アルティメット千早な僕が765プロのオーディションに落ちた件   作:やんや

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如月千早の覚醒回です。

武Pのやらかし案件の処理回でもあります。
そのあおりを受けた千早もかなり残酷なことを言います。

みんな違って

みんな下種


※今回は時系列的に「アルティメットなアイドルの卵その1」の前のお話になります。
時系列は以下の通りです。

金曜日
・アルティメットな最終面接(今回)
・アルティメットなアイドルの卵1
土曜日
・アルティメットなアイドルの卵2345
月曜日
・アルティメットな初仕事1234


アルティメットな最終面接

 これは、僕がアイドルとは何かという答えを悟るに至った話。

 そして、プロデューサーの見方を大きく変えたイベントである。

 

 

 

 

「申し訳ありません」

 

 プロデューサーが開口一番、頭を下げて来る。謝罪と言うよりも、断罪を待つ咎人のような潔い平身低頭ぶりにちょっと引いてしまいそうになる。

 自分より一回り年上の男性から、こうした態度を見せられると逆に反応に困るよね……。

 それに謝られる意味がわからない。プロデューサーからこんな扱いを受ける理由を知らない僕は首を傾げた。

 そもそも、何故こんな状況に居るのかというと、まず僕が居るのは、とあるオフィス街の中にあるスタジオ施設だ。昨日の夜に突然プロデューサーから電話があり、翌日──つまり今日に、とあるスタジオに来るように言われたのだ。

 突然の呼び出しに戸惑いながらも僕は二つ返事で了承した。この人に呼び出されたからには行かざるを得ない。仕事用の番号からかかって来たのでアイドルの仕事関連だろう。

 本当はアイドルになった時のために色々と勉強をしようと思っていたのだけど予定が狂ってしまった。先輩アイドル達のプロフィールやプロモくらいは予習しておきたかったんたけどなー。

 しかし、仕事を断って仕事の勉強をするとか本末転倒なので、僕に断るという選択肢は無かった。

 そして僕は家から歩いて二時間という、都心に近い駅近くのとあるこのスタジオにやって来たわけだ。

 住所を調べる際に軽く確認したところ、ここは346プロが所持する多目的——スタジオもその一つ——な建物の一つだとか。本社以外にも各所にスタジオやビルを有しているなんて、346プロダクションは本当に凄い事務所なのだと思う。アイドル以外にも役者や歌手の人達も所属しているため、346本社だけでは場所が足りないのだろう。企画段階のプロモーションビデオの撮影なんかも、ここでしている可能性があるとか346プロ関連の掲示板には書いてあった。

 駆け出しアイドルの僕が、ここに来られるのは結構貴重な体験だ。時間に余裕があれば見学をして行きたいくらい。

 これを見る限り、そうも言ってられそうにないけど。

 

「謝罪を受ける理由がわかりませんが。……何か、ありましたでしょうか?」

 

 いきなりライブをするなんて思ってはいないけど、仕事で呼び出されたのだから何かしらアイドル関連の仕事を行うものと思っていた。念のため一張羅であるお母さんが買ってくれたお洒落着を着て来たのそもそのためだ。

 それがまさか、突然謝罪を受けるだなんて予想していなかったので不安になってしまう。

 はて、僕はこの人に謝罪されるようなことをされただろうか?

 しつこく勧誘されたとか、四六時中付き纏われたとか、警察官の誤解を解かさせられたとか。……めちゃくちゃ迷惑かけられてたわ。むしろ納得の謝罪だった。

 でも、わざわざ呼び出してまで謝罪をする理由とも思わないんだよね。一体全体何だろう。

 プロデューサーに事情を訊ねると、彼はいつものように困った顔で首に手を当てると、申し訳なさそうに事情を説明をし始めた。

 

「実は、上の者が如月さんの採用について待ったを掛けると言って来まして……」

「え……?」

 

 単刀直入に切り出されたプロデューサーの話に固まる。

 僕の採用に待ったが掛かった?

 上から?

 なんで……。

 呆然とする僕に、プロデューサーが続けて事情を説明してくれた。

 何でも、僕がシンデレラプロジェクトのオーディションの二次審査をすっぽかしていたことが事務所側に知られてしまったらしい。

 一度ドタキャンしておいて、オーディション再審査組を差し置いて今更スカウト枠で入るのはおかしいという話が昨日の会議で挙がったという。

 ……そう言えば、僕って一次審査受けてたよね。優が送ってくれたやつだけど。今更ながらにその事実を思い出した。

 あの時は色々と立て込んでいたから忘れてしまっていたのだ。その後プロデューサーにスカウトされたことですっかり頭の中から消えていた。本当に興味ないことになると途端にポンコツになるよね僕って。

 と言うか、今更それを蒸し返すかね?

 確認するまでもなく、シンデレラプロジェクトの責任者はこの目の前の男である。その彼のスカウト枠となれば、オーディションがどうとか関係なく採用でいいと思うんだけど。

 そう思っていると、補足として、ゴリ押しをすれば僕を通すことはできたことを教えられた。

 しかし、僕の採用に異議を唱えた一人がオーディションの運営に色々と力を貸した上に事務所でもかなり偉い人だったため、変にこじれると今後シンデレラプロジェクトの事務所内の立場が悪くなるとのことで、将来を考えてゴリ押しはしなかったそうだ。

 いや、そこはゴリ押ししてよ。今更駄目でしたとか言われても困るんだけど。プロジェクト全体と僕なら前者をとって当然とはいえ、もう少しだけでも頑張ってよ。

 と言うか、僕のアイドル人生は始まってすぐに終了?

 そもそもの話、始まってすらいないんだけどね。

 嘘でしょ。もう知り合いにアイドルデビューしたよ! って報告しちゃったのに。優と両親は当然として、春香にも滅多に使わない顔文字まで使ってデビューが決まったことを報告していた。

 そんな感じで周りにテンションアゲアゲで報告しておいて、今更駄目でしたとか言えないんですけど。

 両親と優は我がことのように喜んでくれた。意外にも家族の中では母が一番喜んでいた気がする。もちろん優も喜んでくれていたし、父親も喜んでいた。でも二人は僕の実力なら受かるだろうという予想をある程度していたらしい。だから僕の実力を知らない母にとっては僕のデビューは驚くべき内容だったのだろう。この時、母親にまともに歌ったところを聞かせたことがないことに気付いた僕だった。今度折を見て聴かせてあげるとしよう。

 そして春香からの返事だが、実は未だに無かった。

 忙しいのだろうか?

 

「即採用というお話でしたのに、誠に申し訳ありません」

 

 説明が終わると同時に、再び深々と頭を下げて謝罪するプロデューサー。

 その彼のまだまだ生い茂る頭頂部を見る僕は、きっと何とも言えない顔をしていたことだろう。

 あんなに情熱的に僕を誘ってくれたのに、あまりにあっさりとした男の態度に文句の一つでも言ってやるべきかどうか迷う。

 いきなり呼び出されて、そこで採用取り消しだなんて、いくらなんでも急展開すぎるよ。

 でも、この人に文句を言うことは躊躇われた。プロデューサーの表情がとても苦悶に満ちた顔だったから。決して簡単に出した答えだとは思えなかった。

 だったら、仕方無い、よね……。

 この人クラスの立場でも意見を押し通せないこともあるのかと、アイドルの道の険しさを改めて知った。

 きっと僕はこの先、他人を信じることができないだろう。それくらいプロデューサーへの信頼は厚かったと思う。その信頼の分、今回のことは心に突き刺さる。

 たとえ誠実でも結果が伴わないことがあるのだと知ってしまったから。

 失望とは少し違う。裏切られたという思いもない。

 ただ、結構簡単に手放すんだなと思っただけだった。

 

「えっと、不採用になったのなら仕方ないですね。今回は良い話をお持ちいただきありがとうございました。また何か縁がありましたら、どうぞ宜しくお願いいたします」

 

 プロデューサーといえど会社員の悲しい事情ってやつだろうし、僕にはこの人を責めるつもりはなかった。ただ縁が無かっただけだ。

 僕は社交辞令的挨拶を述べながら頭を下げた。最後までこの人には良い印象を残しておきたかったから。最初の方の印象最悪だから意味ないだろうけど。

 

「いえ、不採用になったということではありません」

「あ、そうなんですか。良かったです」

 

 どうやら僕の早合点だったらしい。

 もー驚かせないでよぉ……!

 ちょっとすでに涙出かけてたんだから。こういう時ばかりは自分の無表情に感謝だ。早とちりで大泣きとか黒歴史待った無しだもの。

 それに、僕は貴方に裏切られたら、もう立ち直れないからさ。本当に、これっきりという話だったら僕はアイドル諦めてたよ。真っ白に燃え尽きてたよ?

 まあ、誤解だったからいいけどね。僕も早とちりし過ぎだった。これまでプロデューサーの言葉を変に誤解することがあったから、今後はきちんと最後まで聞こうと決めた。少なくとも途中で逃げるような真似はしない。

 だからプロデューサー……。

 僕の両肩をがっしりと掴んで離さないようにするのはやめて欲しい。そんなことをしなくても逃げないからね?

 あと顔が近すぎる。目線を合わせてくれるのはいいけど、ほんの少し背中を押されただけで大惨事になる高さと距離だから。

 と思ったら、プロデューサーの顔がそこからさらに近づいて来たので一瞬どきりとしてしまう。この人に限ってそういうことをするとは思えないので避けずにいると、僕の顔の横を通り過ぎた。

 

「如月さん、たとえ上から何を言われようとも貴女を手放すつもりはありません。それだけは信じて下さい」

 

 耳元で念押しするように囁かないで。無駄に良い声なんだから。

 そんなことされたら背中がぞわぞわしてしまうではないか。あ、今何かピリリとした痺れみたいなものが頭から爪先まで通り過ぎた気がする。

 

「だっ、で、でしたら、私は何をすれば良いのでしょうか?」

 

 無意味に焦りながら今日呼ばれた理由を訊ねた。採用取り消しでないのなら、僕に何かをさせるつもりなのだろう。

 

「如月さんには最終面接として、上役からの面接を受けて貰います」

「面接、ですか……?」

 

 スカウト組の僕は面接を受けずにデビューできるものだと思っていたため、面接の練習はして来なかった。色々と応募していた時だってまずは一次審査に受かることだけを考えていたので、まさか今更面接を受けることになることは想定外だった。

 ただでさえ、コミュ障かつ口下手で人見知りする僕が、ぶっつけ本番で面接なんて無謀にも程があるって話だよ。僕のコミュ障っぷりはプロデューサーも知っているはずだよね。何でまた、一番難易度の高い物を選んだのか。いや、指定されただけか。

 

「おそらく相手方は面接だけ受けさせ、結果落とす心算だと思われます」

 

 プロデューサーの口から放たれる衝撃的な事実。どうやら僕は思っていた以上に上司さんに嫌われているようだ。

 面接を受けるだけ受けさせて落とすなんて、普通に不採用を言い渡すよりタチが悪い。あくまで検討はしたという建前が欲しいということか。

 

「これから、私は如月さんが来られたことを面接官の方々にお伝えするとともに、何とか公正に審査をしていただけるよう働きかけるつもりです」

「わかりました」

「それまでは、こちらの千川さんと部屋の外で待機をお願いします」

 

 プロデューサーの紹介を受け、側に控えていた緑色の事務員服の女性が会釈して来た。実は最初からずっとそこに居たのだけど、紹介されなかったため、どう扱えば良いかずっと悩んでたんだよね。

 でも紹介されたなら対応すれば良いのだから迷う必要はない。僕も千川さんに会釈を返した。

 

「千川ちひろ、と申します。本日は審査を受ける如月さんのサポート役として、側に控えさせていただきますね」

「あっ……は、い。よろしくおねがい……シマス」

 

 事務的な定型文と固い口調で挨拶をしてくれた千川さんに、僕もたどたどしく挨拶を返した。この日のためにコミュ障を治そうとして来たのだ。上手くはいかなかったが……。

 どうにも、僕は初対面の大人相手だと緊張で辿々しい言葉になってしまうらしい。何度か話せばましになるけれど、千川さんみたいに硬い対応をしてくる相手だとすぐに慣れることは難しい。じゃあ未成年なら大丈夫なのかと訊かれたら、それもノーと言える。この間会った島村みたいにインファイターかつパワーファイターみたいな相手なら、多少まともになる程度か。それでも愛想のいい会話なんて無理な話だった。

 そもそも、この数年で家族以外でまともに会話したことがあるのが春香とプロデューサーくらいなんだよね。

 そのプロデューサーくらいじゃないかな、最初から気楽に話ができたのは。やはり同じコミュ障同士、感じ入るものがあったのだろうか。

 千川さんは、いかにも出来る女性という印象の女性だった。落ち着いた茶色の髪を綺麗に三つ編みというアンバランスな姿が可愛らしくも見える。

 しかし、見た目は可愛いらしい人なのに、張り付いたような営業スマイルと固い声色の所為で歓迎されていないんじゃないかと一瞬勘違いしそうになってしまう。

 そんなわけないのにね。この人はプロデューサー側の人間なのだから。プロデューサーの味方なら僕の味方ってことだもんね。

 プロデューサー以外にも味方が居ると知った僕の心が幾分か軽くなった。

 

「それでは千川さん、後のことは宜しくお願いいたします」

「はい……頑張って下さいね?」

 

 千川さんと僕を残して、プロデューサーは廊下の少し先にある部屋へと入って行った。

 微力ながら僕も彼の背中に心の中で盛大にエールを送ろう。頑張れ、プロデューサー!

 今プロデューサーが入っていった部屋が審査室か……。廊下の壁に、シンデレラプロジェクトオーディション再審査と書かれた紙が貼られているから、たぶんそうなのだろう。

 

「あ、あの……私は、あそこで面接を受ける……ですよね?」

 

 念のため一緒に残っていた千川さんに確認する。間が持たないというのもある。

 

「はい。そうですよ?」

 

 ……うん、一応だけど千川さんから回答は得られた。

 かなり端的なので少し不安になったけど、どうせ後でわかるのだから、今はこれで十分と自分を納得させた。

 次に気になったのは今日審査員をするという人達のことだ。プロデューサーから何人居るのか等を聞き忘れていた。

 

「あの、今日の面接は――」

「あまり扉は厚くないので話すと声が中に聞こえてしまいますよ?」

「……申し訳……ありません」

 

 言い切る前に私語を窘められてしまった。千川さんから、暗に黙れと言われてしまった僕は口を噤んだ。

 確かに、今は無駄口を叩いていい場面ではなかった。千川さんの指摘に、自分の間違いに気づく。

 そうだった、今の僕は審査を受けるためにここに居るのだった。雑談の声が部屋の中にまで聞こえたら審査員の心象が悪くなる。ただでさえ上の人達からの評価は低いのだから、これ以上下げるわけにはいかなった。

 まあ、今の僕ならば本気で歌いさえすれば悪い結果にはならないと思うけどね。あとはプロデューサーが何とかしてくれるはずだ。

 問題があるとすれば、僕は何を歌えばいいかだけど……。

 って、そう言えばプロデューサーから何の指示も受けていないことを思い出した。普通こういう時って何を歌うのかとか、プロデューサーから指定されたりするんじゃないかな。プロデューサーのことだから指示をし忘れたってことはないだろうし。これは何を歌うのか僕に任せてくれたってことでいいのかな。

 ……信頼されてる?

 

「──っ」

 

 そう思った瞬間、ゾクゾクとした快感が僕の背筋を駆け抜け、言葉にならない感覚が全身を震わせる。プロデューサーから信頼されたと思っただけで、それだけの強い快感を覚えた。

 何だこれ。信頼されていると思っただけで、これ程までに不思議な充足感を得られるものだろうか。何か体の内から言葉にならない力が湧き上がるような感覚だ。

 これならいつも以上のパフォーマンスを発揮できる気がする!

