ソードアート・オンライン ──月夜の黒猫──   作:夕凪楓

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徐々に変わる、日常の全て────







Ep.106 眠りの中で

 

 

 

 

 

 76層《アークソフィア》

 

 

 既に日は暮れていて、空には星が点々と存在を主張し始める。街灯が点き始め、夕方からの出店がNPC達によって並べられる時間帯に、アキトはいつもの装備で帰路に立っていた。過ぎ行く景色と沢山の人達に目を向けて、その温かな表情を眺めては、いつも通りの変わらない風景に小さく笑みを浮かべる。ほんの少しだけ気分が軽くなったような気さえして来るが、やはり先程までの攻略の疲れが溜まり過ぎているのか身体はなんとなく重く感じた。

 上層に連れフィールドは狭まっており、その為攻略ペースも以前とは比にならないくらいに加速している。つい最近90層に辿り着いたかと思えば現在92層、街の名前は《ミシューヘム》。巨大な岩山に囲まれた谷に大きな街があり、そこがプレイヤー達の拠点となる圏内。圏外のフィールドは少しばかり進むと転移で雲上の空中庭園へと移動し、そこから迷宮区へと繋がる迷宮柱に到達する事が出来る。しかしそれに伴いモンスターが強者揃いであり、しかも今回アキトはソロでそこへと向かい、迷宮区三階にまでマッピングして帰って来たのだ。持てるだけの回復アイテムを手に、早朝から辺りが暗くなる直前まで戦うその姿は傍から見れば戦闘マシーンだった。だが本人はそんなつもりは全く無く、そう言われるとショックですらある。しかしこうして疲労困憊で宿に向かっている自分の姿を客観的に判断してみれば、成程、確かに戦闘を終えた後のマシーンみたいだと自嘲気味に笑った。

 だがその気が見られるのは何もアキトだけではない。最近はアスナ達だけでなく攻略組全体の士気が高まっており、アキトも今日何度も多人数でレベリングをしているプレイヤー達───攻略会議で見た事があるプレイヤー達だった───に出会している。100層まで秒読みになりつつあるこの現状でアキトと攻略組の意志は同じだった。ゲームクリア目前となれば攻略組のやる気も凄まじく、76層解放前と比べれば実力は雲泥の差だといえる。世間は油断大敵だと言うが、目標到達間近となった事で浮かれることが無いように努めねばなるまいとアキトが頭を抑えて考えていると、いつの間にかエギルの店の入口が視界に収まる程の距離にまで近付いていた。

 何故かここに来るまでも重労働な気がして少しばかり深い溜め息が出る。いつにも増して重苦しい身体をどうにか支えて、目眩がする中眼前の景色をぼうっと見やる。暗がりの中解放された扉の向こうからはオレンジ色の光が溢れてきており、既に酒盛りを始めているであろう客人の笑い声が毎夜のように聞こえてくる。普段はゆったりした雰囲気を放つエギルの店だが、こうして賑やかなのも悪くない。アキトはその重い足取りのまま店内に入ると、想像通り鎧のプレイヤー達が盛り上がりを見せ始めていた。アキトはそれを見て微笑みながら、カウンターまで赴いた。カウンター席にはアスナが座っており、その向こうでは店主であるエギルがウインドウを開きながらアスナと会話している。シーリングファンの真下まで来るとエギルが此方に気が付き、アスナもそれにつられて此方を振り返って、途端に笑顔を見せてくれた。

 

 

 「おうアキト、帰ってきたか」

 

 「おかえりなさい、アキト君」

 

 「……ただいま、二人とも」

 

 

 帰ってきたのだと実感しながら放たれた声の弱々しさに、アキト自身驚く。瞬間、目眩がして僅かに立ちくらむ。どうにか誤魔化そうと頭に添えた手を振り払うも、アスナはアキトの異変にすぐさま気付いて表情を曇らせる。途端に席を立ってアキトの前まで歩み寄って来た。

 

 

 「……ん?どうしたの、アキト君。心做しか顔色が悪いみたいだけど……」

 

 「っ……ううん、何でもないよ。ちょっと、疲れただけ……」

 

 「でも……」

 

 「大丈夫だよ。平気だって」

 

 

