ソードアート・オンライン ──月夜の黒猫──   作:夕凪楓

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────もしも、叶うなら。縋っていいと言ってくれるなら。





Ex.未来

 

 

 

 

 

 

 

 ────『ALO内の浮遊城でも、かつてのSAO事件同様のクエストやイベントが生成されている』

 

 特に時期によって生成される期間限定クエストは、ALOの世界よりも世界樹上を浮遊するSAO舞台の方が景品が豪華だと掲示板に貼り付ける者が居たくらいだ。ハロウィン、バレンタイン、正月に七夕────そしてクリスマス。

 それを知った時、彼女(・・)の中には一つの可能性が浮上していた。 誰と過ごしていても頭の片隅にいつもその予感があった。時期が近付けばそれだけ心がザワついて、どんな時もそれだけが気掛かりで。故に準備だけは念入りにした。一ヶ月も、二ヶ月も前から装備に気を遣い、アイテムを少しずつ補充し、高価なアイテムの売買も行い、持てる全ての知識を使って準備を続けていた。

 ただその日を────クリスマスだけを、彼女は待っていた。

 

 

 けれど────

 

 

「はぁ……はぁ……っ」

 

 底冷えするような、墓標にも似た雰囲気を放つ雪原の中心で、その少女は膝を立てふらつきながらも立ち上がる。此方を見下ろす巨体の眼光があまりにも鋭く、萎縮してしまうのをどうにか抑えながら。

 

(馬鹿だなぁ……私って)

 

 何を思い上がって居たのだろう。醜くて滑稽で、涙が出そうだった。SAOをクリアした事で、怯えて震えるだけだった二年前と比べれば、心も身体も強くなった気がしていた。

 その強さを今も尚発揮してる彼ら(・・)と自分は全く違うのだと、目の前の災害を前にして────その拙い動きで、覚束無い足取りで、武器を構えた震える腕で漸く自覚する。目の前の巨人を見上げる自分が、奴にとって、世界にとって、如何に矮小な存在なのだろうか。どうして気が付かなかったのだろうか。

 

「っ……それ、でも……」

 

 この我儘を貫かないと。やるべき事をやらないと。自分は二度と、ここから先へは進めないと思うからと、最後にはそんな淡く脆い覚悟に帰結する。

 これが仮想のものだと理解していても、相変わらず恐怖が心を支配している。それでもなお構える槍の先端は相対する敵ただ一点に突き立てていた。

 

 自身より三倍程の背丈を持つ異形の怪物。腕が地面に擦れてしまう程に長く、気持ち悪い程の前傾姿勢の人型のモンスター。焦点の合わない小さな赤い瞳が輝き、長く伸びた捻じれた灰色の髭は腹部まで来ている。

 そして既視感のある赤と白の上着に三角帽子。サンタクロースを模した姿ではあるが、右手には片手斧を持ち、左手にはプレゼントが入っているであろう汚れた袋を下げていて、如何にも醜悪な悪魔を思わせる存在感。

 

《背教者ニコラス》

 

 それが、目の前に聳え立つ巨大な敵の名前だった。改めてその定冠詞を見上げて、下唇を噛み締める。奴を見つめるだけで、かつての記憶が呼び起こされる。

 ────雪原の中心で、膝から崩れて雪降る空を見上げ、水晶を抱えたまま泣き叫び続ける彼の姿を。

 彼がそうなるまで戦い続けた理由である、大切な仲間達の顔を。何よりも愛していたあの時間を。

 

「わた、しが……!」

 

 何をしても、もう決して取り戻せないのだと、そう分かっていても。その手に掴む槍を手放す事はできない。独り善がり、我儘、けじめ。理由なんて何だっていい。ただ一緒に居てくれる彼らに追い付き、共に歩んで行く為に。

 

 少女───サチは、ニコラスに向かって駆け出した。

 

「うあああああああっ!!」

 

 その長槍を構えて、何度叫んだかしれない。その度に赤子の手をひねるかのような横薙ぎに吹き飛ばされるばかりの身体。その度雪原が緩衝材になってはダメージを減らしてくれる。SAOであればこれだけで身体が竦んだ。けれどゲームだからと頭が認識しているからか、ポーションを咥えてすぐ立ち上がる事ができた。SAOで出来なかった事が、皮肉にもALOならあっさりだった。

