アルティメット千早な僕が765プロのオーディションに落ちた件   作:やんや

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今回出て来る新キャラ二人の絡みがアルティメットなアイドルの卵編で一番悩みました。
正直なくてもいいシーンなので飛ばしてしまっても問題ありません。


アルティメットなアイドルの卵その2

 翌日の土曜日。

 僕は春香との待ち合わせ場所へと向かっていた。

 予報では一日中晴れとのことで天気は気にしなくて良さそうだ。気温も四月にしては暖かいとのこと。

 天気予報を信じた僕はいつもより薄着で家から出てきていた。チートの副作用で寒さに鈍感になっているとはいえ、あまり季節感に合わない服装をするのは周りから奇異な目を向けられることになるからね。今日が暖かいと言うならば薄着をする程度の常識はある。

 それに今日見て回る場所は流行の最先端と言えるお洒落な街ということもあってその辺りはいつもより気を遣ってしまう。道行く人々も地元と違いがっつりと着飾っているように見えるのは決して僕の思い違いではない。

 道行く人々が、買い物をする客が、カフェで語らうカップルが、皆お洒落に見えてしまう。流行に疎い僕でも彼ら彼女らが着る服がお洒落だというのはわかった。

 対して僕の恰好と言えば、いつも通りの地味なファッションだ。いや、これをファッションと呼んでいいのかと疑問を抱くレベルのアレさである。つまるところダサい。

 寒色系のパンツに七分丈のワイシャツ。そこに枯色のベストを着ている。原作でも千早が着ていたようなやつだ。

 今更千早を意識しているつもりはない。この服装を選んだのもスカート類やふりふりの服を避け続けた結果行き着いただけだから。元男としてはやはり女の子っぽい服を着ることに抵抗があるんだよね。むしろ最初から女であった原作の千早がこの服装をしていたということこそおかしいと思うわけで。

 つまるところ僕は悪くない。……なんて、どこぞの最弱少年めいたことを言ってみるけれど、他人どころか自分自身すら説得できる気がしなかった。そもそも言い訳できる程のファッションセンスも無い。

 だが、そうやって心の中で一人言い訳をしたのにも理由がある。

 それは周りからの視線だ。

 さっきから周りの人間の視線が気になって仕方がない。

 道行く人々が、買い物をする客が、カフェで語らうカップルが僕を見ている気がするのだ。

 今もすれ違ったサラリーマン風の男性がすれ違いざまにこちらを見て来た。

 これは僕が自意識過剰というわけではないはずだ。真正面から見返したわけではないけれど、横目で見ただけでも何人もの人間が僕へと目を向けているのがわかる。他人の視線に特に敏感な僕にとって隠す気もない視線は声を掛けられるよりも敏感に察知できる。

 やはりお洒落な街に僕みたいなダサい服装の女が居たら目立つよね?

 僕もね、自分のダサさは自覚してるんだよ。でも前世ですらお洒落に気を使うことなんてなかった僕が千早に似合う服装なんて分かりようがないじゃないか。ちなみに唯一のお洒落着の服はとある事情により今日着て来るわけにはいかなかった。

 それにしても僕がただ道を歩いているだけで、ここまで注目を集めるだなんて……。

 オシャレ街って僕みたいなダサい奴にはこんなにも居心地が悪い所だんだね。前世では特に用事がなければ来ない系統の街だから知らなかったよけれど、その場合もこんな風に居心地悪くなったのかな。

 こんなお洒落な奴らがいる場所に居られるか。僕は家に帰らせてもらう。そうやって回れ右して家に帰りたかった。春香が待っているからしないけどね。

 仕方なく周りの目から逃れるように早足で歩く。それしか今の僕にはできないから。

 少しでも早くこの場から去りたかった。

 

 

 

 待ち合わせ場所まで着くと春香の姿が見えた。

 早く来たつもりが待たせてしまったらしい。ここまで早足で来たのだけど、それでも春香より前に着くことはできなかった。

 貴重なオフの日に付き合ってくれた相手を待たせてしまったという罪悪感から足早に春香へと近づく。

 人混みで微妙に身体が隠れていて見えなかった春香の姿が近付くにつれて明らかになる。周りには春香同様に人待ちをしている人が結構な数が居た。その誰もがスマホの画面を覗き込んでいる中、春香は何も持たずにただそこに立っているだけだった。

 だからそれなりに遠くにいた僕にすぐに気付けたのだろう。

 

「あ、千早ちゃん!」

 

 春香が僕に気付き、名前を呼び手を振ってくれた。

 スマホ片手に待つことを特に悪い事だとは思わない。待つ間の時間潰しや、この後の話題作りのためにニュースを見ている人だっている。だから、それが悪い事だなんて思わないし、これからも思わないだろう。

 でも、逆にスマホを持たずに待っていてくれたらどうだろうか。

 持つことは悪いことではない。

 ならば持たないことは悪いことかと言われたらそんなことは絶対にない。

 そもそも善悪の区別をつける類の話ですらない。ただ持っているかいないかの違いだ。

 それだけだ。

 それだけのことで……。

 それだけのことが、とても嬉しかった。

 まるで僕を待つことは暇ではないのだと言われている気がしてしまう。もちろん春香にそんな意図なんて無いのだとしても、遠くから僕に気付き、満面の笑みで迎えてくれることを喜ぶのは間違っていないはずだ。

 自分の中で一つの価値観に結論付けると、弾む心を表すように春香へと小走りで駆け寄った。

 まずは遅れたことを謝らないと。

 

「遅れてごめんなさい!」

「ううん! 私も今来たところだから。それにまだ待ち合わせ時間前だよ」

 

 時間を確認するまでもなく、春香の言う通りまだ待ち合わせの時間にはなっていない。しかしこういうのは後に来た時点で申し訳ない気持ちになってしまう。

 

「くふふ」

「何かおかしかった?」

「ううん。ただ、今のやり取りって何だか恋人同士みたいだなって」

 

 あー、確かに台詞だけ抜き取ると待ち合わせ時の定番みたいに聞こえなくもないね。実際は女同士の会話なので色気もあったものじゃないけど。

 

「何でこういう時の台詞って決まっているのかしら。オリジナリティを求めているわけではないけれど、誰もかれもが同じやり取りっていうのも変よね」

「そこは、ほら、これを言っている自分達はデートをしていると思い込むためなんじゃないかな」

「なるほど。確かにそう言われるとデートしていると思えてくるわね」

 

 春香の言ったのは面白い見解だ。シチュエーションと台詞を使ってデートを疑似体験するなんて。つまりその気がない相手でもこのやり取りをさせることでデートだと思わせられるってことだよね。

