リッカをベッドに寝かせてから、横にある椅子に背もたれを前にして座り、話かけた。
「やらせておいて言うのもなんだけどな…、さっきの術は、あんな頻繁にやっちゃいけないんじゃないか?」
リッカは、少し驚いたように目を見開いたが、微笑みながら言った。
「カカシ先生は並外れた洞察力と、過去の経験から、物事の本質を見抜く力があるのだと思いますが、ナルトさんは…、なんて言っていいのか…、すごいですね」
「ハハハ。そうだな、ナルトのあれは…、まっ、本能だろうな!」
クスクスと笑ってから、天井を見つめ、リッカは言った。
「お気付きだと思いますが…、あの術は、通常の精神・身体エネルギーで練ったチャクラに、術者の生命エネルギーも練り込むんです。そうすると、それはニュートラルな新しい生命エネルギーとなって、チャクラを媒体にして対象に与える事ができるようになるんです。 生命エネルギー、生命エネルギーを変化させる為のチャクラ、媒体にするチャクラ、それぞれ必要になって、それで、普通の忍術以上に疲労してしまうんです。お母様は玄冬転生の術と呼んでいました」
やはりか…。術者の生命エネルギーを練り込むという事は、術者はその時、僅かでも死に近づいているという事だ…。
リッカは懐かしむように微笑んで話を続けた。
「お母様は王宮の庭で、お花や小鳥を治しながら教えてくれました。精神・身体エネルギーと比べたらかなりの時間が必要ですが、生命エネルギーも復活するので、あの頃はとても素晴らしい術だと思っていました」
「過度に使わなかったらいいのかな…?」
「先生…」不意にリッカの緑の瞳に悲しい影が宿り、ささやくように言った。
「ん?」
「人の命を奪う重さに堪えられるのは、それが大切なものを守る為だから…って思えるから、なんですよね?」
「そうだね…」
「じゃあ、守りたかった大切な人の命を奪った重さは…、罪は…、どうしたら…」
「…それは、兄上の…こと?」
オレの声はひどくかすれていた。
リンの今際の際が思い出されたからだ…。
リッカが何を言おうとしているのか、推し量る事はできなかったが、オレはひどく動揺していた。
「いいえ、兄様達は…、私にとっては大切な人ではなく、脅威でしかなかったです。…それでも、殺したかったわけじゃなかったですけど…」
「…そうだね、あの時は、オレも生け捕りにする余裕は無かったからなぁ…」
そして、尋ねずにはいられなかった…。
「じゃぁ…、リッカの言う大切な人って…」
「私のお母様は、弟の出産時に亡くなったのではありません。正確には…、弟が生まれた日の夜に亡くなりました。私と弟の命と引き換えに…」
「それは…、その転生の術で…?」
「はい」そう言って、目を閉じて頷くと、涙が一筋こぼれた。
リッカは静かに、その日の事を話し出した。
弟タイガが生まれた日、リッカは嬉しくて、弟の部屋でずっと顔を眺めていた。
王家では王子王女が生まれると、直ぐに乳母が育てる仕来りがあり、この時も、王妃は隣の部屋で休み、タイガの部屋には乳母とリッカの三人だけだった。
この乳母は元々王妃の侍女で、リッカも懐いていたので誰も心配しておらず、ヒイラギも傍には居なかった。
夕食の後もタイガの部屋で過ごし、乳母が弟に人口乳を与えるのを見ながら、乳母のいれたお茶を飲んだ。
突如、呼吸ができなくなり、嘔吐し、訳がわからずに乳母に助けを求めた。
リッカのその様子を見て、乳母は自ら小瓶をあおり、血を吐き倒れた。
それを見てやっと気付く。
乳母に毒を盛られたのだと…。
リッカはもがきながら弟のベッドを覗き込んだ。
タイガは嘔吐物にまみれて、既に息をしていないように見える…。
「お母様に知らせなくては」そう思ったリッカは、血を吐きながら這うようにして、隣の部屋へとなんとか辿り着いた。
リッカの様子に驚いた王妃はすぐに転生の術で治療するが、リッカが瀕死を脱したところで「タイガが」と繰り返し訴えるリッカを残し、弟の部屋へと駆け込んだ。
ちょうど国王も部屋を訪れ、二人の争う声がリッカにも聞こえる。
「子供など其方が居ればいくらでもまたもうけられる。諦めよ!」
その後の言葉は意識が遠のいて聞こえなかった…。
意識が戻った時には、既に数日が経っていた。
