MGSV:TPP 蠅の王国 創作小説   作:歩暗之一人

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これが私の円環の繋ぎ目


MGSV:TPP 蠅の王国 創作小説 6(終章)

六章 クウハク

 

 

立って歩け 前へ進め

あんたには、立派な足がついてるじゃないか

 

――――――――鋼の錬金術師 エドワード・エルリック

 

 

ああ、息が出来ない。

自分を守る為、この穢れた人の世に汚染されない為、凄惨な景色を少しでも霞ませる為に、このマスクを被った。

他人がそばにいるだけで、自分が滲むような感覚に陥る。境界が曖昧になって、他人と自分との隔たりが失われ、何処までが自分で何処からが他人なのか、分からなくなる。

誰かの怒りが、いつの間にか自分の怒りになる。

だから、マスクを被った。

なるべく、世界を遠くにおいやりたくて。

なるべく、世界から離れていたくて。

でもフィルター越しに酸素を得なければ、生きてはいられない。マスク越しに息を吸うだけでも、マスク無しのそれとは段違いに労力を要する。世界を遠ざけた代償だ。

それに加えて今、お腹の底から喉の奥までを灼き尽くすばかりの熱が迸っている。

吸気が肺に入るより早く、体内の炎が酸素を焼いている。

 

あぁ、息が、出来ない。

思わず「自分」がこうして表層に現れて思考をしている程に、今この身体は悲鳴を上げている。自分の理性は、このままでも構わないと、共に世界を相手に戦うこの白人の少年に共感したのだから命を賭すのも吝かではないと考えている。世界を遠ざけるばかりで、自分を「研究」している大人達に囲まれた日々にどこか怯えていた自分にはない何かがこの少年にはある。だから、これでいいのだと。

だが身体は、生存本能に揺さぶられ「自分」を叩き起こすほどに「生きろ」と訴える。

しかし最早、「自分」にはどうしようもない。彼の怒りが、「自分」の全てだ。止める術など持つはずもない。

彼の怒りは、今更止められようはずもない。

ただ、「自分」をその支配から遠ざける事が出来るとすればそれは、彼や「自分」と同じく未成熟な子供の、しかし異なる願いだろう。だがそれは期待できない未来だろう。

今まさに、彼の怒りの焔は、最大の標的と同程度の優先度で、その可能性を燃やし尽くそうとしているのだから。

 

ああ――息が――――――

 

 

***********

 

 

《どうなっている?!》

銀白色の鎧を纏った人類初の巨大直立二足歩行兵器を打ち倒し、安堵のため息をついたのもつかの間、時間差で生じた爆圧にスネークが吹き飛ばされた。通信機越しに叫ぶミラーの声は焦燥と狼狽を隠しきれていない。早急にボスへと駆けつけるべく仲間達のヘリが進路を変えた。空中司令室として自分が乗るこの機も回頭を始める。

皆がボスを案じ、一点を目掛けて群が一斉に足並みを揃える。

ただ、その群を率いる頭は、理性は、本能の赴くまま手足を動かすわけにはいかない。

「よせ。俺たちは高度を維持する」

ボスの元へと降下に入った操縦士に指示を出す。

先ほどの爆発―――紫がかった針山のような炎をきっかけにサヘラントロプスの腰辺りを吹き飛ばした爆発は、その一度で終わらなかった。正確には爆発は一度だけだが、その爆発の勢いを利用するように、拡がった爆炎が形を成して二方向に移動し始めたのだ。

一つは単純、故に恐ろしい結果を予測させた。それはスネークめがけてただひたすらに業火を吐き出し続けていた。まるで特大の火炎放射器のように、スネークを炙り続けている。極太の火炎はスネーク自身を覆い隠して余りあるほどで、焼かれ朽ちていく姿さえ見えない。

上空から見えるもう一方の火炎は通常の赤やオレンジといった色合いに戻ったが、細長い線のように集合し、蛇行しながら密林を超えていく。まるで蛇だ。行く先は戦場とは真逆。しかし明らかに目的を持って、「何か」を目掛けて動いている。どちらも間違いなく第三の子供の能力によるものだ。

イーライが、スネークに対するものと同等の怒りを覚える何か、または誰かがそこにいるという事だ。考えうる可能性はあるが、ここからでは間に合わない。

対処できるのは、アイツだけだ。

 

 

***********

 

 

それまでの戦闘では聴くことのなかった――それどころかこれまでの人生で聞いたことさえないような、耳をつんざく金属音が響いた。それも二度。背を向けた戦場から届いたその音に振り返ると、一瞬の間を置いて島を揺らす轟音が届いた。木々の裂け目からは遠目に黒煙が上がっているのが見えるばかりだが、それを最後に島は数時間振りの静けさを取り戻した。

終わった、のか。

「時間」はピッタリだ。予めセットしたサヘラントロプスの自爆シークエンスを起動させるタイマーと経過時間は合っている。

しかし偶々、時間ぴったりにイーライが勝利した可能性、あるいはすでにDDの戦力を致命的なレベルまで削り終わった可能性も捨てきれない。

一つだけ安心したのは、この島がヒロシマやナガサキに続いて核の炎に焼かれるという最悪の事態が起きなかったことだ。

エメリッヒ博士曰く、これまでアフガンやアフリカでビッグボスが戦ってきた相手、つまりサヘラントロプスを造った髑髏顔の男は核兵器さえ商売道具にするような人だったらしい。その時の起爆装置として使われたブラックボックス――セーフティを、サヘラントロプスにも流用しているとのことだった。

つまり、起爆の最終決定権はその悪党が持っており、起爆装置のブラックボックスを分解しようとすれば腐食性アーキアによってたちまち溶解するという性質を持っている。起爆の最終決定をその男が行う、というのは通信回路やその悪党の存在が前提なので既に意味をなさない。しかしブラックボックス自体は物理的に存在するものだからその性質が変わることはない。

僕は「あの時」持ったヘルメットに塩湖の水を汲み、それを起爆装置に直接かけた。

要するに壊そうとした。起爆装置の部分にあたるブラックボックスだけを。

確実性のない、でも天啓にも思える自分の発想に賭けた。サヘラントロプスを修理する時、博士に見せてもらった設計図をずっと眺めていたおかげで―――見られないときでさえ頭の中でずっとイメージしていたのもあるだろうけど―――巨人のハード面の構造はほぼ頭に入っていた。起爆装置の位置ももちろん把握したうえでの発想だ。更に、海水にはごく微量のウランが含まれているため、不活化された腐食性アーキアを活性化させる効果もあるかもしれないと考えた。アーキアについては勉強不足なので、これはどれほど意味があったのかわからない。ウラン濃縮アーキアでは無いから意味はなかったかもしれないし、いざとなれば多少の音を覚悟して力技で壊そうとも考えていた。しかしブラックボックスはきちんと「溶けて無くなった」。鉄が錆び落ちるようにぽろぽろと。その上で自爆のプログラムだけを起動する。