 アスナは流石によく見てくれているが、アキトからすれば心配をかけられない為、気にして欲しくなかった。だがいつも以上に何故か身体が重く、頭は殴られた後のようなガンガンとした痛みに襲われていたのは事実で、それが顔に出ていたとなれば誤魔化しが効かない程の重症だという事でもあった。モンスターにバッドステータスを貰ったわけでもないし、そもそも《圏内》ではそれを受けるはずもない。しかし、どんどん体調が悪くなるような、そんな感覚に陥っていた。

 エギルの店に着いた途端に頭痛は強くなり、吐き気に近い何かが込み上げてくるのを感じた。

 

 

(っ……頭、痛い……なんで、急にこんな……)

 

 

 アスナに誤魔化すつもりだったのに、頭痛のせいで再び手で頭を抑えてしまう。しまったと思うも既に遅く、それを見たアスナは心配そうな表情でこちらを見ていた。

 

 

 「ねえ、ひょっとして……疲れが溜まってるんじゃない?」

 

 「へ……いや、そんな……仮想世界でそんな事……」

 

 「身体は動かしてないといっても脳は働き詰めな訳だし、休息が必要なのは同じだよ。知らず知らずの内に体調が悪くなっていってもおかしくないと思うな。……それに……現実世界の身体が何かの病気になったのかもしれないし……うん、決めた」

 

 

 アスナは考え込むように腕を組み、片手を顎へと持っていったかと思えばすぐさま何かを決意したのか、キッとした表情で再びアキトを見据えて強気な声で告げた。

 

 

 「アキト君は暫く攻略禁止。部屋でゆっくりお休みしなさい」

 

 「し、暫くって……そんな心配しなくても今日一日寝れば大丈夫だって」

 

 「休みなさい」

 

 「いや、でも……」

 

 「良いわね?」

 

 「……い、嫌だ」

 

 「どうしてそんなに頑ななのよ!」

 

 

 アスナの有無を言わせぬ態度にさえ強情に否を主張するアキト。良くこんな風に迫られた人が『……はい』と項垂れるような場面を見る事があるが、どうやらアキトはそうではないらしい。周りにいたプレイヤー達も何だ何だと気になり始め、チラチラと此方を見始めている。店内で騒がれそうな予感にエギルが顔を顰めたが、アキトの顔色が悪いのは彼の目からも見て取れた。

 

 

 「おいおい、アスナの言う通り暫く休んだ方が良いんじゃねぇのか?自覚無いのかもしれないが、お前さん普段より酷い顔してるぜ?」

 

 「まるでいつも酷い顔と言われている様……じゃなくて、そんな俺だけ休むだなんて……みんな、頑張ってるのに……」

 

 「寧ろアキト君は他の人より頑張り過ぎなのよ。朝起きたらいつの間にかいないし、メッセージも返してくれないし……心配するじゃない……」

 

 

 段々と弱々しい声になるアスナに、アキトは今度こそ口を噤む。顔を伏せる仕草を見せるアスナを前に、まるで女の子を泣かしたかのように見える今の現状に眉をひくつかせた。しかし彼女の言ってる事は最もで反論の余地はない。誰にも挨拶せず声もかけずに一人早朝から攻略に出かけ、メッセージを打つのも忘れてレベリングに勤しみ、今更になって体調を崩して帰って来たのだ、全面的に此方が悪いのかもしれないとアキト自身思い始めていた。

 逆の立場なら心配するのは当たり前で、彼女の言っている事は全て正しかった。アキトは一先ず謝罪して、アスナの提案を呑もうと口を開く。

 

 

 

 

 「……分かったよ。アスナの言う通り、少し休────」

 

 

 

 

 ────だが、その言葉が最後まで告げられる事は無かった。

 声を出した瞬間に、視界がぐにゃりと歪む。無理矢理歪まされたかのように無慈悲に、それでいて簡単に脳がぐらつく。尋常ではないくらいの強い痛みが一瞬だけアキトの頭を襲った。まるで後ろから殴られたかのような衝撃を伴ったそれは声を出す暇も力も与えてくれず、アキトは急に糸が切れた人形のように力が抜けて、ユラリと身体が傾くのを感じた。

 

 

 「……アキト君?」

 

 

 アスナの声すら、遠くに聞こえる。店にいた人達の賑やかな声すら篭って聞こえる。次第に意識は遠のき、そのまま棒のように真っ直ぐアスナへと倒れ込み、そのまま彼女を巻き込んで地面へと崩れ落ちた。

 

 

 「えっ、ちょ、きゃっ!」

 

 

 巻き込まれたアスナは急に倒れて来たアキトを受け止め切れずに後方へと倒れる。その瞬間、ダン!と強く頭を床に打ちつけたような気がして、視界も意識も段々と小さくなり始めていた。

 

 

 ────アキト君!?どうし……!?……キト……っ!?

