白は好き。何色にも変われるから。
それは、何者にもなれる可能性を秘めた、なりたい色になれると、そんな気持ちを起こさせてくれるから。
黒は嫌い。暗い、拒絶の色だから。
何色にも染まれない、変わらない。そんな事は不可能だと、突き付けてくる気がするから。
時間が過ぎるのは、とても早く感じる。
楽しければ、幸せな時間なら、それは尚更。
「スイッチ!」
「テツオ!」
「おう!」
キリトがリザードマンの剣を弾き、アキトがテツオに声を掛けた。テツオもするべき行動を理解しており、すぐさま敵の懐に飛び込む。
残り僅かとなったHPを、一撃で削り取る。肉が抉られる音と同時に、硝子が割れるような音がモンスターの四散と共に鳴り響いた。
同時に、レベルアップのファンファーレが鳴り響き、テツオは嬉しそうにガッツポーズを作る。そこにケイタ達が集まって、自分の事のように喜び、祝福し合った。
レベルが上がったテツオの肩に腕を回したダッカーが、グリグリと彼の頭に拳を捩じ込む。そんな茶化し合いを、サチ達は笑って見ている。キリトもその輪に近付いて、彼らとハイタッチを交わしていたのを、アキトは目を細めて見つめていた。
こうして全員で健闘を称え合う彼らの姿を、もう何度と見て来た。だが、何度見ても飽きる事は無く、何度見ても色褪せる事は無く、何度見ても眩しく見えた。
それをほんの少しだけ距離を空けて眺めていたアキトは、自分が手に持つ黒い刀を見下ろした。その感触を確かめるように、強く握る。
「アキト、お疲れ様」
「っ……うん、お疲れ」
気が付けば、一通り喜び終えたケイタ達が、揃ってアキトの方を向いていた。アキトは慌てて刀から視線を離す。
そのアキトの妙な間に、キリトとサチだけは少しばかり違和感を感じていたが、それを指摘する前にケイタ達がアキトの前へと踏み寄った。
「ここでも随分安定した狩りが出来るようになったなあ」
「もうそろそろ狩場変えても良いかもな」
「……油断はしないようにね。防具は新調したばかりなんだから、慣れるまではまだここでやるよ」
楽観的な発言にピシャリと正論をぶつけるアキト。正論なだけに何も言えない彼らは、『お、おう……』と空虚な発言を音にするだけ。
ケイタはそんなやり取りを見て小さく笑った。
「……けど、確かにそうだよな。装備ばかり整って実力が伴わないようじゃ上に行っても危険だし、アキトは正しいと思う」
「アキトってば心配性だな〜。ま、俺達の事大好きだもんな〜?」
「っ、や、ちょ、違っ……」
「照れんなって〜」
ダッカーに小突かれながら、アキトは顔を赤くする。彼の発言が図星なのだと、その表情が言っていた。それが面白くて、嬉しくて、黒猫団のみんなは互いに声を上げて笑い合う。
キリトが入ってからというもの、《月夜の黒猫団》はかなりの速度でレベルを上げていた。キリトがサポートに徹して、アキトが数少ない前衛の役割を十二分に発揮しているおかげで、他のメンバーがモンスターを倒す事が出来ていた。チームとしての平均レベルは恐らく彼らの実力以上に上がっており、それは攻略の中では過信に繋がる恐れもある。
アキトがその度に慢心は駄目だと注意を促しては初心に戻し、情報収集は大事だと理解させる。レベルが上がったのと、それで実力がついたかどうかはイコールでは無いからだ。
「……」
強くなる──その度に彼らの心に自信が根付く。その度に、慎重に着実に、そうして強くなろうとしていた彼らが変わって来ている事を実感する。
そして、それが本当に良い事なのかどうか、アキトには分からなかった。
レベルが上がって、士気が高まって、いつか攻略組に参加するようになって。もしそうなった時、自分は。黒猫団のみんなは、何か変わってしまっているだろうか。
●○●○
みんなでのレベリングが終わった夕暮れ前、アキトは一人街中を歩いていた。黒猫団が根城にしている《タフト》の街はまだ太陽が沈み始めるより少しだけ明るく、同じようにここを拠点としているプレイヤー達の幾つかはまだ攻略から帰って来ていないのか、いつもよりも街は騒がしくは無かった。
