ソードアート・オンライン ──月夜の黒猫──   作:夕凪楓

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幼き日の理想は、今は無き夢幻。







『強がり』を『強さ』に

 

 

 

 

 あれだけいたはずのゴーレム達を退けるのに、思ったよりの時間はかからなかった。

 互いに互いの隙を補うように行動した結果、効率良く的確に敵を倒す事が出来た。それは、今までに感じた事の無い程にスムーズに進んだ狩りであり、キリトもアキトも、互いの技量に驚くばかりだった。

 

 迷宮区での狩りは予定通りそこで切り上げ、アキトとキリトは深夜帯の誰もいない暗い街並みと右手に広い草原が渡る中、黒猫団が眠っているであろう宿屋に向かって歩いていた。

 並んで歩く二人の間には一定の距離があり、会話も無い。キリトが気不味さを感じつつも、なんとなくこのままでも良い気がして来た頃だった。

 アキトがウィンドウから何かを取り出し、キリトに向かって放ったのだ。

 

 

 「はい」

 

 「え……うおっ、と……」

 

 

 アキトによって無造作に投げられたそれを、慌てて受け取るキリト。

 両手で抱えたそれを見下ろすと、そこにあったのは現実世界で何度も見た事のあるものだった。

 パン生地の間に挟まれた野菜と肉の香りがキリトの鼻を刺激して、途端に空腹に見舞われた。

 目を見開いたキリトは、自然とその名を口にした。

 

 

 「これって……ハンバーガー……?」

 

 「うん」

 

 

 あっさりとそう答えたアキトは、自身のハンバーガーを口に入れた。

 キリトはそれをまじまじと見た後、再び手元のハンバーガーを見つめると、恐る恐る口に含む。

 

 

 「っ……美味い」

 

 「良かった」

 

 

 アキトは小さく笑うと、キリトより前へと出る。歩きながら食べていたら落としそうなので、逐一周りを気を付けながらお互いにハンバーガーを口に入れた。

 キリトは想像以上の美味しさに食べる速度が上がっていた。

 

 

 「料理スキル、持ってたんだな。知らなかったよ」

 

 「……特に、言ってなかったから」

 

 

 アキトはそう言ってあさっての方向へと顔を逸らす。まだ太陽すら昇らない東の空を見つめて、ポツリと呟いた。

 

 

 「……知らない事よりは、知ってる事が多い方が良い気がするし」

 

 

 それは、嫉妬するばかりだったキリトに対して、アキトが感じた事だった。自分を助けてくれたあの姿、求めていた理想の形が、届くかどうかも分からない目標として明確に自身の前に現れた。

 そんな彼に自分がすべき事、出来る事、それは少ないかもしれないから。

 だが、予想以上にキリトは食い付いた。

 

 

 「じ、じゃあさ、あの技について教えてくれよ」

 

 「え……技?」

 

 「ほら、あれだよ……刀スキルと体術スキルをスキルの硬直無しで連続して使ってたじゃないか。どうなってるんだ?」

 

 

 興奮冷めやらぬ感じで迫るキリトに、アキトは唖然とする。

 彼が言っているのは、先程赤髪の少女を助けた後のゴーレム達との戦いでアキトがみせた技の事だった。

 後に《剣技連携(スキルコネクト)》と称されるシステムを度外視したスキル、完全なプレイヤースキルだった。

 一見すれば、連撃数の多い未知のソードスキルに見えるだろう。だがキリトは、あれが刀と体術スキルの複合である事を既に見抜いていたのだ。

 アキトは戸惑いながらも、キリトのその興味津々な態度に、苦笑しながら説明した。

 

 

 「どうって……キリトが今言った通りだよ。刀スキルと体術スキルを無理矢理繋げる事で、その間の硬直をキャンセル出来るんだ。SAOのシステムやスキルとは関係無いよ」

 

 「……って事は、正真正銘アキトが編み出した技って事か……」

 

 「そ、そんな大層なものじゃないよ。出来たのは偶然だったし……」

 

 

 そう、出来たのはほんの偶然。

 このソロでのレベリングを始めた頃まで遡る。初心者の癖にそんな危険な事をしたツケが割と早い段階で回ってきたのだ。分かり易くいうと、迷宮区でゴブリンの軍勢に襲われたのだ。

 当時曲刀を使っていたアキトは、360度見渡す限りにゴブリンがいる状況に、恐怖どころか絶望感すら覚えていた。

 迫り来るゴブリン達を薙ぎ払いながら逃げようとする中で、鍔迫り合いになったアキトの背中を狙ったゴブリンがいたのだ。相対していたゴブリンをソードスキルで吹き飛ばしてしまったのが運の尽きで、硬直のせいで恐らく背中のゴブリンの攻撃は避けられない、という状況だった。