 

 

 篭ってだが聞こえていたはずの彼女の声は、もう聞こえなくなっていった。ただ頭痛と目眩と吐き気のような気持ち悪さを抱えて、アキトの意識はプツリと消えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 「きゅる……」

 

 「ん……?」

 

 「きゅるるる……」

 

 

 頬をつつく何かを感じて、ふと目蓋を開く。一番最初に目にしたのは部屋の天井だった。それもよく知っている天井で、アキト自身の部屋のものだった。今自分が横になっているのを自覚し、ベッドで眠っていた事を再確認する。

 ふと僅かに温かみを感じた左頬へと視線を向けると、フサフサした毛並みが頬を撫でており、それが視界の端でクネクネと動いていた。アキトはこの毛並みと色、そして先程の鳴き声に覚えがあった。今も尚頬をつついているその存在を視界に捉え、その名前を呼んだ。

 

 

 「……ピ、ナ」

 

 「きゅるぅ!」

 

 

 呼ばれた瞬間に顔を上げて元気に鳴いたその小竜は、シリカのテイムモンスターであるピナだった。目が覚めたアキトに喜ぶように動き回り、再び頬に擦り寄ってくる。

 その健気さに微笑むも束の間、アキトは不思議に思い眉を小さく顰める。ここはアキト自身の部屋である為ピナがここにいる事に疑問を抱いたからだ。

 

 

 「……ピナ、どうしてここに……」

 

 「アキトさんっ!」

 

 

 すると、ピナの影から飼い主であるシリカが顔を出した。ピナが視界を覆っていたせいでシリカに気付かなかった為、アキトはビクリと身体を震わせた。そんな事などつゆ知らず、シリカは目が覚めたアキトに慌てて近寄って、アキトの顔色を確かめながら瞳を揺らしていた。

 

 

 「……シリカ、どうして、ここに……何かあったの……?」

 

 「何かあったの、はこっちセリフです!ビックリしましたよ!エギルさんの店に戻ったら、アキトさんが倒れてたんですから!もしもの事があったらどうしようかと思いました……」

 

 「……そっか、俺……っ」

 

 「あ、起きちゃダメです!喉乾きましたか?待ってて下さい、今お水持ってきますから」

 

 

 いきなり起き上がろうとして、頭がズキリと痛む。シリカが慌てて水道のある場所へと走り出し、ピナがそれについて行く。シリカの背中を見て、悪いと思いながらも上体だけ起こしたアキトは窓の外を見た。先程の夕焼けが消え出したオレンジ色の空はもうそこにはなく、完全に夜へと時間帯が移っていた。街灯の光が更に強く放たれ、その街並みを明るく照らす。そうして景色を眺めていると、その窓に映った自分自身と目が合った。我ながら酷い顔色だと自覚した直後、混濁していた記憶が甦る。

 いつにも増して蓄積した疲労にくわえて目眩と頭痛、それに吐き気のような気持ち悪さ、今にも倒れそうな程に意識は薄れ、最後には────

 

 

(そうか……俺、倒れたのか……)

 

 

 倒れた自身をここまで運んで来てくれたのだと思うと頭が上がらない。大方エギルやクラインだろうが、こうしてシリカまでこの部屋で看病染みた事をしてくれているのを見ると、かなり面倒をかけたみたいだ。

 そうしてシリカが汲んで来てくれたコップいっぱいの水を一気に飲み干し軽く息を吐くと、シリカとピナを交互に見た。

 

 

 「……ありがとう、二人とも。その……迷惑掛けたみたいでゴメン」

 

 「いえ、そんな迷惑だなんて……アスナさんに聞きました。アキトさんホントは凄く疲れてて、それなのに無理して攻略してるんじゃないかって……」

 

 「……」

 

 「みんなアキトさんの事、心配してました。ピナもここでずっと看病していたんですよ」

 

 「きゅるきゅる……」

 