傍にヒイラギが居り、タイガは助かったが、王妃は助からなかったと教えられた。
おかしい、タイガはあの時、既に息が無いように見えたし、母は毒を飲まされてはいない。
ヒイラギも知らない事実がある筈だ。
そう思ったリッカは、動けるようになると、密かに王妃の自室に行き、古い巻物を読み漁った。
リッカは全てを理解した。
母が玄冬転生の術と呼んでいたものは、亡国の山里で暮らしていた母の一族秘伝の術だった。
一族は昔また別の国に住んでいた。
そこでは血継限界を持つ血族は忌み嫌われていた。
その迫害から逃れるように、一部の親族だけで他国の山奥に移り住んだ。
皮肉な事に、血継限界を持つ親族だけで移り住んだ為、その後、血はより一層濃くなる結果となる。
移り住んだ山里は冬がとても厳しく、元々は雪害などで被害を受けた作物を治療する為に開発された術だった。
雪深い里では、冬は人も自然もエネルギーを充填する季節であり、山里に住まう人々が自らの充填した生命エネルギーを、自然に還元する術として完成させたのだ。
それがいつからか、人間にも応用できる事がわかり、一族以外との交流をできる限り避け忍医を呼ぶ事が少なかった人々は、医療忍術の代わりとして使うようになったのだ。
傷付いた細胞や、死んだ細胞を、その細胞の持つ記憶から、傷付く前の状態で復活させることができる万能の治療術である。
が、術者の負担は一般的な忍術の数倍以上で、生命エネルギーを消費し尽くせば、術者は死亡するリスクもある。
術者の生命エネルギーが尽きるまでなら複数回行う事も可能、休息により生命エネルギーが復活すれば何度でも行う事も可能である。
但し、死者の蘇生には短時間の制限がある事と、人一人分の生命エネルギーが必要なうえ、一度の転生術で蘇生しなければ成功しない。
よって、術者の全ての生命エネルギーを使う=術者は死亡する事でのみ蘇生できる。
しかし例外的に、生まれたばかりの赤子は生命力が乏しく、蘇生に必要な生命エネルギーが少ない為、術者が生命エネルギーを使い切る前に蘇生する事も多い。
全てを理解したリッカは、母の一族と、その術に関する巻物を全て燃やし、灰にした。
「あの時、お母様が私を先に治療していなければ、お母様もタイガも両方助かった可能性が高かったのです…、私がお母様を殺した。私が父から妃を奪い、弟から母を奪った…」
「違うよ、リッカ…。お前を治療してなかったら、お前が死んでたんだ」
「私は死んで当然だったんです! あの時、一緒に居たのに、乳母のやろうとしていることに気付けなかった…。弟を守れなかった」
「リッカ…、お前は悪くない。悪いのは乳母だ。お母さんはお前を愛してたから、お前を死なせたくなかったんだよ」
「私はお母様の命を奪った罪を背負って生きていかなきゃいけないんです! 愛してたのなら…、どうして私にこんな罪を背負わせたの!?」
オレは胸をえぐられるような衝撃を受けた。
やはり、この子の心の奥の苦悩は、オレと同じ種のものだったのだ。
リッカは直接手にかけた訳ではない。
だが、何より守りたいと思った大切な仲間を、心ならずも手にかけたオレと同じ様に、もがき苦しんでいたのだった…。
「私が死ぬべきだった、そう思うのに…、兄様に殺意を向けられた時に…、あの時の、苦しかった記憶が蘇って…、怖くて、死にたくないって思って…、兄様も殺してしまった…。私は、私一人が生きる為だけに、一体何人の命を奪って生きていかないといけないの…」
そうか…、あの収容所で震えていた時、リッカは兄を殺めてしまった事だけではなく、それに結び付けて母親が死んだ事も思い出していたのか…。
オレにはまだ「リンの想い、リンが命を懸けて守りたかった里は守れた」という心の逃げ場があった。
しかしこの子は、大好きな母親も、脅威でしかなかった兄も、すべて自分の命と引き換えの為だけに殺めたと解釈して、自分を責め続けているのだ。
とめどなく溢れる涙を隠すように、リッカは両方の手で顔を覆った。
オレはリッカの気持ちが痛いほど理解できただけに、何も言えず、ただ、涙で顔に張り付く黒髪を、そっと、とかしてやるしかできなかった。
