ソードアート・オンライン ──月夜の黒猫──   作:夕凪楓

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傷付けるほど想ってる。狂おしいほど望んでる。




Ep.113 96層討伐戦線

 

 

 

 気象設定は曇り。

 これから雨になりそうな灰色の空だった。何か思う訳でもなくてぼうっと見上げれば、まだ吐く息は白く、ほんの少しの肌寒さを感じて。待っていれば、雪が降るんじゃないかと思えてくるような気温だった。

 

 何処か張り詰めた空気が居心地の悪さを助長して、アキトは思わず身を縮こませる。昨日の96層フロアボスの討伐に向けた攻略会議からずっとこの空気を引っ張っているような気がする。既に広場に来ているプレイヤーはそれぞれ徒党を組んで固まっており、早く来過ぎたアキトはたった一人で近くの建物に寄りかかっていた。それだけで周りがこちらに視線を寄越す。チラチラと視線が向けられるのはいつもの事ではあるが、やはり慣れない。目を逸らしてもその先のプレイヤーと目が合ってしまう。つまり、揃いも揃ってこちらを見ているという事になる。というのも、こんな曇り空でも見送りに来てくれるギャラリーはやはり多いのだが、彼らの目的は攻略組──その中でもNo.1の実力を誇る《黒の剣士》アキトなのだ。

 

 本人は知らないが、全身黒というおかしな格好を除けば、見ず知らずの人をも助ける行動力や人となり、何より端正な顔立ちで色々と優良物件なのだ。この世界で数少ない女性プレイヤーからそれはそれは人気を誇り、男性からは嫉妬の雨あられ。しかし、アキトの人を助ける姿を目の当たりにしている者は結構多く、その人間性が憎むに憎めないというのが現状で、噂が噂を呼び、顔を見に来るプレイヤーが増えているのだが……。

 

 

(何が楽しいんだ、俺なんか見て……)

 

 

 そうとは知らないアキトはこの集まる視線に居心地の悪さしか感じない為に表情がどんどん曇り始めていた。

 何故こんなに自分を見つめてくるんだと言いたくなる。ここは最前線の96層の街《ウィルトス》だぞ。こっちよりも街の風景を見た方が余程建設的じゃないか、と言葉にしなければ意味をなさない事をつらつらと脳内で語る。当たり前だが現状は変わらず、かといって集合場所であるこの広場から離れるのもおかしいので、誰か知り合いが来てくれるのをひたすら待つしかない。

 

 しかし来て欲しいとは思いつつも、一番最初にアスナかシノンのどちらかが、しかも単体(一人)で来るケースだけは割と本気でやめて欲しい。確実に二人きりになるし、そうなると互いに何も無いように振舞っていたはずの空気が崩壊して突き詰めた話し合いに発展する可能性があるからだ。彼女達に甘えてる分際で何を、と溜め息を吐きながら、寄りかかった壁に頭をぶつけた。

 

 ……まあ、自分じゃなくて街を見ろと先程まで唸ってはいたのだが、この街に見所があるかと聞かれれば首を傾げてしまう。階層が上がるにつれてフィールドは狭まっているが、それは街も同じだ。96層の街《ウィルトス》も他の層と何ら変わらない西洋風の石造りの街並みで、それが他の層よりも狭いとくれば愈々フォローのしようがない。

 スポットがあるとすれば、中央広場の少し先に位置する倒壊した転移門だろうか。周りを囲っている円台を支える柱が何故か砕けていてピサの斜塔のように傾いてしまっており、地盤は石畳を盛り上げる形で半壊している。ここに来てアクティベートをした際、これまでと違う転移門の出迎えに困惑したのは記憶に新しい。

 転移事態は問題無く行えるのだが、こちらに転移した際に床が傾いていると僅かな気の緩みでも滑って転んでしまう。そもそも何故壊れているのか……と考えたのだが、全くもって分からなかった。ただ、前回のフィールドで迷宮柱が崩壊していたのを思い出すと、この《アインクラッド》が崩壊し始めているのではと考えてしまう。ボス部屋まではアキトの《回廊結晶》で行く為今回は関係無いが、いつまでもあれでは何かと不便ではあるのだ。最初こそみんな不思議に思って見に来ていたが、今はすっかり熱は冷めているらしい。

 ……だってみんなこっち見てるんだもん。

 

 

 「ようアキト、早ぇな」

 

 「……クライン」

 

 

 ふとすぐ隣りから声を掛けられ、伏せてた顔を上げると、ずっと来て欲しかった待ち人の一人がそこには立っていた。特徴的なバンダナに無精髭の侍男は、小さく笑みを浮かべて片手を上げていた。

 アキトは一瞬だけ安心したように顔を綻ばせたが、すぐにハッとなって目を逸らす。

 

 

 「……おっそいよ」

 

 「何でぇ、まだ時間前じゃねーか」

 

 「三十分前行動は基本だと思います」

 

 「いや早くね?」

 

 

 完全なとばっちりに戸惑うクラインは、顔を上げて辺りを見渡す。視界には数多のギャラリーの視線が。それを見て暫くすると、クラインは納得したように頷いて、ニヤけた表情でアキトに肩を回した。

 

 

 「なるほどなぁ。いや〜、辛いなぁ人気者はよ」

 