 

 サチは攻略組だった訳じゃない。そんな勇気が、一欠片だってあった試しが無い。いつまでも恐怖が身体から抜けてくれない。罪悪感に押し潰されそうな毎日で、解放され楽になった事なんて無い。それはゲームがクリアされてからも変わらなかった。

 罪の意識で、死にたいという感情で、心が押し潰さそうな毎日だった。

 

「くっ……うぅ……!」

 

 腕を払うように振り抜く巨人。その突風で動きが止まる。雪が礫となって身体に打ち込まれていく。吹雪のような光景に視界を奪われ、目を細める。瞬間、巨人の拳がサチの腹部にめり込んだ。

 

「かはっ……」

 

 衝撃、暗転、気が付けば身体は宙に投げ出され、小石のように吹き飛ばされた。摩擦も利かず雪原を転がり、近くの杉の木にその背を打ち付ける。気絶するかの瀬戸際、意識を持っていかれそうなノックバック。呼吸が難しく、胸を抑えて咳き込んだ。何度空気を吸っても、足りなくなる程に。そうして左上の体力が減少し続け、やがて危険域に達し、警告音がけたたましく鳴り響く。

 

「……はは……やっぱり、ダメかぁ……」

 

 整える暇もなく震える上体をどうにか起こし、視線を上げる。サンタの格好をした醜い巨体は、一歩ずつ徐々に此方の息の根を止めるべく歩を進めている。それを見てサチは、立ち上がる事も無く、その身を背中の巨木に預けた。

 

 ────苦しい、辛い、怖い。ゲームの中なのに痛みさえ感じる気がした。そうして一瞬で弱腰になる自分の思考を自覚し、なんて情けないんだと泣きたくなった。呆れて笑みさえ零れてくる。

 どうして彼らのように、自分は立ち上がる事が出来ないのだろう。前を向いて、戦えないのだろう。

 

(……みんなの、方が……もっとずっと、怖かったはずなのになぁ……)

 

 SAOでの二年間、そしてクリアした後も彼らと共に過ごす時間は多かった。アキトやキリト、アスナ達と現実で直に会い、話し、感じた事はSAOの時と変わらない。現実でも仮想世界でも、彼らの在り方は何一つ変わらなくて───変わらず強くて。自分とつい比べてしまった。

 なら、自分は?自分は何か一つでも、手に入れられたものがあっただろうか。死に毎日怯えながら、今か今かとゲームクリアを待っていただけに過ぎない。攻略組を───アキトを、待っていただけに過ぎない。何もせず、全てを委ね、預け、傾けたに過ぎないのだ。

 

 それを自覚した時、彼らと自分の間に隔絶された壁が聳え立ったような気がした。自分と彼らはまるで違くて、この二年間を不意にした自分は、二度と彼らと同じ歩幅で進む事が叶わないのではないかと、そう感じてしまった。

 本当の意味での仲間になり得ないのではないかと、そう感じた途端、共に過ごす日々の中でも拭えぬ疎外感は次第に肥大化していって。

 

(優しいみんなが……そんなふうに、思うわけないのに……)

 

 それでも、これだけはサチ自身のケジメでもあった。二年前と同様に広がる目の前の光景。これを自身の手で乗り越えなければいけないような気がしてた。でなければ、彼らに報いる事も、過去を振り切って前を向いて進む事もできないと思ったから。

 今ではもう、やめておけば良かったと後悔しかない。始める前から結果など分かり切っていたのに、態々自分自身が無力だと再確認させられたのだから。

 

「っ……」

 

 すぐ目の前まで巨人が迫る。自身の身体と同じくらい巨大に伸び切った隻腕が、サチを押し潰さんと振り上げられる。意識が混濁し、朦朧とした視界の中でこの世界での死を覚悟した。

 振り下ろされる槌のようなその腕が、死の直前だからかとても遅くに見えた。迫り来るそれを見て、何故かSAOに居た時と同じような恐怖を感じた。此処で死んだとしても、現実に何ら影響は無いと知っているけれど。それでも、サチはこの世界でまだ一度として死んだ事は無い。

 それはいつも守ってくれて、隣りに居てて、一緒の歩調で進んでくれる人が居たから。

 

 

(……ねぇ)

 

 