「サヘラントロプスは自身の装甲そのものが核爆発の燃料になる。だから自爆が始まるとその燃料が剥離、あるいは飛散しないように機体にロックが掛かるんだ」というのもエメリッヒ博士の教えの一つだった。

 

こうして僕はサヘランに遅延性の毒を仕込む、つまり一定時間後に巨人の動きを封じる事に成功した。

核爆発のリスクを、核燃料廃棄という環境汚染を冒してまでの計劃が成功した、その安心感が、張り詰め続けた緊張の糸を少し緩めた。

そもそも核爆発は複雑な起爆プロトコル、手順を踏まないと成功しないため誤爆の可能性は低いものだそうだ。計算された構造、タイミング、圧力が必要不可欠で、サヘラントロプスから散った核燃料が核爆発を起こす可能性は低い。それでもとびきりの重犯罪には違いないだろう。そんな環境への配慮を、それでも良かったと思える結果に甘んじて忘れようとした。

戦場へと振り向いていた視線を進行方向に戻す。深い森の中、植物に覆われた自然の中に、異物がある事に気付く。

しかし、気づいたのは向こうが先だった様で、既に銃口は首をもたげ始めていた。

 

敵だ。

白い防護服に身を包んだ4人の大人達。

こちらは僕を先頭に数人の子供達。

思考が高速化し時間が引き延ばされる。

世界は緩慢になり、相手の銃口がゆっくりと持ち上がる。

自分の頭を狙って銃口が動く様が物凄く長く感じる。

頭の中は目まぐるしい速度で後悔の反復作業に入った。これまで自分が殺した兵士の顔が次々に浮かんで来る。その時はなんとも思わなかった死体の虚ろな瞳や血を吐き出し半開きのままになった口、血にまみれた額に砂混じりの頬。

そして息をひきとる、愛する家族の表情。

 

滝裏の洞窟の時とはわけが違う。

あの鉄筒がこちらをむけばそれは死と同義だ。言葉を交わす間もない。彼らに迷いはない。

殺すために探し、殺すために狙いを定め、殺すために引き金を引く。

こちらは僕以外の子もさっきの轟音に気を取られ反応が遅れている。

力量差は歴然。アドバンテージさえ向こうにある。

たった数秒で、僕たちは指先ほどの金属に体中を穴だらけにされて、死ぬ。

だめだ、気を抜いた、こっちにくるんじゃなかった、みんなを引き連れるんじゃなかった、死ぬ、みんなも死んでしまう、せっかく上手くいったのに、いくと思ったのに、ダメだ身体が動かない動けないイヤだいやだパ

 

とすっ と音がした。

自分の頬を涙が伝うのがわかる。

まだ生きている。

どんなに自分が変わったと思っても―――巨人を治し、策を労し、仲間をまとめられても―――やはり、まだ子供なのだと、痛感した。明確に自分の死をイメージした途端にその恐怖に飲まれてどうすることもできなくなった。

明確な終わりを予感させる銃口に、理性なんて吹き飛ばされた。

頭の整理が追いつく前に視線は自然と、たった今音を発生させた物体へ、銃口を向けた敵兵の側頭部に突き立った刃物に吸い寄せられた。

一拍の間を空けてその兵士は横に倒れ、同時に頭からは空中に赤黒い絵の具を置いていく筆の様にナイフが舞っていった。

その細いナイフが帰っていく先には、さらに骨太の、倍以上は長さのある鉈を手に構えながら一直線に閃く赤い影。倒れた一人を除く、白い防護服の3人組まで一息で迫ったその影はその勢いのまま一人の首を刎ねた。

上段から振り下ろすように、頭と胴体を繋ぐ太さ十数センチの肉の筒を裂いた。

そのまま流れるように、銃を構えたもう一人の両肘から先を下から切り上げる様に切断した。

銃を握ったまま頭上に2メートルも上がった肘から先だけの手は、切り離された主人の命を守って引き金を引き、小銃は鉛玉を吐き出した。反動で、肘から先だけの腕と鉄筒は鮮血と弾丸を撒き散らしながらくるくると回っていた。

切られた方はもっと盛大な血飛沫と絶命の絶叫を上げながら、心臓に止めの一突きをくらって尻餅をつくように倒れた。

最後の一人が反撃した。

だが赤い人影は信じられない事に連射される弾丸をその刃物で弾きながら距離をとった。最初の一人の頭にナイフが刺さってからここまで3秒もかかっていないように感じた。

 

た。た。た。

 

死の恐怖から抜け出す間もない自分から見た世界は、既に終わった風景を見るようだ。

思考が追いつかない。全ての光景が「見ているもの」ではなく、「一瞬前に済んだこと」としてしか処理できない。

起こって「いる」ことではなく、起こっ「た」ことの連続。頭に浮かぶ言葉全てが過去形で結ばれる。認識する現実全てが過去になる。

眼に映る状況を目で追うだけ。

そして他の多くの子供達もそれは同じだ。

でもそんな中で、ある一人の子供が動いた。

戦場では至極当然の、ある意味優秀とも言える行動。つまり敵を殺すというアクションを起こしたのだ。斜め後ろから銃を構える微かな金属音が耳に届く。振り向くと、最後まで撤退に反対しあの洞窟で僕に銃を突きつけた彼が、照準を絞り引き金に指を掛けていた。それを見た他の子達も一人、また一人と倣って構える。

狙いは白か、赤か。

少なくとも白は明確に敵だ。

だが赤が味方であるという確証はどこにもない。今の人間離れした業を見てしまっては、赤の方が脅威だとさえ強く感じる。

思考もまとまらず、なんの答えも得られないまま、みんなが発砲し始めた。

止められない。止める術がない。言葉なんて、銃声で簡単に遮られる。届いたところでこの状況ではどうにもできない。撃つのが正しい、殺すのが正解だと、僕自身思ってしまっているのも嘘じゃない。自分を死に追いやる可能性を消し去ってしまえと何かが囁く。

それでもみんなに死んでほしくもないし、これ以上殺して欲しくもないという理想は片隅に残っていた。

 

でも、そんな傲慢を叶える力が、僕には無い。

 