 あとは歌う曲だけど、プロデューサーに聴かせたことがある歌は蒼い鳥だけだから、もう一回蒼い鳥でいいかな?

 あまり大衆受けする歌でもないと思うけど、審査員の好き嫌いを知らないから何を歌おうとも大差無いか。最強の歌って物があるならば別だけど。

 このまま、プロデューサーから曲の指定が無ければ蒼い鳥を歌おう。その後はプロデューサーに任せる感じで。

 今できることはそれくらいかな。

 プロデューサー任せになるけど、まあ、大丈夫だろう。そう高を括った僕はプロデューサーを待つことにした。

 その間は、この千川さんと並んで待機をするわけだね。ちょっとすでにこの沈黙が辛くなって来ているけど。

 前も言ったけど、僕は沈黙には慣れているし、それを辛いと感じることはない。沈黙こそ最近までの僕のデフォルトだったのだから当然だ。

 しかし、今感じている辛さは沈黙が直接の原因ではなかった。

 

「……」

 

 隣で同じように黙ったままの千川さんから放たれる不機嫌オーラが原因だった。

 千川さんは初対面時から変わらぬ営業スマイルを浮かべているものの、彼女本人から漂う雰囲気は表情とは裏腹によろしくない。

 僕とこの人は初対面のはずなんだけど、何か気に障ることでもしただろうか。思い返してみても、出会った瞬間からこれだったので思い当たらない。むしろ、これが千川さんの素というのもあり得る。もしくはこれが圧迫面接という可能性も微量にだけどあるのかも。

 どちらにせよ、初っ端から会話を封印されているので探ることはできない。そもそも僕の話術で相手の思惑を吐き出させるとか不可能だった。

 結局のところ、こうして息苦しい空気を耐える以外の選択肢はなかった。

 

 

 それから十分くらい経ち、ようやくプロデューサーが部屋から出て来た。

 たった数分間とはいえ、こちらに友好的とは言えない態度の女性と無言で立ち続けるというのは想像以上に体力を消耗させる。つい先ほどまであった、やる気元気勇気が若干萎んでしまった。

 

「これから貴女がお会いする方々は、決して貴女に好意的ではありません。対人能力が……若干難のある貴女には荷が重い話だと思います。それでも、ここは乗り切らなければならない場面だと、私は思います」

 

 プロデューサーからの淡白な状況説明もテンションを下げる原因となっていた。

 彼が言う通り、ここを乗り切れなければその先は無い。他のアイドルは書類審査からずっと審査を受け続け、その一つ一つに全力を投入して受かっている。対して僕は、プロデューサーからのスカウトでその前の審査をスキップして今ここに居る。それをズルと言うほど捻くれても自虐的でもないけれど、他の人達よりも楽をしているという自覚はあった。

 僕には、ここまでオーデイションを受かり続けて来たという自負も、受かる力があるという自信も無かった。僕にあるのは、プロデューサー直々にスカウトされたという事実のみ。

 そうだ、僕は彼に選ばれただけだ。それは自ら掴み取ったチャンスだけで最終面接を通過して行った他のプロジェクトメンバーと比べて、何とも薄っぺらい立場に思えて仕方が無かった。

 僕がアイドルとして立ち続けるには、それだけでは足りない気がする。

 僕に覚悟はあるのか?

 何か僕に誇れる物があれば……。

 絶対的な自信の根幹が──。

 

「そして、大変申しわけないのですが、私は一緒に中に入ることができません。付き添いは千川さんだけになります」

「え……」

 

 ただでさえ自分の立ち位置の不安定さに心細さを感じていたところで、プロデューサー不在の事実を聞かされた僕は一気に不安が膨れ上がった。突然、大きく高い壁が僕の前に立ちはだかったような錯覚を覚える。

 プロデューサーが傍に居ない……?

 最終審査と言っても、普通の会社のように審査とは名ばかりの最終確認的なものを想像していた。それもプロデューサー同伴という、かなり楽観的な方に。しかし、この展開は想定外だ。僕が単身で面接を受ける?

 プロデューサーが居ない状態で?

 ……ちょっと甘く考えていたかもしれない。

 

「……わかりました。ひとりでうけます」

「……よろしいんですか?」

 

 それでも、僕には首を縦に振ることしか選択肢がなかった。

 

「そういうこともあるでしょう。ここから先は私がやります」

「……申し訳ありません」

 

 プロデューサーが謝ることではない。その顔を見れば一緒に部屋に入ることを望んでくれたのはわかる。おそらく中の人達の誰かが僕側の人間であるプロデューサーを隔離するために何かを言ったのだろう。ここで僕が傍に居て欲しいと言えば、彼は無理やりにでも一緒に居てくれるだろう。でも、それでは上役達からの、プロデューサーの心象が悪くなる。何となく雰囲気から、今の彼の立場が良いものでないことはわかっていた。

 その原因を作ったのは他の誰でもない、僕自身なのだから。だったら、ここは僕だけでいい。プロデューサーまで泥をかぶる必要はない。本当は心細くて、一緒に来て欲しいという言葉が喉元まで出かけたが、僕はそれをなけなしの根性で飲み込んだ。

 

「今の私が、貴女にできるアドバイスは一つだけです」

 

 単身戦地へと赴く覚悟を固めようとする僕の耳元にプロデューサーが顔を近付けて来る。

 さすがに、本日二度目となると過剰な反応はしない。それにしても、その囁きスタイルが好きなの? ……今後やってあげようか?

 何を言われるのだろうと縋る思いで耳に意識を集中する僕に、彼が囁いた。

 

「歌って下さい」

 

 その声は近くに無言で控える千川さんにも聞こえないような、本当に小さな物だった。

 僕だけに聞こえるように、僕だけに伝えるために。

 

「それさえ出来れば、後は私がなんとしてでも、貴女を合格させてみせます」

「……わかりました」

 

 そっと離れていくプロデューサーの体温以上に、耳に熱を感じた。

 これから面接を受けるというのに、こんなんでいいのだろうか?

 

「プロデューサー、中に入る前に一つ謝っておかないといけないことがあります」

 

 せめてもの意趣返しにと、僕はプロデューサーへと一つだけ秘密を打ち明ける。

 

「なんでしょうか」

 

 特に急かすようなことはせず、プロデューサーは僕の言葉を聞いてくれた。

 今の内に正直に言っておこう。

 

「ごめんなさい、実はこの間の歌は全力ではありませんでした」

 

 僕の言葉に目を見開く彼を横目で確認しつつ、僕は扉を数回ノックした。

 

「入りなさい」

 

 扉の向こうからすぐに返事が返って来たので丁寧に扉を開く。

 何か言いたげな顔のプロデューサーを残し僕は部屋へと入った。

 

 

 室内の空気は思ったよりも悪いものではなかった。てっきり薄暗い室内で窓から差し込む陽の光を背景に、厳つい顔をした男達が某人型汎用決戦兵器のパイロットの父親がするようなポーズで出迎えて来るものだとばかり思っていた。しかし、蓋を開けてみれば、そこに居たのは普通のおじさん達だった。おじさんと呼ぶには上下に歳が振れていたし、女性の姿もあったので適切ではなかったが。

 この人達が僕の面接官になるわけか……。

 何か想像していたよりも人数が多い気がする。確か島村の時はプロデューサー含めて三人だったと聞いたぞ。それに比べて僕の場合は八人だ。

 それぞれ結構な肩書きを持っていそうな人達だ。部長とか普通に居そう。比較的若そうな人ですら、何かのリーダーみたいな貫禄を持っていた。

 そんな、お歴々が長机越しに八人も並んで座っているのだから、その圧は一般的な人生を送ったことしかない僕には凄まじく強く感じられた。

 今からこの人達の面接を受けると思うと気が重くなる。

 でも、やるだけのことはやらなくては。

 

「う、と……失礼いたします……如月千早です」

 

 部屋に入り、まずは礼をしながら名前を名乗る。面接と言えども未成年に対するものなので、社会人用の所作までは必要ないとは思う。面接官だって、僕のことはアイドル志望の少女としか見てないだろうし、そこまでガチガチのマナーは求めていないよね?

 そう思って十代の少女がやる程度の所作を演じてみたわけだけど、挨拶した僕に返って来た反応はまちまちだった。

 疑念、不審、戸惑い、困惑。

 およそ初対面の相手から向けられる感情ではない物が相手方の表情に浮かんでいた。

 何か僕は間違ってしまったのだろうか。もう少し違うキャラを演じた方が良かったかな。「にゃっほー! 千早だよぉ、みんな~元気してる~。ぶいぶいっ」とかいうキャラを期待されていたなら素直にごめんなさい。そのキャラは二年前に封印しているから。

 とりあえず相手の反応は置いておいて、面接を続けよう。

 部屋の中央に椅子が一脚配置されているので、その横まで進む。

 僕と面接官達までの席はだいたい三メートルほど離れている。少し声を張らないと聞こえ辛い距離だ。

 

「改めて、お名前と年齢を聞かせて下さい」

 

 面接官の一人、若い男性が柔和な笑みを浮かべながら名前と年齢を訊いて来た。おお、普通の面接っぽい。相手の人も何か優しそうに見えるし、ちょっと安心した。

 彼──彼らの手元には僕の履歴書のコピーが置かれていた。優が代わりに書いて出してくれた履歴書に、この間プロデューサーのアドバイス通りの笑顔で撮った写真が貼られているのがここからでも見える。

 

「如月千早。十七歳です」

 

 特に問題もないので普通に答えた。

 世の中には二十歳過ぎてからアイドルになる人もいるそうだ。その人達は、こういう時に実年齢を答えるのだろうか。少しくらいサバ読んでいる人もいるかもしれないね。その場合は何歳までセーフなんだろ。二、三歳ならともかく五歳以上はアウトだよね。十歳とかになったらもはや詐欺である。

 そういう意味では僕も詐欺になるのかな。実年齢でいえば十七歳ではないわけだし。でも戸籍上十七歳なのだから、十七歳と答えていいはずだ。詐欺ではない、はず。僕の場合は十年経っても十七歳で通用しちゃうだろうけど。

 

「まずは、アイドルになりたい動機を聞かせて貰えるかな?」

 

 続けて男性から志望動機を訊かれた。

 隣に置かれた椅子をチラ見する。椅子に座りはしないんだ。勝手に座るのは面接的にあり得ないので質問に答えることにする。

 

「えっと……」

 

 面接の練習なんてして来てないのだけど?

 こういうのって予め予習するもんじゃないかな。オーディションと言うか面接を受けたのが二年以上前とあって咄嗟に言葉が浮かばない。

 

「意気込みとかでもいいよ?」

「あ、はい……」

 

 ど、どうしようか……。

 慌てて目を左右に動かし、何か無いかと探す。すると、面接官が持っている履歴書が目に入った。

 そうだ、あそこに書いてある文字を読めばいいじゃないか。僕って冴えてる。

 ちょうど一人の面接官の前に見やすい位置で履歴書が置かれていたので、それを僕は読み上げることにした。

 

「私がアイドルを目指すようになったのは、幼い頃、泣いている弟に歌を聴かせたことが始まりです。私の歌を聴いた弟は泣き止み、とても喜んでくれました。そのことを私自身がとても嬉しく思い、また、自分の歌が誰かの喜びになる、その事に子供ながらに達成感を覚えた事が主な理由です。その経験から、自分の歌で誰かを幸せにできる、そんなアイドルになりたいと、いつしか思うようになっていました」

 

 ……これ、本当に優が書いたやつ?

 中学生が書いたにしては上出来過ぎな文章じゃないかな。少なくとも、僕にはこんな文章書けないよ……。

 僕が素直にアイドルになりたい理由を面接で言ったら、テンパった結果「歌、マジサイコー。誰かのために歌いたいイェー」とか言っちゃうかも。さすがにそこまでは酷くないけどね!

 まあ、優は名前の通り優秀だから、きっとこれくらい書くの朝飯前なんだろうね。さすが優!

 

「なるほど……」

 

 僕の志望動機を聞いた男性が見た目感心した様子で何度も頷いている。

 これは好感触か? 案外楽勝で合格貰えるのではないかと僕は思った。

 しかし、そんな甘い展開にはならなかった。

 

「それで?」

「……はい?」

 

 一瞬、何を訊かれたのか理解できなかったため、思わず聞き返してしまった。

 その反応がお気に召さなかったのか、男性は大きく溜息を吐いて肩を竦める。

 

「それで、続きは?」

「えっ、つ、続き……ですか?」

 

 え、続きとかってあるの?

 確かアイドルになった動機を訊かれたんだよね。で、僕はそれに答えた。うん、そこまでは間違っていないはずだ。

 何で続きを訊かれているんだ。

 

「今のは履歴書にも書いてある動機だね。僕が聞きたいのは、それ以外の事だよ」

 

 早く言えと、あごをしゃくって不機嫌そうに指示して来る態度からは、先程までの優しそうな雰囲気は感じられない。

 また僕は悪いことでも言ってしまったのだろうか。

 

「えっと……」

 

 相手にマイナス印象を与えないように控えめに何か言おうと心がけようとすると、逆に焦ってしまい言葉が出てこない。

 

「無いの?」

「いえ、その、私は自分の歌が誰かの心を動かすような、そんなアイドルになりたくて」

「それはさっき聞いたけど?」

「ぁぅ……」

 

 最後まで言い切る前に駄目だしをされてしまった。

 歌が得意だという僕の主張は、それを伝える事すらできずに見事に切り捨てられてしまった。

 

「面接の練習をろくにして来なかったんでしょ? 困るんだよねぇ。そういう軽い態度で来られると」

 

 面接があると知らされたのはついさっきだから、練習のしようがなかったんだけど……。

 たぶん、言ったところで「言い訳をするな」と、さらに心象を悪くするだけなので言わないことにした。

 

「たまにいるんだよね、アイドルのオーディションだからって愛想よく受け答えしていれば受かるって勘違いする人。まあ、君の場合、愛想笑いもできてないみたいだけど」

「……」

 

 笑顔について言われるのは辛い。こればっかりは、努力でどうにかできるものではなかったから。僕の努力不足で責められるのはいいけれど、努力でどうにもならない笑顔を貶されるのは辛い。

 また、笑えない所為で悪いことが起きている。愛想笑いの一つでもできれば、僕の人生もう少し楽になると思うんだけどな。

 

「即興でもいいから、ちゃんとした君の志望動機を聞かせてくれないかな?」

「……」

「どうしたの? 何もないの?」

 

 そんな数秒で動機をまとめるなんてできないよ……。

 こういうのって、簡単にハイと答えちゃいけないって言うし。当然、できませんとも言えない。それで沈黙になってしまったことは本末転倒だけど。

 オーディションを受けた人達は皆即興で答えられたのかな……。やっぱりアイドルを目指す人種って皆ハイスペックなんだね。

 

「アドリブもできないのに準備もして来なかったんだ。君、今日は何しにここに来たかわかってる? と言うか、何しに来たの?」

「……そ、それは、面接を……」

「なら何も準備して来なかったのはなんで?」

「……」

 

 面接を受けるために来たということになっている。僕はそれを知らなかったけど。

 僕の事情を知らない相手側からすれば、僕は面接を受けに来たのに練習をまったくして来ていない舐めた奴だと思われている。

 事実は違うのに。それが彼らにとっての真実なのだから、それを覆すことはできない。仮にできたとして、僕が受け答えをきちんとできていない以上、何の意味もないことだった。

 

「黙っていちゃ何も伝わらないけど?」

 

 僕に答えられるものは何もなかった。何を言っても言い訳にしからず、戯言にしかならないから。

 

「……はあ、仕方ない。次の質問に移ろうか」

 

 面接官がわざとらしく溜息を吐く。

 今の質問に僕は答えられなかった。次の質問には答えられるだろうか?

