『私/俺』は『アナタ/アンタ』を『殺したい』 作:柳野 守利
ゴソゴソとベッドから身体を起こした。自分の隣には、一糸纏わぬ姿で眠っている女がいる。ハーミットだ。そして自分の身体を確認する。こちらも、何の衣服も纏っていない。外を見れば、昼過ぎに来たはずなのに、もう日が昇っている。日をまたいだのだろう
「..........」
思い出すことは、ただ乱れに乱れた、ということだけ。あの薬の効果は、凄まじいものだった。一方は人の身体の限界を引き出す薬。もう一方はその効果を反転、変化させ、身体の全ての感覚を快楽へと変化させる薬。効果がどれほどのものかは、見なくてもわかるだろう
「...あら、起きたの?」
隣で眠っていたはずの女が起きた。まだ少しボーッとする頭で、彼女に返答した
「...アンタ...なんで...」
「別に? 気が乗ったからとか、君が意外にイケメンだったから。そんなところよ」
彼女は眼鏡をかけていない彼の目を隠すほどの髪の毛を上げた。そして、嬉しそうに笑う
「やっぱ、カッコイイね。優しそうな目。整った顔立ち。隠すの勿体無いよ」
「...隠さなきゃいけない理由がある。アンタがこんなことをしているのと、同じようなものだ」
「理由、かぁ...」
彼女は彼の髪の毛から手を離して、ベッドに再度横になった。その状態で彼を見上げるようにして言った
「裏切られたんだよね、私」
「......アンタの話に付き合うほど、俺はお人好しじゃないよ」
彼は素っ気なく答え、立ち上がって乱雑に脱ぎ捨てられた服を着始めた。それを気にすることなく彼女は話を続ける
「心から好きな人がいて、裏切られて。身体も、お金も、場所もなくなった。どうでもいい人に体を触られて、それでもなんとかお金を稼いで、こうなった」
「最終的に行き着いたのが麻薬の売人かよ。アンタ、まだまともな道に戻れただろう」
「ううん。なんかね、疲れたんだよ。それで、麻薬に染まった。堕ちる所まで堕ちて、そんで気がついた。何やってるのかなって。けど、もう戻れなかった。裏では結構有名なんだよ、これでも」
「...まぁ、じゃなきゃこんな場所にまでこねぇよ」
そんなぶっきらぼうな返答に、彼女は笑った。彼が訝しげな目を向けると、彼女は笑顔のまま言った
「君、優しいんだね。装ってるけど、根っからのお人好しだよ。君の彼女が羨ましいなぁ...」
「...生憎、彼女なんざいない身でね。それに...初めてだった」
「...嘘!?」
彼女は驚きに目を見開いて彼を見た。彼は服を整えると、自分の持ってきた鞄の中身を確認し始める
「本当だ。俺の目的が達成するまで、遊びも、付き合いも、何もかも抑制しようとしてた」
「あちゃー...ごめんね。初めてがこんなので。てっきり、何人も相手したことあると思ってた」
「...別に」
いつかは捨て去りたいと思っていた。それに...見てくれは美人だから別にいい。などと心の中で呟いた
「...気持ちよかった?」
「薬のおかげでな」
鞄の中身の確認が終わり、机に置かれた眼鏡をかけて彼は立ち上がった。そして未だベッドの中にいる彼女に向かって言った
「終わったら、連絡してくれ。そしたら取りに来る」
「...帰っちゃうの?」
「仕事の邪魔になるだろうからな」
彼女の言葉にクラっとこなかった訳ではない。彼とてまだ大学生。遊びたい年頃だ。それを普段から抑制していたのだから、一夜の行為とはいえ彼女に心が傾きかけているのも仕方の無いことなのかもしれない。仕事、と割り切れるほど彼の心は強くなかった
「...そっか。なら頑張っちゃおうかな。早く会いたいし、ね?」
そう言って彼女はベッドのそばにおいてあったフォームとバースを手に取ってひらひらと見せるように振るった。それを見た彼は顔を顰めながら言った
「...そういうのはナシにしてくれ」
「じゃあ、これが無ければいいの?」
