『私/俺』は『アナタ/アンタ』を『殺したい』 作:柳野 守利
沈黙に包まれたその空間を破ったのは、一つの音だった
きゅうっ...という可愛らしい音が聞こえたのだ。チラリと彼が雪菜を見ると、彼女は顔を真っ赤に染めていた
「...今日はジメジメしてて暑いですね......」
「...そうだな。ところで...」
「晴大さんの服って、良い匂いがしますよね。何の洗剤使ってるんですか?」
「触ると匂いが飛ぶヤツ。んで質問なんだが...」
「晴大さん」
「はい」
「それは女性に聞いてはダメです」
「...俺は気にしないけど」
「私はするんですッ!!」
顔を真っ赤にして恥ずかしさを隠す彼女がとても愛らしい。何故彼女はこんなにも可愛いのだろうか。そんなに腕を動かすとお腹が見えるぞ、まったく...
「そういえば、この前の事件で警察の不備があったってことで謝礼としてお金とケーキ貰ったんだが...食べるか?」
「い、いえ...そんな、貰うわけには...」
「気にするな。食える時に食っとけ。親父は甘い物好まないし、食べるの俺と咲華さんだけだから、必然的に余るんだよ」
「...でも......」
彼女はお腹を抑えて考えている。何を考える必要があるのか...。どちらかと言うと、痩せている彼女にはむしろ食べさせたいのだが。身体付きが細すぎて心配だ。そのくせ一部分育ってるのだから、その部分に栄養持っていかれすぎじゃないか?
「...晴大さん。そういうの、わかりやすいんですよ...?」
「はて、何のことやら」
知らぬ存ぜぬ。俺は何も考えておりません。しかし女の第六感とでも言うべきか。こう言ったものに女性は気づきやすい。自分に向けられた視線に気づいているとは、どこの女性も言っている。いや、どこのとは言えないな。一部の男の視線をクギ付けにする服装かグラマラスな女性に限る。見られていることに気がついているのではなく、見られているという事実を自分が認めているのだ。私がこの服装をしたら、男はここを見るだろうとわかっている。というか、男性は絶対にそこに目線を一度は向けてしまうのだから。あの男、私のこと見てる...なんて、自意識過剰も甚だしい。ただ単に視界に入っただけだ。それ以降見ようものなら、それはもう言い訳できないけどな
「待ってなよ。ちょっと取ってくるから。飲み物は、何がいい?」
「あっ...それじゃあ、カフェオレでお願いします」
「...甘い物に甘い飲み物、か」
「...やっぱり他の飲み物を」
「砂糖マシマシで作ってくるから待ってな」
「いや、ちょっと待って晴大さん!?」
後ろで声が聞こえるけど聞こえない聞こえない。クツクツと笑いながら台所に向かった。トレイの上に皿に分けたケーキを乗せ、棚から珈琲の粉を取り出して作り始める
「...思えば、このカフェオレにどれだけ救われたことか」
少し、昔のことを思い出した。まだ俺がこの家に来て間もない頃。誰にも心を開かず、閉ざして、ただ憎んで、恨んで、自分の弱さに泣きじゃくっていたあの頃。咲華さんがカフェオレを作ってくれた。暖かい。それでいて甘い。その甘さは、とても優しかった
咲華さんは、俺の話を聞いてくれた。勿論、近くに親父もいた。俺の話を真剣に聞いた上で、俺を家族として迎え入れてくれた。忌まれるべきは俺なのに...