 

「これまでどんなレッスンを受けたことがあるかな? アイドルになるために、どんな練習をして来たかでもいいよ。面接はともかくとして、アイドルになるための努力はきちんとして来たよね?」

 

 努力というのは、どの程度のレベルから努力になるのだろうか。

 長年の引きこもり生活から社会復帰をしたばかりの僕が自主訓練を再開してからそれほど日は経っていない。精々が一月と言ったくらいか。その間に僕がした訓練なんて、全盛期の僕に比べるとまだまだお子様がやるような甘いものでしかなかった。

 まだ僕が引き籠る前、あの未来が輝きに満ちていると信じて疑っていなかった無知な自分を思い返す。

 千早に生まれ変わったのだから成功が約束されていると信じていながらも、僕は努力をせずに楽に生きる道を選ばなかった。胸を張って千早だと言えるように、千早と同じく「レッスンが趣味だ」と言えるように努力をした。身体に努力を覚え込ませるために。

 雨が降りしきる中、「雨の中でライブをやるパターン」として屋外でダンスと歌の自主訓練をした。自分の声が聞こえないくらいの勢いで地面を叩く雨粒をBGMに踊り、歌った。身体を打つ雨粒を歓声に見立て、全身ずぶ濡れになりがら、帰りの遅い僕を心配した優に見つかるまで一人のステージを続けた。

 雪の降る真冬に、ステージ衣装に見立てた薄着姿で「雪の中でライブをやるパターン」を自主訓練をした。足首以上に積もった雪が足を取り躓きながら、たまに転びもした。雪に触れ続けて霜焼けと低体温症で身体が動かなくなっても「体調不良の中でライブをやるパターン」だと自主訓練を続けた。

 最終的にエネルギー切れになって倒れて凍死しかけた。優が雪の中に埋まる僕を見つけてくれて事なきを得たが。

 日が昇ってから、また日が昇るまで踊り続けた結果、足の骨を疲労骨折したことがある。その時も「足が折れた状態でライブをやるパターン」の自主訓練をした。

 僕は小学校に入学してからの十年間、ずっと、そうやって努力をして過ごして来た。文字通り血を吐くような努力をした。

 それは全部千早になるための努力だったけれど……。

 死ぬような状況でも……死んでも、ライブに出るために、僕は努力をして来た。ただ、死にかけるくらいに追い込んでも、アイドルとしての才能はほとんど伸びなかったのは、765プロのオーディションに落ちたことが証明している。あの頃は何故かアイドルの才能ではなく戦闘系チートだけが鍛えられていた気がする。当時の僕なら初期の野菜人の王子くらい倒せたんじゃないかな……。

 まあ、僕の戦闘力の話はともかくとして、当時の努力に比べたら大した努力をしていない今の僕が「努力をしています」と答えることは憚られた。

 

「努力は……まだ十分にできているとは言えません」

「レッスンは受けたことはある?」

「ありません。全て独学でした」

「フンッ」

 

 質問をした男ではない誰かが鼻で笑った。

 独学だって言ったことが問題だったのかな。それとも努力不足だと言ったこと?

 

「今回オーディションを受けた子達は、全員が努力をして来ていたよ。皆それぞれ、自分がして来た事も言えたし、志望動機だってきちんと伝えられた。少なくとも、最終審査まで残った子達はどっちも優秀だったよ」

 

「君と違ってね」と締めくくられた男の言葉に、僕は何も言い返せなかった。

 僕には努力が足りなかった。アイドルを目指してがむしゃらに頑張るだけでは足りなかった。アイドルになるための努力だけじゃ足りなかった。

 もっと頑張らないと。今の努力だけじゃ全然足りないと気づかされた僕は、今後の自主訓練のメニューを大幅に書き換えることを決めた。

 今後があればだけど。

 

「横から失礼する。私からも質問をさせて貰うぞ」

 

 若い男の代わりに、今度は違う男性が口を挟んで来た。四、五十代くらいの、短い髪と髭が特徴的な少し怖い顔の男だった。プロデューサーも大概だけど、この人はそれ以上に悪人面である。

 若い男は特に不満を見せることなく髭の男に質問を譲った。

 

「如月千早、お前はアイドルになりにここに来たはずだ。だと言うのに、最初からやる気のない態度で適当な受け答えばかりしているな。どういうつもりだ、オイ?」

 

 髭男からのいきなりのダメ出しに泣きそうになる。

 あと語調が強い。威圧的過ぎて萎縮しそうになってしまう。悪人顔の人が強い口調で話し掛けて来るのは反則じゃないか。普通に怖いんだけど。思わず手が出たらどうする。

 

「やる気は、あります……。私はアイドルになる覚悟で今日ここに来ました」

 

 アイドルになる覚悟はある。アイドルとして生きる覚悟もある。

 

「アイドルになる覚悟なんてな、誰でも持ってここに来てんだよ。なければここに来ない」

「……そうですね」

「わかるだろ。お前のそれは、誰でも持ってる覚悟でしかないんだって。薄っぺらいんだよ、お前の口から出る覚悟は」

「薄っぺらい……」

 

 僕の覚悟は薄っぺらい覚悟だと言われてしまった。

 そうか、アイドルになる覚悟だけじゃ足りないのか……。

 僕がこれまで、アイドルになるために費やして来た物や、捧げて来た物は薄っぺらいのか。

 

「お前がどれだけやる気があるかわからないが、オーディションの最終選考まで残った奴ら全員やる気で来ていた。本気でアイドルになろうと思って今日まで努力して来た。……俺にはお前にアイツら程の覚悟があるとは思えないんだよ」

 

 アイドルをやる覚悟。

 それはどういった意味の覚悟なのか、僕にはすぐにはわからなかった。でも何となく、今アイドルをやっている人達が持つ何かが僕に足りていないのだと、ぼんやりとだが理解できた。それを持っていない僕は彼らにとってアイドルに適さないということなのだろう。

 髭の男以外の面接官達も同じ意見らしく、皆一様に納得顔で男性の言葉に頷いていた。

 そうやって、僕のアイドルに対する覚悟の有無を問いながら、その実最初から有ると信じていない男の態度に少し心が波立つのを感じた。

 皆が皆、敵意を込めた目で僕を見て来る。僕の粗を探して、僕にダメ出しをして、僕を落とそうとする。

 この部屋に入った時から言葉にならない悪意に晒され、僕の中で何かがじくじくと疼いている。

 部屋にいる人の数だけ、僕の中で何かが削れて行く。

 皆敵ばかりだ。

 いや、一人だけ違う人がいたか。

 面接官の中でも、一際年嵩のナイスミドルな男性が静かに僕を見詰めていた。一番年上に見えるのに一番目立たない端の席で静かに座っているだけなのに、不思議と存在感がある人だった。

 何となくだけど、その人の目を見ると問いかけられているような気持ちになる。自分がここに居る意味は何なのかを。それは否定から入った他の面接官よりも余程厳しい目に見えた。他が如月千早を見定めようとしている中で、その人だけは僕を見極めようとしている。何となく、それがわかってしまった。そういう意味ではこの人こそが一番の難敵だろう。及第点で許してくれる気がしなかった。

 歌さえ聴いて貰えれば納得するはずなんだ。プロデューサーがそう言っていたのだから。でも、このままだとそれすら叶わずに退出を言い渡されそう。その場限りのそれっぽい覚悟でも語れば納得するだろうか。この人達の態度から、上辺だけでも取り繕えばいきなり追い出されることはなさそうだけど……。

 

「それとも何だ、お前には誰かに誇れるだけの覚悟があるとでも言うのか? 他人蹴落としてまでアイドルになりたい覚悟があるって言うのか」

 

 覚悟と言われても、何を言えばいいのかわからない。

 僕がアイドルをやる覚悟って、他人と比べてどの程度の物なのだろう。ただでさえ薄っぺらいと思われているのだ。これ以上は何を言っても滑るだけじゃないか。

 自分の覚悟に自信が持てない僕は黙っていることしかできなかった。

 

「どうなんだよ、オイ!」

「っ」

 

 僕が何も答えないと見るや、髭の男が語気を強めテーブルを叩いた。突然大声を出されビクリと震えてしまう。

 この人怖い。顔が怖い上に声も大きい。苦手なタイプだ。

 それと、突然叫ぶのは止めて欲しい。本当に、思わず手が出てしまいそうになるから。

 

「部長、そういうのは……」

「チッ、わかってるよ! ……如月、少なくとも最終選考に残った奴は本物の覚悟を持っていたぞ」

 

 窘められた男は捨て台詞のような言葉を吐くと、そのまま黙ってしまった。言いたいことだけを言って満足したらしい。

 

「私からも良いでしょうか?」

 

 次に話を振ってきたのは面接官の中で一人だけ存在していた女性だった。紅一点と言うには少々年嵩に見えるが、他の面接官と比べると若い方に思えた。

 

「私はこちらのプロデューサーとはあまり面識が無いので深く理由を訊いたことがありませんが、私には如月さんが何をもってスカウトされたのか正直よくわかりません」

 

 いきなりぶっ放された質問──いや、これは質問じゃなくて感想か。女性の感想は、僕がここに居ることに疑問があるという内容だった。

 前提条件として、そもそも僕がスカウトされたこと自体おかしいという言い分に、僕の心臓がドクンと脈を打った。

 

「どういう意味でしょうか……」

 

 突然喉の渇きを覚え、生唾を飲み込もうとして口の中がカラカラになっていることに気付く。

 何とか口に出した言葉も、相手に聞こえるかどうか怪しいくらいの擦れたものになっている。

 

「どうもこうも、私には貴女がスカウトされた理由がよくわかりません。今のところ、優れた容姿くらいしか見せていただいていませんので。まさか、そんな理由でスカウトされたなんてことはないでしょう?」

「ッ……」

 

 その言葉は、まるでプロデューサーが適当な理由で僕を選んだのではないかと言われた気がした。

 そんなわけがない。プロデューサーはずっと真剣に僕を誘ってくれていた。その言葉には一遍の嘘も欺瞞は感じられなかった。ただ真摯に、僕にアイドルにならないかと言い続けてくれた。

 

「……」

 

 その結果がこれだった。

 僕に時間を使い過ぎた所為でプロデューサーの立場まで悪く言われてしまっている。

 僕に構っている間にもオーディションは続いていた。もっと早く、僕がプロデューサーの話を受けて居れば、こんなギリギリになって一枠削るなんてことにはならなかった。

 もっと早く……。

 

「笑顔が理由らしいぞ」

「はぁ……笑顔、ですか? えぇ……」

 

 僕が一人後悔の念を胸に抱いている間に面接官同士が話し合っている。

 スカウトされた理由は笑顔だ。プロデューサーがそう言ったんだ。でも、僕はこの部屋に足を踏み入れてから一度として笑っていない。

 笑顔を見せない僕のスカウト理由が笑顔と言われても、相手からしたら嘘だとしか思えないだろう。

 

「笑顔が理由というのが信じられませんが。まあ、常に笑っていればいいというわけでもないでしょう」

「……」

 

 常にも何も、一度も笑えないんですけど。

 

「アイドル部門の方々には申し訳ありませんが、私は笑顔を評価しません。笑顔以外の貴女の長所を聞かせていただけませんか?」

 

 笑顔を見せろと言われなくて良かった。

 もし言われていたら詰んでいた。相手が笑顔を重視しない人で良かった。アイドル部門の人じゃないのかな……。

 女性の求めに応じて、僕は頭に思い浮かんだ長所をそのまま口にした。

 

「私は歌が得意です」

 

 しかし、答えた僕に返って来たのは、僕を馬鹿にしたような面接官達の顔と目だった。

 質問をした女性自信も批判めいた目を僕へと向けている。

 

「今、歌が得意と言いましたね?」

「はい。私には歌しかありません」

「……アイドルのオーディションを受けた人達の中にも、たまに歌が得意だと言う子が少なからずいるそうですが。私に言わせれば、アイドルを目指す者の中に……いえ、アイドルに歌が上手い人は居ません」

「え……」

 

 女性の言葉に僕は自分の失言を悟った。気が急いたせいで打つ手を間違えた。

 

「アイドルとは、各分野で一流になれなかった者が落ち着く場所だと私は思っています。言うなれば、会社でいうところの総合職のようなものです。各分野の専門家には知識も技術も及ばない。そういう者達をアイドルと分類していると思っています」

 

 アイドルにも得意分野というものはある。

 ダンスが得意な者や、ヴィジュアルに自信がある者、僕みたいに歌が得意な者だっている。それを属性としてアイドルを振り分けるのだ。

 でも、得意なことと実際に上手いかは別の問題だ。

 女性はアイドルを目指す者に歌が上手い者は居ないと言った。相手の発言から、アイドル部門ではないと少し考えれば読み取れたはずなのに。

 きっと相手の女性は別部門、しかも歌手部門か何かの可能性があった。

 歌手部門の人なら、アイドルを目指す僕が歌が得意と言ったのは癇に障ったことだろう。

 歌が上手ければアイドルにはならない。何故なら純粋に歌が上手い者は歌手になるから。きっと、彼女はそういう考えを持っているに違いない。そうでなければ歌が得意なアイドルを否定しない。

 歌が得意だけど歌手になれない者がアイドルに落ち着く。一概に断定はできないけれど、相手が言いたいのはそういうことだろう。

 アイドルはアイドルである限り特化できない。どれだけ歌が得意だと言っても、それはアイドルの中での話なのだ。歌手にはなれないし、スーパーモデルにもなれないし、世界規模のダンサーにもなれない。そう言いたいらしい。少なくとも彼女の中ではそれが常識。だから僕もその例に漏れない「歌が得意な少女」でしかない。

 そんな相手の前で歌しかないと言うのは確かに良くないことだ。

 

「歌しかないと貴女は言いましたが、それは歌以外は駄目という、後ろ向きな考えから出た発言と受け取れますが?」

 

 言葉をそのまま受け取れば、相手の言う通り僕は歌以外自信が無いと言ったに等しい。普通ここは歌が得意とだけ言うべきだった。そうすれば僕は彼女にとってよく居る歌属性のアイドルとして扱って貰えた。

 でも僕は歌しかないと言ってしまった。それは先に述べた相手の持論からすれば、僕は歌が上手いわけでもないのに歌以外自信が無い人間だと自ら言ってしまったに外ならない。

 明らかに失言だった。

 己の失言と面接官達の視線に何も言えなくなる。しかし相手は続きを催促することはせず、ただ黙って僕の反応を待っている。これは善意からではなく、何も言えない僕を観察するためだろう。そしてあわよくば僕がここから逃げ去るのを期待しているのかも知れない。

 どうしよう。

 今更言ったことを取り消すことはできない。取り消すつもりもないけど。僕には歌しかないのは間違いないのだから。それを馬鹿正直に伝えたことは失敗だったとしても、それを無かったことにするのは駄目だ。

 実際に歌を聴いて貰えないか訊くという案が頭を過ったが、それは悪手だと取り下げる。

 では、どうしたらいいのだろう?

 わからない。

 

「アイドルを目指す方から、歌が得意という言葉が出たことには失望を禁じえません。……毎回こんな子ばかりなんですか?」

「そんなわけあるか。コイツがそういう奴なだけだ」

 

 隣同士というのもあり、女性と髭の男はよく話し合っている。

 この二人は厄介だ。女性はアイドルオーディションの最終面接のはずなのに、アイドル的なものを否定的に受け取っている。髭の男はそもそも僕のことが嫌いだ。

 そして、その二人の発言力はこの場で高い位置にある。最初に僕に質問をしていた若い男性ですら、二人の会話に割り込めずに手持無沙汰になっている光景がそれを証明している。

 ならば、僕がやることは……。

 

「私には、どうにも貴女がスカウトされたこと自体、何かの間違いだったのではないかと思っています」

「あ、う」

 

 呼吸が止まった。

 女性の放った言葉が容赦なく僕の心を抉る。

 僕がスカウトされた事が間違い?