それでもNPCやプレイヤー達は少ない訳では無く、出店で出されている簡単な食べ物を購入しては口に頬張ったり、喫茶店のテラスで笑い合ったりしていた。
黒猫団のレベリングはいつも一定の時間帯に終わらせるようにしている。サイクルを崩す事無く続けて行うのが、実は一番効率の良いやり方なのではないかと思う。黒猫団のみんなはそれに賛成で、何度か休憩を挟むも、開始時刻と終了時刻は決まって同じ時間だった。
そこからは自由時間ではあるが、夜になれば彼らは示し合わせたかのように、いつも一緒に夕飯を食べる。それが決まりという訳では無く、だが誰もが、みんなでご飯を食べたいと思っているのかもしれない。
何より辺りが暗くなる前に終わらせるのが常なので、こうして早めに切り上げては、いつもよりは若干寂しい街を歩く事しかする事が無かった。
みんなで攻略に行った矢先に一人でレベリングしに街に出れば、それこそ黒猫団のみんなに悟られる可能性だってある。
みんなに追い付く為、夢を叶える手助けをする為、そうしたレベルを上げている理由を話さなければならないのはとても恥ずかしい。
「……はぁ」
アキトは変わらず白いコートを翻し、小さく息を吐いた。思い返すは、先程の戦闘の記憶。いや、それ以前から感じていた違和感というか戦い難さだ。
具体的に言うと、後に《
偶然の産物だった《
だがアキトの現在の主武装は刀。刀のソードスキルの殆どは、両手で刀を構える事で発動する為、繋げる事が出来るソードスキルが少ない。要は、戦術の幅が狭くなってしまうのだ。
強くなりたい──その一心でこれまでレベリングして来たアキトが高いのはレベルだけで、能力的にはまだ色々と問題があった。だからこそ他人とは違う能力が強みになると思っていたのだが、それすらも使いこなせないとなると少しばかり危機感を覚える。
(武器、転向した方が良いんだろうか……)
片手剣や、以前使っていた曲刀、短剣や片手棍など、選択の幅は広い。しかし今から武器を変更するというのも中々にリスキーだと言わざるを得ない。
全く知らない武器を手に攻略するには、熟練度も経験も足りな過ぎる。サチも盾持ち片手剣士への転向に四苦八苦しているのだ。サチを前衛にする話は一先ず保留にはなっているが、時間の問題だろう。
ならば、今別の武器にするなどと報告したら、気を遣われてしまうかもしれない。最悪、サチの転向を急ぐなどと言われるかもしれない。
────それだけは絶対に嫌だ。
誰にも言わずに熟練度を上げ、ある程度使えるまで秘密にしていた方が良い。
(……でも)
アキトは背の鞘に収まった黒い刀身を持つ刀の柄を見る為に振り返る。未だ高い場所にある太陽に照らされ、反射してアキトの目が細くなる。
《厄ノ刀 【宵闇】》
不吉な名前を持ったこの刀は、黒猫団のみんなで偶然見付けた、まだ誰も介入を許していないダンジョンの宝箱で入手した、あのタイミングでは正しくレア武器だった刀だった。
みんなで喜び、讃え合った中で、みんなが自分にくれた武器。あの時の感動を、アキトは今でも覚えてる。
そんな大事な刀を蔑ろにして、他の武器を使うのは気が引けたし、アキト自身何処か反対だった。けれど、強くなる為には、みんなを守る為には、選ばなければならない道なのではないかとさえ思う。
それなら。だったら、自分は。
この刀に変わって、どんな武器を使うべきなのだろうか。
「っ……」
────ふと脳裏をチラつくのは、友人の姿。
黒いコートを翻し、彼自身を表すかのように真っ直ぐな片手剣を持った、キリトの姿だった。
初めて会ってから今まで、黒猫団が彼に何度助けられたか知れない。彼のおかげで攻略ペースは上がったし、アキトとの情報も合わさって、効率の良い狩り場でレベルを上げ続ける事も出来ている。攻略組参加への目標は現実味を帯び始め、そう遠くない未来にそれは実現するのではないかというところまで来ている。
アキト自身、それは自分の事のように嬉しい。キリトには感謝しているし、今では親友だと勝手ながら思っている。