 統計でもとってデータとして纏めればちょっとした論文になるんじゃないかな。

 本気でどうでも良かった。

 

「晴れてよかったねー」

「そうね、せっかくのお出かけだもの。雨だったら困るわ」

「違うよ千早ちゃん」

「ん? 何が違うのかしら」

「お出掛けじゃないよ、デートだよデート!」

 

 ぶっちゃけお出掛けもデートも同性なら同じな気がするんだけれど、春香にとってはその辺りの機微は重要な物であるらしく訂正が入ってしまった。

 僕の方は別にデートでもお出掛けでもどちらでもいい。だが、どちらでもいいということは、デートでもいいということだ。ここは春香に合わせてデートでも良いだろう。

 実際春香みたいな可愛い子とデートできるというのは中身が男の僕にとっては嬉しいことなのだから、わざわざ否定する理由はない。

 

「確かに……デートね」

「えへへー、だよね!?」

 

 二人して笑い合う。実際僕は笑えていないのだけど、心の中では笑えていた。

 

「まだ予定まで時間があるから、どこか見て回ろっか!」

「そうね、そうしましょうか」

 

 スイーツフェスタは予約制の上に時間指定まで必要な店だった。春香が予約したのは十二時からなので今はまだ一時間以上時間に余裕があった。

 実は今日出かけるにあたって、スイーツフェスタに行く以外何をするかはノープランだったりする。これは春香の希望だった。何でも、僕とウィンドウショッピングがしたかったのだとか。街をぶらぶらと目的もなく二人して歩き回る。なかなかにオツな時間の使い方に僕も乗っかった。

 普段買う物がある時は確実に売っている場所を決め打ちして、目的の物を買ったらすぐ帰るという”男の買い物”に慣れている僕には少しハードルが高い。

 でも、それ以上に春香と過ごす時間が持てると思えばどうってことはなかった。

 

「まずはどこから見て回る?」

 

 二人並んで歩き始めたところで、春香が要望を訊いて来た。目的は無いとは言っても、完全にノープランで歩き回るというわけにもいかないから何かしら指針があった方が良い。

 

「うーん、そうねぇ……」

 

 特に見て回りたい場所というのは無かった。あくまで僕の目的はこの場に辿り着くことだったのだから、現在進行形で叶っている今、別に目的と呼べる物はなかった。

 

「何か買いたいものとかあるかな?」

 

 何となく春香から気を遣われている気がする。

 ただ歩き回るだけの予定のはずが僕の買いたい物の話になってしまっていた。

 優先されるべきはチケットを用意して今日誘ってくれた春香の方なのに。

 でもここで僕が春香を優先させれば彼女は断る。それはこの短くない付き合いの中で知っていた。それは原作知識以上に信頼できる。

 この場合、僕がとるべき選択は自分の目的を早急に済ませて後の時間を春香に付き合うことだ。

 

「実はひとつだけ……」

「何かな? 売り切れちゃう物なら先に見に行く?」

「いいえ、売り切れることはないと思うわ。ジャージだもの」

「ジャージ? あ、もしかしてレッスンとかで着るトレーニングウェアかな?」

 

 えっ、ジャージとトレーニングウェアって違うの?

 春香の言い方からしてどうやらそれら二つは違う物のようだ。

 ジーパンとジーンズくらいの違いかと思ってたのに。確かプロデューサーさんからはトレーニング用の服を持ってくるように言われていたから、この場合はトレーニングウェアの方が正しいのかな?

 

「ジャージとトレーニングウェアって違う物なの?」

「え? えっと、ジャージって、ジャージ生地のことなんだよ。だから普通ジャージって言うとジャージ生地のトレーニングウェアってことになるのかな」

 

 なるほど、ジャージって生地の名前だったのか。と言うことは、トレーニングウェアではあるんだよね。だったらジャージでいいか。

 

「ジャージを買うわ」

 

 スポーツ用品店とかで売ってるやつでいいかな。

 

「ちょ、ちょ、ちょっと待って」

 

 予め予習しておいたこの辺りのお店情報を頭に思い描きながら歩きだしたすと慌てた様子の春香あら待ったが掛けられた。

 何だろう。

 いつもは僕のやることに対して謎の全肯定を見せる春香であったが、今回に限って言えば見過ごせないという顔で引き留めて来ていた。

 しかし、その顔は僕に対して不満があるという感じではない。どちらかと言うと「大丈夫?」とこちらを心配しているような表情だ。

 

「いやいや、千早ちゃん。そこはトレーニングウェアを買う流れじゃないのかな?」

「だからジャージを買うのよ」

「あれ、私今違いを説明したよね?」

「ええ、とても分かりやすかったわ。ジャージはジャージ生地のトレーニングウェアなのよね?」

「そうだよ」

「ならジャージを買うわ」

「なんでー!?」

 

 僕の見解に再び春香から待ったが掛かった。

 春香の様子からして、僕が間違った解釈をしているのは分かる。

 

「ごめんなさい、春香が何に慌てているのかわからないわ」

 

 ここは素直に理由を訊ねてみることにした。聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥って言うし。まあ、訊いたことで何年もネタにしていじって来る輩もいるので一概には言えないが。その点春香はそういう意地悪はしないタイプなので安心して訊けた。春香ならば馬鹿にせずに答えを教えてくれるに違いない。

 結果から言えば、僕の予想は半分正解し、半分間違っていた。

 

「千早ちゃんって……」

 

 言いかけた途中で言葉を区切った春香の顔を例えるならば、残念な子を見る時のそれだろうか。

 口を押さえ、言葉を最後まで続けなかったのは彼女なりの優しさと思っておく。だが続きは言わなくても理解できた。結構前からそうなんじゃないかなって思ってたんだよね。今の春香の顔と雰囲気から察した。

 何のことかと言うと、僕の服のセンスがダサいということだ。

 自分でも自覚はあったけど、こうして他者から改めて言われると結構ショックだったりする。

 原作の千早も芋い恰好が多かったと記憶している。それと比肩するレベルで今の僕もダサかった。

 今生では小学校まで母親が用意してくれていた服を着ていた。当然スカートである。中学に進んでからは優に選んで貰っていた。その頃からズボンを愛用するようになり、スカートを履くのは制服の時だけになった。

 それはアイドルになった今でも変わらず、外出の際はズボン姿が基本になっている。

 アイドルを目指すならばお洒落にも気を遣うべきだとは思う。でもセンスが無いので諦めている。早々に自分の分を理解したせいで女の子らしい服装という物が今でもよくわかっていない。

 外に出る様になって、周りの視線から何となく察していたのだけれど、今こうして春香から指摘されたため確信に変わった。

 僕はダサい!