 

 悲しげな表情のまま話すシリカとピナの顔。かなり心配を掛けてしまったようで、堪らず申し訳無くなる。攻略を積み重ねた結果こうして倒れてしまったのだとしたら、もう少し適度な休息を取れば良かったと、今さら胸が痛かった。

 こんな見るからに年下の女の子にまで心配を掛けるなんて、本当にどうかしてる。

 

 

 「……そっか。じゃあ、早く元気にならないとね」

 

 「はい!アキトさんはみんなの希望ですし、ヒーローですから!だから、こんな病気なんかで挫けちゃダメです!」

 

 「と、途端にプレッシャーが……」

 

 

 “ヒーロー”と言われるのは嬉しいのだが、思った以上の重圧だった。シリカは悪気は無いし聞いてる此方も悪い気はしないのだが、心做しか気が重くなってきた。

 苦笑しているとシリカも可笑しくなったのか小さく笑う。その後、目が覚めた事をアスナ達に報告する為に立ち上がった。

 

 

 「それじゃあ、あたし行きますね」

 

 「あ、うん……」

 

 

 扉へ向かうシリカの背中を見送るアキト。ぼうっとその小さな背を眺めていると、扉に手を掛けたシリカが、躊躇いがちに振り返って此方を見ていた。口を開けたり閉じたりしていたが、やがて意を決したのか口を開いた。

 

 

 「あ、あの……その……」

 

 「?」

 

 「あたしじゃ頼りないかもしれませんけど、皆さんもいますし、もっと頼ってくれて良いんですからね」

 

 「っ……シリカ……」

 

 「じゃあ、お大事にして下さいっ」

 

 

 途端逃げるように扉から消えていったシリカ。足音がパタパタと聞こえるが、段々と小さくなっていって。だがその間アキトの脳内では、シリカに言われた事が反芻していた。

 

 “もっと頼って”

 

 それは、もう一人じゃないはずだったアキトの胸に強く響いた。ずっと、自分が守らなければならないと思っていた。過去の経験から、誰かに頼るだけの自分をやめると決めた。

 けど今は頼れる仲間がいるのだと、だから頼っても良いのだと、そうアスナ達に言われて、そう教わって、そう決めたはずなのに。気が付けば、いつの間にかまた一人で倒れるまで戦っていた。今回の件はその罰なのだろうか。

 

 

 「……またやっちゃったのか……」

 

 

 一人の期間が長かったせいか、中々改善されない悪い癖。

 年下であるシリカに心配される程に余裕が無くなっていたように、傍からは見えたのだろうか。だとすれば、アスナ達だけでなく更に多くの人にまで心配を掛けるなんて事態になっているかもしれない。

 アルゴになんて知られた翌日には『黒の剣士倒れる』なんてお題の記事が出されるかもしれない。そう思うと別の意味で顔が青くなる。彼女に限ってそんな事は無いとは思うが、絶対に無いとは言い切れないのが良くも悪くもアルゴという人物だった。

 彼女に悟られる前に回復しなければ。そう思っていると、再びドアの向こうから足音が聞こえてきた。どうやら走っているようで、段々と此方に近付いて来ている。

 シリカが忘れ物でもしたのだろうかと考えた瞬間、目の前のドアが勢い良く開かれた。

 

 

 「アキトっ!?」

 

 「うわっ!」

 

 

 バタン!と開かれたドアの先に居たのはストレアだった。急いでいたようで呼吸を荒くしており、手を膝に付いてどうにか呼吸を整えるも、そんな自分の疲労など振り払って部屋へと入り、アキトの元へと駆け寄った。

 ベッドにまで乗り込んで来た彼女は、アキトに近付くとその顔をジッと見つめ始める───というか睨まれているようにさえ見えた。

 

 

 「……」

 

 「す、ストレア……俺の顔に何か付いてる?」

 

 「アキト、病気になったって……ホント?」

 

 「あ……心配、してくれたんだ」

 

 「……うん」

 

 

 アキトの隣りでベッドに座り込んだストレアは、両手でシーツを握り締め、下を向いていた。そんな彼女の頭を、アキトは躊躇いがちに軽く撫でる。いつもストレアが喜んで、笑ってくれる行為だったから。

 ストレアもそんなアキトの行動に少し驚いたのか、僅かに瞳が開いた。

 