白は樹木を盾に、赤はまたしてもその鉈で銃弾を弾きながら高速で動き、子供たちの弾幕を凌いでいる。

正直この場から一刻も早く離れたかった。白い防護服に身を包んだ兵士は4人中3人が死んだとはいえ脅威には変わりないし、何よりもあの赤黒いボロ布に全身をつつんだ男は異常だ。狙われれば間違いなく皆殺しにされる。

でも、頭に血が上って引き金を聞くことに夢中になってしまったみんなは聞く耳もたずといった感じだ。

先ほどの洞窟と違い、僕の声が響くこともない。

下手に動けば仲間の銃弾に僕が撃たれてしまう。

どうしようもなく、ただ届かない声を上げた。

木の陰に隠れる敵を撃ち殺すため、子供たちは徐々に敵のほうへとにじり寄っていった。

みんなの背中に、それでも声をかける。撃つな、逃げようと叫ぶ。

言葉の、己の無力さに歯ぎしりしていると、野太いうめき声が耳に届いた。赤の投擲したナイフにつながったワイヤーのようなものが腕と足に巻き付き、そのまま絞るように防護服に食い込むと同時に血が滲みだし、大人の太腕と鍛えられた脚を切断したのだ。左腕と左足を失ってバランスを崩すほかに術のない白い防護服の最後の生き残りは、他の兵士同様にその白を己の血液で染め上げた。

ここぞとばかりに、すでに身動きさえ取れない兵士を狙って子供たちが発砲する。

勝敗は決した。明らかなオーバーキルだ。放っておいても事切れる運命を待つほかない、ただの搾りカス。それでも、恐怖と興奮で感情を塗り潰された子供たちの引き金には紙切れ一枚ほどの重みもなかった。理性を失った子供たちが奇声をあげて出鱈目に発砲する様は、人間性など欠片もないよう見える。

出鱈目ゆえに、弾丸は命中しない。その多くは枝葉や湿った土壌を削って、周辺にばらまかれただけだった。

それでも、戦闘不能の相手にいつまでもそんな奇跡が続くはずもなかった。

 

次の瞬間の光景は、今まで以上に僕を置き去りにした。赤い影は、今しがた殺しあっていた兵士を庇うように射線上に身を躍らせ、迫りくる銃弾を叩き落した。それも相当無理をしたらしく、足に二発ほど被弾したようだ。その外套の赤黒い色彩が滲むように濃くなっていく。

不可解な行動に、引き金にかかっていた子供たちの指が離れる。

さらに次の瞬間には、目にもとまらぬ素早さで体をひねり、すでに絶命寸前の敵兵士の喉笛を裂いた。

余力を振り絞った最期の行動だったのだろうか。兵士の右手にはハンドガンが握られていたが、首筋から吹き上がった血液と対をなすように力なく胴体に沈んだ。

 

子供たちは怯えていた。抗えない力と、その理解不能な行動に。

思考は停止し、撃つべきか逃げるべきかの判断も下せずに、ただ立ち尽くした。

ただ、僕だけは微かな期待を持ち始めた。

彼はもしかして、僕と同じ理想を抱いているのでは、と。

先ほどまでの俊敏さとは打って変わって、亡霊のように揺らめきながら赤黒い外套をまとった戦士がゆっくりと迫ってくる。

恐怖に駆られてパニックに陥った子供たちは再び引き金を絞る。

思考は停止したまま、生存本能が反射で彼らの体を突き動かした。

子供たちの銃弾はそのほとんどが空を裂き、命中圏内に迫った鉛玉は閃く鉈に弾かれた。

既に残り少なかった弾丸はほどなく弾切れになり、空撃ちする自動小銃の音が虚しく重なる。

こんな状況、恐ろしくてたまらない。

抵抗する術と気力を喪失した子供たちは、涙を浮かべながら無力な引き金を引き続ける。

竦んだ脚は逃げ出すことも許さず、あるものはその場に座り込んだ。

遂に先頭の子供が、彼の腕と刃物の届く範囲に入った。

みんなの頭の中には、たった今死んでいった男たちと同じ末路をたどる自身の姿がありありと思い浮かべられたことだろう。首を刎ねられ赤い泡を口元からこぼしながら宙を回転する頭蓋と、勢いよく吹き上がる血液をまき散らしながら地に伏せる己の胴体。

銃を構えたとたん肘から先が重力に従って落ちていき二度と帰ってこない。

逃げようと走り出した途端、足に巻き付くあの細糸。

どうあっても生存する未来は望めない。

赤い悪魔はゆっくりと右手をあげて―――

少年の構えるAKの上に手を置き、銃口を下ろさせた。

「もういいんだ。」

赤いフードの奥から、空気の漏れるような発音の言葉が紡がれた。

僕ら少年兵にもわかるアフリカーンス語で。

よく見るとその男の左頬は焼け落ちたように爛れていて、歯がむき出しになっていた。

 

「もう、銃を撃つことも、人を殺すこともしなくていい。この俺を、君たちが傷つける最後の生き物にしてほしい。この傷を、君たちが流す最後の血にしてほしい。」

 

自分の銃創を撫でつつそう語る、頬から空気が抜けるせいでうまくしゃべれないその男は、ひどく悲しげで、穏やかな声をしていた。

その、ある種の脱力感は決して戦闘で疲れ果てたからそう感じるのではないと思えるものだった。

その言葉を聞いた子供たちは一人、また一人と銃口を下げた。

決して、言葉に諭されたわけでも感銘を受けて感傷に浸っているわけでもない。

他にどうしようもないから、そうしただけだ。

そして先頭にいた、赤い男の目の前にいた一人が口を開く。

「でも、おれたちはこの生き方しか知らない。おれの母さんと妹を犯して殺したクソみたいな奴らに、復讐できる唯一の生き方だ。今日この一瞬を食いつないでいくための生き方だ。それなのに、これから先、銃を握らずにどうやって生きていけっていうんだよ!」

その叫びは、ここにいる全員の共通する意思だった。

この男はついさっき、人殺しをしなくていいといった。

それは一度でも、平和と呼べる状態を感じたことのある人の物言いだ。

そんな言葉は、彼らに響かない。自分が生きることと他人を殺すことが常に背中合わせである人生しか知らない人間には、生き方を奪われるのと同義だ。

さらに言えば、彼らにとってそれは報復でもある。僕にとってもそうだ。家族を殺された仕返しをする、奪われたものを取り戻すという理由で戦う人にとって、綺麗事は反感を誘うばかりだ。戦場だけが生きる術で、生きる糧は戦場にしかなかった。そうやって数年を送ってきたのがここにいる少年兵だ。他に生き方を知らない少年たちを、平和の国に住む人はきっと哀れに思うのだろう。だが彼らは、平和がどんなものか知らない。