 

「あっ……ご、ごめん、千早ちゃん!」

 

 はっとした顔をした春香が謝って来た。僕は特に気にしていないのだけれど、何故か言った春香の方が落ち込んでしまっている。

 直接言われたわけではなくても、春香からダサいと思われたのは結構ダメージがでかい。センスあると思われるなんてこれっぽっちも思ってないけれど、せめて一緒に歩いて恥ずかしくない程度にはお洒落というものを勉強しておくべきか。

 

「いえ、謝る必要はないわ。むしろ言ってくれて助かったくらい」

 

 実際僕がダサいのは言い訳の仕様もないほどに事実なのだから、春香が気にする必要はない。むしろ、こうして指摘してくれたことで自覚できたので感謝したいくらいだ。

 

「……この際、一度確認しておくけど、千早ちゃんは自分が、その……ってことは何となくわかってはいるんだよね?」

 

 ダサいってことは自覚している。と言うかさっきので自覚した。今までは心のどこかで「いや、でも、千早なら割とアリなのでは」なんて無謀な幻想を抱いていたのだけど、春香にダサいと指摘されたことで、その幻想はブチ殺された。

 あと気を遣ってくれるのは嬉しいけれど、わざわざ伏せて言わなくてもいいよ。逆に辛くなるから。

 

「何となくそうじゃないかって自覚はあったのだけれど、こうして誰かから指摘されることが無かったから。今こうして春香から指摘されてようやく自覚が持てたわ」

「そうなんだ……ちょっと意外かな。弟君がその辺言ってくれそうなイメージがあったから」

「優はそういうことは言わないわ。言って欲しいと思うのだけれど、言い辛いのかも」

「確かに、実の姉に言うのは勇気が必要かもしれないね。特に弟君の場合はもっと言い難いと思うし」

「今の私ならともかく、昔の私だったら優にそんなこと言われたら大変なことになっていたわ」

 

 仮に優からお姉ちゃんってダサいよねとか言われたらショックで首が取れる自信がある。

 

「でもね、やっぱり誰かが言わないといけなかったと思うよ? 今更言われても千早ちゃんは困っちゃうかもだけど、そういうのをきちんと自覚して、相応に振舞っていれば困ることもなかったと思うし」

 

 そうだったのか!

 ダサいことで損……たとえば、スカウトの目に留まる機会を逸したりとかしていたということか。

 うわ、それは確かに損したと言って良いかもしれない。

 どうしても千早はお洒落は二の次で歌が一番というイメージがあったため、お洒落をしていればもっと早くアイドルになれていたという春香の言葉は衝撃だった。

 もう少し僕が服装を気にしていればもう少し早くアイドルになれていたかもしれないわけだ。

 いや、もしかしたらあの時765プロにだって……。

 

「千早ちゃん?」

 

 春香のこちらを気遣う声を聞き、考えそうになったもしもを無理やり掻き消した。

 今更それに思い至ったからと言ってどうしろと言うのだろう。

 765プロが僕を選ばなかったのはお洒落がどうという話では無いのだ。

 きっと。

 そう思わねばやっていられない。

 

「……私の無自覚がこんな枷になっていたなんて」

「千早ちゃんが悪いわけじゃないよ。むしろ、私がもっと早く教えられていたら……ごめんなさい」

「そんな、謝らないで。春香は今こうして言ってくれたじゃない。誰も言わなかったことを言ってくれた。そのおかげで私は周りからどう見られているのか自覚できたんだもの。感謝こそすれ、春香が謝る必要なんてどこにもないわ」

 

 今まで両親や優を含め、誰からも指摘されなかった僕がダサいという事実を春香は言ってくれた。僕が怒ったりする可能性すらあったというのに、それでも僕のためを思って指摘してくれた春香の優しさと思い遣りに感動していた。

 春香にここまで言わせてしまったのならば、ここはジャージ改めトレーニングウェアはダサくない物を買わなければ。

 

「あの、春香……実はお願いがあって」

「うん! 任せて! 千早ちゃんに似合う物を選んであげるから!」

 

 打てば響くとは正にこのことだろう。

 僕が春香にトレーニングウェアを見繕ってくれるようお願いしようとしたら、全てを語る前に春香は内容を察して引き受けてくれた。

 これが親友力というやつなのか!

 

「じゃあ、さっそくお店に行こうか。実はお勧めの場所が近くにあるんだよ!」

「そうなの? それじゃ、そこに行ってみようかしら。案内をお願いしてもいいかしら?」

「もちろん、きっと千早ちゃんも気に入ると思うよ。付いて来て!」

 

 そう言って歩き出す春香。その淀みない無い歩みはこの辺りを熟知した者の足取りであった。

 さすが春香だ、頼りになるね。

 春香には悪いが、ここは下手に僕の意見を出さずに任せておくのが正解かもしれない。きっと僕に似合うトレーニングウェアを選んでくれるはずだ。

 本当、頼りになる親友である。

 

 

 

 そう思っていた時期が僕にもありました。

 

「これなんかどうかな? 千早ちゃんに似合うと思うんだけど」

「……」

「あ、それよりもこっちと合わせた方が良いかな?」

「……」

「今度はこっちも着てみて!」

「……」

 

 次々と手渡される服を僕は黙って受け取る。

 今の僕は全自動服受け取りマシーンだ。春香が渡してくる服を受け取るだけの機械。それが僕だ。

 おかしい、僕はトレーニングウェアを春香に見繕って貰うつもりだったのに、連れてこられたのは僕が普段絶対に入らないようなお洒落な服ばかりの洋服店だった。

 それでも最初はこういうところでトレーニングウェアも買えるのかと思っていたのだけれど、店の中にそれらしき服は見られなかった。

 店を間違えていると指摘しようとした僕だったが、春香は僕の言葉を聞かずに何やら服を物色し始めたので口を噤んだ。何か春香の方で気になる服があったのかもしれないと思ったからだ。だったら邪魔しては悪いと何も言わずに待っていると、春香は何着かの服を掴み試着室へと向かった。

 僕の手を引きながら。

 試着室に着くと春香から服を手渡され、これに着替えるように言われた。その時になって初めてこれが僕のために選んだ服だと気付いた。てっきり荷物持ち役かと思っていたので驚いてしまい、背中を押す春香にろくな抵抗もできずに試着室の中へと入ってしまった。

「着替えたら声掛けてね」と言うとカーテンを閉めた春香に何か言うべきなのだが、勢いに乗せられたとはいえここまで来てしまった手前、今更断れる気がしない。

 まあ、一着くらい良いかなと諦めた僕は渡された服に着替えるために服を脱いだ。

 渡された服は白を基調としたレースブラウスと水色のスカートだった。

 これを着る、だと……?