 「そんなんじゃないから」

 

 「そんなんだろ。ほれ、みんなお前さん見てるぞ。かーっ、羨ましいなぁオイ!」

 

 「……クラインちょっと盾にさせて」

 

 「やなこった」

 

 

 揶揄うクラインに手を伸ばすもヒラリと躱され、隣りに移動すると同じように壁にもたれかかった。クラインは空を見上げ、変わらず雨の降りそうなねずみ色の空に息を吐き、何処か憂いた表情を見せた。

 ……クラインも黙っていれば中々男らしいのではないだろうか。という錯覚を振り払い、何か話題を探し出す。

 

 

 「今回のボス部屋、《風林火山》が見つけたんでしょ?」

 

 「ん?ああ、まあな。しかも今回は扉の先にいるボスの姿を拝めたんだ、昨日の攻略会議である程度の事前対策は出来たんじゃねーか?」

 

 「まあ、一応96層のボスだからなぁ。どれだけアテになるかは分からないけど……」

 

 

 74層のボス部屋以降、一度部屋の中に入ると扉が閉まり、戦闘が終わるまで出られない《結晶無効化空間》となる仕様によって、攻撃パターンが読み取れないケースが続いた。扉を開けるだけでも、ボスのシルエットすら確認出来ない事もままあったのだが、今回はボスの姿をハッキリと視認する事が出来たらしい。昨日の攻略会議では四足歩行の三頭犬(ケルベロス)型だと聞いた。爪や牙による攻撃や身軽な立ち回り、ブレスなどの特殊攻撃が予想される。

 昨日の会議の内容を反芻していると、隣りでクラインが思い出したように告げた。

 

 

 「そういや、昨日あの娘見かけたぜ」

 

 「……あの娘?」

 

 

 誰の事だろう……と首を傾げる。また新しい女の子だろうか。

 しかしその名を聞いた瞬間、アキトは目を見開いた。

 

 

 「ストレアだよ」

 

 「え……ほ、ホントに!?」

 

 

 寄りかかっていた背中を勢い良く壁から切り離し、クラインの前に回る。この一週間、考えない日など無いくらい心配した彼女の名をクラインから聞き、歓喜より衝撃の方が大きかった。アキトの突然の捲し立てにクラインは驚きながらも頷く。

 

 

 「ああ、フィールドにいたのを見て慌てて追い掛けたんだけどよ、結局見逃しちまって……」

 

 「ど、何処に行ったとか分かる?」

 

 「ボス部屋近くまで追い掛けたからな。けど途端にいなくなっちまって……是が非でもとっ捕まえておいた方が良かったか?」

 

 「……いや、何か事件に巻き込まれてる訳じゃないなら、一先ずはそれだけで……そっか、無事だったのか……良かった……」

 

 

 どうやら、先日アルゴから聞いた“神隠し”の事件とは無関係なようだ。それだけでも大きな収穫だし、元気でいるならそれに越した事は無い。ユイの言う通り、迷宮区に篭って経験値稼ぎをしていたのかもしれないと思うと、一気に安堵の息が零れた。ボス戦前に胸のつっかえが取れた気分だ。

 

 

 「……それ、アスナ達には?」

 

 「ここに来る前に話したよ。みんな揃ってアキトと同じ反応だったぜ」

 

 「そっか……教えてくれてありがとう」

 

 「何だそりゃ。たまたま見つけただけなんだから、礼なんてすんじゃねーよ。結局見逃しちまったし……」

 

 

 謝るか礼しか言わねーなお前は、と頬を掻きながら笑う。言われてみればと思い返し、アキトも困ったように笑った。

 

 

 ────しかし、その笑みもすぐに崩れた。

 

 

 「っ!?」

 

 「な、何だ!?」

 

 

 突如、96層全域にけたたましく轟音が鳴り始め、同時に地響きが起こり、グラリとバランスを崩した。

 それはアキトだけでなくクラインも、そして周りのプレイヤー達も同様で、悲鳴やざわめきが間断無く耳に入り込む。

 

 

 「じ、地震か!?」

 

 

 クラインの疑問に答える余裕も無く、先程までもたれていた壁に身体を預ける。かなり大きな揺れが続き、このまま《アインクラッド》が崩壊するのではないかと思わせる程だ。視界の端で転んだり倒れる人が続出している。

 しかし、その揺れはやがて小さくなって、最後は地震の前の静けさに戻っていった。

 暫く誰も口を開こうとしなかったが、やがて我を取り戻したのか、この揺れの動揺からか周囲がざわめき始めた。クラインも辺りを見渡して地震が収まった事を再確認し、ふうっと息を吐いた。

 

 

 「……何だよ、脅かしやがって」

 

 

 まったくだ。何度か揺れたりはしていたが、ここまで大きな地震なんて……それこそシステムエラーが発生して以降、80層の時以来だろう。

 クラインも同じ事を思ったようで、アキトを見て口を開く。

 

 

 「確か80層に着いた時にも地震があったよな」

 

 「うん……シリカの攻略組としてのデビュー戦だったから、覚えてる」

 

 「地震の他にも、フィールドで不自然にラグる所が増えてるって噂もあるし、やっぱ何かがおかしいのか?」

 