初めこそ好印象では無かったものの、時間をかけていくうちに、互いに認め合い、とても良好な関係を築けていた。偶に二人で狩りに出かけたり、何処かの店舗で変わったものを食べたりと、本当に友達みたいなやり取りが多くなっていた。
現実に友と呼べるものがいなかったアキトは──アキトは知らないが、キリトも──友がいたのなら、きっとこんな存在だろうと思っていた。
そして何を思ったのか、ある日突然、キリトがアキトに現実世界での名前を告げた。二人で出店を回っていたなんて事無い昼下がりだった。
目を丸くしてキリトを見ていたアキトに、彼はこう言った。
『自分だけがアキトの名前を知っているのは不公平だろ』と。
それは、いつかこのゲームをクリアした時に現実世界で会おうという、キリトなりのメッセージだったのかもしれない。
アキトは、そんな彼の誠実さというか真面目な部分がとても好きだったし、頼れる存在だと思っていた。
────けれど、それと同時に感じるのは羨望と嫉妬だった。
彼のその強さは、アキトが求めたもの、そのものだった。
誰もを助けてしまえる程の強さ、判断力。そして、そんな彼の周りには、笑顔でキリトに集まる黒猫団のみんなの姿。
その場所は、アキトが求めて止まなかった場所。みんなに、誰かに認められたいと願ったアキトが、ようやく見付けた自分だけの世界。
そこに簡単に入られてしまったようで、アキトはその心に暗い影を落とした。
キリトがそんなつもりじゃないのは分かっている。けれど、彼だって感じているはずなのだ。この《月夜の黒猫団》というギルドが、他の殺伐としたギルドとは違う事を。
その場所は一見ぬるま湯に見えるかもしれない。けれどその実、どのギルドよりも仲間想いで、何処のギルドよりも慎重で堅実、どんなギルドよりも温かい場所だった。
そんな彼らから、アキトは手を伸ばされた。それは自慢出来るもので、誇れるものだった。自分が特別な気さえしていた。
だからこそ、キリトのヒーローのような姿が、とても羨ましかった。
────黒。
何色にも、何者にも変われない色。まるで自分みたいな色。なのに、キリトが身に付ければ、その意味は変わって見えた。
どうして彼と自分はこうも違うのだろう。自分が高いのはレベルだけ。それもキリトには及ばない。反応速度も、戦闘経験も、技術も、その何もかもが彼に劣る。
正に、自分は彼とは正反対。白いコートが皮肉に思えた。
何色にも、何者にも変われる色。なりたい自分になれる、そんな願掛けのつもりで身に付けた色は、ただ目立つだけのもので、その色の意味を全うする事は叶わなかった。
だから黒も────白さえも嫌いになりそうだった。
再び溜め息が零れ、空を見上げた時だった。
後ろから肩を叩かれ、アキトは思わず振り返る。そして、視界に収まった人影を捉え、その目を見開いた。
驚きで言葉が詰まる。
「っ……」
「アキト、今暇だったりする……?」
「さ、サチ……」
そこには、同じギルドの紅一点──サチが笑みを浮かべて立っていた。
●○●○
サチがアキトの前を歩き、早く早くとアキトを急かす。
夕飯までまだ時間があるからと誘われたのは、サチが最近見付けたという喫茶店だった。
なんでも、そこで出されたケーキ、紅茶、珈琲と、何から何まで美味しかったのだと言う。
是非アキトにも食べて欲しいと、サチは少し興奮気味だった。こんな彼女を見るのはとても珍しい。
先程いた《タフト》から離れて最前線の街へ。レベルだけ見ればとても最前線になど赴けはしないが、《圏内》である街中の風景や、それこそ食事などは充分楽しめる事が出来る。
石畳の道を駆け、階段を上る。その足取りや彼女の表情、何から何までがとても魅力的だった。
「こっちだよ。最近見付けたんだけど、本当に美味しいんだから」
「へぇ……そんなにはしゃぐなんて珍しい」
「だ、だって……この世界じゃ食べ物だって娯楽でしょ。料理スキルは上げてるけど、まだ凝ったものは作れないし」
「そ、そんな事無いよ。サチが毎回作ってくれるお弁当、凄く美味しいし」
「そ、そう……?えへへ、気を遣わなくても良いのに」
「ほ、本当だってば」
サチは毎回、攻略の合間の休憩の際にとる昼食の準備をしてくれている。確かに料理はおにぎりやサンドイッチと簡単なものばかりだが、アキトはとても満足していたのだ。
