MGSV:TPP 蠅の王国 創作小説   作:歩暗之一人

7 / 8
序章から終章まで、一部リライトして結合したものです。シナリオの大部分に差異はありません。


MGSV:TPP 蠅の王国 創作小説  完結版

これから俺たちは伝えていかなければならない。あの時代の、記憶と体験、罪を。

子供達が後世にわたり、俺達の意思を継いでくれてこそ、俺達は本当に勝利したといえるのだ。

盲目の策士

 

 

 

 

 

MGSV:TPP 蝿の王国 

 

 

この目を見ろ…。事故で失くして、かたっぽは作りもんだ。

その時から俺は、片方の目で過去を見て、もう一方で現在(いま)を見てた。

目に見えてるもんだけが現実じゃない…そう思ってた。

――――――――――――――――『カウボーイビバップ』 スパイク・スピーゲル 

 

 

序章 ソウキ

 

水平線を見つめる隻眼の男がいる。砂浜の海岸沿いにぽつんと建っているぼろ小屋の窓から、曇天の空と鉛色の海の、その境界すら怪しい水平線を真っ直ぐ見つめるその目は確かにその景色を写していた。しかし、失ったもう片方の眼帯の奥の瞳にはかつて同じような風景を見つめていた記憶の中の心象が投影されている。

 

―また、同じように始めなければならない。他に生き方を知らないのだから。彼女と決別し、そう生きると決めたのだから。そして、九年の時を経て目覚め、あいつらのおかげで今こうしている。どんな濁流にも飲まれない、生きるための力を、国を、創りあげなければならない。たとえそれがこの部屋ほど僅かな領土からでも。時代という、御するには人の手に余る怪物との闘争はまだ続いている。九年という、ちょっとした休憩と呼ぶには少し長いブランクも物ともせずに、この足で立ち上がらなくてはならない。

 

濁った水平線に異彩を放つオレンジ色のボートが見えた。波にもまれ流されるままに海岸に接近していく。奴の情報通りだ。思い出の中の嵐のような悪天候になる前でよかったと胸をなでおろし、葉巻の火を消して部屋を出る。まずは監視の排除。そして彼と合流し、独立の準備を進めるのだ。泡沫のような平和は終わった。以前のような関係は最早望むべくもない。だが、どれだけ冷酷であっても必要であれば成し遂げなければならない。そんな哀しみを、自分はもうずっと昔に経験したではないか。

こんな哀しみは伝えてはならない。その哀しみがあったという事実さえ伝えることは許されない。蛇は一人でいい。

たとえ天国の外側でも、兵士にとっての楽園となる世界をこじ開けていくのだ。

 

 

 

――男はバイクに跨り小屋を後にした。

 

 

 

一章 ショウ

 

傭兵派遣を生業とする私設武装組織ダイアモンドッグズ、その司令部を担う司令プラットフォームのオペレーションルームは今朝から慌ただしく稼働していた。司令部のバックアップメンバーと諜報班の情報整理、そしてこれから行われる作戦の下準備に追われている。正確には、その準備の殆どは行われる『かもしれない』作戦の準備だ。一流の医者があらゆる可能性を想定して外科手術に臨むように、見えない備えはより良い結果を得るために必要不可欠だ。たとえその労力の大半が日の目を見ぬまま終わるとしても、それが命がけの現場ならば尚更だ。肝心のその作戦とは、一言で言えば「家出した子どもを連れ帰る」ことにほかならない。ただ、その子どもが世界を相手取る度量と手段を持っていることが、その作戦を命がけ足らしめている。

作戦の総指揮をとるのはダイアモンドドッグズ副司令のカズヒラ・ベネディクト・ミラー。ダイアモンドドッグズの発起人であり、傭兵派遣というビジネスそのものの生みの親でもある。現地指揮はリボルバー・オセロットと名乗る、ミラーと双肩をなす組織の幹部が務める。敏腕の工作員として世界中で暗躍し、戦闘、指揮、潜入工作、人心掌握、尋問といったあらゆる面において優れた才を持つ男だ。アフガンでは『シャラシャーシカ』と呼ばれ恐れられている。多くの名を持ち、その全てを巧みに扱う世界でも指折りの諜報工作員である。しかし現地指揮とは作戦の第二段階、行われるかもしれない部分の指揮を指し、第一段階では通信によるバックアップ要員でしかない。作戦の第一段階、この任務の初期目標はたった一人の潜入工作員による敵対勢力の排除、目標の武力解除と回収である。誰よりも先頭にたった一人で立ち、すべてをその四肢でこなすその男こそ、ダイアモンドドッグズ総司令にして戦場では伝説として語られる男。BIGBOSSの称号を与えられ、VICBOSSと讃えられ、スネークと名乗る、復讐者。

 

 

〈ボス。諜報班から連絡だ。至急オペレーションルームまで来てくれ〉

昨晩、突発的な問題(サイドオプス)を解決してマザーベースに帰還し休養をとっているとミラーから通信が入った。事態への迅速な対応をとる指揮官然としたいつものミラーの声は、責任と負い目を感じさせる重苦しさを隠せないでいた。義手、時計、眼帯、髪と他人より少し手間のかかる身支度を素早く済ませる。鏡に写るその顔には幾つもの傷跡が、そして視力を失った右目の少し上には黒光りする塊が額に埋没している。右目以外の傷と、左手の肘から先を喪ったのは九年前の惨劇の時だ。九年間の眠りから覚醒して幾ばくかの時を経た今でも、思い出すだけで全身の傷が疼く。体に存在(Sein)する鉄塊や骨片はもちろん、今は喪われたそこに在るべき(Sollen)幻肢すら痛みを伝えてくる。義手<バイオニック・アーム>に慣れても、この幻肢痛に慣れることはない。たとえ過去をやり直せても、7(Zain)回繰り返せば失くしたものを取り戻せるなんてことはない。

意識しだすと痛みも怒りもその激しさを増していく。頭を切り替え、部屋を出た。

 

建物の外に一度出れば、潮と硝煙の匂いが鼻をつく。ダイアモンドドッグズの本拠地であるマザーベースはインド洋、セーシェルの海上にそびえ立つプラットフォームの集合体だ。はるか上空、宇宙からの衛星写真なんかには海上に点在する建築物が線でつながっているように見えることだろう。海中からそびえたつ支柱の上に、四方数十メートルの四角い甲板が仮初めの大地を成している。初期に比べ規模はかなり大きく、離れたプラットフォームへの移動には車輛を使うほどだ。役割ごとにスタッフを班別に編成し、その班ごとにプラットフォームが4基ずつ建設されている。戦闘班、研究開発班、諜報班、医療班、資源開発班、支援班の6班が存在し、その全てが中心にある司令プラットフォームにつながっている。九年前の惨劇で喪った家(ホーム)をそのまま拡大したような、俺達の新しい家だ。もともと鉱物資源会社が建設した試掘プラントだったが、今では資源採掘設備はもちろんのこと私設軍隊の本拠地として武装や警備システムをも備えている。世界中他の海洋上にもFOB(Forward Operating Base)と呼ばれる同様の前線基地が幾つか存在する。プラットフォームを移動する道中、警備や海鳥のフンの掃除、射撃訓練中の兵士の挨拶に応えながら、司令プラットフォームのオペレーションルームに到着した。

 

室内に入ると慌ただしく動くスタッフが全員手を止め、席を立ち敬礼を向けてくる。国家に所属する正規軍ではないのだから、緊急時くらいはこうした堅苦しい動作は省きたいのが正直なところだ。しかし、規律のために可能な限りやるべきだというミラーの意向が優先されたのが現状だ。なにより、スタッフ全員が自主的にそう考えていると言われてしまえばもう口は出せない。片手を上げてそれを制するとスタッフは作業に戻った。続いて地図を囲む指揮官クラスのスタッフに指示を出すミラーのもとへ歩み寄る。

片足を失ったミラーは杖を器用に使って半身をそらし、一度合わせた目線をすぐに地図へ戻しながら口を開いた。

「イーライ達の逃亡先だが」

「判ったのか」

イーライ。アフリカではホワイトマンバと称されていたこの少年は現地の少年兵を集め、独自に組織化。マサ村落(ワラ・ヤ・マサ)に拠点を置き、その少年部隊のコマンダーとして周辺の村落での略奪行為を働いていた。以前、その回収を目標とした任務を実行。以来マザーベースで暮らしつつ幾つか問題を起こしていたイーライは先日、同じく回収されていた子供達を引き連れてマザーベースから逃亡していた。

逃走ではなく、逃亡。

国を離れる亡命者が手土産に研究データや極秘情報、極秘兵器を持ち出す例は枚挙に暇がない。イーライもまた同様にただ逃げるのではなく、手土産を持って距離をとったに過ぎない。亡命者が手土産と引き換えに他国での生活を手に入れるように、イーライもどこかに居場所を創り上げるつもりでいるのだ。その二つの手土産を利用して。

「特定はまだだが、脱走に使われたヘリのパイロットが話してくれた」

「それで」

「サヘラントロプスとヘリはマザーベースを離れた後、海上で別々の方角へ向かったそうだ。ヘリはまっすぐ大陸へ向かい、海岸線を越えて50マイル(80キロ)ほど内陸に入ったところで燃料が尽きた。子供達はパイロットをシートに縛り付け去っていった。ツタとダクトテープを巻きつけられたパイロットは、メディックが発見した時には脱水症状で死ぬ寸前だったらしい。」

ダクトテープにツタ。おそらくテープでは事足りないと考えてのことだろう。アフリカの子供達には効率的な縛り上げ方といった知識も、ダクトテープのような工業製品の使用経験も不足している。しかし自然を利用する術には長けていることも事実だ。原始的だからといって侮れない。どれほど進んだ兵器があっても、最後には拳がモノを言う場面も少なくはない。

「子供達がパイロットを殺さなかったのは――」

「ああそうだ。俺たちを待っている。決着をつける気だ」

逃亡した子供達の中でその中核をなすイーライはその手土産の一つ、直立型二足歩行兵器、通称『サヘラントロプス』を駆りダイアモンドドッグズと正面から対立するつもりでいる。たとえそれがなくとも反旗を翻すだけの反骨心と野心、そして報復心があの坊主にはある。

「サヘラントロプスと子供達が去った方角を基に諜報班が捜索範囲を絞り込んでいる。HECからの補足情報もあわせて、もうすぐイーライたちの目的地が特定出来るはずだ」

 

HEC。HUMINT Exploitation Companyの略称で、人的諜報開発会社を意味する。マザーベースに着いた初期、カズの治療が安定した頃に本人から聞かされた話を思い出す。かつてのサイファーと同様の手口で世界中の紛争地帯に潜入調査因(モール)を潜りこませ、カットアウトを通して手広く情報を収集する。その複雑性が匿名性を高め、身を守る盾にもなる上に仕事を請け負う複数の現地窓口にもなる。九年間の昏睡状態の間、カズはこの方法で部隊を拡充していた。

 

「だが一つ、気になることがある」

どうやら事態は単純に前進しているだけではないらしいことが窺える険しい声でミラーは続けた。

「近辺の村で『中空を行く巨人の目撃談』を聞き回っている連中がいるらしい」

巨人――それも宙を浮いているとなれば、それはイーライが持ち去ったサヘラントロプスに違いない。直立型二足歩行兵器であるサヘラントロプスは本来有人制御、つまりパイロットが乗り込んで直接操作する兵器として科学者エメリッヒ博士が設計、製造していた。しかし姿勢制御AIの小型化に成功したもののコックピットの確保には至らず、全体用量を増加させると重量過多の非現実的なサイズになるなどの問題で計画は難航。九年前の、いわゆる『ピースウォーカー事件』の遺産である特殊なAIを回収しソフトウェア周りを改善するも有人の直立二足歩行には問題が山積していた。そんな中、突如現れた正体不詳の少年の超心理学的な、超能力とでも言わねば説明のつかない特殊な能力によりサヘラントロプスは直立二足歩行機動を実現。当初の想定をはるかに超える軽やかな身のこなしでダイアモンドドッグズの前に立ちはだかった。それもそのはず、全高数十メートル、輸送に複数のヘリを導入し、あまつさえ運んできただけでマザーベースの研究開発プラットフォームを2フィート(60cm)も沈める、まさに巨人と呼ぶにふさわしいその巨躯を少年は宙に浮かせたのだ。

あの巨体を動かすにあたって、重さというウィークポイントを克服できる魔法があるなら、二足歩行で戦闘機動をとることなど造作もない。

その事実を知り、そして探し求めている連中がいるということは――

「まさか」

「そう、サイファー(XOF)だ。スカルフェイス亡き後も組織は健全に機能しているというわけだ。アフガニスタン以来、奴らはサヘラントロプスを追い奪い返そうとしている。サイファーが俺たちの先を越せばサヘラントロプスだけじゃない、イーライが持ち出した英語株――声帯虫まで奴らの手に渡ることになる」

俺が昏睡から目覚め、スカルフェイス率いるXOFとの争いを続ける中でその存在が明らかになったスカルフェイスの陰謀の核を担う寄生虫。他人の声帯に寄生、同化し、予め学習された対応する言語に反応して発病し宿主を死に追いやる、その言語とヒトを同時に滅する悪魔の名が『声帯虫』。そしてイーライが持ち去ったもう一つの手土産である『英語株』は、文字通り英語話者のみを殺戮する声帯虫を指す。

「スカルフェイス亡き今、指揮系統はすげ変わっている可能性は高いが、なんにせよ奴らの手に再び声帯虫を渡すわけにはいかない」

「ああ。子ども達も安全に保護される可能性は万に一つもないだろう。直近のFOBに待機している戦闘班の予備部隊にも捜索隊に回るように指示を出せ」

「了解した。警備レベルは下がるがやむを得ん。ヘリによる捜索部隊の編成を急がせよう。新しい報告が入り次第連絡する。ボス、装備を整えて待機していてくれ」

オペレーションルームの喧騒を後に、研究開発班へと向かう。

状況によっては、アレが必要になる。

 

 

***********

 

 

最初はちょっとしたイベントやイタズラのつもりだった。少なくとも僕は。周りにいるのは最新鋭の、その仕組さえどうなっているのかよくわからないような装備で武装する兵士ばかりで、なにをどうやったところで勝てっこないって判ってた。僕達が本気で挑んでもお互い怪我くらいで済むし、終わった後はこっぴどく叱られればいい。このまま机に座ってお勉強して仕事に就く事ができるならそれはすごくすごくありがたいけれど、逆に言えばせっかく覚えた銃の撃ち方も人殺しの知識も無駄になる。僕以外のみんなは勉強のありがたみよりも戦場の空気の方が大事なようだった。大事というか、それ以外を知らないし、知らないから不安なんだと思う。誰だって自分が知らない土地や人、言葉には不安を覚えるし、それが生き方だなんて言われたら無理も無いだろう。それにここのお医者さんが言うにはガンパウダーとかコンバットなんとかのせいで、僕たちは殺しあいを楽しむように仕向けられたらしい。だから僕以外のみんなはイーライに賛同する子が多かった。

大人と子供という線引きは、いや、こちら側とあちら側という風に線を引くことさえできれば人はそれだけである種の敵対心を抱くことが出来るんだ。その溝を決定的なものにしたのはラーフの死だった。別に大人に何かされたわけじゃない。ただの事故死だった。でもケッキのきっかけには十分だった。その日から、みんなの大人を見る目が変わった。みんながみんなラーフと仲が良かったわけじゃない。それでもラーフの死に憤りを感じて見せて、その怒りの矛先を大人に向ける。トドメはイーライの言葉だ。

「俺達はこんなところにいるべきじゃない。こんなところでは、俺達は生きていけない。自分たちの居場所に帰る。自分たちの力だけでも生きていける場所に。大人も、世界も、すべてが敵だ。誰も守っちゃくれない。生きる糧は、戦場にある。そのためには自分たち自身が行動しなければならない。まだだ。まだこんなところで終われない」

イーライは他の子供達にそう言っていた。でも、一番はイーライ自身に言っているような気がした。

みんながあいつに従ってた。そもそもイーライがいなければみんなこんな事考えなかったと思う。もし考えても、実行しようとは思わなかったはず。でもあいつには人を引き付ける何かがあるように感じたし、実際僕もそうだった。そのうえあいつは僕がみんなと違って戦場に帰りたいと強く願ってはいないこと、そしてあのロボットに惹かれていることを見抜いていた。大地にその足で立つ巨大な鉄の塊に、僕はなんとも言えないロマンのようなものを抱いていた。もっと間近で見てみたかったし、どうやって動いているのか知りたかった。それに感づいていたイーライはそのロボットを作った博士がいる部屋への誰にも見つからない入り方(子供しか入れない換気ダクトの出入り口)を教えてくれた。エメリッヒ博士は最初こそ動揺していたけど、あのロボット――サヘラントロプスの事を聞くとそれはもう楽しそうにいろんなことを教えてくれた。僕もそれが楽しくて、いろんなことを覚えた。それが嬉しくて、イーライにもその話をしたし、もちろんお礼も言った。その時イーライが言ったんだ。

「あのロボットがまた動くようになれば、博士もみんなも助かるし、何より楽しいだろうな」

 

僕はその好奇心にどうしても抗えずに博士に尋ねた。

――どうすればまた動かせるようになるの

 

博士はそれまでの楽しいだけの口調から、少しどろどろした感情が見えるような不思議な真剣さを備えた雰囲気に変わった。その日から『僕らの計画』が始まった。僕の質問に応えるように細かい図面や器具の扱い方をメモした資料を博士が準備し、僕とイーライが修理を実行する。僕一人では手が足りないけど、他の子は足手まといにしかならないからという理由でイーライが手伝ってくれた。なにより僕達子供専用の居住区には監視もいるし、そこからサヘラントロプスがある研究開発班のプラットフォームまでは警備の兵士ももちろんいる。その監視の目をかいくぐってスニーキングするためにイーライは必要不可欠だった。まるで相棒(バディ)のように、とまではいかないけど、大人の目をかいくぐって一緒にぬけ出すのはそれだけで楽しかった。そして博士の指示通りに修理は進んでいった。

同時にイーライはマザーベースでのケッキの計画を動かし始めた。食事の時にこっそり持ちだしたナイフやフォークを研いだ刃物や資材置き場のくず鉄や廃棄になった武器から作ったボウガン、キッチンから盗んだ洗剤とくず鉄でちょっとした爆薬も作った。ほとんどがイーライの入れ知恵だ。その時間稼ぎのために何人かの子供がマザーベースから逃げ出した。故郷へ逃げて時間稼ぎをしつつ仲間を増やしている間に残った子供たちが準備を進める計画だった。でもイーライが大人たちに連れて行かれて、逃げた仲間も少しずつ捕まって行く頃に、その内緒のイベントもバレてしまった。全てがイーライ頼みだったせいで、いろんなことでボロが出始めたせいだった。作った武器は取り上げられて、監視も増えた。

僕はそれには安心した。実際にはケッキも起こらず、けが人も出なかった。でもサヘラントロプスの修理は続けたかった。イーライと一緒に潜入した移動ルートは覚えたし、あと少しで完成すると思うと、いてもたってもいられなかった。

そして最後の仕上げを残すのみになった頃にエメリッヒ博士がマザーベースから追放された。ずっと前から監禁されていて会えなかったけど、機械のことをたくさん教えてくれた博士がいなくなったのは素直に寂しかった。博士の意思を受け継ぐように、というのは僕の勝手な解釈だけど、サヘラントロプスの修理に勤しんだ僕は、ついにそれを成し遂げた。理論上はこれで動くはずだ。

スカルフェイスが起動していた間の稼働情報はAIが学習していた。そのデータを基に組み上げたプログラムによるアップデートにより姿勢制御、マニュピレータ制御の向上によるバイラテラル角の調整がもたらす武装の取り回しの改善、変形による重心移動がもたらす歪みの調整等、ソフトウェア面も改善しているはずだ――と博士は言っていたけど、それは実際に動かしてみなければ分からないし、動かしても僕にはきっとわからない。僕ができたのはハードウエア面の破損部分を言われたとおりに直すこと。いくら知識を学んだとはいえこんな短時間にプログラミング言語をマスターしシステムをいじることは難しかった。今までの僕らはひたすら銃を握らされ、敵だと教えられた相手や、自分たちの民族や部族、家族を殺した相手への報復に忙しかった。両親から受けた愛情も、平和だった頃の思い出も、心ごとすべて殺して人を殺していた。そう強いられていたから。

だからソフトウェアに関して言えば僕はメモリーカードを差し込んだだけ。パソコンの前でボタン一つ押すだけであとは博士のプログラムが勝手に仕事をやってくれた。

僕はドキドキしていた。この巨人が、この足で立って歩いて武器を使い変形する。

日本という国では、そういったロボットが活躍するコミックやアニメーションと呼ばれる音が出て動くコミックがあると博士が教えてくれた。これはその意味で希望ともいえると。博士もイーライも、もう身動きはとれない。僕が成し遂げた。もちろん二人の協力なくしてはありえなかったけど、完成のその瞬間は僕一人だけのもので、その高揚感は銃で

人を殺した時なんか比べ物にならないくらいだった。殺し、奪い、生き延びることだけが全てだった戦場では味わえない感情――産み落とす快感を初めて知った。

動かしてみたい――そう思った。

でも、もうすぐ夜が明ける。見つからないように戻るには夜の闇を味方にしなければならない。僕はその人生で初めての燃え上がるような情熱を静かになだめながら、居住区に戻った。興奮よりも疲れが勝ったその夜の僕は泥のように眠った。

いつどうやって動かそう。自立して、一歩だけでも歩いているのが見られればいいな。そしたら大人たちがみんなびっくりして、きっと怒られるだろうな。でも、僕一人で直したなんて正直に言ってみんなは信じてくれるかな。そんなことを思いながら、まどろみに沈んだ。

 

 

その次の日だった。頭に響く声と痛みに誘われて強制的にヘリに乗った僕は、宙に浮くサヘラントロプスを横目に、イーライとケッキに乗り気だった子たちと一緒にマザーベースを離れ、今、彼が創りあげた王国の中にいる。

 

そのシンボルと化したサヘラントロプスとともに。

 

 

***********

 

 

世の中には魔法なんてない、と研究開発班の科学スタッフ達は言う。科学者ほど魔法や神と相性が悪い生き物はいないだろう。ただ、この世の中というのはあくまでそれぞれの主観であり解釈だ。百人しかいない村で百人が真実だと思えばその真偽は議題にすら上っては来ない。だから、だれが見ても魔法にしか見えなければそれは魔法になりうる。浮くはずのないものが浮いたり、銃弾が勝手に逸れたり、水面に人が立ったり。理解の埒外にあるものを説明するなら理解の埒外のものを用いなくてはならない。神や魔法がそうだ。しかし、戦場で相手が魔法を使うからと言ってそれを理由にただ犬死にするわけにはいかない。魔法の正体が高度に進化した科学であったり、何かしらの原因に基づく結果であるならば、対抗策を講じて突破する余地があるはずだ。そして目下打倒しなければならない神というのは、現代ではありえないようなオーバーテクノロジーで駆動する大型二足歩行兵器と、超強力なサイキックを行使する『第三の子供』だ。スカルフェイスとの闘争の中でこの両者と幾度か銃弾を交わし、そして最終的には打倒した。しかし正直、なぜ倒せたのか理解していない。その一瞬一瞬を生き抜くために戦い、鉄の巨人を地にねじ伏せたのはまだいい。件のサイキックは銃弾や爆薬すら無効化するバリアのような力すら持ち併せていた。その斥力場の前ではどうすることもできなかったのだ。もしその斥力場を展開されたままあの巨人が攻めて来ていたなら、如何な英傑も兵器も、核兵器でさえ傷をつけられたかわからない。諜報班の情報整理により、サヘラントロプス起動中に斥力場が展開されなかったことを考慮すると、そのサイキックにはリソース限界がありサヘラントロプスを動かしている間は斥力場が出せず、逆に他に力を使っていない状態では斥力場が展開可能であると考えるのが妥当だという仮説が提示された。最終決戦前、スカルフェイスに接触を図り奴を迎えに来たヘリを撃墜しようと撃ったミサイルや銃弾が無効化された斥力場が強力なのに対し、第三の子供の力により活動していた『燃える男』は銃弾を完璧に無効化、消滅させるのではなく、一度体内に取り込んだうえでエネルギーと共に拡散していた。つまりサイキックは無限ではなく、そのエネルギー総量のうち対象を操る部分と斥力場を展開する部分で分割され、一度に行使できる異能には限界があると考えられるのだ。

 

そうした諜報班のデータを基に、研究開発班と諜報班、作戦準備を指揮するミラーを除く司令クラスの幹部の間で対策会議が開かれた。研究開発班に到着した時には班のリーダーとオセロットが話し込んでいた。スタッフの兵装の製造から新兵器の試作、既存兵装の改良を主な仕事とするこの研究開発プラットフォームの会議室で今回の為の「新兵器」についての検討をしていた。

 

