助けようと思ったのは、仲間だったから。
話を聞こうとしたのは、同じ時間を共有した友達だったから。
────殺そうとするのは、それらが全て綺麗事に過ぎなかったから。
────墓にも似た色彩を纏う、迷宮区の最奥。
幾度と無く立ち会ったこの場所が、今は中心で眠る人物を埋める墓石に思えた。かつて一度も見た事の無い絶望へと様変わりしている。
攻防の果てに起きた爆風。その黒煙を払い除ける事もできずに、その身を引き摺りながら中心へと移動する、亜麻色の髪の少女。
装備が削れる事にも、自身の両脚が消し飛んでいる事にも構わず、必死に歯を食いしばってずりずりと這うように向かう。黒騎士は先程の攻防の後、壁に凭れるように倒れたまま動く様子も無い。それさえも、今の彼女には関係無い事だった。
ただ、その黒煙の先────中心にいるであろう人物をこの目で確認する、ただそれだけの為にその身を這い蹲ってでも動かしていた。
「……ァ、キトくん……っ」
自分でも、心臓の音がうるさく聞こえる程に恐怖している。彼の姿が未だ見えない事に恐怖すら感じた。呼吸が次第に荒くなり、胸が苦しくなっていく。
瞳が、視界が右往左往する。見渡す先の何処にも、彼の姿が無い。
───もっと中心へ。彼に、早く会いたい。
次第に薄れていく黒煙の中で、僅かに視認できる惨状。踏み抜かれた床の多くは亀裂で砕け散り、所々破片となって乱雑に転がっているのは黒騎士の纏っていた鎧の一部。砕かれた刃や、散っていた数多の命が残した盾や槍の数々。その先で、黒騎士が手にしていたであろう大剣が中心で砕かれ、折れていた。
たった一体で攻略組を蹂躙したその巨人をここまで瀕死の状態にさせた事実。それはこれを引き起こした人間が、どれほどの力と、勇気と覚悟をもって戦ったのかという証左であった。
その光景を生んだ功労者であるところの、二振りの剣。紅と蒼の双剣。かつて勇者の相棒として光を放っていたそれは、幾度と無い斬撃を作り出し、敵を滅ぼし──しかし、道半ばで持ち主に手放され、今は乱雑に放り出されたそれは刃こぼれが酷く、もう何者も斬る事の無い鈍と化していた。
そして、それを両手に奮戦していたと思われる『勇者』は、
そこに、いた。
「────アキ、……」
──その身を夥しい数の刃に貫かれ、突き立てられ。
左眼を抉られ、至るところを損傷し、血溜まりにも似た紅いエフェクトで全身を満たし、死んだように目を瞑っていた。
「────……ああ」
彼の、数えられない程の傷の多さを見ればわかる。
守る為に戦い、救う為に抗い、その刃を自分以外の者にまで向けようとした悪意と。そして奮戦し、幾度も剣戟を打ち返し、傷だらけになって、いくつもの刃を打たれ、武器も、戦う為の“眼”も失い、それでもなお抗い───死んで、いるように見えた。
「……こんなところにいたの……アキトくん……」
黒を基調としたロングコートはあちこち裂かれ、穴が空き、至るところから赤黒いエフェクトがその身を抉り、変色していた。
目を背けたくなる程にアキトの身に突き立つ凶器。ストレアの手にしていたものとほぼ同じ剣を模したようなそれは、彼の体躯に両手の指で足りないほどの本数が打ち込まれていた。
さらに唾棄すべき事実として、それだけの剣が突き刺さっているにも関わらず、倒れるアキトの体に残る傷跡はそれよりもずっと多かった。
「……っ」
────涙が、出そうになった。
何度も、何度も、何度も。
戦い続ける彼の身体に刃を突き刺し、引き抜き、また貫き。優しいだけの彼を痛めつけ、命を弄び、尊厳を凌辱し、生き様を侮辱し、そして突き立てて、消えない傷を残して。
そうまでされる罪が、彼のどこにあったというのか。
何を考えて、ストレアは彼をこんなにまでしたのだろうか。彼の何が気に食わなかったのだろうか。最後まで手を差し伸べようとした彼の、何が気に入らなかったのだろうか。
彼はいつだって優しくて、一生懸命で、努力家で、聞き上手で、辛いのが苦手で、面倒見が良くて、儚げで見とれてしまいそうな微笑みが素敵で。
でも時に後ろ向きで、苦しい時は人知れず辛そうな顔をして。だけど決して周りに頼ろうとしなくて、一人で全てを守ろうとして。
仲間想いで、ずっと罪の意識に苛まれて、でも少しは仲間を頼る事を知り始めて────。
