『私/俺』は『アナタ/アンタ』を『殺したい』   作:柳野 守利

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『私』

 鏡夜が立っている場所の反対側。その壁にもたれ掛かった総司は口の中に溜まった血をぶちまけてから、口元についている血を拭いつつ立ち上がった。

 

 ...総司の纏っている雰囲気が変わった。辺りに緊迫した空気が溢れ出している。総司の眼が鏡夜を捉えた。そのあまりの変容さに、鏡夜は少しだけたじろいだが、右手に持ったナイフを強く握りしめて総司に向けることで恐怖を打ち消した。

 

「......化物がッ」

 

 吐き捨てるようにそう言った総司に、鏡夜は嘲るように笑って言った。

 

「なぁ...痛いよなぁ? アイツが苦しんだ痛みだ。お前が今までしてきた罰だ。存分に味わえよ」

 

 腹に空いた穴からドバドバと血が流れでる。止血しなければ、待っているのは死だけだろう。だが、それを止める必要は無い。なぜなら、コイツを殺して死ぬからだ。

 

「最初は...正攻法で、アンタを裁こうと思ってた。けどさぁ...アンタ、ハーミットを殺したよな」

 

 皆が寝静まった夜に、二人だけで話していた。彼女との時間は、とても有意義で、心の休まるような場所だったと思う。たった一夜だったのに、そう思えてしまった。

 

「...俺がアンタを殺す決意が固まったのは、その時だよ」

 

「...んとに、お前ら橘花はキチガイしかいねぇのかよッ!!」

 

 素早い動きで身を低くして総司が接近してくる。先程ナイフを刺された腹の場所に向かって拳を真っ直ぐに突いてくる。しかし、今の鏡夜にはその拳がとても遅く感じていた。

 

 興奮状態における自身の感覚強化。アドレナリンの分泌が多くなると人は体感時間を長くすることが出来る。極度の集中状態とも言えるその状態は、脳の処理速度のスピードが飛躍的に上昇しているから起きるのだ。

 

「...遅いんだよ、何もかもッ!!」

 

「がぁッ!?」

 

 処理速度の上昇により、総司の拳を受け流してからの反撃が迷いなく、スムーズに行われる。拳を外に逸らし、すれ違うように相手の腹に拳を置いて、自身が前に出る。そのまま腕を戻す力で相手を殴り飛ばした。

 

「アンタが悔いるのも」

 

 腹を抑えてうずくまる総司の顔面をまるでボールを蹴るように蹴り飛ばした。うめき声と同時に、歯の一部が飛んでいった。

 

「アンタが痛がるのも」

 

 鏡夜の踵が総司の脳天に叩き落とされる。総司の顔は床に密着し、鼻の骨が折れる音が聞こえた。もう総司に動く力は残されていないように見える。だが、鏡夜はやめない。

 

「アンタが俺を脅威だと思うのも」

 

 俯いて横たわる総司の身体を、足で蹴るようにして仰向けにする。そして、ナイフを持った右拳を限界まで引いて、腰を低くして構えた。

 

「...おっせぇんだよォッ!!」

 

 雄叫びのような怒号とともに、その右拳が地面に横たわる総司の腹にたたき込まれた。

 

「ごぶっ」

 

 総司の口から血が吹き出る。その血が鏡夜に飛び散り、服が自分の血以外の返り血で赤くなった。

 

 それを気にすることなく、握っていたナイフを逆手に持ち替えて、頭よりも高く振り上げた。鏡夜の血で汚れたナイフが鈍く色を放っている。

 

「...これで、終わりだ」

 

 ...振り下ろした。手に肉を抉る、奇妙な感覚があった。心臓はあえて狙わない。より長く苦しむように、腹に突き刺した。奇しくもそれは、鏡夜の突き刺さった場所と同じような場所で、動機こそ違えど、鏡夜は目の前で目を見開いて血を吐き出し続ける殺人鬼のやったことと、何ら変わりのないことをしたのだ。

 

「...だ、ぢ...ばなぁ......ぎ、ざま......」

 

 死に体でもなお、殺人鬼は目の前にいる殺人鬼を睨むのをやめない。鏡夜はただ、総司を上から見下ろし、憎しみの篭った眼を向けるだけだった。

 

「...ざまぁみろ...ハハ...ハハハ...」

 

 乾いた笑いが溢れ出た。身体に鈍い感覚が響くようになってきていた。段々と視界の上の方が暗くなってきている気がする。立っているのも辛くなってきてしまった。鏡夜はそのまま壁に背中を持たれかけさせて倒れるように座り込んだ。

 

「......終わったよ...晴大...」

 

 ...脳裏で、笑顔を浮かべる晴大が浮かんできた。あぁ、俺もすぐにそっちに行くことだろう...。お前はまた...俺に遊ぼうって言ってくれるか...?