 ──もしも──

 

 

 ──もしも私が、あの時彼を誘おうなんて言い出さなかったとしても──

 

 

 ──あの時、貴方はその手を伸ばしてくれただろうか──

 

 

 ──“⬛︎⬛︎が⬛︎⬛︎に⬛︎⬛︎⬛︎ように”、そんな夢を持ったまま、私の隣りで微笑んでくれただろうか?──

 

 

「……ぁ……」

 

 

 ────これは、罰なのかもしれない。《約束》を踏み躙った私への。大切だった仲間達を裏切り、挙句命を奪い、それなのにその悲劇を忘却し、今までのうのうと生き続けてきた私への。

 何度も夢に起こされる過去の悲劇。それから逃げてきた分、果てのない後悔や痛み、苦しみを抱えて、いずれ果てるべきだった私が。

 

 ────こんなにも大切で、愛おしいもので、両手をいっぱいにしてしまった事への。

 

 

「────“壱・天枢(ジ・インパルス)”」

 

 

 その声と共に、青白い閃光がサチの頭上を通過した。

 刃のように尖った光はそのまま巨人の右肩部を貫き、やがてその光剣が天へと伸びる。柱のような右腕を意図も容易く切断し、その巨体を後方へと弾き倒した。

 途端に地響きのように雪原が震え、衝撃と共に迫る雪の礫に、サチは思わず目を瞑る。

 

「……ぁ」

 

 ────そのすぐ近くで、人の気配がした。

 ふわりと、静かにそこに降り立った。優しい気配、どんな事があっても、隣りに居てくれるだけで大丈夫だと思わせてくれる、安心する気配。見なくとも誰なのかが分かってしまう。

 目を見開き、自身の右に立つその存在を見上げる。二振りの剣を持つ、全身を黒く染め上げたロングコートの闇色の剣士。その所々に切り傷のような赤いエフェクトを付けながら、それでも凛と目の前に立っていた。それは、いつだって駆け付けてくれる、サチの心の拠り所。

 涙が出そうだった。

 

 

「……なん、で」

 

 

 ────どうして?

 

 

「……見つけた」

 

 

 ────なんで彼は、私を見付けてしまうの?

 

 

「……ア、キト……」

 

 

 その少年───アキトは静かに振り返り、ふわりと柔らかな笑みを浮かべて膝を付き、サチと目線の高さを同じにする。ヨロヨロと、既に限界を迎えているであろうその身体を酷使してしゃがんで、そうして告げる。

 

「手伝いに来たんだ。サチを」

「っ……その、傷……」

「……ああ、此処に来る前に《シャムロック》に邪魔されちゃって」

 

《シャムロック》───最近頭角を顕にした巨大かつ高ランクのギルドの名前だった。最前線での攻略でトップを独占し、今ではそのネームバリューを笠に来て横暴な態度のプレイヤーも多く、今やSAOで言うところの《血盟騎士団》並に厄介な規模となりつつある。

 恐らく、人数が多い分情報収集に長けた人材も居るのだろう。でなければ生還者でも無いのに告知の無いSAOでのクリスマスイベントに辿り着く筈がない。まさか尾けられていたのだろうか。

 ────そして彼は、私を守る為にこんなにも傷だらけになってくれたのだろうか。私のせいで、こんなにも傷付いてしまったのか。

 

「けど、大丈夫。キリト達が対処してくれてる。すぐ片付けて、こっちに来てくれる」

「……いや……そんなの、ダメ……これは、私がやらなくちゃいけない事なの……だから……っ」

 

 無理してでも立ってやる───そう意志に反して身体は思うように動かない。立ち上がる事を、前を向いて歩き出す事を拒んでいるかのよう。どうして、なぜ、そんな焦燥で呼吸がままならない。

 それを咎める事もせず、アキトはサチの頭に一瞬だけ手を乗せたかと思えば、ユラユラと膝に力を込めて立ち上がり、振り返って後方で立ち上がりつつある巨人を見据えた。

 

「分かってる。だからあくまで手伝い。サチが……もう一度立ち上がる覚悟を決めるまでは、俺がアイツの相手をする」

「……どう、して」

「……どうしてかな」

 