 プロデューサーが間違えた……?

 僕はアイドルになるべきじゃなかったのだろうか。

 たった一言で、こんなにもあっさりと僕の中にあった自信が揺らいでしまった。

 良いタイミングだと分かったのか、最初の若い男性が話始めた。

 

「正直に言えば、我々は君の採用を受け入れる準備ができていないんだ。それは時期的な意味もあるし、気持ち的なものある。突然シンデレラプロジェクトのプロデューサー直々に、スカウトしたい子がいるから一枠欲しいと言って来られてね。こちらとしてもずっとオーディションの企画を進めて来たわけだから、それをいきなり一枠くれだなんてあんまりだろう?」

 

 改めて他人から言われると、自分の立ち位置がとても微妙だと気付く。オーディションと言っても色々と準備が必要なはずだ。参加者の募集に会場の確保、スタッフだって用意しなければならない。

 何百人という応募者を一人一人見ていき、篩にかける作業は僕が想像するよりも大変なはずだ。その作業の結果決まった、または決まりかけていた人間の代わりに、後からヒョイっと出て来た僕が簡単に受かってしまう。そんな理不尽は、これまでオーディションに尽力して来た彼らからすれば到底受け入れられるものではない。

 

「合格が決まりかけていたあの子に、不合格を伝えたのは僕だ」

 

 自分がその子に落選の結果を伝えたのだと、男は語った。

 

「落選の報告を聞いた彼女とても取り乱していたよ。当然だよね、半分合格が決まっていたようなものだったんだから。あとは正式に合格を伝えるだけ……そんなギリギリまで行って、突然落選なんて言われたんだ」

 

 合格だと思っていたところで、突然不合格だと言われる辛さを僕は知っている。だからよくわかると言いたい。

 でも、あの時の辛さを言葉にするのは難しい。きっと、どう言い表してもあの絶望は他人へは伝わらない。その落ちた子だって、きっと自分の絶望を簡単に他人からわかるなどと言われたくないだろう。

 

「それでも、君は彼女より自分がアイドルに相応しいって言うのか?」

 

 それは何かを押し殺したような低い声だった。

 他の面接官も沈痛な面持ちで男の言葉を聞いていた。誰もがその落ちた子のことを思い、落選の方を伝えることになった男に同情の視線を向けている。

 

「なあ、何とか言ってくれよ……君は一体、彼女より何ができるんだよ……」

 

 彼らは知っていた。僕も知っていた。オーディションに受かることの難しさを。落ちることの辛さを。それを理解していたから、僕の代わりに落ちた子のことを想って、僕に対してこれだけ怒りを抱いていたのだ。

 それがわかるからこそ、僕は何も言い返せなかった。

 

 その後、他の面接官達からも質問が投げかけられたが、僕はそのどれにもまともに答えることができなかった。

 いずれの質問も、最終的には落ちた子の話になり、その子と僕を比べて僕はどうなのかという話になったからだ。

 僕はその子を知らない。比べようがない。僕には僕の話しかできない。

 僅かな希望を持って何時の間にか壁際に移動していた千川さんに視線を向けてみる。しかし無表情で立っている千川さんは我関せずと言わんばかりに何もリアクションを示してはくれなかった。

 まあ、千川さんを頼るわけにはいかないか。千川さんの立ち位置が不明だけど、偉い人に物申せる立場であるとは思えなかった。それにここで僕を庇えばこの人の立場が悪くなる。

 何もできず、このまま面接が終わってしまえば、僕はまた落選してしまう。

 あの時のように……。

 僕は自分が765プロに落ちた日のことを思い返す。

 事務所から届いたオーディションの合否連絡が封筒で届いた時、僕はそれが合格通知だと信じて疑わなかった。

 その封筒の薄さに、何かを言いたげな両親の視線の意味に気付くことなんかなく、無邪気に封筒の中身を確認したのだ。

 中身は不合格通知だった。

 色褪せた安いB5のコピー用紙に不合格と大きくかかれ、その下に「如月千早さんの今後益々のご活躍をお祈り申し上げます。」と書かれた定型文を僕はしばらく呆然と眺めていた。

 何と声を掛けていいかわからないという表情の両親と、こちらを心配そうに見る優の前で僕は大声で絶叫を上げた。

 何で。どうして。何で僕が落ちているんだ。

 絶対に受かると思っていた。だって僕は千早なのだから。765プロに受かって当然なんだと、僕は手の中の不合格通知の存在が信じられなかった。

 何かの間違いだと765プロに連絡をとろうとするのを両親と優に止められた。暴れて泣き叫ぶ僕を必死で宥める家族の声に構わず僕は癇癪を起してただ泣き叫んだ。

 その時の辛さは今も覚えている。たぶん、一生消えない僕の心の傷だ。

 あの傷をもう一度受けて無事で済む自信が僕にはない。あんな想いは二度とごめんだ。でも、今の状況ではそうなってしまう。

 もし、プロデューサーがここに居てくれたら……。

 そんな考えが頭に浮かんでしまうくらいに僕の心は折れかけていた。

 嫌だ。

 もう失うのは嫌だ。

 先程から手の震えが止まらない。手で押さえても恐怖と緊張で言うことを聞いてくれない。きっと、面接官達も今の僕の醜態を見て内心喜んでいるのだろう。

 プロデューサー。

 どうして、ここに居てくれないの……。

 貴方がここに居てくれたら僕はもっと強く立っていられたのに。

 ここに居たらフォローはしてくれたのかな。面接官の発言の意図を僕に説明してくれて、歌を聴かせるところまで話を持って行ってくれたのかな。

 そんな甘ったれたことを考えてしまう。

 でもこの敵しかいない空間では、たとえ何も言ってくれなかったとしても、プロデューサーが居てくれるだけで僕は自信を持ち続けられただろう。

 プロデューサー。

 プロデューサー。

 プロデューサー。

 僕はここに居るよ。だから、助けてよ。また、あの時みたいに僕に言葉を掛けてよ。

 もう僕は一人で立っていられない。誰かに必要とされていたい。誰かに支えられたい。

 僕が僕として居られる言葉が欲しい。

 僕が僕を肯定できる何かが欲しい。

 アイドルになっていいんだと自信が持てる力が欲しい。

 心が折れる──。

 

「っ……!」

 

 少しでも彼を近くに感じたかった僕は、咄嗟と言うか発作的にと言うか、思わず耳に意識を集中させ聴力を上げた。

 常人の数十倍の聴力を得た僕の耳は、それまで耳に入らなかった環境音を拾うようになる。空調設備とそこを通る空気の流れが起こす音や建物の外を歩く通行人の足音、千川さんや面接官達のやけに遅い心臓の鼓動音。そういった僕の周囲で奏でられるあらゆる音を、距離や音量に関係なく均等に耳が拾い上げる。聴力を強化しただけではなし得ない、指向性を持った聞く力の強化である。理屈はよくわからない。

 僕も詳しい理論は理解してないので単純に聞く力の強化と呼んでいる。大事なのはこれによって色々と聞こえないものまで聞こえるようになるということだ。

 これで壁の向こうのプロデューサーの呼吸音でも聞こえたなら、少しは落ち着くだろうという考えだ。

 意識して壁向こうの音を聞くと思わぬ”音”を拾った。

 せめて、プロデューサーの存在を感じられたなら……。

 わずかな息遣いでも聞こえたら良い。少しは落ち着くだろう。

 僅かに残った僕の勇気が消えてしまわないうちに……。そんな願いを胸に、僕の耳は壁越しに”音”を拾った。

 

『――意外だな、お前が一人のアイドルに固執するなんて』

 

 ……。

 聞こえて来たのは、プロデューサーではない誰かの話声だった。若い男性らしく、声には張りが感じられる。穏やかに話すのが似合いそうな柔らかな声質をしている。でも、聞こえて来た声から焦りと、少しばかりの苛立ちが含まれていた。

 プロデューサーは……居ないの?

 少し焦る。これ以上、プロデューサーを捜して聞こえる範囲を広げると脳にダメージが負う可能性がある。でも、それくらい仕方ないかな……。

 

『……そう、思われますか?』

 

 良かった。プロデューサーも扉の向こう側にいるようだ。誰かと話しをしているらしく、声を聞きたいと思った僕には好都合である。

 プロデューサーの声を聞いたことで、少しだけだが精神的に落ち着けた。乱れていた呼吸と心拍が平時のそれに近づくのを感じる。

 ちなみに、話の内容の方は前部分を聞いていないのでよくわからない。たぶん、僕のことを言っているのだろうけど……。

 

『俺の勝手なイメージだけどな。あまり一人のアイドルに固執するタイプには思えない。元から居た三人が辞めて行った時も強くは引き留めなかったし……』

 

 元から居た三人というのは、僕が補充される前にシンデレラプロジェクトに居たアイドルのことか。相手の話から、プロデューサーはその人達がプロジェクトを去った時も引き留めなかった、と……。

 僕もそうなるのだろうか?

 僕がこの面接に落ちて不合格になったら、その時からプロデューサーにとって僕は他人だろうか。

 その考えは酷く僕の心を蝕んだ。

 他人になるのは嫌だ。失うのが怖い。プロデューサーと出会って、まだ日が浅いというのに僕の中で彼の存在が大きくなっていたことに今になって気付いた。

 僕を必要としてくれるプロデューサーを、僕は求めている。

 

『元担当だった彼女達だって、あっさり』

『──確かに貴方の仰る通りかもしれません。……これは、私らしくない。私自身、そう感じています』

 

 相手の言葉を遮り、プロデューサーが自分の普段の在り方を口にする。彼女達って誰だろう?

 と言うか、口下手だからって、そんな簡単に反対意見に同調しないでよ。その流れは、もしかして「じゃあ如月さんは諦めましょう」ということじゃないよね。

 反射的に聞き耳を止めそうになる。

 ……いや、待て。さっき彼の言葉を最後まで聞くと決めたじゃないか。盗み聞きとはいえ、それをいきなり反故にするわけにはいかない。続きを聞くのが怖いけど、それでも最後まで聞こう。

 

『だったら、お前もわかるだろう? ここで如月を取る必要はない。自分のキャリアに傷をつけてまで彼女を庇うなんて止めた方が良い。いつも言っている、パワーオブスマイルに彼女は相応しくない。お前のアイドルに相応しくない』

 

 その場に自分が居なくてよかったと思った。笑顔のことを言われると僕は何も言い返せない。

 プロデューサーは僕の笑顔を褒めてくれたけれど、決して一般受けしないことは僕自身、理解していた。

 僕の笑顔は誰かの心を動かす力を持っていない。

 春香や島村の笑顔──あの笑うだけで誰かを幸せにする才能が僕には無い。それでも、この笑顔でやって行こうと決めた僕だけれど、こうして別の人から笑顔を否定されると少なからず傷付く。

 プロデューサーは僕が話を聞いていることを知らない。だから、相手の言葉を肯定したのかな……。

 本心では僕の笑顔を駄目だと思っていたのかな……。それでも将来性を見込んで笑顔を褒めてくれた?

 だったら、今こうして盗み聴きをしているのは、プロデューサーの気遣いを無下に扱ったことになるのではないか?

 プロデューサーを頼った結果、彼の心遣いを無駄にしてしまったのではないだろうか。

 こんな風に、チートを持っていると、出来ることが多い反面やって良いことと悪いことの境目が曖昧になってしまう。僕だって普段は一般人が考える「やってはいけないお約束」はやらない。基本的には。

 しかし、一般人ができないことができてしまう僕は、あえて言わなくてもわかること、普通はできないからわざわざ「やる」「やらない」を考慮するまでもないことをやってしまう。これは僕にとって大いに反省すべき点である。その反省を活かせたことはないけど。

 できるということと、やっていいことは違う。今回のこれも、本来はやってはいけないことだった。

 だから、まだ引き返せる。これ以上は止めたほうがいい。聞きたくもない会話を聞く必要はない。

 それに、プロデューサーが仲間から責められ続けるのを聞くのは忍びない。仲間から糾弾される彼を知りたくない。

 中途半端な行為と知りつつも、僕は聴力の強化を解除しようとする。

 でも──。

 

『私は、そうは思いません』

 

 ……ギリギリで聞こえた、プロデューサーの否定の言葉に解除を止めてしまった。

 何が聞こえようとも、強化を切ることはできたはずだった。聞かないことを選べば、それで良かった。

 そのはずなのに……。

 僕はその続きを知りたくなってしまった。

 

『誰も──彼女自身ですら信じ切れていないようですが、彼女の笑顔はとても自然で素敵なものでした。彼女は本来なら、誰からも好かれるような、そんな笑顔を持つ少女です』

『……』

『自分自身を信じられない彼女は必死に足掻いています。誰かに信じて貰いたがって、努力をして、誰かのために己を蔑ろにして、自分を追い込む……そんな子です。私には、そう見えました』

『──お前……』

『私は彼女のプロデューサーです。その私が、彼女の可能性を信じずに、いったい誰が信じると言うのでしょうか。私はこの世界の誰よりも、彼女の可能性を信じています。他の誰が信じずとも、私だけは彼女を最後まで信じると決めました』

 

 ”信じている”。

 彼が口にしたその一言が、僕の中にある何かに火を灯した。

 

『彼女は輝きます。私が彼女を輝かせます』

 

 心が温かい。

 

『私が持つ全てを使って、彼女が本来持っていた光を取り戻してみせます』

 

 体が熱くなる。

 

『何で……そこまで彼女に拘るんだ? お前のことだ、愛だの恋だのと浮ついたことではないんだろ? それにしては彼女一人にかけるものが大き過ぎないか?』

『それは――』

 

 プロデューサーが言葉を止める。

 この時すでに僕は確信していた。その先を聞いたら僕は自重ができなくなると。

 それはきっと、プロデューサーが隠したかったかもしれない本音だったから。だから、本当ならば……僕は聞くべきではなかったのだ。

 でも、僕は聞いてしまいたかった。

 プロデューサーの言葉を聞きたかった。彼の本音を知りたかった。彼の心に触れたかった。

 たとえ、それが──、

 

『私が彼女の……如月千早の、『記念すべきファン第一号』だからです』

 

 

 

 

 ──今後出会う、全ての敵を屠る理由になってしまうとしても。

 

 

 

 

 魂が。

 震えた。

 

「あ……」

 

 自然と声が出ていた。

 室内の視線が突然声を発した僕に集まるのを感じたが、今の僕はそれどころではなかった。

 ファンだと、プロデューサーが言ったのだ。確かに、彼の口からその言葉を聞いた。

 プロデューサーが……僕の、ファン?

 プロデューサーなのに……。

 プロデューサーなのに?

 それって、プロデューサーだから信じたのではなく、ファンだから信じてくれていたってこと?

 ビジネスではなく、純粋に僕を好いてくれていたってことだよね?