「ボス、ミラーから話は聞いたな」

「ああ、今度はかつてないほどの大仕事になる。なによりこれまでの検討が正しいとすれば、今度サヘラントロプスが動き出したら俺一人では手に負えん」

「そうだ。ま、あんたが作戦の第一段階ですべてを終わらせてくれれば俺たちは取り越し苦労で済むんだがな」

「さすがに今回は義手(スタンアーム)で一発、というわけにはいかないだろう。二度も幸運は続かない。それにXOFの動きもある」

気楽ではいられない事態の深刻さを再確認し、ため息をつきながらオセロットはひとつのファイルを寄越した。

「それで、だ。今研究開発班から上がってきたデータだが、やはり今度は自立する可能性も捨てきれないらしい。少なくとも、脚部関節にかかる負荷は減少しているそうだ」

勿論、イーライが持ち去ったサヘラントロプスのことだ。研究開発班がコンピューターに残ったデータからデータ上でシミュレートした結果、サヘラントロプスはやはりただ修復されただけでなく、主にソフトウェア面で改善されたことが判明した。エメリッヒ博士の置き土産だ。奴は自分では成し遂げられなかった二足歩行をスカルフェイスが成功させていたことに嫉妬心を抱いていた。今度こそ自分の手で、というのが奴の願望だったはずだ。それを子供たちを通じて試行錯誤を繰り返していたということだ。このデータが導く、決して無視できない予測がある。

「ボス、以前報告された諜報班のデータと今回のデータをまとめて再確認するぞ。第三の子供のサイキックはサヘラントロプスの戦闘マニューバを実現するためにそのリソースを使い切っている。だからあの強力なバリアを張れなかった。あのバリアを展開されれば通常兵器は無効化され、こちらは歯が立たなくなる。そして今回イーライが持ち去ったサヘラントロプスは武装も完璧、ソフトウェア改善により自立行動の負担も軽減している。つまり――」

「以前同様の戦闘マニューバに加え、潤沢な武装と無敵のサイキックバリアのおまけつきというわけだ。まさにフルアーマー・サヘラントロプスだな」

「まあそういうことだ。正確には自立も完全ではない為、段階的には「燃える男」同様弾丸を完全無効化するまでには至らない段階のバリアだとは思われるが、どちらにせよ小銃レベルのダメージはサヘラントロプスには効果がない。ミサイル系統の武装に的を絞って無効化、もしくは弾頭を逸らされでもすればこちらには同じことだ」

「そのための対抗策として、コイツがあるんだろう」

会議室の窓から見えるドッグに佇む、戦車や装甲車より一回り大きな図体をした兵器を顎で指す。戦車の体躯に巨大な四肢が前足と後ろ足に別れて備え付けられたような脚部。機体上部の前方にはウォーカーギアの脚部と腕部をオミットした胴体部分が接続されており、操作系はそのままに新しい手足に対応させている。その後部は装甲に覆われており、ウォーカーギア搭乗時のような左右後方の隙はない。そして機体の右側面に搭載された試作型最新特殊武装。

熱核兵器――核ミサイルを隠語で槍(スピア)と呼ぶ。これはまさしく鋼鉄の槍そのものであり、稲妻をまとう雷槍。サヘラントロプスに搭載されていたレールガンを小型化、改良した超電磁砲。あらゆる地形を走破する足と戦車並みの頑健さを有し、対象の装甲を容易く穿つ新時代の戦闘単位。

エメリッヒ博士がマザーベースに来て以来、ウォーカーギアやその他の科学兵装と並行して制作していた新型戦闘兵器。完成したものの日の目を見ずに眠りについていた、新しい力。

「ああ、バトルギア。これを今、対サヘラントロプス――いや、対第三の子供仕様に改造、調整中だ。時間はまだかかるが急がせよう」

「頼んだぞ」

オセロットを一瞥し、研究開発班のリーダーの肩を軽くたたきながらそう言うと、会議室を後にした。

背後では慌ただしく作業を進める研究開発班スタッフの喧騒と、覚醒を控えた新しい相棒の低い駆動音が響いた。

 

 

 

二章  コンセン

 

アナタハソコニイマスカ――

――『蒼穹のファフナー』 フェストゥム

 

 

 

 

最初に知覚したのは痛みだった。

脳が震えるような、悪寒と吐き気を伴う、頭蓋に響くような痛み。

そしてまぶたの向こうから差す光を感じ、耳は風に揺られる葉と虫や鳥の鳴き声を捉えた。

ひどく重いまぶたを持ち上げると、目を灼く太陽の光が網膜に焼き付いてしまいそうなほど強く入り込んできて、一度目を閉じる。そこで、自分が土と草が成す大地に横たわっていると確信する。少し目線を逸らして地に手をつきながら上体を起こす。大丈夫。手も足もある。自分はここにいる。この感触も、この痛みも、僕の肉体が感じているものだ。なぜたったこれだけの、目を覚まして身体を起こすだけのことにこんなに苦労しなければならないんだろう。まるで何年も眠っていたかのような倦怠感が自分のモノのはずの身体を遠くに感じさせた。一歩下がった場所から僕の体を見つめるような、肉体からの剥離感。息を整え、五感をなぞる情報をゆっくり咀嚼するように感じ取る。少しずつ意識がはっきりしてくる。それと引き換えになるように、頭に響く痛みが引いていく。

 

あたりを見回して状況を確認する。ジャングルだ。視界に入る木々や草花から湿度の高い熱帯のように思われる。そして潮の香り。海が近いか、どこかの島なのかもしれない。

ここまでの経緯を思い出す。僕はサヘラントロプスの修理を終えて、その翌朝に頭の中に響いた声に誘われるようにヘリにのってマザーベースから離れた。宙に浮くサヘラントロプスやイーライたちとともに。信じられないような光景が蘇るけど今ここにある現実はそれが幻想や妄想でないことを物語っていた。

「気がついたか、フレーデ?」

突然声がした、声は篭っていて一瞬では判別できなかった。でも、僕の名前を呼んでいる。

「だれ?」

声の方向に振り返りながら問いかける。

「俺か?俺は世界を壊すもの。闘争と言う名の混沌で世界を塗りつぶす男だ」

そこには赤い防護服を着た少年がいた。

頭部はヘルメットに、フェイス部分はゴーグルと一体化した防護マスクで覆われているが、その眼光には見覚えがあった。その少年がマスクをとり、疑念は確信になった。

「まさか、イーライ?そうか君が――サヘラントロプスもこのために」

「そうだ。そしてお前にはこの国そのものと、その力の象徴であるこの巨人を診てもらう。そのためにお前をここまで誘導した。実際お前はよく働いてくれた。俺が奴らに監禁された後、俺の意思を実行するファントムが必要だった。そしてエメリッヒに代わり巨人を立たせるための足が。それがお前だフレーデ。こいつと声帯虫で、大人たちが組み上げた世界から自立し反逆の狼煙を上げる。この二つの、俺達のための世界を創り上げる悪魔の兵器でな」

 

理解が追いつかない。だが動物的本能が感じていた。イーライの怒りを。沸々と沸き立つ酸が自身を溶かすのも厭わずに、それより早く世界を溶かしてしまおうという熱量を。これは子供の反抗期や反骨心を理由にしていいものではない。自棄を起こして世界を道連れにしようというでもない。たとえ自分が溶け切ってしまっても何か芯が残るような、根底に刻まれた何かに裏打ちされた確かな歩みを持ち併せた報復心だ。

 

「これを着ろフレーデ。俺のと同じ防護服だ。子供で良かった、女物のスーツはなかったからな。島の外縁部に声帯虫をばらまいた。直にこの中心部にも到達するだろう。お前にもう逃げ場はない。大人しく協力していればお前の見たがっていたロボットの駆動する様子もしっかりと見物できるぞ」

急変する状況に置いて行かれ、目の前に死と凶悪な予感が対を成す鬼のように屹立している。

同じ区域から回収された子たち以外にはずっと隠し続けてきた、自分が女であるという秘密もバレている。

冷静になるためには鎧が必要だった。身体にも、心にも。

無造作に投げつけられたその鎧を、震える指先で握りしめた。この震えはどこから来るのか。死ではない。それはこれまでずっと隣りにいたものだ。もう一方の凶悪な予感が、冷静さを取り戻すとともに一つのビジョンを浮かび上がらせる。僕はこれを恐れている。

積み上がる脂、肢、死。

燻る髪と皮膚の匂いと、地にただ野垂れるその色さえなくした血。

土に横たわる全てを等しく灰塵と化し大気と大地に同化させる炎。

僅かに残った命さえ血反吐を吐き、身動ぎ一つしない肉塊の気楽さに誘惑される。

全てが黒く歪んで真っ赤に燃えている。

紛れもない戦場だ。英雄も救世主もいない、消耗品が摩耗し擦り切れるだけの、僕らの日常。

ただ一つ異なるのは、日常を恐怖足らしめているのは、その全ての殺戮をただ一体の巨人が成したことだった。

引き金を引くのは僕じゃない。死ぬのも僕じゃない。

ただその死地を生み出し外側から眺めている。観客席から、何もできないまま。

最初はイタズラのつもりだった。叱られて反省すれば済む程度の悪行。

しかしやりすぎた。やりすぎたのだ。強烈な後悔が押し寄せる。サヘラントロプスを一人で修理したときの、少し大人になったような優越感が落差を伴って負の感情を膨れ上がらせる。

まだうまく働かない頭は、まるで考えるという段階を挟まずに動物的な命令を下すように、震える指でマスクを拾い上げた。

 

 

***********

 

 

――――雨が降っている。

哀しみの象徴でも、雷の化身でもない。ただ自然現象に従って地に落ちる雨が私の全身を叩く。三十程度の仲間と共に、雨に打たれながら浜辺でCQCの格闘訓練をしている。

間合いを詰め、突きと掴みをスムーズに組み合わせ、的確な重心移動とフォームを意識して投げ、投げられる。身体が覚えるまで何度も何度も何度も。疲労と、水を吸い砂を纏った野戦服が身体を何倍にも重く感じさせる。

仲間たちの手が止まる。休憩の指示が出たのかと班長の方を見ると、海を背に見事な敬礼をしている。そこで察した。俺が来たのだ。慌てて私も敬礼を返す。訓練に参加してくれるようだ。私は喜び勇んで俺の前に出る。さすがだ。隙がない。投げられる一方だ。どうにか一矢報いたいと俺の左半身を集中して狙い、隙を突くように俺の死角である右側を攻める。それも看破されカウンターをもらう。俺は膝をつき砂に沈む私を見下ろし面白いモノを見つけた子供のような笑みを一瞬見せると、すぐに次の相手と組み合う。身体は上がりっぱなしの息と激しく脈打つ心臓と、全身を叩きつける雨の重さに沈殿していた。しかし心は昂揚していた。これ以上ないほどに。

しばらくすると副司令がやってきて俺は去っていく。その背中を追っていくやつが一人。新米だ。奴もそのカリスマに興奮しているのがわかる。私はその新米の背中越しに俺を見つめ、その新米の目を見ながら言葉をかける。

雨が、重い――

 

 

 

―――ウッ ゥオェっ  カハッ

脳が震えるような、悪寒と吐き気を伴う、頭蓋に響くような痛みで目を覚まし、そのまま吐き気に負けて洗面台に吐瀉物をぶち撒ける。最悪の目覚めだ。

まだ収まらない不快感を必死に拭うように水で口と顔を洗いそのまま頭から冷水をかぶった。

見覚えのある悪夢だった。昏睡状態から目覚めた頃、最も頻繁にこの悪夢を見ていたが、その頃はこんな体調不良は伴わなかったし、DDに来て任務に追われるようになってからは見ることは減っていた。

この悪夢の最大の特徴は昔経験した場面を思い出すように主観で流れていく中で、他人の視点に切り替わったり、入り混じったりすることだった。最も印象的な、不快感を色濃く残すあの雨の日の記憶だけが場面として残り、その他多くは目が醒めた瞬間には不快感の残滓でしかなくなっている。自分の主観で見ているはずなのに誰かの主観で自分を見つめている。視界の半分ずつを共有して溶け合っていく感覚が、感情を強く揺さぶる。同化、融解、回帰、消失――何が起きているのか理解らないという恐怖。どれも当てはまるようでズレているような、この感情に名前さえつけられないもどかしさが精神のブレを波立たせる。

―――――お前は誰だ

洗面台の上に備えつけられた鏡に映る自分の顔に向かって問いかける。

少しずつ頻度が多く、感じる不快感さえ強くなっている。

医療班かオセロットにでも相談すべきだろうか。水とともに流れ落ちるように不快感が逓減し、身体も安定を取り戻しつつ落ち着いてきたところで通信機が呼び出し音を鳴らしているのを右耳が捉えた。

<ボス、イーライの件で進展があった。司令プラットフォームまで頼む>

緊迫感を感じさせるミラーの声に、スネークも精神を切り替える。

「了解だ、カズ」

戦いが足音を立てて近づくようにも、自分が歩み寄っているようにも感じた。

 

 

***********

 

 

「イーライの逃亡先がわかった」

余計な会話を挟む余地がないほど事態が切迫しているのだろう。第一声からミラーは本題に入った。

「子供達は島に声帯虫を拡散している。声帯虫は声変わり前の声帯には定着しない。子供達には無害だ。イーライは大人たちを島からはじき出し子供だけの王国を築いた。まるで『蠅の王』だ」

彼らはすでに災厄をもたらす兵器を用いて見えない国境線を引いていた。大人たちを排除することで自分たちのための生存圏を確立したのだ。

地球上には長い年月を経て自然に構築された陸と海である程度大陸の輪郭と呼べるものは存在する。しかし国境がそれに倣うことは稀だ。アフリカのような政治の都合が目に見えるような直線的な国境。陸を超えた海上で領海や経済水域をせめぎ合わせ決められる国境。どれも人の都合で引かれる線。誰かに決められた、こちらとあちら。

「世界は一つになるべき」――彼女はかつてそう言った。だが境界がなければ様々な不幸や不平、不正、不備、不満、不明、不安が蔓延する。イラン神話に名高い弓の名手アーラシュは自身の命と引き換えに人ならざる絶技において矢を放ち、何千キロも飛んだその矢が刺さった地点から国境を引くことで戦争を終結に導いたとされる。境界が曖昧であることは争いの火種になりうるのだ。そして今、子供たちは世界と線引きすることで自分たちの居場所を確保している。ダイアモンドドッグズも同じだ。自分たちが生きるための場所を失わないために、他人とは違う生き方をする。敵と味方に分かれる。自分ではない誰かが自分を見ているから、自分を見失わなくて済む。自己と他者が同化すれば、それは1でしかない。0ではないだけで、2への足掛かりを永遠に見失ってしまう。

俺には答えがわからない。彼女の真の答えを見つけるのはきっと――

「ボス、大丈夫か?」

考え事で上の空、それも作戦前に。あの頭に響く痛みが揺り戻しのように少し帰ってきていた。

「すまない。続けてくれ」

「ああ。奴らは核兵器の使用と引き替えに要求を出している。要求は『BIGBOSS』の遺体だと」

「幼稚な挑発だ。のむ気はない」

「当然だ。だが子供たちは声帯虫まで使った。これ以上放置してはおけない。場所は中部アフリカの塩湖に浮かぶ孤島。XOFの先遣隊と思われる少数部隊がすでに侵入しているが子供達やサヘラントロプスが持ち出された様子はない。奴らも直に本格的に動き出すだろう。至急準備を整え現地へ向かってくれ、ボス」

 

装備一式を整え、搭乗したヘリが晴れ渡る青空へと飛び立つ。

雲一つない、目が醒めるような美しい青空も、決戦へと赴く兵士にはいつもと変わらぬただの青だった。

 

 

***********

 

 

少年兵として戦場に糧を見出す前、少し大きな街でパパやママと暮らしていた頃に有名なミュージシャンが死んだ時のことだ。幾らか前に流行ったそのひとの歌を、ファンもそうでない人もこぞって聞いていた。懐かしい、残念だ、惜しい人をなくした。ほんとにそう思っている人がどれだけいたかは知らないけれど、その人の死をきっかけに歌はしばらく拡がった。昔のものや、普段の日常にあるものが失われることでみんなソレにもう一度触れたくなる。「大事なものは失って初めて気づく」って言われるやつだ。でもそうじゃない。大事なものはずっと大事で、人が勝手にそう感じるだけなのだ。同じ歌でも、いつでも聞けるのともう聞くことができないのとでは人が感じる価値が違う。すぐ側と、遠い向こう。こちらとあちら。今の僕は空がこんなにも綺麗に思える。それはこの塩湖に浮く孤島に初めて来たからじゃない。これからその空も、自然も、僕自身も、失われてしまうかもしれないと強く予感しているからだ。まだ失われていないのにこんなに大事に思える。それは逆にこれから起こる破滅が確固たるものであるとイメージ出来るからかもしれない。

 

目が覚めてイーライに連れて行かれたのは島の中心部、崖沿いの開けた場所だった。そこには崖を背もたれのようにしてもたれ掛かり座り込んでいるサヘラントロプスがいた。僕が目覚めさせた悪魔の巨人だ。イーライもこいつを悪魔と呼んでいた。それはなんの比喩でもない。こいつはこれからもたらされる破滅の権化だ。

「フレーデ、こいつの最終調整をしておけ。いつでも動かせるようにな」

イーライはそう言うと森の奥へと消えていった。彼は彼でやるべき仕事があるらしい。

サヘラントロプスの足元にはマザーベースからイーライとともにケッキに参加した子どもたちが群をなしていた。彼らは座り込んで小銃の点検や持ち込んだ武装の整理、そして自然の中で戦ってきたが故に身についた植物を利用したトラップの作成に勤しんでいた。誰も防護服を着ていない。彼らは英語を話せないのだ。ここで英語が出来るのは――声帯虫の英語株に命を脅かされるのは、少年兵になる前に少し大きな街に住んでいて語学の勉強をしていた僕と、白人のイーライだけだ。

 

「フレーデ!何か手伝えることはある?」

仲間の一人が元気に声をかけてくる。髪を紫色に染めて、胸に大きな黒い星のマークが入った白いシャツを着た子だ。いよいよ始まった闘争の空気に興奮しているのだろう。確かに生き生きとしていた、これ以上ないほどに。

「いや、下手に触ると怪我をするかもしれない。僕に任せて」

適当にあしらって座り込んで項垂れている巨人に相対する。

仲間。少なくともここにいる子どもたちは僕のことを疑ってはいない。この子供だけの王国のシンボルである巨人の、ただ一人の技術者。信仰に例えて言えば、国の守護神と唯一言葉を交わすことの出来る、神の信託を下す巫女のような存在だろう。自分にはできないことが出来る他者への憧憬、敬意、そんなものさえ感じられた。

だがこの中で僕だけは、自分の意志でここに来たわけじゃない。イーライの計劃に必要だから利用されているに過ぎない。しかし、このままでは災厄が降りかかる。敵にも、僕達子供にも。しかもその原因の一端、いや、もっと大きな部分が自分のせいだ。このままでいいはずがない。それにさっきは臆病にも身をすくめて震えていたけれど、落ち着きと共にだんだんと腹立たしささえ湧いてきた。イーライは僕が女だからといって見くびるようなことはしないだろうが、それ以前に都合のいい部品としか思っていないのだろう。ケッキに乗り気ではないが、機械いじりに興奮する珍しい奴と。

よし、決心した。どうにかしてやろう。こんな風に気が大きくなっているのは、きっとサヘラントロプス修復を成功させたからだ。利用され、駒として扱われていたとしても、そこで得た経験や知識は自分だけのものだ。自信がついたり、成長だってする。だから今度は真逆のことを、この巨人をただの木偶の坊にするのだ。

イーライは僕の好奇心に漬け込んで操ってきた。そしてこの先それがうまくいかなければあの頭に響く声を使ってまた操る気なんだろう。目覚めたばかりの僕をヘリに乗せたように。そうはいかない。言うことを聞く振りをして出し抜いてやる。ここからが、本当の僕だけの戦い、僕だけの計劃だ。

誰かに利用されるのではなく、自分が選んだ道。

みんなを救いたいのも、恐怖を感じるのも、怒りを覚えたのも、後悔も、決意も、僕だけのものだ。

 

 

***********

 

 

「HQ、こちらピークォド。目標の島を目視で確認。LZ(ランディングゾーン)へ向かう。ボス、あの島です」

 

ヘリのパイロットが通信を終えて声をかけてくる。窓の外へ視線を飛ばすと、ライトグリーンの塩湖が広がる中に、深緑豊かな孤島が見えた。遠目に見るだけで深い森や高低差のある崖のような地形に流れ落ちる滝など、手付かずの自然そのものが鎮座しているのが窺える。

 

ミッションエリアに接近する。いつものようにミラーから通信が入る。

<ボス、このミッションの目的はサヘラントロプスとイーライを含む子供たちの回収だ。離脱したら島ごとナパームで焼き払う。声帯虫を外に出すわけにはいかない。だがまだ懸念がある。イーライがマザーベースを出る時に録音していたテープを聞いてくれ>

脱走した子供たちをスネークが探し回って連れ戻し、ミラーに変わってオセロットが尋問を行った際の記録だった。イーライの声は咳混じりで、変調を来していた。

<声変わりが始まっている。つまりイーライは大人になった。やつにも英語株が移る可能性がある。発症したらもう助けられない>

事実を確認するようにミラーが告げる。

「つまり、悠長にはしていられないということだな。どちらにせよXOFの動きもある」

シートから立ち上がり、ヘリの左側面のドアをスライドさせる。陸地が近づいてくる。

<ああ、迅速な作戦遂行を頼むぞボス。作戦の第二段階に関しても準備は進めている。>

「こちらピークォド、LZに到着。ボス、ご武運を」

島の海岸沿いの開けた場所に上陸する。海面に沿うように低空から接近したが、向こうにはこちらの動きは察知されているものと考えて動くべきだろう。XOFはもちろんのこと、保護すべき子供達にさえ警戒しなければならない。さあ、任務開始だ。

 

 

***********

 

 

いつだって何にだって限界はある。限界を超えているように見えても、それは限界を広げているに過ぎないと思う。例えば、ヒト一人の手が届く範囲には限界があるし、持ち上げられる荷物の量にも限界がある。でも誰かと手を繋げば届く範囲は拡がるし、一緒に持てば重い荷物も持てる。そうやって人は、いや、人以外の全ても、繋がって成り立っているんだと思う。ただ、今の僕は一人だ。だから、一人の力だけで何が出来るのかをまず考えなきゃいけない。どうやってこの巨人をただのモニュメントにするかを。サヘラントロプスの頭部の口に見立てることが出来る狭いコックピットの中で必死に頭を巡らす。マザーベースでそうだったように、僕にソフトウェアを弄り回す技能はないし、この堅牢な巨人を傷つける術も持たない。周りにあるのは塩湖に浮く大自然と僅かな歩兵用の、それも子どもに扱える程度の武器だ。そしてとても面倒なことに、この巨人は今すぐに使い物にならなくなっては困る。イーライの話では――どうやってそれを察知したのかはわからないけれど――アフリカでシャバニを死に追いやったXOFという部隊がすぐそこまで迫っているらしい。それから間を置かずにBIGBOSSも来るだろうと。アフリカにいる極秘部隊とは言えアメリカの正規軍人が最新装備で向かってくるのだ。ゲリラに育てられた子供たちでは相手にならない。アフリカの戦場で、大人たちに混じってゲリラ戦をやっていた頃とは訳が違う。つまり、イーライがXOFの部隊を退けるために、僕達が生き残るためにサヘラントロプスは必要なのだ。人を殺す悪魔の兵器を目覚めさせておいて勝手ではあるけれど、みんなを助けるためにはこの巨人に一時的に本物の守護神になってもらわなければならない。イーライもそれを承知で僕にこのことを伝えたのだろう。その気になれば、手榴弾一つでコックピットの精密機器は吹き飛ばせる。それをさせないための保険だ。

つまり、僕がやらなければならないのはXOF殲滅後にBIGBOSSが来た時点でこの巨人を停止させるという、遅効性のウイルスを仕込むような作業なのだ。

こいつの弱点はどこだ。

マザーベースで修理していた頃の図面やエメリッヒ博士の話を思い出す。

使えるものは何だ。

周囲にある全てに意識を向ける。

同時にコックピットで機体の最終チェックをする。システムを仮起動してエラーがないことを確かめ、この巨人が殺戮のためにその機能を余すこと無く行使できることを許諾する。

マルチタスクをこなすのは女性の方が長けているといつかどこかで聞いた。いつの時代も、真に優れているのは戦士であれ科学者であれ、女性ではないだろうか。そんな無為な優越感に浸ることすらそのままに、むしろ自分のモチベーションに転化させ脳を賦活させる。信用できるのは己の知識と、僅かばかりの技術、そしてここに在るもの。

今この巨人を診察し薬を与える医者の立場に在る僕だからこそ投与できる出来る毒。

エラーや火器管制のチェックを終了したことを示すアイコンが点灯するとともに、とある機能を見つけ、閃く。

答えは得た――

 

パネルをいじり、目的のシステムを確認した僕は、ヘルメットを手に取り走り出した。

 

 

 

三章   カイコウ

 

 

遠い木霊のような声たちを、聞き続けるのは辛い。

実感を伴わぬ記憶であっても、失った痛みは思い出せるのだから・・・。

――『機動戦士ガンダムUC hand in hand』 フル・フロンタル

 

 

 

LZから島に上陸し、まず周囲を観察した。どんな急務であっても、任務開始と同時に全力で走り出すような真似は実践において三流以下のすることだ。スニーキングにおいて重要なのは周囲の環境との同調。つまり自然と波長をあわせることが肝要だ。そのためにまず必要なのが注意深い観察、斥候の基本であるアウェアネスに通じる洞察力だ。周りのことを知らないのに周囲に馴染める道理もない。