 

 「っ……」

 

 「ちょっと体調崩しただけだから平気だよ。さっきよりは元気だし」

 

 「……えへへ、ならアタシがアキトをもっと元気にしてあげるね!」

 

 「……へ?」

 

 「えいっ!」

 

 

 何か話の流れが……と思った時には既に遅く、気が付けばアキトは背中に回り込まれたストレアに背中からギュッと抱き締められた。首の後ろから腕を回され、身体をアキトに押し付けるようにしてくっ付けて来る。アキトの肩近くにはストレアの顔があり、距離が近くなった途端アキトは顔を赤くして、何故か身体が震えた。

 

 

 「す、ストレアさん……!?少し、離れてくれませんか……?」

 

 「え〜、なんで〜?」

 

 「い、いや……そんな後ろから抱き着かれても……っ!?」

 

 

 首にあったストレアの腕は、今度はお腹の辺りに回され、そして再びギュッと優しく締め付けられる。先程からそうなのだが、近付く毎に強く感じる背中の柔らかな感触は、段々と主張を強くしてきており、病み上がり───なんなら現在進行形で体調を悪いアキトには逆に毒であった。

 

 

 「でもでも、男の子はこうすると元気が出るんでしょ?」

 

 「……その情報源クラインじゃないよね?」

 

 「えー……だって、アタシの胸でアキトが元気になるなら、良いかなって……」

 

 「……ありがとうと喜ぶべきか、自分を大事にしなさいと怒るべきか……」

 

 

 ストレアに悪気は無いようで、こうする事で本当にアキトが元気になってくれるならと、そんなただの純粋なまでの善意に、アキトは何処か嬉しさすら感じた。けれど、ストレアに身体を張ってもらうのはなんだか違う気がするし、これ以上近付けられるとどうにかなってしまいそうだった。

 

 

 「……でも、まあ……少し元気になったかな」

 

 「本当に……?アタシの胸のおかげ?」

 

 「へ?あ、ああ、うん。それもある……かな?……けど俺は、ストレアがこうして心配してくれて、見舞いに来てくれて……顔を見せてくれたから、それだけで元気が出たっていうか、なんていうか……」

 

 

 こんな事を言うのは何だか照れ臭くて、まともに話す事も出来ない。けれどこうして倒れて、それを聞いて心配してくれたのが何故か嬉しかった。怪我の功名なんて言うつもりは全く無いのだが、こんなに心配してくれるとも思っていなかったので、何故か妙に感動してしまったのだ。

 ただ純粋な善意でこうして心配してくれて、そして顔を見せてくれて。そんなシリカとストレアには感謝しか無かった。

 

 

 「アキト……ふふ、そんな風に言われるとこっちも嬉しいよ。ありがとー」

 

 

 ストレアは嬉しそうに笑って、漸くその身体をアキトから離した。名残惜しそうな表情をしていたがそれも一瞬で、アキトには気付かない。アキトはただストレアに元気になったと告げると、彼女は満足そうに笑って立ち上がった。

 

 

 「じゃあ今度は遊びに来るからね!」

 

 「うん、みんなで待ってるよ」

 

 

 「ばいば〜い!」と手を振って部屋を出て行ったストレア。彼女がいるだけで一気に騒がしかった部屋が急にしんと静まり返り、ストレアの存在が如何に大きなものだったのかを痛感する。ほんの少しだけ寂しかったりして、どうにも落ち着かない。

 ただストレアの破天荒振りは相変わらずで、アキトはまた疲労感に襲われた。途端頭痛が振り返したようで、ズキリと鋭く痛みが走った。ストレアには元気になったから大丈夫だと告げたが、その言葉が真実になるにはもう少し時間がかかりそうな気がした。

 

 

(……眠くないけど、寝た方が良いよね……心配掛けてるし……)

 

 

 アキトは再び上体を寝かし、毛布にくるまった。猫のように丸くなり、目を瞑る。先程まで寝ていたのだから眠くなるはずもないのだが、蓄積した疲労はそう簡単に消えてくれず、アキトの予想とは裏腹に段々と睡魔が襲っていった。

 気が付けば一定のリズムで呼吸が続き、アキトの意識は再び途切れたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 夢を見た。