漸く、アスナが見たくて堪らなかった本当の笑顔を、少しずつ見せ始めてくれていたのに。
アキトは、どれだけ揺すっても動かない。仮想世界にも関わらず、死体のように冷たくなってしまった身体に触れる。ずっと触れてみたかった、女性のようにきめ細やかで白い肌は、斬撃を浴びて深く傷が刻まれている。
仰向けに倒れる彼の顔は、永遠に覚めない眠りに入っているように見えて、アスナにはその顔を直視する勇気がなかった。
それでも。
「……ねえ……アキト、くん」
「────」
一筋の涙が、両眼からすうっと零れ落ちる。這い蹲って辿り着いた彼の隣りに横たわって、その頬に触れた。熱も何も感じない、無機質な肉塊のようで。
「あきとくん」
「────」
その名を、呼んでも。何も、反応がない。
その身はそこに在るのに。光となって消えていく訳でもなかったのに。そこに魂が宿ってないのだという事を、確信してしまう程に生々しくて。
「なに、してるの……はやく、おきなよ」
「────」
想いを馳せるように。抱えていたものを吐き出すように。秘めていたものが、押さえつけてなきゃいけなかった感情が、我慢していた想いの丈が、言葉と共に零れて、溢れていく。
「アークソフィアに、かえろう……?ユイちゃんも、アルゴ、さんも……まってるでしょう……?」
「────」
どうにか起き上がって、彼のコートの袖を揺する。僅かに身体がぐらつくだけで、そこに意志は感じない。戦意も、意識も、呼吸も何も。
「ほら……目ぇあけてよっ……!」
────アキトは、動かない。
「っ……なん、でっ……!」
それ以上は言葉に詰まって、何も言えなかった。彼の胸に頭を乗せて、涙をただぽろぽろと流して、嗚咽を堪えるように肩を震わせた。
何故────その理由を解答してくれる人間も、此処にはいない。
「う、そ」
「アキ、ト……」
余裕無くゆっくりと振り返れば、背後でリズとフィリアが切断された部位を抑えながら、アスナ同様に身体を引き摺って来たのだろう。彼女達二人は、アキトの見るも無惨な姿を見て、その終末を理解した。
その瞳を見開きながら、起きてる事象を信じられない、信じたくないと表情を歪める。その目尻に涙が溢れてくる。
その視界端で、多くの仲間達が地に伏しながらアスナの抱える少年に視線を集めているのが分かる。誰もが同様の、困惑と焦燥と悲哀に顔を変えていく。
「あ……ああっ……」
リズとフィリアのその先で、シリカはわなわなと口元と肩を震わせながら、それでも恐怖のせいかへたり込んだまま動けずにアキトの亡骸を見つめていた。喧嘩別れのようになってしまってから、まともに会話を交わす事無く、そのまま────。
「そん、な」
リーファは、震える事もせずに固まっていた。何が起きているのか、現実を直視できずに全ての反応が遅れている。兄とその身を共有する、彼の機能停止した姿を目の当たりにして、声すら絶え絶えで、か細くて聞き取れない程に。
「……嘘だろ、おい」
後ろから更に、震えた声。
「嘘だろ、なぁ……それは、ダメだろ……なぁ……なあ!!約束したろうが……一緒にクリアするってよぉ……それはダメだろうがあああ!!」
地を這いながら、愛刀を強く握り締めながら、認めてたまるかとジリジリ此方に向かってくるクラインの叫び声がアスナの耳にまで届く。劈くような、怒りにも近いその言葉を聞いていると、自然とポロポロと涙が零れてきた。
……そうだ、約束した。一緒にゲームをクリアすると。現実世界で再び出会い、みんなと共に時間を重ねようと。
約束、した。
やくそく、させた。
「……ぁ」
────でも彼は、一度だってちゃんと返事をした事が無かったかもしれない。
「……まってよ、私……」
アキトを見つめて、歯を食いしばって。けど、堪えられない何もかもが溢れて、零れて。そんな要領さえ得ないボロボロの言葉で。
「まだ、きみに……いえてないことがあるの……いいたかった、ことがあったの……」
最早、声も届かぬ遠い人。決して目覚める事が無いのだと、眠るような彼の身体が告げている。言葉にしても届かないと、そうアキトの身体が告げている。
「ずっと、ずっと隠してた。言っちゃいけないんだって抑え込んでた。困らせちゃうかもしれないって……何度も自分に言い聞かせてた……」
けれど、もう抑えられなかった。もう、言わずにはいられなかった。