LZに選んだのは海岸線の真っ白な砂浜で、島側は崖や密林への入り口、反対はもちろん海でアフリカの任地でこれまで見た種類と似た木々が幾つか根を降ろしている。何本かは地に倒れ砂に僅かに埋もれており、正に手付かずの自然といった様相を呈している。太陽は燦々と照りつけ、砂浜からの反射さえ眩しい。砂浜、と言ってもここは塩湖であるためその白さの要因は塩分によるところが多い。今回は声帯虫対策の防護マスクがあるため嗅覚はいささか鈍ってしまうが、海岸ではまだ潮と塩の香りが強い。そしてその条件は潜入、索敵に好都合でもあった。自然の法則に従って長年そこに在り続けていた場所において、人が立ち入った形跡は鮮明に浮き上がる。トラッキングは容易だ。まずは海岸線沿いに進行ルートを設定。iDROIDを取り出しマップを表示、島の湾港に当たる部分にマーカーをセットして潜入を開始した。海岸沿いに進むのは、子供たちやXOFの上陸した形跡を探索するためだ。HECによる情報と言ってもこの島の内部の詳細まではつかめない。今回のHECの情報はやけに早く正確だったとオセロットがこぼしていたが、誰も島の中まで立ち入りはしない。HECでカットアウトとして情報を扱っているということは、少なからず今回の事件の情報を持っている。声帯虫に巨大機動兵器のことまで知っていて近づきたがるやつはいない。無闇に密林に立ちるのは無謀だ。さらに、この島の地形的に上陸可能な場所は限られる。マーキングしたポイントは高確率で上陸に利用され痕跡が残っているはずだ。それを目印に、最短で目標へと迫る。

大陸同様、いや、それ以上に豊かな自然があふれるこの島には野生の動物も数多くいる。彼らの行動や、人に殺された形跡などもトラッキングのヒントになる。草陰に臓腑を撒き散らす死体や、踏みつけられて無残に折れた植物。その全てを味方につけるように意識する。かつてソ連の大地で戦った伝説のスナイパー、ジ・エンドがそうであったように。彼も自然を味方につけ、傍らにはいつも動物を連れていた。たしか色鮮やかな鳥―――いや、色は地味だっただろうか。トラッキングに関しても彼との戦いでは小銃の乱射ではなくスナイパーライフルを用いた狙撃戦だったため彼の足跡を手がかりに位置を探ることが重要で―――

果たして、そうだったろうか。

当然の様に思い出そうとして記憶にひっかかりを感じた。

ジ・エンドは倉庫の入り口で狙撃による暗殺という形で決着を見たような記憶がおぼろげに浮かび上がる。

派手な爆発で車椅子の車輪がこちらまで飛んできて――自分はそれに当たっただろうか。

 

おかしい。あんなにも壮絶なFOXの初任務の、あれほど死力を尽くした戦いの記憶がブレている。忘れているのではなく、何か別の記憶が混入しているような、しかしどちらがあとから混入してきたのかさえ曖昧になるような不安感がこみ上げる。人の記憶は確かに曖昧なものだし、俺は九年の昏睡と頭部への重症を負っている。しかしあれほど重要な記憶が曖昧模糊であるというのはどういうことだ。

 

<ボス、聞こえるか。実は懸案事項がもう一つある>

ミラーから通信が入り、自分が重要なミッション中であることを思い出す。

と同時に痛みを自覚する。あの頭痛だ。頭蓋に響く、自分の存在を不安定にするあの痛み。

だがこんなことで集中を乱す訳にはいかない。精神を持ち直さなくては。

「どうしたカズ」

<イーライと共に逃亡したメンバーの中に1人だけ少女がいる。本人の希望と、俺たち違う人種の人間には黒人の子どもの性差が一見見分けにくいのもあって一部の人間以外には男ということになっているが、その子についてだ>

 

子供たちの保護、管理、教育に関しては全てミラーの管轄だったため、その子のことについては詳しく知らなかった。名前を把握していたのは悪魔の住処(ンゾ・ヤ・バディアブル)で救えなかったシャバニ、マザーベースの自己で命を落としたラーフ、そしてイーライくらいだった。回収した子供たちに関してはミラーがDDR、『武装解除』(Disarmament)『動員解除』(Demobilization)『社会再統合』(Reintegration)のうち社会再統合にあたる教育や職業訓練を施しているはずだ。

<その子だが、子供たちの中でも熱心に教育を受けていた子でイーライの蹶起に参加する動機がもっとも薄い子なんだ。そしてマザーベースに残った子供たちの証言から、彼女が度々居住区を抜け出して何かの作業をしていたことが分かった。これはあくまで予想だが、イーライにサヘラントロプスの修理を強制され、メカニックとして強引に拉致された可能性がある。もしかすると他の子供達とは別の場所に監禁されているかもしれない>

「ちょっと待て、その子が一人でサヘラントロプスを修復したのか」

にわかには信じがたい、という表現がこれほど当てはまる状況も中々ないだろう。いくら勉強熱心とは言えアフリカでゲリラ兵をやっていた少女があの兵器を修復出来るものだろうか。

<もちろんあの修復はエメリッヒの指示によるところが大きい。だが彼女は少年兵になる前は比較的大きな街の裕福な家で、きちんとした教育を受けていた。英語もある程度は話せたようだ。それがテロまがいのとある事件で街が暴動に巻き込まれ、たった数日で街は崩壊。命からがら逃げ延びたは良いものの逃亡中に唯一生き残った肉親である父が死亡。行く宛をなくした彼女は現地PFに拾われ、それまでの生活から一転少年兵として生きることになったそうだ。女であることを隠していた理由も察しはつく。だから彼女にはある程度の知識と、父の専門である工学の知識が備わっていた。そして父譲りの好奇心も。イーライにとっては渡りに船だったわけだ>

マーキングしたポイントへ進む中で、その少女の話を聞いていて感じたのは、その子がミラーにとっての幻想だということだった。子供たちがマザーベースで反旗を翻そうとしたあの頃に、ミラーはオセロットに言われていた。子供たちをよりよい未来に導こうとするミラーの意思とは裏腹に、戦場に帰りたがる子供たちという現実を目の当たりにした時、『お前の幻想は捨てろ』と。その意味でその少女はミラーの幻想、希望だったはずだ。学ぶ事で知識を得て、戦場以外の場所で生きていく。そんな可能性を体現していたに違いない。

 

「つまり、子供たちの回収も、向かってくるやんちゃ坊主を投げ倒してフルトンで上げればいいと言う程に単純ではなくなったわけか」

<ああ。彼女は本人の意思とは関係なく巻き込まれた可能性が高い。ボス、必ず救い出してくれ>

「ああ、それでその子の名前は?」

ほんの僅かな、それまでの会話のテンポより少し遅いという程度の僅かな沈黙の果てに、ミラーは口にする。

 

「フレーデだ。意味は―」

 

全てが、繋がっているように思えた。

一見、ただの偶然。しかし人間というのは物事を見たいように見る生き物だ。

関係のないものを、関係のあるものとして考えたがるし、雲の形から食べ物を連想したり、木の木目から人の顔に見えるものだって見つけ出してみせる。

 

それを分かっていても、つながっていると感じた。

 

これはもうミラーだけの希望ではない。未来を生きる子供たちを必ず救わなければならない。これは自分たちの自己満足にすぎない。散々人を、自分より若い兵士も殺しておいて綺麗事をと言われるだろう。

 

それでも――――

「分かった、カズ」

静かな、しかしにじみ出る決意を込めて返答する。

 

目的の湾港についたスネークは空の木箱と木材でできた簡易テント、そして子どもの足跡を即座に見つけた。子供たちにはトラッキングを警戒する知識も術もない。彼らが教わったのは銃の撃ち方、人の殺し方だ。手がかりを頼りに、いよいよ深緑と土と木漏れ日で構成された密林の中へと足を踏み入れた。

 

 

***********

 

 

パパは臆病者だった。

野心や闘争心などはかけらもないし、自分の研究や学術的な勉強に没頭するあまりいろんなことがおろそかになっていた。他人とも距離をおいて、何かに怯えるように自分の世界に篭っているようだった。ただ、パパの「自分の世界」にはちゃんと僕とママが入っていた。パパはいろんなことを教えてくれたし、僕とママのことを大切に思っていた。パパが怯えていたのはその外の世界だ。パパもアフリカの生活事情の例に漏れず内戦と民族紛争の只中で生きてきた。早くに内紛で両親をなくした臆病なパパは戦場から逃げることを必死に考え抜いて、少しばかり賢かった頭をフル活用して見事に逃げ延びた。引き換えに何処かに定住することはなく、その生活は現地のそれと比較しても人のものとは程遠かった。植物や果実で飢えをしのぎ、野生の中で生きてきた。元々薬草を扱っていた両親、つまり僕の祖父母のお陰で植物への知識はあったらしく、採取した薬効植物を行く先々の村で水や食料と交換してもらうこともあったらしい。しかし、違う民族を容易に受け入れる場所はどこにもなかった。だってそれを理由に争っているのだから。そして漂流するように逃げた先で、戦場となった村の悲惨な爪痕を目のあたりにすることも少なくなかった。野に放置された内蔵をぶちまけた少年の死体や頭を撃ち抜かれた上で侵され股から精液を垂れ流す少女の死体をいくつも見てきたという。

 

僕が自分を僕と呼び、可能な限り男の振りをしているのはこの辺の事情が関係している。臆病な父は女であることを隠せなくなるまでは男の振りをして、万が一にもそういった尊厳を根こそぎ奪われるような死に様を晒してほしくないんだそうだ。なんともネガティブでマイナス思考だけどそれが父親としての願いだった。それほどその光景がショッキングだったんだろう。それは少年兵になった後の自分の経験からもわかる。男と女では消費のされ方が少しばかり違うのだ。多分殺しが当たり前の世界において、パパだけがまともだったのだ。いや、逆なのかもしれない。

 

それからパパはある外国人に出会う。ある戦闘で手ひどく負けて、部下も全員死なせた挙句に自分も傷を負った兵士だった。死ぬほどの傷ではないけれど、どんな傷も治さなければ死につながる。パパは持ち前の簡単な薬効植物や応急処置の知識でもってその人の危機を救ってあげたそうだ。優しいのかと言われれば、やっぱり臆病なだけだったのかもしれない。紛争地帯に送り込まれた外国の兵士、他所からやってきて命の消費を加速させる人殺したち。その命を、救ったのだ。そして恩返しをしたいというその人にそのまま拾われて、いくばくかの時を経て養子になり、その辺の子どもじゃ受けられないような待遇の生活の中に身をおくことになった。なんともうまい話だけど、それからパパは建築や土木に携わる仕事を志し、工学的な知識を学んだ。

「家とか、家族とか、そんなものがずっと憧れだったんだ」

パパは優しい声でそう言っていた。屋根のない漂流生活や、失われるばかりの悲惨な世界を見てきて、何かを創造する『モノづくり』を志すというのは、幼い僕にもなんとなく理解できた。

そして学び、働き、生きていく中でママと出会い、恋をして、僕が生まれた。

 

 

パパは臆病者だった。そんなパパが、僕は誇らしい。

 

 

そして受け継いだモノが、今確かに感じられるのが嬉しかった。

パパから教わったり、盗み見ていた技術が、少しだけだけど、今この巨人を木偶人形にするのに役立っている。もちろんこいつを修理するときにも大いに役立ってしまったし、そもそもその好奇心さえ父親譲りなのだけれど、今は後悔よりも先にやるべきことがある。

『仕込み』は終わった。

 

作業を始める前には、他の子供達も『仕込み』に取り掛かるためにこのベースキャンプを離れていた。ずいぶん大掛かりでアナクロな罠を作っていたのでそれを仕掛けにいったのだろう。あんな罠に嵌まるとは到底思えないと思うほど前時代的なものばかりだったが、それこそが相手の油断を突くイーライの策だった。子供たちだけではまともにやりあっても勝てないことはわかっている。だからこそ罠を、自然を有効活用する。現地で調達出来るもので最大限の効果を発揮する武器を作る事にイーライは長けているようだった。

 

「調整は終わったか」

突然背後からイーライの声がした。驚きの余りうわずった声で返事をする。

ここでボロを出すわけにはいかない。僕は仲間だ。自分をそう騙せ。利用されることを受入れて、恐怖と好奇心に負けて思考を放棄した子どもを演じなくては。臆病なパパのように。

「試運転してみてくれないか、イーライ。立ち上がるだけでいいから」

イーライは頷くとコックピットに乗り込み、サヘラントロプスを起動させた。

尻もちをついて崖にもたれかかっていた巨人が、人のように、手をついて上体を前傾させながら立ち上がる。見上げるその姿は、今更ながら正に巨人だった。背筋がまっすぐと屹立していて、首だけで見下ろすその姿は畏怖を撒き散らしている。直立二足歩行について語っていたエメリッヒ博士の言葉がいくつも蘇ってくる。

「問題ないな。これであとは奴らを待つだけだ」

満ち満ちた闘気とでも言うべきものがイーライから伝わってくる。サヘラントロプスを片膝立ちの姿勢にして、イーライは巨人を一端眠らせた。

それは王に使える守護騎士の様にも見えた。

 

どうやら仕込みには気づかれなかったようだ。

イーライは僕を利用しているが、決して仲間をないがしろにしてはいない。むしろ王として臣民をきちんと従える責任を果たしているようにも見えるほど手厚く扱っていた。イーライの報復心は確かに強烈だ。それ故に、他への注意が薄れているということもあるのだろう。身内の裏切りということまで頭がまわらないのかもしれない。それは僕にとっては好都合だった。

罠を仕掛け終えた子供たちも帰ってきた。

 

「フレーデ、敵がここまで来て戦闘が始まったら、みんなを連れて滝の裏の洞窟に避難しろ。お前が副官(XO)だ」

みんなに聞こえないうちにイーライがそう告げる。

「わかった。」

短い返事を返す。そう、みんなを守りたいこと自体は本心だ。みんなは戦場に出たいのだろうけど、巨人とXOFの戦いの前では犬死するだけだ。逃げるなんて、と言い出しかねないがその辺はイーライが持つカリスマでなんとか説得できるだろう。実際サヘラントロプスが動き出せば、近くにいるだけで危険極まりない。

 

 

マザーベースに着く前、ゲリラやPFに混じって殺し合いをしていた時以来の、戦争の匂いが近づくのがわかる。

自分の計劃がうまくいくことを祈るくらいしか、僕には出来なかった。

 

 

***********

 

 

森に入ってしばらくすると、子供たち以外の痕跡も発見した。しかし数はそう多くない。オセロットから通信が入る。

<XOFの斥候部隊のものだろう。事前に少数部隊を送り込んでいるという情報も入っている。奴らも子供たちとサヘラントロプスを探しているはずだ。気をつけろ、ボス>

つまり大人数の本隊は別の地点から上陸したということだろう。急がなければ奴らのほうが先にターゲットに接触してしまう。

しばらくこの斥候の痕跡を辿る。斥候だけあって巧妙に痕跡を消そうとしているが、BIGBOSSのトラッキングには敵わない。そこで異変に気づく。数メートル先に素人目にもわかるようなくっきりとした痕跡が残されている。それは争ったような足跡の乱れと、そこから続く両足が引きずられた、轍のような痕だ。周囲を警戒しつつその先へと進む。すると森の突き当り、高さ数十メートルの岩の壁が続く場所に出た。そしてその側面に開いた洞窟の中へと、その痕跡が続いている。その出入り口には子ども一人分の足跡と、同じように引きずられた痕が幾つか見受けられた。

<ボス、罠の可能性も高いが何か情報が得られるかもしれん。慎重に進んでくれ>

オセロットの忠告を受け止めつつ、返事もせずにスニーキングに専念する。入り口の横からカバーアクションで内部を窺う。僅かな冷気が流れ出てくる洞窟からは、数人の人間の気配がする。しかし伏兵がいるような気配ではないし、そもそもここはアンブッシュには向いていない。スネークはハンドガンを構えつつ内部に突入した。

 

そこには白い防護服を着た数人の兵士が横たわっていた。しかし立ち上がるどころか、こちらに気づいた様子もない。うなだれるようにただそこに横たわっている。そこで気づく。彼らは防護服を着ているがマスクをしていない。

まさか―――

嫌な予感とともに服をナイフで裂き、胸部を露出させた。想像は現実となり、見覚えのある痛々しく膨張し青紫に変色した胸部が顕になった。

<イーライのやつ、XOFの斥候を捕まえて英語株の培養に使っていたのか>

オセロットが状況から導かれる答えを端的に言葉にした。

声帯虫には限りがある。が、ここにはもちろん声帯虫の研究者も施設もない。新たに作り出すためには虫自身に繁殖させるしかないのだ。

そのための宿主として敵を贄にする。数多くのミッションで装備品の現地調達を実践してきたセンスは、その行動と発想にまず感心し、そして戦慄する。あの坊主が成長したら、一体どれ程の戦士になるのか。世界を相手取るに相応しい才覚をイーライが持ち合わせていることを、強く再認識した。

急がなくては。手遅れになる前に。

この兵士たちはすでに末期症状。どうすることもできない。

身動きのできないXOFの兵士の頭蓋を、ハンドガンで撃ち抜く。

 

一人

二人

三人

 

否が応でもあの日、マザーベースのパンデミックを思い出す。

生を懇願する部下

憎悪をむき出しにしてくる仲間

死を受入れ頭を垂れる同胞

 

同じように、虫に侵され死を運命づけられたDDスタッフを、家族を何人も撃ち殺した。

重責と惜別と後悔と、言葉にしたところで全てズレているような、どれだけ積み重ねても足りないような、そんな苦しみと痛みが再び去来する。

あの時の感覚が蘇るたびに、自分も死んでしまいたいと思うことさえある。自分の何処かがそう叫んでいる。だがBIGBOSSはそれを許さない。この左肩に輝くダイアモンドが、それを許さない。

<ボス…>

少し立ち止まってしまった。これではいけない、こんなのはBIGBOSSではない。

「すまない。先を急ぐ」

洞窟を出て、一番新しい痕跡である子どもの足跡を目標にトラッキングを再開する。

<このルートなら、島の規模からしてもこの森を抜けた先が怪しいな。コードトーカーに接触した洋館の周囲に広がっていた密林地帯を思い出せ。規模はあれくらいだ。本拠地が近ければトラップの類も増えるだろう。気をつけろ、ボス>

前線指揮担当のオセロットから再び通信が入る。鬱蒼とした木々の合間を縫うように進行していると前方にそびえる大木の傍の植物に血痕が飛び散っていた。血濡れの枝葉からは鮮血が滴っている。そう古くはないようだ。詳しく観察しようと警戒しながら接近した瞬間、右肩に何かが降って来た。

液体が首元に巻いたスカーフに赤黒く染み込んでいく。血だ。

見上げればそこには木に吊るされたXOF兵士の姿があった。

古典的な罠だが、スネアにかかって吊るし上げられたのだろう。そしてその先には鋭利に尖った木柱が待ち構えていた、ということらしい。

足を捉えたロープに吊るされ逆さになっているその兵士の腹部はその木の棒に刺し貫かれていた。滴ってきた血液の出処はその死体だった。

オセロットの言うとおり、トラップが設置されていた。おそらくイーライたちが仕掛けたものだ。よく目を凝らせば、目の届く範囲で白い防護服の死体が同じようにもう二体ほど吊るされている。

更にトゲ付きの丸太に轢き殺された奴に、ワイヤーにかかってクレイモアか手榴弾のような爆発系のトラップにやられて体の右側が消し飛んでいる奴、落とし穴に落ちた奴、先端の尖った木々を備えた四方数メートルの天蓋に潰された奴。全部でおよそ20体ほどの遺体があちこちに転がり、白い防護服を血で彩っていた。

イーライは賢い。正面切って戦闘をすれば負けることを冷静に理解している。

だからこそ、油断している相手を、会敵前に、前時代的な予想の外にある手段で殺していく。

これで最新装備の大の大人が20も死んでいるのだ。見事としか言えない。

自分自身もトラップに警戒しながら先へ進む。

 

同時に強く刺激される記憶があった。

FOXの初任務、スネークイーター作戦でのソ連のジャングル。

同じようなアナクロなトラップがいくつも行く手を阻んできた。

特にコブラ部隊の1人、ザ・フィアーとの戦闘ではトラップに手を焼いた。

奴はトラップを巧妙に配置し、レーションや雑誌といった囮まで利用していた。挙句の果てに電流を流した鉄線やフェンスまで―――

いや違う、それはザ・フィアーとの戦闘より前に設置してあったのではなかったか。たしかグラーニンがいた研究所の外縁部や、ハインドが駐機してあった中継基地に―――いや、あれはハインドだっただろうか。名前そのものをつけたのは俺自身のはずだ。だがどんな会話をして名前をつけたか思い出せない。

先程のジ・エンドとのスナイパー戦の記憶に続き、こちらも曖昧にしか思い出せない。

これも昏睡の影響なのか。

あってはならない不安が、焦燥感が、確かに迫ってくるのを感じる。

すぐ側にあった、原始的なトラップとその被害者であるXOFの兵士を注意深く観察する。

俺が当時引っかかったトラップは『こんな感じ』だったはずだ。

それは確信を持って言える。

だが、『具体的にどうだったか』が思い出せない。

目の前にほとんど答えのようなヒントが有るのに、自分の実感が伴わない。

記憶障害のせいにしていい問題なのだろうか。あの濃密な闘争を、心・技・体の衝突を、BIGBOSSを作り上げた重要なファクターを、忘却の彼方に置いてきてしまっているという事実は。

 

不安がまた、新たな不安を呼ぶ。

忘れているのは、これだけか?