 露出過多と言うほど布面積が少ないわけではないけれど、普段着ている服に比べたら十分派手なデザインだ。今からこれを着るのかと思うと苦い顔にならざるを得ない。

 でも春香が選んだ服なのだから着ないわけにもいかない。

 親友からの期待と自分の中の羞恥を天秤に掛け、親友をとった僕は覚悟を決めお洒落着に袖を通すのだった。

 

 

 

 

 着替え終えるとすぐにカーテンを開いた。こういうのは溜めるよりも一気にやり終える方が傷は浅い。

 春香は試着室の前で出待ちをしていた。

 

「ど、どうかしら……」

 

 キラキラとした瞳でこちらを凝視する春香に感想を訊いてみる。自分では微妙な気がした。露出以上にこんな派手な服は僕に似合わない気がしたからだ。選んでくれた春香には苦笑いされそうだ。

 しかし、僕の自己評価の低さに反して春香の反応は劇的だった。

 

「可愛い!」

 

 店内に響く春香の声に何事かと店員と客の視線がこちらへと集まる。

 オシャレ街のメインストリートに面したお店とあって客の数は多い。そんな所で大声を出して注目を集めた春香が慌てて周囲の人に謝っているのを僕は現実味が無く見ていた。

 可愛いって言われた……。

 これまで容姿を褒められたことが無い僕には春香の言葉は衝撃的だった。

 可愛いだって?

 それは服のデザインがってことだろうか。

 確かに服は可愛い系のデザインと言えるけれど。

 

「こういう服って着たことが無いのだけれど……確かにとても可愛いデザインだわ」

 

 服の裾を軽く摘んで見せる。

 可愛いという表現から離れた容姿をしている僕が着ても可愛らしさを失わないデザインを褒めた。

 僕だったらこんな服を選んだりしない。下手すると男物を手に取ることさえある。

 

「服もって言うか……」

 

 春香の方は何か言いたげに身体を揺らしている。彼女にしては珍しく煮え切らない態度で言葉を途切れさせていた。

 しかし何かを決意したのか一度頷くとおもむろに僕へと近づいて来た。

 何事かと身構えるようなことはしない。

 彼女が僕に何かするわけがないと知っているため自然体で立ち続けた。

 僕の目の前まてやって来た春香は手を挙げると、少し躊躇うように空中で手を彷徨わせた後にそのまま僕の両肩へと手を置いた。

 

「千早ちゃんが可愛い」

 

 未だ嘗て、これ程までに真剣な顔の春香を見たことがあるだろうか。

 たぶん無い。

 アニメで引きこもった千早に放って置かないと啖呵切った時に勝るとも劣らない圧を今の春香からは感じる。

 そんな名シーンの再現をこんな場所でやる意義とは……!

 

「そ、そう、なの……?」

「そうだよ!」

 

 僕を可愛いと言う春香の言葉を否定しようにも、あまりにもガチな顔に春香の本気度が伝わって来るため否定の言葉が出せない。

 目は口ほどに物を言うとは言うものの、こんな自己主張の激しい目ってある?

 若干引いた僕だが、春香の押しは止まることはなかった。

 

「千早ちゃんは元が良いから何を着ても似合うんだけどそれでもやっぱり可愛い服を着ればそれだけもっと可愛くなるんだからもっと可愛い服を着て私に見せればいいんだよ」

 

 ごめん早口過ぎて何言ってるかわからない。巻き戻し再生してもいいけど、たぶん聞き直しても中身無さそうだから止めよう。

 

「とにかく、千早ちゃんはもっと可愛い服を着るべきなんだよ?」

「はい」

 

 結局纏めるとダサさを改善するにはとにかく色々と着てみてセンスを養うしかないってことらしい。

 本当にそんな話だっただろうか?

 まあ、春香の言うことだから間違いはないのだろう。少なくともダサい僕が下手に改善策を考えたとしても上手く行くはずもない。だったら春香に全幅の信頼を寄せて頼む方が良いはずだ。

 

「そうね、春香の言う通り色々と着てみてセンスを養うのが良さそう。これからもお願いできるかしら?」

「もちろん! 千早ちゃんのために色々選ぶね!」

 

 そう言って自信満々に笑う春香に頼もしさを感じる。

 しかし今後春香とでかける際はこうして服を見てもらえるとしても頼りっきりは良くない。自分でも勉強しなくては。

 これまでは一般人という言い訳をして目を背けてきたオシャレの世界に自ら飛び込む。その重圧に今から心が折れそうだ。でも僕はアイドルなのだから、嫌なことから逃げ続けるわけにはいかないんだ。

 そうやって自分を奮い立たせた僕であったが、目の前から春香が消えていることに気付く。

 

「あれ、春香? どこに……」

 

 視線を巡らせ春香を探すと、彼女は先程とは別の服のコーナーに居た。

 いつの間に移動したんだと自分の知覚能力を超えた隠密行動をした親友に心の中で冷や汗をかく。

 僕の目には春香が新しく服を選んでいるように見えた。

 

「……春香も何か試着するの? ここ使う?」

 

 もしかしたら春香も試着がしたかったのではという希望は無言で服をこちらへと差し出して来る春香によって断たれた。

 

「あの、春香……私」

「きっと似合うよ!」

「はい」

 

 その後は冒頭の通り春香から服を受け取っては試着するのを繰り返すことを強いられた。

 途中から自分が何を着せられているのか把握できていない。ただ渡された服を着て、それを春香に見せる。褒められる。それの繰り返し。

 やがて僕はそれだけに特化したナニカになった。

 

 

 そんな感じに春香の着せ替え人形と化していた僕の耳に、初めて春香以外の意味のある言葉が入って来た。

 

「お姉ちゃん、早く早くー!」

「もう、そんなに焦らなくても服は逃げないって」

 

 声の方に顔を向けると、中学生くらいの女の子が高校生の姉らしき女の子の手を引きながら店に入って来るのが見えた。

 どちらも派手な髪色をしており、妹の方は金色で姉の方はピンク色をしていた。二人とも最近の女子中高生って感じで垢抜けていて何だかキャピキャピ(死語)している。

 僕もあんな風にすればダサいと言われずに済むのかな?

 自分の青い髪を一束摘み、毛先を軽くいじりながら現実逃避気味に考える。

 

「どうかしたの?」

 

 あれからさらに何着か見繕ったのか、両手に服を抱え込んだ春香がやって来た。まさか、それ全部僕に着せるつもりじゃないよね?