 「……おかしいのはもっとずっと前からだったけど……少し不安だな」

 

 

 75層の大規模システムエラーから、色々なバグが発生していた。初めて地震が起こった80層到達時には、地震が新しいイベントのフラグみたいな話もあって少し浮かれもしたのだが、どうもそういった楽しいイベントの前触れには思えない。

 だが、システムに干渉出来ない一プレイヤーとしてはただ気を引き締める事以外に出来る事などない為、問題ばかり増えるこの現状に不安が募るばかりで、周りの空気も淀み気味だった。

 

 

 「アキト君、クライン」

 

 

 暫くして喧騒が収まってきた頃、ギャラリーが作る道の奥からアスナ達が歩いてきた。シリカ、リズベット、リーファ、シノン、フィリア、エギルと続いてこちらに向かってくる。けれど先程の揺れのインパクトが強くて、アスナやシノンを前にしても不思議と昨日の気不味さは感じない。

 

 

 「さっきの地震凄かったね」

 

 「《アークソフィア》も揺れたの?」

 

 「多分、《アインクラッド》全体が揺れてたんじゃないかな。立てないくらいの揺れは久しぶりだよね」

 

 

 不安気な表情を見せるアスナの隣りで、シノンが訝しげに口を開いた。

 

 

 「ねえアキト。これ、今日が初めてじゃないわよね。何度か起きてるみたいだけど、この世界ではよくある事なの?」

 

 「いや……さっきクラインとも話したんだけど、ここまで大きいのは80層の時以来だよ」

 

 「という事は、何かのイベントの一種なのかしら?」

 

 

 やはり何かのイベントなのでは、と考えるのは皆同じなようで、シノンはその問いをアスナに投げ掛けた。アスナは複雑そうな表情で腕を組む。

 

 

 「クォーター・ポイントである75層を越えたから発生し始めたのかもしれないけど、でもシステムが不安になっている為に起こっている現象じゃないかっていう見方もあるわね」

 

 「終盤に向けた演出なら良いけどよ、どうもそんな感じでもねぇんだよな」

 

 

 続けてエギルがそう答えると、リズベットとフィリアが揃って俯いた。

 

 

 「下の階層に行けなくなったり、アイテムが壊れたり……システム的なところがちょっと不安よね」

 

 「うん……私が《ホロウ・エリア》に囚われたのも、エラーが原因だったし」

 

 

 本来、この世界で起こったバグが継続的に続くのは有り得ない。

 通常なら、《カーディナル》が自動的にバグを修正する機能が働くはずだからだ。なのに、75層でのエラー以降それが機能している様子はまるでない。

 それどころか、新たなバグが少しずつ増えてきている現状だ。初めはスキルやアイテムの欠損だけだったが、転移の不具合やフィールドのラグなど修正しなければおよそゲームクリアに関わる問題が未だに解決されていないのは痛手でしかない。

 するとリーファが不安になったのか震えた声で呟いた。

 

 

 「この世界が、壊れ始めてるのかな……?」

 

 

 それは地震の規模からも考えられる最悪のケース。肯定も否定も出来ないその説は、どちらにせよ判断材料が足りな過ぎた。リズベットは考えを振り払うように首を横に振り、覇気のない声で言った。

 

 

 「そんな事考えたくもないけど……だとしたら、急いで100層をクリアしないと」

 

 「階層が上がる度に攻略が難しくなるのに、急がなきゃいけないなんて……」

 

 「きゅるぅ……」

 

 

 シリカの悲痛な叫びにピナも静かに鳴く。

 これからボス討伐だというのに、空気は沈みっぱなしだ。流石にギャラリーとして来ていた周りのプレイヤーも、その雰囲気に違和感と戸惑いを感じているようだった。この世界に抗う象徴である攻略組が、今の地震一つで心さえも揺れ動く、と。

 アキトは慌てて言った。

 

 

 「でも、原因も分からないし下手に焦っても危険だよ。今すぐどうこうなるとも思えないし」

 

 「そうね。今までだってこんな事何度かあったし。今はボス戦に集中しましょう」

 

 

 アスナも後からそう言うと、みんな少しだけだが気を引き締められたようだ。今からこんな事を考えていてはボス戦に支障が出るかもしれない。それが分かっている分、彼らの切り替えは早かった。

 彼らの不安は分かる。立て続けに色んな問題ばかり積み重なって、しかも原因がほぼ何も分かっていないこの状況は流石に恐怖するだろう。けれどアキトも、こういった場合に何を言ってあげるのが正解なのか分からかった。この空気はいけない、そう思ってはいるのに。

 

 こんな時、ストレアがいてくれたら────と誰もがたらればを心の中で零す。その天真爛漫で緊張感を感じさせない笑顔がどれだけ救われるものだったのか、それは失って初めて気付くものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 《回廊結晶》の光が消えてから目が慣れるまでの数秒感、視界が塞がれた中で感じるのは、迷宮区特有の肌寒さ。次に慣れた瞳を瞬かせれば、視線の先は薄暗がりの回廊だった。

 静寂の中でコツコツというブーツの音と、鎧装備が軋む音が響く。これからボス戦なのだと思うだけで、胃から込み上げてくるような緊張感。迷宮区はただただ冷たさと闇の深さを主張していて、やはりどうにも慣れない。