僕も今ならわかる。街で暮らしていた時だって、別に平和ってわけじゃなかった。すぐそばに戦争があって、僕が目をそらしていただけだったんだと。

もっといい生き方があるって言われたって、それが出来る自信もなければ、今の生き方でなければ晴らせない憎しみを抱えている。

 

「俺も君たちと同じだった。でも、僕は一度死んで生まれ変わった。だからこれは無責任な願いだ。ただ君たちに平和に生きてほしいという、君たちが持つ復讐に猛る感情を踏みにじった、俺個人の傲慢な願望。この腐った世界のどこかに、楽園が存在してほしいという個人的なわがまま。君たちのためだなんて言えるはずもない。平和という妄執に取りつかれた哀れな男の欲でしかないんだ。君たちには、苦しみ悶えながら、平和に生きてほしい。」

先ほどまでのすさまじい戦闘からは想像もつかない、切なく優しい声で男は語る。

「生きる理由は、他にいくらでもある。生きる術は、偉大な男が教えてくれる。」

男はついにひざを折る。糸の切れた操り人形のように、あっけなく。

「ここに来るまでに、木に目印をつけてきた。たどっていけば海岸にでる。迎えが来るはずだ。あまり時間はない。行け、少年たち。生きて、新しい人生を歩き始めろ。」

子供たちは彼の言葉を咀嚼できないまま、立ち尽くしていた。

納得したわけじゃない。理解したわけでも、未来の展望が開けたわけでもない。

ただ、その男の発する言葉を無視できなくなっていた。

誰かに何かを願われることに、動揺していると言ってもいい。

ただ、みんなの戦意はすでにそこになかった。

あとは一言、背中を押す言葉があればいい。

「行こう」

そう口にして、みんなを先導するように歩き出す。

フードの奥で、男が何かを呟いた気がしたけれど、それは聞き取れなかった。

何人かの子供が続いて歩き出し、つられる様にみんなが足を進め始めた時だった。

「何だ」

後ろで誰かの声がして振り返ると、生暖かい風が頬を撫でる。

木々の向こう側に、炎が見えた。

それはただ森が燃えているだけではなく、巨大な生き物が突撃してくるように火炎が迫ってきているという、まさに怪奇現象としか呼べない光景だった。

密集する樹木の間を縫うように蛇行しながら、酸素を燃焼させ、猛烈な勢いで押し寄せてくる。

高熱が周囲の大気を歪ませているせいか、迫る炎が豚か猪の頭に見えた。先ほどまでの人間同士の殺し合いを見ている時とは別種の恐怖。彼我の戦力差に絶望するのではなく、比較さえ許されない畏怖。人の領域の外にある抗いようのない超常現象を前にブラックアウトしそうになる。

「走れ!」

思考が停止したのが一瞬だったのか、数十秒経ったのか判然としないままでいると、命令形の言葉が鼓膜を叩いた。

肉体の支配権を取り戻し、踵を返して走りだす。

それは他の子どもたちも同じだったようで、みんな慌てて弾かれたように土を蹴った。

殺意や復讐心、迷いや怒り、そういったものを全てかなぐり捨てて、生存本能が足を突き動かす。消し炭となって散り果てていく木々のようにはなるまいと、一目散に腕を振り、足を踏み出す。

そして、すれ違った。

ただ一人、その人知を超えた現象に向かってゆっくりと歩む、傷んだ赤色の男と。

足を止めぬまま振り向いて、白い塗料で描かれたピースマークを背中に背負った男を視界にとらえる。

何人かの子供たちも、同じように彼から目が離せずにいた。

迫る炎はかなり近づいたと思ったけど、まだ距離はある。そのぶん、その大きさが異常なものだということがはっきりわかってくる。

男は勢いよく両手を広げ、大きく左右に振った。両手からは白刃がその煌めきを放ちながら飛び立ち、その軌跡を描くように細い糸が空を裂いていく。つい先ほど、軍人の鍛え抜かれた四肢を容易く絞り断ったものだろう。どんな鍛錬を積めばあのように手繰れるのか想像もつかないが、その切断糸はそれぞれ周囲の中でも太い樹木に巻き付いた。今度は腕を上段から降りぬき雄叫びを上げたかと思えば、次の瞬間にはその木々が左右から倒れこんできた。まるで迫りくる火炎の進路を塞ぐように。

逃げる子供たちを尻目に、男は次々と木々を倒して見せた。

敵兵を圧倒しておきながら既に満身創痍といった印象を与えてきた弱々しさが全く消えてしまったわけではない。むしろ相当な無理をしているのだということが、力を籠めるたびに出血している指先や銃創から見て取れる。

ぼくは、思わず立ち止まってしまった。

彼は無責任に、少年たちが望みもしない平和な生活を送ることを願った。

そして今、命を賭してそのエゴともいえる願いの為に死力を尽くしている。

僕らの平和を願って、身を挺してそこに立つ彼の背中のピースマークが目に留まる。

せめてその背中を忘れずに覚えていたい、そう思った瞬間だった。

追い風が吹いているのか、木々の焼ける匂いが風に運ばれてきた。

その風に包まれた瞬間、頭の中で叫び声が反響した。

声の主はイーライ。呼んでいるのは僕の名前。純粋な怒りに染まった叫びが頭蓋を揺らし、僕は立つことさえままならずにその場で膝をついた。全身から汗が吹き出し、呼吸が浅くなる。今すぐマスクを外してしまいたいという衝動を必死に押さえつける。

これが、イーライがその身を薪にして燃やしている憤怒。世界を三度焦土と化して余りある悍ましい狂気。それが今、実際に森を炎に包む巨大な火炎という実態を伴って迫っている。目標は僕だ。それを今、はっきりと実感した。覚悟はしていたけれど、そんなものは何の意味もないとあざ笑うかのように、僕の精神は真っ赤に染め上げられていく。

心が消えていく。自分が居なくなっていく。僕はもう立ち上がろうとさえ思わず、迫りくる灼熱の赤色をただ眺めていた。

 

 

***********

 

 

耳朶を震わすミラーの叫び声で意識を覚醒し、耳鳴りが止まない頭を振りながら気絶するまでの経緯を思い出す。なぜ自分が地べたに這い蹲っていたのか。あの日と同じように至近距離での爆発に成す術もなく吹き飛ばされたからだ。