 ファッションショーじゃないんだから試着するにしても二桁超えたら駄目なんじゃないかな。あと明らかにフリフリでシャラシャラな服も混ざっているように見えるのだけど。さすがにそこまで可愛い服は着られないかな。

 別に今更女の子の服に抵抗を覚えるほど前世の性別に拘りを持っているわけじゃない。でもフリフリはなぁ……今の僕としても着たくはない種類の服なんだよね。いや、だって、似合わないじゃない?

 菊池真ほどではないにしても、放送事故ってレベルじゃない何かになるだろこれ。

 

「ええと、新しく入って来た子達がお洒落だなーと思って見ていただけよ」

 

 何とか話題を逸らすためにもちょっと目の前の姉妹には話のネタになって貰おう。見ず知らずの他人を話題に挙げるのはあまり気が進まないのだけど、背に腹は代えられない。このままでは春香の謎のプッシュにより僕は延々と着せ替え人形にさせられてしまう。それは阻止したかった。

 ごめんね、名前も知らない君達。僕のためにちょっとの間だけネタなってくれ。少しだけでも春香の注意を引いてくれるだけでいい。その間に僕は撤退の道筋を考える。

 

「あれって……城ヶ崎美嘉ちゃんじゃないかな?」

 

 と思ったら予想以上に春香の食いつきが良いぞ。どうやら知っている相手のようだ。

 どちらが城ヶ崎美嘉かはわからないけど、春香の知り合いなら年齢が同じくくらいの姉の方かな?

 

「知り合い?」

「ううん。前に雑誌のモデルで現場が一緒になったことがあるだけだよ。話す機会も無かったし。……ちなみに、城ヶ崎さんは元はファッション雑誌のモデルだったんだけど、今はアイドルをやってるの」

「……知らなかったわ」

 

 ファッション雑誌なんて普段読まないから城ヶ崎なんて僕は知らない。でも春香の反応からしてそこそこ有名人のようだ。

 知らないのは拙いレベルで有名だったらどうしよう。

 今後は有名人の情報も少しずつ覚えていった方がいいのかな……。

 

「千早ちゃんはファッション雑誌とかは……」

「読まないわね」

「だよねー……」

 

 わかっていたけどね、という顔で項垂れる春香に少しだけ罪悪感を覚える。

 雑誌なんて、ゲーム情報誌しか買ったことがないよ。

 二年前に引き籠り始めてからゲームの情報が載っている雑誌を買うようになったのだけど、あの胡散臭い新作ゲームの点数とか毎度わくわくするよね。

 あと特典コードが付いてるのもグッド。最近ご無沙汰なFAQ2内で使用できるアイテムコード目的で雑誌を買うこともあった。対してファッション雑誌とか何が付いてるよ。鞄とか要らないからね。

 僕はこれまでファッション雑誌を買ったことがない。アイドルを目指しておきながら、ファッションをおざなりにしていたことに、今でこそ違和感を覚えるものの、昔の僕はそれをおかしなことだと思ってはいなかった。

 それは千早はお洒落に疎いという固定観念があったからだ。

 歌だけあればいいと千早が思っている。そう僕が思い込んでいたために、そういった雑誌を手に取ることすらしなかったのだ。あと未来のアイドル活動を妄想したり、その日優と何して遊ぶかを考えるので忙しかった。

 おかげで学校で女子生徒がするお洒落話にまったく付いて行けず、中学時代にクラスで孤立した過去がある。

 僕自身はお洒落に関心が無く、またクラスメイトにも毛程の興味も無かったので気にしていなかったのだが、僕の地味さと冷めた態度が生意気に映ったのか一部の女子から目を付けられることになった。

 そのグループはクラスでも流行に敏感な女子が集まった一団で、所謂クラスの中心グループと呼ばれる存在だった。

 当時の僕は髪は伸ばしっぱなしで目が隠れており、中学生がする程度の化粧っ気もなく、制服も規定通りに着ている様な地味な少女だった。

 そんな地味でクラスから孤立していた僕はその子達にとって恰好のいじり相手だったのだろう。何かあれば地味だ根暗だと揶揄され、クラスメイトからは笑われていた。

 今思えばいじめに発展してもおかしくない環境だった。興味が無かった僕が徹底的に無視していたのと、そのグループだけが盛り上がっていたため深刻な事態までは行かなかったのは不幸中の幸いだった。

 そんないじられ生活も、ある日を境にぴたりと収まった。受験を控えていたから彼女達も暇ではなくなったのだろう。

 僕も765プロのオーディションのために準備を始めていたので丁度良かった。

「前髪くらい切りなよ」と優に言われたので、どうせならと必死で頼み込んだ末に優に切って貰ったのは良い思い出だ。髪で隠れていた視界が晴れて見えた仕切りの無い世界はとても明るく見えたものだ。

 この明るい世界が僕の未来を暗示していると思い、晴れ晴れとした気分になったのを今でも覚えている。

 まあ、その後オーディションに落ちて見事に引き籠ったわけだが……。

 今でも化粧はしていないものの、髪の方は優に切って貰っているので前髪目隠しは卒業している。

 まあ、今でもファッション雑誌を買うくらいなゲーム雑誌買うと思うので、人間そうそう変わらないということだろう。

 

「じゃあ当然城ヶ崎さんのことは……」

「まったく知らないわね」

 

 当然僕は城ヶ崎なんて人間を知らない。

 ここ数年アイドルの情報を意識的にシャットアウトして来たためか、最近デビューしたアイドルを僕はよく知らない。

 たぶん僕の知ってるアイドルって日高愛が最新情報のまま止まってる気がする。

 そういうこともあり、春香には正直に知らないことを伝えたのだが……。

 

「あのね、千早ちゃん……城ヶ崎さんって346プロ所属だったはずだよ」

「え!?」

 

 衝撃の事実が返って来た。

 346プロ所属のアイドルとか、僕の先輩じゃないか。ファッション雑誌がどうとか以前に同じプロダクションの先輩を知らないのは拙いわ。と言うか何で僕知らないんだよ。あ、興味無かったからか。

 危ない危ない。失礼なことを言う前に城ヶ崎が有名だと知れて良かった。有益な情報をくれた春香には感謝だ。

 

「良い情報を聞けたわ。ありがとう、春香。そんな相手を知らないなんて大っぴらに言えないわね。危うく無知を晒すところだったわ」

「ち、千早ちゃん……」

「何かしら?」

 

 様子のおかしい春香に気付く。何かしまったって顔になっている。

 いや、まさか?