 プロデューサーの性格なら、今の言葉は本来出てくることはなかったはずだ。立場として、役割として、責任感の強いあの人が決して口にすることはないだろう言葉だ。

 今話している相手にだって、本当なら適当に建前を告げていれば良かった。真面目な性格の彼ならば、そうするとはずだった。

 だけど、彼はそれをしなかった。建前でも責任でもなく、自分の願望を語った。

 今の言葉は彼にとって禁忌に近いだろうに。それを彼は口にした。そして僕は、それを聞いてしまった。

 彼に言わせてしまった。

 面接なんて僕が受けることになったから。受けなければならない状況に僕がしてしまったから。こんな機会は本来訪れなかったはずなのに……。

 僕が、弱いから。

 僕に、足りないから。

 力が──。

 そこで、僕は聴力を元に戻し、プロデューサー達の話を聞くのを止めた。

 

「何か言いたいことがあるなら聞くけど? ……この様子じゃ何もないか」

 

 身体の中に溜まった熱を追い出すために、深く息を吐き出す。

 でも、この胸の奥で燃え上がる熱い炎は、まったく衰えることなく燃え盛ったままだ。

 きっと、この炎は消えない。

 

「何もなければ、もう面接を終えてもいいと思うが?」

 

 プロデューサー。

 貴方が僕に求めるモノが何なのか、僕は知る権利が無かったし、この先も無い方が良かったのでしょう。

 心の内に留めて置くだけで、きっとその想いに僕は気付くことはありませんでした。

 貴方が言わなければ。

 貴方の言葉を聞かなければ。

 僕は貴方をプロデューサーとしてしか見なかったのに。

 ずっと貴方は、僕のファンで居てくれたんですね……。

 

「となると、その落ちた子に再度連絡をとる必要がありますね……まったく、無駄な時間を使いましたね」

 

 アイドルがアイドルとして、本当の意味で生まれる時はいつだろうか。それを僕はずっと考えていた。

 アイドルになる覚悟があるのかと面接官に問われた僕は、それがわからなくて、質問に答えられなかったけれど。

 でも、今はわかる。胸を張って答えられる。

 アイドルがアイドルになる瞬間は、きっと自分にファンが居てくれると知った時だ。僕は、そう思う。

 そして、アイドルがアイドルを続けるためには、ファンの期待に応えるという覚悟を持たなくてはならない。

 僕にはプロデューサーというファンが居る。

 そのファンが、僕に受かれと期待している。応えないわけにはいかなかった。死んでも、応えなければならなかった。

 その覚悟が僕にはある。今、それができた。

 だから、プロデューサーにあそこまで言わせておいて、結果が出ませんでしたなんて絶対に許されない。これは僕一人の問題でないんだ。僕の評価は、そのままプロデューサーの評価に繋がる。あの人の人生に傷をつけてはいけないんだ。

 万が一にも不合格などという結果にしてはいけない。さっきは結果は後で考えるなんて言ったけど、そんな甘い考えは捨てよう。

 だって……ファンが僕に期待してくれているんだ。応えなかったらアイドルじゃないでしょ?

 

「先程の、私の代わりに落ちた方の話になりますが……」

 

 それまで好き勝手に言葉を発していた面接官達に対して、僕は相手の言葉を遮るようにして口を挟んだ。蒸し返す形で語るのは、それまで何度も引き合いに出されていた、オーディションに落ちた子についてだ。

 僕が話し始めたことで、面接官達の意識が僕に向く。あと少し、僕の反応が遅れていたら面接は終わっていたことだろう。

 ちょっとだけ、面接中だということが頭からすっぽりと抜け落ちていたよ……。あまりに”些細”なことで忘れそうになってしまった。それ程までに、プロデューサーの言葉は僕にとって衝撃だった。

 落ちた子については、ずっと考えていたことがあった。

 

「申し訳ないという思いはありました」

 

 当然だと、面接官の誰かが首肯する。

 

「そう。ま、当然──」

「もっと早く、プロデューサーの話を私がお受けしていれば、その方はもっと早く諦めが付いて、次のオーディションに挑むことができたのに、と」

「はぁ?」

 

 僕の言葉に追従しかけた若い男の面接官が、続いた僕の言葉に信じられないという顔をする。

 他の面接官も同様に、こいつは何を言い出すのかという驚きの表情を浮かべていた。

 

「私がズルズルと回答を先延ばしにしてしまったせいで、その方には時間を無駄にさせてしまいました。落ちているなら、もっと早く知らせてあげられるようにするべきでした。その事を、とても申し訳なく思いました」

 

 精一杯申し訳なさそうな顔を作る。と言っても、僕の表情筋にそこまでの力は無いので、眉が若干下がった程度だが。しかし、その程度でも人を商品にする人間達にとっては十分伝わったようだ。

 

「今までの話を聞いて、その発言が出たことが信じられないんだけど……。君が選ばれたことで代わりに落ちた子がいる。その事に何も思わないのかって訊いてるんだけど?」

「そうですね、私が選ばれたことで、その方は落ちた……その事について、思うことがあるならば——」

 

 ぶっちゃけて言うと、罪悪感は——ある。僕の所為で、とは言わないまでも、僕が居なければ、とは思った。

 でも、それ以上に僕は思っているんだ。

 

「どうでもいいと思いました」

 

 これが僕の答えだった。

 それが僕の答えなのだと口にしたことで、ようやく自分の心と向き合えた。

 自分の手をもう一度見ると、震えは治まっていた。

 もう、一人でも怖くない。

 プロデューサーの心に触れたから。

 

「どうでもいいだって?」

 

 ずっとしゃべりっぱなしだった面接官が、僕の答えに不快げな反応を示す。

 その強まった視線に、先程までの僕だったら縮こまってしまっていたことだろう。でも、今の僕はもう、そういう視線は気にしないようになっている。どんな目を向けられても、何を言われたとしても、一歩も退かないと決めたんだ。

 だから、僕は言葉を続ける。後ろめたさなんて感じていないと証明するために。

 

「はい、どうでもいいです。落ちた人間のことなんて、私には関係がありません」

 

 吃ることもなく、声を震わせもせず、僕はありのままの気持ちを、ここに居る全員に伝えた。

 

「関係ないって……あんまりな言い方じゃない? 自分が蹴落としておいて、その言い草は無いと思わないの?」

「思いません」

「なっ……」

 

 僕の罪悪感に訴えかけたかったのだろうけど、もうそれは効かないよ。だって、僕は悪くないんだから。

 質問をした面接官の目を真っすぐに見返す。そこに嘘偽りは無いのだと、本心からそう思っているのだと、僕は胸を張って答えた。

 

「ちょっとちょっと。君さ、何いきなり勝手なことを言い出してるの?」

「……何か?」

「何か、じゃないよね。落ちた子にもっと早く教えるべきだったとか、どうでもいいと思ったとか、自分が言っていることおかしいと思わない?」

「私は受かり、その方は落ちました。それが結果です。それ以外に何があると言うのでしょうか? そもそも、この面接は私がシンデレラプロジェクトに……アイドルに相応しいかを問う場のはずです。落ちた方と比べて、どうこう言う場ではないはずですが」

「そういう話じゃないっての……。君が横から枠を掻っ攫った。その所為で代わりに落ちた人間がいる。ここまで進んで来たのに、そんな理由で落とされて納得いくわけがないだろう」

「納得するしないは関係がありません。結果は結果です。それとも、始めから居た人の方を優先するのがオーディションですか? それでしたら、そもそも二次オーディションをする前に一次の方を繰り上げ合格にするのが筋なのでは? よりアイドルに相応しい者が残る、そのための選考だったのでは?」

「そうだよ。だから彼女は最後まで残った。二枠ある二次オーディションの最終選考まで残れた。その事実以上に君がアイドルに相応しい理由って、じゃあ何?」

 

 語調を強めながら、僕に答える隙を与えないように質問を幾つも投げかて来る男の問いに、僕は特に焦ることもせず、ただ一言で答えた。

 

「私は選ばれました」

 

 僕はプロデューサーに選ばれた。

 その落ちた人は選ばれなかった。

 

「あの人が……プロデューサーが選んだのは、私です。プロデューサーは、その落ちた誰かではなく私を選びました。シンデレラプロジェクトのプロデューサーが、そう決めました」

 

 あの人が選んだのは僕なんだ。

 それを「ただ選ばれただけ」なんて言った自分は馬鹿だった。

 選んでくれたじゃないか……。

 何もなく。

 足りないものばかりで。

 失敗ばかりを繰り返して、後悔しかしてこなかった僕を、彼は選んでくれたじゃないか。

 この世界の中で、何十億といる人間の中から僕を見付けてくれた。

 僕がここにいるって、気付いてくれたじゃないか!

 それで十分だろ……。誰に憚ることもなく、胸を張って言えるじゃないか!

 

「私はその落ちた人よりも、オーディションに落ちた人達全員よりも、アイドルなんです。あの人の、アイドルなんです」

 

 だから、落ちた相手に同情はしても、決して申し訳ないなんて思わない。

 これが答えだ。文句あるか!

 

「……誰だ、こいつ」

 

 面接官の誰かが呟いた声が耳に入る。

 先程までの視線に震えるだけの女の子は、もう居ないよ……。

 ここに居るのは、ファンの期待を背負って立つアイドルだけだ。彼の期待を聞いてしまった僕には立ち止まる理由がない。

 もう、お前達の言葉では、僕の心は揺るがない。何を言われても止まらない。プロデューサーからの期待の声に、心が熱く滾って震えているから。

 

「その人には覚悟が足りなかった。努力が足りなかった。そして何よりも、実力が足りなかった」

 

 その落ちた子は、どれくらいの覚悟を持っていたのか。どれだけの努力を続けて来たのか。そして、どれだけ実力があると言うのだだろうか。

 僕よりもあったなら、なんでプロデューサーに選ばれなかったんだ?

 

「足りないものがあるくせに、受からなかった理由を誰かのせいにする。……そんな相手に掛ける言葉なんて、たった一つでしょう」

 

 僕はそこで一旦言葉を止めた。

 ずっと、言ってやりたかったんだ。

 

「甘ったれるな」

 

 誰かの所為になんかするな。

 落ちたのは足りなかったからだろう。

 覚悟が足りなかったから。

 努力が足りなかったから。

 実力が足りなかったから。

 僕よりも足りなかったから、落ちた。

 それだけだ。

 僕は765プロに落ちた時、誰も恨んだりしなかった。僕を落とした社長も秋月律子のことも、僕は恨んだりしていない。ただ、選ばれなかったことを嘆いて、765プロに落ちたことに絶望しただけだ。

 僕に足りなかったから落ちたとしか思わなかった。

 

「その人が落ちたのは、足りなかったからです。それとも、その人は受からなかった理由を他人の所為にするような人間ですか? あなた方に泣きついて来ましたか?」

「それは……」

 

 僕の問い掛けに、その面接官は答えることができなかった。何かを言いかけるのだが、くしゃくしゃの茶髪を掻き回すだけで続く言葉が出て来ない。

 何を言い返されても、さらに言い返すと決めていた僕は、その姿を冷めた目で見つめるだけだった。

 

「……随分、勝手なことを言うな」

 

 別の面接官が口を開く。先程、僕に覚悟を聞いて来た髭の男だった。その目は僕を射殺さんばかりに睨みつけている。

 その男だけではない、他の面接官達が僕を見る目は隠すつもりがまるでないくらい敵意が籠っていた。

 

「お前は今自分が言ったことが、どういう意味かわかっているのか?」

 

 重々しい声で、僕の言った言葉の真意に言及する。

 

「足りなかったと言ったよな? 彼女には足りなかった、と。……お前が彼女の覚悟の何を知っている」

 

 やけに近しい言い方に、この人は落ちた子に目を掛けていたのだと推測する。面接の中で聞いたのか、その他の場面で知る機会があったのか、男からは落ちた子の覚悟を知っている様子が窺えた。侮辱するような言葉を放った僕はかなり嫌な奴に見えたことだろう。

 どうでもいいことだが。

 覚悟……。僕の覚悟、か。

 

「私の覚悟、ですか」

「そうだ。お前にはアイドルになる覚悟があるのか? すべてを賭ける覚悟が。あの子にはあったぞ?」

 

 プロデューサーの期待に応えると、あの人のアイドルになると決めた、僕の覚悟。

 僕がアイドルに掛ける想い。アイドルになった先にある願い。それを相手にあるがまま伝える。

 

「……私には、友達が一人しかいません」

 

 何を言うのかと待ち構えて男性は、僕の言葉に気勢を削がれたのか一瞬、怪訝な表情を見せた。覚悟と友人の数に何の関係があるのかと訝しんでいるのだろう。

 友人の多い少ないでアイドルの覚悟と言われても困るという話だ。

 普通ならば。

 

「それがどう──」

「それ以外の他人と、これまでの人生の中で、私はまともに会話をしたことがありません」

「……は?」

 

 僕が言った言葉の意味が理解できないのか、男は間の抜けた顔を晒した。

 

「小学校に上がる前に、私はアイドルになることを決めました。その時から、私は全ての交友関係を断っています」

「はい……?」

 

 交友を断ったというか、最初から友達なんてできた試しが無かったというか。

 まあ、僕のコミュ障が原因なのだが。

 

「アイドルに男の影があってはいけないと知った後は、学校の男子生徒と男性教師とは会話を一切しませんでした。どこから情報が洩れるかわからないため、同性のクラスメイトとも極力会話をしませんでした」

 

 唯一、中学生の時に、とある女性教師がしつこく絡んで来たけれど、それも事務的な会話以外した記憶はない。

 

「出かけた先で、男性の店員が居れば店を変えました。女性専用車両が無い可能性を考えて移動は徒歩です」

 

 今日も家から歩いて来た。346プロの事務所にも歩いて通うつもりだ。朝四時起き確定で、通勤時間三時間である。

 

「プロデューサーのスカウトを受けると決めた日から、父親と弟とまともに顔を合わせていません」

 

 優とは、ずっと電話かメールでのやりとりしか出来ていない。アイドルである間は、実家に帰った時か母親同伴でしか優に会わないと決めた。

 それが僕にとって、どれだけのストレスか彼らにはわからないだろうけれど。

 

「今の私は、家族と過ごす時間も、たった一人の友達と会う時間も削って自主訓練をしています。これからもずっと、アイドルである限りそうするつもりです」

「ま、待て。ちょっと、待ってくれ!」

 

 覚悟を語る僕の言葉を男が止めた。

 

「はい、なんでしょうか?」

「何だ、お前……お前は、アイドルになるために人間関係を捨てて来たと言うのか? 友人も家族も? アイドルになるためだけに……?」

「はい、私には足りない物が多すぎるので、六歳から自主訓練の時間を捻出するために削れるものは削って来ました」

 

 無駄な時間を削って作った時間も、幼い頃は十全に使い切ることはできなかったが。

 始めた頃は本当に酷かった。一時間もすれば疲労で倒れて、骨が折れた程度で熱が出た。脆くて弱くて泣きそうになった。

 壊れては治してを何度も何度も繰り返しながら、僕は千早に相応しい身体を作っていったのだ。

 

「六歳………」

「こういうのは早いうちに始めた方がいいと言いますし」

 

 本当は小学校も通いたくなくて、休むことも多かったのだけど。優が一緒に行ってくれるようになってから通学自体はするようになった。

 

「……一日の自主訓練の時間は、どれくらいだ?」

 

 髭の人の語気が弱まった気がする。

 一日の練習時間か。全盛期ほどではないけど、最近は結構復調して来たんだよね。春香も最近は家に来てくれないし、時間だけはたくさんあった。

 

「ここ一月くらいは、一日で二十三時間ほど自主訓練を続けられるようになりました。どうしても一時間は疲れて気絶してしまいますが、少しずつ気絶時間を減らせるようにしています。今は気絶状態でもダンスくらいはできるように訓練中です」

「死ぬぞッ!?」

「はい」

「はい、ってお前……まさか、それを毎日ってわけじゃ」

「もちろん、毎日ですが?」

「……イカれてんのかお前」

「これくらいできなくては、とてもアイドルなんて名乗れません。違いますか?」

「……」

 

 男が僕を見る目は完全に狂人を見るそれだった。

 狂ってると思うだろうか?