暑い。サウナなど比較にならないほどの高温に包まれる。四肢のコントロールを取り戻し、蹲ったままふと顔を上げるとその理由がわかった。炎だ。それも真っ白の。俺を吹き飛ばした燃料引火の炎が、今なお俺を焼き尽くさんと流れ込んでくる。まるで炎の滝にうたれるかのように極太の炎流が、おそらくサヘラントロプスの方から絶えず放出されているのだ。

記憶の中の情景がフラッシュバックする。薄暗い地下壕を照らして余りある火焔との死闘。ザ・フューリーが用いた火炎放射器が放つ憤怒の炎。あの火焔もこれ以上ないというほどの脅威だったが、今俺を包む爆炎はそれを何倍にも膨れ上がらせた強大さを持ちながら、その燃焼を止めることさえない。

ではなぜ俺は未だに炭化せずに生存しているのか。その答えもまた、そこにあった。流れ来る殺意の奔流と俺の間に割って入り、身を挺してBIGBOSSを守護する鋼鉄の狙撃手。

「バトル…ギア」

どこまでもあの日を思い出す。

パスの腹部から放出される爆炎。爆発を阻止すべく走るBIGBOSS。その間に割って入りBIGBOSSを護る仲間。まるであの時の焼き直しだ。だが、あの時とは異なる点も多い。絶えず襲い来る爆炎、耐え続けている仲間。そう、また昏睡状態に陥るようなわけにはいかない。どんなに似た状況だったとしても、違う結末をつかみ取らなければならない。

耳鳴りが徐々に遠のいていき、世界が正しい色彩を取り戻していく。

重傷を負ったときに発症する色覚異常から回復し、バトルギアがかなり赤熱しているのがわかる。どれほど気絶していたのか分からないが、その間バトルギアはずっと俺を守ってくれていたようだ。真っ白に見えた炎も、気絶する前に見た時と同じ紫がかった赤色をしていることが視認できた。コンディションは回復しつつある。しかし周囲は炎の壁、逃げ道はない。酸素の消費も激しくこのままここにいても死んでしまう。打つ手はなく、肺が焼かれるようで声を出すことさえ難しい。賭けに出るにはまだ早い。今はただ、この紫炎の激流が止むのを祈ることしか出来なかった。

 

 

***********

 

 

気持ちのいいくらいの破裂音が樹海に木霊する。

それが自分の頬をビンタされた音だと気づいたのは、数秒たってじわじわと痛みが感じられるようになった時だった。

「名前は」

目の前の男が僕に問う。先ほどまで木々を伐採しバリケードを造っていた赤マントの男。

満身創痍で指は血まみれ。ビンタをする方が痛かっただろうと確信するほどの傷だった。殴られた僕の頬には血がべっとりとついているが、それは全て彼のものだ。でも声帯虫の感染を防ぐためのマスクはしっかりとついている。

でもそのビンタのおかげで、僕の理性が、存在が帰ってきた。でも、イーライの怒りの声はまだ流れ込んでくる。頭を振って、問いに応えるために口を開く。

「フレーデ」

「そうか、やっぱり君が」

やっぱり?どういうことだろう。考えるより先に男は話を続けた。

「フレーデ、痛いか?その痛みも、名前も、君だけのものだ。君は平和の使者でも、破壊神の巫女でもない。他人の怒りに同化される必要はない。自分が何者かを強く意識するんだ。自分の存在を、輪郭を想像すれば、流れ込んでくる感情に心を染められずにすむ」

なんでこんなことを言っているのかわからなかった。でも、何を言ってるのかはわかる気がした。でも、とても難しいことだ。

「自分の存在なんて、自分が何者かなんて、わからないよ」

「正しい答えなんてどこにもない。君が決めるしかないんだ。何が君を君にするのか。自分がどこに居たいと思うのか。君が選んだその道が、君を創る」

僕が選ぶ、僕のいるべき場所。

「たとえ身体が子供でも、生き方を選んだ時に君は大人になる」

僕がここにいる意味。

「さあ、走れ。もうすぐあれが来る。こんなバリケードで防げるとは限らない。みんなの後を追って海岸に」

男が言い終わらにうちに僕は足を踏み出していた。迫りくる憤怒と恩讐の火炎に向けて。

「おいフレーデ、何を」

思い出したのは、パパの最期の言葉。

――「生きろ。より良い平和な、明日を求めて」

怒りを具現化した殺意の熱塊はすぐそこまで迫っていた。

赤い男の作ったバリケードにぶち当たって拡散した炎が、またすぐ収束して勢いを取り戻す。赤い男がその間に割って入って、僕を護るように抱きしめた。

でも、僕は構わず叫ぶ。

「僕が居たいと思える世界は、まだはっきりとは分からない。でもそれが、戦場(ここ)じゃないことだけははっきりと言える。この怒りはイーライ、君のものだ。僕のものじゃない。イーライ、僕はもう、戦いたくない!」

目前に迫る死さえ通り越して、頭に流れ込んでくる感情を押し返すように言葉に感情を載せて放つ。この想いが、彼に届くように。

目と鼻の先にまで迫った火炎の濁流は、そこでひと際大きく爆ぜた。

 

 

***********

 

 

バトルギアの装甲が焼けただれ始めている。マスク越しの呼吸ももう限界だ。あと数十秒もしないうちに酸欠でブラックアウトし、その後焼き尽くされたバトルギアの後で消し炭になるだろう。一か八かの賭けに出て炎の壁を突破するべきかと腹をくくる。膝を立て、厚さも分からない炎の壁に突貫せんとしたまさにその時、周囲の紫炎が突然消えた。理由は分からないが、考えている暇はない。好機を逃さず、その場から立ち上がり周囲を確認するとともに離脱する。

既にシステムも沈黙したバトルギアに心の中で感謝を伝えながら、呼吸を整える。ゆっくりと巨人の方へ向かい、バトルギアのレールガンに撃ち抜かれた際に吹き飛んできたのであろう巨大な装甲の陰に身を隠し周囲の様子を観察する。サヘラントロプスの爆発箇所からバトルギアに向けて地面に焦げ跡がある以外は気絶前に見た景色と変わらないようだった。打倒したサヘラントロプスは各所から黒煙を上げ続け沈黙したままだ。