 それ以上、アキトは何も言わなかった。振り返ってその剣を寝かせて構え、一気に駆け出した。既に起き上がった巨人はヘイトをサチからアキトに切り替えている。彼は好都合とばかりに奴の脇に沿うように走り込み、ボスの視界からサチを外させた。

 

 

「────“弐・天璇(ザ・テンペスト)”」

 

 

 アキトの刀身から、紫電が走る。雷属性の魔法が付与されたOSS。迸る雷光がボスの身体全身を支配し、その動きを麻痺させる。瞬間にその身を翻し、足元まで一気に移動して、既存のソードスキルを叩き込み、確実にニコラスの体力を削り取っていく。

 忌々しそうに見下ろすニコラスを前に、してやったりと不敵に笑うアキト。けれどその身は傷だらけで、体力だって殆ど残ってない。自分を助ける為に、回復する時間も惜しんで此処に来てくれたのだと、胸の奥が熱くなる。熱くなってしまう。痩せ我慢だと、既に死に体だと、一目見て判断できてしまう程に弱々しくて。

 

(……ダメ)

 

 これ以上、優しくなんてして欲しくなかった。

 そうされる資格なんて、自分には無いとさえ思った。彼が優しさを傾けるに値しない存在なのだと、卑下せずには居られなかった。

 

「ぐっ……!?」

「っ、アキト……!」

 

 呻くような鈍い声。既に右腕を再生させた巨人が、返す形でアキトその身を振り払う。剣での防御虚しく、簡単にその身を吹き飛ばす。

 再び体力が削れる。血のような紅いエフェクトが全身を夥しく染め上げ、仮想だとは思えぬ程に彼の死を想像してしまう。

 

「お願い……逃げて……」

「嫌だ……っ」

 

 アキトはすぐさま立ち上がり、再び大地を蹴り飛ばす。迫る雪の礫を躱し、剣で弾き、前へ前へと進んでいくその背が、みるみる内に小さくなって、そのまま居なくなってしまうのではないかと思ってしまう程に。

 

「……どうして、手伝おうとするの……なんで、助けようとするのよ……!?」

 

 そんな、お門違いな苛立ち。向けるべきではない怒りのような感情。今も尚目の前でサチを庇うように戦う彼を見て、告げずには、叫ばずにはいられなかった。

 何度も何度も、挑んではその身を傷付けるアキト。立つのさえ苦しそうで、それでもなお背を向けたまま、此方の問いに答えはしない。

 

「理由を言ってよ!じゃないと私……私、そんな、助けて貰えるような人じゃない……」

 

 声が震えた。サチは痛々しくも口元を歪めていた。頬を伝う涙が地面に落ちて雪と共に吸い込まれていく。

 こんな自分の為に身体を張る彼が許せなくなって、思わず。

 

 

「私がっ……!! 私が黒猫団のみんなを殺したんだよっ……!?」

 

 

 ────心の中で抱えていたものが、思わず零れた。

 自分のせいで、ケイタは死んだ。ササマルも、ダッカーも、テツオ死んだ。自分が死にたくないからと、パーティーを抜けたから。自分が上層に行く彼らを引き止めなかったから。

 

 

 ────()()()、《S()A()O()()()()()()()

 

 

 彼らの訃報を耳にした時、自責の念が抑えられなかった。後悔と罪の意識に苛まれ、次第に心は限界を迎えていた。それなのに死ぬ度胸も無くて、ただゲームがクリアされるのを待つ事しか出来なくて。

 攻略組になる勇気も無く、矛盾して絡まって、ぐちゃぐちゃに混ぜられた感情の中で、結局二年間最後の最後まで戦う事が出来なかった。

 現実でアキト達と再会して、彼らを直に見て、自分と比べてしまったら最後、サチの中ではもう、彼らと一緒に居る事それ自体が苦痛になりつつあった。けどアキトに伝えられなくて、嫌われるのが怖くて、ずっとずっと押し黙っていた。

 

 けど、もう限界なのだ。一緒に居るのが辛いのだ。離れていって欲しいのに。放っておいて欲しいのに。

 

「ぐぁ……!!」

「アキト……あきとぉ……!」

 

 再び巨人の拳がアキトの鳩尾を貫く。また小石のように吹き飛び、地面を削り取って、サチの眼前までその身を滑らせる。彼の名を、縋るように何度も呼ぶ。アキトは雪まみれになりながら、血のようなエフェクトに塗れながら、またその剣を突き立てて起き上がった。