「...さぁな」
靴を履き、玄関の扉を開けて外の景色を見た。裏路地だが、外は明るかった
「...私ね、身体を売るのやめてから、自分の意思でしたいと思ったの...君が初めてだよ」
後ろから、甘い声が聞こえてきた。まるで媚びるように。しかし、どこか寂しさを感じる。彼はその言葉に鼻で笑うように答えた
「どうせ、他の男にも言ってるんだろう? ガキに何を求めてるんだか」
「...本当なのになぁ」
それだけ聞くと、彼は扉を閉めてこのボロい建物から出ていった。表の駐車場に車は停めてある。そこまで歩かなければならないと思うと...少しばかり憂鬱な気分になった
「...はぁ」
独り残された部屋の中で彼女はため息をついた。独りの部屋に慣れたはずなのに、少しだけ寂しく感じる。隣にいた温もりがこんなに恋しいなんて...久しく思っていなかった
「..........」
彼と長い間身体を重ねていた。何度も重ねた。彼は、笑おうとするとすぐに何かを思い出したかのように顔を顰めた。私には彼が何を思っていたのかはわからない。なんとなく、幸せとなること自体を忌避している気がしたけど。それくらいしか分からない
夜。休憩中に話したことがある。彼は探偵で、ずっと殺人鬼を追っているんだって。弟が殺されたって言ってたかな。殺人鬼を恨んでるのか、と聞くと、勿論だ、と酷く歪んだ顔で答えた。彼に誰を重ねてるとか、そんなことは微塵も思ってない。ただ...目を離したら、危ないなとか。本当に、どこかに行ってしまいそうな、儚げな感じがした。昼間の彼とは大違いで、少し驚いた。だって...昼間の彼は、自信ありげで、強そうで、そう...無理やり演じているかのよう。見てみれば明らかだった。私と混じった後の...私が抱きしめた時の、どこか安堵のようなものを感じていた彼こそが...橘花 晴大という男の子なんだろう
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
「...ただいま」
事務所の扉を開けて中に入ると、親父が心配そうな顔で近寄ってきた。そして近づくなり顔を顰めて手で仰いだ
「...人に心配かけさせておいて、てめぇは女遊びか」
「遊びじゃない...いや...なんと言えばいいのか...」
困惑したように彼は頭をかいた。親父は家に続く扉を指さして言った
「風呂に入ってこい。臭いがきつい」
「...悪かったな。俺だって、好きでこうなったわけじゃない」
「バイヤーの口を無理やり割ったのか?」
そう聞いてきた親父に対し、彼は自虐するような笑みで答えた
「...逆だ。割られたよ」
「へぇ...んで、何か不味いことでも話したのか?」
「いや...まぁ、アレだ...弱音を吐いた、くらいかね」
「ハッ、ガキが女に誑かされやがって」
「ガキで悪かったな、まったく」
そう言って家の方へと戻る。部屋から服を取ってきて、風呂場に向かった。脱衣場で服を脱ぎ、自分の身体を鏡で見た。身体の数ヶ所に痣のようなものができている。キスマーク、という奴だろう
「...人の身体を好き勝手にしやがって......」
悪態をつく彼だが、鏡に映っている彼の表情はどこか笑っているようだった
『...まるで、母親のようだ』
夜に彼女に言った言葉が思い返された。やってる事は母親ではないのに。けどどこか...優しげな感じとか、そんな所が。どこか、似ていたんだろう、きっと
「...いかんな。マジで骨抜きにされてそうだ」
両手で自分の頬をパンッと叩いた。頬がヒリヒリと痛むが、頭の中でのスイッチは切り替わった。緩んでいた頬は引き締まり、優しげな目つきは鋭さを帯びたものに変わった
「...これで、殺人鬼の居場所がわかればいいがな」
彼はハーミットの仕事を頼りに、彼女の仕事の終わりを待つことにした
To be continued...