ちょうどその時、解放されたままになっていた巨人の頭部――コックピットから赤い防護服に身を包んだ少年が身を乗り出してきた。イーライだ。重大な外傷はなさそうだが、体力を消耗しているのが見て取れる。コックピットから脱出すべく動き出した瞬間、敵兵の気配を感じ取り視線をやる。視認できたのは二人。既に巨人は戦闘不能となったからか、XOFの生き残りは身を潜めることもせず武器を中腰に構えながら近づいてくる。イーライもその気配を察知したのかそちらを見やり、とっさにコックピット内に身をかがめた。

刹那の間をおいて二人の兵士は銃弾をばらまき始め、サヘラントロプスのコックピット周りは弾丸と火花が跳ねまわった。このままでは距離を詰められジリ貧だ。イーライも同様に判断し腹をくくったのか、巨人の大いなる口腔から這い出てきた。しかし、転がるように地面に落下した直後、そのまま意識を失うように起き上がることもなく五体投地のまま沈黙してしまった。ヘルメットが頭部を保護しているので命に別状はないだろうが、消耗した体に追い打ちをかけるように落下の衝撃が加わったため気を失ったのかもしれない。兵士たちは銃撃を止め、イーライたちの下へと歩み寄る。

――まずい。

とっさにハンドガンをリロードする。その隙に敵兵士はイーライを囲み、そのうえ反対方向からさらにもう一人の兵士が合流していた。イーライのすぐ傍に立つ兵士が、自分の持つライフルを仲間に投げ渡し、口径の大きなハンドガンに持ち換えた。込められた憎しみの感情が透けて見えるように大げさにハンドガンを振りかぶりイーライの心臓に狙いを定める。仲間を大勢殺された報復の引き金が今まさに引かれようとしている。

鼻から息を吸い、止める。相手は三人。僅かなミスも遅れも許されない。文字通り一息で、障害を排除しなければならない。

身を隠していた装甲から身を乗り出す。イーライに銃口を向けている兵士から順に、素早く、リズミカルに三度引き金を引く。三人の敵兵は反撃の機会さえ与えらず、膝から崩れ落ちた。三人目が地に伏せると同時に息を吐き出す。なんとかイーライを死なせないままサヘラントロプスの排除に成功した。任務はほぼ完了だ。あとは少年たちを回収し、ヘリでマザーベースへ帰投すれば――

銃声がした。一息つく間もなく瞬時に頭を切り替える。先ほど現れた三人目の他にまだ合流した生き残りが数人いるようだった。遮蔽物に降り注ぐ銃弾が耳障りな金属音と火花を散らす。半身を覗かせるように応戦するが、先ほどのような不意打ちではなく位置取りも悪い。サヘラントロプスとの戦闘で兵装も弾薬も底をつきかけている。残り少ない弾倉を装填、リロードから流れるように照準を合わせようと顔を覗かせた瞬間、敵兵が投げ込んだグレネードが足元に転がった。脊髄反射で反対方向に緊急回避するが、爆発の衝撃から逃れることは叶わなかった。炸薬が放つエネルギーに押し出されるように地面に叩きつけられる。頭部を強打し、思わず呻き声が漏れる。ひどい頭痛がするが、幸い足が吹き飛ばされるような事態には至らなかった。

しかし、目に映る世界が再び色彩を欠いていた。今のショックで色覚障害が顕在化し、左手のバイオニック・アームが真っ白に見える。俺の視界から逃げ出してしまったかのように、赤だけが足りない。しかし、視界の色味に構っている場合ではない。遮蔽物の向こうにはまだ敵兵がいる。すぐに態勢を整えなければ。

周囲を見渡す。更なる増援、敵の正確な人数は不明。だが、グレネードで俺を殺せたと思い構えを解いている今しかない。呼吸を整え、方足を突き出すように装甲の陰から射角を確保する。先ほど同様寸分の狂いも許されない必中必殺の射撃で敵兵を無力化しなければならない。もちろん完全な不意打ちにはならない。姿を見せた瞬間に敵兵もこちらを補足する。その反応速度が素早い兵士から順に狙いをつけ、相手に反撃の機会を与えないように制圧する。逆にこの先手を撃ち損じれば残弾僅かなこちらが不利だ。撃ち合いが始まり長引けば、距離を保ったまま包囲されて詰む。赤色が消え去った視界から得られる情報を瞬時に整理、判断し、肉体の反応速度を限界まで加速させる。思考と反射の融合。目に映る白い人影を射殺するために、積み上げてきた心・技・体の全てを最適化する。

八発。戦場に響いた八発の銃声に、敵兵のものは無かった。しかし、最後の銃声の後を追うように、まだ声変りを完全に終えていない少年特有の絶叫が耳朶を震わせた。

脅威を制圧した安堵が来るよりも早く、身震いするような悪寒に襲われる。地に手を突きながら身を起こし、周囲を再確認する。これ以上の増援がないことを確認しつつ、しかし意識の大半を最後に撃った標的に向けながら歩みを進める。一歩二歩と近づくにつれ、眼球が捉えている光の像が本来の色彩で脳に結ばれていく。血が通うように世界が色づいていく。それが最悪の予感を、確信に変える。

指一本動かない少年の傍らに、崩れ落ちるように両膝をつく。頭を抱え、防護マスク越しに表情を確認するが、反応はない。

――『俺たちは過去じゃなく、未来のために戦う』

ミラーと再会し、ダイアモンド・ドッグズのマザーベースに初めて降り立った時に口にした己の言葉を思い出す。今俺は、未来の権化ともいえる新芽を、自らの手で摘み取ってしまった。どんなに求めても、報復の血に染まったこの手には未来はつかめない運命なのか。過去に囚われ続け、流されていくこともできず留まることしかできないのか。喪失感、虚無感、絶望感、あらゆる負の感情が胸に去来する。内臓が押しつぶされそうになる程の情動が出口を求めて腹の底から突きあがってくる。灰が舞う焦げ付いた鉛色の空に、悲哀の咆哮が昇った。

 

 

***********

 

 

僕はここにいる。君はそこにいる。

それぞれ自分の足で立っていて、自分の考えがあって、自分の感情があって、自分の人生がある。僕が伝えたかったのは、そんな簡単で単純な、当たり前のことだったんだ。

彼の怒りが、あの子を通してこちらに流れ込んでくることはなくなった。炎が実体化したり、他人を操ったりするのはきっと副産物みたいなもので、あの子の才能はきっと他人との心の壁をなくすことなんだ。使い方によっては、人と人との誤解を解いたり、他人の気持ちに本当の意味で寄り添ってあげられるような優しい力にだってなれたはずだ。その証拠に、あの子は僕と僕のパパの遺した想いも受け取ってくれた。そして僕とこの赤マントの男を火だるまにする寸前で、炎の奔流は爆ぜた。まるで極太の縄が細い糸に分解されていくように、炎は僕らを燃やすことなく周囲の木々に飛び散った。巨大な炎蛇がゴルゴーンの髪やヤマタノオロチのような多頭の蛇になったようにも見えた。