何よりも、サチが作ってくれた。その事実が重要だったし、アキトにとっては、どんな料理よりもお気に入りのものだった。
そんな彼女のお気に入りの喫茶店。そんなものを教えてくれるなんて、とアキトは高揚した。彼女と彼女の大好きなものを共有出来る。それが何とも言えぬ感動をアキトに与えていた。
今上っている階段の上に、その店はあるという。テラスから眺める景色が絶景らしい。ケーキも飲み物も美味で、景色も最高とは、お値段が高いのではと思わせる。
変わらずサチは楽しみなのか笑顔が絶えず、アキトはそれを見ているだけで満たされていた。
「そのお店って、いつも一人で来てるの?」
「うん。他のお店と比べると、ほんの少しだけ高いんだけどね。今はお金も貯めなきゃいけないから、そんなに頻繁には行けないんだけど……誰かと行くのは、今日が初めて」
「っ……」
サチが少しばかり顔を赤くして、ニコリと笑いかける。アキトは心臓を一際大きく高鳴らせ、その顔を朱に染めた。彼女のその言葉を真に受け、それが何度も頭の中で反芻する。
つまり、彼女は自分のお気に入りの場所に、一番最初に自分を誘ってくれたという事。
それは、なんというか、凄く嬉しい。
(……ヤバい……頬が熱い……)
この火照り、彼女にバレていないだろうか。
けれどアキトはそんな事、お構い無しに聞きたい事があった。そんな場所に、他でもない自分を誘ってくれた理由。
「……どうして、俺を誘ってくれたの……?」
興奮を抑え切れず、アキトは小さく呟いた。そんなお気に入りの場所に、他の黒猫団のメンバーではなく自分を誘ってくれた理由が知りたかった。期待したかったのかもしれない。
上りかけの階段でサチは振り返り、下にいるアキトを見下ろす。
「へ?え、えと……っ、それはその……」
サチは目を丸くして、あたふたと目を逸らしたり、短めの髪に触れたりしている。その頬は赤く、照れているのが伺えた。
その行為全てが、サチが告げるであろう次の言葉を期待させる。心臓の音がとてもうるさい。
アキトは再び、息を呑む。
「っ……」
────彼女のその仕草全てが、愛おしかった。
アキトはサチを見上げ、彼女の次の言葉を待つ。風が吹き荒れ、二人の髪を揺らす。
そんな中、サチは口を開き────
「ひ、暇そうだったから……」
────と、目を逸らしながら告げた。
それを聞いたアキトは、すぐに反応は出来なかった。表情は固まり、何も言えず口を開けたままにしていた。やがて意識を取り戻すも、同時に羞恥も返って来た。
「え……あ……そ、そっか……はは……」
とんだ勘違い野郎である。アキトは赤面し俯いた。サチが自分を想ってくれているかもしれないと、そんな幻想を抱いた自分に嫌気がさす。自惚れも良いところだ。
アキトは笑って平静を装うが、小さく息を吐く。サチは変わらず頬をほんのりと染めて、チラリとアキトを見下ろすが、俯いているアキトには気付かない。
だがやがて、サチは小さく笑うとアキトの元まで駆け下りて、彼のその手をとった。
「っ……な、さ、サチ?」
「あそこだよ、アキト!行こう、絶対に損はさせないから!」
サチはそのままアキトを引っ張り、階段を上る。もう片方の指で示された先には、サチのお気に入りであろう喫茶店が建っていた。サチに手を引かれるなんて、珍し過ぎる行為に目を丸くしつつも、アキトは頬を赤くした自分の顔を、悟られない様にするのが精一杯だった。
その中は、現実世界の喫茶店よりも少しばかり豪華に飾った様な空間だった。懐かしささえ感じるその場所を、アキトは何度も見渡した。
店の雰囲気、店員NPCの服装、その何もかもが、帰りたいと誰もが思う世界にピッタリ当てはまる様だった。
室内にはプレイヤーが少なからず存在し、ひと時のティータイムを楽しんでる様だった。
サチに促されるままに室内から飛び出し、移動した先はテラスだった。高い位置にあったこの喫茶店から見える景色は、とても綺麗なものだった。陽の光でキラキラと近くの池は反射し、石造りの建物は等間隔に建てられていて。
