじゃないかなって、思ってる。

 今まで、ありがとう。

 

 

 次はササマル。

 最初は、やっぱり怖がらせちゃったかな。僕と目が合う度に気まずそうに目を逸らし合ったの、今でも覚えてる。でもね、僕もあの時はみんなが怖くて、近寄り難かったんだ。既に出来上がっている世界に身を置くのは、とても勇気がいることだった。

 でも、それにいち早く気が付いてくれたのって、ササマルだったんだよね。僕が一人でいる時に、何かと接してくれるようになったの、ちゃんと分かってる。最初に仲良くなったのはきっと、ササマル、君なんだ。君の優しさにあの時救われたのは、僕の方だったんだ。

 今まで、ありがとう。

 

 

 そして、ダッガー。

 君とは、一番ケンカしたよね。反りが合わなくて、馬が合わなくて。最初こそ気を遣ってくれていたけど、変わらずつっけんどんな態度の僕に一番に癇癪を起こしたのは、君だったっけ。

 けれど、あの時の君の言い分は、至極最もで当然の事だった。あの時はまだ、ギルドに入れたみんなの真意が分からなくて素っ気ない態度ばかりとっていた自覚もあった。僕にとってはまだ信用できる存在じゃなくて、冷たい態度ばかりとってたと思う。だから、ゴメンね。

 けれど、そんな風に思ってた自分が馬鹿みたいだと思えるほどに、君には笑わせて貰ったよ。お調子者だけど、みんなを笑顔にさせるムードメーカーは、やっぱりダッガーだと思う。

 今まで、ありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──── サチ。

 

 

 僕は……君に、ずっと言えなかったことがあるんだ。後出しみたいで狡いけど、届かないと分かってるけど、聞いて欲しい。

 

 君は僕を……“ヒーロー”なんて言ったけど、そんなに格好の良い奴じゃないんだよ。

 本当はサチ以上の臆病者で、モンスターを前にすれば足も竦むし、泣きたくもなる。けどそうならなかったのは、ずっと強がっていたからなんだよ。格好悪いところを見せたくなくて、格好付けていただけだったんだ。

 

 泣いてる君を見たくなくて、強くなろうと思った。ヒーローみたいに、万人の為に強くなりたかったわけじゃなかったんだよ。

 サチを怖がらせないようにしたいなんて、我儘で、身勝手で、どうしようもない理由だったんだ。

 

 君の前ではずっと、僕は“強がり”という仮面を被ってた。

 せめて君やみんなの前では、一人前のプレイヤーで在りたかったから。

 ただ、格好を付けて。

 頼れる男の、フリをして。

 威勢ばっかり良くて。

 守ってみせると、言い張って。

 ずっと。ずっと、そうしてこの世界を生きてきた。黒猫団のみんなにどう思われても、見抜かれていたとしても、言葉にすればいつか本物になれると信じていたから。

 ずっと、意地になってたんだ。だから、君が今どう思っているかなんて、全く知らなかった。自分のことばかりで、知ろうともしてなかったんだ。

 僕も君に、何も教えてなかったし、伝えてもなかった。知って欲しいとも思ってなかったのかもしれない。

 

 君はずっと、そう言いたかったのかな。

 

 だからさ。

 今更なんだけど。

 本当にどうしようもないけれど。

 君に、僕も伝えようと思ったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──── 君が好きだ、サチ。

 

 

 流れるような髪も、ドキッとするような泣きぼくろも、優しげな微笑みも、揶揄って来た時の楽しそうな笑顔も、透き通った声も好きだった。

 たまに抜けてるとことかも、怖がりな癖に頑固なところとかも、自分よりも他人の心配をしちゃう優しさも、直して欲しいところの癖に、それが好きだったりもするんだ。放っておけなくて、目が離せなかった。

 

 君の全ての表情も、君の全ての感動も、その隣りで一緒に感じることができたら良いなって……ずっと、そう思ってた。

 

 逃げてばかりの僕が、虚勢を張ってでも守りたいと思える程に大切だった。

 君は重いって言って、困るかな、なんて考えたりもしたことあるんだよ。だから、君が僕を好きだって言ってくれたこと、凄く嬉しかった。夢なんじゃなかって、その気持ちさえ仮想なんじゃないかって、サチのことなのに、その気持ちを疑いそうになる。

 君がどうして僕を好きになってくれたのか、分からなかったから。けどそれを、他でもない君が教えてくれたから。

 だから。だから、決めたんだ。

 

 

 僕は─── “俺”は、何度でも、何万回でも“強がり”を張って生きていく。

 

 

 俺はいつだって、君の前ではそうしてきた。君や、みんなの幸せを壊したくないと思ったから。君を笑顔にできるような存在で在りたいと願って、そうしてここまで来たんだ。

 そう、思ってた。

 