「...ふぅ」
いかんな。こんな事で感傷に浸っていては、そのうち寝首をかかれることになりそうだ。今はただ、前だけを見るべきだ。それがきっと、終わりに繋がると信じて
「...できたぞ」
扉を開けて中に入る。ベッドに座っていたはずの雪菜は、俺が見ない間にベッドに横になっていた。枕に顔を埋め込む形で。体が大きく膨れては縮むを繰り返す。余程大きく息を吸っていることだろう。彼女は俺が入ってきたことに気がつくと、勢いよく座り直した
「...なんだ、うちの洗剤って、そんなにいい匂いなのか? 高いものは買ってないはずなんだが...」
「...せめて、ノックをしてください」
「ここ、俺の部屋なんだけど...」
そんな苦言を漏らしながら、トレイに乗せたケーキを簡易的なテーブルの上に並べた。そしてその隣に先程作ったばかりのカフェオレを置く。部屋の中に甘い香りが漂ってきた
「凄い...これ、本当に貰っちゃっていいんですか?」
「どうぞ。食われなきゃ勿体無いだろう」
彼女はフォークを手にケーキを食べ始めた。俺も一口食べてみる。甘いクリームと柔らかいスポンジが、口の中で混ざり合う。とても美味い。そういえば、有名な店で買ってきたと聞いた気がする。警察内部にスイーツな人でもいるのだろう
「美味しい...」
「そりゃなにより」
カフェオレを口の中に流し込む。暖かい。身体の奥から、暖かくなっていく気がした
「...口のとこ、クリームついてるぞ」
「え、嘘っ...!?」
彼女の口の横にクリームがついていることを指摘すると、指で取ろうと必死になった。だが、上手く取れていない。仕方が無いな、と彼が言うと、自分の指で彼女の口元についているクリームを取り、舐めとった
「っ......!?」
目の前にいる彼女は真っ赤になってしまっている。はて、これくらいは普通のことだと思うんだが...。何を意識しているのか
「...普通、舐めますか?」
「俺は普通だと思うが...。なに、何か意識してるのか? 俺が男なんぞ信用するなと言ったばかりなのに?」
「だって晴大さんがっ...」
「俺も信用するなと言っているんだがね...乙女脳挽回のスイーツ女子め」
「...聞き捨てならないんですけどそれ?」
彼女が顔を顰めて文句を言ってきた。そういった表情も、とても可愛らしい。そんな穏やかな目で見ていると、彼女は身を縮こまらせた
「...何か、身の危険を感じるんですけど......」
「そりゃお前、男は狼だぞ? 俺は連れてきた女の子だろうが構わず喰っちまう男なんだぜ?」
嘘です。未だに童貞です
「...晴大さん......」
ドン引かれた。俺をそんな目で見るな。知らなかったんだ。今どきの女子高生がこのノリ知らないって。いや彼女がアーッとか言ってるのもそれはそれで嫌なんだがね
「冗談だ、冗談。そんなに身構えるな」
「...一体何人の女の人を手にかけたんですか?」
「一人もいないが?」
「...それは流石に嘘ですよね?」
「悲しいことに、俺彼女出来たことないんだよ」
まぁ、目が腐ってて睨みつけるように眉にしわ寄せて、喧嘩売ってきた奴片っ端からぶっ飛ばしてたらそりゃそうなるよなぁ。仕方ないだろ、昔はやんちゃなヤムチャだったんだ。親父に一発でのされるくらいにヤムチャだったんだ
「信じられないです」
「そりゃ...まぁ、昔と今は大分違うからなぁ」
やさぐれて喧嘩早くなって、親父に殴られて。俺が人のように戻れたのもある意味では親父のおかげか。二度とあんな痛い思いはしたくない
「...そういえば、夜はどうする? なんならうちで食っていくか?」
「流石にそこまでは...ほら、総司さんも帰ってきますから...」
「親父がなんとかしとくさ。それに...俺がお前と食べたいんだよ」
こんなに痩せ細って。食生活がなっとらんのだよ。これはもう咲華さんの手料理で胃袋を掴んで引き伸ばすしかない
「え、えぇと...じゃあ...いや、でも...」
そういえば、総司さんに会うなと言われていたんだったか。安心しろ、何か言ってきたらボコボコにするさ、親父が
「ダメか?」
「っ...それじゃあ...お言葉に甘えます」
「おう」
親父の仕事が増えた瞬間である。すまんね親父。犠牲になってくれ。家族の犠牲にな...
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
目の前に所狭しと並ぶ料理の数々。それを見て驚いている雪菜。そんな彼女を見れて満足な俺。笑っている咲華さん。真っ白になっている親父。平和な食卓だ
「なぁ、滝川さん、中々に怒ってたんだが...」
「知らぬ存ぜぬ。俺はただ、アイツの笑ってるところが見たかっただけ。それに、アイツは自分の意思で来たんだ。知ったこっちゃない」
「俺の苦労を察せ。すぐに迎えに来るらしいぞ」
「鍵でも閉めて居留守しよう」
「警察が世話になってる探偵が警察のお世話になるなんて御免だ、まったく...」
雪菜と咲華さんが仲良く話している時に、ヒソヒソと親父と俺で話し合っていた。親父は疲れきった顔をしながらも、雪菜の笑っている顔を見て満足そうに頷いた
「あの子が笑顔なら、それもまた良し、か」
「そんな事咲華さんの前で言ってみなよ。殴られるよ」
「いや、だって...ねぇ?」