 嫌な予感を確かめるために春香の視線の先を追う。

 

「むー……」

 

 そこには先程の金髪の少女――城ヶ崎妹が頬を膨らませながらこちらを睨んでいる姿があった。

 どうやら今の会話を聞かれていたらしい。

 城ヶ崎がどの程度有名なのかはともかく、アイドルの姉なんて妹にとっては自慢のタネだろうし、その姉を知らないと堂々と言った僕は敵に見えても仕方ないね。

 ただし、睨んでいる顔が可愛いので威圧感はまったくと言っていい程無かった。

 と言うか本気で可愛いぞこの子。猫っていうか、子ライオンというか、小動物っぽい可愛さがある。精一杯の不機嫌顔を作っているつもりなのか、ふくらました頬を指で突きたくなる。

 金髪ツインテールとか、僕のツボを押さえた姿を晒すなんて僕をどうするつもりなのかと問い詰めたい。

 

「こーら、莉嘉! そんな顔しないの。相手の子が困ってるでしょ」

 

 慌てた様子の城ヶ崎がやって来て妹を嗜めている。

 金髪の方は莉嘉というらしい。やはりピンク髪の方が美嘉で合っていたか。

 城ヶ崎美嘉も妹に劣らず……ぶっちゃけ勝っているくらい今時の女子高生らしいオシャレな格好をしていた。

 髪の色はピンク色で奇抜な印象を受ける。しかし、それもまたオシャレに見え決して下品な感じがしない。上手くコーディネートに組み込んでいた。

 お洒落であっても派手派手しいという印象は受けず、どことなく上品さが細やかな所から受け取れるコーデ。これは何と言えばいいのか……そう、カリスマ性があった。

 僕なんて地味な上に男物ばかり着て、さらに髪が青色だぞ。戦隊物で言えば終盤くらいに死にそうな色だぞ。

 お弁当で例えると城ヶ崎姉はカラフルな色使いで男心と食欲を刺激するオシャレ弁当。対して僕は煮物とかでくすんだ色をした地味弁当だ。仮に頑張ってお洒落っても何故かキャラ弁になるタイプのお弁当だ。

 そう言えば中学時代に男子が僕のことを煮物女と呼んできたことがある。当時は意味がわからなかった上に男との接触を避けていたので無視したが、彼が言いたかったのはこういうことだったのか。

 てっきり校外学習や体育祭のお弁当が煮物ばかりだったからそう言ったのかと思っていた。

 まあ、中学の行事でお弁当なんて食べたことがないのであり得ないんだけどね。

 基本的に校外学習関連は欠席したし、体育祭のお昼の時間は校内を適当にぶらついて時間を潰すのが恒例だったし。

 ああ、一度でいいから優が作ってくれたお弁当食べたかったな……。

 

  「だって! あの人、お姉ちゃんのこと知らないって言うんだもん!」

 

 僕が過去へと意識を向けている間に姉妹の言い合いが始まっていた。

 突然知らない相手に絡み始めた妹を窘める城ヶ崎姉に対して城ヶ崎妹はよほど僕にご立腹なのか、姉を知らないと言った僕を指差し窘めた姉に抗議していた。

 こらこら、人を指さしちゃいけないんだぞ。間違って相手の秘孔を突いてしまったらどうするんだ。昼間のオシャレ街で突然人が「ひでぶ」と破裂したら大惨事だぞ。人体には無害な爆砕点穴ならセーフ。

 それにお姉ちゃんの方は気にしていないみたいだし、あまり大事にしない方がいいんじゃないかな。加害者の僕が言うのもアレだけども。

 これってある意味「私のために争わないで」ってやつだよね。違うか。

 

「だからって睨まないの。アタシだって皆が皆、アタシを知っているなんて思ってないんだから」

 

 自分は有名人なのだから皆が知っていて当然と勘違いする人間はいる。

 特にこの世界ではアイドルに多いパターンだった。デビューもろくにしていない若手が「私アイドルだから」といって無駄な自意識過剰さを見せる。そして謎の変装で街に繰り出すという光景は珍しくない。

 前世よりアイドルが巨大なムーブメントを起こしているこの世界で、ただデビューしただけのアイドルがそこいらを歩いていたところで話題になることはない。春香レベルのトップアイドルなら変装無しで歩き回るなど自殺行為でしかないが。

 城ヶ崎姉の有名度合いを知らないので何とも言えない。でも自分で自分が超有名人と思い込んでるタイプの人間ではないことは今までの様子でわかった。

 

「髪青いし」

 

 それ本題から逸れてない?

 順々に僕を責める言葉が出て来るかと少し身構えていたのに、二つ目にして髪の色と来た。

 悪口のボキャブラリー少ない良い子なのかな?

 

「それは個性でしょ。アタシはピンクだよ」

 

 でも貴女、それ染めてるでしょ?

 僕のこれは地毛だよ。

 終ぞ教師には地毛であることを信じて貰えなかったのも今では良い思い出だ。

 

「服だってダサいし」

「それは……そうだけど」

 

 そこは同意しちゃうのか。回数だけなら妹の方が失礼なこと言ってることになるんだけど、一発の威力は姉の方が高かった。同年代からダサいと言われると辛いってよくわかる。

 あとダサいのは放っておいてくれませんかね?

 

「千早ちゃんはダサくてもいいんだよ?」

 

 春香が城ヶ崎姉妹の視界から隠れるようにして話しかけて来る。さすがに正体がバレるのは拙いと思ったらしく小声だった。春香の摩訶不思議変装術なら知り合いでも無ければ正体がバレるなんてないと思うのだけど、用心深いのは決して悪いことではないので何も言うつもりはなかった。

 ただ……ちょっと春香の顔が近い気がする。軽く耳に唇が触れている程度なので特に注意するほどでもない。

 あとダサいことは全肯定なんだね。

 

「いや、ダサいのが良くないからここに来たわけだけど……」

「そ、そのダサさが千早ちゃんの良さなんだから」

 

 何時の間にか持っていた服を戻して、フリーになっていた手を僕の両肩に置く春香。

 先程と同じシチュエーションなのに、春香の顔が若干キョドってるせいで説得力はなかった。

 

「それフォローになってないわ」

「私はそんな千早ちゃんも好きだもん!」

「フォロー?」

 

 さっきから春香に名前を連呼されててヤバイ。城ヶ崎姉に名前覚えられたらどうしようか。あ、顔を見られた時点で遅いか。

 

「ゴメンね? 妹が絡んだみたいで」

 

 僕が先輩との関係悪化に悩んでいると、いつのまにかこちらへとやって来た城ヶ崎姉が謝って来た。

 両手を合わせてかわいくお祈りポーズ(?)をした謝罪スタイルはあざとさ増し増しで今時の女子高生っぽい気がした。

 僕もこれをやれば女子高生っぽくなるのかな。「ごめーんね!」とあざとく謝る千早の姿を想像して、誰がこんなんで許すんだと妄想をかき消した。

 しかし、見た感じ妹の方はともかく、城ヶ崎姉の方は今の話をあまり気にしてないようだ。

 城ヶ崎姉の纏う空気に怒りの要素は感じない。そのことに少しだけ安心した。

 