風が丁度良い強さで頬を撫で、植物達が活力を取り戻したかの様に揺れ動く。
「……っ」
「……どう?」
「想像以上に、その……凄いや」
他に言葉が出て来ない程に魅入ってしまったアキト。そんな気の抜けた返事に、サチはクスクスと笑う。
そのまま近くのテーブルへと腰掛け、サチは食べたいものを選ぶ為に、表示されたレシピを指でなぞっていく。
「今日は……うん、これかな。アキトは?」
「えと……この店は何がオススメなの?」
「チョコレートケーキが評判だよ。私も食べたけど、凄く美味しかった」
サチがそう言って楽しそうに笑う。彼女のお墨付きなら、とアキトは考える間も無くチョコレートケーキを選択する。
後はこれに合わせる飲み物だが、流石に甘いケーキに甘い飲み物はくどくなるだろう。
そうしてメニューをスクロールしていき────
「アキトは珈琲だよね」
「っ……!」
────彼女のその発言でアキトの指が止まった。メニューから視線を外して顔を上げる。サチが正しく自分が頼もうと思っていた飲み物を言い当てたのだ。
思わずその目を丸くする。サチはそんなアキトの様子を不思議に思ったのか、キョトンと小首を傾げていた。
「……良く、分かったね」
「え?……あっ、珈琲の事?だってアキト、いつも飲んでるじゃん」
アキトが驚いていた理由を理解したサチは、そんな事かと言わんばかりに軽くそう返す。
確かに何でもない事かもしれないけれど、彼女が自分を見てくれているというその事実こそが、アキトにとって重要だった。
そんな何気無い一つ一つの積み重ねが、アキトの想いを募らせる。目の前の彼女と二人きりのこの状況なら、尚更だった。
可笑しな話だ。先程まで、武器の転向だとか、キリトへの嫉妬だとか、そんな事ばかりを脳が占めていたのに。
今では脳細胞、全神経、五感全てがこのひと時の為にフル稼働している気がする。
こうして対面して会話しているだけでここまでとは、なんて現金な奴なのだろうと、アキトは苦笑いするしかない。けれど、そんな単純な奴だったとしても、この時間は大切にすべきものだと思った。
楽しい時間ほど、時間が進むのが早く感じる。この時間が、もっと、もっと、長く続けば良いのに。
「お待たせしました」
「あ、来たよ」
NPCがこちらまで歩いて来て、手に乗せていたトレイから、ケーキ
飲み物をテーブルへ一つずつ並べていく。
サチが頼んだのはフルーツの乗ったタルトと紅茶だった。サチは目を輝かせ、写真を撮りたいくらいに綺麗だとか、食べるのが勿体無いだとか言って中々手を付けないくらいにはしゃいでいて。
アキトもそんな彼女が可愛らしくて、思わず笑みが溢れる。
「じゃあ食べよっか」
「……うん」
彼女にそう促されるままに、自分の真下にあるものに視線を落とす。チョコレートケーキと珈琲。言わずがもがな珈琲は黒く、深い色をしていた。
そして、チョコレートケーキも黒。想像していたよりもずっと黒くて、反射的に先程考えていた事が再び胸に去来する。
────“黒”は拒絶。お前はお前なのだと、変われないのだと、そう突き付けて来る、深い、深い闇の色。
「……」
「……アキト?食べないの?」
「え?」
思わず顔を上げる。タルトに手を付けていたはずのフォークを下ろし、こちらの様子を伺っている。
ケーキとアキトを交互に見ては、不安気に眉を顰める。
「ずっとケーキ見てるから……何か嫌いなものとか入ってた?」
「えと……思ったよりも黒いな、って……」
「……ああ、甘さ控えめのビターな感じが売りなんだって。もしかして苦手なの?」
「ああ、いや、違くて……」
黒い色を見て先程まで考えていた劣等感を思い出した、などと想い人に言える訳も無く、大した事じゃ無いと首を振る。
しかし、サチはアキトの様子が気になるのか、最早タルトなど見てはいなかった。じっと真っ直ぐにアキトを見据えており、そんな彼女の行動にアキトは顔を赤くする。
「そ……そんなに見ないで……」
────乙女か。
そんな発言だけして顔を逸らす自分が情けない。
「え……あ……ご、ゴメン……」