 そうだよ、狂っているよ。生まれた時からな。真っ当に生まれて、真っ当に生きて来た人間が、イカれ具合で僕と競おうとするな。

 

「アイドルとして純粋であるために、私は全ての人間関係を捨てて来ました。アイドルになるためだけに、全てを捧げて来ました。アイドルになるために。アイドルとして上に行くために。人生の全てを。残りの人生を。全て賭しています。……それでも、私には覚悟が足りないと思いますか?」

「う……ぐぅ」

「私にはもう、アイドルしかないんです。これしかないんです。私が持っている全てをアイドルに捧げると誓ったから、私は今ここに、アイドルとして立っています」

 

 全てを捨ててアイドルをやると決めた。その覚悟が薄っぺらいと言うのなら、その落ちた人の覚悟の度合いを聞こうじゃないか。

 そいつは、アイドルに何を捧げられる?

 僕はすべてを捧げられるぞ。

 

「それでも、まだ私には覚悟が足りませんか? その方と比べて、私の覚悟は足りていませんでしたか? だったら、私はこれ以上、何を捨てれば良いですか?」

「……」

 

 髭の男性は無言で目を逸らし、それ以上口を開くことはなかった。

 正直に言うと、その落ちた子がどの程度の覚悟があったのか、どのくらい努力をして来たのか、聞いてみたいという気持ちはあった。もしかしたら、僕には想像できないくらいに本気でアイドルを目指しており、僕以上に何かを捨てて来た人だったのかも知れない、と……。

 まあ、黙ったってことは、大した覚悟はなかったってことだろう。

 じゃあ、そこまでだ。僕には届かない。

 

「貴女の覚悟は……よくわかりました。努力をされて来たこともわかりました。……しかし、努力など誰もがして来ています。覚悟も……まあ、人それぞれですが、人生を賭けているのは如月さんだけではありません。結局のところ、この業界では実力が物を言います」

 

 何も言わなくなった男に代わり、僕に実力があるのかと問うて来た女性が話を引き継いだ。

 隣の面接官(髭の人)から「お前まだやるの?」という目が女性に向くが、女性はそれを黙殺した。よく見ると、女性の頬に一筋の汗が垂れている。はて、空調は効いているはずだが?

 

「……実力ですか」

「貴女がどうでもいいと言った子よりも、他の落ちた子達よりも、貴女が実力で勝っていると胸を張って言えるは物は何がありますか?」

「……私には……歌しかありません」

 

 相手の問い掛けに対し、僕はもう一度、失言を口にした。

 女性の表情が明らかに変わった。こちらを品定めするものから、若干だが焦り含んだものに変わる。

 それでも僕は何度だって言うのだ。何度だって、この失言(覚悟)を言ってやる。

 

「歌しかありません。……歌があれば、それでいいんです」

 

 何がどう良いのかなんてわからない。上手く説明できない自分の語彙力の無さが嫌になるけれど、歌が僕の本質だってことはわかる。それさえあれば、僕は何でもできる気がするから。

 誰が相手でも、何が立ちはだかろうとも、僕はそれら全てを倒せる。

 殺せる。

 それだけの努力をして来た。

 その覚悟を抱いて生きて来た。

 僕には歌がある。

 

「歌が上手いアイドルは居ないと、私は言ましたよね? それを聞いておいて、そう言いますか」

「はい。ですが、私には歌しかありません」

 

 先程、アイドルに歌が上手い者は居ないという話をされたばかりだ。この人相手に歌が上手いというのは禁句だ。それをわかっていながら、また同じことを口にした僕は相手からしたら馬鹿にしか見えないだろう。

 しかし、僕は取り消すつもりはなかった。

 だって、僕には歌しかないから。

 模倣の踊りも、全自動の楽器も、付け焼き刃の笑顔だって、今の僕にとっては歌の前では添え物にしかなっていない。プロデューサーは僕の良さを笑顔だと言ってくれたけど、未だ僕は笑顔を武器にできるようになってはいなかった。

 今の僕には歌しかないのだ。

 だから、僕は歌しかないと胸を張って言い切った。誰に笑われようとも、馬鹿にされようとも、自分の本質だけは見誤ることはできない。

 それに、プロデューサーは信じてくれたから。

 僕の歌が、この人達を変えると彼は信じてくれた。僕の武器は歌だと認めてくれた。少なくとも、今回の面接で笑顔で受け答えしておけば受かるとは言われなかった。

 だから、僕は僕の歌を信じることにした。プロデューサーの判断を信じることにした。あの人の判断を信じることは、間接的に僕自身を信じることになるから。自分を信じられない弱い僕が、唯一自分を肯定できるとするならば、プロデューサーの判断が正しいと信じられることだから。

 僕はプロデューサーを信じる。

 あの人が信じた僕の歌を、僕は信じる。

 

「……話は聞いていたのですね? それでも、貴女が誇れる物は歌しかないと……そう、言うのですね? 努力や覚悟よりも、歌だと……」

「はい」

「……そう、ですか…………本物、ですか」

 

 僕が真っ直ぐに頷くと、女性は何かを諦めたような顔をして瞳を閉じた。もはや語ることがないと言外に示すように。

 自分の問いを理解してなお、答えを変えない僕は相手からすれば馬鹿に見えるのだろうね。

 でも、それでいい。

 それを誇れる自分で在れるように、僕の歌に賭ける気持ちは本物だと思うから。

 だから馬鹿でいい。馬鹿にしていればいい。

 

「私の歌を聴かずに、私を判断しないで下さい。私の……如月千早の歌は、あなた達程度が切り捨てていいものじゃない」

 

 ──程度、と言った。

 目上の相手で、なおかつ自分の面接を担当する相手に対して、この言い草は失礼だと自分でも思う。

 相手方は無礼だと怒ったに違いない。明らかに不機嫌になり、こちらを睨み出した人が何人か居た。

 中には逆に嬉しそうに口元を引き上げる人も居たけど……。きっと、追い詰められて化けの皮が剥がれたと思ったのだろう。

 それこそ、どうでもいい。

 有象無象の三下が、僕の歌を聴かずに僕を評価するんじゃない。

 僕を本当の意味で評価したいなら、僕の歌を聴いてからにしろ。

 だから、聴け。僕の歌を。

 

「私がアイドルに相応しくないかは私の歌を聴いてから判断しろ。それが、私の答えだ」

 

 言い切った。

 

 シン——と、耳に痛くなるような沈黙が部屋に流れる。

 誰も何も言わない。

 僕は言うべきことを言った。あとは相手がどう反応するかだけだ。

 そして、このまま沈黙を続けられたら僕の負けだ。

 その事を理解している人間がこの場に何人居るか。少なくとも、僕が面接官だったら絶対に二度と口を開かないだろう。僕相手にこれ以上何か言わせたら拙い流れになると知っているからだ。

 だから、僕は待った。自分から口を開かず、相手が逆転の一手を打つのを。

 僕にとっての起死回生の一手を。

 

 そして、その時はやって来た。

 それまでずっと黙っていた一人の男が口を開いた。

 

「正直驚いている。先程までの……部屋に入って来たばかりの君と、今の君はまったくの別人に見えるよ」

 

 ──来た。

 ぎゅっと心臓が締め付けられるような錯覚を覚える。ぶっつけ本番で考えた策──大博打が当たっている可能性を前に、心臓が早鐘を打つのを感じる。

 賭けに勝ったか確証が持てないのは、話掛けて来た相手が、それまでずっと面接を見ているだけで一言も話しかけて来なかったナイスミドルさんだったからだ。他の面接官の思考は面接の中である程度読み取れていたので何と返せばいいかわかった。しかし、ただこちらを観察するだけで何も語らないこの人だけは予想がつかない。

 でも、僕には別の確証があった。この確証が当たっていれば僕の勝ちだ。

 やっぱり、この人が鍵だった。

 

「ご不快に思われたのなら謝罪いたします。ですが、取り消すことはしません」

「いや、結構。君からすれば、ここに居る全員が敵に見えたことだろう。その相手に敬意を払い続けろと言うのは酷だ。私達は大人で、君はまだ子供なのだからね」

 

 そう言って他の面接官達を見回すナイスミドルさん。それだけで、今まで硬い表情をしてた面接官達の顔から険が薄れていった。まるでさざ波が引いていくような変わり様に、これは大きいのを引きすぎたかも知れないとちょっと焦ってしまう。

 その動揺を悟られないためにも、全力で無表情を貫くことに注力する。ここで引いたら終わるぞ。

 

「君の覚悟はわかった。賭ける物の大きさも、費やした時間も知ることができた。……ああ、君が嘘を吐いていると疑っている者も居るが、私を含め、この件に”決定権”を持つ者は皆、その辺りを見抜く目はあるので心配しなくていい。かなり現実味の無い内容だったが、『君の言葉に嘘はなかった』。この私がそれを保証しよう」

「はい、ありがとうございます?」

 

 現実味がないってなんだろう。まあ、嘘だと思われたわけじゃないなら良いか。

 ナイスミドルさんが保証? をすると、それまで胡散臭そうに僕を見ていた面接官数人が顔色を変えていた。いや、それは良いのだけど、今度は僕を見る目が化物を見る目になっていたのは解せない。

 それとは別に、覚悟を訊いて来た髭の人と、実力を問うて来た女性の面接官が疲れたように同時に目頭を押さえていたのが印象的だった。仲良いの?

 

「その上で、改めて君に訊こう。君が誇れるものは、全てを捧げられる覚悟でも、常軌を逸した自主訓練を続けて来た努力でもなく、歌だと言うんだね?」

「? はい」

「はじめに他の者が君の長所や誇れる物を訊いた時、君は歌だと答えた。先程、君が言った覚悟も努力も、その歌と比べたら下になるんだね?」

「はい。私が誇れるのは……私の誇りは、歌にあります。それ以外は関係がありません」

 

 僕の答えを聞くと、ナイスミドルさんは腕を組み静かに目を閉じた。

 

「……」

 

 何も言わず、同じ姿勢のまま沈黙を続けるナイスミドルさん。

 その姿に周りの面接官達も困惑したのか、お互いに顔を見合わせている。再び僕の中に焦りが生まれる。まさか、誘導が失敗した?

 ナイスミドルさんは苦渋な表情を浮かべている。組んでいる腕を掴む指には必要以上に力が籠り、眉間には皺が増え、唇は小さく震えていた。

 それはまるで、自身の葛藤と向き合うところまで来ているが、その結論を出していいのかと自問しているように見えた。

 そうやって一分もの間、沈黙を続けたナイスミドルさんがゆっくりと瞼を開いた。

 

「……わかった。そこまで自信があるのなら、君の歌を聴こう」

 

 絞り出すような声で出された結論は、僕が望んだ答えだった。

 

「納得させるだけの歌を君が聴かせてくれたなら、私は君を認めよう」

「いいんですかっ? ここで如月を認めたら、あの方の改革に真っ向から対立することになりますよ!?」

 

 突然僕を認めると言い出したナイスミドルさんの発言に面接官の一人が慌てたように立ち上がった。

 

「せっかくここまで来たのに、そんな簡単に」

「……簡単に、私が決めたと……そう、思うかね?」

 

 さらに言い募ろうとする面接官に、ナイスミドルさんが簡単に決めたことではないと答える。その声から彼にとっても断腸の思いだったということが窺えた。

 

「あっ……いえ、それは」

「違うと思うならば、黙ってくれないだろうか。私は今、面接官としてここに居る。そして、彼女の審査をしている。……それだけのことだ」

「……はい」

 

 何も言い返せなくなった面接官が消沈した様子で席に着いた。

 

「さて、少し話が脱線してしまったね……。先程、君の歌で納得させてくれたならば認めると言ったが、当然、それは君の歌に納得がいかなかった場合、君にはシンデレラプロジェクトを諦めて貰うということになる。……それは構わないね?」

 

 念を押すナイスミドルさん。

 僕が子供だからと、態度を改めるよう他の面接官を窘めてくれた人ではあるけれど、同時に僕が子供だからと一度口にしたことを反故にはしない事は何となく雰囲気から伝わって来た。

 

「…………はい」

 

 僕は万感の想いを込めて、ナイスミドルさんの言葉に頷いた。

 

 ようやく、ここまで来れたか……。

 

 ナイスミドルさんの言葉に、まず僕が思った事はそれだった。

 同時に「ありがとう」と言いたくなった。僕に歌う機会をくれて、ありがとう。

 最悪、歌う機会すら貰えずに退室になるのではないかと不安だった。

 そうだ、僕は最初からここに持って行きたかった。歌えと言われるために、相手からの心象が悪くなることも厭わずに、全てを賭けて喧嘩を売った。

 これしか僕には手が無かったから。

 実力を見せることが僕の唯一の勝機だった。努力も、覚悟も、言ってしまえば言葉に過ぎない。それだけで僕をアイドルたらしめる何かを持っていると証明し切ることはできない。

 だから、僕は見てもらうしかなかった。……認めてもらうしかなかった。

 僕の実力を分からせる事しか、僕の努力と覚悟を本当に理解させる手段が無かった。

 ただし、僕から歌うことを申し出ても相手はそれを許さない可能性があったので、あちらから歌えと言われる必要があった。たぶん、プロデューサーの方からも僕は歌特化だと説明がされていたのだろう。僕が最初、歌が得意だと言った時の反応からわかった。

 でも、これは僕が歌えば実力がわかるから聴かないようにしたのではない。彼らは、プロデューサーが僕は歌が得意だと言ったから歌わせたくなかったのだ。

 つまり、ただの嫌がらせだ。つまらない意趣返しだ。

 そんな物のために、プロデューサーは……。

 今になって、僕がこの人達に良い印象を持たなかった理由がわかった。

 この人達は、彼を──プロデューサーを信じていないと思ったからだ。

 プロデューサーがシンデレラプロジェクトの責任者ならば、その彼を信用するべきではないのか。何故彼を信じられない。自分達の仲間じゃないのか。仲間なら信じていいんじゃないのか。

 仲間を信用していない彼らの態度、それが僕には許せなかった。僕にとって、仲間とは絶対的な存在だから。

 そして、それ以上に、僕は自分が許せなかった。

 自分の所為でプロデューサーは仲間から不信感を持たれてしまった。そのために、プロデューサーは彼らに頭を下げることになった。今回の面接のように嫌味も言われたのかも知れない。……僕がズルズルと拒否し続けた二ヶ月間ずっと。

 そんなことをしたこの人達に腹が立った。

 ……それをさせてしまった自分に腹が立った。

 僕が一番何様なのかと責められるべきだった。

 どこかで、僕はまだ自分が特別だと思い込んでいたらしい。特別でありたいと願って、特別な自分に縋っていた。

 プロデューサーにチャンスを貰った側、恩を受けている側なのに……。

 それを自覚しないで、何度も話を持って来てくれた彼を邪険に扱った。これだけ大きな会社で起きたプロジェクトの責任者が、わざわざ自分の足で話を持って行くことが、どれだけ負担になっているかなんて考えていなかった。

 あの日、初めて声を掛けてくれた時から、いったい何度無駄な時間を使わせてしまったのだろうか。仕事の時間を削った分、その埋め合わせのために彼のプライベートな時間は減ったことだろう。休む暇なんて無かったのかもしれない。

 それをさせた自分は、よりにもよって「相手してやっている」なんて気持ちでいたのだ。

 本当に、何様なのか僕は。

 自然と両手の拳を握ってしまう。自分の考えの至らなさに怒りを覚える。

 不器用だけど誠実に僕を見てくれた彼をどう労えばいいのだろうか。どうすれば僕に使った時間を「無駄だった」と思わせないようにできるだろうか。

 ……それは考えるまでもないことだった。最初からわかっていた。

 歌えばいい。

 そのために僕は今日ここに来たのだから。

 歌うために。彼に僕の歌を求められて来たのだ。

 だったら、歌えばいいだけだ。僕を悪く思っている相手の前だったとしても、あの人に恩を返せるならば僕は歌おう。

 僕の武器はやっぱり歌なのだ。敵を倒すなら歌だけで勝負をしなくてはいけなかった。

 だからこそ、僕はこの流れに持って行った。歌だけで全てのカタが付くように。

 