 けど、他にもあったんだ。

 

 助けてくれて、ありがとう────。

 

 フィールドで出会った人達の、温かな言葉と、温かな笑顔。

 それがただ、嬉しかった。この手が届く度に、誇らしい気持ちになった。だから、優しく在ろうと思えた。

 君が、そんな俺を“ヒーロー”と言ってくれたのなら、俺は俺で在り続けなきゃいけないと思った。

 

 

 だから、頑張るよ。君のメッセージ通りに。

 そして何よりも、俺自身の為に、上に行く。

 

 

《誓う》よ、サチ。俺は────

 

 

 攻略組になる。キリトと一緒に戦って、ゲームをクリアしてみせる。

 サチのような人達を、現実世界に帰す為に。

 

 

 だから、君と会うのはもう少し先になりそうだ、サチ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

「……できるかな、俺に」

 

 

 アルゴを待たせている内に《生命の碑》の前で記録結晶に込めた誓いを、歩きながら思い出していた。

《黒鉄宮》に置いてきた記録結晶は、やがて耐久値がゼロになってポリゴンとなり消えてゆくだろう。そうなった時、きっとあのメッセージはサチ達の元へと届くような気がした。

 

 既に圏外、雪が広がる荒野にたった一人で佇みながら、最前線へと赴く前にやる事はたくさんあるのではないかと、不安と焦燥が押し寄せてくる。

 レベルばかり上がって装備はそのままだし、ステータスの方向性も定まってない。何より、片手剣に移行するはずだったのに未だに刀を振り回している。

 

 

 ────“ ……一人で、平気?……大丈夫?”

 

 

「……っ」

 

 

 そんな声が頭に響く。アキトはふと顔を上げた。

 忘れもしない、サチ達を助けるべく奔走した時に脳内で木霊した道標。今日までずっと、一頻りに語り掛けてきた声。

 思えば、この声の主にも冷たく当たっていたことを思い出して、アキトは思わず俯いた。八つ当たりもいいとこで、この声に罪なんてなかったというのに。

 ずっと、この声に導かれて、助けられていた。正体は分からない。原理も、目的も不明だけれど。

 何故か、信じられる気がした。

 

 

「……平気だよ。君がいるし……誰か分かんないけど」

 

 

 ──── “……!”

 

 

 その声の主の反応が、あまりにも分かりやすくて。

 そうさせた一言を自分で言ったと思うと、少し照れ臭くて。誤魔化すように頭を振り払い、アキトは再び歩き出した。

 

 

「っ……今の無し。空耳だよな空耳。あー、独り言なんて恥ずかしい」

 

 

 ──── “空耳じゃないよ!無しになんてさせないからね!言質取ったから、言質!ずっと傍にいるからね!”

 

 

 頭の中で際限なく響く声に、アキトも顔を赤くした。こんなにも嬉しそうな反応をされるとは思ってなくて、本当に心の底から後悔した。

 独りの寂しさを思い出す日は、来るのだろうかと。そう考えてから、呆れたように笑う。

 未だに火照る頬を紛らわすように、アキトはその声に向かって言い放った。

 

 

「……じゃあ、適当にこれからの目標立ててよ。そんで、何処にいるか分かんないけど、そこで見てて。俺のこれから」

 

 

 ──── “うん!アキトのこれから、アタシが見ててあげるからね!”

 

 

 そんな自信たっぷりの声に、アキトは小さく笑う。

 雪の冷たさが混じる風が吹き抜け、アキトの頬や髪、白銀のコートを翻す。そんな風の行方を眺めながら、アキトは目を見開く。

 僅かに、ポリゴンのような光の破片が風に待って飛び上がるのを見た気がしたから。それが何故か、自分の想いを込めた記録結晶の残骸ではないか、なんて都合の良いことを考えて、アキトは微笑んだ。

 

 

 ──── 君にも、届くかな。届くといいな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ソードアート・オンライン──月夜の黒猫(ナイト・ブラック)──

 Episode.0 雪舞う月下に誓う猫

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『──── 届いてるよ』

 

 

 この気持ちは、何があっても永遠に変わらない。

 君がこれからどんな人生を歩もうとも、私は君を好きでい続けるよ。

 

 

 この想いだけは、誰にも負けないよ。

 時間はかかってしまったけれど、離れていたって。

 確かに私の言葉は、君に伝わったのだから。

 

 

 

 

 この気持ちは、きっと。

 

 

 

 

 世界さえも、時空さえも、超えてしまうほどの想いだ。

 

 

 

 






誓いはただ、過去への懺悔。
約束は未だ、未来への道標。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。