 

 

(……ここに、ストレアが……)

 

 

 先程の地震の件で話が逸れてしまったが、この場所はクラインがストレアを見たという場所だった。今、何処で何をしているのだろうかとふと考えてしまう程には心配で、元気なら顔くらい見せて欲しいというのが正直な気持ちだった。けどそれはきっと、アキトだけじゃなくアスナ達も思っていて、けれど口に出さないだけ。

 感覚を空けず、列を乱さず一定の速度で部屋へと向かう。それぞれが初動の連携や作戦の概要を確認し合っている中、リズベットが後ろを歩くクラインを見上げて、ポツリと言った。

 

 

 「……ねえクライン、ストレアはこの辺りで見失ったの?」

 

 「ああ、さっきヒビの入った壁があっただろ?あの辺りで見失ってよ」

 

 「こんな上層の迷宮区をたった一人でって……やっぱストレアって凄いんだなぁ」

 

 

 フィリアがほえーっと感嘆の声を漏らす。この部屋前のダンジョンでは、剣や槍を持った騎士感溢れるモンスターが多く蔓延っており、ある程度の思考能力と、連携技まで持っているというやたら面倒な奴らだったと記憶している。クラインが《風林火山》と共にストレアを見掛けた時は一人だったらしいし、そう考えると確かに凄いの一言に尽きる。

 元々ストレアは初めてパーティーを組んだ時から高い実力を誇っていた。アドバイスも的確だったし、ソロにしてはスイッチやPOTローテといった連携もしっかり取れていて、尚且つ周りをよく見ていた。だから悲しい顔をしている人を見逃さず、常に笑顔で元気を分けてくれていたのかもしれないと、今になって思う。

 

 

 「……なんか、いつの間にか大きくなってたなぁ」

 

 「え?」

 

 

 アスナの主語のない言葉に、思わず首を傾げる。彼女は遠くを見つめるような眼で、胸に手を当てて思いを馳せるように大切に呟いた。

 

 

 「ストレアさんの存在。居るのと居ないのとじゃあ大違いだなって。なんか上手く言えないけど、ハチャメチャで、面白くって、予想が付かない人で……私、ストレアさんのこと大好きみたい」

 

 「っ……なんか、恋してる言い方みたい」

 

 「えっ!?あ、ホントだ……ふふっ」

 

 

 言ってから気付いたのか、顔を赤くして照れるその姿は満更でも無いように見えたが、ストレアを受け入れてくれた証みたいで嬉しかった。きっと、アスナもストレアが生み出す雰囲気や、彼女自身の魅力みたいなものに惹かれた一人だった。

 

 

 「確かにストレアさんって、最初のイメージと違って面白い人でした」

 

 「みんなで料理作った時もすっごく面白かったしね」

 

 

 シリカとリーファが顔を見合わせて頷き合う。そんな会話と共に、当時の事が思い起こされていく。

 出会いが出会いなだけに、最初こそ不審がっていたけれど、数少ない女性プレイヤーというのもあってか、それともストレアの魅力か、彼らはすぐに打ち解けた。S級食材を作った料理勝負も、ストレアが作った未知の料理がとても好評で。その破天荒さが一周回って、いつの間にか癖になって。

 

 

 「まあ、急に現れた時はホントに嵐みたいだと思ったけれど、印象が変わったのは割と早かったわねぇ」

 

 「……そうね。悪い人じゃないってすぐに思えた。突然、変な事を言い出す時もあるけど、不思議な魅力があるっていうか」

 

 「そうそう!落ち込んでる時も容赦無く抱き着いて来て、けどそれがなんかホッとするっていうか」

 

 

 次いでリズベットとシノン、フィリアがそう答える。すると、それを横目で見ていたアキトの視界に割り込むように、アスナが顔を覗き込んで来た。

 

 

 「アキト君は?」

 

 「へ……?」

 

 

 距離の近いアスナの顔にギョッとするも束の間、突然そう尋ねられて首を傾げる。一瞬質問の意味が分からず目が泳いだが、先の会話の流れから察するに、ストレアに対する印象の事だろう。

 

 

 「俺、は……えと、何だろう……ストレアは、何というか、放っておけなくて……」

 

 

 ストレアは常に笑っていたけれど。何も心配する事なんて無いように見せていたけれど。何処か脆い一面が見え隠れしているような印象をアキトは持っていた。あの笑顔は自然なものだろうけど、今思えば、楽しむ事で何かを忘れようとしているようにも見えた……気がした。

 要領を得ない話し方に痺れを切らしたのか、ふと疑問を思い出してリズベットが問う。

 

 

 「そもそもアンタ、ストレアとはどういう出会い方をしたのよ。77層のボス戦の後に知り合ったとは聞いたけど」

 

 「えっと……《アークソフィア》で昼寝してて、目が覚めたら近くで寝てた」

 

 「は?」

 

 

 意味が分からないといった顔をされたが、それが真実だ。索敵にかかる事無くアキトの傍まで来て、こちらが起きたら近く……というか上に覆い被さって寝ていたというのが事実だ。

 その後何度か顔を合わせ、二人でエギルの店に赴いた矢先にアスナ達とも顔を合わせた、という感じだったような記憶がある。

 

 