「私の歌を聴いて下さい。それで、ご納得いただけます」

 

 僕の言葉に、ナイスミドルさんが頷く。

 この部屋に曲を流すような設備は無い。楽器も用意して来てなどいない。当然、アカペラで歌うことになる。

 さあ、始めようか……。

 今この瞬間、僕に自重という安全機構は働いていなかった。

 元より本気で歌うつもりだったけど、それでは足りないと思った。本気だけでは届かないと確信があった。きっと、本気の歌では相手を納得させられない。何だかんだと理由を付けて駄目だったと言われるのがオチだ。

 だから僕は全力で歌う必要があった。

 全力──チートを使って歌うと決めた。それがどれだけの負担になるかなんてわからない。でも、今ここで全力を出さなければ、きっと誰も納得させられないとわかっているから、僕は命を賭けると決めた。

 

「はぁ……ふぅ」

 

 呼吸を整えながら、これまで稼働していたパッシブチートを停止させる。途端に訪れる身体の変調。今までと違う自分に変質した違和感が僕を蝕んだ。

 パッシブチートを切っただけで、こんなにも不快な思いになるなんて……。

 身体から何かの器官がごっそりと失われたような感覚に脱力しそうになるが、それを意思の力で無理やり抑えむ。

 まだ、やらなくてはいけないことがある。ここで倒れるわけにはいかなかった。

 もうひと踏ん張りだと、僕はパッシブチートの代わりにアクティブチートを稼働させた。

 穏やかな負荷でしかなかったパッシブチートから、劇薬に等しいアクティブチートの発動により一気に身体への負担が増す。

 想像していたものより辛い。ちょっと自分でも楽にいけるんじゃないかなとか思っていたけれど、そんな甘い展開は無かったらしい。

 でも、途中でチートの発動を止めるわけにはいかない。ここで止めたら次はいつ使えるかわからない。

 今の僕が歌を上手く歌っただけでは面接官達に届かないとわかっているから。無理やりにでも届かせる必要があった。

 納得してもらうんじゃない。納得させろ。相手に刻め、僕の歌を。

 だから、僕は”如月千早”を本当の意味で使うと決めた。

 ”如月千早”の才能を借りて歌うのは春香に聴かせた時にやったことだけど、今回は”如月千早”を乗せて歌う。

 簡単に言うと、「僕自身が”如月千早”になることだ」というやつだ。

 素早く候補から今の状況に相応しい”如月千早”を探す。早く終わらせないと身体が持たない……。

 このチートを使用している今、僕の身体は一秒ごとに壊れ続けている。いつもの”超”能力ではなく、条理を超えた”超能力”を使うようには僕の身体は出来上がっていない。

 でも、僕に焦りはなかった。間に合わなければ死ぬだけだから。それ自体は怖くないから。

 必要な”如月千早”は歌が得意な者だ。

 歌が得意ではない”如月千早”なんて居ないので、必然的に全員が対象になる。僕はその中でも、さらに歌に特化した”如月千早”を探した。

 見つかったのはあの日約束を歌った時に見つけたものと同種だった。歌特化の”如月千早”。人生の全てを歌に捧げた”如月千早”。ぶっちゃけ僕もドン引くストイックな人生を送ったヤベー奴である。

 ──それを、そのまま自分の中へと呼んだ。

 瞬間、目の奥がカッと熱くなり、神経が暴走したみたいに激痛が全身を駆け巡った。才能だけではなく”如月千早” そのものを読み込むことでチートの許容量を超えてしまった所為だ。痛みで叫び声を上げそうになるのを必死で耐える。ここで叫んだら元も子もない。奥歯が割れるくらいに歯を食いしばり激痛が通り過ぎるのを耐え続けた。

 だがそれも一瞬のこと。数秒もしないうちに身体に”如月千早”が馴染んで行き激痛も段々と薄まっていった。前よりも許容量と慣れが進化している。やはり、あの時からチート能力が増しているらしい。使えば使うほど馴染む気がする。同時に、失うモノも色々と増えて行っているけど。

 これで準備は整った。

 僕の記憶から自分の歌を馬鹿にされたことを知ったためだろう、僕の中の“如月千早“が早く歌わせろと騒いでいる。完全に面接官達をヤル気でいるようだ。これまで ”如月千早”相手に脳内会話なんてしたことないけど、頭の中で”如月千早”にもう少し待つようにお願いする。

 もう少しだけ待って欲しい。流石にこのタイミングでいきなり歌い出すのは拙い。唐突に歌って許されるのはミュージカルと超銀河系ロボットアニメの中だけだ。あと聖遺物適合者くらい。

 

「歌います……」

 

 静かに告げ、歌う体勢に入る。室内の人間の注目が集まる。

 これでスポットライトでもあれば、まるでステージの上みたいじゃないか。ステージならば慣れた場所だと、“如月千早“が調子を上げ始める。本番に強いタイプなのは心強い。

 今から歌うこの歌を、僕は知らない。

 曲の名前も、歌詞も、メロディだって知らない。

 この“如月千早“がいつの時代の出身かは知らないけれど、どこからか連れて来てくれた、千早の歌だ。

 遥か未来か、すぐそこの明日か。どこかの千早が奏でた歌だ。

 それを僕は歌う。今僕が歌える曲では足りないと”如月千早”が判断したから。相手は大先輩だ。その予測を信じて、僕はチートに身を任せる。

 どんな歌を聴かせてくれるのかと、余裕と侮蔑の視線を向け、僕を品定めする面接官達に答えを魅せる。

 さあ、聴いてよ。アンタらが聴きたがっていた如月千早の歌を。

 全力の僕達(私達)の歌を。

 

 

「  」

 

 

 

 名前も知らないその歌を、僕達(私達)はアカペラで歌い始めた。

 曲も何も無いからこそ、歌だけに集中できる。

 身体全体で歌う感覚。自分が歌を奏でる一つの器官になったような感覚。歌だけに特化した何かになった全能感。それらが僕達(私達)の歌を昇華させる。

 チートが回る。

 ”如月千早()”が歌う。

 僕の中で”如月千早()”が「  」を歌う。それに乗った──乗せられた僕が、歌を奏でる。

 歌うことは楽しい。歌うことで誰かの心が動くのは楽しい。それが幸せな気持ちなら、もっと嬉しい。

 目の前のこの人達相手に歌うことは、僕のことを好いてくれる人に歌うよりも楽しくない。でも、どんな理由でも、僕の歌を聴きたいと言ってくれたことだけは感謝しよう。

 そしてプロデューサーへの感謝を込める。僕の手をとってくれた貴方のために僕達(私達)は歌を捧げる。この世界で、たった一人の僕を見つけてくれた貴方に、全力の歌を贈ります。──”如月千早()”には、そんな人間は終ぞ現れなかったから。

 そうやって、僕達(私達)は色々な感情を込めて今の自分達にできる最高の歌を歌い続けた。

 

 

 

「……」

 

 歌い終わると室内は静まり返っていた。誰一人声を上げることがない。

 静寂の中で空調の音だけが耳に入って来る。

 僕が歌を披露していた時は当然、面接官達も黙っていてくれていた。それが終わった今ならば、その必要もないので話し始めてもいいはずだ。それなのに、いまだ誰も口を開こうとしない。

 面接官達は全員、口を半開きにしながら固まっていた。何かを言いかけて、そのまま止まってしまったかのような姿だ。

 持っていたペンを手から取り落とした人。飲みかけていたお茶を傾けたまま足に注ぎ続けている人。ただただ呆然とした顔で固まっている人。多種多様なポージングを決めている彼らだったが、共通して誰もが指一つ動かさずに止まってしまっている。

 ちょっと変どころの話ではなく、言葉にしにくい怖さを感じる光景だ。今度こそ助けを求めようと、千川さんの方に顔を向けると、彼女も彼女で驚愕の表情で固まっていた。貴女もかぁ。

 

「あの……終わり、ましたけど」

 

 いつまでも止まったままでいられても困るので、躊躇いがちに終わったことを告げる。

 そこでようやく、止まっていた時間が動き出したかのように、室内に居る人間が動き出した。

 それまで自分がどうしていたのか理解できていないように焦った顔で周囲を見渡している。それが全員だ。全員同じ反応を見せていた。

 しかし、その後の行動は各々違った。

 両手で顔を覆って震えている人。眼鏡を拭こうとして、ハンカチを落としたのに気付かずに素手でレンズを拭いている人。ただ黙って目を瞑り動かなくなってしまった人。

 髭の人は元の悪人面をさらに悪そうな笑顔で塗り固めてこちらを見ていた。その隣の紅一点さんは一回り老けた顔で肩を落としている。

 そして、ナイスミドルさんは全ての憑き物が落ちたかのような、とても晴れやかな表情で笑っていた。

 各々が好き勝手に挙動不審になっている。何も知らずにこの部屋を見た人がいたら、精神病棟と間違えるのではないかというくらいの異様な光景だった。

 しかし、皆に共通していることもある。

 この部屋に居る人間全てから、先程まで感じていた威圧感が消えていた。

 僕に向けていた猜疑、不満、怒り、そういった負の感情がすっぽりと消えている気がする。

 まるでそんなもの最初からなかったかのように。

 

「えっと……?」

 

 歌っただけにしては異常な反応だ。何だこれ……。

 見事だと称賛くらいされると予想していただけに、こういった反応を見せられると反応に困るのだけど……。

 

「終わりましたけど」

 

 もう一度、終わったことを知らせる。これで駄目だったら外のプロデューサーを呼ぶしかない。ここでもまた彼に迷惑を掛けてしまうと暗い気持ちになる。

 その必要はなかったけど。

 

「あ、ああっ! ご、ご苦労様。審査は以上だから一旦退室してもらって構わないよ。控室の方で待っていて下さい」

 

 若い男性が慌てた様子で立ち上がると退室を促した。

 

「あの、今回控室は用意してありませんが……」

「えっ……」

 

 僕に聞こえて欲しくないのか、千川さんが声を控えめにして男に伝えると、彼は小さく声を上げ段々と顔色を悪くしていった。

 急病かな?

 まさか控え室が用意されていなかっただけで、こんな反応はあり得ないだろうし。

 

「で、では、歌って喉も乾いただろうし、販売機のある休憩所の方で休んでもらうということでどうだろうか? 千川君、すまないが彼女を見ててあげて」

「あ、はい。承知いたしました」

「頼んだよ?」

 

 若い男に代わって今度は初老の眼鏡を掛けた男性が休憩所の使用を提案して来た。

 良いこと言ってやったぜってドヤ顔なのはいいけど、貴方の眼鏡指紋でべったりと白く濁ってますよ。それだと前が見えないだろう。

 とにかく部屋から出ることになった。まだ結果を聞かされていないんだけど?

 僕は果たして面接官達を納得させされたのだろうか。結果が気になりつつも千川さんに促されてしまったので仕方なく部屋から出る。

 部屋を出ると廊下を挟んだ壁際にプロデューサーが直立不動で立っていた。扉側に立たなかったのは中の話を聞かないためだろうか。律儀なのか融通が利かないのかわかんないね。軽く見回してみても、さっきの話し相手の人の姿は見えなかった。

 僕と入れ違うように今度はプロデューサーが部屋へと入っていく。その際プロデューサーを見るとばっちり目が合った。僕と目が合ったプロデューサーがはっきりと首を縦に振った。ここからは任せろということらしい。

 後は頼みましたよ、プロデューサー。

 僕の仕事は終わった。後はプロデューサーの手腕に懸かっている。不思議と詰めの部分では、きっちり決めるタイプに思えた。

 とりあえず、僕の仕事は終わったと溜息を吐き、千川さんの後ろを付いて歩き出す。

 その瞬間、身体中に鋭い痛みが走った。

 

「っ──ぅ」

 

 小さく声が漏れる。思ったよりもチートの反動が大きい。今はまだアクティブチートが発動している状態なのでパッシブに切り替えられない。

 たぶん、今切り替えたら大変なことになる。本当なら一秒でも早くパッシブに戻したいけれど、切り替えの瞬間を千川さんに見られるわけにはいかないのでそれもできない。

 我慢するしかないか……。

 身体のあちこちから骨を数本ずつ抜き取られたような痛みが断続的に襲いかかる。すぐにでも叫びながら床を転げ回ってしまいたくなる。

 僕はその激痛を意思の力だけで抑え込んだ。 画竜点睛を欠くわけにはいかない。ここまでやっておいて突然絶叫を上げる変人と思われるわけにはいかなかった。

 休憩所まで僕は千川さんに気取られないように痛みに耐え続けるのだった。

 

 ようやく痛みに慣れて来たところで休憩所に辿り着いた。ここまでの道のりが酷く長く感じた。服の中は汗でびっしょりになっている。

 休憩所に着いた僕は千川さんに買ってもらったドリンク(経費で落とすらしい)を手にすると近くのベンチへと腰を下ろした。しばらくはまともに立ち上がれる気がしない。

 

「それにしても、凄かったですね!」

「……はい?」

 

 ドリンクを一口飲むと、千川さんが開口一番そんなことを言って来た。一瞬何を言われたのか理解できなかった僕は曖昧な反応を返す。

 

「歌ですよ! 私思わず聴き惚れちゃいました!」

 

 興奮した様子で詰め寄って来る千川さんにちょっと引いてしまう。あんまりこういう絡み方をしてくる人には見えなかったので意外だった。

 

「ありがとうございます。ご満足いただけたようで何よりです」

「あの歌、ずっと練習されていたんですか?」

「いえ、今日初めて歌いました」

「ええっ!?」

「何か?」

「……あのプロデューサーさんが珍しくゴリ押ししてくるから不思議に思っていましたけど、納得の人材といったところですね」

「はぁ、それはありがとうございます?」

 

 神妙な顔で僕を見つめる千川さん。

 何やら彼女の中で僕の評価が大きく変動したようだ。

 しばらくの間、千川さんはふむふむと何やら納得顔で頷いていた。こういう可愛らしい所作が似合う人だったんだな。うっかり惚れそうになる。声も可愛らしくて素敵だ。アイドルだったら電気系統の能力者になれただろう逸材だ。

 

「私もプロデューサーさんに色々入れ知恵した甲斐があったというものです」

「入れ知恵?」

「プロデューサーさんが如月さんのスカウトに手間取っていたみたいなので、そういう奥手な女の子にはストレートに畳みかけるように誘うのが一番効果があると教えたんですよ」

「……」

 

 あ、アンタが犯人かああああ!?

 あの公衆の面前で行われた公開処刑の黒幕が目の前に居た。えー、引っ叩くの? 僕はこれからこの人を叩かないといけないのん?

 まあ、叩かないけどね。この人の助言のおかげで僕はここに居られるわけだし。そういう意味では、千川さんには感謝している。

 でも、それでは拳の降り下ろし先が見つからない。叩きはしない代わりに、千川さんには台詞のチョイスに文句は言っておこう。

 

「やはり、女性視点から見たやつということなのでしょうか。それでも、あの恥ずかしい台詞は無いと思いますけど」

 

 中身男の僕にはあんな台詞思い浮かばないから、女の人が考えたのかなって思ってたけど千川さんなら納得だ。こんな可愛らしい人が、ああいう台詞を必死に考えている姿を想像すると萌えるね。

 

「台詞、ですか?」

 

 だが千川さんは不思議そうに顔を傾げるのだった。

 あれ、自分で吹き込んでおいて内容忘れてる?

 

「貴女が必要です。絶対後悔させません。貴女が欲しい……とかですよ。あまりに真剣に言うものですから、思わず頷いてしまいました」

 

 今思い出しても顔が火照ってしまう。

 

「……」

 

 ん? 何か千川さんが動きを止めているぞ。

 と思ったら目が凄く泳いでいる。顔色が悪くなっているし、表情も何か「やっちまった」って感じだ。

 

「あの、如月さん……一つ、いいでしょうか?」

「何でしょうか?」

「今の台詞をプロデューサーさんに言われて……その、どう思われました?」

 

 どう思ったか?