ずっと、ずっとアキトに言えなかった事がある。自覚したのも確信したのもかなり前で、出会った時からその想いは小さく存在し、時間を重ねて、意識を傾け、徐々に膨れ上がった想いがあった。
決して伝えてはいけないのだと、秘めるべきものなのだと理解していた。困らせてしまうと、裏切ってしまうとそう自分を戒め抑えに抑え続けて、そうして彼の傍にいた。支えなくちゃいけない、守らなくちゃいけないのだと自分に言い訳を繰り返して、結局は自分自身が彼の隣りにいたいだけだった。
「────き、なの」
ポロリと、呟くように。
それでも、大事にしまっていた想いを、涙を流しながら吐露した。けれど言ってしまった事を、後悔する事も無く。
自然と零れ、溢れていく想いの数々。
「……好きなの」
いつだって誰かを想い、誰かの為に嘆き苦しみ、戦う事のできる君が。他人を自分の事のように考え、守ってくれようとする君が。
「すきなのっ……」
仏頂面に見えて、本当は表情豊かなところが。色んな事に興味をもって、楽しそうにしてくれる君が。みんなに寄り添い、微笑んでくれる君が。
「すき、なの……あきとくん……っ」
目元を、頬を、真っ赤にして。とめどなく涙を流しながら。決して届かない告白をした。時を重ねる毎に、笑い合う度に、抱いてはいけないのだと知りながら、膨れ上がっていったこの想いは────恋だった。
キリトを深く愛していたように、アキトに淡い恋をしていた。何度挫けてもまた立ち上がる強い心と優しさに、恋焦がれていた。
似ているようで、違うもの。それは、ずっと胸の奥に閉まっておくと決めた宝物だった。
────アキトは決して、応えてはくれない。ただ静かに、安らかに、戦いを終えて眠るのみ。そこに魂はない。
そして。
「────……っ、あ」
────アキトのその身体が、次第に光を帯び始めていく。死にゆくまでのカウントダウンが、始まっていた。
「……やだ……いかないで……ここにいて……」
絶対に離さない。離したくない。
アキトの上体を起こし、自身の胸に抱えて、締め付ける程に強く抱き締める。消えないように、逃げないように。他の人達のように光の粒子にさせまいと、無駄な、最後の悪足掻きだった。
まだ、彼に何も返せていない。何も伝えられてない。伝えた想いの返事を貰ってない。
そんな囁かな願望でさえ届かず、その身は次第に光を纏っていく。アスナや仲間達との決別を知らせる、死の光だった。もう止まる事は無い。この先の末路を、アスナは嫌という程に見てきたのだから。
「────……ぅ、ぁ」
ダラリと、彼の首が力無く下に傾く。魂無き抜け殻で、彼女のどんな行為にも反応を示さず、その身の光を強くさせていく。残酷なまでに綺麗な、命の光。もう止められないと知って、アスナはただそれを涙を流しながら見下ろし、また強く抱き締める。
「────いか、ないで……いかないで……っ」
やがてアキトの顔も、装備に刻まれる傷も見えなくなる程に光が眩き、次第にその身は粒子となって散らばっていき、アスナの腕の中から崩れていって。
やがて抱き締めていた彼の身体はアスナの中から霧散し、雪の結晶にも似た煌めきを残しながら、無慈悲にも虚空へと登っていく。
アキトだったものが、光となって散って消えていく────。
「いやああああああああああああ!!!」
背後でフィリアが叫び、ドサリと崩れ落ちる音がした。攻略組の、どよめく声を背中に感じる。リズの震える呼吸も、リーファの嗚咽も、シリカの言葉にならない音も、クラインとエギルの歯軋りさえ。
アキトが死んだのだと、そう理解し周りが喧騒を生み出していく。困惑と焦燥の中で、アスナはただ登っていったアキトの残骸が消えゆくのを見上げながら────
「……ああ」
────アキトくんが、死んだ。
もっと泣き叫ぶかと思ってた。涙は止めどなく溢れていて、もう二度と止まる事はないのではないかと、枯れるまで頬を伝い続けるのだろうと、そんな予感さえあるのに。
アスナの胸の中にあったのは、ただ絶望で。それが大き過ぎて、声すらまともに出せやしなかった。
「……なにも」
その両腕を見下ろす。さっきまでそこに居て、大事に抱えてきた人の感触を思い出して、その指先までもがわなわなと震える。