 「けどストレアさん、あの時からもうアキト君と凄い仲良さげに見えたけど……ホントに前々からの知り合いって訳じゃないの?」

 

 「うん……あ、でもストレアは俺のこと、なんか最初から知ってたみたいだったけど……」

 

 

 アスナからそう聞かれ、思い出したように呟く。考えてみれば、あれが初対面のはずなのに……どうしてか彼女をすんなり受け入れられていた。

 ────そもそも、“初対面”という事実に、どうにも違和感を感じずにはいられなくて。

 

 

 「じゃあストレアが一方的にアキトを知ってたって訳か」

 

 「……多分」

 

 「何だよ、ハッキリしねーな」

 

 

 エギルの言葉に煮え切らない態度のアキト。クラインがもどかしそうに眉を顰める。アキトは少しばかり焦ったように、自身の内の違和感をどうにか言語化していく。

 

 

 「えと……ストレアとは会った時から、なんか“懐かしさ”みたいなのを感じててさ。どうも初めて会った気がしなかったっていうか……」

 

 「じゃあ、やっぱり何処かで会ってたってことですか?」

 

 「いや、ストレアみたいな人と会ってれば絶対覚えてるはずなんだけど……」

 

 「まあ、あれだけインパクトのある人なんていないもんねー」

 

 

 ────そう、だからこそ分からない。

 ストレアが自分を知っていた事。何処か懐かしさを感じた事。一緒にいて、楽しくて、何処か他人じゃないようなこの気持ちの理由。

 

 

 「着いたな」

 

 

 しかし、その思考は既に目の前まで来ていたボスの扉を目の当たりにした事で中断される。エギルの声で顔を上げれば、一際存在感と異彩を放つ巨大な鉄扉が聳え立っていた。張り詰めた空気が一気に押し寄せ、張り付いてくる。

 アキト達だけでなく、話をしていた全てのプレイヤーから声や音が一瞬消える。何度来たって慣れる事の無い死と隣り合わせの戦い。このボス戦の前に必ずやってくるこの空気が、アキトは苦手だった。恐らくそれは、誰もがそうで。けれど何か言えるような自信も無ければ何を言えば良いのかさえ分からない。

 

 

 「え、円陣でも組みます……?」

 

 「何でよ」

 

 

 ────どうにか絞り出した提案は、呆れた表情のシノンにバッサリと切られてしまった。どうやら的外れだったようで顔を顰める。

 一斉に視線が向けられたアキトは、戸惑いながらもしどろもどろに拙く答えた。

 

 

 「え、い、いや、大変だけど頑張ろーって、流れだと思って……」

 

『『『……』』』

 

 

 ……そんな絶句する程に空気の読めない発言をしたのだろうか。

 ただこの空気をどうにかしたくてアキトなりに考えた結果だったのだが、この沈黙は痛過ぎる。

 

 

 「……ふふっ、あはは……」

 

 「っ……」

 

 

 しかし、そんな重苦しかった空気を裂くように、温かさを感じる笑い声が零れた。思わず俯いた顔を上げ、その声の先にいる人物に目を向けてしまう。

 

 

 「アキトくんっ……、ズレ過ぎ……あははっ」

 

 

 ────言葉に詰まる程に、その笑顔は魅力的だった。

 笑ってそう言ったのはアスナだった。的外れなアキトの行動の可笑しさに口元を抑えて必死に堪えようとしていても、余程可笑しいのか目尻から涙が滲んでいた。我慢出来なくなったのか、最後はもう口元を抑えるのをやめてとめどなく笑い声を漏らしていた。

 

 

 「……くくっ」

 

 「……ぷっ」

 

 

 そうしてアスナを皮切りに、堪えていたものが一気に放たれ、ざわめき、静寂と続いた空気がガラリと変わったのだった。驚き慌てて辺りをみれば、今のやり取りが聞かれてクスクスと小さな嘲笑にも似た楽しげな声が聞こえ始めていた。

 アスナだけではない。シリカもリズベットも、リーファもシノンも、フィリアやクライン、エギルですら笑いを抑えられない模様。最近では一番の大笑いなのではと思うと同時に、そこまで可笑しい事を自分は言ったのかと落ち込みさえする。

 

 

 「そ、そんなに笑う事ないじゃんか……」

 

 「い、いや、意図した事は分かるんだけど、何故円陣……っ」

 

 「……」

 

 

 リズベットが腹を抑えて蹲るのを見て愈々恥ずかしくなってきたアキトは、誰にも見られないように羞恥で赤くなった顔を逸らした。良かれと思っただけの行為でここまで笑われるとは思わなくて、少し凹む。

 

 

 「……もう、絶対言わない……」

 

 「あーっ!拗ねないでよアキト!ゴメンって……ふふっ」

 

 

 背を向けるアキトの両肩を掴んだフィリアが、顔を寄せて慰めてくる……が、まだ笑っていた。すると、その後ろで一頻り笑ったアスナが、涙を拭って言った。

 

 

 「やー、でもなんか安心した。いつも通りのアキト君で」

 

 「ちょっと抜けてるところ見ると、こっちも気が抜けるわよね。張り詰めてんの馬鹿みたい」

 

 「ホントに円陣しちゃいましょうか」

 

 

