「いいのよウィズ、これは私なりのケジメなの。それにあの後カズマに目一杯叱られて、このお店に与えた損害分は働いて返してこいって言われたしね……さぁ、遠慮なくやって!」
「アクア様……! 私には出来ません、だってアクア様はこの店のために良かれと思って行動してくれたんです! それなのに……!」
それなのに、この仕打ちはあまりにも酷いではないか!
「ねぇウィズ、これは自らに対する戒めなの。今回私は反省したわ、たとえ良かれと思ってやった事だとしても、迷惑を掛けたなら償いをする。これは当然のケジメなのよ……さぁ、遠慮する事はないわ!」
「いいえアクア様、そのお気持ちだけで十分です! こんなに反省しているのですから、きっとバニルさんだって許してくれるはずですよ! だっていつも私が出している赤字に比べたら微々たるものでしたもの!」
あれ、おかしいな。
自分で言っといて悲しくなってきた。
「……いいからやるならとっととやれ。先ほどから同情を誘おうと下手な小芝居をする大根女神よ、貴様は水の女神なのだから、今更水を被ったところでどうという事もないだろうに」
そう言って悪魔バニルはわざとらしい溜息をついた。
「バニルさん酷いです! アクア様はこんなにも反省してるんですよ!? それなのに、こんな酷いことをさせるだなんて……カズマさんもカズマさんです、いくら水を被っても平気だからといって、アクア様は女の子なんですよ!? それなのに、こんな……!」
「ウィズ、庇ってくれてありがとう。その気持ちだけで十分よ……その優しい心をいつまでも大事にね? 水浸しになった私が風邪でもひいてしばらくお店に来れなくなっても、どうか私の事を忘れないで……」
「アクア様っ!」
そんなやり取りをしていると、突然バニルさんが立ち上がり、床に置いてあった水桶を持ち上げ、中身をアクア様にぶちまけた。
「……ちょっと何すんのよ鬼畜悪魔、あんたに良心ってもんはないわけ? いたいけな女神がこれだけ悲壮感漂わせてるんだから、今回の赤字の件は忘れます、私が悪かったですアクア様って言って、泣いて許してくれるとこでしょう?」
「アクア様のおっしゃる通りですよバニルさん。バニルさんは私達にもっと優しくしてくれてもいいんじゃないですか? お店だって濡れちゃったじゃないですか」
そう反論するが、バニルさんは意に返さなかった。
「……いいから、とっととノルマ分の品を作って帰ってくれ……最近、貴様と一緒にいる時間が多くなったせいか、負債店主の赤字生産能力に磨きが掛かってきた。貴様のところの小僧が発案した女神のだし汁が売れてくれなければ、今月ももれなく赤字なのだ」
「ちょっと、私が作る聖水にそんな美味しそうな名前を付けるのはやめて頂戴。アクア様の神聖水とかそんな名前にして売り出してよね」
だし汁……そういえば最後にお鍋を食べたのはいつだったか。
あぁだめだ、考えると余計にお腹がひもじく感じる。
肉体を持っているせいか、リッチーになってもお腹は普通にすく。
しかし食べなくても平気なので、食費に回せるお金が中々できないため、私のお腹は常に鳴っている。
「あっ、アクア様、水加減はいかがですか? 寒かったら言ってくださいね、お湯を足しますので」
「今日は暑いしもっと冷たくてもいいわよ。ウィズ、水を足して頂戴。出来れば汲みたての井戸水がいいわね、冷たくても気持ちいいから。頭からバシャーってやって」
「分かりました、すぐに新しいお水を汲んで来ますね!」
空になった水桶を持って、外にある井戸へ向かう。
「店の方は任せたぞ。我輩はいつもの所に行ってくる」
「はい、行ってらっしゃいバニルさん」
冒険者ギルドへと出稼ぎに行ったバニルさんを見送って、井戸から水を汲み上げる。
そして店の中で、たらい中で膝を抱えて座っているアクア様に頭から思いっきり水を被せる。
本人が良いと言ったのだ、何も問題はないだろう。
そしてその作業を何度か繰り返すと……
「……あ、そろそろ聖水になるわね」
「そうですか、じゃあこの瓶に詰めるの手伝ってくれますか?」
「えぇ、こんなの朝飯前よ!」