「それじゃ、改めて。アタシ、城ヶ崎美嘉! ヨロシク!」

 

 しかも知らないと言った僕に笑顔で自己紹介までしてくれた。良い人かよ。

 仮にも有名人の自分を知らないと言う相手だぞ。さらに城ヶ崎姉からすれば僕は名も知らぬ一般人でしかない。そんな相手にこうして笑顔を向けられる城ヶ崎姉はアイドルの鑑だと思った。アイドルの先輩としてそういう所を見習って行きたい。

 

「如月千早です」

 

 あちらから名乗られたからにはこちらも名乗るほかはない。

 僕からすれば相手は事務所の先輩なのだから礼儀正しくするのは当然のことだ。

 後々僕が後輩だと知られるのは避けられない未来なわけだし、今更だけど評価を下げないように対応するしかない。

 見習いたいと思った直後にこの打算めいた考えが我ながら醜く感じる。

 

「その、先程は失礼なことを言って申し訳ありませんでした」

「え? ああ、いいよー別に。妹にも言ったけど、アタシだって全員が全員自分のことを知っていると思ってたわけじゃないしね」

「いえ、単純に私がそういう物に疎いだけで……一般的には城ヶ崎さん程の著名人は知っていて当然の方のはずです」

「著名人って言われるほど立派なものでもないけど」

「いえ、城ヶ崎さんは立派な方だと思います」

 

 自分でもこれは無いなと思った。

 現役アイドルに向ける評価ではない。もっと言い方というか、アイドルらしいフォローの仕方というものがあったはずだ。これではアイドルとしてまったく評価していないのに等しい。その証拠に言われた当人である城ヶ崎姉も若干引き気味に見える。

 でも城ヶ崎姉が立派だと思ったのは本当だった。

 僕が城ヶ崎姉の立場で仮に誰だお前と言われたら穏やかでいられる自信はない。ましてや相手を気遣うなんて絶対に無理だ。そこまで僕は心が広くない。

 

「あはは……あ、ありがとう? 立派なんて言われ慣れてないから……既視感スゴいかも」

 

 逆に城ヶ崎姉に気を遣わせてしまったことに内心落ち込んだ。こういう時表情に申し訳なさが出ればもう少し人間関係が上手くいくと思うのだけど、よほど僕に詳しい人にしかその変化に気付けない。僕の表情筋は日本人特有のなあなあとした対応を取りたがらないらしい。

 笑えないくせに申し訳なさそうにもできない。できるのは怒った表情のみ。ポンコツ過ぎて泣きそうになる。泣けないけど。

 

「重ね重ね申し訳ありません。ちょっと、私は言動がアレで……自分で言っても嘘臭いとは思いますが、悪気は無いんです。本当です」

 

 無駄とは思ってはいても、何とか誤解されないように必死で言い繕う。

 

「大丈夫、知ってるから」

 

 意外にも城ヶ崎姉は信じてくれた。

 苦笑、というよりは若干呆れ顔に近い表情を浮かべた城ヶ崎姉は、こちらへの理解を口にすると僕の肩を軽く叩いて来た。その手の感触からこちらへの害意は感じないので安心した。

 この滲み出るダメ人間臭が僕に悪意が無いことを証明してくれた感じか。僕のポンコツ臭もやればできるじゃないか。

 城ヶ崎姉の好感度がこれ以上下がることはないだろう。

 

「うー……」

 

 対して、彼女の後ろで先程から威嚇するのを止めてくれない妹の方の好感度は今も降下中のようだ。下手に姉が友好的に接したことで不満が消化不良を起こしているのかな。

 一度こうして拗れてしまったのだ、ちょっとやそっとでは解消できそうにない。

 同じアイドルの姉はともかく、妹とは直接関わる機会もないだろうし別にいいだろう。城ヶ崎姉の方だけ相手しておけばいいよね。妹は無視しちゃおう。

 僕個人としては、こんな感じに解り易い子は嫌いではないので嫌われてしまったのは残念だけどね。でも、今みたいに素直過ぎてすぐに噛み付いてくるのは勘弁願いたい。こういう子供子供した性格の子ってどう扱えばいいのかわからないから困る。

 優なんてずっと素直で優しい良い子だったから、なおさら城ヶ崎妹の様に喧々諤々した態度を見せる子供は苦手に感じる。本当優は天使だわ。

 

「なんか、本当にごめん。普段はこんなに絡む子じゃないんだけど、今日は虫の居所が悪いみたいで」

「いえ、気にしていませんから」

 

 先に失礼を働いたのは僕の方だと言うのに、こうして逆に気を遣ったくれた城ヶ崎姉の優しさが心に沁みる。

 むしろこっちが謝りたいくらいだ。でも「知らなくてごめんなさい」と謝るのも何か違うと思い具体的に何と謝ればいいかわからない。

 すでに謝罪をしているため、これ以上何か言うことで藪蛇になるのが怖かった。

 中学時代は僕が何か言うだけで教室の空気が絶対零度まで下がり、いつの間にか僕が悪者にされてハブにされるなんてざらにあったからね。こうして他人から気を遣われるというのはひどく新鮮だった。

 だが待って欲しい。

 ふと気付いたのだけれど、僕の失礼な態度をスルーしてくれたのは僕のことを一般人だと思ったからじゃないかと気付く。後で僕が後輩だと知ったら妹と同じく攻撃的になるんじゃないか……?