 

「……知ってたよ」

「……ぇ」

 

 サチは、思わずその顔を上げる。ボロボロのその身をどうにか起こしながら、アキトはサチを見て微笑んだ。

 

「ケイタに……SAOに来た経緯は、聞いてたから……サチが最初に告知を見付けて、誘ってくれたんだって。自分から言ってくる事が少なかったから、嬉しかったんだって……そう、言ってたよ」

「……っ」

 

 初耳だった。ケイタからそんな事、言われた事がなかった。口元が震える。笑みを崩す事無く、アキトはサチを守るように前に立ち、迫り来る巨人を迎えるよう、剣を構える。

 

「全部……分かってるんだよ……」

 

 その笑みは、絶やさずに。

 その足は、震えながらも崩らずに。

 決して、サチの前では倒れぬように。

 

「君が、ただみんなと一緒に遊びたかっただけな事も……君が、ただゲームが好きなだけな事も……君が、ただ優しいだけな事も……誰よりも傷つきやすくて……色んな事に、必要以上に感じてしまう事も……!」

 

「そんな、の……違うよ……そんなの、私じゃない……わたし、そんなに、そんな、言って貰えるような人じゃない……」

 

「違うんだ……違うんだよ、サチ……君がどんな人間かなんて、そんな大した問題じゃ無いんだ……君がみんなを誘ってくれたから……俺は君と出会える事が出来た……君と出会う事が出来たから……俺は、今こうやって誰かを───君を守りたいと、そう思えるような人間になれたんだ……」

 

 消え入りそうな体力で、摩耗した精神で、ありったけの想いを。それを遮るように巨人が仁王立ち、トドメを刺さんと怒号と共に右の拳を再び振り上げる。それをゆっくりと見上げたアキトは、空いた左の腕を伸ばし、標的の前で掌を開き、告げる。

 

 

「────“参・天璣(ザ・ストライフ)”」

 

 

 瞬間、目の前にエフェクトが飛び散る。淡く弾ける緑色の光はやがて十字を形取り、アキトの左手の前に花弁のように大きく広がっていく。

 展開されたそれは────盾。理不尽からサチを守る為の。

 

「ぐっ、う、ああああああ────!」

 

 巨人の拳と、盾が衝突する。迸る深緑の閃光が火花のように散り、雪原が激震を走らせる。突風が雪を巻き上げ、冷気が身体の動きを鈍くさせる。あまりの重さに、その膝が屈する。

 それ、でも────。

 

 

「ああああああああ────!!」

 

 

 決して、折れない。決して、負けない。

 絶対に、そこから彼は逃げたりしなかった。

 その背は、かつてSAOで見せてくれた背中と変わらない。

 いやそれよりももっと大きく、暖かく、優しく────強く。

 

 

「……どうして」

 

 

 どうして、君は。

 その問いに、アキトは小さく口を開いて答えた。

 

 

「────欲しいものが、あるから」

 

 

 ────欲しいもの。

 それはかつて一度だけアキトが教えてくれた、分部不相応な“夢”の話だ。

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 

 ────痛い。身体中が沸騰しそうな程に。

 ────重い。内臓ごと潰れてしまいそうな程に。

 ────けれど決して折れない。決して負けない。

 

「────ッ!」

 

 無限に等しい重力を、身体を粉砕しながら逆らって押し上げていく感覚。脳機能全てが砕かれ綯い交ぜになるような嘔吐感と、意識が飛びそうになる程の頭痛が身体の全ての感覚を支配していく。

 システム上感じないはずの痛みが、伸ばした左の指先から肩の付け根にまで広がっていき、思わず歯を食いしばり、目を細める。

 

「ああああああああ────!!」

 

 裂帛の気合い、怒号にも近い叫び声と共にその膝を立て、その身を上へと押し上げる。潰さんとする巨人の腕を、力の限りを振り絞って勢い良く跳ね上げる。

 瞬間、その鮮やかな緑のエフェクトを放ち続ける十字の盾が肥大化し、その極光を強めたと同時に、ニコラスはそれに押し上げられて後方の巨木へと吹き飛ばされた。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……っ!」

 