 などと言って冷やかす彼ら。けれど、さっきまでの落ち込みようが嘘みたいで。これなら多少笑われた甲斐があったかもしれないとさえ思えてくる。

 隣りでクラインにポンと背中を叩かれ、改めて周りを見渡す。そこにはアキトが生み出した笑みが溢れていて、不安そうな表情を見せるものは殆どいなかった。その他攻略組も。不本意な笑われ方をしたけれど、笑顔の絶えない世界が、一瞬だが確かにそこにあったのだ。

 嫌われるよう振舞って。けれど誰かとの繋がりを確かに求めてた。今、多くの人の視線がここにある。みんなが見てる。それが、何処か擽ったくて、泣きそうで。けれど、とても嬉しくて。

 

 空気が変わり、武者震いにも近い震えが身体を襲った。

 思い出したように強張る身体と表情からは、再び緊張が。何度ボス戦を強いられようとも、命の危険は常に隣り合わせで、慣れる事など決して無いけれど。

 けれど、先程までのこの不安とは、ほんの少しだけ違っていて。この温かな空気に掻き消えるかの如く。

 

 

 「……大丈夫」

 

 

 クルリと振り返り、彼らを見渡す。全員キョトンとした表情を見せるが、アキトは続けた。

 無上の信頼は重いと、以前フィリアが言っていたのを思い出す。けれど、みんななら大丈夫だと、この時は何故かそう思えたのだ。

 だって。

 

 

 「俺の仲間は、ちゃんとみんな強いもん」

 

 

 これまでだってみんなの実力を疑った事は無い。何度も何度も、彼らは予想を超え、想像を越えてきた。

 二年前、SAOが開始したあの日。最初は誰だって無理だと思った。駄目だと諦めた。ただただ外部からの助けを待ち、神のいない世界で神に祈った。誰もが絶望的だと思ったはずだった。けれど、第一層を突破して、クリア出来るんだと思えるようになって。今じゃ100層間近だ。それなのに今回の件を無理だなんだと決めるのは、勿体無いし、まだ早い。

 

 

 「っ……」

 

 

 ────誰もが、息を呑んだ。

 命を預けるに足る希望を見た気がした。だって、この世界でNo.1の実力者からの激励。嘘偽りのない直球の想い。

 これで昂らない奴がいるだろうか。これ以上の鼓舞を、我々は知っているだろうか。

 信じてもらえている────そんな実感を確かに抱いて、誰もが笑った。

 

 

 「よっしゃ!行こうぜ!」

 

『『『おお!!』』』

 

 

 クラインの気合いの入った声と掲げた腕に合わせ、攻略組の誰もが武器を持ってそれを掲げた。今までに無い勢いと熱で、空間が震える。

 いつものようにアスナが躍り出て、その巨大な扉に手を掛けた。

 

 

 「皆さん!勝って、生きて帰りましょう!」

 

 

 扉を開ける前の、最早決め台詞となったその言葉。再びそれに応えるように雄叫びを上げる面々に苦笑しながら、アキトはアスナの隣りに上がり、もう片方の扉に手を掛ける。

 ふと隣りを見ると、アスナが未だにクスクス笑っていた。

 

 

 「なんか、こんな状態でボス戦始まるの久しぶりかも」

 

 「俺的には、毎回こんな感じが良いな」

 

 「次はホントに円陣組もうか」

 

 「やめてくれ……」

 

 

 そう言って、同時にゆっくりと扉を押す。雪のように冷たいその扉は少し押すだけで左右の扉が連動し、後は自動で開き始める。凄まじい轟音と扉の開閉ちよる地響きが身体を震わせる。

 徐々に、徐々に、扉の向こう側が見えてくる。これから見えるだろうボスの姿。待ち受け牙を剥いているだろうその姿を、誰もが息を呑んで見据えた。

 

 

 ────ボスの姿は、なかった。

 

 

 「……え」

 

 「っ……あれ?」

 

 

 扉が開き切ったその瞬間、先頭に立ったアキトとアスナは固まった。クラインが見たという四足歩行のボスの姿が、その部屋の何処にも存在しなかったからだ。姿どころか、気配すらない。殺気も感じないし、唸り声も聞こえない。逆に不自然だ。

 更には、前回と同じように部屋には暗い霧のような靄が棚引いていて、視界を霞めていた。

 

 

 「……いない」

 

 「そ、そんなはずは……俺は確かに見たぞ!?」

 

 

 それを聞いたクラインは慌ててアキトとアスナより前に出て、部屋の中に入った。キョロキョロと辺りを見渡すが、それが事実だと分かると目を丸くした。

 しかしクラインが嘘を吐く理由も特に無い為、アキト達も彼に続いて部屋の中へと入りボスを探し始める。これまでも情報の無いボスと戦うケースは何度もあった為、ボス戦を中断するような事は無く、警戒を解く事無く各々武器を構え始める。

 けれどその空間には、緊張による荒い呼吸音のみが響いて、肝心のボスが現れる様子が無い。もしや、既に誰かが倒してしまったのだろうか。

 

 

 ────瞬間、扉が大きな音と振動と共に閉じた。

 

 

 全員の背筋が凍った。一瞬でも緩みそうになっていた気が再び引き締まった。そう、扉が閉まったという事は、この層のボスはまだ健在だという事実にほかならない。表情を強張らせ、再び周囲に気を回す。