 同じプロダクションの先輩からの不評を買わずに済んで良かったと思いきや、実は何の解決もしていないと気付き血の気が引く。

 

「え、ちょっと顔色悪いけど大丈夫?」

 

 突然顔色が悪くかった僕を城ヶ崎姉が心配してくれる。

 その優しさすら後の反動に繋がるんじゃないかと思うと素直に喜べない。人から優しくされるのって難しいんだね。優の無償の優しさが恋しいよ。

 

「えっ? 千早ちゃん気分悪いの……?」

 

 背中に春香の心配そうな声を受けた僕はすぐにチートを発動させ顔色を元に戻した。

 春香に心配させてしまうのが嫌だったからだ。

 彼女は今日を楽しみにしてくれていた。それなのに僕が体調不良と知ったことで気落ちして欲しくない。

 

「ええっ?」

 

 城ヶ崎姉が驚きの声をあげる。

 彼女から見たら突然僕の顔が別人に変わった様に見えたことだろう。それはある意味正しい認識だった。

 文字通り別人なのだから。

 

「いいえ、体はいたって健康よ」

 

 証拠を見せるために春香へと振り返る。今の僕の顔は十時間睡眠をした後みたいに晴れやかに見えるはずだ。まるで生まれ変わったかのように体の不調は消し飛んでいる。

 誰がどう見ても今の僕は健康体だ。身体の中身は悲惨なことになっているが。

 

「本当? 無理しないでね? 気分が悪いなら今日の予定だってキャンセルでいいんだから」

 

 こちらを気遣ってくれる春香のためにも決してボロは出せないな。

 僕は今健康だ。そうやって自分を騙してでも春香に何でもないことを見せなければならない。

 こんな時自分の無表情さがありがたい。

 

「えっと、実はこの後私達は予定がありまして……」

 

 僕の豹変を見られてしまった今、いつまでも城ヶ崎達の相手をするのは避けたい。後日この件が尾を引いたとしても、今この時は春香の追及をかわすことを優先したかった。

 実際スイーツフェスタまでは時間があるので当然ここから逃れるための方便でしかない。

 

「ん? うん、引き留めるようなことしちゃってごめん。莉嘉のことも改めて、ね?」

 

 空気を読んでくれた城ヶ崎姉はあまり追及することはなかった。

 しかも、律儀に妹のことで謝罪までされてしまい、城ヶ崎姉に対して罪悪感を覚えてしまう。

 本当はここで良好な関係を築いておきたかった。でも、春香を優先したい僕にはその選択肢をとることはできない。

 

「あの、失礼いたします」

 

 最後に頭を下げて逃げる様に城ヶ崎姉の前から立ち去る。

 

「あ、千早ちゃん! えっと、失礼します。千早ちゃん待ってー!」

 

 慌てた春香が追いかけて来るのを背中に感じながらも、僕は足を止めることはしなかった。

 後ろ髪引かれる思いとはまさにこのことだろう。

 少し話しただけでわかる。城ヶ崎姉はたぶん良い人だ。しかもかなり世話焼きで面倒見がいい。

 そんな人との繋がりをこの時点で作れる機会なんて早々ない。本来なら何を置いても城ヶ崎姉とのコネ作りを優先すべきだったろう。

 でも僕はそれをしなかった。同じ事務所の先輩でななく、違う事務所の春香を優先した。

 それは春香が親友だから……だと思いたい。765プロのアイドルだからなんて理由であって欲しくなかった。

 

 お店を出ると解放感があった。広い店内であっても閉鎖空間というのは気が滅入るものだ。

 春香が追いつくまでの残り少ない時間を使い、気分を落ち着かせるために空を見上げる。

 

「……あー」

 

 見上げた先には看板広告があった。

 おそらくこの街で最大の大きさを誇ると思われる大きさのそれには346プロ主催のライブ告知が掲げられていた。

 かなり大規模なライブなのだろう、煌びやかなステージ衣装を着た五人のアイドルがまっすぐ上へと指差してポーズをキメている。

 そのセンターポジションにはつい先ほど会話していた相手、城ヶ崎姉が写っていた。

 こんなでかでかと掲げられている看板に今まで気づかなかったなんて。しかも相手はセンターを務める程の実力と人気の持ち主なのだ。興味が無いでは言い訳が立たない。

 先程の会話を思い返す。少し話しただけで城ヶ崎姉のアイドルとしてのレベルは高いと感じられた。笑顔一つとっても、妹とのことで申し訳なさそうにする顔ですら僕とは違って”らしさ”があった。

「歌だけあればいい」と面接官の前で大見え切った手前、それで自分がアイドルとして不十分だと言うつもりはない。

 だけど、今の僕は765プロのメンバーや春香以前に、数多くのアイドル達よりも遅れていることを自覚するべきだと思った。

 看板との距離以上に城ヶ崎姉と自分に差を感じる。

 

「千早ちゃん」

 

 しばらく看板を見ていると、春香が僕の手を取った。

 

「うん、ごめんなさい……行きましょう」

 

 そのまま手を春香に引かれながら僕は自分の立場を改めて確認する。

 本当、僕って何も見えてないんだな……。




クラスメイトの女子の心「ベキッ!」

芋娘かと思ってからかっていたら、ある日超絶美少女になって登校して来るクラスメイトを見て心の折れる女子達。
「誰あれ!?」「転校生?」「え、如月さんの席に座った?」と教室が騒然とする中、まったく我関せずで優日記を書き続ける姿を見て「如月さんだと!?」と認識される。
男子はこれまでの態度から掌返しクルーだけど、これまで千早を相手にしてこなかったので会話のとっかかりがない。そして千早本人もクラスメイトと会話するつもりが無いので絶縁状態は変わらず。
担任教師は中学生がするにはやりすぎなメイクだと千早を注意しましたが、それがノーメイクだと知ってしまい心が折れました。年齢的にその担任は立ち直れませんでした。
二次元キャラ特有の真っ新な肌を現実に適用し、なおかつ少しでも荒れたら細胞レベルで自動修復するノーメイク美少女とか心折れますわ。
ちなみにいじって来た女子たちは直接手をだすようことはして来ませんでした。仮にやってたらもっと早く折れていたことでしょう。心以外が。
あと千早の髪色はゲームやアニメでは青色ですが、実際は黒髪って設定なのですよね。この世界の千早は青髪ですが。

今回登場した城ヶ崎姉妹のキャラは千早視点だとこんな感じになりました。
城ヶ崎姉から優しくされていると思っている千早ですが、姉妹の千早に対する第一印象はともに最低です。姉を知らなかったという一点のみの評価なので、妹の方が若干高めに見ているかも。と言うか実際そこまで千早に暗い感情は持っていない感じでしょうか。
姉の方が深刻です。
ただ姉の方も実際に千早と会話したことで彼女がどんな人間か察し始めたため評価が上がっています。それでも第一印象が最低過ぎて、まだまだアンチ側ですね。
というか武P関連のアイドルはほとんどが千早アンチ勢です。765プロのアイドルが黒井社長に対するくらいのアンチ姿勢です。
知らないところで先輩方から嫌われているとか、千早の対人関係ルナティック過ぎますね。
半分くらい千早の自業自得ですが。
もう半分は武Pのせい。
千早は初対面の相手からの友好度は最低値から始まります。最初から千早に好意的な人間は作品を通しておそらく三人しか出て来ません。(身内を除く)
武Pですら初対面時は「なんだこの妙に馴れ馴れしい幼女は」と千早を疎ましく思っていたので、この嫌われ体質はもはや呪いと言ってもいいでしょう。



次回もデート編です。

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