 

「......?」

 

 足音が近づいてきて、目の前で止まった。視界の明るい部分に写っているのは、まるで棒のようにほっそりとした綺麗な肌色の足だった。

 

「...兄さん」

 

 雪菜が鏡夜の目の前に座り込み、鏡夜の顔を両手で持ち上げた。彼女と目が合った。

 

「...な、ぁッ......」

 

 酷く暗い瞳だった。淀んでいて、瞳の中が何も見えない。ただ彼女は何も着ていない状態で恥じらいもなく、鏡夜の顔をじっと見つめていた。

 

 ...そして彼女はとうとう口を開いた。

 

「...兄さん、私どうしたらいいの」

 

 ジャラリッと鎖を引きずるような音が聞こえた。彼女の両手を見てみると、つけられていたはずの手錠がまるで引きちぎられるように壊されていた。

 

 ...まさか、自力で? でも、どうやって...

 

 考えている鏡夜に、彼女は虚ろな瞳のまま話しかけてきた。

 

「助けて...兄さん...」

 

 両頬を優しく包んでいた彼女の両手の位置が下がっていく。何を思ったのか、彼女は総司に突き刺さったナイフを抜いて、まじまじと見つめ始めた。

 

「憎いの...憎くて、どうしようもないの......」

 

「...な、にが......」

 

 話すのも辛い状況の中、鏡夜は必死に声を絞り出した。目の前にいる少女はただ、ナイフを見つめている。

 

「兄さんが...憎くて、たまらない...総司さんは、死んじゃった...」

 

 ...あぁ、なるほど...。鏡夜は彼女の身に何が起きているのかを理解した。

 

「晴大さん...どこ...」

 

 虚ろのように呟き続ける。

 

 ...バースの効果が切れたのだ。バースが切れれば、フォームの効果が残る。恐らく、持続時間を考えてフォームの割合を多めにして雪菜に飲ませたのだろう。結果、バースが切れてフォームの効果が現れ、力技で拘束具を破壊した。そして事態をうまく飲み込めず、また信じていた人の裏切りで、彼女の心は混ざってしまった。その混乱した状態で...奥深くに眠った彼女の負の感情、本心とも言えるべき部分が浮き出てきているのだ。

 

 兄を殺したい。両親を殺した兄を殺したい。それが彼女の願いだったはずだ。

 

「...兄さん......兄さん......」

 

 呟く彼女の瞳から、涙がこぼれ落ちていく。俺には彼女が何を思っているのかわからない。どうせもう、俺は死ぬ...だが、彼女に人殺しをさせたくはない。

 

「晴大さんは...兄さん...兄さんは...総司さん...総司さんは...晴大さん...?」

 

 ...動かなくなりそうな両手で、彼女を抱き寄せた。

 

「...ずっと......」

 

 ...ずっと、こうしていたかった。前からずっと、こうして彼女の隣にいたかった。彼女を壊したのは...きっと、俺なのかもしれない。仇討ちを考えずに、彼女の元へと向かっていたら彼女は壊れなかったかもしれない。そうしたら俺は、滝川 総司に狙われたかもしれないけど、それでも彼女の心は守れたかもしれない。

 

「...ごめん、なぁ...こんな、兄で......」

 

 目の前で、彼女が動く感覚があった。少しだけ温かみを感じた彼女が、腕の中から離れていく。そして、もうあまり身体に力は残されていない。

 

「...私...は...」

 

 顔をあげると、そこには笑ったような...泣いているような...そんな表情を浮かべた雪菜が、ナイフを振り上げていた。

 

「..........」

 

 ...せめて、君だけは守りたかったんだけどなぁ。

 

 そう、心の中で呟いた。後悔なんてないと思っていた。ところがどうだ。目の前にいる彼女は...後悔そのものだ。

 

 ...どうか、俺のことなんて忘れて幸せに。

 

 なんて、酷い言葉で彼女に祈りを捧げ......

 

 

「...私は...アナタを...」

 

 

 ...ナイフが振り抜かれた瞬間、俺の意識は遠ざかっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「......見つけた」

 

 

 

 

 

 ...そんな声が、聞こえた気がした。

 

 

To be continued...


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