しかしサチも思い出したかのように顔を赤くする。恥ずかしいのは自分だけじゃなかったと安心した。
自分がキリトに嫉妬してました、なんて情けない事はとてもサチには言えない内容だった。絶対に言いたく無い。
けれど、彼女を心配させるような事はしたくなかった。
「……その、ケーキと珈琲の色を見てたら、ちょっと引っかかってさ。本当に大した事じゃ無いんだけど」
「色?……黒いと何かあるの?」
「い、いや全然?ちょっと好きじゃない色だなって思っただけだよ。そんな事より早く食べよう」
アキトは自分でも何を言っているのか馬鹿らしくなってきた。
チョコレートケーキと珈琲を見ただけでそんな事を考えてました、とかちょっと想像力豊か過ぎて気持ち悪いし、頭おかしい。アキトは自分が恥ずかしくなってきて、それを取り繕うべくケーキを頬張る。
甘過ぎないビターなチョコレートクリームがスポンジと共に口いっぱいに広がる。ほろ苦いが、決して珈琲と合わない訳じゃ無く、甘過ぎず苦過ぎないおかげで寧ろ絶妙にマッチしていた。
この組み合わせで良かった、とアキトは誤魔化す様にもう一度ケーキへと手を伸ばし────
「私達、月夜の“黒”猫団なんだけど」
────カシャ、と皿の上にフォークを落とした。
瞬間アキトは顔を青くする。慌てて顔を上げれば、そこには不満気に頬を膨らませるサチの姿があった。
黒が好きじゃない────アキトのその発言は不本意ながら皮肉にも、自分の所属するギルドの名前にケチを付ける形になってしまっていた。
それも、自分を誘ってくれたメンバーの目の前で。
「っ、ち……違っ、ちがくて、別にギルドの名前を遠回しに馬鹿にしたとかそんなんじゃなくて!その、黒って色が暗いイメージだから個人的に……ってああ、そうじゃない……っ、ああそうだ、このケーキ黒スギィ!って思っただけだって!」
「……」
「……その、そんなつもりじゃなかったんだけど……ゴメン」
どんどん墓穴を掘っていくスタイル。アキトは己が心底嫌になった。
たかがケーキの色が黒かったからなんだと言うのだ。気持ちが悪い。そんな事、大体彼女に話す必要なんてなかったじゃないか。キリトに対する嫉妬も、彼が身に付ける黒い色が好かないことも、全部自分が非力だからじゃないか。
寧ろ真っ白のコートなんて目立つものをを着て実績ゼロの自分こそが恥だ。キリトへの嫉妬は単なる八つ当たりだ。
親友にそんな感情を抱くなど、最低だ。しかもサチにその切り口を話したせいで彼女にこんな顔をさせてるだなんて。
そうして一気に変な空気になってしまった事に対する謝罪を込め、アキトら頭を下げる。
折角誘ってくれたのに、こんな自分のコンプレックスを吐露して、そんなつもりは無いが黒猫団を馬鹿にする様な事を口にした。
もしかしたら、話せば彼女が自分を慰めてくれるかもしれないと、そんな下心が無意識の内に芽生えていたのかもしれない。
それすらも恥ずべき事だ。目の前の彼女は単なる同じギルドの仲間で、そんな想いはするべきじゃないのに。
そうして、アキトは顔を上げる。真っ直ぐ目の前にいたサチの顔は、もう不貞腐れたそれではなかった。
「……フフッ」
それどころかアキトの弁解が面白かったのか、クスクスと小さく笑っていた。それを見たアキトも、揶揄われただけだったのだと知り、安堵の溜め息を吐きつつ、小さく笑った。
そして、柔らかな雰囲気の中、サチが囁く。
「私は、アキトは黒、似合うと思うな」
「っ……」
その一言に、思わずサチへ向けるその瞳が開かれる。サチはニコニコしながら、紅茶へと手を伸ばしていた。
きっと彼女は、何気無くそう呟いたのかもしれない。他に理由など無い、単なるお世辞なのかもしれない。
アキトは小さく笑ってから口を開く。
「……別に服とか装備の話じゃないよ。その、色からイメージするものっていうか……暗い闇、みたいで……他のどんな色にもなれない。負のイメージが強くってさ……」
そして、まるで自分みたいで。
彼らと初めて出会った頃こそ、どうせみんな死ぬのだと思っていたのに。頑張っても、意味なんて無いと思っていたのに。