「君が、やったのか」

動揺を隠せないように男が言う。

「僕だけじゃないよ。あの子の中にも、きっとまだ他人に優しくしたいって思いの欠片がのこっていたから」

「そうか。よくわからないけれど、君が無事でよかった。でもここが危険なことは変わらない。さっきので森に火が付いた。ここら一帯はすぐ火と煙に巻かれる。さあ、早くみんなの後を追って走るんだ」

「あなたはどうするの」

「火が燃え広がるのをここで食い止める。君たちが無事海岸にたどり着くまでの時間稼ぎが僕の最後のやりたいこと、やるべきこと。僕の生き方、命の使い方だ」

こんなにもボロボロで今にも死にそうなのに、男の瞳は生気に満ちていた。命の輝きを秘めたその瞳をみると、僕はもう何も言えなかった。

「わかった。最期に、名前を教えて」

「名前――チコ。リカルド“チコ”バレンシアノ・リブレ。偉大な男に憧れて生まれなおした、平和の使者のファンの一人だよ。でも結局僕自身は、平和の使者にはなれなかった。なりそこないだ。」

「違うよ」

思わず、否定してしまう。

「なりそこないかどうかは、まだわからないよ。あなたに救われた僕たちが、いつか平和な世界にたどり着けたなら、あなたはきっと僕たちにとっての平和の使者になる。みんなはまだ、あなたに救ってもらったとさえ思ってないかもしれないけど、いつかもしかしたら、わかる日がくるかもしれないから。だから―――ありがとう」

これだけは、伝えたかった。でも言われたチコは半ば茫然としたかと思えば、一拍の間をおいて笑いだした。ひとしきり笑ってから、まるで夢見る少年のような優しい声でこう言った。

「ありがとうフレーデ。君が僕の、生きた証だ」

 

 

***********

 

 

作戦エリアを完全に制圧したことを確認し、航空部隊やバックアップチームが降下してくる。サヘラントロプスの状態確認、戦死した家族の遺体回収、声帯虫や核の環境汚染調査、皆各々の役割に従って動いている。スタッフ全員が防護マスクを着用し、声帯虫対策も抜かりはない。

「下がってください」

医療班スタッフの一人がイーライの傍についていた俺と入れ替わり、身体を検める。ヘルメットや防護マスク、防護服を順に取り払っていく。

「致命傷はありません。防弾で止まっています」

肺に溜まっていた空気をゆっくりと吐き出す。九年の眠りから目覚め、仲間たちと再会した時と同等の安堵を感じた。

「ヘリに乗せろ。マザーベースで手当てする」

「はっ!ボス!こいつ英語株が発症しています!」

すぐ横にいた兵士が声を上げる。装備したゴーグルで声帯虫の発症を確認したのだろう。声帯虫が活性化すると咽頭部が発熱する。サーマルゴーグルで対象を観察すれば一目瞭然だ。周囲がどよめく。身体を診ていた医療スタッフも飛び退き、その場にいる全員がイーライに銃口を向けて距離を取る。こんなにも無力な少年に怯えてしまうほど、DDスタッフには声帯虫の恐怖が身に染みてしまっているのだ。だが実際には防護マスクさえつけていれば感染の心配はない。それよりも今、懸念すべき事項がある。懸念といっても、もはや如何ともしがたい事実なのだが。

――声帯虫に蝕まれたイーライには、もうすぐ死が訪れる。

そんな大人たちの憐憫や恐怖さえ嘲笑うような悪魔の笑い声が、その瞬間にその場の緊迫感に拍車をかけた。再びイーライの傍に片膝をつく。いつの間に目を覚ましたのか、イーライは瞼をあけてこちらを睨んでいた。たとえ満身創痍でも、心に寄生した怒りは微塵も衰えてはいない―と言わんばかりの鋭い眼光がこちらの視線と衝突する。

「俺はサイファーに作られた。失敗作だ。運命は、ぜんぶ決まっている」

その場にいるほとんどの人間には意味の通じない独白を、ただ静かに聞き届ける。

「俺は負ける。おまえだ。おまえのせいだ。俺は俺じゃない。お前のコピーだ。親父を超え、親父を殺す。おまえを殺す!」

余力を振り絞りながら、叫び、怒りを吐き出す。俺の腕を握りつぶさんばかりの迫力でつかみながら、未だ消えぬ闘志を高らかに吠え上げる。

「サイファーを全部殺す!世界を滅ぼしてやる!」

まさに子供の戯言。だが、その場にいる全員がそうは思わなかった。この鬼を子ども扱いする気には到底なれない。こいつは命さえあれば宣言通りに世界を滅ぼすだろう。そう思わせるだけの何かを、既に感じ取っていた。

オセロットに肩を叩かれ、数歩退く。イーライは虫の影響か、咳が激しくなっていく一方だ。声帯虫の発症が確認され、スタッフたちも慌ただしくなる。

「コードレッド!コードレッド!回収急げ!状況はどうだ?」

部隊間で通信を交わしているのが耳に入る。戦闘が終わったにもかかわらず発令されるコードレッド。つまりは声帯虫による感染、汚染の危険性が高い非常事態であることを意味する。

オセロットと向き合ったところにスタッフが駆け寄ってくる。

「もう助からない」

「ここは声帯虫に汚染されています。ナパームで島ごと―」

「島ごと焼き払おう。投下準備。さあ撤収だ。急げ!」

俺が口をはさむこともなく、オセロットの指揮によりナパーム投下指示がだされた。

スタッフたちは迅速に命令に従い、次々とヘリに搭乗していく。

捨て置かれたイーライは憔悴し、うわごとのように『生きる』と繰り返している。

その額に銃口を向ける。虫に侵された兵士の最期を、これまでも同じように解放してきた。

「お前は立派な兵士だ」

死に際の慰めではなく、心の底からの嘘偽りない言葉だった。もう誰も、この少年をただのゲリラ兵だとは思っていない。ただ、その称賛の言葉でさえ、この小さな身体に秘められた膨大な怒りの前では空気を震わせる振動以上の意味を持たない。返ってきたのは、剥き出しの殺意だった。

「殺してやる!!」

そこで、思い至った。この尊敬すべき一人の兵士は、解放など望んではいない。ここで楽にしてやろうという思考を持つことが侮蔑であり、イーライにとっての屈辱に他ならないのだ。ハンドガンの弾倉を抜き、残弾を一発だけ残す。