 ────強い。

 やはり、SAOの時よりも遥かに強化されている。

 ふと顔を上げれば、もう既にニコラスは立ち上がり、此方を視認していた。思わず目を細め、舌打ちする。ユラリと立ち上がり、その巨人はまた地響きを上げながら迫ってくる。

 幾ばくも無いその体力を削りながら、アキトは再び剣を振り抜く。その猛攻が、命を容赦無く削ぎ取っていく。それどころか、自らの繰り出した剣戟の反動すら、自身の体力を脅かしていく。

 

起動(セット)────……っ!」

 

 脳が振動を繰り返し、正常な認識を、正確な演算を阻害する。目眩がして景色が何層にも重なって見える。

 巨人のその拳がすぐ目の前まで迫って来ているのに眼前で気付き、再びその身を弾かれた。

 

「がぁっ……ぐっ……!」

 

 下が雪のせいで摩擦がかかりにくい。立て直すのにかなりの時間がかかる。咳き込み、深く呼吸をし、それでもなお正常な感覚が中々戻って来ない。

 何度も、何度も何度も。その雪原に剣を突き立てては、彼女の前に立つ。

 

 ────ああ、こんなに辛いのは。苦しいのは。いつ以来だろう。

 

 こんなみっともない自分の背中を他でもなく彼女に見せる事が、こんなにも情けない事だとは、と笑えてきた。

 そんな背に震えながら声を投げかけてくる彼女もまた、弱々しくて。守ってあげなければと、支えてあげなければと、そう思わずにはいられない。

 

「もう……やめてよ……」

「……やだね」

 

 立っているのさえやっとだというのに。今にも崩れ落ちそうな程に辛いのに。

 彼女の前では、この“強がり”だけは無くならない。彼女がもう一度立って、歩き出すまでの時間を、その役目を、他の誰にも譲りたくない。

 他ならぬ、自分の場所だ。

 

 

「────“肆・天権(ザ・ルミナリー)”」

 

 

 地に突き立てたその刀身から光が雪原に広がり、積もる雪が尖った氷柱のように形成されていく。背中から驚くような吐息が漏れたと同時に、雪原から剣を抜き去り、そうしてアキトが剣先をボスに向けた瞬間、それが無数の弾丸のように射出されていく。

 

『Gu────ruAAAAAAAAaaaaaaaaAAAA!!!!』

 

 その無数の氷柱の弾丸を待ち受けるよう仁王立ちし、左に持つ巨大な袋を持ち上げ、大きく振り抜き弾く巨人。振るう度に生じるその暴風に目を細めながら、アキトは再びその地を蹴って走り出す。

 

「うおおおおおああああああああっ!!!!」

 

 何度も斬っても、何度も防いでも、何をしても。その行動全てがその身を犠牲にする行為。精神が、心が、意識が、段々と薄れていく。

 そうして刻々と潰える自身の体力を、摩耗して擦り切れそうな心を、惜しげも無く炉にくべながら。

 どれだけ押し潰されそうでも。どれだけ苦しくても。

 

 ────前へと踏み出す脚は。

 

 ────繰り出す剣の力強さは。

 

 

「ウオオォああああアアア─────ッッッ!!」

 

 

 ────変わらない。

 

 

「……お願い……」

 

 

 ────そうやって。

 誰から見ても死に体の勇者を見て。

 目尻を真っ赤に染めて泣きじゃくる彼女の姿を、背中越しでも感じる。その震えた声が、その背に届く。

 

 

「……もう、いいから……もう、戦わないで……」

 

 

 ────うるさい。

 そんなの、聞いてやらない。

 もっとわがままで良いのだと、SAOに居た頃色んな人に言われたのだから。だから、やりたい事を。したいと思った事を。

 

 

「……る、んだ……」

 

「……え……」

 

「……守、るんだ……サチを……」

 

 

 ────自分は、ただ。彼女を支える為に。

 

 

「……その為に、来たんだっ……!」

 

「……!」

 

 

 サチが周りと距離を置き始めていた事なんて、とっくに気付いていた。

 あの世界を戦い抜いたキリト達と、その帰りを待ち続けた彼女の間に、彼女自身が引いてしまった境界線。

 大切な仲間を死なせてしまったのだと、一人で抱え込んだままの罪の意識。居場所を感じられず、孤独を耐えながら、誰にも相談できずにこの日まで抱え込んできた。かつての浮遊城でもあったこのイベントを前に、彼女が何を感じていたのかも。