守れなかったその手に、重くのしかかる罪の意識。彼の自己犠牲を見る度に思った。彼を支え、守る。彼にされた事を、少しずつ返していくのだと。
そうやって自分自身で決めた“誓い”と、彼に無理矢理させた“約束”は、一体何だったのだろうか。
だって、私は何一つ。
何一つだって、君に。
「なにも、できなかった……なにも……っ……うっ、うう、ああっ……ああああああああぁぁぁ………」
その両手で顔を覆い、涙を落としていく。肩を震わせ、あまりにも無力なままで終わってしまった全ての事に、後悔と罪の意識を重ねながら、悲痛に顔を歪めた。言葉にできない嗚咽混じりの音を、ただ零すようにして。
「……終わっ、た」
「────」
ポツリと、どよめく声の嵐の中で零す声。
肩を上下させながら、その闇色のコートを翻して黒煙から歩み寄ってきたのは、ストレアだった。
ゆっくりと、アスナは両手を顔から離し、彼女を見上げた。精神的な疲労か、アキトとの攻防の末の疲労か、呼吸を僅かに乱しながらその黒剣を片手に立っていた。
アスナの上空を見上げ、散らばって次第に無くなっていく光の破片を見て、表情を変えずに目を瞑る。まるで弔うようなその姿勢に、アスナの手のひらが拳に変わっていく。
「……ストレア、さん」
「恨んでくれて構わない。けれど、これでアタシの目的は達したと言っていい。だから────」
だから、アキトに別れを告げるというのか。
一方的に関係を切って、彼の歩み寄りを拒絶し、生き方を否定しながら、最後は宿敵だったのだと、そんな余韻に浸ろうというのか。
そんなストレアの態度に、アスナの口が開きかけた、その瞬間だった。
「……おやすみ。アキ────ッ!?」
ストレアのその眼前に、一筋の閃光が迫った。瞼を開いた瞬間に、彼女の視界が白銀の世界に染まる。咄嗟に瞳を見開き、慌てて右に身体を向けて躱し───切れず、その頬を掠めて傷を刻んだ。
通過したその先を、後方へと振り返る。そこには、役目を終えて力無く転がった一本の矢。その閃光は、射撃による殺意の乗った一撃だった。
「まだよ」
……ゆっくりと視線を戻せば、その先に一人。他の者達と違い、その矢先をストレアへ、殺意に満ちた双眸と共に向ける少女の姿が在った。膝を立て座り込み、此方に再び弓を構えて。涙も枯れ果てたのか、その瞳に既に悲しみは無い。
あるのは、明確な憎悪と────
「……殺すくらいが丁度良いって、言ってたよね、シノン」
「────ええ、そうね」
「……それが正解だったよ。シノンは、間違ってなかった」
「いいえ、私が間違ってた」
遮る程に食い気味にストレアの言葉を返す彼女の言葉は、氷のように冷たかった。アスナは思わず、シノンの方へと視線を向けた。
虚ろと呼べる程に彼女の瞳は暗く、恐らくアスナ達の事など見えていない。その姿は、その在り方は、まさに殺人に至る姿。
「私が、甘かった」
ゆらりと、その身を起こして立ち上がり、その震える腕を静止して、あてがった矢の先端に光を纏わせて彼女に向ける。
────殺してやると、その瞳が告げている。
「貴女を信じたいと思った、私が馬鹿だった」
Episode.127『
●○●○
射撃奥義技《ミリオン・ハウリング》
ストレアの防御姿勢を確認した瞬間、シノンはその矢の先を天へと向けて、一瞬で抜き放った。ストレアが驚きに表情を変えるのも束の間、それが天井で弾けて雨のようにストレアへと降り注ぐ。
「っ────……ふっ!」
驚いたのは刹那、すぐに迎撃体勢に入る。上空から落ちてくる矢の雨全てを防ぐ事は不可能と割り切り、的確に致命的になりうる攻撃のみを黒剣で弾き落としていく。
そんな連続する矢の中で視界が狭まっていくストレアの背後を、シノンは容易く回り込み、容赦無く死角を狙い、躊躇無く矢を引き絞り、慈悲も無く焦点をストレアに固定して、ただ殺す為だけにその弓を引き絞る。その瞳をこれでもかと見開いて、直前にシノンとストレアの視線が交わった。
「────“
射撃三連射技《ヘイル・バレット》が、ストレアのその背に襲いかかる。一撃毎に風圧がアスナの髪を浮き上がらせる。そうしてシノンが矢を離すとほぼ同じタイミングで、ストレアの持つ黒剣の刀身が鈍く光った。
「────インフィニティ・モーメント」