 その時、無我夢中で身体を動かそうとしたアキトに答えるように、体術スキル《閃打》が発動、左手はしなやかにゴブリンの顎を砕き、後方まで吹き飛ばしたのだった。

 なんて事は無い、これが出来たのは自身の身の程を弁えなかったアキトが偶然生み出したものだったのだ。

 

 それを聞いたキリトの顔には同情の色が見えたが、やがて腕を組むと考えるように唸った。

 

 

 「……そうだったのか。けど、硬直が無いっていうのはかなりの強みだよ。いや待て、それを使えるようになれば無限にスキルが打てるって事か……!」

 

 「えっ、いや、どうだろ……やった事無いよそんなの……」

 

 

 キリトの空回りそうなやる気の程にアキトは頬を掻く。けれど、自分が身に付けた技術にここまでの反応を貰えるとなんとなく嬉しかった。

 

 

 「でも、凄いな」

 

 「え?」

 

 「さっきの戦闘でそれを使ったって事はさ、偶然で生まれたものを使えるようにしたって事だろ?」

 

 

 確かにそうかもしれない。

 たった一度だけなら、何かの偶然やバグの可能性だって視野に入れたはずだ。けどアキトが初めてそれを発動させた時、もしかしたらと思ったのだ。

 もし偶然なんかじゃなかったら、と。そんな浅はかで小さな欲が、努力の末に使えるようになった。

 どうして、そんな事が出来たのかと問われれば。きっとそれは、現実世界にいた頃の自分とは決定的に違う存在が出来たからだと、そう答えられる気がする。

 

 

 「……出来る事はさ、何でもやりたかったんだ」

 

 

 自分が、拾ってくれた黒猫団に出来る精一杯の事を。

 前衛を頼まれれば引き受けたし、狩りに誘われれば必ず手伝った。手に入れた装備は分配したし、ギルドホームを買いたいという意思を知った日から資金集めも始めた。

 重いと言われても構わなかった。彼らの力になりたかったから。

 だからこそアキトは、この硬直無しでスキルを放てる技術がものに出来たのなら、きっとみんなの助けになると思ったのだ。硬直で動けない間に誰かが殺されたりしたら、そんな些細な不安ですら彼らに感じさせたくなかったから。

 小さな事だっていい。初めて手にしたものだからこそ、今後手に入るか分からないその大切なものを、手放したくなかったから。

 

 

 「……アキト」

 

 

 キリトはそんな彼の言葉を聞いて、その足を止めた。

 不思議に思って振り返ったアキトの瞳に映るのは、意を決したような表情のキリトだった。

 

 

 「……今日、一緒に戦ってさ……アキトがそうまでして強くなりたい理由が分かった気がするよ」

 

 

 アキトは何も言わずにキリトを見る。同じくらいの年齢で、同じくらいの身長のその少年は、ただ悟ったように、アキトを見ていた。

 

 

 「君は、誰かの為に強くなりたいんだな」

 

 「……誰かっていうか……黒猫団のみんなかな」

 

 

 アキトはそう言っているが、キリトには分かってしまっていた。

 彼がしている行為、ソロでのレベリングの目的が、自分と全く違っていたという事を。それは先程、赤髪の少女を即座に助けに走ったアキトの姿が物語っていた。

 自分よりも他人の為に、それも顔も知らない彼女に向かって真っ先に駆け出したあの行動力。キリトはそれを見て唖然とした。

 まるで、自分の命の危機よりも彼女が大切だと言わんばかり。キリトは驚きで心が揺れた。誰かの為に動ける、彼の存在に確かに困惑したのだ。

 

 その心根が、その意志が、自分とは何もかもが違っていたから。

 

 攻略組を攻略組足らしめているモチベーションは、数千人のプレイヤーの頂点に立つ最強の剣士で有りたい、有り続けたいと願う執着心自体だ。

 トッププレイヤー達が、手に入れた情報とアイテムを中層プレイヤーに提供しないのがその証拠だ。それが成されるだけでプレイヤー全体のレベルが底上げされ、攻略組の戦力も増加するというのに。要は、誰しも常に自分が最強でいたいのだ。

 キリトも例外ではなかった。黒猫団に入った後も、深夜になると宿屋を抜け出し、最前線に移動してソロでレベル上げを続けていたのだ。今回は、アキトが《圏外》にいる事を知った為、アキトがいるその層に足を踏み入れた訳だが。

 もしかしたらアキトも、自分と同じなのかもしれないと、そう思ったから。

 アキトも深夜にこうしてレベリングしているのを見て、キリトは思ってしまったのだ。

 