けれど、みんながあまりにも頑張るから。些細な事で喜んでくれるから。こんな自分を気にかけてくれるから。
だから自分も、彼らに応えたいって、そう思って。強くなろうって思って。
けれど、そんな努力を知られたくなくて。夜な夜なみんなに隠れてこそこそとレベル上げに勤しんで。それでもキリトには追い付けなくて。ただ、この胸には虚無感が生まれていた。
そんな自分が、黒という色ととても良く似ていた。自分と対称的な色の装備をしたキリトが現れたからこそ、その装備の色が気になるようになった。
何もかもかなわない。だからこそ、キリトの劣った部分を無意識に探そうとして、まるで難癖を付けるかの様に、その色ばかりを思い出して。
それ以上何処にも行けない、深く暗い闇の色。拒絶の色。けれど、キリトがそれを身に纏えば、それは個性にさえ思えた。
それを思い出して表情が寂しさを漂わせる笑みへと変化する。
けれど、対称的にサチは得意気な表情でアキトを見据えた。
「けど、何色にも変わらないって、結構凄い事なんじゃないかな。だって、何をされても絶対に変わらないんだよ?……誰に何を言われても、絶対にこの気持ちは変わらない……そんな意志を持ってるみたいで……って、色の話だよね、えへへ」
「……」
────何をされても揺らがない、不変の意志。
アキトは、サチの告げた黒のイメージを聞き、何かが崩れるのを感じた。
「ねぇ、知ってる?黒って、光を吸収するんだって。熱とか、他のエネルギーを吸収しやすいから、他の色よりも温かくなるらしいよ」
「……急に、何」
「だから、黒はあったかい色だって事。きっと暗いだけじゃなくて、もっと色んなイメージがあると思うんだ」
サチはテーブルの上に置いた掌を拳に変え、絞り出す様な声で、小さく囁いた。
「……あったかくて優しい……アキトみたいだね」
「っ……なっ……!?」
突如、アキトはこれでもかと言う程にその顔を赤く染めた。サチは顔を赤くして、こちらをチラチラと伺っている。そんな不意打ちは、狙ってかは知らないがアキトをショートさせるには充分だった。
アキトはフラフラとする脳を律し、ブンブンと首を振る。顔は未だに赤いが、それでもサチが言ってくれた一言が、とても心に残った。
消えてくれない。焼き付いて離れない。
「サチ……その、俺、さ……」
「う、うん……?」
「……」
「……」
「……な、何でも無い。た、食べよっか」
「っ……う、うん、そうだね」
何も言えない生粋のチキンであるアキトは、誤魔化す様に下手くそに笑うと、チョコレートケーキに手を伸ばす。サチも照れたのか急ぐようにフォークをタルトへと持っていく。
羞恥を誤魔化す様に慌てて食べているアキトの鼻の頭には、生クリームが付いていて。
サチはそれを見てれ面白可笑しく笑う。
アキトもそれに気付き、彼女と共に笑った。
気不味い雰囲気は、既に消えていた。
黒が似合う────そう言ってくれた。
嫌いなはずの色だった。
なのに、サチがそう言ってくれた、それだけで。
少しだけ、いや────
────今後、かなり好きになるかもしれない。
アキト 「……凄く美味しい……」(感動)
サチ 「えへへ、良かった……ちょっと頂戴っ!」
アキト 「え、あっ!ちょ、何するの!」
サチ 「良いじゃん別にー。あ、私のひと口あげるよ。はいっ」
アキト 「へ……?あ、いや……」
サチ 「?何?」
アキト 「……えと、直接は、その……」
サチ 「……ぁ」
アキト 「……」(///_///)
サチ 「っ〜〜~」(///_///)
END√(辿る道にさほど変化はないが、導く結果は変化する)
-
√HERO(キリトが主人公ルート)
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√BRAVE(アキトが主人公ルート)
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√???(次回作へと繋げるルート)
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全部書く(作者が瀕死ルート)