紫電纏う閃光を握り締めて、振り向きざまに初撃を切り落とす。先程アスナとシノンを退けたソードスキル。返す刃でシノンの二撃目を弾き、三撃目を砕いた瞬間、一気に地を駆けてシノンの懐へと走る。
瞬間、シノンが舌打ちと共に腰に巻き付けた鞘から短剣を引き抜き、その刀身を眩い光で覆う。迎撃せんと、その瞳が告げている。
短剣奥義技九連撃《エターナル・サイクロン》
シノンの刃が深緑に輝く。迫るストレアの剣速に合わせるように一歩懐に入り込み、下から上へと斬り上げる。それに合わせるよう、ストレアもその黒剣を叩き落とした。
双方が激突した瞬間、けたたましい金属音が広がり、アスナの鼓膜を震わせ、思わず片眼を瞑る。風圧が止み、恐る恐ると再び眼を開けると、そこには鍔で競り合っているシノンとストレアの姿が在った。
ストレアはシノンの持つ短剣と、今見せた短剣スキルの中で最上位の技を繰り出した事による感嘆の息を、僅かながら漏らした。
「……へぇ、もうそんな技使えるようになったんだ」
「……やっぱり、そうなのね」
ストレアの感心を無視して、シノンは続ける。
彼女の視線は、僅かにストレアの頭上を捉えていた。何かを見付けたのか、彼女の言葉と同時に競り合う短剣の力が強くなる。
「私とアスナと戦ってた時と体力が変わってない……つまりアキトは一度だって、死ぬその瞬間まで、アンタを傷付ける事はしなかった……」
「────……っ」
「それを、アンタはっ……!」
「……うるっ、さいっ!!」
ストレアがスキルモーションに合わせて力を込めて振り抜く。火花が弾け飛び、シノンの腕が上へと投げ出され、その胸元がガラ空きになる。
その隙を逃すはずも無い。剣を構え直し、姿勢を低くした瞬間、その刀身が再び鈍く輝きを放つ。
「ヴォーパル・ストラ────っ」
「せああああああああああああ!!!」
────突如、ストレアの声を遮るように絶叫にも似た声を上げながら、彼女の背後から武器が振り下ろされた。僅かに肩を震わせたストレアは、反射的に構えた武器の矛先をシノンから何も無い空間へとシフト───瞬間《ヴォーパル・ストライク》の突進力によってその場から高速離脱し、背後から迫っていたソードスキルは空を斬る。
剣技が終了し、ストレアが振り返った先には。
「……フィリア」
「フィリア、さん……」
ストレアと、アスナの声が重なる。
二人の視線の交点には、肩を上下に動かし、頭を垂らして息を切らして、短剣を構えるフィリアの姿があった。カタカタと膝から下と、短剣を握り締める細腕が震えている。恐怖か、怒りか、悲しみからか。
「……ゆる、さない」
その短剣を構え直し、顔を上げる。アスナの眼から見ても、フィリアの表情はいつもとあまりにも違う。涙を拭いもせずにストレアを睨み付けて、震える声で感情を吐露し続ける。
「ゆる、さない……私……まだ、何も……アキトにもらったもの、返せてなかったのに……っ」
「……勝手だね、フィリア。貴方だってアキトを殺そうとしたのに、自分の事は棚に上げて……本当に、都合が良いんだね」
「っ……!!!う、ああああああああああああああああああああ───!!!」
たったのその一言で、フィリアの表情が歪んだ。あらゆる感情が綯い交ぜになったまま、再び声を荒らげてストレアに迫る。そんな彼女を見るストレアの瞳は、氷のように冷たくて。
短剣を上に大きく振り上げた彼女の横腹を薙ぐように、ただ剣を一閃させた。フィリアの左脇腹に深く赤い切り傷が刻まれ、その表情が再び歪む。
そのまま覚束無い脚がふらふらと彷徨い、自身の脚に引っ掛かって倒れてしまった。
「……」
そんな彼女の背を、ストレアは刃を構えて警戒態勢を取る───が、中々起き上がらない。やがて、そんなフィリアから聞こえるのは嗚咽と啜り泣く声だった。
「分かってる……そんなの、わかってるよ……」
立ち上がる気力さえ、フィリアには残っていなかった。ただ短剣を強く握り締めるだけ。きっと彼女にとってアキトの消失は、ストレアに対する憎しみよりも、彼を失った悲しみの方が大きかったのだ。
自分自身の存在さえ不明瞭の中で、PoHに唆されるままにアキトを罠に貶め、その命を蔑ろにした罪の意識を、フィリアはきっとずっと抱えていた。簡単に自分を肯定できるわけがない。ストレアのようには割り切れない。
「……だから、ずっと、どうしても、あやまりたかった……あやまりたかったのにぃ……っ!」