 彼は黒猫団を出し抜いて、こうしてレベリングしているのではないか、と。

 そう考えてしまったキリトは、アキトに対して苛立ちを感じてしまっていた。黒猫団のような雰囲気のギルドなんて、きっと何処にも無い。アキトのしている行為は、ギルドに入っている以上は裏切り行為に等しかった。

 それはキリトに言えた事じゃない。だから、これは同族嫌悪だったのだ。

 

 だがアキトは、そんな理由でレベルを上げている訳ではなかった。

 彼が強くなる理由は、決して最強になりたい、そんな独り善がりなものではなかったのだ。それは、あの時の行動で感じ取れた。

 

 

 「……どうしてそこまでするんだ?」

 

 「……初めての仲間だから、勝手が分からないのかな。でも、大切にしたいって思ったから……」

 

 

 アキトは遠くを見つめるように、その暗く広がった空を見上げて目を細めた。懐かしむように、笑って口を開いた。

 

 

 「黒猫団のみんなと出会ったのは、ゲーム開始時の《はじまりの街》だったんだ。あの時、顔も名前も知らなかった僕達の間には、信頼関係なんてあるはずが無かった。なのにみんなは僕にとても良くしてくれて……その反面、どうして僕を誘ってくれたのかが、怖くて聞けなかった」

 

 「……そう、なのか」

 

 「みんなの目標は“攻略組への参加”。だけど、決して焦ったりしない。情報収集は欠かさないし、着実にレベルを上げて、何より仲間の安全が第一。足でまといもいい所だった僕なんかに……右も左も分からない僕なんかに、みんなは一生懸命教えてくれてさ」

 

 

 入った当初は、全く信用出来なかった。

 こんな臆病な自分をパーティに入れる目的が分からなかったから。いざ逃げる為の囮なのかと考えた方が納得出来た。それなのに彼らはそんな素振りなど一切見せない。

 いつしか、本当に仲間なんだと、そう思わせてくれたのだ。現実世界で孤独だった自分に、その大切さを教えてくれた。

 

 

 「だから思ったんだ。何も知らない僕をみんなが引っ張ってくれたように、僕も、みんなを引っ張れたら……は烏滸がましいかな……みんなを助けられたらって」

 

 「……」

 

 

 キリトは、頭を鈍器で殴られたような衝撃を覚えた。アキトという少年の強さの渇望には、自分と違う、それでいて眩しい理由があったから。

 

 彼が黒猫団のみんなより強くなろうとしたのは、彼らと対等になろうとしたから。彼らがアキトに尽くしてくれたように、アキト自身もみんなの力になりたかったのだ。

 初対面であるにも関わらず、知らない人間をパーティに引き入れてくれた彼らは、明らかに優しく、そして強い。だからこそ、アキトも誰かに手を差し伸べる事が出来る彼らのような強さを身に付けて、いつか黒猫団の力になりたかったのだ。

 いつかみんながレベリングするであろうフィールドに先行して知識を身に付ける事で危険を減らし、たとえ高レベルのモンスターに囲まれたとしても、みんなを守ってあげられるように。

 そんな些細な危険でさえ、自分が守れるように。そんな、自己犠牲にも似た欲望が、アキトの行動原理になっていたのだ。

 

 このデスゲームで。死が現実となるこの世界で。

 自分の命が、死にたくないと願うその行動原理が、この世界で生きていく中で何よりも大切だったはずなのに。

 

 

 どうして。

 どうして、そんな事が出来る────?

 

 

 「っ……」

 

 

 キリトには、かつての光景が脳裏に張り付いていた。ゲーム開始時、クラインを置いていった自分の惨めな姿が。自分一人が強くなろうとした行動全てが。誰よりも強く、何よりも自身の命。

 そんな自身の浅ましい姿は、目の前の少年とは明らかに違っていて。

 

 

 ────そうか。

 

 

 キリトは、アキトの事を褒めちぎっていた黒猫団のみんなを思い出していた。何故、彼らはアキトの自由行動を認めているのか。

 それはひとえに、アキトが黒猫団のみんなの事を誰よりも考えて、自分なりにみんなを助けようと奮闘し、彼らに近付こうとアキトが努力している姿を知っているからだ。

 アキトの人付き合いが苦手で、自分達と距離を置いているように見えるその裏側で、彼がみんなを守れるように、力になれるようにと考えてくれているから。

 だから彼らはこうも温かく、キリトは羨ましく思えたのだ。

 

 

 もし、あんな彼らの視線が、アキトに対する感情が。

 自分にも当てられたなら。

 

 

 自分も、アキトのようになれたのなら。

 

 