 それがケジメなのか、懺悔なのかは分からない。けれど、彼女自身が何かを変えたいと願っている。

 それを、知っているから。

 

(ああ、そうか)

 

 ────今更のように、少年は自覚する。

 生命が容易く失わる鋼鉄の浮遊城で出会った、分け隔てなのない優しさ、温もり、笑顔、居場所。

 何も無い自分に、彼女がくれたもの────。

 

 ────その全てを。

 

「……みんなが、笑顔でいられる世界……幸せに、なれるようにって……君と、“約束”した理想……その、理想を叶えた居場所に……」

 

 要領を得ない言葉の数々。それでも、苦しくても、今伝えなくてはならないと思った。嗚咽と共に絞り出す、濁ったような声を、それでも止めたりはしない。ただひたすら吐き出し続ける。

 

「その先に、君自身も居なければ、俺には、何の意味も、ない……っ」

「────」

 

 巨人の爪がアキトの身体を引き裂く。何度もその地に身体を打ち付ける。何度回復結晶を砕いても、精神が限界を迎えつつある。

 寒さからか、限界からか。そうして震える脚を律しながら、サチの前を奴に明け渡したりはしない。

 

「っ、だから……諦めない……何度、這い蹲ろうと……」

 

 届いているだろうか。伝わっているだろうか。受け取ってくれているだろうか。

 分からない。彼女の声も、もう聞こえない。それでも。それ、でも────少しでも、君に。一人じゃない事を。

 決して、独りにしない事を誓う。

 

「何度だって立ち上がる……立って、戦う……」

「……どう、して……」

 

 ────“どうして?”

 ────何でそんな事、言わなくちゃいけないんだよ。

 ────そんなの、決まってるだろ。言わせるんじゃねぇよ。

 

 

「果てのない後悔(過去)だけを、抱え続けてきた君が───」

 

 

 自分だけが悪いのだと、塞ぎ込んでいた君が。

 

 

「いつか、明日(未来)に向かって歩けるように────!」

 

 

 共にみんなと、笑って歩いて行けるように。

 

「……っ……!」

 

 溢れる涙を、拭う事もせず。言葉にならない嗚咽を混じらせて、ただアキトを見つめ続けるサチ。

 戦いの最中、そんな彼女を視界に収めることすら難しい。彼女が今、どんなにくしゃくしゃな顔をしているのかなんて想像もつかない。

 けれど、それでいい。伝わればいい。この想いが、熱が、君に伝熱すればいい。

 

 ────俺は、君を知っている。

 

 臆病で、でも優しくて、笑顔が魅力的な彼女がを。初めて出会った時から、この感情は小さく芽生えていたのかもしれない。

 仲間になって、共に行動して、彼女の優しさを見て、その想いは募るばかりで。

 彼女の為なら、命さえ張れると思った。いつしか、生きる希望になっていた。

 

 

「たのむよ、サチ」

 

 何度挫けても、また立ち上がるから。

 みんなを、仲間を、自分を呼んでくれ。そう願う。そう叫ぶ。

 地面へと頭を擦り付け、蹲る。その剣の柄を、強く握り締める。

 

 

「独りにして……待たせて、ごめんな」

 

 

「コイツと一体一は、怖かったよな」

 

 

「罪の意識に、苦しむ毎日は辛かったよな」

 

 

「ずっと独りで、その恐怖と戦ってたんだよな」

 

 

「けどもう、大丈夫、だからさ」

 

 

「これからはずっと、みんながいるから」

 

 

「もう二度と、君を独りさせないから」

 

 

「もう一度、願いを言ってくれ」

 

 

「今度は必ず、君を支えるから」

 

 

「今度は絶対、応えてみせるから」

 

 

「死んでも、君を見付けてみせるから」

 

 

「キミがいなきゃ、何処にいたって同じなんだ」

 

 

「君がいなきゃ、何の意味も無いんだよ」

 

 

「だから、お願いだ」

 

 

「辛い時は、辛いって」

 

 

「寂しい時は、寂しいって────」

 

 

 自分(アキト)が、キリトが、みんなが。

 一緒に歩いてくれる仲間たちが、君にもいるから。

 