悲痛な叫びと共に吐き出された願い。それは、もう叶わない。もうフィリアは立ち上がろうとする意志さえ消失し、ただ子どものように泣きじゃくって。
それを誰が咎める事ができたろうか。誰もが同じ事を感じ、抱いていた。
「シッ────!」
「っ……!」
感傷に浸る暇さえ与えまいと、立て直した再びシノンが弓を構える。既にその矢尻がスキルエフェクトを纏い始め、後は抜き放つだけの状態。シノンの殺意は変わらず継続してストレアに焦点を向けていた。
フィリアの悲哀も、周りのどよめきも我関せずに、ただストレアに向かって矢を放つ。その流れも動作も行動指針も、何もかもが一貫して変わらない。
「……して、やる」
────彼女が現実で決別したかったものを、彼女は仮想世界にて起こそうとしていた。
感情が爆発し、脳が沸騰する。溢れだす憎悪と憤怒。脳内を侵食する感情は殺意でしかない。食い縛った歯が嫌な音を立てる。アスナの眼から見ても、彼女は既にストレアに残す情など捨て去っていた。
「......ろす。絶対に殺す、殺してやるッ!!!」
確かに、そう告げて。強く引き絞ったその弓で、再び矢を放った。
繰り返される連撃。速射するシノンの技術力はここ数ヶ月で凄まじい成長を遂げていた。初撃の矢を躱した瞬間の相手の着地点をすぐさま狙い撃つ狙撃の技は、アキトでさえ舌を巻く程のもの。
褒めてくれた彼は、もうこの世に居ないけれど、だがそんなものはシノンにとってはきっとどうでもよかった。
ただ、目の前の彼女を殺せれば。
「シノ、のん……」
アスナはただ涙をポロポロと流すだけで、まったく動けずにいた。ストレアに対する憎しみなんかよりも、目の前で好きな人を失った喪失感が大き過ぎて、ただシノンの復讐劇を眺める事しかできなかった。
シノンが今胸に抱えている経験を味わっているからこそ分かる。
全てを引き換えにしてでも助けたかった者を失った喪失感。それを理解した瞬間に全てがどうでもよくなり、地獄に等しい灰色に染まった世界。思い出されるのはかつてのキリトとヒースクリフとの死闘であり、その最中にキリトが目の前で消失した、あの瞬間の絶望と憎悪だ。
其を今、シノンは感じている。そう気付いた瞬間、アスナはシノンを止める事は出来なくなってしまっていた。深淵よりも深く、闇よりも昏いあの心象を理解できるからこそ、邪魔などしてしまえばその矢で心臓を射抜かれてしまうであろう事は容易に想像できた。
弾ける金属の音を他所に、アスナは視界に映る者達の事を見据える。
フィリアのように悲しみが勝り動けずに泣きじゃくる者。
リズのように勇者の消失により絶望に打ちひしがれる者。
リーファのように状況がまだ理解できず呆然としてる者。
そして────シノンのように怒りでストレアを襲う者。
「ぐっ────!?」
ストレアに体術技《突蹴》によって腹を貫かれ吹き飛ぶシノン。弓が手元から離れ、その身を数度床に叩き付けられる。摩擦で装備が削られる音を耳にしながら、血に伏せった彼女に追い打ちを掛けようとその身を前に進め───
「っ……!」
ガキィン!と一際甲高い音が耳を劈く。
視線が、自ずと元凶へと動かされる。再び鍔迫り合いになり、無理矢理抑え込むような力でカタカタと刃がぶつかり火花を散らす音。ストレアの真正面にたって、怒りに満ち溢れた表情で、歯を思い切り食いしばって。
「……クライン」
ストレアが、優しく労わるようにその名を呼ぶ。
それでも、クラインがその表情を変えることは無い。女性に決して刃を向ける事はしなかった彼が、今その愛刀をストレアへと下ろしかけている。
────だが、その刃は逆向きで彼女へと落とされていた。刀の刃は自身に対して沿っており、峰の方を彼女に向けている。それを見て、アスナは彼の人としての自制心を感じ取った。
どれだけ怒り狂おうと、ストレアを殺してはならないと自分自身の感情を抑え込んで、それでも彼女を止めようとして必死に考えて行動した結果。殺しはしない、けれど彼女を止めねばと。
その優しさが苦しくて、ストレアは儚げに微笑む。
「……優しいんだね、クライン」
「っ……ふ、ざ、けんな……!」
涙を堪えて、怒りを堪えて、震える声で柄を握り締める。歯が砕けそうな程に食いしばり、ストレアを睨み付ける。次第に競り合って削られる刃の音が大きくなっていく。