忘れていることさえ忘れているのではないか。

 

人は、生まれ持った遺伝子と、経験した環境で、自分という精神を織りなす。

だが今の俺は、経験したはずの積み重ねが消失していくのを実感している。

そこに在ると思っていたものが幻だったと、見えていると思っていたものがはじめから無かったのではないかと疑い始めている。

他でもない、BIGBOSSが積み上げたはずのスネークイーターが、無理をして背伸びしたジェンガのように隙間だらけなのだ。

実感した途端、それこそすかすかのジェンガのように、揺れ始める。

今この景色は――密林と原始的な罠と単独潜入する自分自身というビジョンは経験したはずの景色だ。

そう思えば思うほど、あの日ソ連の大地で吸ったはずの大気や見たはずの景色、聞いたはずの残響が遠のいていく。

 

 

<ボス、どうした。何かトラブルか>

まただ。

作戦中に一人で考え事をして立ち止まり、通信で呼び戻される。

何度目だろうか、いつになく自分が異常であることを再認識する。

「いや、問題はない。このまま目標ポイントへ進む」

<ああ、気をつけろボス。XOFもイーライ達もそう遠くではない。>

気を引き締め直し、周囲と波長を合わせる。

自然以外の痕跡を探索しながら、自分自身を自然と一体化させる。

そこで、一つの異変に気づく。

誰かが近づいてくる。

一人だ。こちらへまっすぐ歩いている。

移動そのものは熟練の斥候のそれだ。並の兵士なら接近には気づけまい。

だが隠しきれない殺気が伝わってくる。

イーライの持つ、突き上げるような報復心ではない。

世界や誰かを憎んでいるのではない。

辺り一面を覆うような、静かな、だが確かに強力な殺気。

自分自身への憎しみが、周囲に漏れ出ているような哀しみさえ感じる。

そして、懐かしい匂い。

その一瞬の動揺が反応を遅らせた。

すぐさま緊急回避したスネークの右肩を、一本のナイフがかすめる。

瞬時に体制を立て直し、ナイフの飛来した方向へハンドガンを向ける。

敵影は見えない。密林の木々を利用して身を隠しながら移動しているのだろう。

視界の悪い密林の中で、木々に身を隠し戦う。

ザ・フィアーだけでなくザ・ボスとの戦闘さえ思い出す。

インファイトに備え、ハンドガンとナイフを同時に構える。

スネークイーター作戦中にエヴァに語った、CQCへの移行を想定したオリジナルの構えだ。

そういえばなぜダイアモンドドッグズでのミッションでは、このスタイルを取らなかったのか。密林ほどではないが、建築物内部のような閉鎖空間でCQCを叩き込む機会は何度もあった。CQCも進化した。それでも基本は変わらないはずなのに。

ザ・ボスとの戦闘さえ思い出せないのではないかという不安が脳裏をよぎる。

戦場にいるのに、戦士としての資格が、積み重ねた経験が、知識が、覚悟が瓦解していく。

 

再び、思考を強制停止させる。

今対峙している敵は明らかに手練だ。頭痛や考え事の片手間に戦えるような相手ではない。

視界の右端に、赤い布がたなびくのが一瞬見えた。

あんな目立つ色の装備でここまで悟らせずに動くことの出来る敵に、それだけで敬意さえ覚える。

相手の動きを予想し、右側に銃口を向ける。

 

 

姿が見えない。

嫌な予感がする。

感覚を研ぎ澄ませる。

スニーキングの要領で自然と調和し、外敵の存在を察知する。

聴覚が、枝葉が揺れる木々のざわめきを捉えた。

思考よりも早い反射の速度で頭上に構える。

そこには自分めがけて鉈(マチェット)を振りかぶりながら飛び降りてくる、赤黒いボロ布に全身を包んだ敵の姿があった。

敵に正面を向けたままバックステップを踏みながら鉈をナイフで凌ぐ。

近接格闘に備えて構えを変えていたのが功を奏した。

その重量を全てのせた鉈の衝撃に逆らわず、むしろ利用して後ろに飛び退る。

敵は軽快な動きで、同じように切り合った勢いで宙返りしながら、着地までの間にナイフを一本投擲してみせた。瞬時に反応し、それを冷静に撃ち落とす。

赤マントの敵は着地し、こちらはハンドガンとナイフを構える。

一息の間に、お互い共に常人離れした技を見せあい、相手を認める。

一瞬の沈黙の後、口を開く。

「お前は誰だ。XOFか」

赤い外套を全身に纏い、顔さえフードの奥に隠れて見えない。性別さえ判断できない敵を前に、情報を引き出す必要があった。

聞いてはみたものの、その敵がXOFなどではないことは感づいていた。

影に覆われたその男の顔が、笑ったように見えた。

しかし感じ取った感情は歓喜ではなかった。

 

安堵。安心。安らぎ。

 

そしてその笑みを浮かべた影の奥、闇の底から、言葉を紡いだ。

「敵でも味方でもない。そういうどこにでも在る関係ではいられないんだよ俺達は」

英語だ。確かに英語を喋っている。だがこいつはマスクをしていない。

そして男だ。一陣の風が吹いてフードが捲れ、一瞬貌が露わになる。

左の頬から下は焼けただれ、歯と歯茎、その周辺の筋肉が露出している。

両耳から伸びるイヤホンは、どこにつながっているのかわからない。

少なくともキプロスで目覚めて以降に会ったことのある男ではない。

しかし、焼け落ちること無く残った上唇よりも上の、目鼻立ちには覚えがある。

その面影を、俺は知っている。

「久しぶりだね、スネーク」

確信する。この男は自分と同じ、死んだはずの男だ。

懐かしさの、その男の正体は、あの時の少年だった。

 

 

 

 

 

四章 平和

 

 

我々が持ち得る現実など、結局は意識に限界づけられているのですから

 

 

―――『ハーモニー』 ガブリエル・エーディン

 

 

 

暗い。

 

適者生存のシンプルなルールにのみ従ってきたこの島は、その生命力の許す限りに広がる自然で満たされていた。密林の奥地ともなればそびえ立つ木々が広げる枝葉が自然の天蓋を作り出し、数メートル下の地上に届く日光は限られる。より効率的に日光を葉に当てるように変化した植物の、結果的な進化の産物だ。その副産物として、地表にいる者たちは日光を得ることが難しくなり、そこで生きることを諦めるか、違う生き方を見つけなくてはならない。

そんな自然が生み出した擬似的な強者と弱者の狭間で、肉厚のマチェットを片手に持つ赤い外套をまとった男と相対する。

 

暗い。

貌がはっきりと見えない。だがおぼろげに見えるその目鼻立ちが、自分の感覚が、記憶が、その名前をしきりに訴え続けた。そして今、片方の頬が焼け落ちたその口で、俺の名前を呼んだ。片方の頬がないせいで上手く言葉を発しきれていないが、確かに英語で。

内から湧き上がる強烈な直感を確信に変える名を、口にする

「チコか?」

男の残った頬が、いびつな笑みを浮かべた。

 

<チコだと?ボス、今チコといったのか?>

 

正体不明の敵に急襲され、こちらの様子を固唾を飲んで見守っていたミラーから、覇気の削げ落ちた声で質問が返ってきた。

「カズ、間違いない。チコだ。生きていた」

「そんな」

言いたいことも、聞きたいことも在りすぎた。

だが銃口をチコから外すことはできない。

先ほどの殺意は本物だった。

そしてチコ自身が開口一番発した言葉の真意をまだ汲み取れていない。

戦闘態勢を取ったまま、しかしどう動くべきかを決めあぐねていると、チコはまたむき出しの口で笑ってみせた。そして喉を指さして、反対の手で全身を覆う赤黒いマントのなかで何かを操作した。指さした先にあったのは、スロートマイク。

「伝える手間(カットアウト)はもういらないよ、スネーク」

<なっ!?>

カズの驚愕と狼狽の入り混じった声が聞こえてきた。

「どうしたカズ」

<こちらの無線に直接、チコの声が>

「暗号化を無効にした上に周波数まで知っているとなると、これまでの通信は傍受されていたってことか」

並々ならぬ緊張感が走る。情報諜報戦において敗北しているということは、仮にチコが敵であったならそれは作戦の失敗、死を意味する。

敵に情報が筒抜けならば、アンブッシュ、包囲、誘導、バックアップの排除あるいは断絶、なんでもアリだ。だがそうしたいならもっと早くに出来たはず。その上最初の直感が正しいなら、チコはXOF側についているということはないだろう。装備も違えば、行動に一体性もない。

そしてなによりも、XOFはあの髑髏顔の部隊だ。キャンプオメガでのことを思えば、チコがその軍門に下ることは考えられない。

では一体、何の目的で。

「通信を傍受したのとはちょっと違うよスネーク」

またチコが喋りだす。次の言葉も聞きたい。聞かねばならない。だがしかしその前に、チコを黙らせなければ。

「チコ、それ以上喋るな。今この島には言語に、英語の発音に反応して話者を殺すバイオ兵器が散布されている。それ以上喋ると死ぬぞ」

チコはマスクをしていない。いくら頬が失われ正確な発声ができていないとは言え、声帯そのものの動きに差はないはず。もう手遅れかもしれない。それでもチコをまた死なせてしまいたくはない。チコは既に二度死んでいる。九年の昏睡と多くの喪失をもたらしたあの惨劇の日。そして初めて会った1974年のコスタリカ――コリブリに拉致され、オンブレヌエボとして生まれ変わったあの日。人間そう何度も死んではたまったものではない。

しかしその願いに反してチコは口を開き、言葉を紡ぎ続けた。

「知ってるよ」

思わず驚嘆の声が漏れる。

「さっきカットアウトはもういらないっていったね。そう、これ以上はいらないんだよ。カットアウトは、俺自身だから」

<まさか…>

今度はオセロットが声を漏らす。自分だけが状況に取り残されている。

「どういうことだ」

「俺自身が、ダイアモンドドッグズに情報を流していたHECの潜入工作員だってことさ。通信も傍受したんじゃない。初めから知っていたんだよ。イーライを追ってこの島の情報をつかんだのも俺だ。そしてあとは更にカットアウトを通してその情報を伝える。考えてもみなよスネーク。誰かが誰かに情報を直接伝えれば、それは二人だけの秘密になる。でも間に人を介すれば介するほど、情報そのものを知っている人間は増える。道理だろ?HECの仕組みは『誰』が『誰』に『どうやって』伝えたのかは不鮮明になるし、情報の窓口は人の数だけ広くなる。でも情報そのものの気密性は脆弱になるんだよ。そのつながりの中に一度入ってしまいさえすれば、情報は勝手に転がり込んでくる。まあ、入るのには苦労したけどね」

揚々と話すチコの言葉を聞いて、今回の作戦の準備段階の会話を思い出す。いつもなら

カズが切り出す言葉はこうだ。

―――『ボス、諜報班からの連絡だ』

まるでお約束のように、ミッションブリーフィングはこの言葉から始まる。何度も聞いた言葉だ。

しかし、今回は何度もHECの名前が出てきていた。それはつまり、この作戦を計画する段階でHECの関与が強かったことを示唆している。チコの言葉が本当なら、この状況のためにHECを利用したということか。

問題は、やはりその目的。

「なぜこんな回りくどいことを。何が目的なんだ」

少なくとも、チコは命がけだ。声帯虫のことも、サヘラントロプスのことも知ったうえでこの島に上陸し、マスクを着けずに英語を話している。

「目的….」

うつむいて、沈黙する。視線の先の何か――よく見れば途中で途切れどこにもつながらずにぶら下がるイヤホンコードの先――を見ているわけではない。脳裏に浮かぶ幻影を追っているかのように虚空を眺めていた。

こんな時、心臓の底に沈んだ淀みが急に自らの重みを思い出したような感覚に苛まれる。

俺は9年眠っていた。身体や記憶、仲間、そして九年という時間――取り戻すことはできず、もうそこにはないものが伝えてくる幻肢痛が、目覚めてからずっと体中を這い回っている。だが、カズをはじめとする他の仲間達は、その九年の間絶えず幻肢痛を抱え、そして新たな痛みさえ背負って生きてきた。どちらがより辛いかとか、そういう話ではない。互いに失ったものを、傷ついた心を思うだけで痛みさえ伝染する。抱える痛みはより重く、大きくなる。

チコの九年はどんなものだっただろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やめよう。これは無意味でも無価値でもない。きっと、平和な世界には必要なことだ。

しかしここは戦場で、思考をめぐらせている間も時は止まってくれない。

瞬時に頭を切り替える。戦場での冷静さを取り戻し思考を整理する。

チコは敵対勢力と断定。XOFの進行は今も進んでいる。もうすぐ子どもたちとの戦闘になるだろう。今はチコの足を撃ち抜いて無力化しバックアップに回収要員を派遣させ、同時に作戦の第二段階を本格的にスタートさせる。

――時間が惜しい、悪く思うな。

うつむいたまま十秒以上も反応のないチコの右足の、致命傷を避けるように狙いを定め、引き金を引く。撃鉄が落ち、雷管ははじける。45口径の自動拳銃はその役目を果たし、弾頭は狙い通りに左足大腿部めがけて飛翔した。

しかし、弾は命中しなかった。ただ木々の生い茂る密林に、金属音が木霊した。

目の前で起こった現象を、状況と情報を整理し、結論を導き出す。

チコの左手が一閃し、その手の鉈で銃弾を弾いていた。

 

驚く暇はない。警戒を厳とし、子供たちのことさえ頭の片隅に追いやる。

今目の前にいるチコはあの日の少年と同一人物であり、そしてこれまで出会ってきた強敵たち――コブラ部隊やオセロット、燃える男(ヴォルギン)――に比肩するほどの脅威だ。

チコがまた口を開く。英語を発音し、言葉を紡ぐ。

「初めてあったあの日、僕はスネークに救われた。スネークは言ったね。大人になるということは、自分で生き方をきめることだって。そして新しい人間オンブレヌエボになって、僕は変わったつもりだった。自分で出来ることに限界があることから――弱いまま何も変わってなかった自分から目を背けて、調子に乗ってみんなに、パスに、取り返しのつかないことをしてしまった。あのキャンプで僕はそれを思い知った。髑髏顔の男に、それを思い知らされた。聴かされたんだよ、自分の心臓の鼓動を。胸に小さな穴を開けて、そこに直接このイヤホンを刺してね。まるで聴診器さ。それで嫌ってほど自分の心音をきくんだよ。恐怖に怯える自分の心臓の音を。心臓は嘘をつけないだろ?拷問されてるときなんかはまだいい。あの髑髏顔が声をかけるだけで、檻の中で這い回るネズミが物音をたてるだけで、ほんの些細なことで、自分の心臓が跳ねるのが嫌でも伝わってくるんだ。そして同時に、自分が生きていることも強く主張してくる。こんなにも惨めに、生きてしまっていることを。今もね、ずっと聞こえてくるんだよ。もうこのコードはどこにもつながってないのに、あれからずっと、ずっと――――」

 

先ほどの戦士の力強さからは程遠い、あの時の少年らしい弱々しさでチコは言葉を並べる。

「それでも僕は生き延びてしまった。身体は傷つき、元々弱い僕では報復だって夢のまた夢。帰る家も、みんなに合わせる顔もなかった。死ぬことさえ、出来なかった。だから僕は生まれ変わるしかなかった。新しい目的、新しい人生をオンブレヌエボとして生きる。弱い自分を捨てて。

そして俺は今、その目的のために戦場を渡り歩き、ここにいる。俺は他人を殺すことでしか、戦場でしか生きられない命を狩り続ける。そう、あんたみたいな人間だよ。BIGBOSS」

語気が強まった。捨てきれない過去への報復心と、明確な殺意が同居した眼でこちらを睨んでくる。

「俺は俺の闘争を続ける――この幻聴が止むまでは。戦場でしか生きられない人間は、俺の望む幻想には要らない。この地球上から、兵士も、戦士も、武器商人さえ皆殺しにして最後に自分が死ぬ。全てを無に帰す。でもそれはきっと究極的に困難だ。俺一人では不可能だ。でも戦う人間を殺したいのに、戦う味方を持つのは矛盾している。俺自身でさえそうなのだから。だからあんたを殺す。闘争を世界に蔓延させる根源、世界という名の宿主に寄生するお前を。そして二度と!喪われない平和を!」

 

目の前で極大の苦痛と矛盾を抱え、今にも押しつぶされそうなまま走っているこの異形の人狩りが目指すものが、痛々しいほど伝わってくる。オンブレヌエボとして生まれ変わったが、その願いは人として成長したものではない。むしろもっと稚拙で、純粋で―――チコ自身の言葉を借りるなら、まさに幻想だ。その理想の重さに耐えきれず、常人はそれをいつもすぐに手放してしまう。抱えたままでは、どこまでも沈んで溺死してしまうから。

 

――――平和は歩いては来ない。お互い歩み寄るしかないのだ―――――

 

かつての敵の言葉が脳裏をよぎる。犠牲を伴う擬似的な、ハリボテの平和を実現しようとした男の言葉だ。相手の喉元に槍を突きつけたまま、次の闘いのための準備期間として消費される平和という名の隙間。

チコは違う。戦争、紛争、闘争、あらゆる平和の対義語をこの世から消し去ることで、平和という名の幻想を実現しようとしている。しかし、それもやはり矛盾している。世界の何処かで戦争があるから、そうではない場所が平和であることを実感できる。世界のどこかで誰かが殺されていることを知っているから、自分の平穏な生活が尊く思える。自分と違う誰かが居るから、自分の形がわかる。もしそれが叶ったとしても、それは厳密には平和と呼ばれるものではない。

そして実現することもきっと――――

 

 

<スネーク!!!>

今度はこちらが停止してしまっていた。カズの声で我に返り、投擲されたダガーナイフを紙一重で躱す。近くの、ちょうど身体が隠れる程度の樹木へと背を預ける。

その隙にチコは樹上へ。右手に巻きつけた鉤爪付きのロープを上手く駆使して上下と樹上での移動を高速化しているようだ。先程上から仕掛けてきたときも同様に樹上に登り移動したのだろう。コブラ部隊のザ・フィアーと同様かそれ以上のスキルだ。立体的な起動は密林のような地形において真価を発揮する。悪い視界と豊富な足場、そして死角と意表をついた攻撃。確認できた武装はすべて近接戦特化。銃撃による音さえ嫌う高い隠密性と対象への肉薄を前提とした戦術。自身のスニーキングスキルに絶対の自信がないと取れない選択だ。得られたそれらの情報すべてが、「気づかれずに接近し、気づかれる前に殺す」ことを物語っている。

さらに言えば、銃は人を殺す道具でしかなく、人を殺す感触を遠ざけ、戦争の象徴ともいえる。方や刃物は人を殺すだけが全てではなく、骨肉を絶つ感覚を確かに伝達し、人の生活に不可欠だ。むしろ刃物こそ、それをどう使うかによっては平和の象徴足りうるのかもしれない。銃があふれる世界はきっと荒んでいるが、刃物があふれる世界でそれを誰一人として他人に向けないのであれば、それは確かに平和だろう。

<ボス。チコのことも気になるだろうが、当初の作戦目標のことも忘れないでくれ。時間がない。急いでくれ>

オセロットは陣頭指揮官としての役割を全うしている。だがこのままチコを置いていくことはできないし、何よりそれを許してくれる相手ではない。

樹上を縦横無尽に飛び回り、無音で鋭い刃物を的確に投擲してくる。この程度ならばまだ対処できる範囲の、並外れた兵士という程度の敵だっただろう。だが奴はこちらの銃弾をいとも容易く弾き、使う武具も様々だ。特に危険なのがナイフに切れ味抜群のピアノ線のようなものを結んだ仕掛け武器。先ほどからナイフを避けつつ銃で応戦するが、いつの間にか切り傷が増えている。そしてその切断糸による結界とも言うべき包囲網が、徐々に狭まってきていた。さらに奴は投擲したナイフを回収しつつ戦っている。弾切れもない。強いて弱点を挙げるならその運動量の多さによる極度のスタミナ消費だろうが、こちらは切断糸に移動範囲を狭められつつある。このままではジリ貧だ。一際大きい樹木の陰に隠れ、態勢を整える。

うかつに飛び出ればナイフの的に、下手をすればまたマチェットの一撃を喰らうことになる。そしてこの周囲にはイーライの設置したトラップさえまだ残っている可能性もある。かといって単純な銃撃は弾かれる。何より視界の悪い密林では射線も通りにくく、自然と接近戦の比重が増す。しかし近づこうにもナイフが飛んでくる上に接近戦ではあちらのほうが武装が豊富だ。なによりあの赤いボロ布の下にまだ何か隠し持っているかもしれない。敵がゆったりとした服装をしているならばそういう疑いは持ってかかるべきだ。普通に接近するにもリスクが高い。

 

しかし――――撃って出る

 

アナクロなトラップに原始的な近接装備が相手なら、こちらは研究開発班の誇る最新装備に頼るとしよう。

なにより優秀な兵士、それもスカウト能力に長けた戦士ほど優れた感覚を持ち、それは時に自らを害する毒と化す。

先ほどまでの戦闘の記憶を頼りに切断糸の結界の大まかな位置を把握する。

そしてウォークマンの外部スピーカーをオンにし、あるテープの再生を準備する。

先ほど同様樹上の枝葉のざわめきを頼りにチコの位置にあたりをつける。

息を吐きだし、吸って、呼吸を整える。

行動開始だ。

まずはスモークグレネードを二つ、木の陰から右側へ投擲。

予想通り、それらは地に着く前にナイフに貫かれた。しかしそれで相手の位置がさらに絞り込まれる。そして効果は半減するものの、スモークはナイフに貫かれてもその機能を失わずに煙幕を噴出させる。次にスタングレネード。一つを相手の目に付くように高く、もう一つを煙幕に紛れるようにして相手のいる木の足元へ投げ込む。煙幕の上部へ囮として投げたものは、やはりあっけなく無効化された。しかしもう一つは期待通りの効果を発揮した。金属酸化物と金属マグネシウム、過塩素酸アンモニウムが起こす化学反応が100万カンデラの閃光と170デシベルの爆音を発生させ、周囲が白光と破裂音に包まれる。

投擲したグレネードにナイフが突き刺さる様は、さながら投げた的にナイフを投げる大道芸の道化師のような滑稽な様子だったろう。しかし、ここからはスピード勝負だ。デコイを2体分、木の陰から左側へ設置。同時にウォークマンを再生し二体のデコイの中心、その足元へと投げ入れる。すぐさま踵を返し、自身は反対方向の煙幕の中へ突入する。

 

光と音が遠のき、視覚と聴覚が戻ってくる。だが俺より近くで、より研ぎ澄ませた感覚でいたチコは回復が遅い。そして潰された感覚器官が復帰したところで受容する最初の情報は『銃声』だ。

 

 

***********

 

 

大樹の陰から次々と投げ出される脅威を、全て排除するつもりでダガーを投げた。機構を瞬時に把握し、起爆部分を刃で貫通させる。今の俺にとっては容易いことだ。しかし、目下の煙の中から飛び出るように現れたそれは対処が間に合わなかった。一つ目のグレネードが囮だったと気づいた時には、眩い発光と耳をつんざく不快な音に視覚と聴覚をつぶされた。下手に移動するのはまずい。バランスを崩せば樹上から転落してしまう。五感の復帰を少し待ってから冷静に動けばいい。この赤いマントには数多の、しかし動きを阻害しないように考え抜いた配置の近接武器――投擲、斬撃、刺突、打撃、罠、防御、暗殺、様々な想定に合わせた大小様々の暗器――を内包している。顔や肩、肘、膝などの間接を守るように鉈を構えて、面積を最小にするように樹上で縮こまって衝撃に備える。

 

 

 

撃ってこない。何をしているんだ?

聴覚と視覚が次第に戻ってくる。復帰した聴覚が前方から響く自動小銃を連射する音を捉えた。それに反応しマチェットで急所をかばいながら別の樹上めがけて跳躍する。しかし、感じるはずの衝撃もダメージもなく、そして戻ってきた視界に移りこんだのは二人のスネーク。

動揺、逡巡。そして、銃声の違和感。

理性が『何かがおかしい』と訴える。

しかし戦場で染みついた戦闘センスは脊髄反射で、飛びずさりながらダガーを二本、それぞれの対象に投擲した。

不意のスタングレネード、強い違和感、スピードを犠牲にした不安定な跳躍。

着地から一拍遅れて、俺の手から放たれた刃物は獲物を捕らえ――二人の人影は風船がはじけるような破裂音とともに弾けた。

 

気付いたときにはもう手遅れだ。隣の樹上に着地する隙を狙われ、知覚外から首筋左側を撃ち抜かれた。鎖骨の上あたり、ちょうど武器を仕込んでいない部分。

不安定な姿勢に銃弾による衝撃が加わり、成す術もなく地に堕ちる。

 

―――まだだ

 

頭の中で次の展開を瞬時にシミュレートする。

数メートルの落下中に体をひねり、追撃に備える。

地面への着地の瞬間に構えをとり、ホールドアップを逃れる。

そうすればまだ戦える。

撃たれた瞬間に相手の位置を予測し検討はつけた。

その予想は的中し、落下している俺を容赦なく狙い定めるスネークの銃口を発見する。

銃口から弾道を――どこに弾が来るのかをイメージする。

後はタイミングだ。来る。弾く。手応えあり。

その反動を利用して半回転、着地。次弾が来る。弾く。駆ける。

もう回りくどい戦い方はいい。スタミナもそう残ってはいない。スネークの肉を、骨を、臓物を、血管を、命を、魂を―――争いに満ちた未来を断ち切る。この手で。

ハンドガンに加えナイフを構えてインファイトに備えるスネークに肉迫する。

あの日からずっと感じることのなかった感情が沸き起こるのを実感した。

ほんの僅かで、九年間抱え続けた幾つかの感情に比べればささやかなソレは、鉈を振り上げる指先に必要以上の力を籠めさせた。雄叫びさえ上げそうになる。

しかし、目前に迫ったその敵は逆に指先に籠める力を緩め、その両手に握られていた銃とナイフはただ重力にしたがって地に堕ち始めた。

生物としての本能が、自然にそれを目で追う。

次の瞬間には、間合いを詰め相手の首を絶つために振るうはずの熱量の全てが自身を地に沈める為のものに変換されていた。

CQCの中でも、日本のジュード―やアイキドーの要素が色濃く残る、背負い投げのような型だ。突っ込んだ俺の体はその勢いをそのまま利用され投げ飛ばされた

あれだけ強く握った鉈さえもう遥か彼方だ。そのまま地を転がり、すべり、埋もれる。脳がかき回されるような衝撃に思わずうめき声がもれる。

 

―――――まだだ

 

立ち上がりながら再びの跳躍。ブーツの外側に差し込んでいた、鉈よりも小回りの利くサバイバルナイフを抜きざまに一閃。躱される。

それでもめげずに、今日まで磨き上げた人殺しの業を絞りつくすように発揮する。

しかし、心臓めがけた突きも払われ、逆に掌打を食らう。

懐からダガーを取り出して投擲。

完全に見切られて左手でつかまれる。義手の握力に屈した刀身が折れた。

 

――――――――まだ

「もう終わりだ、チコ」

 

躍起になって踏み込んだそのタイミングを完全に見切られ、逆に間合いを詰められる。

顔面をつかむようにスネークの右の掌が俺の頭を捕らえ、塩湖に浮かぶ豊かな自然の結晶である大地に、俺の後頭部が小さなクレーターを創った。

 

 

***********

 

 

正直真っ向から戦えば負けていた。銃弾を弾くほどの剣士などフィクションの世界の住人だ。だから、チコがあの時見せた笑みの安堵に、瞳の奥に揺れる感情に賭けた。小手先の技術任せの一発勝負で肩をもらい、心理的な揺さぶりによって隙を生む。あとは一度CQCを極めてしまえば、肉体に頼る戦士ほど目に見えて弱体化する。並みの兵士なら一撃で気絶するほどの衝撃を受けて、四肢のコントロールに影響がないはずはない。

戦士として闘争を楽しむようなセンスも、時間的余裕も今の俺にはない。

<ボス、決着はついたか。時間がない、急いでくれ>

オセロットが急かす。しかし、現地調達と有効活用という潜入工作員としての基本を忘れてはならない。そしてこれは、違う意味でチャンスでもある。

地に伏したまま、上がった息の合間にチコが尋ねる。

「殺さ、ないのか」

「どうせお前は声帯虫に犯されてじき死ぬだろう。最初からそのつもりだったんだな」

「スネークに会うまで、一人で、一言もしゃべってない。虫が嫌う、香草も吸ってきた。でもまあ、発症まで、後数時間かな」

かけてやりたい言葉が、聞きたい言葉が、たくさんある。

しかし、今交わすべき言葉は過去についてではない。

「チコ、お前に頼みがある」

「俺はいろんな理由を言い訳にして、死ぬためにここにきた。もう、何もする気はない」

「お前がHECのエージェントなら知ってるはずだが、イーライはサヘラントロプスの他に数名の子供達とこの島に来ている。イーライの言葉に賛同して蹶起に参加した少年兵達だ。だがその中にあのデカブツのメカニックとして無理やり参加させられた少女がいる。名前は「フレーデ(vrede)」。アフリカーンス語で「平和」を意味する名を持つ少女だ」