 

「助けが、支えが……必要だって言えよ……!」

 

 

 結局は、それを言いにここまで来た。

 ただの説教だった。彼女が独り、誰にも相談せずに抱え込んで離れていこうとした事が、単純にムカついて、気に食わなかっただけ。目の前の巨人なんて、二の次でしかない。

 

「わたし、は……こんな自分に……!」

「忘れんなよ……君は……アンタ(・・・)はもう、独りじゃない……っ。あの時とは、もう違うんだ……俺が、みんながいる……」

 

 かつての、彼女の呼び方で。

 同じ距離感で。同じ歩幅で。再び誓う。

 

「俺が、みんながいる限り……アンタにもう、何も諦めさせたりしない……っ……まだ見ぬ未来に何が起きようと……俺が、アンタを絶対に支えてみせる……!だから、サチ────」

「────れ、る?」

 

 掠れたその声を。絞り出したなけなしの叫びを。アキトは決して聞き逃さない。

 振り返って、しっかりと彼女を────泣きじゃくるサチの顔を見つめる。想像以上にくしゃくしゃな泣き顔を見て、ただ優しく微笑んで見せた。

 

「────私と……っ、一緒に戦ってくれる……?」

 

「っ────たく、遅いんだよ」

 

 その言葉を告げるのに、どれだけの勇気が必要だったろうか。

 自身が誘った世界で仲間を失い、その罪の意識を抱え続けて、それでも死の恐怖に耐え切れず、闘うことも出来ずに塞ぎ込んだ二年間は、きっと彼女にとっては地獄だったろう。

 それをどこかで感じ取っていたはずなのに、ここまで何も出来ずに巨人に吹き飛びされるばかりだった自分が酷く情けない。けれど彼女からの叫びが、その心臓の鼓動を強くする。

 きっと、彼女に頼られるこの時を、待っていたのかもしれない。

 

「……っ」

 

 涙を拭いながら、その槍を仕えにして、漸く彼女は立ち上がる。

 ゆっくりと、震える脚を叱咤しながら、歯を食いしばりながら歩んでくる。そうして、覚束無い足取りでアキトの横に並び、互いに視線を交錯させる。

 言いたい事、聞きたい事、伝えたい事、沢山ある。けれど、それは目の前の巨人を倒してから。

 

「……終わったら、アキトに聞いて欲しい事があるの」

「この状況でフラグ立てやがったな。絶対聞けないぞそれ」

「ううん。絶対言う。もう決めたの。もう、抑えてられないの」

 

 その直情的な物言いにドキッとするも、いつも以上に覇気のあるサチを見て、アキトは笑った。彼女の為に、今自分が出来ること。

 

「────」

 

 深く、息を吸う。体力の危険域到達によってその視界が赤く染まる。脳内でアラートがけたたましく鳴り響く。それが聞こえなくなるほどに、その集中力が研ぎ澄まされていく。心臓の音が木霊する。

 

 

「────守る為、誓いの為にこの腕を」

 

 

 彼女を守り、支え、苦難を乗り越える為の腕となれ。

 

 

「────繋ぐ為、願いの為にこの脚を」

 

 

 絆を繋ぎ、救いを求める者へ駆けつける為の脚となれ。

 

 

「────夢の為、理想の為にこの剣を」

 

 

 誰もが笑顔で、幸せになれるような居場所を創れる剣であれ。

 

 

 雪原を震わせるような咆哮をその身に浴びながら、アキトとサチは武器を構える。震災を発生させながら迫り来る中で、再びアキトが前に躍り出る。

 さあ、見せようか。SAOで深化した、彼女と未来を見据えていく為の力。

 

 

 

 

起動(セット)────未来視(リヴィジョン)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 Ex.『未来(君との未来はこの手の中に)

 

 

 

 









────リハビリです。
話は適当に考えて2時間くらいて書き上げたものなので、面白さは期待しないでください(笑)
少しずつ合間の時間を使って投稿して行けたらと思います。

END√(辿る道にさほど変化はないが、導く結果は変化する)

  • ‪√‬HERO(キリトが主人公ルート)
  • ‪√‬BRAVE(アキトが主人公ルート)
  • ‪√‬???(次回作へと繋げるルート)
  • 全部書く(作者が瀕死ルート)

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