ジリジリと力に任せてストレアが押されていき、徐々に焦燥と困惑で表情を変えていく。
「っ……!」
「俺ァ……ストレアが話してくれんのをずっと待ってたよ……アキトが一番そう思ってたよ……!仲間だからって……悩んでるなら力になりてぇってよ……っ」
知っている。アスナもそうして独り悩み、抱え続けた彼の姿を何度も見てきた。それは決して自分だけでなく、クライン達だって同じ事だ。彼に救われたからこそ、彼の願いに応えたい一心だった。
彼が仲良くなるような人なら、きっと優しい人なのだと、ストレアを温かく迎え入れて、実際それは確かなものなのだと思っていた。
「それを、アンタがどう思おうが勝手だけどなァ……けど……だけどなぁ……!」
クラインが、此方を片目で見据える。アスナの──正確にはアスナの両の手を。
たった今その手から零れ落ちてしまった光の元、その存在がこの世から消失した事実と、その元凶に対して、ただただ悲痛に表情を歪め、怒り狂った叫びを。
「それだけはよぉ……それだけは、やっちゃいけねぇ事だったろうがああああああああああああああ!!」
刀七連撃奥義技《散華》
黄金にその刀身が煌めき、スキルモーションに乗ってクラインの力がストレアを凌駕する。裂帛の気合いと共に繰り出した初撃が、彼女の刃を上へと弾く。返す峰がストレアの右の脇腹に直撃し、彼女の表情が苦痛に変わる。回転しつつその刀を振り抜き、三撃目は左脇腹に沈む。
全て峰打ち。それでも、ストレアの体力は初めて明確な減少を見せた。
「……づ、ああああああっ!!!!」
片手剣四連撃技《ホリゾンタル・スクエア》
絶叫にも似た彼女の声。クラインの残りの四連撃を、自身の四連撃を持って抗う。彼の振るう刀に自身の剣を的確に当て、一つずつ撃ち落としていく。火花と金属音が広がり、その瞬間的な光に各々が眼を細める。
クラインの変貌に見知った仲間達は呆然とするしかない。かく言うアスナも戸惑いの中でその攻防を追いかけている。
傍にいたリズが聞こえるようにとクラインに向けて呼びかけるが、
「ちょ、クライン!アンタ……!」
「分かってる、殺さねぇよ!けどなぁ、俺ァこのまま大人しく逃がす気は無ぇぞ!」
「────だったら邪魔しないで。私は殺すつもりでやってるの」
クラインの言葉を遮るその言葉は氷のように冷たかった。もう、分かり合うつもりは無いのだと、声の主であるシノンはよろよろと立ち上がった。手元を離れた弓を回収し、再び矢を宛てがう。
その流れが流麗過ぎて、誰もそれを静止できない。三度その矢の先端がスキルエフェクトに覆われ、チャージが完了した瞬間抜き放つ。
音速で飛び交う矢を、ストレアは再び剣技で全て弾き落とす。そうして双方が再び睨み合う。
「っ、シノン!ストレアは生け捕りにするぞ!殺すなんて、アキトが望まねぇ!」
「関係無いわ。そのアキトはもう死んだ。アイツの顔色を伺う必要はもう無い。それに、今後の攻略に彼女の存在は障害でしかない。ここで殺す、ここで死んでもらう、ここでっ……っ!」
クラインは口を噤む。シノンの、誰も邪魔はさせないと言わんばかりの冷たい瞳。涙を堪え、歯軋りする彼女の表情。もう宿っているのは殺意でしかなかった。
そうして、シノンの怒りの感情が込めれられた正論を皮切りに、次第にアスナの周りで装備のぶつかる音がする。
(っ……まずい……)
振り返ってみれば、回復した攻略組が次第にその手に武器を持ち始める。ストレアに対する牽制なのだと一目で理解する。この場の全ての悪意が、怒りが、ストレアへと向き始めていた。
彼女もそれに気付いたのか、辺りを見渡してより一層その表情を険しく変えた。すぐさま周囲に向けての臨戦態勢を取る。それが敵対行為と判断した攻略組のメンバーも、震える腕と脚を律して物量で押し切ろうとその意志を各々が固め始めていた。
(このままじゃ……)
だが、シノンを止められるような説得も、攻略組を止められるような威厳も、ストレアに手を差し伸べるだけのものも、何も無い。
────アキトは、もう居ない。
この現状を変えてしまえるような力が、今のアスナには何も無かった。それでも、必死にその脳を回転させて考える。思考を巡らす。
そうして、
(私に、何が……何ができる────あ、れ?)