影に光が差すように、濁りきって擦り切れたチコの瞳に色彩が滲む。

「お前はさっき言ったな、『二度と喪われない平和を』と。お前が死なないために並べた理由は確かに幻想だ。過去を変えることもできない。だが、お前がこれからできることはなんだ。何ができて、何ができない。できる事のうち何を選び、何を諦める。チコ、もう一度言うぞ。大人になるということは、自分で生き方をきめることだ。その上で、俺はお前に頼んでいる。「平和」を、未来へのつながりを、紡いでくれないか」

 

 

***********

 

 

あの笑顔が、潮風に交じるあの香りが、夕日に溶けて輝くあの髪が、あの慈しみの声が、平和«パス»が自分を呼んでいる気がした。気がするだけだ。これまでと同じ、僕の妄執が生み出した幻影だ。死なないためにでっち上げた幻想だ。この背中のピースマークと同じ、僕が勝手に描いて、勝手に背負った夢。

でもその声が、その柔らかな香りが、その微笑が、僕の血だ。

息が上がっていたせいでやかましいほどだった鼓動が、また跳ね上がった。

脱力しきった四肢に血が通っていくのがわかる。

 

疲れきっていたはずの右手が持ち上がり、胸のポケットにしまってあるカセットテープを撫でる。

 

もう一度だけ、あと少しだけ、立てるかな。

―――『がんばって』。

 

我ながら単純だと思う。卑怯だとも思う。こんなことで罪を贖おうとか、そんなつもりはないけど、傍から見たらそんな風に言われても仕方ない。どうしようもなく惨めだ。

でも、今まで僕にそう思わせていた心音はもう聴こえない。

僕はかつて、スネークのおかげで生まれ変わった。

あのキャンプで、人の本質はそう簡単には変えられないことも思い知らされた。

そして今日、再びBIGBOSSの手で生まれなおす。

どんなに惨めでも、それでも――――――

 

 

 

五章 カク

 

 

だけどそれは見せかけなんだ。自分勝手な思いこみなんだ。祈りみたいなものなんだ。ずっと続くはず無いんだ。いつかは裏切られるんだ。僕を見捨てるんだ。

でも、僕はもう一度会いたいと思った。その時の気持ちは…本当だと思うから。

 

―――――『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』 碇シンジ

 

 

 

 

 

<死ぬな! ボス!!>

いつか聞いた言葉を、あの時よりもはっきりとした声でミラーが叫んでいる。

<どうなっている!>

これも、いつか聞いたのと同じ言葉だ。BIGBOSSに向けられた祈りと自身の焦燥、憤怒、恐怖が同化した絞り出すような声。

俺自身の身体が感じているのは、これもまたいつか感じた熱。運命というものがあるのなら、今のソレを決定づけたあの日のあの熱。爆発の衝撃からかけがえのない仲間を守ろうとしてとっさに躍り出て、その悲哀の炎熱を全身に浴びた。一瞬で身体が溶ける錯覚、喘ぎ求めても得られない酸素、形を持った異物が全身に深く刺さる痛み、痛み、痛み。あの時と同じ熱を、また感じている。

ただ一つ違いを挙げるなら、これは悲哀ではなく報復にかられた憤怒と憎悪の炎だ。

頭は霞がかったように不鮮明で、耳鳴りが聴覚を支配し、口の中は血の味がする。そのうえ視界に映る世界からは血の気が失せたようだった。必死に頭を働かせ情報を、記憶を整理する。

俺はなぜ、地べたに這いつくばっているのか。

 

 

***********

 

 

世界には、境界がある。

それは目に見えるものとそうでないものがあるが、人間にとって大事なのはおそらく後者だろう。人間が自分勝手に決めた境界や、暗黙のうちに定める線引。それは無くてはならないものだ。だがそれを意識しているのと無意識にただ簡便法に任せてやり過ごしていくのは違う。善悪や正誤の問題ではない。ただ多くの人はそれを無意識下で峻別し日常を送るが、意識して着目することで異なる視点を見いだせる。俺が尋問や洗脳、催眠を得意とするのはこのあたりが理由だろうと自分でも思う。境界を見るということは、世界の、あるいは対象の輪郭を捉えるということだ。そうすることで相手の姿形を明瞭に捉えることができる―――つまり、相手のことをより明確に理解し、弱点となる綻びを見出す事ができるのだ。尋問においてこのスキルは重宝する。脆弱な箇所を必要最低限の時間と労力で。効率よく、無駄なく。それが美学だというなら、たしかに俺は酔っているのかもしれんな。

 

そして今回、コイツに求められるのはそんな能力だ。

大脳と小脳に分けてつくられたAIは思考し、行動することができる新時代の可能性の化身だった。だが自分で思考する力は、時に操る側の意図しない行為に及ぶ原因にもなる。可能性という言葉は良い意味で語られがちだが、未知の可能性は不確定要素という側面を併せ持つ。自らの力で未来を選択する力は、兵器には必要とされない。むしろ目的を阻害するバグだ。摘み取られることによって初めて意義を持つ可能性。それはもちろん、『誰にとって有意義なのか』で変わる話ではあるが。一部の権力者たちは、それを実例として知っていた。1974年11月23日のニカラグア湖で起きた、奇跡という名の動作不良を。

だからこそ、思考を取り除き、目的を達成するために最適化するためだけに演算を行うAIが求められた。

兵器にとっての目的とは敵対する対象の無力化。使い手の都合や環境への配慮など二の次だ。ある時は前線を走り回る歩兵を物言わぬ肉塊にし、ある時は戦場を蹂躙する重戦車をただのクズ鉄に変え、そして極稀に、世界を救うほどの力を持った優れた個でさえも屠らねばならない。

そのための最適化の思考とは、相手の輪郭を把握しより深く分析し弱点を見つけ出し最低限の出力で相手を無力化すること。

言い換えれば、自分と相手を含む、世界の境界を知る事に他ならない。

コイツにはそのための調整を、あの巨人を再び打ちのめすための情報を与えた。まあ、コックピットを狙うような真似はさせないように条件付けはしてあるが。

すでにボスが敵地に潜入しているが、どうやら作戦は第二段階にシフトせざるを得ないようだ。コイツにもおそらく出番が回ってくる。

 

ただ無事に作戦を成功させたとして、いま4機のヘリでワイヤーにぶら下げて運んでいるコイツに加えてあの巨人も持ち帰らねばならないとなると一体どれだけヘリが必要になるだろうか。そして戦闘によって失う数も考慮しなければならない。子供たちの回収も考えれば更に必要だろう。それもうまくいくかは、たった今ボスと闘い、そして敗れた男にかかっている。俺はヤツのことは詳しく知らない。会話を聞いた限りでは『勝利まで永遠に』戦い続ける機械のような化物かと思ったが、どうやらそれだけではないらしい。ボスがそう判断し、事を任せたのならばそれに従うのみだ。話もついたようだ。そろそろこちらから連絡しよう。

いよいよ決戦だ。

 

 

***********

 

 

<ボス、作戦の第二弾会の準備は順調だ。『ダイアモンドドッグズ』全隊、目標地点へ向かっている>

オセロットから連絡が入る。指示を出すまでもなく、作戦の第二段階への移行が必要であることを把握し隊を率いているようだ。

「了解。アレはどうだ」

<輸送中だ。調整も完了している。そちらにつき次第支度は済ませる>

この作戦はブリーフィングで計画したとおり二段構えになっている。まず、俺個人がいつも通り単独で潜入し子どもたちを回収、サヘラントロプス起動前に全てを片付けることを目標とした潜入と対象保護、障害排除のフェイズ1。そしてサヘラントロプスの起動を阻止できなかった場合、ダイアモンドドッグズ全戦力を投入した全力戦闘による怪物の討伐に臨むフェイズ2に移行する。

もう猶予はなかった。おそらくXOFがすでにイーライ達を発見し本隊の展開を進めているだろう。巨人の覚醒も避けられない。向けられた銃口が火を噴くまで―――そして緑が焼け落ち死臭が蔓延し報復心が解き放たれるまで、そう時間はない。ナイフによる擦過傷を押さえて走り出す。その痛みを薬で誤魔化す事すらせずに、視界の端々が赤く染まったままで。

 

――あの時を思い出す。

世界を全面核戦争の混沌に叩き落とすまでの秒読みが刻々と進んでいたあの緊張感を。

助け出すべき目標がいて、俺は敵地に一人、時間的猶予はなく、すでに潜入は露見し、マザーベースからのバックアップと、駆けつける仲間たち。

そして立ちはだかる怪物。人の世をたった一体でひっくり返せるほどの脅威。

後にピースウォーカー事件と呼ばれた、平和を問うた災禍の引き金。

俺はあの時銃弾の嵐をかいくぐり、ガンシップさえ堕としパスのもとへ走ったはずだ。

そしてザドルノフの真意を知り、敵に囲まれた窮地にて仲間たちに救われた。その中にはチコも、姉のアマンダもいた。そして響き渡る『VIC BOSS』のコール。――勝利か、さもなければ死しかない。そのどちらも許されざるはずの男に染み込んでいった、勝利を約束された英雄を讃える称号。

 

今度はどうだろうか。子供たちは救えるか、あの巨人に勝てるのか、仲間を失わずに済むだろうか、俺は『VIC BOSS』であり続けられるだろうか。

 

そしてふと思う、俺は不安定だ。度重なる悪夢に記憶の混濁と欠落、そして戦場の只中でまたこんな不安を抱えて思考を鈍らせている。戦士としても兵士としても未完成すぎる。

精神を切り替えよう。走るのをやめ、一度深呼吸をする。

―――俺はBIGBOSSだ

そう強く意識する。

立ち止まることは許されない。たとえあの頭蓋に響くような頭痛に見舞われようと、記憶に疑われ足元から崩れ去る恐怖にその身が凍えても、もう二度と。

 

そろそろ島の中央部だ。目標は目と鼻の先。

倒木や伸び放題の野草、日光を遮るほど木々にXOFの遺体が転がり、ぶら下がっていた密林地帯を抜け、小川に面した岩場に出た。川のせせらぎとカエルの鳴き声。そして岩場の先の滝がある崖沿いに、手付かずの自然の中にあって強烈な異彩を放つ人工の巨人が佇んでいた。腰の主兵装を構え、近くの岩陰に身を潜める。先の尖った木々がバリケードのように地表から突き出ている。その隙間から、巨人の足元で待機している少年兵たちの姿が見えた。イーライとともに蹶起に参加した子供たちだ。そして巨人の頭部に当たる中でも口に見える部分、その巨人を操るための操縦席に奴はいた。赤い防護服に身を包んだ少年。ここに集った少年たちの中で防護服を必要とする数少ない人物。サヘラントロプス起動前に無力化するためにもまずは接近しなければならない。岩陰から一歩二歩と歩み始めたとき、視界に別の人影が映りこんだ。白い防護服に身を包み、明らかに訓練された兵士のソレである集団行動と静かな歩みで子供達を取り囲むように徐々に包囲網を狭めていく兵士たち。XOFの本隊だ。とは言っても数はそう多くない。元々が秘密部隊であり、これまでの作戦で何人も殺してきた。挙句イーライの罠によって今日少なくない数の兵士が密林の中で自然に還ることとなった。スカルフェイス亡き今、兵員や武装の補充、指揮も満足にはいかないだろう。視認できるのは十数名程度。すべて含めても三十がせいぜいといったところか。

XOFの兵たちが移動を停止した。

腰を沈め、ハンドサインで合図を送っている。確認を終え、サインを送った奴が立ち上がり木の陰から銃を構え狙撃の態勢に入る。狙いはもちろん派手な防護服に身を包みコックピットで仁王立ちしているイーライだ。

数瞬の間をあけて、呼吸を整え、引き金を引く。

一発分の銃声が崖に反響し自然の音の中に混ざりこむ。だがそれだけだった。結果は予想通りだ。マズルフラッシュと同時に、イーライの盾になるように空中に浮遊するガスマスクの子供が出現し、弾丸は無効化された。

イーライがコックピットにいる時点で臨戦態勢だったことは想像に難くない。あの子供がついている限りそうたやすくやられたりはしない。

銃声に反応した他の子供たちが飛び起きるように移動を始めた。ここからではXOFとサヘラントロプスが障害となってすぐには回収できない。子供達は防護服を着たもう一人の子供と何やら口論しているようだった。岩や木に阻まれて視界が通らず状況はうまくつかめない。

だが、まあいい。こちらは巨人の相手で手一杯になるだろうし、イーライは自分の仲間を簡単には見捨てない。それはマザーベースにいた頃の言動からも予想がつく。それに子供達の事はアイツに任せてある。もはや『小さな戦士』とは呼べなくなった、デカくなった男に。

続いて複数の銃声が音楽を奏でるように小気味よく重なる。大戦時、多くのベトナム帰還兵がPTSDを発症するほど戦場は混沌と化していた。恐怖が蔓延し発砲率や命中率はわずか数パーセントで、人を殺すために冷静な殺意を込めて放たれた銃弾も、その目的を果たした銃弾も決して多くはなかった。感情的に、散発的に、恐怖に泣きわめく子供のような精神に支配された人と銃はバラバラで足並みはそろわない。

しかし、ここにいるのは精鋭だ。放たれる弾丸の一発一発は少年の命を奪う役割を全うするために躊躇なく空を裂く。集団としての訓練も行っており、味方との連携―――リロードやカバーを計算されたそれは一種のハーモニーだ。

しかし、それらを意に介さないような無慈悲な障害がそこには顕然と存在していた。

降り止まない弾丸をすべて無力化する、第三の子供によるものと推測されるバリアはそれほどに強力だった。

XOFも現状を打破すべく動く。後方から重歩兵が合流し、ミサイルによる加重攻撃を開始する。DDの兵装にもあるGROM-11と同系統の歩兵用ミサイル兵器だ。聞きなれた射出音と豪快な爆発音が木霊する。4発程度の弾頭が直撃しサヘラントロプスの周囲を爆煙で覆い隠す。他の兵士も発砲をやめ、様子をうかがい始めた。

だが俺は知っている。歩兵レベルの火力をどれほど投入しても、今は無駄だという事を。

奴はまだ、指先一つ動かしてはいないのだから。

以前、仮説として提示されていた第三の子供の超能力におけるリソース限界が存在する説はここでもその真実味を増すこととなった。いくら強力なサイキックでも、一人の人間が行うものならば限界があるはずであり、バリアのような強力な障壁の発生と火炎の発生やコントロール、巨人を動かすといった能力を同時に使うことは不可能だろうという説明は確かに筋が通っていた。超能力なんて人並み外れた能力を人間が行使することを棚に上げてはいるが。

つまり今、サヘラントロプスを動かすことに力を割かなくて済むほど、あのバリアは強力に作用するということだ。

煙が晴れて見えたのは、先ほどと変わらぬ場所で悠々と浮遊する第三の子供と、巨人の頭部からこちらを見下し睥睨するイーライの姿だった。

そしてイーライはその台座に収まり、王の命令を待つ騎士のように片膝立ちをしていた銀白色の巨人を、遂に目覚めさせた。

サヘラントロプスの足元にまだ残っていた少年たちが慌てて走り出す。

それを配慮してか、巨人はすぐには動きださずに体の向きだけを変えて頭部機関砲を唸らせた。それは十分に強力で、XOFの兵士たちは紙屑のようにちぎれ飛んでいく。

その圧に、成すすべもなく敗走する白い小人たち。運悪くも直撃をうけ左の脇腹から丸く胴体の六割がぽっかりと空いて、弾性を持ったゴムのようにぐにゃりと曲がりながらはじけ飛んだ兵士。至近弾の衝撃で鼓膜をやられ、平衡感覚を失ってふらつくことしかできない兵士。足場が崩壊し崖上から転落する兵士。足をやられた仲間を抱えて懸命に岩陰を目指す兵士。動けるもの皆が一様に逃げていた。動けぬものも逃げようともがいていた。この絶対的な力から遠くへ、遠くへと。それをあざ笑うでもなく、静かに巨人は立ち上がる。そして人がそうするのと同様に、膝を、肘を、腰を、首を曲げてためを作り、跳んだ。ジャンプした。子供が飛び跳ねるのとそう変わらない、それだけの動きだ。そうしてただ小人たちの辺りに着地するだけでそれが命を屠る厄災になる。何人もが吹き飛び、全身を打ち付ける羽目になった。

そして、歩く。

その巨大な一歩は、やはりそれだけで小さきものを簡単に殺す。

ここまで生き延び、逃げようとする命ですら、巨人に与えられた権能のごとき業火によって灰燼と化す。アフリカの集落で見た、黒く燻る肉と骨の塊――人だったものになるまで、ほんの僅かな時間しか必要としない。

そしてそれはもちろん他人事などではない。

先ほどの跳躍と、その巨大さに比例した一歩一歩が彼我の距離をすでに縮めている。

岩陰から弾かれるように走り出す。背後数メートルのところで灼熱に包まれ踊るように崩れるXOFの兵士たちを尻目に。

すぐ傍を流れていた、ひざ下ほどの水深もない小川の中に入り岩陰に隠れる。

といっても目の前でこちらを見下ろす巨人に対して、それは身を守るにはあまりに貧弱な壁だった。しかしあの火炎をとりあえず防ぐ手段として最も早く、近いものだった。そこで、数メートル先まで進撃した巨人は膝を畳み、首を曲げ見下ろすようにして口を開いた。その口内に収まった少年と目が合う。こちらも岩陰から出て、その視線をまっすぐに受け止める。そして少年もまた、口を開いた。

 

《見ろ、あんたは必ず来る》

外部スピーカーを通して拡大されたイーライの声が周囲に響き渡る。

俺は子供の挑発に乗ってここまで来たわけじゃない。

自分たちが始めたことの落とし前をつけるために、坊主などではなく対等な一人の男とけじめをつけるためにここに来た。自分が背負った責任と役割を果たすために。

「お前はもう大人だ。好きにしろ。 だがこのままでは殺されるぞ」

《どう死んでも俺の自由だ。そうだ、俺は自由だ》

自由という言葉を噛みしめるように繰り返す。

こいつはいったいどんな意味で自由を語るのか。おそらく普通の人間が求めるそれとは異なっているのだろうという事だけは想像がついた。

そして巨人は畳んだ膝を、背筋を、首をまっすぐに伸ばした。『直立型二足歩行兵器』の名にふさわしい、立派な直立姿勢だ。雲の合間から差す光が神々しさを演出しているかのようにも感じられる。そう、こいつはもう大人だ。自分の足で立っている。戦場という限られた世界の中で。

《親父の好きにはさせない。俺は呪われた運命を打ち破る!そのためにまず貴様を殺す!》

高らかにそう宣言し、イーライは、そしてサヘラントロプスは口を閉じた。

ここから交わされるのは言葉以外のものだ。弾丸、炎、火薬、およそ言葉とは程遠い暴力の塊。しかし打倒せねばならない。それが自ら背負った責任であり役割だ。

一度は倒した経験もある。策も講じた。そして何より、仲間がいる。不可能はない。

最期まで決して諦めることは許されない。任務の成功を、勝利をイメージしろ。俺は『VICBOSS』。勝利も死も許されない戦場で唯一、勝利をもたらすイコンなのだから。

〈ボス!!〉

通信が届くのと、巨人に無数の鉛の雨が降り注ぐのはほぼ同時だった。

その瞬間を逃さず、全力で距離を取る。足元をうろつくだけで死にかねないうえにあの火炎放射器は厄介だ。たとえ炎に炙られなくとも熱は体力を削り、周囲の酸素は失われていく。

上空には作戦第二段階の主戦力、DD本隊の航空部隊が展開と同時に巨人への攻撃を開始していた。先ほどのXOFの歩兵携行レベルの武装とは比較にならないほどの重武装を的確に叩き込む。地表を走って離れていてもその振動と爆音は凄まじい。

〈こちらで時間を稼ぐ。支援班から送られてくる支援物資を受取り、装備を整えろ〉

陣頭指揮をとるオセロットからの通信を聞き、iDROIDを開く。マップにマークされた場所へと迅速に移動する。

支援物資を投下するといっても現状は普段のスニーキングミッションとはわけが違う。

武器弾薬を詰め込んだダンボールがパラシュートで宙を舞っているのをサヘラントロプスに見つかれば蜂の巣にされてしまう。程よい距離と、装備を整える間の遮蔽物と時間、味方がやられないようすぐに戻れるだけの遠すぎない距離、全てを考慮した最適なポイントが設定されていた。倒れた木々と豊かな土壌を全力で駆け抜けているとちょうど十メートルほど先に物資が届いた。

巨大な岩陰という遮蔽物があり、それゆえに日光を遮られ木々の裂け目になっているポイント。ガンシップによる航空攻撃と応戦するサヘラントロプスの機関砲や咆哮が島を覆う中でミサイルやグレネードランチャー、予備弾倉といった重装備を次々身にまとう。先程までのスニーキングミッションにおける隠密性を重視したスタイルから一転、破壊をもたらすために特化した人類の英知の結晶を背負い、来た道を再び走る。

 

重装備のせいで先程までの身軽さは失われた。明らかに落ちたスピードに苛立ちさえ覚える。世界がスローモーションに見えてきて視界の情報が鮮明に入ってくる。先程までの密林地帯は密集する木々の広げる葉が、風のない炎天下の中差す日傘のような役割を果たし、一言で言えば蒸し風呂だった。空は曇り始めたが気温は決して低くない。自然の生命力を体現する木々が並び、中には色鮮やかな果実を実らせているものもある。足元は野草ばかりでなく岩石や地表が顔を覗かせ、それすらも他では見ない類のものだった。塩湖に浮かぶこの島はその特性上塩生植物に代表される独特な自然を生み出す。遠くからは重火器の爆音が響く。野生そのままの風景に爆炎に照らされ夕焼け色に染まる黒煙が立ち上る。そして目の前には人によって刻まれた異形、ついさっき自分が残した足跡がまっすぐ続いている。数分前の自分とすれ違いながら仲間のもとへと駆ける。きっと暑さのせいだけではない汗が額を流れ、顔中に深々と刻まれた傷跡をなぞるように落ちていく。声帯虫対策の為に外すことの出来ない防護マスクがうっとおしくてたまらない。

この数分で死んでしまった家族はいないか、俺はまだ間に合うか――――すれ違う過去の自分には声も届かない。そもそもそんなこと自分は知る由もなかった。取り返しのつかないことが起こる前に、かけがえのないものが失われる前に、何よりもケリを付けるために、戦場へ。

先程までいた地点まで戻り、再び巨人と相見える。

空を舞うガンシップを蠅のように振り払おうとする銀白色の巨人が各種取りそろえられた人殺しの暴力にさらされていた。

しかしそれをものともしない劣化ウラン装甲と第三の子供によるサイキックバリアに、ふんだんに武装を積んできたはずの鋼鉄の鳥たちは攻めあぐねている。

距離を詰めすぎればサイキックの餌食となる可能性があり、何もできずただ墜落してしまう。距離を詰めなければ兵装は十分な威力を発揮できずにジリ貧だ。

「オセロット、これより戦線に復帰する。各部隊につなげ」

〈ボス、5秒まて。―――――いいぞ〉

「皆よく聞け。これよりあの巨人をスクラップにする。事前の作戦通り俺への注意をそらすことに尽力しろ。無理はするな」

効果的な打撃は与えられない以上弾薬の無駄打ちは文字通りの消耗だ。

〈全員聞いたな。航空部隊は適宜援護射撃しつつローテーションどおり洋上で待機している平和丸で補給を受けろ。歩兵部隊は武器弾薬をボスへ補給し、同時に陽動をかけて補給の隙を作り援護しろ。巨人の周囲で段ボール補給は使えないからな。陽動の際の攻撃はヒットアンドアウェイ、ボスの言うとおり無理に前に出る必要はない〉

年齢も性別も特技も生まれも母語も肌の色も異なるスタッフが、一つの頭を共有する手足のように連携する。

―――超個体。

以前コードトーカーとオセロットがそんな話をしていたことを思い出す。

俺は俺の役割を果たそう。

過程と手段が違うだけでやることは普段と変わらない。気取られないように死角から接近し急所めがけて仕掛ける。暗闇から首筋にナイフを突き立てるようにあの巨人の戦闘能力を削ぐ。今回は切り札もある。さあ、二度目の巨人討伐だ。

 

 

***********

 

 

―怖い。

鉄の筒が、こちらを向いている。その奥には弾頭と弾薬を包んだ薬莢がおしりについた雷管に衝撃が来るのを静かに待っている。つまりはその銃を持つ少年の指が引き金を引くのを。

 

――怖い。

対してこちらは両手を広げて少年の眼前に立ちはだかっている。銃どころか武器もなく、ただ背後に流れ落ちる滝の水しぶきが背中を濡らしている。

 