リンはあの時、オレがリンの命を奪った罪を背負って生きていくことを考えたのだろうか…。
…きっと考えただろう。
考えても、なお、オレが乗り越えると信じて、未来を託してくれたのだと思いたい。
そうだとしたら、リッカの母親も同じはずだ。
「リッカ…、それでもやっぱり、お母さんはお前に生きて欲しかったんだよ。お前が優しい子だから、きっと苦しむ事もわかっていた。それでも生きて欲しかった。それ程、リッカを愛していたんだね。…だから、死ぬべきだったなんて、考えちゃいけないよ。お母さんが託してくれたお前の未来を、人生を、精一杯生きなきゃいけない」
オレがそう言うと、リッカは声にならない嗚咽を漏らした。
暫くし、一呼吸してからリッカは静かに言った。
「先生…、ありがとうございます。ごめんなさい…、先生には関係ないことなのに…」
「いや、いいんだよ?」 …ま、全く関係ないって事もないしね。
「私、木ノ葉に来たのは戦争を止めたかったからだって言いましたが、本当は…、お父様やタイガを見ているのが辛かったから…、なのかも知れないです」
恐らくリッカは、父親の言葉にも傷付いているのだ。
国王が「諦めよ」と言ったのは息のあったリッカの事ではなく、既に息を引き取っていた弟の事なのだろう。
しかし、リッカには同じに聞こえたのだ。
王妃が無事であれば、子供などこれからいくらでものぞめる。
確かにそうだ。
だが、子供から見たら父親は唯一人だ。
その唯一人の父親に、替えなどいくらでもいる、と言われたのと同じに捉えたのだ。
父親にとって自分は、娘の「リッカ」ではなく、王位継承者の一人「王女」だったのだと…。
いつかオレが話した波の国での話に、リッカはナルトが少し羨ましいと言った。
リッカは「忍」ではないが、「王女」である自分も、それに照らし合わせていたのだろう。
そして、「そんな生き方は嫌だ」と言ったナルトの、素直さ、潔さを
「オレはオレの忍道を行く」と言ったナルトの強さを、リッカは羨ましいと言ったのだ。
オレはようやく理解した。
リッカの緑の瞳はまだ濡れていたが、何かを思い出したように微笑んで言った。
「だからかなぁ…。私、あの旅が本当に幸せだったんです」
例え偽りのリッカであっても、「王女」ではなく、「リッカ」で居られた事が嬉しかったのだろう。
…だから、「リッカ」と呼ばれることを喜んでいたのか…。
「先生…、私、木ノ葉に来られて良かったです。お友達もできたし…、それに、国ではこんな自分の本当の気持ち、話した事なかったですから…」
「そうだね、国ではどうしても子供じゃいられない立場なのかも知れないけど、木ノ葉にいる間は年相応に子供でいたらいいんだよ」
話し疲れたのだろう、リッカは眠りに落ちそうになりながら話し続ける。
「お母様の事も、先生に話して良かった…。でもね、先生…。タイガには大きくなっても、転生術の事も、お母様の死の真相も話しません…。あの子にはあんな辛い思いさせたくない…、私一人で十分です」
もうほとんど眠りながら、独り言のようにささやいた。
「…だから、先生も…、私の前では絶対…、死んじゃダメですよ…」
母にどうして罪を背負わせたの?と言っていたのに、オレが目の前で死んだら、転生術で蘇生してしまうって事なんだろう…。
お母さんの気持ちも、ちゃんとわかってるんじゃないか…。
リッカの想いに気付いていなかった、と言えば嘘になる。
旅の途中から、ナルト達へとも違う、オレへの特別な感情に気付いてはいた。
しかし、気付いていたと言って、どうしてやることもできない。
そのうち、時が解決してくれるだろう…。 としか言えない…。
しかし、困ったな…。
死にに行くつもりはないと火影様には言ったが、最悪の事態も考えなければいけないと思われる。
万が一そうなった場合に、そこにリッカがいたら、本当に術を使ってしまう可能性もある。
対策を練らないとな…。
オレはそんな事を考えながら、リッカの濡れたままの頬を拭って布団をかけてやった。
この小さな肩に王女として国の命運を背負い、娘として両親への悲しい想いを抱える少女。
いつか、この子を支え、共に歩んでくれる人が現れる筈だ…。
幼い恋の為に、オレの命と引き換えに死なせていい訳がない。