 夢を見た、気がした。

 現実世界の、懐かしい夢を見た気がした。懐かしいような、思い出したくないような。思い出したら泣いてしまいそうな、そんな夢だったような気がした。

 横になって苦しむ自分の隣りで、ずっと回復を待つだけの人の姿がそこにはあった。意識が朦朧とする中懸命に手を握り、歪んだ視界に収まる細くて小さな人の影。

 あれは一体、誰のものだったろうか。

 ああ、そうだ。

 今も尚、迷惑を掛け続けている誰かの記憶だ。

 前も現実世界でこうして倒れて、動けない時があったっけ。その時は確か風邪を引いて、家に大人がいない時だった。熱に浮かされ、何も考えられなくなって、それでいて僅かな心細さを感じて。

 そんな時、ずっと傍で看病してくれた人がいたような。いや、本当はもう知っている。

 こうして二年間、ずっと迷惑を掛け続けているであろう、その人の姿を────

 

 

 「ん……」

 

 

 どれだけ眠っていたのだろうか。自然とその目蓋が持ち上がる。部屋の明るさは寝起きの目に悪く、視界が霞んで周りが見えない。だがふとその視界に何かが映り込む。よく分からないが、目の前にあったのは小さくて細い人影だった。既視感があって、とても懐かしさを感じる姿。

 黒い髪を靡かせて、此方を覗き込んでいて。ああ、この光景を、この人の名前を、自分はよく知っている。

 

 

 「……逢沢、さん?」

 

 

 現実世界の妹の名を、小さく呼んで。恐る恐るその手を人影に向かって伸ばす。けれど、力が入らないその腕はフルフルと震え、最後には力無く落ちていく───と思ったが、その腕を目の前の人影が優しく両手で掴み取り、その指先をギュッと握り締めてくれた。

 アキトは段々と晴れていく視界の中、目の前に座っていた人の影を凝視する。そこにいたのは、アキトの想像していた人とは違っていた。

 

 

 「あ、ママ!アキトさんが起きました……!」

 

 「……ユイ、ちゃん……?」

 

 

 伸ばしたアキトの手を両手で握ってくれたのは、ユイだった。目が覚めたアキトを見て目を見開いたかと思えば、すぐさまアスナの名前を呼ぶ。

 ぼうっとして考えが纏まらないアキトを他所に、ユイに呼ばれたアスナは奥の部屋から顔を出した。ユイのすぐ隣りまで来ると、アキトの顔を見て小さく笑った。

 

 

 「おはよ、アキト君。ちょっと待っててね。今、お粥作ってるから」

 

 「……おかゆ?」

 

 「SAOの中だから栄養は関係無いかもしれないけど……やっぱりお腹は空くでしょ?」

 

 

 アスナは立ち上がって再び奥の部屋へと向かって行く。それをぼけっと眺めていると、アキトの左手を握るユイの手の力が僅かに強くなるのを感じて、思わず視線が彼女に向いた。

 

 

 「アキトさん、大丈夫ですか?あまり顔色が良くありません」

 

 「……ん」

 

 「このところ、ずっと休まず攻略を進めてましたから……」

 

 

 瞳を揺らし、アキトの身を按じるユイ。再び奥の部屋から現れたアスナはお粥の乗った小さな釜を手に戻って来て、そして彼女の言葉に同調しながらアキトを説教し始めた。

 

 

 「そういう事。アキトくんは頑張り過ぎなのよ」

 

 「……そう、かな」

 

 「そうよ。本当にそういう所はキリト君そっくりなんだから。あ、起きちゃダメ。お粥、私が食べさせてあげるから。あーんして」

 

 

 お粥を掬ったレンゲからは湯気が立ち込め、それをズイっとアキトの口近くに差し出して来る。アキトは二度三度瞬きをした後、小さく息を吐いた。

 

 

 「……いいよ別に、自分で食べられるから。作ってくれただけ嬉しいし」

 

 「いいからほら、あーん」

 

 「い、いいって別に」

 

 「あーん!」

 

 「……い、嫌だ……」

 

 「どうしてそんなに頑ななのよ……」

 

 「じ、じゃあ、私があーんします!」

 

 「ゆ、ユイちゃん……そういう問題じゃなくて……」

 

 

 アスナとユイは純粋に善意なのだろうが、アキトはそんな恥ずかしい事をこんな状態でされたくなかった。半ばアスナから奪う形でお粥を手に、レンゲで掬いとって口に運ぶ。しかし熱気から想像出来たはずのお粥の熱さに思わず口を離した。