―――怖い。

身体が震えている。濡れて冷えた防護服が体温を奪っているのか、恐怖で震えているのかわからない。あるいはどちらも正解なのかもしれない。

 

「どうして邪魔をするんだ!もう戦いは始まっているのに!」

 

みんなは口々にこんな風なことを繰り返して、この滝裏の洞窟から出て行こうとする。こっちに銃口を向けているのは、白い防護服に身を包んだ大人たちが来た途端に滝の裏へ逃げようと叫んだ僕の言葉にギリギリまで反対した子だった。サヘラントロプスが動き始めるまでその足元で口論して、巨人が体を起こしてようやく身の危険を感じてこの洞窟についてきた。

みんなを死なせないためにもここから出すわけにはいかない。そのために体を張って止めようとするけど、それは皆にとって邪魔でしかない。目の前の障害を排除するために武器を使う。当然のことだ。今この場では武器とはみんなが持っている銃で、障害とは僕のことだ。ここには何人かの子供がいる。それぞれが一人の人間だ。他人だ。だが敵と味方という輪郭をつけるのはとても簡単で、僕は一人だ。さっきまで仲間だったとしても一度線が引かれてしまえば、一瞬で極めつけの、徹底的な他人に成り下がる。それこそ銃口を向けるほどの。殺せるほどの。

「どいてよフレーデ!イーライを助けなきゃ!」

嘘だ。イーライに助けが必要ないことも、自分たちが足手まといなことも少し頭が働けばわかることだ。それを知らんぷりして――それがわざとなのか無意識なのかは知らないけれど――ただ戦場に駆け出したいだけなんだ。

「だめだ。これはイーライからの指示でもあるんだよ」

声も震える。銃口や死は戦場では常に自分たちのすぐ隣にいた。街が焼かれ、それなりに平凡で平和な生活から少年兵になって人殺しを強要された日々を思い出す。その時もこんな恐怖に襲われただろうか。いや、あの時は自分の手にも銃があった。自分も相手を殺せた。対等だった。ガンパウダーで心は麻痺し、そもそも家族を失ったショックで心は壊死しかけていた。まともじゃなかった。人殺しを始めたころも、戦場に身を置くことが日常になっても、こんなに怖いと思ったことはない。一方的にやられる怖さは戦場で殺し合いをする何倍も怖い。

でも本当に怖いのは、僕が怖い怖いと繰り返し今噛み締めているのは、死ぬことだけじゃないはない。他人だ。他人が怖い。きっとどこでも誰でもそうなんだ。些細な事で敵を作り、相手との違いをあげつらい、自分と相手とは異なるのだと叫ぶ。ただ生死が関わる戦場では感情の持つエネルギーがわかりやすく膨らみあがるんだ。

そして戦場で「自分たち」に入らないものは「敵」で、それは排除すべき対象だ。

僕にいろんなことを教えてくれたエメリッヒ博士はマザーベースを追放されるときに「まともなのは僕だけか」と叫んだそうだ。

今の僕はまともだろうか。理性という名の枷が外れて、戦場という日常へ帰ることを望み、目の前で声を荒げるみんなを前に、僕が持つ唯一の武器は言葉だ。それすらも届くか不安で、理解してもらえず、一方的に銃口を向けられている。

怖い。怖くてたまらない。次に瞬きした時には死んでいるかもしれない。みんなに囲まれているのに孤独に死んでいく。目的も果たせず、僕がこの世に遺すのは世界に圧政を敷く鋼の巨人。

それでも、僕には希望がある。そのために頭を使え。腹を減らした猛獣にさえ届く言葉の弾丸を放て。まだだ、まだ、死ぬわけにはいかない。みんなを死なせるわけにもいかない。

防護マスクを脱ぎ捨てる。

空気を吸う。震えた声では何を言っても意味はない。言葉そのものにも意味はないのかもしれない。それでも放つ。この言葉に込めた意味がより強く伝わるように。僕自身の恐怖と、この洞窟に響き渡るみんなの怒号を圧倒する声を、放つ。

「僕に考えがある!」

 

本当はない。でも目的は達成した。

普段では絶対に出さない大声が出た。滝の水しぶきが長年かけて作ったこの小さな洞窟という場所も声を大きくする助けになった。みんなが静まったこの一瞬を無駄には出来ない。

「いいかみんな、今出て行っても無駄死にするだけだ。僕らはこの先もイーライと共に生きていく。戦いつづける。その覚悟をしてきたはずだ」

僕はそんな覚悟をした覚えはないけれど、ケッキ前にマザーベースから脱走した子を中心にイーライはそう言ったと聞いた。覚悟をしろと。

「僕は何も闘うなと言うんじゃない。今は身をひそめ、この後のために準備するんだ」

しゃべりながら次に何をしゃべるべきか考える。理性のない猛獣にただノーを突き付けてもその力の前では無力だ。ただ踏みつぶされる。規則やルールを強いるなどもってのほかだ。――――戦場では、まともなやつから死んでいく

僕を少年兵に仕立て上げた男がよく言っていた。

「例えば脱出路の確保だ。万が一の場合の逃げ道を確保するために今イーライがいるところとは違う場所を制圧するとか」

ではどうするか。一つは目線をそらす。空腹の猛獣が目の前にいるならうまそうな肉をどこか別のところに放り投げればいい。イーライのいる戦場が危険なら、別の安全な戦場へ誘導すればいい。

「イーライなら助けなんていらないさ。僕たちが傍にいてはむしろ邪魔かもしれない。それのあのガスマスクの子もついてる。イーライが負けるような相手に僕たちが勝てっこないよ。それなら万が一のために逃げ道を確保するべきだ。そうだろ?」

相手に発言させてはいけない。この空間を言葉で支配する。立て続けにしゃべり倒す。たとえよく聞いていなかったとしても納得させる。

「それにここにいろってのはイーライの命令なんだよ?つまり前線にはでるなってことさ。その命令を破るのかい?」

猛獣にだって強い奴と弱いやつがいる。群れにはボスがいて、それは絶対だ。

「相手を間違えるな。僕らの敵は目の前にいる大人たちだけじゃない。世界中の大人達が、いや、世界そのものが敵なんだよ」

イーライの言葉を借りる。

肉を放り投げるように、また敵をずらす。

戦うなとは言わずに戦いから遠ざける。

「僕たちは戦場が日常だった。それはこれからも変わらない。ただ違うのは、その戦場が選ばされたものか、自分で選んだものかだ。」

何となくわかってきた。僕はイーライの副官だ。ファントムだ。彼の言葉を使い、彼のように振る舞えば、ここにいるみんなをまとめられる。

彼と同じになれなくても、彼と同じであろうとするだけでいい。

ここには無邪気な暴力への渇望しかない。

その方向さえうまく仕向けることが出来さえすればそれでいい。

「自分の復讐のためにもここで死ぬわけにはいかない。違うかみんな?」

復讐という二文字で皆を煽る。最低だ。今皆の頭の中では殺された家族や友人の光景がまざまざと甦っているだろう。自分で言っておいて自分自身家族を失ったあの日を思い出している。言葉は尽きた。みんなに問いかけた。猛獣の暴力の矛先は変えられただろうか。

僕の叫びを最後に、洞窟は静まり返る。

誰も身じろぎ一つせずに、環境音が静かに耳に入り始める。流れる滝、虫の鳴き声、風、そして遠くで響く爆発音と鉄の軋む音。

 

目の前の少年が、銃口をゆっくりと下す。

集団の中から、髪を紫に染めた少年が前に出てきた。戦闘前にサヘラントロプスの前で声をかけてきた子だ。

「僕はフレーデに従うよ。フレーデ、次はどうすればいい?」

ぼくも、俺もと続き、みんなが僕の次のことばを待っていた。

みんなを死なせたくないのは本当だけど、口にした言葉は嘘にまみれているのに。

きっと僕もまともじゃない。まともだったら死んでいた。ラーフの時と同じように理性という役割を、みんなの怒りを燃え上がらせる起爆剤としての役割を果たしてその辺に転がっていただろう。でもだからこそ、まともじゃないからこそみんなは僕の言葉をきいてくれた。

嘘はいずればれる。でもこれでいい。完全に他人になりすましたり、他人として生きていくことは出来ない。ただ舞台の上の役者のように、一定の時間、一定の役割を演じることは出来る。時間だ。僕があの巨人に仕掛けたウイルスが身体を蝕む時間さえ稼げれば、みんなは守れる。もう少しだけ狂気の、しかしちょっぴり頭の回る副官を演じなきゃいけない。先ほどまでイーライの前で怯えて言うことを聞く従順なメカニックを演じたように。

僕はみんなに武器の確認をさせながら、戦場とは真逆の退路を確保するための指示を出した。防護マスクを着けなおす。英語は喋っていないが、声帯虫は入り込んだかもしれない。様々な恐怖を胸に、僕はみんなを先導し歩き始めた。

 

 

***********

 

 

〈ボス!!ご武運を!!!〉

そう言って一機のヘリが黒煙を上げながら巨人へと突っ込んでいった。

被弾を重ね、墜落を悟ったパイロットが捨て身の特攻を仕掛けたのだ。

しかしその機体は巨人にダメージを与えることなく、波打つブレードに両断されながら落下し、その足元で派手な爆炎を上げた。

《フハハハハハハハハハハ!!》

イーライの高笑いが外部スピーカーを通して島に響く。

これで4機目だ。歩兵も十数人が死亡。他多数が重軽傷を負っていた。

戦闘を始めて一時間が経過しようとしている。こちらの損害も甚大だが、巨人に対するダメージも間違いなく蓄積している。何より操縦者のイーライはずっと独りで四方八方から飛来するミサイルを迎撃し、ヘリを落とし、歩兵を蹴散らし、俺を追っている。いくら巨人が強力でも生身の操縦者には必ず限界が来る。そしておそらく第三の子供にも。

その疲弊具合を見極め、たった一度のチャンスを逃さずに切り札を切る。その時はもう近いはずだが、まだ確信が持てない。

というのも、サヘラントロプスが想像以上に盾を上手く使っているのが原因だ。以前戦った時にはなかった兵装の一つとして、今回サヘラントロプスは左手にシールドを装備している。ヘリの機銃はもちろん、ミサイルでさえ防御しうる頑丈さを備えている。巨人はそれを的確に使用することでサイキックの使用回数と機体本体へのダメージを軽減しているのだ。まるでどこから撃たれるか分かっているように、射線に事前に盾を構えている。俺の撃った弾も何度も防がれた。

以前インフォーマントの情報やオセロットから聞いた話によると、第三の子供は強い感情を、特に怒りを敏感に受信してしまうとのことだった。つまりイーライと少年は相手の殺気のようなものを読み取って、誰がいつ何を撃ってくるかを事前に把握できると考えられる。こちらの手を読み取られるまでは予想できたが、ここまで戦いに適応してくることは想像の埒外だった。おかげでサヘラントロプス本体のダメージは消費した弾薬に対して軽微だ。

こうして思考を巡らせながら走り、次の攻撃ポイントを模索する間にも仲間は次々死んでいく。巨人は再び溜めを作り跳躍した。島の上部にあたる視界の開けた斜面に着地し膝を折りたたんでレールガンの発射体制に入った。

その槍の矛先は、補給のために撤退する支援ヘリに向けられていた。戦闘エリアから離脱するべく動いていたヘリとの距離はかなりある。故に、回避行動をとらず直進していたヘリは格好の的だった。

回線を開き警告するために叫ぶ直前、黒煙と暗雲にまみれた薄暗い空を、人工の雷がまっすぐに裂いた。まるで遠くに打ち上げられた花火のように、遅れて音が届く。

また、家族を失った。

〈ボス、あれの準備は出来ている。指示の出し方はアイツの時と同じようにしてくれればいい。あとはタイミングだが〉

「ああ、分かっている」

焦るばかりではいけない。まだだ。まだその時ではない。あと一歩が足りない。

巨人が再び跳躍して、高い斜面から地平に降りてくる。地震のような揺れに見舞われ、ふらつく。しかし敵は待ってはくれない。すぐに走り出し十数m先の味方と合流する。

「ボス!これを」

補給の兵士からロケットランチャーを受け取る。兵士は素早く撤退し、俺自身は巨人の背後から接近する。背中に生えるように突き出ている白いタンク目がけて弾頭を発射。着弾を確認せずにそのまま後ろへとダッシュする。背後で爆発音と巨人のうめき声がしたのを耳で確認しながら素早く距離を取る。しかしこちらを捉えたサヘラントロプスは足を踏み出し迫ってきた。

「ボスのもとへ行かせるな!!」

「援護しろっ!!!」

仲間たちが叫ぶ。

先程補給の役割を果たし撤退していたはずのスタッフが手持ちの小銃から弾を吐き出しながら巨人の足元に躍り出る。この戦場において一際小さく乾いた音が爆音に紛れて耳に届く。しかし頑丈な装甲の前では効果は薄い。その戦力差がどんな結果をもたらすのかは先ほどXOFの部隊が示したとおりだ。

 

走りながら振り向いた視界の端で、巨人の左足と地面の間に下半身を挟まれるそいつが見えた。

 

「行ってください!ボス!!!」

俺の足が止まりかけるより早くそいつが叫ぶ。

痛み、なんて言葉では言い表せないほどの苦痛を殺し、目に涙を溜めながら声を上げる。

そいつを踏み潰すために巨人は「踏み潰す」という動作の分だけそこに立ち止まった。たったそれだけの刹那。命を賭した一瞬。

巨人が左足を上げてまたこちらへ迫ろうとする。下半身が潰れた仲間の断面からは控えめな血しぶきが上がり、赤黒い液体が乾いた布に染み込むように拡がる。巨人の左足は鮮血の糸を引きながらこちらへと踏み出された。 

前を向き直し、走る足に力を込める。

 

《貴様は誰も守れやしない。自分の身さえな!死ね!!》

 

迫る巨人からイーライの声が降ってくる。

――――後何発撃てばいい。後何回走ればいい。後何人失えばいい。

息を整える間もなくひた走る。分かり切った答えを口にする。

――――『勝利まで永遠に』

 

 

***********

 

 

笑いが止まらない。これが絶対的な力だ。

俺個人はまだ子供だ。身体的な面はもちろん、経験や知識で大人には勝てない。

権力もない。あるのはただ、いつだって腹の底から体を溶かすように燃え盛る怒りだけだ。

だから復讐するためには力をつける時間が必要だった。そのために同じ少年兵を仲間にし、知恵を絞り、大人たちにさえ負けない部隊を作った。時間をかけて、まだまだ強くなる。そのはずだった。

それをあいつに邪魔された。よりによって一番殺したいあの男に。でも今となってはそれは近道だった。人を、金を、力を集め、大人に成長するための時間をショートカットできた。

手に入れた。力を。

この巨人と、コイツの力さえあれば今からだって世界を相手に戦える。

俺は世界を壊す。この島を手始めに領土として国を作る。俺は王として君臨する。この巨人は俺達の国の力の象徴になる。巨人とともに王自らがこうして敵を屠れば部下はついてくる。これからはこの巨人が法螺貝の代わりだ。

さあ追い詰めた。

「BIGBOSS! 踏み潰してやる!!」

あと一歩。これでおわ―『警告 システム起動 自爆シークエンス開始』

 

 

***********

 

 

DD全隊による総攻撃でも易々とは傷がつかないような銀白色の鎧に身を包んだ巨人の動きが、今まさに俺を追ってあと一歩のところまで肉薄してきたサヘラントロプスが、止まった。

 

―――ここだ

 

「狙え」

その瞬間を見逃さず、合図をだす。

「撃て」

かつて戦場を共に駆けた、あの沈黙の狙撃手にそうしたように。

 

先ほどサヘラントロプスが放ったものと同質の音が、振動が、光が、再び空を裂いた。サヘラントロプスの正面、巨人に対峙する俺の後ろから、俺の頭上を、まっすぐと。

違うのは、そのそれぞれが、巨人のものより一回り小さいことと、その光の行き先が巨人の左肘であることだ。

金属がひしゃげるような轟音の後、少し遅れて金属同士が重なりぶつかり合う派手な振動が響いた。巨人の左腕が盾ごと吹き飛んで、木々を押し倒し岩にぶつかりながら地を滑った。

左手を吹き飛ばされた衝撃と機体制御バランサーの働きで右足に重心がかかる。

「撃てぇ!!!!!」

再び一筋の閃光が煤けた大気を裂くように迸った。今度はサヘラントロプスの右膝を貫き抉る。悲痛の絶叫にも聞こえるような金属の軋む音を立てながら、巨人は「足」という支えを失い、その右半身から大自然に埋まるように、盛大な土煙と水飛沫を上げた。

 

 

***********

 

 

目を開くと、世界が直角に傾いていた。それが、自分が横に倒れているせいなのだと気づくのに2秒かかった。轟音とともに真正面から放たれた、たった二撃の砲弾がこの巨人を倒した。たとえ死角からの攻撃だったとしても、相手の感情に反応することで対応できたはずだ。しかし先程までコイツを通して感じていた殺気や敵意は微塵も感じられなかった。決してあと一歩であの男を踏み潰せると逸ったわけではない。そしてこの巨人を倒した原因はもう一つある。突然作動した自爆シークエンスだ。この機体を修理し武装を整える前から唯一存在した攻撃手段。それがタイマーで起動するようになっており、そのせいで機体がロックされた。そんなことが出来たのは一人しかいない。

 

「フレーデェ!!!!!!!!!!」

 

怒りが膨れ上がる。これ以上はないというほど常に沸騰している精神の温度が更に上昇した。

「おい!お前の力でコイツを動かせ!!」

側にいるはずの魔法使いに怒鳴り散らす。自分はまずこの自爆シークエンスとやらを止めなければならない。でなければこの機体が核爆弾として起爆し全てが水の泡だ。

俺は世界を相手に喧嘩をふっかけるんだ。

こんな離れ小島で、目的も成し遂げずに消えるわけにはいかない。

パネルを見るとすでにウラン濃縮アーキアによる劣化ウラン装甲のウラン濃縮が始まっている。起爆停止の操作がどのパネルで行えるか探す。タイマーは刻一刻と週末時計の針を進める。機体も満足に動いていないようだ。なにせ左腕と右足がない。

「クソっ!!」

タイマーが無慈悲なほど正確に時間の経過を示す。

あの男はすぐ近くにいるはずだ。復讐は遂げられる。だがこんな終わり方は望んじゃいない。

パネルの表記が0になり、電子音が鳴った。

「クソォッ!!!!!!!!」

 

 

 

 

 

ピーという電子音が鳴りつづける。他には何も起こらない。パネルには「臨界発生装置にエラー」の文字が明滅してた。

 

 

***********

 

 

巨人は膝を折り、地球の引力に従ってその身を大地に伏せた。その四肢のうち左手と右足を失い、最早立つこともできまい。先ほどまで正面に屹立しその堂々たる威風を放っていた巨人は俺から見て左に倒れこみ、俺はちょうどつま先からまっすぐ数メートルのところから視線をわずかに左に向け、まだわずかにうごめく巨人の姿を見つめる。これまでのダメージでもあるだろうが、装甲が融解するように破損している。

 

――――まるで巻き戻しだ。キプロスの病院で目覚め、後にXOFに追われたあの日、俺は満足に動かない体に苦心しながら必死に逃げ回った。ベッドから転げ落ちて床を這いつくばり、壁にもたれかかり前傾姿勢の中腰で立ち上がり、何度も転び、灰皿をひっくり返し、床を舐め、やっとの思いで立ち上がって、死に物狂いで走った。

それは奇しくも進化の過程をたどるようだった。

そして『直立型二足歩行兵器』と銘打って創造されたこいつは今、それを巻き戻すように垂直な直立歩行と前傾姿勢の超電磁砲射出形態をとり、そして腕と足を失って地を這っている。

よくヒトの進化の過程を表す時に見る「March of progress」のような、サルからホモサピエンスへと四足歩行が直立二足歩行になる様子そのままだった。俺の物語は地を這うところから始まり、二本の足で立ち、戦場を走り抜けてきた。そしてその締めくくりとして対になるように、この巨人はまっすぐ伸びた背筋と足を折り、地に伏した。かつて俺自身が口にした、俺たちの象徴たる巨人が今、第二章を終えた区切りとしてそこに倒れている。三度目はごめんだ。今度こそ思い出のまま静かに眠ってもらわなければ。

イーライを引っ張り出すためにサヘラントロプスに近づく。

巨人の膝に雷槍を突き立てたバトルギアも、とどめを刺さんとばかりに近くまで接近し俺に随伴するようにその四駆を駆動させながら前進していた。

 

このバトルギアこそが対第三の子供として調整されたAI搭載型の自立兵器。この戦いにおける切り札だ。構造や戦闘能力はエメリッヒ博士が残したバトルギアを完成形へ改良した程度だが、本来人間が搭乗する部分にAIを搭載した。モデルはもちろん俺が回収し、研究開発班に鎮座していたピースウォーカーのママルポッド。ただし厳密には自分で思考し行動の選択を行うほどのAIは積まれていない。更に、思考モデルに選ばれたのはザ・ボスではなく、沈黙を破り捨て部隊を離れたクワイエットだ。自分で思考するAIは不確定要素が多すぎる。それはピースウォーカーの一件以来軍関係者の間で広まった知見だった。しかし、こちらの感情や思考を読む力を持った敵がいるのならば、感情を持たない兵器による一撃必殺の奇襲こそが有効打になる。自ら有利な場所を選択し、相手の行動や弱点を探り、一定以上の距離からの効果的な狙撃を成功させる。なにより俺の指示を正確に実行する。俺は指示こそ出したものの、バトルギアがどこにいて巨人のどこを狙うのかまでは把握していなかった。だがコイツは、敵に発見されることなく移動し、厄介だった盾と片腕を関節部を正確に狙い撃つことで排除し、その後の微妙な重心の変化をついて再び脚部関節を穿ち、見事に巨人の手足を砕いた。サヘラントロプスがなぜ一瞬の隙を見せたのかは不明だが、バトルギアはその目的を十分に果たしてくれた。この戦場にのみ、サヘラントロプスを打ち倒すためだけに生まれた物言わぬ狙撃手の亡霊。これまでの戦闘で得られたデータをもとに複製された、かつての相棒。

 

 

視界の右端で、何かがスパークした。横たわる巨人の身体の中央、脚部の付け根、人で言うところの股間部で機器がスパークし、そこに備え付けられた火炎放射器が炎を吐き出そうとしていた。しかし満足に起動できないようで弱々しい吐息のような火がこぼれるばかりだった。すでに脅威ではな――

その時、風がなでるように運んできたソレに嗅覚が反応する。マスク越しでもわかるほどに、スパークする機器の周辺から燃料独特の油の臭いが漂ってきている。最悪の場合引火、誘爆する可能性もある。

 

ヘリから身を投げ出す少女が爆散するあの記憶がフラッシュバックする。

最悪のケースが脳裏をよぎる。

急いでイーライを機体から引きずり降ろさねばならない。

歩みを早め、岩と土と植物で織りなされた大地に横たわり残った右腕を地面に擦り付けながら振り回す巨人に接近する。ただ振り回しているのではない。立ち上がろうと、大地に手をつこうとしては失敗し地表を抉る行為を必死に繰り返していた。

ニカラグアで見た、彼女の最期と同じように。

「撃て」

すぐ隣を共に歩んでいたバトルギアの超電磁砲が駆動音を上げ、辺りを一瞬青白い光に包む。

相手の無力化という目的を完了したからか、それとも先ほどまで直立していた対象が転倒したため遠距離からの狙撃が困難と判断したからか、バトルギアは俺の数メートルとなりを随走している。

誘爆やコックピットへの被害を避ける正確無比な射撃によって右肩下の劣化ウランと金属フレームがひしゃげ、腕部が少し離れたところで物言わぬ鉄塊と化した。

これで巨人は右肩から先、左肘から先、右膝から先を失った。

駆動系は沈黙し機体の各所から黒煙が上がって―――

 

『まだだ!!! まだ終わっていない!!!!!!!!!』

 

突然、巨人の頭部、サヘラントロプスのコックピットからイーライの怒号が聞こえてきた。

これ以上何を――

 

不安の種が芽を出した。

サヘラントロプスの火炎放射器から漏れ出ていた火が、徐々に勢いを増している。

 

同じだ。

キプロスで空を舞った、ヘリを飲み込んだ燃える鯨。

幾度となく行く手を阻んだ、燃える男。

感情で、煮えたぎる酸のような怒りによって、現実に現れる火炎。

陽炎のような曖昧なそれは、あの少年によって実在を得る。

青い炎と相まって紫に染まったそれは膨れ上がり花のように広がっていった。花そのものは花弁のように美しく花開くのではなく、針のような細く鋭い炎が無数に広がり、葉に見える部分さえその刺々しさを惜しみなく表していた。

花開いた恩讐の炎は、その赤紫の熱量を咲かせて――――異臭を放つ損壊部から迸るに触れようとしていた。

走り出す。叫ぶ。あの時と同じように。

「止せぇ!!!!」

一際大きな火花が引き金となり、俺は再び、熱の圧力に運ばれて宙へと弾かれた。

 

 

 

 

六章 クウハク

 

 

立って歩け 前へ進め

あんたには、立派な足がついてるじゃないか

 

――――――――鋼の錬金術師 エドワード・エルリック

 

 