「そうだ。自分を責めるな。俺を恨め」

イーライがそう望むのであれば、最期までそれを選ばせるべきだ。

そう―『最期の瞬間はあなたたちのもの』なのだから。

数歩下がったところにハンドガンを置く。そのまま踵を返しヘリへと向かう。

地面を這いずる音と、銃を拾う音が聞こえるが、たとえそんなもの聞こえなくてもそうするであろうことは疑う余地もない。だが、その銃口を誰に向けるかを選択するのはイーライ自身だ。その選択を尊重する。俺は一度も振り返らずにヘリに搭乗したが、結局背後から凶弾に撃たれることはなかった。

 

程なくして、ナパームの投下により島は火焔に包まれた。イーライの選択を見届けることは出来なかったが、自害するにしろ、それさえ拒絶し焼かれたにしろ、結果として未来を歩むことは出来なかった。イーライを撃ってしまった時と同じ感情に囚われる。結局のところ、俺に待つ未来は終わらない報復の連鎖なのだろうか。窓に映る自分の姿は未来を求める英雄などではなく、血に塗れた復讐鬼だった。これが、こんな男が、BIGBOSSなのか。戦場の緊張感が遠ざかる代わりに、不安や疑念がより強い波となって押し寄せてくる。

考えないようにしても、その波紋は徐々に激しい荒波となって心を揺さぶり続けた。

 

 

***********

 

 

指が限界を迎えていた。切断糸を手繰りすぎたせいで肉が裂け、骨が顔を覗かせている。

だが、無事に役割は果たせたようだ。指定されたポイントからヘリが飛び立つのが見えた。

子供たちは無事マザーベースへ帰るだろう。精魂尽き果てて、燃え盛る木々の合間の土に身を投げる。大の字に倒れこみ、上がった息を整える。周囲の森は焼け落ち、火の手は今にもこの身を包もうとしている。

「上手くできたかな、パス」

懐から取り出したテープにそう問いかける。表面には、『1975年3月15日』と書かれている。あの爆発の後、一緒に波に打ち上げられたカセットテープ。パスの最後の遺志が記録された、彼女の忘れ形見。

「結局中身、聞けなかったなぁ」

テープの損傷は激しく、パスの声が微かに聞き取れただけで、どんな言葉を残していたのかは分からなかった。あのキャンプにいた時のものだから、酷いことをした僕への恨み言を吹き込んでいたのかもしれない。そう思えば、聞かなくて済んでよかったとも思う。

君の体が目の前で爆発したあの日から、いろんなことがあった。

君と過ごした平和なあの日々を嘘にしたくなくて、僕は平和の守護者になった。

この世の中からあらゆる戦争、紛争、闘争、兵士、戦士、武器を壊し、殺しつくす殺戮者になった。でもそれは言い訳だった。本当はただ死に場所を求めていただけ。ずっと傍にいてほしかった君の幻想を抱いて、世界に報復していただけだったんだ。本当に遠回りで、上手くできたことなんて一つもなかった。幼いころから夢見ていたハンターや、憧れていたスネークのような男には、指先だって届かなかった。

それでも、もしあの子が、あの子供たちが、僕の言葉を語り継いでくれたなら。僕の想いを受け継いでくれたなら。それが僕の祝福だ。僕自身が選んだ、命の使い方だ。

後悔は数え切れないほどある。思い返せば泣きたくなる。

でも、今日踏み出したこの一歩に悔いはない。自分が何者なのか、答えは得た。

生きろ、子供たち。明日は君たちの掌に«TOMORROW IS IN YOUR HANDS»。

 

火焔がこの穢れた身を浄化していく。不思議と苦しくはなかった。まるであのころに君と見た、水平線に沈む夕日のような温もりさえ感じる。

「もうすぐ会えるよ――パス」

 

 

**********************************************************

 

―――『アウターヘブン蜂起』まで、あと二週間―――

 

 

私です。

 

ええ、『いざという時』、Vが真に目覚める時が来ました。あなたの予想通りです。

兆候は以前から。意識の混濁を伴う悪夢や頭痛が頻繁に。

最大の要因はイーライの件です。

密林、アナクロなトラップ、そしてサヘラントロプスとの決戦。

スネークイーター作戦をなぞるにはちょうどいい環境でした。足りない要素はこちらで補完しました。メタルギアではなく、ザ・フィアーやザ・ボスといった生身の強敵との戦闘。チコはその役割に適役でした。緊急性と有用性を理由に諜報班のみならずHECを最大限活用するようミラーに進言し、チコに情報を流す。あとはチコが自ら動いてくれる。

偶発的ではありますが、イーライのおかげでザ・フューリーとの戦闘を想起させる事態も発生しました。ジ・エンドはクワイエットとの接触で。さすがに、蜂を操る兵士は用意できませんでしたが。

 

ええ。イーライは島ごとナパームで。生きてはいないでしょう。

やつはスネークイーター作戦との共通点を見出す中で、自分の中のその記憶、BIGBOSSを創り上げた核であるはずの記憶が曖昧であることに気づくでしょう。知っていて当然。だからこれまで思い出そうともしなかった。誰も、自分自身すら自分を疑わなかった。だが一度、疑念という名の波紋が広がれば、誤魔化せるようなものではない。奴自身の覚醒も、それを後押ししたようです。

 

はい。貴方が仰ったとおりです。

それ以降、やつは自分の記憶に疑われています。本当にお前はBIGBOSSなのか――と。

そろそろ限界です。いや、時が満ちたというべきか。

あとはこちらから真実を伝えれば、Vは完全に覚醒します。私の口から伝えても?

 

ええ。ほぅ。

では、遂に。

その作戦の存在と共に、あなたの声と言葉で伝える、と。

それがベストでしょう。ではカットアウトを通じて――使いを、あの男に?

ふっ、なるほど。シナリオは分かりました。その男には配達人と同時に、新たな蛇の案内人になってもらう、ということで?

承知しました。

では楽しみにしていますよ。貴方との再会と、Vの覚醒。

やつはもうあなたの単純な陰では、鏡写しの虚栄ではなくなる。

貴方と対等に輝き、貴方すらその日陰に覆いつくすほどの太陽。自ら思考し、行動する幻影«Phantom»。誰一人として疑わない、自らの足で歩むもう一人の貴方。

 

ええ、その通りです。

ではまた、ジョン。

 

 

**********************************************

ありふれた戦いの或る日 アウター・ヘブン へ

 

 


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