 前世含めて、誰かにあそこまで強く必要だと言われたことがなかったから、驚いたというのが率直な感想だ。

 あとは、あんな風に誰かに必要とされた事がなかったから嬉しかったのを覚えている。僕の人生において数少ない良い話の一つだから、死ぬまで覚えておくつもりだ。

 

「率直に言って、凄く嬉しかったです。情熱的で……あそこまで、まっすぐに求められたことがなかったので……とてもドキドキしました」

 

 同性からとはいえ必要とされるのは良いことだ。仕事ができる人間に必要と言われるのは何か良いよね。前世では出来る上司を持つ機会がなかったから余計新鮮に感じる。あんな人が上司だと仕事にもやる気が出るだろうね。

 こんな感じでいいだろうか?

 

「……」

 

 反応が無いと思ったら千川さんが小刻みに震えていた。

 大丈夫だろうかと心配になる。

 

「顔色が悪いようですけど大丈夫ですか?」

「大丈夫です……いえ、大丈夫じゃない?」

 

 どっちだよ。

 

「あの、気分が優れないようでしたら誰かお呼びしますけど?」

「いえ、本当に大丈夫です。大丈夫じゃなかったですが」

 

 だからどっちだよ。大丈夫なの? 大丈夫じゃないの?

 

「とにかく人を呼ぶ必要はありませんので」

「それならいいのですが」

「……むしろ誰か呼ばれて事情を訊かれても説明できません」

「? 何か言いました?」

「いえいえ」

 

 取り繕った笑みではぐらかされてしまった。まあ、問題ないのならいいんだけどさ。

 

 

 しばらくするとプロデューサーがやって来た。

 表情から察するに上手く纏まったようである。先程より幾分明るくなっているのがわかった。

 対して隣の千川さんが困った奴を見る目でプロデューサーを見ていたが、こちらは表情から理由を読み取ることはできなかった。

 

「全員が如月さんの採用に納得されました」

「それは良かったです」

 

 予想していたこととはいえ、こうしてきちんと言葉で聞くと安心する。

 これで晴れて僕はアイドルになったわけだ。

 そう思うとテンションが上がるというものだ。苦節十五年の苦労が報われたのだから当然である。色々な人に迷惑をかけ続けた分、これからは恩を返せるようになろうと僕は心の中で決意の炎を燃やすのだった。

 

「……」

 

 しかしそれも、プロデューサーの表情が少し硬いことに気付いたことで萎んでしまう。

 何その不安を煽るような顔は。普段から硬い人がより硬い顔をしていると不安しか湧かないんだけど。まだ何か僕に試練を与えるつもりですか。

 

「どうかしましたか?」

「……いえ、何も」

 

 恐る恐る訊ねてみるとはぐらかされてしまった。何か僕について言われたのだろうか。それは僕にとってあまりよろしくない類の話だったとしたら彼が黙っているのも仕方がない。こういう時に全部言って欲しいと思うのは僕の我儘だ。

 でも頼って欲しいと思う僕も確かにここに存在するのだ。それを否定するわけにはいかない。いつの日かこの人に頼られる人間になろうと密かに誓った。

 

「これをもって本日の審査は終了です」

「はい」

「そして、今この時から貴女はシンデレラプロジェクトのメンバー……アイドルになりました」

「アイドル……」

 

 改めて言われると感慨深いものがある。

 率直な感想は「嬉しい」だった。それ以外の感情もあったけれど、やっぱりこれまでの苦労が報われたら嬉しいんだ。それが一番だった。

 

「私を見付けてくれて本当にありがとうございました」

 

 万感の思いを込めて頭を下げる。

 見付けて貰って本当に良かった。この人で良かった。

 アイドルになれて良かった。

 

「ありがとうございます、プロデューサー」

 

 もう一度感謝の言葉を贈る。何度言っても足りないくらいにありがとうの気持ちが止まらない。

 ありがとうの言葉以上に、この気持ちを伝える言葉が存在しないことがもどかしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 オマケ

 

 プロデューサーと千川さんの見送りを受け、建物をあとにした僕は足早にその場を立ち去った。

 早く。

 早く、早く、早く。

 もうすぐチートが切れる。切り替わる。

 すれ違う通行人の間を擦り抜け、人通りの少ない路地裏を探す。

 

「あった! ──うぐっ?」

 

 都合の良さそうな路地裏を見つけて気を緩めた瞬間、チートの恩恵が切れた。

 ”如月千早”が身体から抜けていくのがわかる。一瞬だけ、こちらを心配する女性の気配を感じた。完全同調はこれが初めてだけど、今のが千早本人だったのかも知れない。

 だが、今はそのことに構っている暇はない。

 すでにチートは切れている。ここからパッシブチートに切り替わるまでの間を誰かに見られるわけにはいかない。

 ふらつく足に鞭打ち、最後の力を振り絞って路地裏へと駆け込んだ。

 

「つ……」

 

 ブツン、という何か太い物が千切れたような音が頭の中に響いた。

 

「あ……」

 

 瞬間、体から全ての力が抜け落ちる。

 ぎりぎりで路地裏に入った僕は、そのまま地面へと前のめりに倒れ込んだ。

 受け身を取る余裕すら無い。完全に体が脱力して、腕で体を庇うことすらできなかった。何とか顔面から着地することだけは回避する。

 

「あ……あ」

 

 体中が痛い。

 頭から爪先までが丁寧に摺り潰されるような感覚が途切れることなく襲う。

 崩れた細胞と、パッシブチートに切り替わったために新たに創られた細胞とが入れ替わる感覚。

 崩壊よりも再生の方が早いためか、細胞同士が押し合いになり身体を内側から弾き飛ばそうとする。

 

「……あ」

 

 叫ぶ力すら湧かない。

 ただ、激痛と不快感の波に魂ごと漂白される感覚に意識を飲み込まれないように耐えることしかできない。

 今意識を失えば、次はいつ目が覚めるかわからない。

 痛みすら気付けに利用して、必死で意識を繋ぎとめる。

 

「……う、う」

 

 必要なことだったから、後悔はしていない。

 でも、一つだけ気を付ければ良かったと思ったことがある。

 ろくに清掃もされていない路地裏の地面に倒れ込んだせいで、お母さんに買って貰った服が汚れてしまった。

 

「ふ……ふふ」

 

 この状況で服の心配をした自分に笑い声が出た。激痛の中でも笑い声って出るものなんだね。

 自分が笑っていることに気付かぬくらいに、今の僕は余裕が無かった。

 

「あ、は、はは」

 

 激痛と虚脱の中、僕は一人路地裏で笑い続けた。




三行あらすじ。

武P「どうも、ファン1号です」
千早「うおお、よろしくアルティメットバースト!」
面接官&ちひろ「ぐわああああ!」(心ボキッ)

以上。


ちひろが最初から仲間側だと思ったか!? そんなわけあるか、この馬鹿めー!
実は最初敵寄りだったちひろさん。でも黒幕ではない。中立寄りの敵側程度です。

?「千川ちひろが絆されたか。しかし、やつは如月千早アンチ四天王の中でも最弱。問題はない。小手調べとしては丁度良かったというもの」(精一杯のキャラ作り)
?「それってー、データとりってことですかー?」
?「捨て駒とも言うわね。わかるわ」
?「誰がとりをやるか、とりあいですね。ふふっ」
?「あの、四天王と言いながら五人以上いるんですけど……」

くっ…!
アンチ四天王(四人とは言ってない)だと?
いったいどこのどいつなんだ…!?
まったくわからない!

前のあとがきで千早がかなり嫌われているような事を書きましたが、全員が全員千早を殺したいほど憎いと思っているわけではありません。安心してください。
「なんかこいつ嫌な感じのやつだな」程度が大半です。まあ、第一印象でそれ以上の良評価が絶対貰えないというのも大概ですが。体質だから仕方がない。
しかし、良くないと言いつつ、そこまで黒くないのがアイマスクオリティ。
「こいつ(千早)さえ居なければ……」
みたいな病み〜な人はそんなに居ません。十人以上は居ないと思います。


第一回、チート覚醒回。

今回のチート覚醒により、千早の価値観変動が起きました。チート先の千早の価値観を僅かながら貰ってしまっているのである意味副作用。
それ以上にプロデューサーというファンを得たことで舞い上がっています。混乱してテンパってやらかし具合に拍車をかけています。詳細はアルティメットな初仕事参照。


面接官達は千早を追い込み過ぎましたね。
自己完結タイプの千早ならば、面接官から早々に諦める選択肢を提示されていたら終わっていました。しかし、駄目押しのつもりで追い込んだら逆に覚醒されたという展開。
メンタルクソザコナメクジの千早ですが、一人で抱えて耐えるのは得意です。二年どころか、生まれてから十数年も抱えて生きてきたくらいですから。
抱えている間に追い出せば良かったのに追い込んだことで千早が武Pに頼るという選択肢をとられました。一応武Pに頼るのを阻止するために彼を室外に待機させたわけですが、それもチート能力であっさり突破。
千早は自分を肯定されることの喜びを知ってしまいました。武Pからの信頼=自分への自信となり、自分がこれまで積み上げて来たことの強さに気付きました。そこからはもう「この程度の圧力がなんぼのもんじゃい」という感じです。
面接官達からすれば、それまでオドオドと視線も定まらず言動がふらふらしていた変な少女が、いきなり人が変わったように真顔で反論してきたわけですから本当に誰だコイツ状態だったでしょう。
努力も覚悟も実力も、プロデューサーというファンに選ばれた自分の方が落ちた相手より上だという自信を持ちました。
そこからは面接官達がなにを言っても「だからどうした?」と一ミリも揺るがない精神性を発揮したため、彼らには千早を自主的に辞めさせる選択肢がとれなくなりました。
面接官側としても強硬手段で無理やり不採用はできない状態になっており、あくまで千早本人が辞退したという体裁が必要でしたので、ナイスミドルさんが歌うことを許した時点で詰んでます。
で、実際歌を聴いてみたらイカれた努力に相応しい化物染みた実力者だったとわかり、その後武Pのダメ押しのポエムで満場一致で千早は採用となりました。

ちなみに、あれだけ最終選考に残った子を推していた面接官達が何で未央の方を採用したのかというと、単純に未央の方が優秀だっただけです。
未央は千早と違って面接官(審査員)達の価値観的に沿って勝ち進んで行った子なので、面接官達にも気に入られていました。
落ちた子は未央と同等の才能を持っていましたが、武P基準では落ちた子の方に魅力を感じなかったので不採用。スマイルオブパワーに相応しい未央が受かったというわけです。
卯月は最初からスカウト枠としてカウントされていたので対象外。オーディション枠を1枠削る原因かつ武Pの仕事放棄の原因かつ無駄に時間使うことになった原因の千早だけが嫌われてました。
今回審査ではなく面接を受けさせられたのも千早には不利になる要素でしたね。

後日、千早がどんな努力をして来たのか知った面接官達は「あ、こいつやばい方のやばい奴だった」と理解し、すぐに武Pを呼び出し千早の扱い方について会議を開きました。
雪の中ダンスレッスンするで→寒くて体動かないぜ→体が動かない場合の練習になるぜ→意識が朦朧としてきたぜ→限界に近い時でも動ける練習になるぜ→体が動かないし雪が積もって生き埋め状態だぜ→体力ゼロから復帰する練習になるぜ。
ダンスの練習するぜ→24時間ぶっ続けで踊ってたら足が折れたぜ→足が折れた状態でライブやる練習になるぜ。
そのほか、富士山往復ダッシュ、青森尻屋崎〜北海道稚内トライアスロン(自転車無し)、富士の樹海でのサバイバル、というお前本当にアイドルを目指しているんだよなという突っ込みが入る自主訓練内容を知った面接官達は頭を抱えました。
こんなイカれた練習をやっておいて自信を持つまで努力不足だと思っていた狂人の扱い方など一般人の彼らにわかるわけもなく、すぐに「手綱とってね? 頼んだよマジで」と武Pに一任してしまいました。

面接官「話がちげーじゃねーか! 誰だスカウトされて浮かれている世間知らずのガキだって言ったやつは! こっちは一般人なんだよバカヤロウ!」
未央「」←面接官のせいで無駄にハードルを上げられた人。


今回落ちた子に対して千早がどうでもいいと言っていますが、感情移入は結構しています。自分と同じ絶望を味わった仲間として。
卵編でも初仕事編でもたびたび相手のことに言及しています。が、具体的にどういう子だったのか教えて貰えてないので、どうしても扱いは軽くなってますね。面接官側には思い入れのある子だろうと、千早からすると顔も名前も知らない唐突に現れた他人なので。
今回千早の対比役として存在だけ示唆された落ちた子ですが、彼女も上げて落としてという絶望を味わっています。しかし、絶望具合で言えば落ちた子はオーディションに落ちただけです。千早の方は十五年の人生の全否定とアイデンティティの崩壊も同時に訪れたわけなので上な気がします。
それでもどうでもいい、甘ったれるなという言葉は強く厳しい言葉だったと思います。普通の人は相手が目の前にいなくても言いません。千早の場合は本人を前にしても言います。


普通に考えて今回のお話は武Pと千早の方が悪者ですよね。
ただ、そもそもオーディション枠がアニメと違い2枠になった理由まで遡ると武Pの方が被害者になります。じゃあ被害者なら何してもいいかというとそういうわけでもなく。じゃあ被害者は何してもいいわけじゃないとなれば、今回千早にヘイトが集まったのも筋違いになりますし・・・という、誰が悪いの論争。
まあ、誰が一番悪いかと言えば…専務じゃないかなー、とだけ。


アニメ2話目の時間軸で究極進化済みの歌唱力持ちがラスボスじゃなくて主人公という理不尽。被害を被るのは他事務所ではなく仲間の方。ジムバッヂ1個しかないのにレベル80のカメックス拾っちゃったような感じでしょうか。
しかも「この千早は覚醒するたびにチートがはるかに増す・・・その覚醒を2回も残している・・・その意味がわかるか?」という絶望。チートの方もまだまだ伸びしろがあります。

今回の一件で改めてプロデューサーは自分が釣った魚の大きさに驚いたことでしょう。正念場と言える最終面接を千早本人が自力で乗り切ってくれたので非常に助かったはずです。仮にこの面接が駄目だった場合、プロデューサーは最終兵器の発動を余儀なくされました。それが何かはプロデューサー視点で。
釣った魚の千早ですが、この魚はエサ代がほぼかからないくらい低燃費です。チョロインなので。笑顔で頭を撫でながら「君が必要だ」と言えば一生付いて来るレベル。本人には自覚がありませんが如月千早を必要とされることに飢えてます。そこを的確に突いた武Pはラスボス系チートアイドルが最初から味方状態。
ギャルゲで言えば幼馴染ヒロイン枠。簡単に個別ルートに入れる。しかしルート確定後は選択肢1個間違えると即バッドエンドみたいな面倒なチョロインです?



次回は初めてのライブに向けて千早達三人がレッスンを受けます。
卯月と未央という初心者と一緒に練習することになった千早ですが、誰かと一緒に何かをやるという経験が一度も無いという事実に気が付きます。
他人を排して来た千早に他人と合わせることができるのか。
毎回リズムが違う(ミリ秒単位で)。毎回振り付け位置が違う(ミリ単位で)。
そんなズレている二人を前に「ユニットメンバーに合わせる」ことの困難さを知った千早がとった行動とは。

千早「……投影 ( トレース )……開始 ( オン )」(言ってみたかっただけ)


次回「アルティメットな初ライブ」

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