 「……君は……凄い、奴なんだな……」

 

 「えっ……な、何、急に……」

 

 

 キリトの俯きがちに告げる言葉に、しどろもどろなアキト。照れ臭そうに目を逸らす彼の目の前で、キリトは拳を握った。

 他人の為に自身をすり減らせる彼が、黒猫団のみんなに取ってかけがえのない存在であるアキトが、とても羨ましかった。

 

 羨望だけじゃない。これは嫉妬だ。

 自分に出来なかった事が、アキトに出来るという事実。自分には無い力を持っているアキトに、キリトは悔しさを感じていた。

 そしてその奥底、根底にあったのは、確かな憧れ。

 

 

 自分も、アキトのようになれたなら────

 

 

 

 

 「……俺も」

 

 「……え?」

 

 「……俺も、君達を守れるくらいに、強くなるよ」

 

 

 キリトは面と向かって、アキトにそう告げた。アキト自身は目を丸くしてそれを見ていたが、キリトは真剣だった。

 

 《月夜の黒猫団》

 

 キリト自身の居場所にもなった優しい空間。守りたいと思ったのはアキトだけじゃない、自分もなのだ。

 そしてこれは、キリトのアキトに対するライバル宣言のようなものだったのかもしれない。

 お前には負けないぞと、そんな子どものような感情だったのかもしれない。

 けれど、アキトは驚いた表情を見せた後、すぐに柔らかく笑った。半ば挑戦的に口元を緩め、キリトを真っ直ぐに見据えた。

 

 

 「僕も、キリトに頼って貰えるように頑張るよ」

 

 「っ……アキト……」

 

 

 キリトのその態度にも、アキトは優しく笑うだけだった。けれど、その言葉には確かな意志が込められ、目標として掲げられていた。

 キリトは知らないが、アキトこそ、キリトに憧れていたのだ。先程少女を助ける為にゴーレムと共に戦った時から感じていた。自分をゴーレムの攻撃から守ってくれた。ゴーレムを倒す強さ、反応速度。それらはアキトがなりたいと感じる存在に必要なものだったから。

 目の前で自分を助けてくれた彼は、まさにヒーローのようで。

 アキトは、キリトに僅かに嫉妬していた。

 

 だからこそ、そんなキリトに頼って貰えるような自分になれたら、ときっと心ではそう思ったのだ。

 それは今はまだ不可能かもしれない。ただの強がりかもしれない。

 けれど────

 

 

 「今はまだ『強がり』だけど、いつかは『強さ』に変えてみせるから」

 

 

 アキトはキリトに、そう言葉を紡いだ。キリトは何も言わずに、アキトを見つめていた。自分とは対称的な白いコート。蒼い透き通る瞳が、キリトを見据えていた。

 そんな彼の言葉に、キリトはまた、想いが募る。

 あれだけ戦えるようになっても尚、彼は強くなりたいと願う。

 強さを求めるのは、いつだって誰かの為。

 自分の事しか考えて来なかったキリトにとって、その時のアキトはとても眩しく、遠い存在に見えた。

 

 キリトは、誰かの為に強くなろうとするヒーローのようなアキトに憧れを抱いた。自分に出来なかった事をする彼に、嫉妬を覚えた。

 

 アキトは、誰かを簡単に助けられる程に強い、ヒーローのようなキリトに憧れた。自分のなりたかった存在として、自分よりも先に黒猫団の前に現れた彼に、嫉妬を覚えた。

 けれど同時に、安心したのだ。自分が強くなるまでに、黒猫団の事をキリトが守ってくれる。そして、自分も強くなれば、二人で黒猫団を支えていけると思ったから。

 そしていつしか、キリトにも頼って貰えるような存在になりたいと思った。

 

 

 これは、互いに惹かれ、互いに憧れた二人の剣士の。

 互いに互いを目指した、そんな物語。

 

 

 けれど、終わりは確実に近付き始めていて。

 

 

 雪が降るのは、もうあと少し。

 

 

 








アキト 「……さっきの彼女、ちゃんと帰れたかな」

キリト 「街の名前で転移結晶使ってたから、大丈夫だと思うよ」

アキト 「……それなら、良かった」

キリト 「ああ、そうだな……」

アキト 「うん……」

キリト 「……」

アキト「……」

キリト 「…………」

アキト 「…………」


キリト・アキト (か、会話が続かない……!)


END√(辿る道にさほど変化はないが、導く結果は変化する)

  • ‪√‬HERO(キリトが主人公ルート)
  • ‪√‬BRAVE(アキトが主人公ルート)
  • ‪√‬???(次回作へと繋げるルート)
  • 全部書く(作者が瀕死ルート)

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