 

 

 その時だった。尋常ではない何かの気配を感じ、鳥肌が立ったのは。

 

 

 「っ……!?」

 

 

 バッ、と音を立てて振り返ったアキト。二本の剣を構えて前方を見据える。突然の事で少なからず驚いたプレイヤー達は誰もが身体を震わせる。慌てて武器を構え直し、彼を、そして彼の視線の先を見た。

 

 その先は、未だ変わらず黒い霧が立ち込めている。けれど、段々と何かの音がその空間内に響き始めた。

 それは、重苦しいような唸り声でも、地を揺るがす様な足音でもない。しかし、聞こえてくるこの音は、誰もが聞いた事のある音だった。そう、これはまるで────

 

 

 「ブーツの、音……?」

 

 

 そう、カツカツと響くこの音は、プレイヤーが──それも女性プレイヤーが装備するであろうブーツの音だった。この音を響かせているのは決して四足歩行のボスなんかではなく、人。

 その音が、ドンドンと近付いてくる。

 

 

 「っ……何か来る……!」

 

 

 シノンがいち早く何かを察知し、気配を感じた方向へと弓を構える。誰もがそれを合図に焦ったように臨戦態勢を取った。しかし、シノンが矢を向けたその先は、アキトが何かを感じて視線を向けていた場所だった。

 

 

 「え……」

 

 

 ──── その黒い霧は、段々と晴れた。

 そして、その霧からゆらゆらと現れるのは、人の姿。ボスなんかじゃない。明らかにプレイヤーと同じ体格。そして何より、その細身の人の影を、アキトは、アキト達は知っている。

 

 

 「……な」

 

 

 そこにいたのは、一人の少女。

 薄い紫色の髪に赤い瞳。けれどその瞳は虚ろで、全てを飲み込むような闇が広がっていた。

 

 

 紫色の装備を纏い、その腕に引き摺られた両手剣が火花を散らす。力を抜いたように歩くその姿に、かつての活気は見られない。

 

 

 「なん、で……」

 

 

 震える声で、誰かが呟く。

 だってそこにいたのは、自分達の大切な仲間。

 

 

 

 

 「……スト、レア」

 

 

 

 

 ────そこに立っていたのは、ストレアだった。

 

 

 この一週間、ずっと探していた少女。

 笑顔が眩しくて、楽しそうな姿に魅了され、嬉しそうな姿に誰もが目を奪われるような、そんな存在。

 彼女が、そこには立っていた。

 

 

 「ストレアさん……!?」

 

 「な、え……どうしてここに……!?」

 

 

 アスナとフィリアの震えるような声。彼女達だけじゃない。シリカも、リズベットも、リーファも、シノンも、クラインも、エギルも目を見開き、眼前に立つストレアを見つめる。

 彼女を知る攻略組も構えた武器を下ろし、困惑した表情を浮かべた。ストレアがここにいるなら、ボス部屋はその仕様上外からじゃ決して開けられないはずなのだ。けれど彼女は現にこの部屋の中にいた。

 どうしてここに────。

 

 

 「……」

 

 

 ストレアは、何かを告げる事も無く立っていた。

 武器も構えず、ただこちらを見据えている。けれど、そこに生気など宿ってなくて。

 まるで喜びや幸せ、そんな温かな感情全てを削ぎ落としたような虚ろ。

 死んだような瞳がアキト達を貫いた。

 

 

 すると、途端にストレアが口を開く。

 放たれた声は、驚くくらい冷たかった。

 

 

 「ここから先へは行かせない……」

 

 

 「え……」

 

 

 ────その時だった。異常な殺気を、張り付くような恐怖をその身に感じたのは。

 

 

 

 

 「っ────!」

 

 

 

 

 ビリビリと痺れるような感覚。誰よりも早く身の危険を感じたアキトは、身体の反応に任せるままに上を見上げる。

 

 

 そして、その気配の正体は轟音と共にその地に落ちてきた。

 

 

 「うわっ!」

 

 「ひゃあっ!」

 

 「な、何……!?」

 

 

 その巨大な影が着地すると共に鳴り響く地響きに誰もがたたらを踏み、一瞬反応が遅れる。しかし突如として現れたその巨体に、この場の全員が息を呑んだ。

 先程まで全く感じなかった気配が、そこにあったからだ。

 

 

 その気配は、ストレアのすぐ真後ろに降り立った。

 顕になったのは、全身血のような赤い剛毛をその身に纏い、剣のように尖った金色の爪を立てた四足歩行の獣。鋭い眼光を持った三つの頭はまるで冥府の番犬ケルベロスを想起させ、その頭全てに一角獣のような鋭利な角を宿していた。その口からは尖った牙が覗き、そこから白い呼気を噴出している。威嚇を思わせる唸り声の先にいるのは、攻略組としてこの場に立つプレイヤー達。

 その姿はまさしく、クラインが見たというボスの特徴を有していた。

 

 

 No.96 “The Slaughter Fang(ザ・スローターファング)

 

 

 それが、このボスの名前。鼓膜が破れる程の咆哮と共に頭上にその定冠詞が表示され、HPバーが四本現れた。その振動で風が舞い、耳を塞いでいた全員が目を細める中、ストレアはただ何の変化も無く立っていた。