ストレアが殺されてしまう───と考えて、その思考が停止する。この期に及んで彼女を庇おうとした自分自身に驚いた。咄嗟に、その濡れた瞳が彼女を見据える。
シノンを中心に攻略組に詰め寄られつつあるストレア。周りを睨み付け、苦痛に表情を変えていくのを見て、特にいい気味だと感じる事も無い。ただただ、ストレアが傷付きそうになっていくを見て、胸が締め付けられそうで。
(どう、して。アキトくんが死んだのに……殺したのは、ストレアさんなのに……)
自棄になるかと思った。彼女に向けてシノンのような殺意が芽生えるかと思ってた。今まさに彼女に向かって特攻を仕掛けようとしてる攻略組を従えて、彼女を襲う事だって考えられたのに。
頭に浮かんだのは、真っ先に考えたのは、ストレアの事だった。
(────ぁ)
(────そうだよ)
アキトなら、どんなに傷付いても、苦しんでも、ストレアに手を差し伸べたはず。実際、彼は最後まで彼女の事を諦めたりしなかった。
その考え方に、その優しさに、その在り方に。アキトに、近付けたような気がして。
アスナは、笑った。
「……ああ」
また、涙が伝う。その両手を重ね、組んで握り締めた。願うように額に擦り付け、口元が震える。この手から零し、消え去ったと思った彼の姿が、アスナには見えていた。
「……こんなところに、いた」
私の考え方に。
私の決めた誓いに。
果たしたいと願った約束に。
その中に、アキトは生きていた。
ストレアを助けたいと願うその気持ちは、きっと確かに今、アキトと重なった。そう思うと、彼と同じ想いや感情を、ストレアに抱いてる今の自分がとても誇らしかった。
彼は、もう居ないけれど────思い出は、ここに在る。永遠に、生き続ける。アスナが忘れない限り。教わった生き方を、その在り方を変えない限り。
(……わたし、は)
何、してたんだろう。
私にできる事、たくさんあるじゃない。
────そうだよね、アキトくん?
床に転がった彼らの愛剣を手繰り寄せ、抱き締める。
そうして抱えた
その涙を抱えたまま、微笑む。泣き続けていた自身を奮い立たせて、ふらつきながらも────立つ。
「っ、……はぁっ……!」
────キリトくんを、愛していた。
この世界を本気で生きる在り方を。
他者を助けられるその強さを。
誰よりも早く先陣を切って進むその立ち振る舞いを。
共に同じ時を過ごしていきたいと、そう思える程に。
彼の全てを、愛していた。
「……アキトくん」
そして、アキトくんに、恋していた。
自分とは違う生き方と、在り方に。
他者に傾ける大きな優しさに。
誰も傷つか付かないようにと、独りで戦う力強さに。
笑った顔が見たい、ずっと傍にいたいと思える程に。
彼の全てに、恋していた。
彼のようになりたいと、そう思った。羨望にも似た憧れを、確かに感じていた。
「……私を、見ててね」
愛した人には、この世界での生き方を。
恋した人には、人としての在り方を教えてもらった。
この世界で過ごした時間の中で、二人が自分に与えてくれたもの。
それはあまりにも大き過ぎて、あまりにも多過ぎて。その全てを返す事は、きっともう、叶わないけれど。
(君が、教えてくれたんだよ?アキトくん────)
もう、折れない。
もう、何も諦めない。
もう、命を捨てたりしない。
もう、大切な誰かを失わぬようにと。
私なりに生き残った意味と、命の使い方を。
アキトくんに、恥じない自分で在りたい────。
だから。
それでも。
「わたし、は────」
Episode.127『
アキト 「……頑張れ、アスナ」
次回 『
END√(辿る道にさほど変化はないが、導く結果は変化する)
-
√HERO(キリトが主人公ルート)
-
√BRAVE(アキトが主人公ルート)
-
√???(次回作へと繋げるルート)
-
全部書く(作者が瀕死ルート)