 

 

 「熱っ……!」

 

 「ほらもう、だから私がやるって言ったのに……アキトくん猫舌なんだから」

 

 「……なんで知って」

 

 「あんなに毎日カウンターで珈琲フーフーやってたら嫌でも分かるわよ。ほら、ちゃんと冷まして食べてね」

 

 

 アスナにそう促され、口を窄めて掬ったお粥に息を吹きかける。何度かそれを繰り返した後、それを口に運べば、食べられる程に冷めてはいても身体が温かくなる程の熱と美味しさがそこにはあった。お粥を食べるなんて何年振りだろうか。素朴ながらも純粋な旨みに、アキトの食べる手はゆっくりながらも止まらなかった。

 

 

 「……美味しい?」

 

 「……うん、おいひい」

 

 

 パクパクと口に放り込み、その度に身体が温かくなるのを感じて、何故か泣きそうな気分だった。アスナとユイが顔を見合わせて笑い、それを見たアキトも、照れながら微笑んだ。

 寝起きで纏まらなかった思考も食事のおかげで段々と冴え始め、漸くアスナとユイが自分についてくれていた事を自覚し始めた頃、ユイが心配そうにアキトに問い掛けた。

 

 

 「そういえばアキトさん、目が覚めた時、私を誰かと間違えていたみたいですが……」

 

 「へ?あ、ああ……」

 

 

 お粥の乗ったレンゲを釜へと落とし、ユイを見る。夢現の中で見たシルエットがユイと重なって思わず呼んでしまった名前。それがどうやら彼女にも聞こえていたようだ。

 どうしようかと迷った末、アスナとユイの視線に応えるように口を開いた。

 

 

 「……夢を見た、ような気がしたんだ」

 

 「夢?」

 

 「現実世界で風邪を引いて寝込んだ時、こうして傍にいてくれた人の夢。風邪の時一人だと心細いからって……予定があったはずなのに看病してくれて……凄くあれこれやってくれて……」

 

 「……その言い方だと、両親じゃないのね」

 

 「へ?あ……」

 

 

 ────完全に墓穴。その態度すらその事実を助長するものでしかない。この場で起点良く親だと言えていたら追求を逃れる事が出来たものを、寝起きで頭が働かないアキトはうっかりそんな態度を取ってしまった。カマかけだと気が付いた時には既に遅く、アスナはジトっと目を細めていた。ユイもソワソワし始めており、チラリと上目遣いでアキトを見上げていた。アスナも気になったらしく、小さく笑みを顔に貼り付けてユイに問い掛けた。

 

 

 「ねえユイちゃん。アキト君は何て言ってたの?」

 

 「えっと……アイザワさんって言ってたような……」

 

 「アイザワさん(・・)……女の人ね」

 

 「……言っとくけど、二人が思ってるような関係じゃないからね」

 

 「ふーん……ふーん?」

 

 「いや、本当だから」

 

 

 ────妹です、とも言えず。

 アスナは疑うような態度を見せるし、ユイも何故か悲しげな表情をしているが本当にそんな関係では無い為断言する。なんならもっと複雑な家庭事情なのだが、流石にこれを話すとアスナ達に謝られてしまう未来が見える為素直に話す事も出来ない。血の繋がらない同い年の妹なんです、なんて口が裂けても言えなかった。

 そんな会話を誤魔化すように、再びお粥に手を付ける。そうして黙々と食べ続けて気が付けば、その釜は空になり、アキトのお腹も膨れていた。

 

 

 「……ご馳走様」

 

 「はい、お粗末様でした」

 

 「いや、本当に美味しかった」

 

 「ふふ、ありがとう」

 

 

 アキトの感想にアスナも満更でも無さそうで、少し顔を赤くして照れたように笑った。だがその瞬間、アキトは小さな頭の痛みに思わず頭を抑えてしまい、それを二人に見られてしまった。

 

 

 「アキトさん……」

 

 

 途端にユイが心配そうに表情を曇らせ、今にも泣きそうな顔をする。けれど、すぐ隣りでアスナがユイの肩を抱き、笑顔を見せながら心配要らないと囁いた。

 

 

 「大丈夫だよ、ユイちゃん。アキト君はSAOの中で一番強いんだから」

 