 すぐ後ろにボスがいるというのに、何か行動を起こす事も無い。驚くべきは、すぐ目の前に立っているストレアをボスが襲う事無く動きを止めている光景だった。まるで彼女に、従っているようにさえ見える。

 風に髪が揺れても尚、咆哮が耳を刺激してもなお、変わらずストレアの視線の先にいたのは──アキト。

 

 

 「────っ」

 

 

 一瞬だけ睨んだかと思えば、その瞬間、ストレアの目の前にシステムウインドウが展開した。彼女はそれを見下ろし、片手でタップしていく。

 一体何をしてる──?そう思った瞬間だった。

 

 

 ────ドクン

 

 

 ストレアの背後のボスから心臓の鼓動のような大きな音がが一度だけ響き、その巨躯が陽炎のように揺れた。

 何事かと目を凝らし、その驚くべき光景に自身の眼を疑った。

 

 

 「え……っ!?」

 

 

 ボスが僅かに震えたかと思うと、鋭利だったボスの頭の角、牙、爪が更に伸び始め、赤黒い蒸気が身体を纏い始めたのだ。そして、その身体が徐々に肥大化し、三、四メートル程だったその姿が五、六メートル程になり、プレイヤーの視線は天高く聳える建物を見上げる程に上がった。

 そして一本目のHPバーの上に、新たにバーが現れた。合計五本のHPバーの表記に、これまでにない絶望を見た気がした。

 

 

 「な、何だよ、これ……」

 

 「冗談じゃねぇぞ……!」

 

 

 震える声、恐怖の表情。当然だ、戦う前にボスの姿が変わるだなんて前代未聞。こんな事、今まででは有り得ない。

 ならば、導き出される結論はたった一つ。信じたくないのに、否定したいのに、目の前にいてボスに襲われない彼女がウインドウを操作した瞬間に、ボスの姿が変化した事実は変わらなかった。

 

 

 「ストレアが、やってるのか……?」

 

 

 全く状況が飲み込めない中、彼女の視線に貫かれたアキトは、いつの間にか構えていた二本の剣を下ろしていた。

 

 

 ────その瞬間、ストレアの後ろにいたボスが何の予備動作も無く上空へと飛び上がった。

 

 

 「っ……!?みんな、離れて!」

 

 

 その巨体からは考えられない程のスピードに反応が少しだけ遅れるも、慌てて振り返って叫ぶ。ストレアやアキトを飛び越えたボスが向かうのは、アキトの後ろで固まっているプレイヤーの集団だった。それを聞いたアスナ達が慌てて散開し始めたその場所に、その爪を立て、牙を剥いて、そのボスが着地した。

 何度目かの地響きと同時に煙が舞い上がり、視界を塞ぐ。

 

 

 「ぐおっ……!」

 

 「うわぁ!」

 

 「きゃあああっ!」

 

 

 振動と着地の風圧だけで、逃げ遅れた壁役とその煙を吹き飛ばした。晴れた先にいたのは部屋の壁にぶつかり項垂れる者や、地面を削るように転がる者を見下ろし、再び咆哮を上げたボスの姿。その周りにも、倒れている者が何人か転がっていて。

 一瞬で、全ての景色が赤く染まった。

 

 

 「何だよ、これ……何なんだよ、これ!」

 

 

 誰かのそんな悲痛な声に応えられる者などいない。誰もが現状を把握出来ていない状態での不意打ちに、この場の全員が混乱していた。恐怖や焦燥で身体が動かない者もおり、陣形は最早崩壊している。誰も予想の付かない景色に、震えが止まらなかった。

 獲物を探すべく奴が次にその視線を示した先にいたのは、すぐ近くで倒れたプレイヤー達の中。

 

 

 そこにいたのは、アスナだった。

 

 

 「っ!アス───」

 

 「アキト」

 

 

 咄嗟にアスナの元へと向かおうとした、その足が止まる。知っている人のものとは思えない冷たい声でその名を呼ばれ、瞳が揺れた。

 

 

 「……スト、レア……」

 

 

 震える身体でゆっくりと振り返と、そこには両手剣《インヴァリア》を片手で突き出すストレアの姿があった。

 その瞳は、変わらず冷たく、闇を持ってアキトを見据えて。

 

 

 「なんで……どうしちゃったんだよ……!」

 

 「構えて、アキト」

 

 

 アキトの悲痛な叫びを無視して、ストレアは告げる。

 後ろでは、ボスが仲間を襲おうとしているのに、アキトは彼女から目が離せなかった。

 これを、ストレアがやらせている事実。その姿はあまりにも前の彼女とかけ離れ過ぎていて。何処か痛々しくて。まるで知らない彼女の姿。だから決して信じたくなくて。

 

 

 「アタシが言う事はたった一つだけ」

 

 

 無表情で武器を向ける彼女を見てると感じてしまう。

 ずっと一緒にいたあの時間が、まるで全部嘘だったかのように。

 

 

 

 

 一体、誰が信じられる。

 

 

 

 

 「アタシと戦って、アキト」

 

 

 

 

 目の前の彼女が、ストレアだなんて。

 

 

 

 






ユイ 「王手です!」

アルゴ 「ぴゃっ!?」



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