ああ、息が出来ない。

自分を守る為、この穢れた人の世に汚染されない為、凄惨な景色を少しでも霞ませる為に、このマスクを被った。

他人がそばにいるだけで、自分が滲むような感覚に陥る。境界が曖昧になって、他人と自分との隔たりが失われ、何処までが自分で何処からが他人なのか、分からなくなる。

誰かの怒りが、いつの間にか自分の怒りになる。

だから、マスクを被った。

なるべく、世界を遠くにおいやりたくて。

なるべく、世界から離れていたくて。

でもフィルター越しに酸素を得なければ、生きてはいられない。マスク越しに息を吸うだけでも、マスク無しのそれとは段違いに労力を要する。世界を遠ざけた代償だ。

それに加えて今、お腹の底から喉の奥までを灼き尽くすばかりの熱が迸っている。

吸気が肺に入るより早く、体内の炎が酸素を焼いている。

 

あぁ、息が、出来ない。

思わず「自分」がこうして表層に現れて思考をしている程に、今この身体は悲鳴を上げている。自分の理性は、このままでも構わないと、共に世界を相手に戦うこの白人の少年に共感したのだから命を賭すのも吝かではないと考えている。世界を遠ざけるばかりで、自分を「研究」している大人達に囲まれた日々にどこか怯えていた自分にはない何かがこの少年にはある。だから、これでいいのだと。

だが身体は、生存本能に揺さぶられ「自分」を叩き起こすほどに「生きろ」と訴える。

しかし最早、「自分」にはどうしようもない。彼の怒りが、「自分」の全てだ。止める術など持つはずもない。

彼の怒りは、今更止められようはずもない。

ただ、「自分」をその支配から遠ざける事が出来るとすればそれは、彼や「自分」と同じく未成熟な子供の、しかし異なる願いだろう。だがそれは期待できない未来だろう。

今まさに、彼の怒りの焔は、最大の標的と同程度の優先度で、その可能性を燃やし尽くそうとしているのだから。

 

ああ――息が――――――

 

 

***********

 

 

《どうなっている?!》

銀白色の鎧を纏った人類初の巨大直立二足歩行兵器を打ち倒し、安堵のため息をついたのもつかの間、時間差で生じた爆圧にスネークが吹き飛ばされた。通信機越しに叫ぶミラーの声は焦燥と狼狽を隠しきれていない。早急にボスへと駆けつけるべく仲間達のヘリが進路を変えた。空中司令室として自分が乗るこの機も回頭を始める。

皆がボスを案じ、一点を目掛けて群が一斉に足並みを揃える。

ただ、その群を率いる頭は、理性は、本能の赴くまま手足を動かすわけにはいかない。

「よせ。俺たちは高度を維持する」

ボスの元へと降下に入った操縦士に指示を出す。

先ほどの爆発―――紫がかった針山のような炎をきっかけにサヘラントロプスの腰辺りを吹き飛ばした爆発は、その一度で終わらなかった。正確には爆発は一度だけだが、その爆発の勢いを利用するように、拡がった爆炎が形を成して二方向に移動し始めたのだ。

一つは単純、故に恐ろしい結果を予測させた。それはスネークめがけてただひたすらに業火を吐き出し続けていた。まるで特大の火炎放射器のように、スネークを炙り続けている。極太の火炎はスネーク自身を覆い隠して余りあるほどで、焼かれ朽ちていく姿さえ見えない。

上空から見えるもう一方の火炎は通常の赤やオレンジといった色合いに戻ったが、細長い線のように集合し、蛇行しながら密林を超えていく。まるで蛇だ。行く先は戦場とは真逆。しかし明らかに目的を持って、「何か」を目掛けて動いている。どちらも間違いなく第三の子供の能力によるものだ。

イーライが、スネークに対するものと同等の怒りを覚える何か、または誰かがそこにいるという事だ。考えうる可能性はあるが、ここからでは間に合わない。

対処できるのは、アイツだけだ。

 

 

***********

 

 

それまでの戦闘では聴くことのなかった――それどころかこれまでの人生で聞いたことさえないような、耳をつんざく金属音が響いた。それも二度。背を向けた戦場から届いたその音に振り返ると、一瞬の間を置いて島を揺らす轟音が届いた。木々の裂け目からは遠目に黒煙が上がっているのが見えるばかりだが、それを最後に島は数時間振りの静けさを取り戻した。

終わった、のか。

「時間」はピッタリだ。予めセットしたサヘラントロプスの自爆シークエンスを起動させるタイマーと経過時間は合っている。

しかし偶々、時間ぴったりにイーライが勝利した可能性、あるいはすでにDDの戦力を致命的なレベルまで削り終わった可能性も捨てきれない。

一つだけ安心したのは、この島がヒロシマやナガサキに続いて核の炎に焼かれるという最悪の事態が起きなかったことだ。

エメリッヒ博士曰く、これまでアフガンやアフリカでビッグボスが戦ってきた相手、つまりサヘラントロプスを造った髑髏顔の男は核兵器さえ商売道具にするような人だったらしい。その時の起爆装置として使われたブラックボックス――セーフティを、サヘラントロプスにも流用しているとのことだった。

つまり、起爆の最終決定権はその悪党が持っており、起爆装置のブラックボックスを分解しようとすれば腐食性アーキアによってたちまち溶解するという性質を持っている。起爆の最終決定をその男が行う、というのは通信回路やその悪党の存在が前提なので既に意味をなさない。しかしブラックボックス自体は物理的に存在するものだからその性質が変わることはない。

僕は「あの時」持ったヘルメットに塩湖の水を汲み、それを起爆装置に直接かけた。

要するに壊そうとした。起爆装置の部分にあたるブラックボックスだけを。

確実性のない、でも天啓にも思える自分の発想に賭けた。サヘラントロプスを修理する時、博士に見せてもらった設計図をずっと眺めていたおかげで―――見られないときでさえ頭の中でずっとイメージしていたのもあるだろうけど―――巨人のハード面の構造はほぼ頭に入っていた。起爆装置の位置ももちろん把握したうえでの発想だ。更に、海水にはごく微量のウランが含まれているため、不活化された腐食性アーキアを活性化させる効果もあるかもしれないと考えた。アーキアについては勉強不足なので、これはどれほど意味があったのかわからない。ウラン濃縮アーキアでは無いから意味はなかったかもしれないし、いざとなれば多少の音を覚悟して力技で壊そうとも考えていた。しかしブラックボックスはきちんと「溶けて無くなった」。鉄が錆び落ちるようにぽろぽろと。その上で自爆のプログラムだけを起動する。

「サヘラントロプスは自身の装甲そのものが核爆発の燃料になる。だから自爆が始まるとその燃料が剥離、あるいは飛散しないように機体にロックが掛かるんだ」というのもエメリッヒ博士の教えの一つだった。

 

こうして僕はサヘランに遅延性の毒を仕込む、つまり一定時間後に巨人の動きを封じる事に成功した。

核爆発のリスクを、核燃料廃棄という環境汚染を冒してまでの計劃が成功した、その安心感が、張り詰め続けた緊張の糸を少し緩めた。

そもそも核爆発は複雑な起爆プロトコル、手順を踏まないと成功しないため誤爆の可能性は低いものだそうだ。計算された構造、タイミング、圧力が必要不可欠で、サヘラントロプスから散った核燃料が核爆発を起こす可能性は低い。それでもとびきりの重犯罪には違いないだろう。そんな環境への配慮を、それでも良かったと思える結果に甘んじて忘れようとした。

戦場へと振り向いていた視線を進行方向に戻す。深い森の中、植物に覆われた自然の中に、異物がある事に気付く。

しかし、気づいたのは向こうが先だった様で、既に銃口は首をもたげ始めていた。

 

敵だ。

白い防護服に身を包んだ4人の大人達。

こちらは僕を先頭に数人の子供達。

思考が高速化し時間が引き延ばされる。

世界は緩慢になり、相手の銃口がゆっくりと持ち上がる。

自分の頭を狙って銃口が動く様が物凄く長く感じる。

頭の中は目まぐるしい速度で後悔の反復作業に入った。これまで自分が殺した兵士の顔が次々に浮かんで来る。その時はなんとも思わなかった死体の虚ろな瞳や血を吐き出し半開きのままになった口、血にまみれた額に砂混じりの頬。

そして息をひきとる、愛する家族の表情。

 

滝裏の洞窟の時とはわけが違う。

あの鉄筒がこちらをむけばそれは死と同義だ。言葉を交わす間もない。彼らに迷いはない。

殺すために探し、殺すために狙いを定め、殺すために引き金を引く。

こちらは僕以外の子もさっきの轟音に気を取られ反応が遅れている。

力量差は歴然。アドバンテージさえ向こうにある。

たった数秒で、僕たちは指先ほどの金属に体中を穴だらけにされて、死ぬ。

だめだ、気を抜いた、こっちにくるんじゃなかった、みんなを引き連れるんじゃなかった、死ぬ、みんなも死んでしまう、せっかく上手くいったのに、いくと思ったのに、ダメだ身体が動かない動けないイヤだいやだパ

 

とすっ と音がした。

自分の頬を涙が伝うのがわかる。

まだ生きている。

どんなに自分が変わったと思っても―――巨人を治し、策を労し、仲間をまとめられても―――やはり、まだ子供なのだと、痛感した。明確に自分の死をイメージした途端にその恐怖に飲まれてどうすることもできなくなった。

明確な終わりを予感させる銃口に、理性なんて吹き飛ばされた。

頭の整理が追いつく前に視線は自然と、たった今音を発生させた物体へ、銃口を向けた敵兵の側頭部に突き立った刃物に吸い寄せられた。

一拍の間を空けてその兵士は横に倒れ、同時に頭からは空中に赤黒い絵の具を置いていく筆の様にナイフが舞っていった。

その細いナイフが帰っていく先には、さらに骨太の、倍以上は長さのある鉈を手に構えながら一直線に閃く赤い影。倒れた一人を除く、白い防護服の3人組まで一息で迫ったその影はその勢いのまま一人の首を刎ねた。

上段から振り下ろすように、頭と胴体を繋ぐ太さ十数センチの肉の筒を裂いた。

そのまま流れるように、銃を構えたもう一人の両肘から先を下から切り上げる様に切断した。

銃を握ったまま頭上に2メートルも上がった肘から先だけの手は、切り離された主人の命を守って引き金を引き、小銃は鉛玉を吐き出した。反動で、肘から先だけの腕と鉄筒は鮮血と弾丸を撒き散らしながらくるくると回っていた。

切られた方はもっと盛大な血飛沫と絶命の絶叫を上げながら、心臓に止めの一突きをくらって尻餅をつくように倒れた。

最後の一人が反撃した。

だが赤い人影は信じられない事に連射される弾丸をその刃物で弾きながら距離をとった。最初の一人の頭にナイフが刺さってからここまで3秒もかかっていないように感じた。

 

た。た。た。

 

死の恐怖から抜け出す間もない自分から見た世界は、既に終わった風景を見るようだ。

思考が追いつかない。全ての光景が「見ているもの」ではなく、「一瞬前に済んだこと」としてしか処理できない。

起こって「いる」ことではなく、起こっ「た」ことの連続。頭に浮かぶ言葉全てが過去形で結ばれる。認識する現実全てが過去になる。

眼に映る状況を目で追うだけ。

そして他の多くの子供達もそれは同じだ。

でもそんな中で、ある一人の子供が動いた。

戦場では至極当然の、ある意味優秀とも言える行動。つまり敵を殺すというアクションを起こしたのだ。斜め後ろから銃を構える微かな金属音が耳に届く。振り向くと、最後まで撤退に反対しあの洞窟で僕に銃を突きつけた彼が、照準を絞り引き金に指を掛けていた。それを見た他の子達も一人、また一人と倣って構える。

狙いは白か、赤か。

少なくとも白は明確に敵だ。

だが赤が味方であるという確証はどこにもない。今の人間離れした業を見てしまっては、赤の方が脅威だとさえ強く感じる。

思考もまとまらず、なんの答えも得られないまま、みんなが発砲し始めた。

止められない。止める術がない。言葉なんて、銃声で簡単に遮られる。届いたところでこの状況ではどうにもできない。撃つのが正しい、殺すのが正解だと、僕自身思ってしまっているのも嘘じゃない。自分を死に追いやる可能性を消し去ってしまえと何かが囁く。

それでもみんなに死んでほしくもないし、これ以上殺して欲しくもないという理想は片隅に残っていた。

 

でも、そんな傲慢を叶える力が、僕には無い。

 

白は樹木を盾に、赤はまたしてもその鉈で銃弾を弾きながら高速で動き、子供たちの弾幕を凌いでいる。

正直この場から一刻も早く離れたかった。白い防護服に身を包んだ兵士は4人中3人が死んだとはいえ脅威には変わりないし、何よりもあの赤黒いボロ布に全身をつつんだ男は異常だ。狙われれば間違いなく皆殺しにされる。

でも、頭に血が上って引き金を聞くことに夢中になってしまったみんなは聞く耳もたずといった感じだ。

先ほどの洞窟と違い、僕の声が響くこともない。

下手に動けば仲間の銃弾に僕が撃たれてしまう。

どうしようもなく、ただ届かない声を上げた。

木の陰に隠れる敵を撃ち殺すため、子供たちは徐々に敵のほうへとにじり寄っていった。

みんなの背中に、それでも声をかける。撃つな、逃げようと叫ぶ。

言葉の、己の無力さに歯ぎしりしていると、野太いうめき声が耳に届いた。赤の投擲したナイフにつながったワイヤーのようなものが腕と足に巻き付き、そのまま絞るように防護服に食い込むと同時に血が滲みだし、大人の太腕と鍛えられた脚を切断したのだ。左腕と左足を失ってバランスを崩すほかに術のない白い防護服の最後の生き残りは、他の兵士同様にその白を己の血液で染め上げた。

ここぞとばかりに、すでに身動きさえ取れない兵士を狙って子供たちが発砲する。

勝敗は決した。明らかなオーバーキルだ。放っておいても事切れる運命を待つほかない、ただの搾りカス。それでも、恐怖と興奮で感情を塗り潰された子供たちの引き金には紙切れ一枚ほどの重みもなかった。理性を失った子供たちが奇声をあげて出鱈目に発砲する様は、人間性など欠片もないよう見える。

出鱈目ゆえに、弾丸は命中しない。その多くは枝葉や湿った土壌を削って、周辺にばらまかれただけだった。

それでも、戦闘不能の相手にいつまでもそんな奇跡が続くはずもなかった。

 

次の瞬間の光景は、今まで以上に僕を置き去りにした。赤い影は、今しがた殺しあっていた兵士を庇うように射線上に身を躍らせ、迫りくる銃弾を叩き落した。それも相当無理をしたらしく、足に二発ほど被弾したようだ。その外套の赤黒い色彩が滲むように濃くなっていく。

不可解な行動に、引き金にかかっていた子供たちの指が離れる。

さらに次の瞬間には、目にもとまらぬ素早さで体をひねり、すでに絶命寸前の敵兵士の喉笛を裂いた。

余力を振り絞った最期の行動だったのだろうか。兵士の右手にはハンドガンが握られていたが、首筋から吹き上がった血液と対をなすように力なく胴体に沈んだ。

 

子供たちは怯えていた。抗えない力と、その理解不能な行動に。

思考は停止し、撃つべきか逃げるべきかの判断も下せずに、ただ立ち尽くした。

ただ、僕だけは微かな期待を持ち始めた。

彼はもしかして、僕と同じ理想を抱いているのでは、と。

先ほどまでの俊敏さとは打って変わって、亡霊のように揺らめきながら赤黒い外套をまとった戦士がゆっくりと迫ってくる。

恐怖に駆られてパニックに陥った子供たちは再び引き金を絞る。

思考は停止したまま、生存本能が反射で彼らの体を突き動かした。

子供たちの銃弾はそのほとんどが空を裂き、命中圏内に迫った鉛玉は閃く鉈に弾かれた。

既に残り少なかった弾丸はほどなく弾切れになり、空撃ちする自動小銃の音が虚しく重なる。

こんな状況、恐ろしくてたまらない。

抵抗する術と気力を喪失した子供たちは、涙を浮かべながら無力な引き金を引き続ける。

竦んだ脚は逃げ出すことも許さず、あるものはその場に座り込んだ。

遂に先頭の子供が、彼の腕と刃物の届く範囲に入った。

みんなの頭の中には、たった今死んでいった男たちと同じ末路をたどる自身の姿がありありと思い浮かべられたことだろう。首を刎ねられ赤い泡を口元からこぼしながら宙を回転する頭蓋と、勢いよく吹き上がる血液をまき散らしながら地に伏せる己の胴体。

銃を構えたとたん肘から先が重力に従って落ちていき二度と帰ってこない。

逃げようと走り出した途端、足に巻き付くあの細糸。

どうあっても生存する未来は望めない。

赤い悪魔はゆっくりと右手をあげて―――

少年の構えるAKの上に手を置き、銃口を下ろさせた。

「もういいんだ。」

赤いフードの奥から、空気の漏れるような発音の言葉が紡がれた。

僕ら少年兵にもわかるアフリカーンス語で。

よく見るとその男の左頬は焼け落ちたように爛れていて、歯がむき出しになっていた。

 

「もう、銃を撃つことも、人を殺すこともしなくていい。この俺を、君たちが傷つける最後の生き物にしてほしい。この傷を、君たちが流す最後の血にしてほしい。」

 

自分の銃創を撫でつつそう語る、頬から空気が抜けるせいでうまくしゃべれないその男は、ひどく悲しげで、穏やかな声をしていた。

その、ある種の脱力感は決して戦闘で疲れ果てたからそう感じるのではないと思えるものだった。

その言葉を聞いた子供たちは一人、また一人と銃口を下げた。

決して、言葉に諭されたわけでも感銘を受けて感傷に浸っているわけでもない。

他にどうしようもないから、そうしただけだ。

そして先頭にいた、赤い男の目の前にいた一人が口を開く。

「でも、おれたちはこの生き方しか知らない。おれの母さんと妹を犯して殺したクソみたいな奴らに、復讐できる唯一の生き方だ。今日この一瞬を食いつないでいくための生き方だ。それなのに、これから先、銃を握らずにどうやって生きていけっていうんだよ!」

その叫びは、ここにいる全員の共通する意思だった。

この男はついさっき、人殺しをしなくていいといった。

それは一度でも、平和と呼べる状態を感じたことのある人の物言いだ。

そんな言葉は、彼らに響かない。自分が生きることと他人を殺すことが常に背中合わせである人生しか知らない人間には、生き方を奪われるのと同義だ。

さらに言えば、彼らにとってそれは報復でもある。僕にとってもそうだ。家族を殺された仕返しをする、奪われたものを取り戻すという理由で戦う人にとって、綺麗事は反感を誘うばかりだ。戦場だけが生きる術で、生きる糧は戦場にしかなかった。そうやって数年を送ってきたのがここにいる少年兵だ。他に生き方を知らない少年たちを、平和の国に住む人はきっと哀れに思うのだろう。だが彼らは、平和がどんなものか知らない。

僕も今ならわかる。街で暮らしていた時だって、別に平和ってわけじゃなかった。すぐそばに戦争があって、僕が目をそらしていただけだったんだと。

もっといい生き方があるって言われたって、それが出来る自信もなければ、今の生き方でなければ晴らせない憎しみを抱えている。

 

「俺も君たちと同じだった。でも、僕は一度死んで生まれ変わった。だからこれは無責任な願いだ。ただ君たちに平和に生きてほしいという、君たちが持つ復讐に猛る感情を踏みにじった、俺個人の傲慢な願望。この腐った世界のどこかに、楽園が存在してほしいという個人的なわがまま。君たちのためだなんて言えるはずもない。平和という妄執に取りつかれた哀れな男の欲でしかないんだ。君たちには、苦しみ悶えながら、平和に生きてほしい。」

先ほどまでのすさまじい戦闘からは想像もつかない、切なく優しい声で男は語る。

「生きる理由は、他にいくらでもある。生きる術は、偉大な男が教えてくれる。」

男はついにひざを折る。糸の切れた操り人形のように、あっけなく。

「ここに来るまでに、木に目印をつけてきた。たどっていけば海岸にでる。迎えが来るはずだ。あまり時間はない。行け、少年たち。生きて、新しい人生を歩き始めろ。」

子供たちは彼の言葉を咀嚼できないまま、立ち尽くしていた。

納得したわけじゃない。理解したわけでも、未来の展望が開けたわけでもない。

ただ、その男の発する言葉を無視できなくなっていた。

誰かに何かを願われることに、動揺していると言ってもいい。

ただ、みんなの戦意はすでにそこになかった。

あとは一言、背中を押す言葉があればいい。

「行こう」

そう口にして、みんなを先導するように歩き出す。

フードの奥で、男が何かを呟いた気がしたけれど、それは聞き取れなかった。

何人かの子供が続いて歩き出し、つられる様にみんなが足を進め始めた時だった。

「何だ」

後ろで誰かの声がして振り返ると、生暖かい風が頬を撫でる。

木々の向こう側に、炎が見えた。

それはただ森が燃えているだけではなく、巨大な生き物が突撃してくるように火炎が迫ってきているという、まさに怪奇現象としか呼べない光景だった。

密集する樹木の間を縫うように蛇行しながら、酸素を燃焼させ、猛烈な勢いで押し寄せてくる。

高熱が周囲の大気を歪ませているせいか、迫る炎が豚か猪の頭に見えた。先ほどまでの人間同士の殺し合いを見ている時とは別種の恐怖。彼我の戦力差に絶望するのではなく、比較さえ許されない畏怖。人の領域の外にある抗いようのない超常現象を前にブラックアウトしそうになる。

「走れ!」

思考が停止したのが一瞬だったのか、数十秒経ったのか判然としないままでいると、命令形の言葉が鼓膜を叩いた。

肉体の支配権を取り戻し、踵を返して走りだす。

それは他の子どもたちも同じだったようで、みんな慌てて弾かれたように土を蹴った。

殺意や復讐心、迷いや怒り、そういったものを全てかなぐり捨てて、生存本能が足を突き動かす。消し炭となって散り果てていく木々のようにはなるまいと、一目散に腕を振り、足を踏み出す。

そして、すれ違った。

ただ一人、その人知を超えた現象に向かってゆっくりと歩む、傷んだ赤色の男と。

足を止めぬまま振り向いて、白い塗料で描かれたピースマークを背中に背負った男を視界にとらえる。

何人かの子供たちも、同じように彼から目が離せずにいた。

迫る炎はかなり近づいたと思ったけど、まだ距離はある。そのぶん、その大きさが異常なものだということがはっきりわかってくる。

男は勢いよく両手を広げ、大きく左右に振った。両手からは白刃がその煌めきを放ちながら飛び立ち、その軌跡を描くように細い糸が空を裂いていく。つい先ほど、軍人の鍛え抜かれた四肢を容易く絞り断ったものだろう。どんな鍛錬を積めばあのように手繰れるのか想像もつかないが、その切断糸はそれぞれ周囲の中でも太い樹木に巻き付いた。今度は腕を上段から降りぬき雄叫びを上げたかと思えば、次の瞬間にはその木々が左右から倒れこんできた。まるで迫りくる火炎の進路を塞ぐように。

逃げる子供たちを尻目に、男は次々と木々を倒して見せた。

敵兵を圧倒しておきながら既に満身創痍といった印象を与えてきた弱々しさが全く消えてしまったわけではない。むしろ相当な無理をしているのだということが、力を籠めるたびに出血している指先や銃創から見て取れる。

ぼくは、思わず立ち止まってしまった。

彼は無責任に、少年たちが望みもしない平和な生活を送ることを願った。

そして今、命を賭してそのエゴともいえる願いの為に死力を尽くしている。

僕らの平和を願って、身を挺してそこに立つ彼の背中のピースマークが目に留まる。

せめてその背中を忘れずに覚えていたい、そう思った瞬間だった。

追い風が吹いているのか、木々の焼ける匂いが風に運ばれてきた。

その風に包まれた瞬間、頭の中で叫び声が反響した。

声の主はイーライ。呼んでいるのは僕の名前。純粋な怒りに染まった叫びが頭蓋を揺らし、僕は立つことさえままならずにその場で膝をついた。全身から汗が吹き出し、呼吸が浅くなる。今すぐマスクを外してしまいたいという衝動を必死に押さえつける。

これが、イーライがその身を薪にして燃やしている憤怒。世界を三度焦土と化して余りある悍ましい狂気。それが今、実際に森を炎に包む巨大な火炎という実態を伴って迫っている。目標は僕だ。それを今、はっきりと実感した。覚悟はしていたけれど、そんなものは何の意味もないとあざ笑うかのように、僕の精神は真っ赤に染め上げられていく。

心が消えていく。自分が居なくなっていく。僕はもう立ち上がろうとさえ思わず、迫りくる灼熱の赤色をただ眺めていた。

 

 

***********

 

 

耳朶を震わすミラーの叫び声で意識を覚醒し、耳鳴りが止まない頭を振りながら気絶するまでの経緯を思い出す。なぜ自分が地べたに這い蹲っていたのか。あの日と同じように至近距離での爆発に成す術もなく吹き飛ばされたからだ。