 「……繰り上げみたいなものだけどね」

 

 「……ううん、そんな事ない。アキト君は強いよ。この世界の誰よりも。私、ちゃんと見てるからね」

 

 「……アスナ」

 

 

 アスナのその瞳から目が逸らせない。

 彼女には、アキトがこれまでどれほどの努力をしてきたのか、どんなに頑張ってきたのかが分かっていた。勿論全てでは無いけれど。

 彼に助けられ続けていたからこそ、彼の行動原理を知りたくて、誰よりも支えになる努力をしてきた。だからこそ彼が如何に強く、優しい存在なのかを知っていた。きっと、キリトがアキトに憧れていたであろうその理由さえも。

 

 

 「だからこんなの、すぐに治っちゃうわよ」

 

 「……はい、そうですね!」

 

 

 ユイもアスナの言葉に納得し、その表情に笑みを浮かべた。先程とは打って変わった明るい表情に、アキトは安堵する。

 

 

 「そう……すぐ治る。そうよね、アキト君」

 

 

 ────そんな問いに、アキトはアスナを見た。

 まるで自分に言い聞かせているような、願っているかのような言葉。放たれたその声は小さく、何処か自信の無い強がりみたいな一言だった。

 ふと左手に柔らかな感触が伝う。そこにあったのは、ほんの小さく震えるアスナの手だった。重ねられたその手から僅かに熱が伝い、同時に彼女が如何に自分を心配してくれているのかが伝わってきた。アキトは自身の手をひっくり返し、そのアスナの手を優しく握った。

 

 

 「心配掛けてゴメン。絶対に治すから」

 

 「……うん。信じてる」

 

 

 アキトの真っ直ぐな言葉を聞いて、アスナの手の震えは止まった様だった。アスナはもう片方の手をアキトに重ね、目を閉じて小さく微笑んだ。それに合わせてユイもアキトの手に触れて、顔を赤くして笑う。心配を誤魔化すようにして笑う彼女のぎこちない笑顔に申し訳無さを感じ、そうさせている自分に腹が立った。

 ユイの頭を右手で優しく撫で、アキトも小さく笑いかけたのだった。

 

 

 「それじゃあユイちゃん。アキト君を休ませてあげましょう」

 

 「はい、ママ。アキトさん、夜更かししたらダメですよ」

 

 「分かってる。二人ともありがとね」

 

 

 手を振って彼女達を見送り、再び一人になる部屋。

 けれど先程のような寂しさはなく、寧ろ温かさを感じ始めていた。身体や心の温かさは、決してお粥だけの力なんかではなく、ひとえにアスナとユイのおかげだった。

 以前一人で行動していた時も長時間迷宮区に潜って攻略していたが、こんな風に体調を崩すような事は無かった。その時は今回よりも長い時間レベリングをしていた為、今回こうして倒れた理由は割と本気で分からなかった。

 まあ以前よりも高難易度なのは当然なので、比べるのは少し違うのかもしれないが、ゲームクリアが現実味を帯びて来た反面、思えばここ最近攻略を続けていたのはみんなの為だったのかもしれない。大切な仲間が出来て、そんな彼らを死なせたくなくて、早くゲームをクリアしてみんなを解放してやりたいと、そんな烏滸がましい自己中心的な願いが、今回アキトを突き動かしていたのかもしれない。けれどそのせいでこうして倒れ、多くの人に迷惑を掛けた。アキトは目の前の攻略にばかり集中して周りを見ておらず、大切なものを見失っていたような気がした。

 ゲームクリアを目指しているのは、アキトだけじゃない。それは誰もが思っている事だ。だからきっと、アキトだけが抱えるべきものじゃないと、どうして忘れてしまっていたのだろう。

 

 

 「……ホント、キリトは仲間に恵まれてるよ」

 

 

 そして、俺も恵まれてる────

 

 

 アキトは膨れたお腹を擦り、再び眠気に身を委ねていった。

 

 

 








ストレア 「アキト、アタシの胸で元気になったって!」

全員 『!?』








続きます。次回は後半です。
最近投稿出来ずに申し訳ありません。また徐々に投稿していきますのでよろしくお願いします。
原作やアニメが尊すぎてこんな駄作が掛けない病を発症しております。ご了承ください(´・ω・`)


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