...親父の言いたいこともわかる。雪菜と親父、咲華さん。どれもこれも血の繋がりなんてない。それでも、咲華さんも親父も、まるで娘のように思っていた
「じゃあ...いただきます」
皆で一斉に食べ始めた。親父が雪菜に話しかけ、それに照れながら雪菜が返す。咲華さんがそれを笑いながら見ていて、俺は親父に苦言を漏らす。そんなありふれた、どこの家庭にもあるような、笑顔のある食卓
...それを彼女は、幸せを噛み締めるように過ごしていた
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
楽しい時ほど、時が流れるのは早い。あっという間に時間は過ぎ、保護者の迎えが来てしまった
「雪菜...僕が言ったことを忘れたのかい?」
「...ごめんなさい」
事務所の中で、親父と俺、雪菜と総司さんの4人が机を挟んで座っていた。親父は総司さんに向かって言った
「そこまで邪険にしなくても...。我々は彼女を危ない目には遭わせませんよ。前回のは...事故です。避けようのないものだった。彼女じゃなくても、他の誰かがあぁなっていた。間が悪かったのですよ」
「間が悪かったどうこうではないんです。結果的に、雪菜は被害にあった。なのに、どうして貴方がたと一緒にいさせられましょう?」
確かに、最もな意見だ。今回初めて彼の顔を見たわけだが...確かに、優しそうな顔つきだ。丁寧な口調で、雪菜を心配しているのだと、確かにわかる。誰が見てもそう感じる。彼は、明確なまでに
「しかし...彼女はうちの息子に依頼をしております。それは簡単に反故できない」
「なら、その依頼を取り下げてもらいます」
「いくら保護者とはいえ、個人が依頼したものを他人が取り下げるなんて、簡単にできませんよ」
...なんだろうか。酷く、不思議な感じがする
「総司さん...お願いですから、彼と会うのを許可してもらえませんか...?」
彼女が総司さんに懇願する。総司さんは、それに対して
「許可できない」
と言った。その時の表情が...記憶にある気がした。どこかで会った気がする。いやでも、顔に見覚えなんてない。声をどこかで聞いた...そんな気がする。いつかこんな人に依頼されただろうか? 他人の空似ならぬ声似だろうか
いずれにせよ、彼の表情は変わらず心配そうなままだというのに。どこか、怒りを感じた
「...危険な目に遭わせたことに関しては謝罪しましょう。しかし、息子と友人と共に救出しました。水に流す、までには行かないにしろ、彼女の自由にさせてはいかがですか?」
「断る。雪菜は、僕にとっては大切な子なんだ。危険な目に遭わせたくない」
あぁ。正当な保護者なら、確かにそう思うだろう。だが、彼はあくまで親ではなく保護者だ。たまたま、偶然、引き取っただけの男に、一体そこまでする理由がどこにある?
彼は娘を保護する者ではなく...そう、まるで一人の動物を保護する飼育員のようにすら感じた。傷つけぬよう、丁寧に接し、可愛がり、餌をやり、散歩に出し...そして
「...そうですか。では、ここに貴方の個人情報を書いてもらいたい。住所、電話番号、職業、経歴その他諸々。それらを持って、彼女の依頼を取り消すとしましょう」
晴大が驚き目を見開いた。そして親父を睨みつける。雪菜も悲しそうな表情を浮かべた
「そちらは僕の事を知っているのでは?」
「あくまで形式的にです。保護者ならば、何かあった時のために何か証拠として扱えるものを控えて、反故にできます。なにか不都合があった場合、その責任を負うのは彼女ではなく解約した貴方...ということになりますね」
「...わかりました。ならば書きましょう」
総司さんはそう言ってペンを手に紙に書き始めた。雪菜が悲しそうにこちらを見ている
「...そんな悲しそうな顔をするな。約束は果たすさ...。紙に書かれた依頼じゃない。俺の誓いだ」
「晴大さん...」
彼女は心の中で叫ぶ。違う。それを望んだわけじゃない。確かに最初は、それこそが望みだった。兄を捕まえて何もかも終わらせる。それこそが私の心からの望みだった。けど、今は...
「大丈夫だよ、雪菜。だから、悲しそうな顔をするな。金輪際会えないわけじゃないさ。偶然出会った時にでも...話しかけてくれればいいさ」
そんな事を言ったら、総司さんに睨まれてしまった
「...はい」
心底悲しそうな声で、彼女は答えた。あぁ、悲しいとも。君に会えない、というのは中々に悲しい
...少なくとも、君が想っている以上に悲しいとも
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
酷く、ムカつく男だった。まるで保護者のように、雪菜を護ろうとしていた。あの優しげな顔、口調。落ち着かせるような声。どれもこれもがイラつく原因だ。殺したい。殺してやりたい。けれど、殺せない
死んだとわかれば、雪菜が傷つくだろう。手を出したくても出せない。もどかしい。あの身体をズタズタに切り刻んで、殺してやりたい。何故俺の雪菜に手を出そうとする。何故雪菜を保護者のように護ろうとする。あの目をくり抜いてやりたい。家族を護ろうとするあの目を、くり抜いてやりたい
......今日もまた、街に死体が増えそうだ
俺の邪魔をするなら...殺してやるとも。邪魔な奴は、みんな殺してやる
To be continued...