アクア様は水の女神、それ故に触れた水を浄化し、聖水に変えることができる体質らしい。
この前の負債を返済するために、アクア様の作った聖水を売る事をカズマさんが提案してきたため、今の状況になっている。
「なんか意外と楽しいわね、ほら見てウィズ、瓶を水の中に入れると泡が出るのよ。ブクブクーって」
「えぇ、本当ですね」
失礼かもしれないが、こうして見るとアクア様はまるで子どものようだ。
そう思いつつも、せっせと瓶に聖水を詰めていく。
「ウィズ、あんた平気なの?」
「はい? 何がですか?」
するとアクア様が突然そう聞いてきた。
「何って、ウィズはアンデットでしょ? 私の聖水に触って平気なのかなって。私アンデットは嫌いだけど、ウィズはもう別よ。ここでフワーって浄化されるのは嫌なんですけど」
「まぁ、心配してくれるんですね、ありがとうございます。けど大丈夫ですよ、ちょっとピリピリするだけです」
「む、それはそれで少しショックかもなんですけど」
仮にもアンデットの王リッチー、いくら女神様特製の聖水だろうと、そう簡単に浄化はされないし、するつもりもない。
「さて、あとは値段札を貼り付けて陳列……と」
カズマさん曰く、最初に大きい値段を書いておいて、それを斜線で一度消す。
そしてその横に、消した値段より少しだけ安い値段を再び書けば、どういうわけか売れ筋が伸びるという。
折角なので試してみよう。
「あ、アクア様……流石に一億エリスは高すぎますよ」
「何言ってるの、何たって私が作った聖水よ? それくらいの価値はある筈よ!」
どうしてそこまで自信満々なのだろうか。
バニルさんによく、金の価値が分からない散財店主とか言われるが、流石に聖水一つに一億エリスは高すぎると感じる。
……仕方ない、アクア様が貼り付けた値段札は後でコッソリ剥がしておこう。
「……売れた」
正直、負債を返せるだけ売れれば良いと思っていたが、まさか作った聖水全部売れるとは……
「うぅ、売り切れて嬉しいような、悲しいような……」
しかしこの商品はあくまでカズマさんが考案したもの。
つまり完売できたのはカズマさんの力があってこそだ。
……別に悔しくないもん、年下の少年に商売で負けて悔しくなんかないもん。
「やったわねウィズ! 全部売り切れたわよ!」
しかし私の心境は知らんとばかりに、大喜びするアクア様。
まぁ、今は彼女のように素直に喜んでおこう。
なにせ負債を返しても余裕でお釣りが来るほどの収入なのだ。
きっとバニルさんもこれで許してくれるだろう。
「えぇ、これで私も身体を売らずに済みました……」
安堵したせいか、つい口からそんな言葉をこぼした。
「えっ、身体を売るって……まさかウィズ」
「え? あ、あぁ違いますよ、身体を売るっていうのはそういう事ではなくてですね! もし負債を返せなかったら、私の髪の毛とか爪を切って売り払うってバニルさんがですね」
「……うわー、まじひくんですけど。あの悪魔そんな趣味があるの? というか髪の毛とか爪ってそんなに需要あるの?」
「い、いえ、そういう意味でもなくてですね……リッチーの髪の毛や爪って魔力が沢山溜まっているので、魔道具の作成や武具の製作に役立つらしいんですよ!」
だから最終手段として、そうバニルさんが提案したのだ。
ちなみにバニルさんも自分の抜け殻や腕を売り払うと言っていたが、そんなもの一体誰が買うというのだろうか。
「……私の髪の毛とかも売ればお金になるのかしら」
「や、やめといた方が良いですよきっと……」
なんだかロクな目にならない、そんな予感がした。
「それよりどうです、今日はもうお店を閉めてお茶会でもしませんか? 良い茶葉が手に入ったんですよ」
こんな時はパーっと祝わなくては。
「何言ってるのよウィズ、ここまで来たのだから、あのクソ悪魔やカズマを見返すチャンスじゃない!」
「へ?」
しかしアクア様は、自分の誘いを断る。
「もっと聖水を作って沢山売るの! それで更に儲けを出したら、きっとカズマの奴も私の事を『流石ですアクア様』って褒めてくれるに違いないわ!」
さらに……儲けを?