暑い。サウナなど比較にならないほどの高温に包まれる。四肢のコントロールを取り戻し、蹲ったままふと顔を上げるとその理由がわかった。炎だ。それも真っ白の。俺を吹き飛ばした燃料引火の炎が、今なお俺を焼き尽くさんと流れ込んでくる。まるで炎の滝にうたれるかのように極太の炎流が、おそらくサヘラントロプスの方から絶えず放出されているのだ。

記憶の中の情景がフラッシュバックする。薄暗い地下壕を照らして余りある火焔との死闘。ザ・フューリーが用いた火炎放射器が放つ憤怒の炎。あの火焔もこれ以上ないというほどの脅威だったが、今俺を包む爆炎はそれを何倍にも膨れ上がらせた強大さを持ちながら、その燃焼を止めることさえない。

ではなぜ俺は未だに炭化せずに生存しているのか。その答えもまた、そこにあった。流れ来る殺意の奔流と俺の間に割って入り、身を挺してBIGBOSSを守護する鋼鉄の狙撃手。

「バトル…ギア」

どこまでもあの日を思い出す。

パスの腹部から放出される爆炎。爆発を阻止すべく走るBIGBOSS。その間に割って入りBIGBOSSを護る仲間。まるであの時の焼き直しだ。だが、あの時とは異なる点も多い。絶えず襲い来る爆炎、耐え続けている仲間。そう、また昏睡状態に陥るようなわけにはいかない。どんなに似た状況だったとしても、違う結末をつかみ取らなければならない。

耳鳴りが徐々に遠のいていき、世界が正しい色彩を取り戻していく。

重傷を負ったときに発症する色覚異常から回復し、バトルギアがかなり赤熱しているのがわかる。どれほど気絶していたのか分からないが、その間バトルギアはずっと俺を守ってくれていたようだ。真っ白に見えた炎も、気絶する前に見た時と同じ紫がかった赤色をしていることが視認できた。コンディションは回復しつつある。しかし周囲は炎の壁、逃げ道はない。酸素の消費も激しくこのままここにいても死んでしまう。打つ手はなく、肺が焼かれるようで声を出すことさえ難しい。賭けに出るにはまだ早い。今はただ、この紫炎の激流が止むのを祈ることしか出来なかった。

 

 

***********

 

 

気持ちのいいくらいの破裂音が樹海に木霊する。

それが自分の頬をビンタされた音だと気づいたのは、数秒たってじわじわと痛みが感じられるようになった時だった。

「名前は」

目の前の男が僕に問う。先ほどまで木々を伐採しバリケードを造っていた赤マントの男。

満身創痍で指は血まみれ。ビンタをする方が痛かっただろうと確信するほどの傷だった。殴られた僕の頬には血がべっとりとついているが、それは全て彼のものだ。でも声帯虫の感染を防ぐためのマスクはしっかりとついている。

でもそのビンタのおかげで、僕の理性が、存在が帰ってきた。でも、イーライの怒りの声はまだ流れ込んでくる。頭を振って、問いに応えるために口を開く。

「フレーデ」

「そうか、やっぱり君が」

やっぱり?どういうことだろう。考えるより先に男は話を続けた。

「フレーデ、痛いか?その痛みも、名前も、君だけのものだ。君は平和の使者でも、破壊神の巫女でもない。他人の怒りに同化される必要はない。自分が何者かを強く意識するんだ。自分の存在を、輪郭を想像すれば、流れ込んでくる感情に心を染められずにすむ」

なんでこんなことを言っているのかわからなかった。でも、何を言ってるのかはわかる気がした。でも、とても難しいことだ。

「自分の存在なんて、自分が何者かなんて、わからないよ」

「正しい答えなんてどこにもない。君が決めるしかないんだ。何が君を君にするのか。自分がどこに居たいと思うのか。君が選んだその道が、君を創る」

僕が選ぶ、僕のいるべき場所。

「たとえ身体が子供でも、生き方を選んだ時に君は大人になる」

僕がここにいる意味。

「さあ、走れ。もうすぐあれが来る。こんなバリケードで防げるとは限らない。みんなの後を追って海岸に」

男が言い終わらにうちに僕は足を踏み出していた。迫りくる憤怒と恩讐の火炎に向けて。

「おいフレーデ、何を」

思い出したのは、パパの最期の言葉。

――「生きろ。より良い平和な、明日を求めて」

怒りを具現化した殺意の熱塊はすぐそこまで迫っていた。

赤い男の作ったバリケードにぶち当たって拡散した炎が、またすぐ収束して勢いを取り戻す。赤い男がその間に割って入って、僕を護るように抱きしめた。

でも、僕は構わず叫ぶ。

「僕が居たいと思える世界は、まだはっきりとは分からない。でもそれが、|戦場じゃないことだけははっきりと言える。この怒りはイーライ、君のものだ。僕のものじゃない。イーライ、僕はもう、戦いたくない!」

目前に迫る死さえ通り越して、頭に流れ込んでくる感情を押し返すように言葉に感情を載せて放つ。この想いが、彼に届くように。

目と鼻の先にまで迫った火炎の濁流は、そこでひと際大きく爆ぜた。

 

 

***********

 

 

バトルギアの装甲が焼けただれ始めている。マスク越しの呼吸ももう限界だ。あと数十秒もしないうちに酸欠でブラックアウトし、その後焼き尽くされたバトルギアの後で消し炭になるだろう。一か八かの賭けに出て炎の壁を突破するべきかと腹をくくる。膝を立て、厚さも分からない炎の壁に突貫せんとしたまさにその時、周囲の紫炎が突然消えた。理由は分からないが、考えている暇はない。好機を逃さず、その場から立ち上がり周囲を確認するとともに離脱する。

既にシステムも沈黙したバトルギアに心の中で感謝を伝えながら、呼吸を整える。ゆっくりと巨人の方へ向かい、バトルギアのレールガンに撃ち抜かれた際に吹き飛んできたのであろう巨大な装甲の陰に身を隠し周囲の様子を観察する。サヘラントロプスの爆発箇所からバトルギアに向けて地面に焦げ跡がある以外は気絶前に見た景色と変わらないようだった。打倒したサヘラントロプスは各所から黒煙を上げ続け沈黙したままだ。

ちょうどその時、解放されたままになっていた巨人の頭部――コックピットから赤い防護服に身を包んだ少年が身を乗り出してきた。イーライだ。重大な外傷はなさそうだが、体力を消耗しているのが見て取れる。コックピットから脱出すべく動き出した瞬間、敵兵の気配を感じ取り視線をやる。視認できたのは二人。既に巨人は戦闘不能となったからか、XOFの生き残りは身を潜めることもせず武器を中腰に構えながら近づいてくる。イーライもその気配を察知したのかそちらを見やり、とっさにコックピット内に身をかがめた。

刹那の間をおいて二人の兵士は銃弾をばらまき始め、サヘラントロプスのコックピット周りは弾丸と火花が跳ねまわった。このままでは距離を詰められジリ貧だ。イーライも同様に判断し腹をくくったのか、巨人の大いなる口腔から這い出てきた。しかし、転がるように地面に落下した直後、そのまま意識を失うように起き上がることもなく五体投地のまま沈黙してしまった。ヘルメットが頭部を保護しているので命に別状はないだろうが、消耗した体に追い打ちをかけるように落下の衝撃が加わったため気を失ったのかもしれない。兵士たちは銃撃を止め、イーライたちの下へと歩み寄る。

――まずい。

とっさにハンドガンをリロードする。その隙に敵兵士はイーライを囲み、そのうえ反対方向からさらにもう一人の兵士が合流していた。イーライのすぐ傍に立つ兵士が、自分の持つライフルを仲間に投げ渡し、口径の大きなハンドガンに持ち換えた。込められた憎しみの感情が透けて見えるように大げさにハンドガンを振りかぶりイーライの心臓に狙いを定める。仲間を大勢殺された報復の引き金が今まさに引かれようとしている。

鼻から息を吸い、止める。相手は三人。僅かなミスも遅れも許されない。文字通り一息で、障害を排除しなければならない。

身を隠していた装甲から身を乗り出す。イーライに銃口を向けている兵士から順に、素早く、リズミカルに三度引き金を引く。三人の敵兵は反撃の機会さえ与えらず、膝から崩れ落ちた。三人目が地に伏せると同時に息を吐き出す。なんとかイーライを死なせないままサヘラントロプスの排除に成功した。任務はほぼ完了だ。あとは少年たちを回収し、ヘリでマザーベースへ帰投すれば――

銃声がした。一息つく間もなく瞬時に頭を切り替える。先ほど現れた三人目の他にまだ合流した生き残りが数人いるようだった。遮蔽物に降り注ぐ銃弾が耳障りな金属音と火花を散らす。半身を覗かせるように応戦するが、先ほどのような不意打ちではなく位置取りも悪い。サヘラントロプスとの戦闘で兵装も弾薬も底をつきかけている。残り少ない弾倉を装填、リロードから流れるように照準を合わせようと顔を覗かせた瞬間、敵兵が投げ込んだグレネードが足元に転がった。脊髄反射で反対方向に緊急回避するが、爆発の衝撃から逃れることは叶わなかった。炸薬が放つエネルギーに押し出されるように地面に叩きつけられる。頭部を強打し、思わず呻き声が漏れる。ひどい頭痛がするが、幸い足が吹き飛ばされるような事態には至らなかった。

しかし、目に映る世界が再び色彩を欠いていた。今のショックで色覚障害が顕在化し、左手のバイオニック・アームが真っ白に見える。俺の視界から逃げ出してしまったかのように、赤だけが足りない。しかし、視界の色味に構っている場合ではない。遮蔽物の向こうにはまだ敵兵がいる。すぐに態勢を整えなければ。

周囲を見渡す。更なる増援、敵の正確な人数は不明。だが、グレネードで俺を殺せたと思い構えを解いている今しかない。呼吸を整え、方足を突き出すように装甲の陰から射角を確保する。先ほど同様寸分の狂いも許されない必中必殺の射撃で敵兵を無力化しなければならない。もちろん完全な不意打ちにはならない。姿を見せた瞬間に敵兵もこちらを補足する。その反応速度が素早い兵士から順に狙いをつけ、相手に反撃の機会を与えないように制圧する。逆にこの先手を撃ち損じれば残弾僅かなこちらが不利だ。撃ち合いが始まり長引けば、距離を保ったまま包囲されて詰む。赤色が消え去った視界から得られる情報を瞬時に整理、判断し、肉体の反応速度を限界まで加速させる。思考と反射の融合。目に映る白い人影を射殺するために、積み上げてきた心・技・体の全てを最適化する。

八発。戦場に響いた八発の銃声に、敵兵のものは無かった。しかし、最後の銃声の後を追うように、まだ声変りを完全に終えていない少年特有の絶叫が耳朶を震わせた。

脅威を制圧した安堵が来るよりも早く、身震いするような悪寒に襲われる。地に手を突きながら身を起こし、周囲を再確認する。これ以上の増援がないことを確認しつつ、しかし意識の大半を最後に撃った標的に向けながら歩みを進める。一歩二歩と近づくにつれ、眼球が捉えている光の像が本来の色彩で脳に結ばれていく。血が通うように世界が色づいていく。それが最悪の予感を、確信に変える。

指一本動かない少年の傍らに、崩れ落ちるように両膝をつく。頭を抱え、防護マスク越しに表情を確認するが、反応はない。

――『俺たちは過去じゃなく、未来のために戦う』

ミラーと再会し、ダイアモンド・ドッグズのマザーベースに初めて降り立った時に口にした己の言葉を思い出す。今俺は、未来の権化ともいえる新芽を、自らの手で摘み取ってしまった。どんなに求めても、報復の血に染まったこの手には未来はつかめない運命なのか。過去に囚われ続け、流されていくこともできず留まることしかできないのか。喪失感、虚無感、絶望感、あらゆる負の感情が胸に去来する。内臓が押しつぶされそうになる程の情動が出口を求めて腹の底から突きあがってくる。灰が舞う焦げ付いた鉛色の空に、悲哀の咆哮が昇った。

 

 

***********

 

 

僕はここにいる。君はそこにいる。

それぞれ自分の足で立っていて、自分の考えがあって、自分の感情があって、自分の人生がある。僕が伝えたかったのは、そんな簡単で単純な、当たり前のことだったんだ。

彼の怒りが、あの子を通してこちらに流れ込んでくることはなくなった。炎が実体化したり、他人を操ったりするのはきっと副産物みたいなもので、あの子の才能はきっと他人との心の壁をなくすことなんだ。使い方によっては、人と人との誤解を解いたり、他人の気持ちに本当の意味で寄り添ってあげられるような優しい力にだってなれたはずだ。その証拠に、あの子は僕と僕のパパの遺した想いも受け取ってくれた。そして僕とこの赤マントの男を火だるまにする寸前で、炎の奔流は爆ぜた。まるで極太の縄が細い糸に分解されていくように、炎は僕らを燃やすことなく周囲の木々に飛び散った。巨大な炎蛇がゴルゴーンの髪やヤマタノオロチのような多頭の蛇になったようにも見えた。

「君が、やったのか」

動揺を隠せないように男が言う。

「僕だけじゃないよ。あの子の中にも、きっとまだ他人に優しくしたいって思いの欠片がのこっていたから」

「そうか。よくわからないけれど、君が無事でよかった。でもここが危険なことは変わらない。さっきので森に火が付いた。ここら一帯はすぐ火と煙に巻かれる。さあ、早くみんなの後を追って走るんだ」

「あなたはどうするの」

「火が燃え広がるのをここで食い止める。君たちが無事海岸にたどり着くまでの時間稼ぎが僕の最後のやりたいこと、やるべきこと。僕の生き方、命の使い方だ」

こんなにもボロボロで今にも死にそうなのに、男の瞳は生気に満ちていた。命の輝きを秘めたその瞳をみると、僕はもう何も言えなかった。

「わかった。最期に、名前を教えて」

「名前――チコ。リカルド“チコ”バレンシアノ・リブレ。偉大な男に憧れて生まれなおした、平和の使者のファンの一人だよ。でも結局僕自身は、平和の使者にはなれなかった。なりそこないだ。」

「違うよ」

思わず、否定してしまう。

「なりそこないかどうかは、まだわからないよ。あなたに救われた僕たちが、いつか平和な世界にたどり着けたなら、あなたはきっと僕たちにとっての平和の使者になる。みんなはまだ、あなたに救ってもらったとさえ思ってないかもしれないけど、いつかもしかしたら、わかる日がくるかもしれないから。だから―――ありがとう」

これだけは、伝えたかった。でも言われたチコは半ば茫然としたかと思えば、一拍の間をおいて笑いだした。ひとしきり笑ってから、まるで夢見る少年のような優しい声でこう言った。

「ありがとうフレーデ。君が僕の、生きた証だ」

 

 

***********

 

 

作戦エリアを完全に制圧したことを確認し、航空部隊やバックアップチームが降下してくる。サヘラントロプスの状態確認、戦死した家族の遺体回収、声帯虫や核の環境汚染調査、皆各々の役割に従って動いている。スタッフ全員が防護マスクを着用し、声帯虫対策も抜かりはない。

「下がってください」

医療班スタッフの一人がイーライの傍についていた俺と入れ替わり、身体を検める。ヘルメットや防護マスク、防護服を順に取り払っていく。

「致命傷はありません。防弾で止まっています」

肺に溜まっていた空気をゆっくりと吐き出す。九年の眠りから目覚め、仲間たちと再会した時と同等の安堵を感じた。

「ヘリに乗せろ。マザーベースで手当てする」

「はっ!ボス!こいつ英語株が発症しています!」

すぐ横にいた兵士が声を上げる。装備したゴーグルで声帯虫の発症を確認したのだろう。声帯虫が活性化すると咽頭部が発熱する。サーマルゴーグルで対象を観察すれば一目瞭然だ。周囲がどよめく。身体を診ていた医療スタッフも飛び退き、その場にいる全員がイーライに銃口を向けて距離を取る。こんなにも無力な少年に怯えてしまうほど、DDスタッフには声帯虫の恐怖が身に染みてしまっているのだ。だが実際には防護マスクさえつけていれば感染の心配はない。それよりも今、懸念すべき事項がある。懸念といっても、もはや如何ともしがたい事実なのだが。

――声帯虫に蝕まれたイーライには、もうすぐ死が訪れる。

そんな大人たちの憐憫や恐怖さえ嘲笑うような悪魔の笑い声が、その瞬間にその場の緊迫感に拍車をかけた。再びイーライの傍に片膝をつく。いつの間に目を覚ましたのか、イーライは瞼をあけてこちらを睨んでいた。たとえ満身創痍でも、心に寄生した怒りは微塵も衰えてはいない―と言わんばかりの鋭い眼光がこちらの視線と衝突する。

「俺はサイファーに作られた。失敗作だ。運命は、ぜんぶ決まっている」

その場にいるほとんどの人間には意味の通じない独白を、ただ静かに聞き届ける。

「俺は負ける。おまえだ。おまえのせいだ。俺は俺じゃない。お前のコピーだ。親父を超え、親父を殺す。おまえを殺す!」

余力を振り絞りながら、叫び、怒りを吐き出す。俺の腕を握りつぶさんばかりの迫力でつかみながら、未だ消えぬ闘志を高らかに吠え上げる。

「サイファーを全部殺す!世界を滅ぼしてやる!」

まさに子供の戯言。だが、その場にいる全員がそうは思わなかった。この鬼を子ども扱いする気には到底なれない。こいつは命さえあれば宣言通りに世界を滅ぼすだろう。そう思わせるだけの何かを、既に感じ取っていた。

オセロットに肩を叩かれ、数歩退く。イーライは虫の影響か、咳が激しくなっていく一方だ。声帯虫の発症が確認され、スタッフたちも慌ただしくなる。

「コードレッド!コードレッド!回収急げ!状況はどうだ?」

部隊間で通信を交わしているのが耳に入る。戦闘が終わったにもかかわらず発令されるコードレッド。つまりは声帯虫による感染、汚染の危険性が高い非常事態であることを意味する。

オセロットと向き合ったところにスタッフが駆け寄ってくる。

「もう助からない」

「ここは声帯虫に汚染されています。ナパームで島ごと―」

「島ごと焼き払おう。投下準備。さあ撤収だ。急げ!」

俺が口をはさむこともなく、オセロットの指揮によりナパーム投下指示がだされた。

スタッフたちは迅速に命令に従い、次々とヘリに搭乗していく。

捨て置かれたイーライは憔悴し、うわごとのように『生きる』と繰り返している。

その額に銃口を向ける。虫に侵された兵士の最期を、これまでも同じように解放してきた。

「お前は立派な兵士だ」

死に際の慰めではなく、心の底からの嘘偽りない言葉だった。もう誰も、この少年をただのゲリラ兵だとは思っていない。ただ、その称賛の言葉でさえ、この小さな身体に秘められた膨大な怒りの前では空気を震わせる振動以上の意味を持たない。返ってきたのは、剥き出しの殺意だった。

「殺してやる!!」

そこで、思い至った。この尊敬すべき一人の兵士は、解放など望んではいない。ここで楽にしてやろうという思考を持つことが侮蔑であり、イーライにとっての屈辱に他ならないのだ。ハンドガンの弾倉を抜き、残弾を一発だけ残す。

「そうだ。自分を責めるな。俺を恨め」

イーライがそう望むのであれば、最期までそれを選ばせるべきだ。

そう―『最期の瞬間はあなたたちのもの』なのだから。

数歩下がったところにハンドガンを置く。そのまま踵を返しヘリへと向かう。

地面を這いずる音と、銃を拾う音が聞こえるが、たとえそんなもの聞こえなくてもそうするであろうことは疑う余地もない。だが、その銃口を誰に向けるかを選択するのはイーライ自身だ。その選択を尊重する。俺は一度も振り返らずにヘリに搭乗したが、結局背後から凶弾に撃たれることはなかった。

 

程なくして、ナパームの投下により島は火焔に包まれた。イーライの選択を見届けることは出来なかったが、自害するにしろ、それさえ拒絶し焼かれたにしろ、結果として未来を歩むことは出来なかった。イーライを撃ってしまった時と同じ感情に囚われる。結局のところ、俺に待つ未来は終わらない報復の連鎖なのだろうか。窓に映る自分の姿は未来を求める英雄などではなく、血に塗れた復讐鬼だった。これが、こんな男が、BIGBOSSなのか。戦場の緊張感が遠ざかる代わりに、不安や疑念がより強い波となって押し寄せてくる。

考えないようにしても、その波紋は徐々に激しい荒波となって心を揺さぶり続けた。

 

 

***********

 

 

指が限界を迎えていた。切断糸を手繰りすぎたせいで肉が裂け、骨が顔を覗かせている。

だが、無事に役割は果たせたようだ。指定されたポイントからヘリが飛び立つのが見えた。

子供たちは無事マザーベースへ帰るだろう。精魂尽き果てて、燃え盛る木々の合間の土に身を投げる。大の字に倒れこみ、上がった息を整える。周囲の森は焼け落ち、火の手は今にもこの身を包もうとしている。

「上手くできたかな、パス」

懐から取り出したテープにそう問いかける。表面には、『1975年3月15日』と書かれている。あの爆発の後、一緒に波に打ち上げられたカセットテープ。パスの最後の遺志が記録された、彼女の忘れ形見。

「結局中身、聞けなかったなぁ」

テープの損傷は激しく、パスの声が微かに聞き取れただけで、どんな言葉を残していたのかは分からなかった。あのキャンプにいた時のものだから、酷いことをした僕への恨み言を吹き込んでいたのかもしれない。そう思えば、聞かなくて済んでよかったとも思う。

君の体が目の前で爆発したあの日から、いろんなことがあった。

君と過ごした平和なあの日々を嘘にしたくなくて、僕は平和の守護者になった。

この世の中からあらゆる戦争、紛争、闘争、兵士、戦士、武器を壊し、殺しつくす殺戮者になった。でもそれは言い訳だった。本当はただ死に場所を求めていただけ。ずっと傍にいてほしかった君の幻想を抱いて、世界に報復していただけだったんだ。本当に遠回りで、上手くできたことなんて一つもなかった。幼いころから夢見ていたハンターや、憧れていたスネークのような男には、指先だって届かなかった。

それでも、もしあの子が、あの子供たちが、僕の言葉を語り継いでくれたなら。僕の想いを受け継いでくれたなら。それが僕の祝福だ。僕自身が選んだ、命の使い方だ。

後悔は数え切れないほどある。思い返せば泣きたくなる。

でも、今日踏み出したこの一歩に悔いはない。自分が何者なのか、答えは得た。

生きろ、子供たち。明日は君たちの掌に«TOMORROW IS IN YOUR HANDS»。

 

火焔がこの穢れた身を浄化していく。不思議と苦しくはなかった。まるであのころに君と見た、水平線に沈む夕日のような温もりさえ感じる。

「もうすぐ会えるよ――パス」

 

 

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―――『アウターヘブン蜂起』まで、あと二週間―――

 

 

私です。

 

ええ、『いざという時』、Vが真に目覚める時が来ました。あなたの予想通りです。

兆候は以前から。意識の混濁を伴う悪夢や頭痛が頻繁に。

最大の要因はイーライの件です。

密林、アナクロなトラップ、そしてサヘラントロプスとの決戦。

スネークイーター作戦をなぞるにはちょうどいい環境でした。足りない要素はこちらで補完しました。メタルギアではなく、ザ・フィアーやザ・ボスといった生身の強敵との戦闘。チコはその役割に適役でした。緊急性と有用性を理由に諜報班のみならずHECを最大限活用するようミラーに進言し、チコに情報を流す。あとはチコが自ら動いてくれる。

偶発的ではありますが、イーライのおかげでザ・フューリーとの戦闘を想起させる事態も発生しました。ジ・エンドはクワイエットとの接触で。さすがに、蜂を操る兵士は用意できませんでしたが。

 

ええ。イーライは島ごとナパームで。生きてはいないでしょう。

やつはスネークイーター作戦との共通点を見出す中で、自分の中のその記憶、BIGBOSSを創り上げた核であるはずの記憶が曖昧であることに気づくでしょう。知っていて当然。だからこれまで思い出そうともしなかった。誰も、自分自身すら自分を疑わなかった。だが一度、疑念という名の波紋が広がれば、誤魔化せるようなものではない。奴自身の覚醒も、それを後押ししたようです。

 

はい。貴方が仰ったとおりです。

それ以降、やつは自分の記憶に疑われています。本当にお前はBIGBOSSなのか――と。

そろそろ限界です。いや、時が満ちたというべきか。

あとはこちらから真実を伝えれば、Vは完全に覚醒します。私の口から伝えても?

 

ええ。ほぅ。

では、遂に。

その作戦の存在と共に、あなたの声と言葉で伝える、と。

それがベストでしょう。ではカットアウトを通じて――使いを、あの男に?

ふっ、なるほど。シナリオは分かりました。その男には配達人と同時に、新たな蛇の案内人になってもらう、ということで?

承知しました。

では楽しみにしていますよ。貴方との再会と、Vの覚醒。

やつはもうあなたの単純な陰では、鏡写しの虚栄ではなくなる。

貴方と対等に輝き、貴方すらその日陰に覆いつくすほどの太陽。自ら思考し、行動する幻影«Phantom»。誰一人として疑わない、自らの足で歩むもう一人の貴方。

 

ええ、その通りです。

ではまた、ジョン。

 

 

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ありふれた戦いの或る日 アウター・ヘブン へ

 

 


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