たしかに、あれだけの聖水が全部売れたのだ。
追加で売り出せば、さらに売れる事は間違いではない事だが……
少し想像をしてみる。
ここで追加の聖水がまた売れたとする。
ノルマ以上の売り上げを出した暁には、きっとバニルさんも私の事を…………
『なんと……まさか汝がこんなにも商売センスがあるとは。いやはや、見直したぞ。どれ、特別に今夜は我輩の奢りで美味なるご馳走を用意してやろう!』
「…………そうですね、やりましょう!」
私だって、やればできる事を彼に教えるチャンスだ。
「では倉庫にしまってある、何故か全く売れないポーションを使いましょうか。そのままアクア様が瓶に指でも入れて貰えば、詰め替えの必要なく聖水にできますし」
「流石ねウィズ! カズマさんもそんな事思いつかなかった筈よ!」
「えぇ、そうでしょう! ではアクア様は倉庫にしまってあるポーションを片っ端から開封して聖水に変えてください。私は売る準備をしてますので」
わかったわ、と元気な声で返事をして、彼女は店の奥へと消えていった。
さて、私は早いところ準備を……
「ねぇーウィズー! この棚の一番下の箱に入ってるポーションから聖水にしちゃっていいのー?」
そして、アクア様のそんな声が奥から聞こえてきた。
「ええー! お願いします!」
流石アクア様だ。
様々な売れ残りが安置されてる倉庫から、ポーション系をすぐに見つけ出すとは。
しかも一番下にあるポーションはかなり前に取り寄せたものなので、そろそろ効力が弱まってきているものだから、聖水に変えるには好都合……
「……あれ、一番下って確か…………っ!?」
そして、気付いた。
自らの過ちに。
棚の一番下の箱……そこに入っているポーションは確か……!
「あ、アクア様! そのポーション開けるの少し待っ……!?」
しかし遅かった。
私が慌てて店の奥に滑り込んで、倉庫にいるアクア様にそう告げようとした瞬間、既にアクア様の手には開封したポーションが……
「アクア様っっっ!!」
そして私は、手を伸ばす。
「……どうしようこれ」
今、私の目の前にはかつて倉庫だった部屋の残骸がある。
アクア様が開けたポーションは、空気に触れると爆発するポーションだった。
当然、密閉されていたポーションの蓋を開封すれば爆発する代物だ。
何とか魔法が間に合って、アクア様は無傷に救出出来たが、倉庫自体は間に合わず、無残に木っ端微塵になってしまった。
因みにアクア様は恐怖のあまりか泣き出してしまったため、カズマさんに迎えに来てもらい帰ってもらった。
不幸中の幸いというべきか、効力が弱まってなければこの店丸ごと吹っ飛んでいただろう。
とりあえず被害が倉庫だけでよかった……けど、本当にどうしよう。
「う、うぅ……バニルさんに怒られる。というか近所の皆さんにも迷惑かけたし、大家さんにもお詫びしなきゃ……」
今私にできるのは、出来るだけこの瓦礫を片付ける事だ。
……もしかしたらバニルさんが帰って来る前に、証拠隠滅をすれば何とか…………
「あ」
「…………」
しかし神はそんな悪事を許さない。
気が付けばバニルさんが、店の外から中の残状を見て固まっていた。
「ち、違うんですバニルさん」
「何が違うのか分からないが、今度は一体何をした。あまり聞きたくもないが、一応言いわけを聞こうではないか」
――――そして私は彼に洗いざらい白状をした。
「……そうか、では今まで世話になったな。我輩は転職をする事にした」
「え、えぇ!? て、転職ってどこにですか!? ち、ちょっと待ってくださいバニルさん! 一人にしないでください!」
「えぇい放せ、我輩は気付いたのだ。汝の店で働くより、イリスに雇ってもらった方が良いとな」
「い、イリスって誰ですか? 本当に待ってくださいバニルさん! は、話を聞いてください!」
そうして、彼を説得するには一時間ばかり掛かったのであった。